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    "origin": "鹿児島出身の貿易商・回漕業者。1878年に東京築地で川崎築地造船所を創業し、1896年の株式会社化まで個人経営の造船所を率いた",
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          "text": "1837年、鹿児島の城下町に生まれた。生家はもとは藩士の家で、父の代に町人となり呉服を商っていた。1853年、17歳で長崎へ移って外国人相手の商いを始め、借りた英語の字引を3カ月あまりかけて書き写し、語学を身につけた。1873年には郵便蒸汽船会社の副頭取に就任している。1878年4月に東京築地で川崎築地造船所を開設した、川崎重工業の創業者である。"
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          "text": "川崎重工業は、川崎正蔵氏が個人で営んだ造船所に始まる。1878年4月、東京築地南飯田町の官有地を借りて川崎築地造船所を創業し、自ら経営にあたった。官有地の貸与は、洋型船の建造を奨励する政府の方針にも沿うものであった。1896年10月に株式会社川崎造船所が設立され松方幸次郎氏が初代社長に就任するまでの18年間、造船所の経営は川崎正蔵氏の手にあった。",
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          "text": "1881年3月、兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設した。1886年5月には官営兵庫造船所を借り受けて川崎兵庫造船所を併せ、商号を川崎造船所に改めた。同年9月に築地の造船所を神戸へ移し、翌1887年7月には借用中の土地と施設を50年の年賦で払い下げることが確定した。1894年の日清戦争では海軍の要請を受けて広島県宇品に臨時出張所を設け、軍船の修理と改造にあたった。"
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          "text": "1896年10月15日、個人経営の造船所は株式会社川崎造船所に改組され、経営は31歳の松方幸次郎氏に託された。60歳の川崎正蔵氏は、造船業の経験がない松方幸次郎氏から後見を繰り返し求められ、顧問に就任した。松方幸次郎氏が着手した乾ドックの工事が難航した際には、「乾ドックの完成なくして、川崎の発展はない。社運を賭けてもやり遂げるように」と励ました。1912年12月2日、76歳で没した。",
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          "text": "川崎正蔵氏は17歳で長崎へ出て、オランダ商館から仕入れた品を大阪や神戸へ送る商いから身を起こし、約10年をかけて取引先の信用を得た。のちに大阪へ拠点を移したが、鹿児島へ送った大量の積荷が暴風雨で沈んで店を閉じ、家族を養うため製糖会社の事務員として働いた。1872年には天草灘の海難で命拾いをし、これを機に造船へ進む意志を固めた。\n1873年には大蔵省の依頼で琉球の砂糖事情を調べ、同じ年に郵便蒸汽船会社の副頭取に就任した。翌1874年からは大蔵省の指定で貢米や琉球の砂糖・綿布の回漕を請け負い、1877年には大阪にも店を構えた。回漕業は安定した収益を生んでいたが、川崎正蔵氏の関心は船を使う側ではなく、船を造る側にあった。\n1878年4月、東京築地南飯田町の官有地を借り、川崎築地造船所を創業した。開設を支えたのは駅逓頭の前島密氏と貿易商の森村市左衛門氏で、建設資金の3万円は政府からの融資であった。洋型船の技術者はほとんどおらず、旧幕府の造船技師を、世間が驚くほどの俸給で技師長に招いた。同年秋に約80トンの第1船「北海丸」を進水させ、多くの来賓を招いて洋型船の利点を広く示した。続いて各230トンの「飛鳥丸」「鳴鶴丸」の建造に取りかかった。船価の高さを嫌う船主には、引き渡した船の運航収益から建造代金を年払いや月払いで納める契約を示し、受注を積み上げた。政府にはたびたび「500石積み以上の木船の建造を禁止しなければ、船火事や難破による物的・人的損害が累増して国家の損失を多くする」と具申した。\n1881年3月には兵庫東出町に川崎兵庫造船所を開設し、東京と兵庫の2拠点で建造を進めた。しかし遠く離れた2つの事業場を抱えたことで資金繰りが詰まり、兵庫の造船所は赤字が続いた。積荷を満載した持ち船2隻も暴風雨で失ったが、仕入れの代金と従業員の賃金の支払いだけは遅らせなかった。\n事業を立て直す契機は、官営兵庫造船所の民間への移管であった。1886年5月に同所を借り受けて川崎兵庫造船所を併せ、商号を川崎造船所に改めた。旧官営の設備は川崎兵庫造船所を幾倍も上回る規模で、官営時代から仕掛かっていた工事も政府からの発注に切り替わった。同年9月には築地の造船所も神戸へ移し、1887年7月には土地と設備を50年の年賦で払い下げる決定を得た。このころには従業員が600人に達し、事業の基礎が固まった。\n日清戦争後、海軍と船主はより大きな船を求めるようになり、設備の拡充に要する巨額の資金を調達するため、1896年10月15日に株式会社川崎造船所へ改組した。社長には松方幸次郎氏を迎え、川崎正蔵氏は顧問として経営の後ろ盾に回った。",
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