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  "title": "御手洗氏冨士夫氏の社長就任と連結経営・自前主義への転換",
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      "text": "1995年9月、御手洗氏冨士夫氏が代表取締役社長に就任し、事業部ごとの採算から、子会社を含む連結全体の利益とキャッシュフローを物差しにする経営へ改めた。技術と販路の自前主義を徹底し、セル生産で在庫を絞って「稼ぐ会社」へ作り替えた経営判断。"
    },
    {
      "label": "背景",
      "text": "事務機と消耗品で高成長を続けたが、1990年に日経ビジネスは「絶好調キヤノンの不安」として、事務機のネットワーク化とソフトの比重の高まりのなかで、成長感の薄い企業に転落しかねない死角を指摘していた。"
    },
    {
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      "text": "連結経営とキャッシュフロー重視、採算の見えにくい事業からの撤退、1998年のセル生産導入による在庫圧縮、研究開発の集約と技術の自前主義、年功から実力主義への処遇改革を、トップダウンで一気に進めた。"
    },
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      "text": "連結の利益と現金を先に見た経営が2000年代の高収益を生んだ一方、本業が細る時期には自前主義だけで次の柱を立てられず、2010年のオセ買収以降、御手洗氏自身が大型M&Aで自前主義の看板を下ろしていく。"
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              "text": "キヤノンは1937年にカメラメーカーとして生まれ、複写機・プリンター・ファックスといった事務機へ多角化して成長した。1980年に連結売上高の44%を占めたカメラは、1988年12月期には9%まで比率を下げ、代わって複写機・プリンター・ファックスなどの事務機部門が83%、半導体露光装置を手がける光機部門が約8%を占めた。祖業のカメラより、事務機で稼ぐ会社へと姿を変えていた。"
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              "text": "販売でもキヤノンは早くから独自の道を選んだ。1970年ごろから販売部門を分け、米国・欧州の代理店に出資して自前の販売網を築いた。海外市場を現地代理店に任せたリコーとは対照的に、販路まで自社で握る形をとり、キヤノン単体の海外売上高比率は80%に達した。技術も販路も外に頼らず自前で持つという発想が、この時期にはすでに固まっていた。"
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              "text": "多角化を支えたのは、トナーなどの消耗品で継続して稼ぐ収益構造であった。機器を売って終わりではなく、使うほど消耗品が売れる。この強いモデルが1980年代の高成長を生んだ。ただし1990年の時点で、日経ビジネスは事務機のネットワーク化とソフトの比重の高まりを挙げ、その強みが将来も続くとは言い切れないと書いた。絶好調のなかに死角がある、という指摘であった。"
            },
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              "text": "懸念はより具体的であった。既存事業の分厚い消耗品利益は数年で崩れず、キヤノンはしばらく増収増益を続けるだろう。しかしソフトの価値が急速に高まっているのを甘く見れば、利の細い機器を売るだけの、成長感の薄い企業に成り下がりかねない。事業部ごとに最適を積み上げても、会社全体の稼ぐ力は細っていく——1990年の特集は、成熟のなかの停滞をそう予告していた。"
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              "text": "改革の的は、本体の稼ぐ力をどう再生するかに絞られた。御手洗氏は妙案が浮かばずにいたが、1997年夏、周辺機器事業本部長からセル生産という方式を教わり、実践するソニーの千葉の工場へ足を運んで確かめた。翌1998年、キヤノンはベルトコンベヤーを外し、少人数の作業者が組み立てを受け持つセル生産を導入する。仕掛品と在庫を圧縮し、工程を止めずに稼ぐ体質へ作り替えていった。"
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      ]
    }
  ],
  "references": [
    "日経ビジネス 1990年1月1日号「絶好調キヤノンの不安」",
    "プレジデント（2011年）「キヤノン会長 御手洗氏冨士夫氏 －「私が社長」と「ツルの一声」」",
    "日本経済新聞（2026年1月）「私の履歴書（23）セル生産」",
    "日本経済新聞（2026年1月）「私の履歴書（28）M&A」",
    "財界オンライン（2023年12月25日）「キヤノン会長兼社長CEO・御手洗氏冨士夫氏 の「人をつくり、会社をつくる！」」",
    "キヤノン 有価証券報告書",
    "キヤノン pl_long（証券調査）・連結",
    "プレジデント（2011年）「キヤノン会長 御手洗冨士夫 －「私が社長」と「ツルの一声」」",
    "財界オンライン（2023年12月25日）「キヤノン会長兼社長CEO・御手洗冨士夫 の「人をつくり、会社をつくる！」」"
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  "authored": "2026-07",
  "last_updated": "2026-07-05"
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