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  "stock_code": "7735",
  "company_name": "SCREEN HD",
  "company_color": "#1064B0",
  "industry": "semiconductor",
  "published": "2026-02-18",
  "updated": "2026-04-21",
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  "found": {
    "year": 1868,
    "location": "京都府京都市",
    "founder": "石田才次郎"
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  "history": {
    "title": "SCREENホールディングスの歴史概略",
    "sections": [
      {
        "start_year": 1868,
        "end_year": 1974,
        "main_title": "印刷技術から精密加工への技術系譜の転換",
        "subsections": [
          {
            "title": "銅版彫刻からガラスエッチングへの技術転換",
            "text": "1868年に石田才次郎は京都で銅版印刷を手掛ける石田旭山印刷所を個人創業し、明治維新直後の活字・印刷需要に応える小さな工房として事業を始めた。2代目の石田敬三は1920年代に写真印刷が普及する将来像を見据えた。従来の銅版彫刻を前提とした事業モデルに将来性を見いだせないという危機感を抱き、写真印刷に不可欠なガラススクリーンの国産化に挑戦する方針を固めた。当時のガラススクリーンは全量を海外からの輸入に頼り、その面に求められるエッチングの精密さは当時の国内技術の水準を上回るもので、試行錯誤が長期にわたって続いた。敬三の判断が、後年の半導体装置参入へ至る精密加工技術の起点となる。\n\n1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を独自に開発し、商工省から工業研究奨励金7000円を得て技術の将来性について公的な評価を受けた。量産工程の確立は難航し、参入決定から約20年の歳月を要した。1943年10月に株式会社大日本スクリーン製造所を設立して軍需向けのガラススクリーン供給に着手し、法人としての事業基盤を整えた。この精密エッチング技術が、戦後の写真製版機器からシャドーマスク、半導体製造装置へ連続的に展開する技術系譜の出発点であり、150年を超える企業史を一本の軸でつなぐ技術的継承の原点となった。精密な図版を化学的に刻む基礎技術を自前で持ったことが、以後の産業変化の波に耐える体質を生んだ。",
            "references": [
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                "title": "有価証券報告書",
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          {
            "title": "ソニー共同開発と印刷関連機器の事業拡大",
            "text": "戦後、大日本スクリーン製造所は写真製版機器の製造を主力として事業を再開し、日本経済の高度成長と印刷産業の近代化を追い風に業容を広げた。1953年に堀川工場を新設して生産体制を整備し、京都に本社を構える体制を確立した。1962年に大阪証券取引所第2部に株式を上場して市場からの資金調達手段を獲得した。1963年にソニーと共同でカラーテレビ向けシャドーマスクの開発に着手し、写真製版で培ってきたエッチング技術の応用先として家電向け精密部品の領域を開拓した。写真製版で培った技術の転用可能性を事業として実証した最初の成功事例となり、経営上の重要な契機となった。\n\nシャドーマスクはカラーテレビのブラウン管に不可欠な精密部品で、ソニーのカラーテレビ販売の拡大とともに大日本スクリーンの業容も並行して広がった。1980年にスキャナグラフ2000を開発するなど、印刷画像処理の分野でも高い技術力を示した。銅版印刷から写真製版、カラーテレビ部品へ広がった事業の拡散は、表面的な多角化ではなく精密エッチングという一本の技術軸で貫かれた連続的な進化で、後年の半導体装置参入もこの技術系譜の延長として位置づけられる。祖業の印刷技術を棄てずに新しい市場へ横展開する姿勢が、同社の長寿の一因となった。",
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      {
        "start_year": 1975,
        "end_year": 2000,
        "main_title": "半導体製造装置への参入と業態転換の達成",
        "subsections": [
          {
            "title": "製版機器の基本技術を半導体装置へ転用",
