{
  "timeline": [
    {
      "date": "1884/7",
      "category": "会社設立",
      "region": "",
      "importance": 3,
      "event": "工部省から長崎造船局を借り受け創立",
      "detail": "工部省から長崎造船局を借り受け、長崎造船所と命名して造船事業に本格参入した。三菱重工が公式に「創立日」と位置付ける起点であり、後の三菱財閥の重工業基盤の出発点となった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "1893/12",
      "category": "組織再編",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "三菱合資会社を設立し造船事業を承継",
      "detail": "三菱合資会社を設立し、長崎造船所の事業一切を引き継いだ。岩崎家による事業統合の核として、その後の重工業部門への分岐の母体となった組織再編であった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "1917/10",
      "category": "会社設立",
      "region": "",
      "importance": 4,
      "event": "三菱造船株式会社を設立",
      "detail": "",
      "significance": "海運の不便から始まった造船参入——三菱財閥の垂直統合戦略",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1921/1",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 4,
      "event": "神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離",
      "detail": "",
      "significance": "造船所の非効率が生んだ電機会社——事業分離の合理性",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1934/4",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "商号を三菱重工株式会社に変更",
      "detail": "1930年代を通じて三菱重工は、海軍・陸軍向けの軍需製品の増産を強化。1934年に三菱航空機と三菱造船が合併して、三菱重工業を発足することで「艦艇・航空機・戦略」を量産する日本有数の軍需企業となった。造船では1938年に長崎造船所にて戦艦「武蔵」を竣工。航空機では1943年に零式艦上戦闘機の生産を開始。車両では1937年に丸子工場を神奈川県に新設して戦車の量産体制を構築した。",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1950/1",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "財閥解体により3社に会社分割",
      "detail": "戦後の財閥解体による三菱重工の解体が決定。新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社に分割された",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1953",
      "category": "業務提携",
      "region": "",
      "importance": 4,
      "event": "戦闘機の生産再開を決定（国内ライセンス生産）",
      "detail": "",
      "significance": "ライセンス生産の先行参入が防衛産業の寡占を決定づけた",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1959/6",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "YS-11の共同開発を開始",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1963",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "新三菱重工業：キャタピラーと合弁・建設機械に参入",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1964/6",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船の3社が合併（三菱重工業の発足）",
      "detail": "財閥解体で分離された旧三菱重工3社（新三菱重工業・三菱日本重工業・三菱造船）は再合併の検討を開始した。1963年7月、3社の取締役会で合併共同検討の方針を決議し、同年8月に合併準備室を発足した。合併で売上高3,000億円規模の大企業が誕生するため、公正取引委員会が独占禁止法抵触の有無を判断し、1964年1月までに「付帯した要請書」で抄紙機を除き問題ない旨を回答した。よって1964年6月1日、3社が合併し三菱重工業株式会社が発足した。",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1965",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "長崎造船所で30万tドッグを新設",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1970",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "関西電力美浜1号にPWRを導入",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1970/3",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "戦闘機F-4EJを受注",
      "detail": "1971年度から1981年度にかけて、1次〜6次にわたり合計140機のF-4EJを防衛庁から受注。合計受注額は約1700億円。",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1970/6",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "自動車部門を三菱自動車工業に移譲",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1975/9",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "MU-300ビジネスジェットの開発開始",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1978/9",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "ボーイング社とB767/777の事業契約を締結",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1979/7",
      "category": "海外進出",
      "region": "米州",
      "importance": 2,
