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      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
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    "origin": "創業家（1858年創業）。15歳で近江麻布の持ち下りを始め、1872年に大阪本町で呉服太物商「紅忠」を開業した初代",
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    "references": [
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        "source": "伊藤忠商事『伊藤忠商事100年』（1969）「2始祖ノ創業」",
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          "career"
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      {
        "source": "ITOCHU Corporation Annual Report 2008「Pioneering DNA」",
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          "text": "1842年8月7日、近江国犬上郡八目（現・滋賀県犬上郡豊郷町）で、繊維品の小売りを営む五代伊藤長兵衛氏の次男に生まれた。家督は兄が継ぐため、父からは早く独り立ちして分家するよう求められていた。1858年、15歳で元服して忠兵衛を名乗り、近江麻布の持ち下りを始めた。伊藤忠商事と丸紅は、この年を創業の年としている。",
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          "text": "持ち下りの利益が本家の家産を上回ると、兄の六代伊藤長兵衛氏と事業を合わせたが、1870年2月に兄弟はそれぞれ独立し、得意先の地域を分け合った。分家側の商圏は狭く、1871年11月に持ち下りをやめて大阪に店を構えると決めた。広島を本拠とする案もあったが、船便の発達で広島はすでに大阪の商圏に入っていたため大阪を選び、1872年1月に本町2丁目で呉服太物商「紅忠」を開業した。"
        },
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          "text": "開店と同時に店法を定めて店員の権限と義務を明らかにし、20歳に満たない店員にも産地での大口の仕入れを任せた。1881年には店頭に「取引現金主義」を掲げて掛け売りを抑え、1884年の不況で同業の倒産が続くなかでも利益を確保した。1884年に紅忠を伊藤本店と改め、京店・伊藤外海組・伊藤西店・伊藤糸店を順に設けた。1893年の店法改正で、純利益を本家5・本店積立3・店員配当2に分ける方式が定まった。"
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          "text": "伊藤忠兵衛氏の生家は近江の八目で繊維品の小売りを営み、田畑も持つ家だったが、次男には継ぐ家業が無かった。1858年、叔父の成宮武兵衛氏の一行に加わり、叔父から50両分ほどの近江麻布を借りて最初の持ち下りに出た。持ち下りは商品を携えて遠方の得意先へ卸して回る商いで、店先を回る小売りの行商とは異なる。長雨で大阪の商いが振るわず、堺・岸和田から紀州まで足を延ばしたこの旅で、純益7両を得た。\n翌1859年は叔父から借りた100両を元手の一部に、岡山・広島から馬関（下関）まで商いを続け、さらに長崎へ回って外国との交易を初めて目にした。1860年には麻布800反を自ら仕入れて長崎へ下り、秋には美濃の綿織物と絹綿交織を大量に買い付けて豊前・筑前へ運んだ。小売りと小口の卸しが中心だった商いを、生産も消費も多い美濃織物の本格的な卸売りへ切り替える判断である。\n1861年に九州持ち下りを本業と定めたが、北九州の商圏は近江商人の組合である栄九講が押さえ、講の外の商人は問屋に荷受けを断られることもあった。伊藤忠兵衛氏は新参の商人を集めてその代表となり、小倉の旅館で講の十数人と1人で話し合って加入を認めさせ、翌年には講全体の代表に推された。1866年5月には、他国からの出入りが禁じられた防長の需要が集まる馬関で、麻布1万反余りを約10日でほぼ売り切った。\n1872年1月に大阪本町で紅忠を開業すると、支配人には伊藤忠兵衛氏の才覚に感じて手代となった2歳年長の持ち下り商人、羽田治平氏を登用した。屋号は生家の「紅屋」の紅に、自身の名の忠を合わせたものである。1877年の西南戦争のあと、持ち下り時代からの得意先が店頭にあふれたが、伊藤忠兵衛氏は戦後の反動を見越して現金取引に改め、手元の資金で金禄公債を買い集めた。公債の売買が縁となって、鴻池善右衛門氏ら大阪の両替商の仲間にも加わった。\n1884年に紅忠を伊藤本店と改めてからは、海外との直接取引を始めた。1885年に甥の外海鉄次郎氏と組んで神戸に直輸出の伊藤外海組を設け、1889年12月にはサンフランシスコに支店を開設したが、思うような業績は上がらず、1895年に組合を解いた。1894年には近江銀行の設立に加わって専務取締役となり、1901年には病を押して頭取を引き受けた。\n1903年7月8日、伊藤忠兵衛氏は須磨の別邸で61歳で死去した。残した事業は伊藤本店・京店・西店・糸店・伊藤染工場の5つで、携わる店員は100名を超えた。家業を継いだ二代伊藤忠兵衛氏は、1908年に個人経営を同族の組織に改め、1914年に伊藤忠合名会社とし、1918年にこれを母体に伊藤忠商事株式会社と伊藤忠商店を設けた。"
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