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  "title": "哺乳器専業からの品目入れ替えと、育児用品の総合メーカーへの転換",
  "subtitle": "出生数が4割減る市場で、哺乳器の首位を守るか、赤ちゃん1人当たりの売上を積み増すか",
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      "text": "出生数が1974年の209万人を頂点に減り始めたのに対し、ピジョンが哺乳器と乳首の専業から離乳用品・スキンケア用品・ベビーフード・介護用品へ品目を入れ替え、育児用品の総合メーカーへ移した経営判断。1983年に社長へ就いた仲田洋一氏が、先代からの不文律を外して新規分野の攻略を進めた。"
    },
    {
      "label": "背景",
      "text": "哺乳器は赤ちゃん1人につき一度しか売れない耐久品で、顧客は2歳半で入れ替わる。母数が減れば単品の首位を守っても売上は減る。1978年にはプロクター・アンド・ギャンブルの参入で紙おむつのシェアをほぼ失っており、母親の声を吸い上げる仕組みの不足が課題として残っていた。"
    },
    {
      "label": "内容",
      "text": "1986年8月に乳幼児を持つ母親約200人のモニター集団を組織し、1987年に乳幼児専用の電子体温計、1993年に和食風のベビーフードを投入した。1988年策定の中長期商品戦略ではベビーフードを新規攻略分野に置き、同年の株式店頭公開で得た資金を研究開発へ回した。"
    },
    {
      "label": "含意",
      "text": "1996年1月期には売上高約300億円の27%を過去5年以内の新製品が占めた。一方で消耗品へ寄せた構成は価格競争を呼び込み、売上原価率を押し上げた。品目の入れ替えは市場の縮小を止めるものではなく、替え続ける義務を会社に残した。"
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      "title": "プロクター・アンド・ギャンブルの参入で紙おむつのシェアをほぼ失う"
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      "title": "仲田祐一前社長の長男である仲田洋一氏が社長に就任"
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      "title": "乳幼児を持つ母親約200人のモニター集団「Pスタッフ」を組織"
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              "text": "哺乳器は赤ちゃん1人につき一度しか売れない耐久品であり、顧客は2歳半で入れ替わる。出生数は1974年の209万人を頂点に減り続け、1993年には118万5,000人ほどまで落ちた。仲田洋一社長は1989年の時点で、2歳半で終わる商売には長い目で見て限度があると述べ、ベビー用品で蓄えた知見をマタニティ・老人介護・3歳以上の幼児へ広げる多角化を10年来の希望としていた。実現を阻んでいたのは、独自の販売ルートを持たないことであった。"
            },
            {
              "text": "もっとも、母数の減少がそのまま売上に効いていたわけではない。1979年1月期からの10年で出生数は30万人以上減ったのに対し、赤ちゃん1人当たりのピジョン商品の購入額は2倍以上に増え、1988年1月期の売上高は156億円に達した。品目数は250以上を数え、松島健一取締役社長室長は、食品と子供服を除けば育児に関する商品はほぼすべて手がけていると説明した。1人当たりを積み増す算術は、すでに部分的に効いていた。"
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        {
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              "text": "品目を広げれば勝てるわけでもなかった。ピジョンは日本で最初に紙おむつを売り出したメーカーであったが、1978年にプロクター・アンド・ギャンブルが参入すると、ほとんどのシェアを失った。品質でP&Gの製品が優れていたことは確かだと認めたうえで、開発を担った石川光氏は、母親の意見を聞いて改良点に気付いていれば紙おむつは自社の主力商品になっていたかもしれないと振り返っている。消費者情報を細かく吸い上げる点で、ピジョンは立ち遅れていた。"
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            {
              "text": "この反省が仕組みに変わった。1986年8月、ピジョンは0歳から2歳までの乳幼児を持つ母親約200人を集め、Pスタッフというモニター集団を組織した。年間30余りの新製品はすべて最終段階でPスタッフの評価にかけられ、その過程で必ず改良点が出た。乳幼児の身体データだけで作った電子体温計の実物大模型も、センサー部分が細く尖って危険だと総スカンを食い、改良を重ねたうえでヒットになった。"
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              "text": "ピジョンにはベビーフードへ踏み込まない理由があった。実質的な創業者である仲田祐一前社長の時代には、水ものには手を出さないという不文律があり、食品分野は避けられてきた。1983年に祐一氏の長男である仲田洋一氏が社長に就くと方針が変わり、1988年に策定した中長期商品戦略では、育児関連では数少ない成長分野であるベビーフードが新規攻略分野の1つに挙げられた。"
            },
            {
              "text": "戦略は組織の形をとった。1991年秋、商品開発部門の中に社員4人の食品グループが発足し、和光堂や明治乳業など7社がひしめく市場への参入方法の検討が始まった。市根井氏によれば、伸びの大きいレトルトタイプに絞ったうえで、保守的なベビー市場では奇をてらった素材が受け入れられにくいため、メニューは一般的にして売り方で違いを出す方針をとった。魚と野菜を多用した和食風の14メニューを1992年9月の社内発表会で提案し、1993年9月に発売した。"
