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      "title": "アンプル用生地管の独占販売権を用いた輸入品排除と、公正取引委員会の排除勧告",
      "subtitle": "輸入に踏み切った取引先へ値上げと供給停止で応じたことは、何を守り、何を失ったのか",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "ニプロが日本電気硝子製アンプル用生地管の西日本地区独占販売権を背景に、韓国からの輸入に踏み切ったアンプル製造業者ナイガイに対し、値上げの通告と実質的な供給停止で応じた行為。1999年6月に公正取引委員会が立入検査に入り、2000年2月に排除勧告が出された。2006年6月5日の審判審決で独占禁止法第3条違反が認定されている。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "アンプルの原料である生地管は業界ぐるみで日本電気硝子1社に依存する構造にあり、ニプロは同社製生地管の西日本地区独占販売権を持っていた。ニプロ自身、1950年のびわこ電球製作所時代から日本電気硝子と取引を重ね、1954年には西日本総代理店となったことを機に創業している。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "輸入をやめるか数量を絞るよう求めたうえ、翌年にはナイガイに対してのみ2割の値上げを通告した。ナイガイが従来価格で支払いを続け大阪地裁に債務不存在確認訴訟を起こすと、担保の差し入れか現金取引かの二者択一を迫り、拒まれると生地管の供給を全面的に止めた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "2012年12月21日、東京高裁はナイガイと内外硝子工業に対し計1億33百万円の支払いを命じ、2014年10月に最高裁の上告不受理で確定した。請求額20億32百万円に対する認容額は約7％にとどまったが、独占禁止法第25条に基づく損害賠償が認められた事例となった。"
        }
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            "note": "日本電気硝子製アンプル用生地管の西日本地区独占販売権を持つ医療機器大手。器材事業の源流が硝子管の販売にあった"
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        "summary": "原料供給の独占的地位を用いて輸入品を扱う取引先を排除した行為が、独占禁止法の排除型私的独占にあたると認定された"
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          "title": "びわこ電球製作所の経営を機に日本電気硝子との取引が始まる"
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          "title": "日本電気硝子の西日本総代理店となったのを機に日本硝子商事を設立"
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          "title": "公正取引委員会がニプロに排除勧告、違法行為が止む",
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          "title": "東京高裁がニプロに計1億33百万円の支払いを命じる判決"
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          "title": "最高裁の上告不受理決定により判決が確定"
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        "source": "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期・連結）",
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              "sub_title": "生地管という細い川の上流",
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                  "text": "アンプルの原料となる硝子管は、生地管と呼ばれる。日本の製薬向けアンプル市場でこの生地管は、業界ぐるみで日本電気硝子1社に依存する構造にあった。ニプロはその日本電気硝子製生地管について、西日本地区の独占販売権を持っている。両社の関係は古く、創業者の佐野實氏が1950年にびわこ電球製作所を営んだ時期に取引が始まり、1954年に西日本総代理店となったのを機に前身の日本硝子商事が設立された。ニプロにとって生地管は、事業の出発点そのものであった。",
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                      "fact": "アンプル原料の生地管は業界ぐるみで日本電気硝子1社に依存し、ニプロが西日本地区の独占販売権を持っていた",
                      "原文": "村津社長が家業を継いで驚いたのは、アンプル原料の生地管の供給を業界ぐるみ日本電気硝子１社に頼っていることだった。／ニプロは日本電気硝子の生地管について西日本地区の独占販売権を持っている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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                    {
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                      "原文": "1950年　滋賀県大津市でびわこ電球製作所を経営。日本電気硝子との取引が始まる。／1954年　日本電気硝子の西日本総代理店となったのを機に、京都市に日本硝子商事を設立。",
                      "source": "ニプロ「あゆみ（事業の変遷）1947〜1993」",