            "text": "1975年に大日本スクリーンはウエハー腐食機（ウェット式エッチング装置）を独自開発して半導体業界向けの事業を開始し、印刷機器メーカーから半導体製造装置メーカーへの業態転換に踏み出した。製版機器で蓄積してきた「位置決め・塗布・表面処理」という三つの基本技術は、そのまま半導体製造装置に転用できる汎用性を備え、参入障壁は同業の総合電機メーカーと比べて相対的に低かった。1977年にEMW-322/411を製品化して洗浄装置の商業的な第一歩を固め、1978年にスピンコータやスピンデベロッパを相次いで投入した。製品展開で、半導体メーカーの製造ラインへの供給実績を短期間で積み上げた。\n\nFY1978を境に設備投資額はFY1977の12億円からFY1980の51億円へ4倍以上に拡大し、半導体製造装置事業への経営資源の重点配分が数字で示された。売上高はFY1972の105億円からFY1983の670億円へ6倍以上に伸び、1994年に電子工業向け機器の売上が印刷関連機器を上回った。祖業である印刷から半導体装置へ主力事業が入れ替わる業態転換の節目である。製版機器で稼いだ利益を半導体装置の研究開発へ再投資する自己資金型の業態転換は、外部資本に依存しない事業構造の入れ替えとして業界の注目を集めた。同時期に参入した総合電機系の半導体装置部門が採算に苦しむなかで、祖業の利益で研究開発を回せた同社の独自性が結果として競争力を生んだ。",
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                "title": "有価証券報告書",
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                "title": "日経産業新聞",
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          {
            "title": "300mmウエハ対応への先行投資と不況期の決断",
            "text": "1990年代初頭の洗浄装置市場で大日本スクリーンはシェア約22%の首位に立っていたが、中堅企業が群雄割拠する競争構造が長く続いた。1993年に東京エレクトロンが新規参入してシェアを広げるなかで、石田明社長は次世代規格である300mmウエハへの対応が業界の競争構造を決定づける経営テーマだと判断した。1997年にバッチ式洗浄装置「FC-3000」を発表し、同年度に設備投資額184億円を計上して多賀事業所を新設するという、先行者の地位を賭けた巨額投資に踏み切った。シリコンサイクル不況期の到来が現実味を帯びる時期の重たい判断で、社内外から不安視する声も相次いだ。石田社長はこのタイミングで規格転換に踏み込まなければ業界をリードできないという危機感で判断を貫いた。\n\n1998年にシリコンサイクルが不況期に入り、FY1998には営業赤字131億円、最終赤字245億円の損失を計上した。石田社長はそれでも不況期の投資継続という方針を堅持し、2001年3月に彦根事業所にFab.FC-1を新設して300mm対応洗浄装置の本格量産を開始する決断を貫いた。300mm対応の専用量産工場を建設できたのは洗浄装置メーカーのなかで大日本スクリーンだけで、体力の乏しい中堅企業が次々と脱落する過程で寡占構造が確定した。不況期の巨額投資という賭けが、業界の競争構造を自社に有利な形に塗り替えた。石田体制が下した規格転換への先行投資の決断が、次の20年の寡占を生んだ。赤字期にも規格転換への設備投資を止めなかったことが、結果として洗浄装置市場の寡占を生む分水嶺となった。",
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                "title": "日経産業新聞",
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      {
        "start_year": 2001,
        "end_year": 2023,
        "main_title": "洗浄装置の世界首位と持株会社化による体制の再編",
        "subsections": [
          {
            "title": "印刷事業の分離と半導体装置への経営集中",
            "text": "300mm対応投資の成功を経て、大日本スクリーンは半導体洗浄装置を中核事業として確立し、経営資源の配分を半導体装置へ集中する体制構築に踏み出した。2002年に印刷関連機器の事業を分割する組織再編を実施し、長年の祖業である印刷事業を本体から切り離して経営資源を半導体装置に集中する体制へ移行した。2006年に彦根事業所にFab.FC-2を増設し、世界の半導体メーカーの投資拡大に対応する供給能力の強化を図った。2009年にリーマンショックの影響で再び最終赤字に転落したが、半導体需要の回復とともに業績は短期間のうちに持ち直した。持株会社移行を主導した垣内永次は、同社の歴史について「会社の窮地を救ったのは、人と人とのつながり。昨日の敵を友とした『縁尋機妙』」（プレジデント 2018/05/14）と語り、不況と業態転換を人的な信頼網で乗り切った経緯を振り返っている。\n\n2014年10月に商号を株式会社SCREENホールディングスに変更し、持株会社体制へ組織形態を移行した。半導体製造装置・グラフィックアーツ機器・ディスプレー製造装置・プリント基板関連機器の複数事業を傘下子会社で分担して運営する新しい組織に再編した。各事業の自律的な経営と全社の意思決定の速さを両立させる設計で、次の成長期への準備が整った。2019年に彦根事業所で半導体洗浄装置の増産投資を実施し、スマートフォンとデータセンター需要の拡大を受けた世界の半導体設備投資の波に対応する供給体制の整備を進めた。垣内は後に「技術革新で本業消失も、教訓忘れず挑めば乗り切れる」（日経ビジネス 2021/01/29）と語り、印刷・ブラウン管・半導体と本業が入れ替わってきた同社の経営を貫く原則を示した。",