      "event": "米国にMitsubishi Heavy Industries America, Inc.を設立",
      "detail": "米国市場での販売・サービス拠点としてMHI Americaを設立した。火力発電・産業機械の北米輸出を本格化させ、後年のミツビシパワー米国事業の母体に位置付けられる。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "1986",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "大幸工場を閉鎖（名古屋市大曽根）",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1988/12",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "広島海洋機器工場を閉鎖",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "1995/1",
      "category": "組織再編",
      "region": "",
      "importance": 3,
      "event": "三菱原子力工業を合併",
      "detail": "三菱原子力工業を合併し、原子力事業を本体に取り込んだ。1970年の関西電力美浜1号PWR以降に蓄積した原子力技術を、資本・組織面でも一体化させる再編であった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "2000/3",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "最終赤字に転落",
      "detail": "海外プラント案件における遅延で赤字転落",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2001/4",
      "category": "海外進出",
      "region": "米州",
      "importance": 2,
      "event": "米国にMitsubishi Power Systems, Inc.を設立",
      "detail": "米国の火力発電事業展開のための現地法人として設立した。現Mitsubishi Power Americas, Inc.に至り、ガスタービン複合発電（GTCC）事業の海外戦略拠点となった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "2001/12",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "中期経営計画を策定・成長分野に集中",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2002/10",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "長崎造船所でダイヤモンドプリンセスが火災",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2004/1",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "PBR1倍割れを問題視",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2007",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "ボーイングB787向けに主翼出荷を開始",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2012/3",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "キャタピラーとの合弁契約を解消",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2013/4",
      "category": "企業買収",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "ニチユ三菱フォークリフトとして営業開始",
      "detail": "日本輸送機を連結子会社化し、自社のフォークリフト事業と統合してニチユ三菱フォークリフト（現・三菱ロジスネクスト）を発足した。物流機器分野での国内再編であった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "2014",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "三菱日立パワーシステムズを設立",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2014/10",
      "category": "組織再編",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "三菱重工航空エンジンが営業開始",
      "detail": "航空エンジン事業を分社化し、三菱重工航空エンジンとして営業開始した。Pratt & Whitneyとの提携を踏まえ、民間航空エンジン分野の事業基盤を独立させた。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "2015/1",
      "category": "企業買収",
      "region": "欧州",
      "importance": 2,
      "event": "Primetals Technologies, Limitedが営業開始",
      "detail": "シーメンスVAIメタルズテクノロジーズと三菱日立製鉄機械を統合した英国法人Primetals Technologies, Limitedが営業開始した。製鉄機械事業の世界統合再編であった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "2016/3",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "客船の納期遅れで巨額損失",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2020/3",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 1,
      "event": "三菱航空機が債務超過状態",
      "detail": "",
      "significance": "",
      "source": ""
    },
    {
      "date": "2023/10",
      "category": "企業買収",
      "region": "米州",
      "importance": 2,
      "event": "米Concentric, LLCを連結子会社化",
      "detail": "米国Concentric, LLCを連結子会社化した。データセンター向け電力ソリューション等の事業を取り込み、北米における電力インフラ事業を強化する動きであった。",
      "significance": "",
      "source": "有価証券報告書"
    },
    {
      "date": "2024/3",
      "category": "",
      "region": "",
      "importance": 2,