                      "url": "https://www.nipro.co.jp/corporate/biography/"
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                {
                  "text": "市場そのものは大きくない。ニプロがかつて自社の加工機械でアンプル業界の構造を変えたときも、大阪に300軒ほどいた加工業者は15社まで減っている。狭い市場で川上を握る側と、そこから買うほかない中堅業者という関係が、この事件の土台にあった。ナイガイの村津敬介社長は総合商社と外資系銀行を経て家業を継いだ人物で、原料を1社に頼る構造を危ぶみ、韓国からの輸入に踏み切った。供給源を増やすという、それ自体は珍しくない判断であった。",
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                    {
                      "fact": "ニプロの加工機械の普及により大阪に300軒ほどいたアンプル加工業者は15社まで減少した",
                      "原文": "当時、大阪に300軒ほどアンプル加工業者と称する業者が存在したが、当社の加工機械によって、15社に激減したというひとつの事実があるほど、自動化、機械化は業界に大きなインパクトをもたらした。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」",
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                      "fact": "ナイガイの村津敬介社長は総合商社・外資系銀行を経て家業を継ぎ、生地管の一社依存を避けるため韓国からの輸入を決断した",
                      "原文": "総合商社、外資系銀行でキャリアを積んだ村津社長が家業を継いで驚いたのは、アンプル原料の生地管の供給を業界ぐるみ日本電気硝子１社に頼っていることだった。／１社依存で大丈夫か。村津社長は韓国からの輸入を決断した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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          "label": "決断",
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                {
                  "text": "ニプロが採った対応は、段階を踏んで重くなった。まず輸入をやめるか数量を絞るよう求め、応じない場合の含みを示している。村津社長によれば、輸入をやめれば差額は補填する、それが駄目なら輸入数量を絞れ、それもできないなら覚悟がある、という三段の申し渡しであった。ニプロ側はのちの公正取引委員会の審判で、輸入方針は正論だと発言したと主張している。翌年、ニプロはナイガイに対してのみ2割の値上げを通告した。公定価格へ引き上げ、特別値引きを全廃する内容であった。",
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                    {
                      "fact": "ニプロはナイガイに輸入の中止・数量の抑制を求め、応じない場合の含みを示したとされる。ニプロ側は審判で輸入方針は正論だと発言したと主張した",
                      "原文": "村津社長はニプロの佐野実社長にこう申し渡されたという。「一つ、輸入をやめろ。（輸入品との）差額は補填してやろう。二つ、輸入数量を絞れ。三つ、それもできないなら、覚悟がある」（佐野社長は後の公正取引委員会の審判で「輸入方針は正論だと発言した」と主張している）。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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                      "原文": "その翌年、ニプロはナイガイに対してのみ２割の値上げを通告してきた（公定価格への引き上げ・特別値引きの全廃）。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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                {
                  "text": "ナイガイは従来価格のまま支払手形を切り続け、同時に大阪地裁へ債務不存在の確認を求める訴訟を起こした。これに対しニプロが出したのが、実質的な受注拒否であった。輸入品だけでは製薬会社の要求する数量と品質に応えられないナイガイが発注量を増やそうとすると、担保を差し入れるか現金取引に切り替えるかの二者択一を迫っている。ナイガイが新たな取引条件を拒むと、生地管の供給は全面的に止まった。原料の入口を握る側が、その入口を閉じた形であった。",
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                      "fact": "ナイガイは従来価格で支払手形を切り続けつつ大阪地裁に債務不存在確認訴訟を提起した",
                      "原文": "村津社長は、従来価格のままで支払手形を切り続け、同時に、大阪地裁に「債務不存在」の確認を求める訴訟を起こした。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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                      "原文": "ところが、ニプロは担保を差し入れるか、現金取引に切り替えるか、二者択一をナイガイに迫ってきたのだ。／新たな取引条件を拒むと、ナイガイへの生地管の供給は全面的にストップした。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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              "sub_title": "司法と当局が動くまで",