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                "title": "プレジデント",
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                "date": 14,
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                "date": 29,
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          {
            "title": "ウエハ洗浄装置で確保した世界シェア首位の地位",
            "text": "2022年時点でSCREENホールディングスはバッチ式洗浄装置で世界シェア48%、枚葉式洗浄装置で世界シェア33%の寡占的地位を確保した。1990年代後半の不況期に石田明社長が断行した先行投資が、競合する中堅企業を市場から次々と脱落させ、300mmウエハ時代の本格的な到来とともに当初の巨額投資が回収されていく流れを作った。洗浄装置市場の競争構造は先行投資の決断によって自社に有利な寡占構図として固定化され、同社の持続的な収益力の核心として機能し続けた。当時の決断は財務的には危険な賭けに映ったが、結果として一時のリスクと引き換えに長期の寡占利益を獲得する道筋を切り開いた。\n\nFY2024/3期に売上高5049億円、経常利益705億円という過去最高益を達成し、寡占構造の勝者として半導体製造装置業界での地位を固めた。1868年の銅版印刷から出発し、戦前期のガラスエッチング、戦後のカラーテレビ向けシャドーマスク、1975年以降の半導体製造装置と、時代ごとに異なる市場へ技術を展開してきた約150年の技術の系譜は、精密な画像を化学的に加工するという一貫した技術軸に沿って続いてきた。2019年に社長に就任した廣江敏朗は「半導体製造装置やFPD製造装置の経験を活かし、より強靭なグループ体制の確立を目指す」（電子デバイス産業新聞 2019）と述べ、総合装置メーカーとして社内の経営資源を束ねる方向を示した。京都の小さな印刷工房から世界の最先端半導体製造を支える装置メーカーへ進化した長寿企業の歩みは、技術軸の継承という観点から経営史の事例として位置付けられている。",
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    "summary": {
      "title": "サマリー",
      "text": "SCREENホールディングスは1868年に石田才次郎が京都で創業した銅版印刷業・石田旭山印刷所を源流とする。2代目の石田敬三は1920年代に写真印刷の普及を見据え、輸入に頼っていた写真製版用ガラススクリーンの国産化に着手した。ガラス面の精密エッチングは当時の国内技術の水準を上回る要求で、1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を開発し、商工省から工業研究奨励金7000円を得た。量産工程の確立には参入決定から約20年を要し、1943年10月に株式会社大日本スクリーン製造所を設立して事業基盤を整えた。精密エッチングという技術軸は、戦後の写真製版機器からシャドーマスク、半導体製造装置へ展開する技術系譜の出発点となった。\n\n1975年に半導体製造装置へ参入し、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術を半導体領域へ転用することで参入障壁を引き下げた。1994年に電子工業向け機器の売上が印刷関連を上回り、業態転換の節目を迎えた。1990年代後半の不況期に石田明社長の判断で300mmウエハ対応への先行投資を貫いた結果、競合中堅が次々と脱落し、2001年以降は洗浄装置で世界シェア首位の地位を得た。2014年に持株会社体制へ移行してSCREENホールディングスへ商号変更し、2022年にバッチ式48%・枚葉式33%の世界シェアを確保した。直近ではAI関連投資の拡大に対応して中国顧客案件の売上を来期へ繰り延べ、ニコンから事業譲受で後工程・直描露光機を強化する布石を打った。"
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  "recent_outlook": {
    "title": "直近の動向と展望",
    "subsections": [
      {
        "title": "AI関連需要の拡大とニコン事業譲受による成長領域の布石",
