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    "origin": "創業家。兵庫県揖保郡の地主の四男に生まれ、15歳で川崎造船所の鉄工となり、大阪鉄工所で職長まで昇ったのち、1911年に独立して名村造船鉄工所を起こした",
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          "text": "1878年2月、兵庫県揖保郡御津村苅屋の地主の四男に生まれた。父が私費で始めた港の築造が風水害で頓挫して田地と家屋を失い、1884年に父も世を去った。15歳で現在の川崎重工業神戸造船所に鉄工として入ったのが造船との最初の接点で、その後は大阪鉄工所（現・日立造船桜島工場）へ日給16銭の工員として移った。設計技師の山本栄吉氏から休日ごとに図面の読み方を教わり、26歳で職長心得、翌年に職長へ進んで200人近い部下を抱えた。"
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          "text": "1911年2月に大阪鉄工所を辞し、上野鉄工所の設備を借りて個人で造船を始めた。1913年5月には大阪市港区今木町の難波島に移り、名村造船鉄工所の看板を掲げた。個人経営は20年近く続き、1931年4月に村尾船渠の乾船渠を買い取ったのを機に資本金10万円の株式会社名村造船所へ改め、取締役の互選で代表取締役に就任した。年表は1936年に社長就任と記し、1942年2月に長男の名村源氏へ社長を譲り、会長に就任した。"
        },
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          "text": "株式会社化の直後は赤字が続き、繰越欠損を消して初の配当4%を出せたのは第5期（1934年11月〜1935年10月）だった。1936〜1938年には名村造船所で初の輸出船としてソ連向けの曳船8隻を建造し、引き渡した。造船と並べて船を持ち運航する構想も温め、1927年7月に一族の出資だけで名村汽船合資会社を設け、輸入船の大源丸から船隊を組んだ。同社は1943年の江口汽船との合併時に6隻・2万105重量トンを保有していた。"
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        {
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          "text": "大阪鉄工所で職長に進んでいた名村源之助氏は、早くから独立を望んでいたが、母が存命のあいだは許しが出なかった。1910年10月に長男が生まれ、翌月に母を見送ると、妻と相談して独立に踏み切った。動機について本人は「会社に勤めておれば残業さしてくれないが、自分でやればいくらでも残業できる」と語っている。きっかけは恩人の山本栄吉氏で、移籍先の上野鉄工所でトロール船を造るよう名村源之助氏に求めた。\n名村源之助氏は内弟子6〜7人を上野鉄工所へ送り込み、自分は休日に監督へ通ったが、それが大阪鉄工所の組長に知られ、1911年2月に退社して独立した。予定の4隻のうち3隻を終えた段階で上野鉄工所が借財で倒れ、石炭商の山本源吉氏が4隻目を3,300円で引き取った。そのうえで船体を中央で切り離して6m延ばし、石炭運搬船に造り替える工事を任せた。当時としては難しい工事で、名村源之助氏は大阪鉄工所時代の腹心を選んで当たらせた。\n自前の造船所を持つため、1913年5月に大阪市港区今木町の難波島へ移った。土地はおよそ400坪で、改造工事の利益に私財と借入れを足して手当てしたと社史は推定している。山本源吉氏は創業第1船として石炭運搬船を発注したが、資金は底を突き、約8か月は内弟子に賃金らしい賃金を払えないまま完成まで漕ぎ着けた。経理と労務は夫人が受け持った。出入りの商人には代金を月末に確実に支払う一方で資材の無駄には厳しく、検収の早さと支払いの確かさを評価した取引先の多くがその後も長く取引を続けた。\n第1次世界大戦の好況は1915年末ごろから名村造船鉄工所にも及び、新造船は一気に大型化して、1920年ごろまで1,000総トン前後の船を続けて建造した。大戦後の不況では、注文を待たずに自社の判断で船を造り置くストックボートを打ち出し、1919年2月に竣工した源丸の建造費は手持ちの資材を使って12万円に収めた。源丸の売却交渉では買い手の9万5,000円の指値を拒んで10万円を譲らず、背景には自前の汽船会社で船を運航したいという構想があったとされる。新造船の受注が減少すると官庁工事の入札にも参入し、少人数で間接費を抑えた結果、他社のおよそ80%の価格で落札できた。\n借りドックに依存していた修繕部門は、1931年4月1日付で村尾船渠の乾船渠を買い取って自前の設備になった。この買収を直接の契機に、同年4月13日に資本金10万円で株式会社名村造船所を立ち上げ、名村源之助氏が代表取締役に就任して個人経営に区切りをつけた。1942年2月には長男の名村源氏に社長を譲り、会長に就任した。"
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