              "paragraphs": [
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                  "text": "決着は司法と競争当局の側から来た。1999年3月、大阪地裁は債務不存在の確認訴訟でナイガイ勝訴の判決を下している。同年6月には公正取引委員会がニプロへの立入検査に踏み切り、翌2000年2月、排除勧告を出した。ここでニプロの行為は止んでいる。最初の違法行為からこの時点まで5年が経っていた。担保か現金かの取引条件をニプロが迫ったのは大阪地裁判決の直前であり、判決後もその条件は改められなかった。",
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                    {
                      "fact": "1999年3月に大阪地裁がナイガイ勝訴の判決、同年6月に公取委が立入検査、2000年2月の排除勧告により違法行為が止んだ。最初の違法行為から5年が経過していた",
                      "原文": "１９９９年３月、大阪地裁が「債務不存在」の確認訴訟でナイガイ勝訴の判決を下し、同年６月、公取委がニプロの立ち入り検査に踏み切った。翌年２月、公取委が排除勧告を出すに至って、ニプロの違法行為はやんだ。／それにしても、最初の違法行為からここまで５年間。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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                },
                {
                  "text": "勧告に強制力はなく、争いはさらに続いた。公正取引委員会がニプロによるアンプル生地管に係る私的独占事件について審判審決を出したのは、2006年6月5日である。独占禁止法第3条に違反する行為があった旨を明らかにする内容であった。勧告から審決まで6年を超えており、この間ナイガイの売上はピーク時の15億円から9億円へ落ちている。審決は違法行為がすでになくなっているとして、格別の措置を命じてはいない。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "公正取引委員会は2006年6月5日、ニプロによるアンプル生地管に係る私的独占事件について独占禁止法第3条違反を明らかにする審判審決を行った",
                      "原文": "公正取引委員会は、ニプロ㈱によるアンプル生地管に係る私的独占事件について、平成18年6月5日、ニプロ㈱に対し、独占禁止法第3条に違反する行為があった旨を明らかにする審判審決を行いました。",
                      "source": "公正取引委員会 平成26年度年次報告 第2部各論 第4章 訴訟",
                      "url": "https://www.jftc.go.jp/info/nenpou/h26/div02/div_02_04.html"
                    },
                    {
                      "fact": "審判審決まで6年超を要し、その間にナイガイの売上はピーク時の15億円から9億円へ減少した。審決は違法行為が既に消滅しているとして格別の措置を命じなかった",
                      "原文": "だが、ニプロの審判は、審決まで６年超かかった。ナイガイの売り上げはピーク時の１５億円から９億円に落ち込んだ。／審決は「違法行為はすでになくなって」おり、ニプロには「格別の措置を命じない」とした。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
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          "section": "outcome",
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          "subsections": [
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              "sub_title": "損害賠償訴訟という後始末",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "審決の確定後、争いは民事へ移った。2007年12月7日、株式会社ナイガイおよび内外硝子工業株式会社は、独占禁止法第25条に基づく損害賠償請求訴訟を東京高等裁判所へ提起している。請求金額は20億32百万円であった。2012年12月21日、東京高裁はニプロに対し、ナイガイへ50百万円、内外硝子工業へ83百万円の計1億33百万円と、支払済みまで年5分の割合による金員を支払うよう命じる判決を言い渡した。認容額は請求額の約7％にとどまっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2007年12月7日にナイガイと内外硝子工業が独占禁止法25条に基づく損害賠償請求訴訟（請求金額20億32百万円）を東京高裁に提起した",
                      "原文": "平成19年12月７日、株式会社ナイガイおよび内外硝子工業株式会社から、東京高等裁判所に対し独占禁止法第25条に基づく損害賠償請求訴訟(請求金額20億32百万円。平成20年３月４日、原告側当初請求金額変更。)が提起されました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第60期（2013年3月期）",
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                    {
                      "fact": "2012年12月21日、東京高裁はニプロにナイガイ50百万円・内外硝子工業83百万円の計1億33百万円と年5分の金員の支払いを命じた",