        "text": "2025年以降の最大のテーマは生成AI関連の設備投資が半導体製造装置市場全体を牽引する流れで、2026年のWFE成長率はAI関連ファウンドリーとDRAMの設備増強を主因として10〜20%の2桁成長が見込まれる。2nm・3nm先端ロジック向けとHBM中心のDRAM投資が成長の中心となり、新興ファウンドリー頼みではなく既存大手顧客の投資拡大が中心となる需要構造のなかで、SCREEN HDの得意領域が成長牽引役として浮上する。中国向け売上比率は30%台後半を想定し、新興顧客への依存を意図的に抑えて既存大手ファウンドリー向けを中心に収益を確保する姿勢が貫かれている。2025年に社長に就任した後藤正人は「現場の声を重視し、高収益体質にしていく」（日本経済新聞 2025/02/28）と述べ、好況期に体質を強化する方針を明言した。\n\n2025年度中にニコンから事業譲受でNyon直描露光機の技術と後工程向け製品ラインを取得する決断を下し、今期約30億円・上市までに追加50〜60億円を投じる戦略投資予算内での計画的な取り込みを進めた。LeVinaという直描露光機とLemotiaというPLPコータは現時点での後工程事業の中核を担う新商品で、後工程市場はCY2026からCY2027にかけて成長が本格化する見通しのなかで、SCREEN HDの後工程売上は今期の2桁億円後半から来期は3桁億円台への拡大を見込む。後工程での洗浄装置のTAM拡大と合わせて、半導体の前工程一本足から後工程を含む総合装置メーカーへ事業領域を広げる布石となった。1975年の半導体参入以来、同社の成長を支えてきた前工程偏重の構造を、後工程取り込みで補完する長期的な転換点である。",
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          {
            "title": "決算説明会 FY25通期",
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          {
            "title": "決算説明会 FY26-1Q",
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          {
            "title": "決算説明会 FY26-2Q",
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          {
            "title": "決算説明会 FY26-3Q",
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            "title": "日本経済新聞",
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      },
      {
        "title": "営業利益率25%の確保と売上ペンディング案件の繰延",
        "text": "2026年3月期は中国顧客関連の約200億円規模の案件が今期から来期に繰り延べとなる事態に直面した。装置自体はすでに出荷済みで会計ルール上の売上計上のみが来期にずれ込む性質の問題で、返金対応を伴う据付未実施部分を除けば装置販売部分の計上は来期に実現する見通しが経営陣から示された。補完するアプリケーションはAI関連投資が中心で、上期から下期へスライドした案件と合わせて来期上期のスロースタートと下期からの本格的な立ち上がりという業績のカーブが想定される。来期はSCREEN HDが得意とする分野でWFEが伸びるため、成長度合いはWFE成長にほぼアラインする見通しである。\n\n来期の営業利益率25%は確保可能だと経営陣が明言し、収益性改善の施策が数字として表れている。プロダクトミックスの悪化に対しても影響を受けにくい体質への転換が進み、原材料高と地政学リスクに起因するコスト増への備えも完了した状態にある。グラフィックアーツ事業は米国関税の影響を受けても価格転嫁と北米中心のPOD・リカーリングビジネスで想定範囲内に収まる見通しで、ディスプレー装置事業は中国家電買替補助金の反動を見越してアドバンスドパッケージ等の新規事業への転換を進めている。プリント基板関連機器事業は韓国を中心に引き合いが増えて通期黒字着地の見通しが示され、複数事業が同時に回復する段に入った。",
        "references": [
          {
            "title": "決算説明会 FY25通期",
            "year": null,
            "month": null,
            "date": null,
            "url": null,
            "quotes": []
          },
          {
            "title": "決算説明会 FY26-1Q",
            "year": null,
            "month": null,
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          },
          {
            "title": "決算説明会 FY26-2Q",
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          {
            "title": "決算説明会 FY26-3Q",
            "year": null,
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            "date": null,
