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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "商権の不利を吸収合併で埋め直し続けた160年の経営（筆者所感）",
      "text": "丸紅の160年を貫いたのは、商権の不利を吸収合併で埋め直す経営である。1858年に初代伊藤忠兵衛が大阪で始めた麻布の持下り商いが源流で、1872年「紅忠」開店、1918年に二代忠兵衛のもとで伊藤忠商事と丸紅商店が分離した。これは敵対分裂ではなく、近江商人の家業を株式会社制度へ載せ替える再編で、繊維卸を軸とする貿易商社として独自の道を歩む丸紅の輪郭がここで固まった。1941年の戦時統制下で岸本商店・伊藤忠と合併して三興、1944年に大建産業へ商号を変え、繊維商社の自律性は戦時経済の動員のなかで失われた。1918年に分かれた家業が一度ひとつにまとまり、もう一度分けられる奇妙な往復で、戦後に丸紅が抱える繊維中心の構造は、この再編の過程でかたちをとった。\n\n戦後の丸紅は、不利な分割条件をひっくり返す合併の連続だった。1949年の過度経済力集中排除法で大建産業から再独立した際、市川忍と伊藤忠の小菅氏との交渉で「綿ののれんは伊藤忠、その他の絹、毛、麻、化繊は丸紅」と決まり、最も収益性の高い綿を譲って綿外を背負う条件で出発した。朝鮮動乱後の1952年11月の綿暴落は、皮肉にも綿外を受け持った丸紅への直撃を相対的に和らげた。1955年2月の高島屋飯田吸収で機械・金属と羊毛商権を取り込み、1961年9月のダイヤモンドは丸紅の非繊維売上が伊藤忠より394億円多いと伝えた。市川忍は流通革命論者に「世界をまたにかけてやるのは商社でなければできない」と反駁し、語学・国際ネットワークを総合商社の独自資源と位置づけた。1966年の東通合併で鉄鋼を強化、1972年7月に商号を「丸紅株式会社」へ戻した。\n\n総合商社化の代償は、ロッキード・石油遅れ・不良資産処理遅延として連続して表面化した。1976年のロッキード事件後、1985年の日経ビジネスは「ロッキード事件に振り回され、仮説も立てられず、\"海図なき航海\"を続けてきた」と業界地位の低下を評した。1979年時点で原油取扱高は三菱商事の3分の1・伊藤忠の2分の1の石油遅れがあり、1998年3月期以降は不良資産処理で伊藤忠に先行を許した。2013年度完了のガビロン買収（約27億ドル）は直後の穀価下落で2016年3月期純利益622億円へ沈んだ。2019年6月就任の柿木真澄はチリ銅減損後、発電所保有中心の重資産から運営・サービス収益へ比重を移した。2023年3月期は純利益5430億円の歴代最高益、自己資本は2025年3月期に3兆6292億円へ積み上がった。他社の後追いを吸収合併で埋めた商社の輪郭が、丸紅に残された主題である。",
      "references": [
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          "title": "Business Insider Japan",
          "year": 2025,
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        {
          "title": "東洋経済オンライン",
          "year": 2025,
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