                      "原文": "平成24年12月21日、東京高等裁判所より、原告に対し１億33百万円（株式会社ナイガイ50百万円、内外硝子工業株式会社83百万円）および各金員に対する支払済みまで年５分の割合による金員を支払うべき旨の判決が言い渡されました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第60期（2013年3月期）",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "原告側はこれを不服とした。2013年1月7日、原判決のうち敗訴部分の破棄と、認容額のほか13億52百万円および年5分の金利相当額の支払いを求めて上告受理を申し立てている。ニプロは有価証券報告書の事業等のリスクに訴訟の項目を設け、結果によっては経営成績や財政状態に重要な影響を及ぼす可能性があると記載し続けた。決着がついたのは2014年10月15日、最高裁判所の上告不受理決定によってであった。行為から数えて20年近くを要している。",
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                    {
                      "fact": "2013年1月7日に原告が上告受理を申し立て、認容額のほか13億52百万円と年5分の金利相当額の支払いを求めた",
                      "原文": "原告はこれを不服として、平成25年１月７日、最高裁判所に対し原判決（高裁判決）中原告らが敗訴した部分を破棄し、原審での認容額のほか、13億52百万円とその金利（年５分）相当額を支払うことを趣旨とする上告受理申立を行いました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第60期（2013年3月期）",
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                    },
                    {
                      "fact": "2014年10月15日に最高裁が上告不受理を決定し、東京高裁判決が確定した",
                      "原文": "最高裁判所が平成26年10月15日に上告不受理決定を下し、原審判決が確定した。",
                      "source": "公正取引委員会 平成26年度年次報告 第2部各論 第4章 訴訟",
                      "url": "https://www.jftc.go.jp/info/nenpou/h26/div02/div_02_04.html"
                    }
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                }
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              "sub_title": "川上を握るということ",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この事件を、独占的地位に驕った企業の逸脱と読むだけでは足りない。ニプロにとって生地管は、1950年に日本電気硝子と取引を始め、1954年に西日本総代理店となったところから続く事業の入口であった。狭い市場で川上を押さえ、加工機械を売って材料を買ってもらう——佐野實社長が商品より先に技術を売ると語った商法は、供給を握ることと表裏にある。輸入という別の入口が開けば、その商法の前提そのものが崩れる。ナイガイへの申し渡しは、事業の型を守ろうとした行為だったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、守ろうとしたものの大きさに比べて、失ったものは小さくなかった。認容額1億33百万円は連結売上高2,000億円規模の会社にとって軽い金額だが、公正取引委員会に排除型私的独占を認定され、その記録が20年近く有価証券報告書のリスク項目に残った。かつて自社の加工機械で300軒を15社に絞った会社が、今度は価格と供給の操作で1社を締め上げている。同じ市場支配でも、技術で競争相手を減らすことと、供給を止めて選択肢を塞ぐことの間には、法が引いた線がある。その線の位置を、この事件は当事者に教える形になったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2008年8月2日号「アウトルック独禁法が日本経済を救うビジネスでもいじめ 競争がねじ曲げられる」",
        "証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」",
        "公正取引委員会 平成26年度年次報告 第2部各論 第4章 訴訟",
        "ニプロ 有価証券報告書 第60期（2013年3月期）",
        "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期）",
        "ニプロ「あゆみ（事業の変遷）1947〜1993」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
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    {
      "slug": "retail-business-exit-2006",
      "url": "/tse/8086/decisions/retail-business-exit-2006/",
      "year": 2006,
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      "decision_id": "8086-retail-business-exit-2006",
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      "title": "スーパーマーケット・ドラッグストア子会社の譲渡と小売事業からの撤退",
      "subtitle": "多角化を統治力と呼んだ4年後に、なぜ創業以来の三本柱の一角を手放したのか",