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          },
          {
            "title": "日本経済新聞",
            "year": 2025,
            "month": 2,
            "date": 28,
            "url": null,
            "quotes": []
          }
        ]
      }
    ]
  },
  "decisions": [
    {
      "year": 1943,
      "month": 10,
      "title": "大日本スクリーン製造所を設立",
      "type": "founding",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "銅版彫刻の将来を悲観した2代目が、写真印刷用ガラススクリーンの研究に転じた技術転換",
          "detail": "石田旭山印刷所を継承した石田敬三は、1920年代に写真の普及を見据え、従来の銅版彫刻を前提とした事業の将来を悲観した。写真印刷では画像を微細な点の大小で表現する必要があり、その核となる部材が「ガラススクリーン」であった。ガラス面に微細な平行線を引き、化学的に蝕刻（エッチング）して黒色の不透明物質を充填するという精密加工が求められたが、当時の日本にはこの技術を持つ企業が存在せず、全量を海外からの輸入に依存していた。\n\n石田敬三はガラススクリーンの国産化に着手したが、ガラス面のエッチングに要求される精密さは既存の技術水準を大きく上回っていた。1934年に「写真製版用網目スクリーンの蝕刻法」を開発し、商工省から工業研究奨励金7000円の交付を受けて量産研究を開始した。しかし量産工程の確立は難航し、参入決定から約20年の歳月が研究開発と生産技術の確立に費やされた。"
        },
        "decision": {
          "summary": "1943年に株式会社化し、軍需品としてのガラススクリーン供給を開始",
          "detail": "1943年10月、石田敬三は株式会社として大日本スクリーン製造所を設立し、自ら初代社長に就任した。戦時中は軍が広報・宣伝のために写真を活用する需要があり、国産のガラススクリーンは軍需品として供給された。従来の輸入依存体制では戦時下の調達が困難であったため、国産化の実現はこの時期の需要と合致した。\n\n大日本スクリーン製造の創業は、印刷職人の家業が精密加工技術を軸とする製造業へと転換する起点であった。ガラスへの化学的エッチングという基盤技術は、戦後の写真製版機器、カラーテレビ向けシャドーマスク、そして半導体製造装置へと展開される技術的な系譜の出発点となった。"
        },
        "result": {
          "summary": "精密エッチング技術が戦後の多角化と半導体製造装置参入の技術的原点に",
          "detail": "石田敬三が20年かけて確立したガラスへの精密エッチング技術は、戦後の大日本スクリーンの技術展開の基盤となった。1960年代にはソニーと共同でカラーテレビ向けシャドーマスクを開発し、1970年代には半導体製造装置（ウエハ洗浄装置）への参入を果たした。いずれも「精密な画像を化学的に加工する」というエッチング技術の応用であった。\n\n創業者の孫にあたる石田徳次郎は「当社の数々の技術は、画像を創るミクロン単位の技術を基点として、マクロな展開を遂げた」と述べている。銅版彫刻からガラスエッチングへ、そして半導体製造装置へという技術の系譜は、祖業の危機感から生まれた技術転換が、80年後の半導体洗浄装置の世界シェア首位へとつながる構造を示している。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "銅版彫刻の危機感が生んだエッチング技術の80年にわたる技術系譜",
        "content": "石田敬三が銅版彫刻の将来を悲観してガラスエッチングに転じた技術転換は、20年の研究期間を要したが、戦後の写真製版機器、シャドーマスク、半導体製造装置という3つの事業領域への展開を可能にした。「精密な画像を化学的に加工する」という基盤技術が一貫して応用され続けた点で、祖業の危機感から生まれた技術選択が企業の80年を規定した構造を示す事例である。"
      },
      "interviews": [
        {
          "name": "石田徳次郎（大日本スクリーン製造・社長）",
          "comment": "ガラス面に微細な平行線を引き、蝕刻して、そこに黒色の不透明物質を充填する。この平行線が直交するように、2枚のガラスを貼り合わせたのがガラススクリーンだ。当社のレーザー光源干渉式線引機は、0.1ミクロン単位で作動し、1インチ間に2,500本以上の平行線を等間隔に引くことができる。また、ガラス面を覆う耐蝕膜上に引かれたこの微細な線を、わずかの狂いもなく化学的に蝕刻するのがケミカルエッチング技術だ。この２つの技術が、極微な画像を作り出すアートワークを可能にした。当社の数々の技術は、この画像を創るミクロン単位の技術を厳選として、マクロな展開を遂げたと言える。",
