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    "name": "兼松房治郎",
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    "birthdate": "1845-06-25",
    "origin": "創業家。大阪江之子島の広間彌兵衛氏の長男に生まれ、18、9歳のころ親戚の兼松家の姓を継いだ。幕府の歩兵、横浜の蚕卵紙商、三井組銀行部、大阪商船の取締役、大阪毎日新聞の主幹を経て、1889年に神戸で日豪貿易の個人商店を開業した。店主のまま没し、社長には就かなかった",
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        "source": "兼松六十年の歩み（兼松, 1955）「濠州へ」「兼松商店の誕生」「シドニー支店開設―羊毛の初荷」",
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          "text": "1845年、大阪江之子島で広間彌兵衛氏の長男に生まれ、18、9歳のころ親戚の兼松家の姓を継いだ。12歳で商家の奉公に出たのち、18歳で江戸に出て幕府の歩兵となったが、武士では志を伸ばせないと見て1865年に大阪へ戻った。横浜で蚕卵紙の輸出取引に参入したものの、1870年の普仏戦争で輸出が途絶えて失敗した。1873年3月に三井組銀行部へ等外五等で入り、3年で役付に抜擢され、1881年11月まで8年8か月勤めた。"
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          "text": "開業10周年の1899年、兼松房治郎氏は店員に対し、店業と一家を区別し、個人事業を早く合資会社に改めて永く勤めた功労者に持分を与えるとの意思を示した。1901年の恐慌で実現は遅れたが、1906年1月1日付の協定書で資本金を12万円と仮定し、その半分の6万円を店員の持分とする匿名組合に改めた。協定書の時点の実資力は8万円で、店員持分のうち5万7,500円を北村寅之助氏ら10名に分け、残りを将来の分配のために留保した。"
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          "text": "三井組を辞した兼松房治郎氏は、1884年に創立された大阪商船で取締役運輸課主管を務め、1888年には「大阪日報」を改題した「大阪毎日新聞」の主幹となった。米商会所との関わりから日本米の輸出に関心を持ち、豪州が世界一の羊毛産出国であることに着目した。当時の日本の貿易は輸出入の9割近くを外国の商館が扱っており、貿易の商権を日本人の手に握るべきだと考えた。1887年11月に日本を発ってシドニーを拠点に各地を視察し、羊毛は近い将来に日本の必需原料になると見て、1888年6月に帰国した。\n帰国後は財界の知友に日豪貿易への出資を説いたが、応じる者は少なく、大阪中之島の住宅や倉庫、株券を売って約1万円を用意した。三井銀行時代の恩人の西邑虎四郎氏や広瀬宰平氏らから2万数千円を限度とする後援の協約を得て、自己資金7,000円と合わせた約3万円の資金計画を立てた。1889年8月15日、45歳で神戸市栄町5丁目に「濠州貿易兼松房治郎商店」を開業した。翌1890年1月に北村寅之助氏を伴って再び豪州へ渡り、4月10日にシドニー支店を開設し、5月に洗上羊毛187俵を日本へ積み出した。\n開業から4年目の1893年、豪州を大恐慌が襲い、米や雑貨の在庫を換金できないシドニー支店は荷為替の期日に追われて進退に窮した。現地に滞在していた兼松房治郎氏は取引銀行の支配人に支払いの猶予を直接求め、承諾を得て閉店を免れた。1894年5月には神戸港に面した海岸通りの土地建物を買い入れて本店を移し、1896年5月には創業時の出資を書き換えた借入金2万円を完済した。\n次の転機は1901年の国内の金融恐慌だった。前年から始めた上海支店などの膨張に、前年春の店主の大病が重なり、取引銀行の急な取り立てで店は資金に窮した。横浜正金銀行神戸支店の支配人の山川勇木氏に財産の状態を残らず示して救済を受け、蚕糸部の廃止、上海支店とシドニーの小売店の閉鎖、人員の約4割の削減で再建に入った。神戸の貿易商で恐慌を生き延びたのは兼松を含めて2店だけだったと伝わる。\n1905年までに豪州へ8回渡り、輸入では羊毛・牛脂・皮革、輸出では陶器・漆器・竹器などの雑貨から日豪の直貿易を開拓した。1911年に念願の新店舗「日濠館」を完成させたのち、1913年2月6日に69歳で没した。後継者は出資者の多数の意旨で決めよとの遺言に従い、同年5月16日に合資会社兼松商店が発足し、店員らは養嗣子の兼松馨氏を初代社長に推した。"
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