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      "issue": "事業ポートフォリオと経営資源の配分",
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      "highlights": [
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          "label": "概要",
          "text": "2006年、ニプロがスーパーマーケットを営む株式会社ニッショーの全株式を阪急百貨店へ、ドラッグストアを営む株式会社ニッショードラッグの保有株式をキリン堂へ譲渡し、1963年から43年続けた小売事業から撤退した経営判断。譲渡理由を有価証券報告書は、経営資源の投入を医療機器および医薬品部門へ重点的に行うためと記している。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "ニプロの小売事業は1963年、硝子加工の技術で生鮮食品の鮮度向上に貢献できるという判断から始まった。器材・ストア・医療の三部門を並べる構成は1987年の株式上場を可能にした条件でもあり、佐野實社長は2002年の時点でも、低収益を理由にした小売撤退を退けていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "2006年6月23日に阪急百貨店とニッショー全株式4万株の譲渡契約を締結し、7月31日に譲渡。同年11月17日にはキリン堂とニッショードラッグ株600株（所有割合72.4％）の譲渡契約を結び、12月15日に引き渡した。譲渡前年度のストア部門売上高は672億61百万円で、連結売上高の約3分の1を占めていた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "2007年3月期の連結売上高は1,843億62百万円へ前期比10.9％減った一方、営業利益は5.9％増の130億53百万円、当期純利益は子会社株式の譲渡益を含めて85億55百万円と前期比89.6％増となった。売上規模を手放して利益率を取る構成へ、事業の組み合わせが変わった。"
        }
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        "summary": "医療機器と医薬品への経営資源の集中を優先し、規模では連結の3分の1を占めながら利益率の低い小売事業を手放した"
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          "title": "大阪府豊中市服部にニッショーストア服部店を開設しスーパーマーケット業界へ進出"
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          "title": "牧野薬局（後のニッショードラッグ）に資本参加しドラッグストア分野へ進出"
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          "title": "佐野實社長が週刊東洋経済で小売事業の維持を明言"
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        {
          "year": 2006,
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          "title": "ニッショー全株式を阪急百貨店へ譲渡、12月にニッショードラッグ株をキリン堂へ譲渡し小売から撤退",
          "highlight": true
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        {
          "year": 2008,
          "month": 3,
          "title": "小売撤退の通期影響で連結売上高が1,721億円へ縮小"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "2007年3月期",
        "source": "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期・連結）",
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            "fiscal_year": "2007年3月期（連結）",
            "president": "佐野實",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "硝子商が食品小売に出た理由",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ニプロの小売事業は、余った資金の置き場所として始まったものではなかった。1963年11月、同社は大阪府豊中市服部に食料品中心のニッショーストア服部店を開き、スーパーマーケット業界に入っている。参入の判断について佐野實社長は、新規参入にあたってはその業界の発展に寄与できるかを検討したうえで決めると述べ、スーパーについては生鮮三品の鮮度落ちを防ぐことに技術で貢献できると考えたと説明していた。硝子加工の機械化で身を立てた会社が、同じ技術志向を食品の鮮度に向けた形であった。",
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                      "fact": "1963年11月に大阪府豊中市服部でニッショーストア服部店を開設しスーパーマーケット業界へ進出した",
                      "原文": "昭和38年11月　大阪府豊中市服部に食料品中心のニッショーストア服部店を開設し、スーパーマーケット業界に進出。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期）【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "佐野實は新規参入の可否をその業界の発展に寄与できるかで判断し、スーパーでは生鮮三品の鮮度向上に貢献できると考えたと説明した",