          "ref": {
            "date": "1977/12",
            "title": "証券アナリストジャーナル 15(12)",
            "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730678/1/24"
          }
        }
      ],
      "timeline": [
        {
          "year": 1934,
          "month": 5,
          "title": "写真製版用網目スクリーンの蝕刻法を開発（=写真製版用ガラススクリーンの国産化）"
        },
        {
          "year": 1935,
          "month": null,
          "title": "商工省が工業研究奨励金を交付",
          "amount": {
            "num": 7000,
            "unit": "円",
            "title": "補助金"
          }
        },
        {
          "year": 1943,
          "month": 10,
          "title": "大日本スクリーン製造所を設立"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 1975,
      "month": null,
      "title": "半導体製造装置の開発（エッチング）",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "製版機器の基本技術「位置決め・塗布・表面処理」を半導体製造装置に転用",
          "detail": "大日本スクリーン製造は1960年代から半導体産業との接点を持ち始めていた。1966年には半導体製造装置用の超精密縮小カメラを開発し、半導体のフォトリソグラフィ工程に必要な露光装置の一端を担った。写真製版機器の製造を通じて蓄積した「位置決め」「塗布」「表面処理」の3つの基本技術は、半導体製造装置が要求する技術要素と本質的に共通しており、大日本スクリーンにとって半導体分野への参入障壁は相対的に低かった。\n\n石田徳次郎社長は「当社の基本技術の応用展開」として半導体製造装置への参入を位置づけ、製版機器で培ったケミカルエッチング技術と精密塗布技術を半導体製造工程に適用する方針を打ち出した。1970年代の日本では半導体産業が急成長期に入りつつあり、製造装置への需要が拡大していた。"
        },
        "decision": {
          "summary": "ウエハ腐食機を皮切りに、塗布・現像・洗浄の装置群を相次いで開発",
          "detail": "1975年に大日本スクリーンはウエハー腐食機（ウェット式エッチング装置）を開発し、半導体業界向け事業を本格的に開始した。1977年にはEMW-322/411を製品化し、続く1978年にはスピンコータ（レジスト塗布機）SCW-421、スピンデベロッパ（レジスト現像機）SCD-421、スピンクラバ（洗浄装置）SCC-421を相次いで投入した。エッチング・塗布・現像・洗浄という半導体製造の前工程を幅広くカバーする装置ラインナップを短期間で構築した形である。\n\nこの時期の大日本スクリーンは洗浄装置に特化しておらず、半導体製造に関わる多様な装置を展開する戦略をとっていた。プリント配線板製造装置の共同開発（エルナー社）も含め、半導体関連の広い領域に布石を打つ段階であった。"
        },
        "result": {
          "summary": "FY1978から研究開発費と設備投資を大幅に拡大し、半導体装置事業を加速",
          "detail": "FY1978を境に大日本スクリーンは半導体製造装置への投資を本格化させた。設備投資額はFY1977の12億円からFY1980の51億円へと4倍以上に増加し、減価償却を上回る積極投資を継続した。研究開発費も売上高の3%台から5%台へと引き上げられ、FY1983には38億円に達した。技術者の大量採用にも着手し、従業員数は1977年の1223名から1983年の1783名へと拡大した。\n\n売上高はFY1972の105億円からFY1983の670億円へと6倍以上に成長し、経常利益も65.6億円を計上した。ただしこの時期の業績拡大には写真製版機器における「スキャナグラフ」のヒットも寄与しており、半導体製造装置単独での業績貢献が本格化するのは1980年代半ば以降と推定される。製版機器で稼いだ利益を半導体装置の研究開発に再投資するという、段階的な業態転換の構造であった。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "製版機器の基本技術を半導体装置に転用した低障壁の業態転換",
        "content": "大日本スクリーンが半導体製造装置に参入できた背景には、製版機器で蓄積した「位置決め・塗布・表面処理」の基本技術が半導体製造工程と本質的に共通していたという技術的連続性がある。参入障壁が相対的に低かったため、1975年のウエハ腐食機を皮切りに3年間で塗布・現像・洗浄の装置群を投入できた。製版機器の利益を半導体装置の研究開発に再投資する構造は、段階的な業態転換のモデルであった。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1977,