      "event": "過去最高益を達成",
      "detail": "GTCC・原子力・防衛宇宙を中心に受注好調で過去最高益を達成。特に防衛関連（航空機・艦艇など）も好調で、2023年度における防衛省向けの販売高は4,897億円（全社売上対比10.5%）",
      "significance": "",
      "source": ""
    }
  ],
  "decisions": [
    {
      "year": 1917,
      "month": 10,
      "title": "三菱造船株式会社を設立",
      "type": "founding",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "官営造船所の買収と長崎での事業基盤構築",
          "detail": "1887年（明治20年）に三菱財閥は、旧徳川幕府が1857年に開設した長崎の造船所「長崎熔鉄所」について、明治政府から払い下げを受けて買収した。三菱財閥としては、当時の収益源であった海運事業において、船舶の修繕をイギリスまで持ち出す不便を解消するため、国内に自前の造船所を確保することを狙いとした。三菱財閥にとっては初の造船所であり、名称を「三菱造船所」として運営を開始。以降、三菱重工業における祖業は「造船」、発祥の地は「長崎」として位置づけられている。\n明治時代を通じて長崎の三菱造船所は、商船会社向けの外国航路船舶に加えて、日清戦争・日露戦争を機に需要が増大した海軍向け艦艇の建造に従事した。1911年には巡洋戦艦霧島を長崎造船所にて進水するなど、三菱財閥による政府への売り込みもあり、国内トップクラスの造船所として成長を遂げた。"
        },
        "decision": {
          "summary": "3拠点体制の確立と株式会社化",
          "detail": "三菱財閥では造船事業をさらに拡大するため、長崎に次ぐ拠点として1905年に神戸三菱造船所を新設。1914年には下関にて彦島三菱造船所を発足し、長崎・神戸・彦島の3拠点による造船体制を構築した。拠点の分散により、艦艇と商船の並行建造が可能となり、受注能力の拡大を実現した。\n1917年には三菱財閥において各事業を株式会社として独立運営する方針が決まり、造船部門として「三菱造船株式会社」を発足した。同社は1934年に商号を「三菱重工業」に変更しており、現在の三菱重工業の直接的な前身に相当する。財閥の一部門から独立した株式会社へと移行したことで、造船事業の経営自律性が高まり、以後の多角化への布石が打たれた。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "海運の不便から始まった造船参入——三菱財閥の垂直統合戦略",
        "content": "三菱財閥が造船に参入した動機は、海運事業における船舶修繕の不便にあった。イギリスまで回航して修繕する非効率を解消するため、国内に自前の造船所を確保する垂直統合の発想が起点であった。官営造船所の払い下げという機会を捉え、長崎・神戸・彦島の3拠点を構築して国内最大級の造船所に成長。海運から造船への垂直統合が、のちの三菱重工業という総合重工メーカーの原型を形成した。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1887,
          "month": null,
          "title": "三菱社が長崎造船所を取得（官営払い下げ）"
        },
        {
          "year": 1898,
          "month": null,
          "title": "長崎造船所で「常陸丸」を竣工"
        },
        {
          "year": 1905,
          "month": null,
          "title": "神戸三菱造船所を新設"
        },
        {
          "year": 1905,
          "month": null,
          "title": "三菱合資会社で造船部を設置"
        },
        {
          "year": 1911,
          "month": null,
          "title": "長崎造船所で巡洋戦艦霧島を進水"
        },
        {
          "year": 1914,
          "month": null,
          "title": "彦島造船所を新設"
        },
        {
          "year": 1917,
          "month": 3,
          "title": "長崎兵器製作所を新設"
        },
        {
          "year": 1917,
          "month": 10,
          "title": "三菱造船株式会社を設立"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 1921,
      "month": 1,
      "title": "神戸造船所旧電気部を三菱電機として分離",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "造船事業から派生した電機製造",
          "detail": "三菱造船の電機事業は、造船事業の派生として始まった。1898年（明治31年）に長崎造船所において欧州航路向け客船「常陸丸」を竣工した際、当時最先端の技術であった電気を活用し、石油ランプではなく白熱灯を船内照明として採用した。「船舶電化」の方向性が決定的となったことで、明治37年までに三菱造船所では船舶向け発動機の生産を開始し、造船の付随事業として電機製造に参入した。\n1905年に新設した神戸造船所においても「電気部」を設置し、長崎造船所の「電気課」と合わせて、造船所の一部門として電気機器の製造に従事した。しかし、鉄鋼部材の組み立てを主体とする造船と、精密な技術を要する電気機器の製造は、工作設備・材料調達・人材配置のいずれにおいても性質が大きく異なっていた。造船所の内部で電機事業を運営することの非効率が次第に顕在化していった。"
        },
        "decision": {
          "summary": "三菱電機の設立と電機部門の分離",
          "detail": "こうした課題を受けて、三菱合資会社は三菱造船における電機部門の独立を計画した。1918年には名古屋に8万坪の土地を確保し、電機専門工場の新設に向けた準備を開始。1919年11月には独立の第一段階として、神戸造船所の電気部を分離して「三菱造船（株）電気製作所」を発足した。\n1921年1月15日、三菱電機株式会社を設立。三菱造船の電機事業を継承し、三菱財閥における電機専業会社として運営する方針が決まった。神戸造船所内の電機製作所は三菱電機の神戸工場として発足。長崎造船所の電気課については造船向け機器の生産が主体であったため、数年後の1924年に三菱電機の長崎工場として移管された。"
        },
        "result": {
          "summary": "電機専業メーカーとしての基盤確立",