                      "原文": "当社としては、新規参入する場合にその業界が発展、進歩することに寄与できるか否かを十分に検討したうえでのことである。したがって、スーパー・マーケット部門への参入には、生鮮三品の鮮度落ち防止あるいは積極的に鮮度向上に貢献できるのではないかと考えた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "価格でなく品質で売るという方針も、参入当初から明確であった。安く買い叩いて安く売るのが当時のスーパーの常識だったなかで、同社は仕入れをオーソドックスに保ちつつ、正当な値段で等級の高い品を仕入れさせた。結果として生まれたのが、ニッショーの品物は高いけれども品質は良いという評判であった。佐野社長はストアを一種の工場と捉え、鮮度を上げ保持し品質を向上させる仕組みを作る場と位置づけている。器材・ストア・医療の三部門は、性格こそ異なるが同じ技術志向で束ねられていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "買い叩かずに等級の高い品を正当な値段で仕入れる方針を採り、高いが品質は良いという評判を得た",
                      "原文": "当社のニッショー・ストアはグレードの高い品物を揃えることとし、それを当社の技術力によって品質の向上をはかり、価格だけにとらわれることをしないようにした。以来現在まで、当社のストアでは品質の向上を目的にしてグレード・アップした商品を顧客に提供し続けてきているので、巷間でいわれていることは、ニッショーの品物は高いけれども品質は良いという評判をうるようになった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」",
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                    },
                    {
                      "fact": "佐野實はストアを工業的・科学的な一種の工場と捉え、鮮度と品質を上げる仕組みを作る場と位置づけていた",
                      "原文": "ストアは本質的には小売業だが、私は根が技術的な人間だから、ストアは工業的であり、科学的であり、一種の工場であるという感じをもっている。単に仕入れてきた物を店頭に並べるのではなく、鮮度を上げ、鮮度を保持し、品質を向上させるシステムをつくり上げていくという考え方でのぞんでいるということだ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年5月号「ニッショー」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "小売があったから上場できたという事実",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "三部門を並べる構成は、株式公開の要件そのものを支えていた。のちに佐野社長は、小売事業があればこそ規模の基準をクリアして上場を果たせたと語り、当時は医療用器具が赤字だったため、アナリストからは医療をやめろと言われたと明かしている。1986年3月期の経常利益の構成比は医療事業部門35.0％、器材事業部門33.6％、ストア事業部門31.4％で、三つはほぼ拮抗していた。1987年2月の大阪証券取引所第二部への上場は、この均衡の上に立っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "佐野實は小売事業があったため上場の規模基準を満たせ、当時は医療用器具が赤字でアナリストからは医療の撤退を勧められていたと語った",
                      "原文": "小売り事業があればこそ、規模の基準をクリアして上場を果たせた。当時は、医療用器具が赤字だったので、今とは逆にアナリストからは医療用器具をやめろと言われた",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件「反」常識A：ニプロ不採算部門を捨てない「多角」が成立する統治力」",
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                    },
                    {
                      "fact": "1986年3月期の経常利益構成比は医療事業部門35.0％・器材事業部門33.6％・ストア事業部門31.4％であった",
                      "原文": "これを利益の実額による構成比にしてみると、医療事業部門は35%、器材事業部門で33.6%、ストア事業部門は31.4%である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "2002年の時点で、この構成は外部から強い批判を受けていた。医療用器具事業の営業利益率19％に対し、小売事業は1.6％にとどまり、証券アナリストからは小売をやめろと繰り返し言われている。佐野社長はこれを退け、変化する世の中に対応するために現状の利益だけを考えていては駄目で、長期と短期のバランスを考えて事業を行い投資をするのが経営者の役目だと答えた。同社は前年の2001年6月にスーパー部門を会社分割し、新設の株式会社ニッショーへ移していた。手放すためではなく、独立採算で鍛えるための分社であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2002年時点で医療用器具事業の営業利益率は19％、小売事業は1.6％で、アナリストから小売事業の撤退を求められていた",
                      "原文": "営業利益率を見ても、医療用器具事業が一九％と好収益なのに対し、小売り事業はわずかに一・六％。証券アナリストたちから「小売り事業をやめろ、やめろと言われる」（佐野實社長）のも当然だろう。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件「反」常識A：ニプロ不採算部門を捨てない「多角」が成立する統治力」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2001年6月にスーパーマーケット部門を会社分割し新設の株式会社ニッショーを設立した",