          "month": null,
          "title": "ウエハー腐食機 EMW-322/411を開発"
        },
        {
          "year": 1977,
          "month": null,
          "title": "全自動プリント配線板製造装置を共同開発（エルナー社）"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 2001,
      "month": 3,
      "title": "300mmウエハ対応の洗浄装置で量産開始",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "シェア10%前後の企業が群雄割拠する洗浄装置市場に、東京エレクトロンが新規参入",
          "detail": "1990年代初頭の半導体洗浄装置市場は、大日本スクリーン（シェア22%）を筆頭に、カイジョー（11%）、スガイ（12%）、三協エンジニアリング（11%）、島田理化工業（10%）といった中堅企業がシェア10%前後で群雄割拠する市場であった。各社は懇意の半導体メーカーに装置を納入するという商慣習のもとで共存していたが、ウエハの大口径化に伴い開発費が高騰し、中堅企業にとっては投資負担が重くなりつつあった。\n\n1993年には半導体製造装置大手の東京エレクトロンが洗浄装置市場に参入し、シェアを急速に拡大した。東京エレクトロンのシェアは1991年の0%から1993年に3%、1996年には16%に達した。大手装置メーカーの参入は市場の競争構造を根本から変え、中堅企業の淘汰が進行する局面に入った。洗浄装置市場の規模は1987年の100億円から1996年の838億円へと急拡大していたが、その成長の果実を取れる企業は絞り込まれつつあった。\n\n大日本スクリーンにとって、洗浄装置は祖業の製版機器に代わる収益の柱として位置づけられていた。FY1994には電子工業向け機器の売上が印刷関連機器を上回り、業態転換の転換点を迎えていた。ここで洗浄装置のシェアを維持・拡大できなければ、企業としての成長基盤を失うリスクがあった。"
        },
        "decision": {
          "summary": "石田明社長が300mmウエハ対応を不可避と判断し、不況期に巨額投資を断行",
          "detail": "石田明社長（創業家出身、在任1989〜2005年）は、半導体メーカーがウエハサイズを200mmから300mm（12インチ）へ大型化することを不可避と判断した。1995年に石田社長は「ウエハーサイズを現在の8インチから12インチへ大型化するビジョンを持っている。12インチは2000年ごろには生産開始となる情勢だが、97〜98年には製造装置の供給を開始しなければこの分野で業界をリードできない」（証券アナリストジャーナル 33（7））と述べ、業界に先駆けた対応を宣言した。\n\n大日本スクリーンは1997年にバッチ式洗浄装置「FC-3000」を発表し、300mmウエハ対応機種を市場に投入した。同時にFY1997には設備投資額184億円（連結）を計上して滋賀県に多賀事業所を新設し、300mm対応の量産体制を構築した。資金調達にあたっては転換社債を相次いで発行し、FY1996に150億円、FY1997に1.8億スイスフランを調達した。\n\nしかし1998年にシリコンサイクルが不況期に入り、大日本スクリーンはFY1998に営業赤字131億円、最終赤字245億円を計上した。石田社長は「売上の見通しが大変厳しい中、300ミリウエハーをはじめとする次世代半導体への対応など、将来の核となる技術に対する研究開発投資や、先端技術に対応した増産体制のための費用負担は避け難い」として不況期にも投資を継続する方針を示した。"
        },
        "result": {
          "summary": "300mm対応の量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみ、競合の脱落でシェアを確立",
          "detail": "300mmウエハ対応の洗浄装置を量産するための新工場を建設できたのは、洗浄装置メーカーの中で大日本スクリーンのみであった。中堅企業は開発費の高騰と設備投資の負担に耐えきれず、300mm対応への移行に追随できなかった。ウエハの大口径化という技術転換が、事実上の参入障壁として機能し、群雄割拠の市場構造から寡占構造への転換を促した。\n\n2001年3月に大日本スクリーンは彦根事業所にFab.FC-1（現S-1）を新設し、300mm対応洗浄装置の本格量産を開始した。2006年にはFab.FC-2（現S-2）を増設し、半導体メーカーの投資拡大に対応した。2000年代を通じて大日本スクリーンは洗浄装置におけるシェアを着実に拡大し、2022年時点ではバッチ式洗浄装置で世界シェア48%（1位）、枚葉式洗浄装置で世界シェア33%（1位）を確保するに至った。\n\n不況期の巨額投資は短期的にはFY1998の赤字転落と希望退職142名の募集という痛みを伴ったが、300mmウエハ時代の到来とともに投資は回収された。石田社長が「業界をリードできない」と危機感を持って先行投資に踏み切った判断は、結果的に洗浄装置市場の競争構造を大日本スクリーンに有利な形で確定させた。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "不況期の300mm対応投資が競合を脱落させ寡占構造を確定させた先行投資",