          "detail": "神戸工場における生産品目は「直流発電機・交流発電機・変圧器・配電盤・電気機関車」など多岐にわたり、主に電力会社向けの電気機器の製造に従事した。造船所から独立したことで、電機に適した工作設備の導入や電気技術者の採用が自由に行えるようになり、製品の品質と生産効率が向上した。\n1924年にはかねてから計画されていた名古屋製作所を新設し、汎用電動機の量産工場として稼働を開始した。造船所の一部門にとどまっていれば実現し得なかった規模の設備投資であり、電機部門の分離独立が三菱電機の成長基盤を形成する契機となった。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "造船所の非効率が生んだ電機会社——事業分離の合理性",
        "content": "三菱電機の誕生は、造船所内部で電機事業を運営する非効率がきっかけであった。工作設備は造船向きで電動機製造に不適合、材料調達も造船優先、技術者の配置も電気科偏重という構造的な問題を抱えていた。分離独立によってこれらの制約が解消され、名古屋製作所の新設など大規模な設備投資が可能となった。事業の異質性を認識し分離によって双方の成長を促した判断は、コングロマリットにおける事業ポートフォリオ管理の先駆的事例といえる。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1897,
          "month": null,
          "title": "長崎造船所で船舶向け電気機器の製造開始"
        },
        {
          "year": 1905,
          "month": null,
          "title": "神戸造船所に電気部を設置"
        },
        {
          "year": 1919,
          "month": 11,
          "title": "三菱造船（株）電気製作所を発足"
        },
        {
          "year": 1921,
          "month": 1,
          "title": "三菱電機を設立・三菱造船神戸造船所の旧電気部を譲受"
        },
        {
          "year": 1923,
          "month": null,
          "title": "三菱電機：米WH社と業務資本提携を締結"
        },
        {
          "year": 1924,
          "month": null,
          "title": "三菱電機：三菱造船長崎造船所の旧電気課を譲受"
        },
        {
          "year": 1924,
          "month": null,
          "title": "三菱電機：名古屋製作所を新設"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 1953,
      "month": null,
      "title": "戦闘機の生産再開を決定（国内ライセンス生産）",
      "type": "alliance",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "朝鮮戦争を契機とした航空機生産の再開",
          "detail": "第二次世界大戦後、GHQの指令により日本の航空機生産は全面的に禁止されていたが、1950年の朝鮮戦争勃発を受けて米国の対日政策が転換した。1953年に米国政府は日本政府に対して航空機生産（軍需）の支援を表明し、米軍の主力戦闘機であったF-86F「Sabre」の国産化計画が立ち上がった。\n三菱重工では、戦時中に航空機生産を担った名古屋製作所を中心に、航空機事業の再開を決断した。1953年に愛知県小牧市に小牧工場を新設し、戦闘機の生産に必要な製造拠点の整備に着手した。戦時中に培った航空機製造の技術と経験が、米軍戦闘機のライセンス生産に参入するための基盤となった。"
        },
        "decision": {
          "summary": "F-86Fのライセンス生産と防衛産業への参入",
          "detail": "1955年に日米の政府間で航空機の国内生産が正式に決定され、同年8月に防衛庁からF-86Fの採用決定と生産発注を受けた。三菱重工では製造元の米ノースアメリカン社から技術支援を受け、1956年からノックダウンによる組立生産を開始した。F-86Fの契約は1961年までに3期に分けて実施され、合計約180億円・累計300機の生産に従事した。\nF-86Fの生産を通じて防衛庁（現・防衛省）との関係性を構築した三菱重工は、以後F-104Jなど後継機の生産も受注し、戦闘機のライセンス生産を本格化した。黎明期にいち早く参入したことで市場の先行者利益を確保し、軍用航空機のライセンス国内生産市場は三菱重工業と川崎重工業の2社による寡占構造が形成された。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "ライセンス生産の先行参入が防衛産業の寡占を決定づけた",
        "content": "三菱重工の戦闘機生産再開は、朝鮮戦争を契機とした米国の対日政策転換によって実現した。F-86Fのノックダウン生産という形態は、技術面では米国に依存しつつも、防衛庁との受注関係と製造ノウハウを蓄積する機会となった。黎明期に参入したことで先行者利益を確保し、以後の戦闘機市場は三菱重工と川崎重工の2社寡占となった。初期のライセンス生産への参入判断が、数十年にわたる防衛産業の競争構造を決定づけた事例である。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1953,
          "month": null,
          "title": "航空機生産の再開を決定"
        },
        {
          "year": 1953,
          "month": null,
          "title": "小牧工場を新設"
        },
        {
          "year": 1955,
          "month": null,
          "title": "F-86Fの生産決定"
        },
        {
          "year": 1957,
          "month": null,
          "title": "第１期契約分を防衛庁に納入",
          "amount": {
            "num": 70,
            "unit": "機",
            "title": "F-86F納入数"
          }
        },
        {
          "year": 1959,
          "month": null,
          "title": "第１期契約分を防衛庁に納入",
          "amount": {
            "num": 110,
            "unit": "機",
            "title": "F-86F納入数"
          }
        },
        {
          "year": 1961,
          "month": null,
          "title": "第１期契約分を防衛庁に納入",
          "amount": {
            "num": 120,
            "unit": "機",
            "title": "F-86F納入数"
          }
        }
      ]
    }
  ]
}