                      "原文": "平成13年６月　スーパーマーケット部門を会社分割して新設会社株式会社ニッショーを設立。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "二つの譲渡契約",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "撤退は半年のうちに二段階で実行された。ニプロは2006年6月23日、連結子会社である株式会社ニッショーの全発行済株式4万株、所有割合100.0％の譲渡契約を株式会社阪急百貨店との間で締結し、7月31日に株式を譲渡している。続いて同年11月17日、株式会社ニッショードラッグの全保有株式600株、所有割合72.4％の譲渡契約を株式会社キリン堂と結び、12月15日に引き渡した。スーパーとドラッグストアの双方を、それぞれ関西の同業へ渡す形であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年6月23日に阪急百貨店とニッショー全発行済株式40,000株（所有割合100.0％）の譲渡契約を締結し、7月31日に譲渡した",
                      "原文": "当社は、連結子会社である株式会社ニッショーの全発行済株式40,000株(所有割合100.0％)の株式譲渡契約を株式会社阪急百貨店との間で平成18年６月23日に締結し、平成18年７月31日に株式を譲渡いたしました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2006年11月17日にキリン堂とニッショードラッグの全保有株式600株（所有割合72.4％）の譲渡契約を締結し、12月15日に譲渡した",
                      "原文": "当社は、連結子会社である株式会社ニッショードラッグの全保有株式600株(所有割合72.4％)の株式譲渡契約を株式会社キリン堂との間で平成18年11月17日に締結し、平成18年12月15日に株式を譲渡いたしました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "手放したのは小さな事業ではなかった。譲渡前年度にあたる2006年3月期のストア部門売上高は672億61百万円で、同期の連結売上高2,068億01百万円の約3分の1を占めている。同部門の営業利益は5億77百万円と薄かったものの、前期比では403.5％増と改善の途中にあった。京阪神地区で生鮮食品を主体としたスーパーマーケットを営むニッショーと、阪神地区で医薬品・日用雑貨を扱うニッショードラッグが、連結から同時に外れた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年3月期のストア部門売上高は672億61百万円、営業利益は5億77百万円で前期比403.5％増であった",
                      "原文": "この結果、当部門の売上高は672億61百万円(前期比5.1％減)、営業利益は５億77百万円(前期比403.5％増)となりました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ニッショーは京阪神地区で生鮮食品主体のスーパーマーケット、ニッショードラッグは阪神地区でドラッグストアを展開していた",
                      "原文": "㈱ニッショーは京阪神地区で生鮮食品を主体としたスーパーマーケットを展開しております。また、㈱ニッショードラッグは主に阪神地区で医薬品・日用雑貨等の小売を主とするドラッグストアを展開しております。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "医療と医薬へ資源を寄せるという説明",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ニプロは撤退の理由を、収益性ではなく資源配分の言葉で説明した。有価証券報告書は、引き続き技術革新を心がけ革新的な製品を生み出す努力を続けるとともに、今後は経営資源の投入を医療機器および医薬品部門に重点的に行うこととし、ストア部門の連結子会社の株式譲渡を行ったと記している。小売の不振を理由に畳んだのではなく、医療と医薬に寄せるために外したという整理であった。低収益を理由とする撤退論を4年前に退けた経営者が、別の理由を立てて同じ結論に至った形になる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "有価証券報告書は経営資源を医療機器および医薬品部門へ重点的に投入するためストア部門子会社の株式を譲渡したと記載した",
                      "原文": "また今後は、経営資源の投入を医療機器および医薬品部門に重点的に行うこととし、ストア部門の連結子会社(株式会社ニッショーおよび株式会社ニッショードラッグ)の株式譲渡を行いました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "資源を寄せる先には、すでに育ちつつある事業があった。2002年の時点で医療用器具は売上高の45％、営業利益の8割弱を稼ぎ、人工透析用のダイアライザは世界シェア約3割で首位を走っている。赤字に目をつぶって毎年10億円以上を投じてきた医薬品事業も1999年3月期に黒字化し、以後は年平均で二桁の成長を続けていた。器材と小売が稼ぐ間に医療と医薬を育てるという順序が、この時点で一巡していたとみることができる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2002年時点で医療用器具は売上高の45％・営業利益の8割弱を占め、ダイアライザは世界シェア約3割で首位であった",
                      "原文": "現在、ニプロの売上高の四五％、営業利益では八割弱を稼ぎ出すのが、使い捨ての注射針や人工透析器具のダイアライザーといった医療用器具事業だ。特にダイアライザーはシェア約三割で世界でもトップを走る。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件「反」常識A：ニプロ不採算部門を捨てない「多角」が成立する統治力」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "医薬品事業は毎年10億円以上を投じた末に1999年3月期に黒字化し、以後年平均二桁成長を続けた",