        "content": "1990年代の洗浄装置市場はシェア10%前後の中堅企業が群雄割拠していたが、300mmウエハへの移行に伴う開発費と設備投資の高騰が参入障壁として機能し、量産工場を新設できたのは大日本スクリーンのみであった。石田明社長が不況期にも投資を継続した判断は、短期的には赤字転落を招いたが、競合の脱落により洗浄装置市場の寡占構造を自社に有利な形で確定させる結果となった。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1997,
          "month": null,
          "title": "300mmウエハ対応「FC-3000」を発表"
        },
        {
          "year": 2001,
          "month": 3,
          "title": "彦根事業所にFab.FC-1を新設（現S-1）"
        },
        {
          "year": 2006,
          "month": 11,
          "title": "彦根事業所にFab.FC-2を新設（現S-2）"
        }
      ]
    }
  ],
  "insights": [],
  "references": [
    {
      "target": "サマリー",
      "sources": [
        "有価証券報告書"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "第1期",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "大日本スクリーン社史"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "第2期",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "日経産業新聞"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "第3期",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "プレジデント 2018/05/14",
        "日経ビジネス 2021/01/29"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "直近の動向と展望",
      "sources": [
        "決算説明会 FY25通期",
        "決算説明会 FY26-1Q",
        "決算説明会 FY26-2Q",
        "決算説明会 FY26-3Q",
        "日本経済新聞 2025/02/28"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    }
  ],
  "quotes": [
    {
      "text": "会社の窮地を救ったのは、人と人とのつながり。昨日の敵を友とした「縁尋機妙」",
      "speaker": "垣内永次",
      "source": "プレジデント 2018/05/14",
      "context": "",
      "url": "https://president.jp/articles/-/25574?page=1"
    },
    {
      "text": "技術革新で本業消失も、教訓忘れず挑めば乗り切れる",
      "speaker": "垣内永次",
      "source": "日経ビジネス 2021/01/29",
      "context": "",
      "url": "https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00113/00110/"
    },
    {
      "text": "半導体製造装置やFPD製造装置の経験を活かし、より強靭なグループ体制の確立を目指す",
      "speaker": "廣江敏朗",
      "source": "電子デバイス産業新聞 2019",
      "context": "",
      "url": "https://www.sangyo-times.jp/article.aspx?ID=3086"
    },
    {
      "text": "現場の声を重視し、高収益体質にしていく",
      "speaker": "後藤正人",
      "source": "日本経済新聞 2025/02/28",
      "context": "",
      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF282FZ0Y5A220C2000000/"
    }
  ],
  "old_name": "大日本スクリーン製造"
}