            }
          ]
        },
        {
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            {
              "text": "入れ替えの狙いは、品目を増やすことより単価を上げることにあった。1987年4月に発売した乳幼児専用の電子体温計「チビオン」は、棒状ではなくT字形で赤ちゃんの脇にはまり、約900人の乳幼児の体温上昇曲線をもとに検温時間44秒・誤差0.2度以内を実現した。通常の体温計が600円のときに2,480円という値付けでありながら、初年度に約40万本が売れた。仲田洋一社長は、母親が買ったのは価格ではなく機能だと述べている。"
            },
            {
              "text": "開発への資金の振り向け方も変えた。1988年9月の株式店頭公開について、仲田洋一社長は製品開発力の強化が最大の目的だと明言し、公開で得た6億円のほぼ全額を研究開発へ回した。通常年で6億〜10億円だった開発部門への投資は、1990年1月期に25億円まで引き上げる計画とされた。同じ1988年9月には、紙おむつの宅配・パイロットショップの経営・通信販売を担っていた子会社3社を清算し、直販子会社のピジョンファミールへ統合した。"
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          ]
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              "text": "品目の入れ替えは1990年代半ばに数字となった。1996年1月期の売上高約300億円のうち、27%にあたる80億円を過去5年以内に発売した製品が占めた。ティッシュボックス型に改めた「おしりナップ」は単品で年約57億円と全社売上の2割に達し、1993年9月に出したベビーフードは倍々で伸びて約13億円になった。電子体温計も、出生数が120万人を割ったあとに年約30万個の水準を保った。出生数が減り続けるなかで、過去5年平均の増収率は10%を超えた。"
            },
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          ]
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              "text": "消耗品へ寄せた構成には、代償がついた。おしりふきの分野にはユニ・チャーム、和光堂、大王製紙、花王が相次いで参入し、価格競争が激しくなった。1997年1月期の中間決算で売上原価率は前年同期の61.3%から62.9%へ1.6ポイント上がり、仲田洋一社長は、小売段階で消耗品の低価格化が進んで出し値が下がった影響だと説明した。1997年4月の講演では、売価の低落を止められるか、止められないならそれに耐える原価にできるかが課題だと述べている。"
            },
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              "text": "対応は生産の側から進めた。乳首とほ乳器を除く製造は外部委託を原則としてきたが、生産量の多いおしりふきでは委託先任せでコストが下がらない。1996年4月、委託製造元のフクヨーと共同出資して茨城県常陸太田市に生産工場を新設し、物流拠点も併設した。翌1997年4月にはタイの合弁工場を稼働させ、アジア市場向けの母乳パッドと携帯型ウェットティッシュを低コストで供給する計画を立てた。ただし基礎化粧品や幼児向け商品など、ベビー以外では進出と撤退を繰り返してもいた。"
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            {
              "text": "哺乳器は赤ちゃん1人につき一度しか売れず、顧客は2歳半で入れ替わる。仲田洋一社長が1989年に語った限度は、占有率ではなく商売の形の問題であった。母数が4割減る市場で単品の首位を守っても、売上は減る。ピジョンが採ったのは、耐久品から消耗品へ品目を移し、そのうえで機能によって単価を取る方法であった。通常の体温計が600円のときに2,480円のチビオンが初年度に約40万本売れた事実は、1人当たりを積み増す算術が成り立つことを示している。"
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            {
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            }
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "references": [
    "日経ビジネス 1989年1月30日号「ピジョン 育児用品を深掘り，蓄積データ徹底活用」",
    "日経ビジネス 1996年9月2日号「ピジョン ベビー用品，ヒット連発 母親ニーズ漏らさない」",
    "証券アナリストジャーナル 1994年4月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長講演・1994年3月24日 東京）",
    "証券アナリストジャーナル 1994年10月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長講演・1994年9月27日 東京）",
    "証券アナリストジャーナル 1996年10月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長講演・1996年9月27日 大阪）",
    "証券アナリストジャーナル 1997年5月号「企業 ピジョン」（仲田洋一社長講演・1997年4月9日 大阪）",
    "証券 1995年9月号「新規上場会社紹介 ピジョン株式会社」"
  ],
  "authored": "2026-08",
  "last_updated": "2026-08-09"
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