                      "原文": "赤字に目をつぶって毎年一〇億円以上を投じてきた医薬品事業は９９年３月期に黒字化を果たした。以後、年平均二ケタ成長を続けており",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件「反」常識A：ニプロ不採算部門を捨てない「多角」が成立する統治力」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "売上を落として利益を取る決算",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "撤退の影響は、その期の決算にそのまま表れた。2007年3月期の連結売上高は1,843億62百万円と前期比10.9％減った一方、営業利益は前期比5.9％増の130億53百万円となっている。当期純利益は子会社株式の譲渡に伴う特別利益の計上などにより85億55百万円と、前期比89.6％の増加となった。譲渡が7月と12月であったためストア部門の売上は309億73百万円しか計上されておらず、規模の縮小と利益の改善が同じ期に現れる決算となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2007年3月期の連結売上高は1,843億62百万円で前期比10.9％減、営業利益は5.9％増の130億53百万円、当期純利益は89.6％増の85億55百万円であった",
                      "原文": "この結果、当連結会計年度の売上高は前期比10.9％減少の1,843億62百万円、営業利益は前期比5.9％増加の130億53百万円、経常利益は前期比7.1％減少の113億55百万円となりました。当期純利益につきましては子会社株式譲渡に伴う特別利益の計上等により、前期比89.6％増加の85億55百万円となりました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "譲渡の時期により2007年3月期のストア部門売上高は309億73百万円にとどまった",
                      "原文": "この結果、当部門の売上高は309億73百万円(前期比54.0％減)、営業利益は２億70百万円(前期比53.2％減)となりました。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "通期で影響が出たのは翌期であった。2008年3月期の連結売上高は1,721億13百万円へさらに縮み、有価証券報告書は減収の主因を小売部門の撤退と説明している。ピークの2006年3月期に2,068億01百万円あった売上高は、2年で約3割減った。もっとも、この水準からの回復は速く、2012年3月期には2,120億13百万円と撤退前を上回っている。売上規模の空白は、医療と医薬の伸びと海外展開が5年ほどで埋めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2008年3月期の連結売上高は1,721億13百万円で、減収の主因は小売部門の撤退であった",
                      "原文": "当連結会計年度の売上高は前期比6.6％の減少となりましたが、これは主として小売部門の撤退(前連結会計年度ストア部門売上高309億73百万円)によるものであります。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書 第55期（2008年3月期）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "連結売上高は2006年3月期2,068億円から2008年3月期1,721億円へ減少した後、2012年3月期には2,120億円へ回復した",
                      "原文": "連結売上高は2006年3月期2,068億01百万円、2008年3月期1,721億13百万円、2012年3月期2,120億13百万円と推移した。",
                      "source": "ニプロ 有価証券報告書（2006年3月期・2008年3月期・2012年3月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "43年続けた事業を畳むということ",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この撤退を、低収益事業の整理という言葉で片づけるのは早い。営業利益率1.6％という数字は2002年から動いておらず、それを理由に撤退を求める声も同じだけ長く続いていた。それでも佐野實社長は当時、長期と短期のバランスを考えて事業を行い投資をするのが経営者の役目だと答えて退けている。4年後に同じ事業を手放したとき、同社が挙げた理由は収益性ではなく、医療機器と医薬品への経営資源の集中であった。畳む理由が変わったのではなく、畳んでよい条件が整ったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、この判断が正しかったと言えるのは、医療と医薬が実際に伸びた後を知っているからにすぎない。撤退時点で連結売上高の3分の1にあたる672億円と、京阪神の店舗で働く従業員を手放しており、失敗すれば規模だけを失う判断でもあった。1963年に生鮮三品の鮮度で貢献できるかと問うて始めた事業を、43年後に医療への集中を理由に外す——器材が稼ぐ間に小売を育て、小売が稼ぐ間に医療を育てるという順送りの構図が、ここで最後の一巡を終えたといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1987年3月号「ニッショー」",
        "証券アナリストジャーナル 1988年5月号「ニッショー」",
        "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件「反」常識A：ニプロ不採算部門を捨てない「多角」が成立する統治力」",
        "ニプロ 有価証券報告書 第53期（2006年3月期）",
        "ニプロ 有価証券報告書 第54期（2007年3月期）",
        "ニプロ 有価証券報告書 第55期（2008年3月期）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
    }
  ]
}
