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    "name": "稲畑勝太郎（初代）",
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    "birthdate": "1862",
    "origin": "創業者。京都の菓子舗「亀屋正重」の長男として1862年に生まれ、京都府派遣の留学生としてフランスで染色を学んだのち、1890年10月に京都で稲畑染料店を開業した",
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        "source": "稲畑産業『稲畑八十八年史』（稲畑産業、1978年）",
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          "text": "1862年に京都・烏丸御池の菓子舗「亀屋正重」を営む稲畑利助氏の長男として生まれた。1877年に京都府派遣の留学生としてフランスへ渡り、リヨンの工業学校と大学で染色を学び、染工場で3年間の徒弟修業も積んだ。帰国後は京都府に奉職し、京都織物会社の染色技師長を経て、1890年10月に京都で稲畑染料店を開業した。1918年に株式会社稲畑商店の社長となり、1937年に長男の稲畑太郎氏へ社長を譲った。"
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              "slug": "sumitomo-chemical-distributorship-1944",
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            }
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          "text": "稲畑勝太郎氏は1862年、京都・烏丸御池の菓子舗「亀屋正重」を営む稲畑利助氏の長男に生まれた。2歳のときに蛤御門の変で生家が焼け、一家は三条大橋東へ移って菓子舗を再開したが、暮らし向きは厳しかった。1877年、15歳で京都府が派遣する留学生8人の1人としてフランスへ渡り、リヨンの工業学校と大学で染色の理論を修め、マルナス染工場で3年間徒弟として現場の技術を身につけた。1885年に帰国して京都府に勤め、1887年に京都織物会社が設立されると府庁を辞して入社し、翌年に染色技師長となった。\n独立の直接のきっかけは解雇である。1890年9月、京都織物会社は社内の事情から技師長を解き、これが自ら店を構える動機になった。同年10月、28歳で三条大橋東の生家で稲畑染料店を創業し、フランスのサンドニー染料薬品製造会社と日本での一手販売の契約を結んで、人造染料と染色用の工業薬品を直輸入して売り始めた。開業時の人手は夫妻2人だけで、店主が見本を背負って市中の染屋を回り、夫人が店で染料の試験を受け持った。\n売り方は、染め方の指導と一体だった。業界誌に広告を出すとともに染色法の解説を毎号のように寄稿し、関西のほか桐生・足利や新潟の産地へ出向いて講習と実地指導を重ね、染色の手引書も続けて刊行した。1894年に東京へ出張所を設け、1895年12月には輸入に依存していたモスリンの国産化を目指して毛斯倫紡織株式会社を立ち上げた。\n1897年は事業の軸を広げた年である。2月に大阪・難波の南地演舞場で、リヨン工業学校の同窓にあたるリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを使い、日本で初めて映画を一般に上映した。5月に稲畑染工場を設けて綿布の染色加工を始め、10月には本店を大阪の順慶町へ移して京都の店を支店に改めた。1908年には天津に支店を置き、中国大陸へも進出している。\n第1次世界大戦で染料の輸入が途絶えると、1916年2月に政府補助の国策会社として設立された日本染料製造の創立に参画し、監査役に就任した。1918年6月には個人商店を株式会社に改め、資本金100万円の株式会社稲畑商店を設立して自ら取締役社長に就任した。1926年1月に貴族院議員に勅選され、同年8月には日本染料製造の社長も兼ねた。\n1937年3月、75歳で経営の第一線を退き、社長を長男の稲畑太郎氏に譲って相談役に回った。日本染料製造の社長も女婿の稲畑二郎氏に譲って会長となり、1941年8月に会長も退任した。同社は1944年に住友化学工業に合併され、稲畑産業はその特約販売店となる。1949年3月29日、88歳で死去した。"
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