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  "stock_code": "6976",
  "company_name": "太陽誘電",
  "company_color": "#E60013",
  "industry": "machinery",
  "published": "2026-03-03",
  "updated": "2026-04-23",
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    "location": "東京都杉並区",
    "founder": "佐藤彦八"
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  "history": {
    "title": "太陽誘電の歴史概略",
    "sections": [
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        "start_year": 1950,
        "end_year": 1983,
        "main_title": "創業と受動部品専業の確立、量産体制の構築",
        "subsections": [
          {
            "title": "誘電体研究から出発した受動部品専業の原点",
            "text": "太陽誘電の前身は佐藤彦八が1943年に設立した東京電気化学工業であり、戦時中から磁器コンデンサとステアタイト磁器絶縁体の研究と製造を独自に手がけてきた歴史を持つ。戦後の1950年3月23日に太陽誘電として新たに設立され、社名は研究対象である誘電体に「太陽」を冠したもので、明るく温かみのある、世の中を照らすような会社にしたいという創業者の率直な願いが込められていた。同年9月にはチタン酸バリウムセラミックコンデンサを早くも商品化し、以後はセラミック材料を出発点とする製品開発路線を経営判断の中心として選び続けた。佐藤は半導体には一切参入しないという原則を創業時から打ち出し、受動部品への専業化を自ら宣言して組織の針路を定め、この方針を社内外に浸透させていった。\n\n組織体制としては全社員約1150名のうち研究部門に約125名を配置して人員の1割以上を開発に投入し、素材の開発から出発して製品化へと至る垂直統合型の共通信条を社内で徹底した。1956年には高崎工場を新設して量産体制を本格化させ、1967年には台湾に初の海外現地法人を設立して東アジア供給網への布石を打った。1970年に東証二部に上場した時点で固定磁器コンデンサの国内シェアは約20%に達し、業界首位の立場を早くも手にしていた。創業者が研究者だったという出自は、後の歴代社長に受け継がれる技術投資優先の組織文化を方向づけ、75年後に至るまで太陽誘電のアイデンティティを規定し続ける原点となった。",
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                "title": "有価証券報告書",
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          {
            "title": "MLCC量産体制の確立と海外展開の本格化",
            "text": "1973年5月、太陽誘電はチップ型積層セラミックコンデンサ（MLCC）の本格量産を開始し、電子機器の小型化・高密度化という業界全体の潮流に応える新しい製品領域を切り拓いた。1977年には玉村工場を新設してコンデンサの量産体制を一段と拡充し、1978年からはアジア地域での海外生産を本格化させ、供給コストと為替リスクの両面への対応を進めていった。ただし同年には円高進行への対応として希望退職者200名を募集しており、輸出比率の高い事業構造ゆえに為替変動への脆弱性が創業期からすでに顕在化していたことが、この早い時期の人員調整からも読み取れる。MLCCの量産化は受動部品専業という創業時の針路を具体的な量産製品として現実のものに変えていく経営の大きな転換点だった。\n\n佐藤が築いた垂直統合型の開発体制はMLCCという製品において最もはっきり表れた。MLCCの性能は誘電体材料の粒子径・焼成条件・電極との整合性という複数の要素で決まる性格を持つため、材料の粒子レベルから制御する能力が製品競争力の核心に直結する。1984年に佐藤は社長を退任して非同族の川田貢が後任社長に就任したが、受動部品専業と半導体不参入という創業時の二つの原則は変わることなく次世代に継承された。以降、歴代7人の社長はいずれも非同族の内部昇格者という形で継承されていき、研究と量産を双方で支える経営の基本骨格が、創業者世代を超えて組織文化として定着した。こうして経営の連続性がかたちづくられていった。",
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      {
        "start_year": 1984,
        "end_year": 2014,
        "main_title": "世界初の技術と消費財市場への挑戦、光メディアからの撤退",
        "subsections": [
          {
            "title": "ニッケル電極MLCCという世界初の技術革新",
            "text": "1984年7月、太陽誘電はニッケルを内部電極に用いた大容量MLCCを世界で初めて商品化するという画期的な技術革新を達成した。従来のパラジウム電極は貴金属ゆえ製造コストが高く、MLCCメーカー全体に重くのしかかる構造的なコスト課題となっていた。ニッケルは安価で豊富な金属である反面、焼成時に酸化しやすいという技術的障壁があり、太陽誘電は還元雰囲気下でも安定して焼成できる誘電体セラミックスの独自組成を一から開発することでこの困難な課題を克服した。材料設計の根本から取り組まなければ到底実現できない技術革新であり、外部から材料を調達する方式のメーカーには模倣が容易ではない形で差別化の源泉が生まれた。\n\nこの技術はその後MLCC業界全体に広く普及し、現在では世界で生産される大部分のMLCCがニッケル電極を採用するという業界標準の地位にまで到達した。太陽誘電が業界標準となる技術を世界で最初に商品化したという歴史的事実は、受動部品メーカーとしての技術的評価を国内外で押し上げる決定的なきっかけとなり、顧客側の認知を高める効果を発揮した。MLCCの世界シェアで約10〜12%を占めて業界3位という現在の地位の基盤は、このニッケル電極MLCCの世界初商品化という技術革新の時期にすでに形成されたと言ってよい。材料から一貫して開発する垂直統合という創業時の信条が、具体的な競争優位として目に見える形で結実した画期と言える。",
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          {
            "title": "CD-Rの世界初商品化と消費財市場からの全面撤退",
            "text": "1982年9月、太陽誘電は「That's」ブランドでオーディオテープ市場に参入して消費財市場への挑戦に踏み出し、1988年9月にはCD-Rを世界で初めて商品化して光記録メディア事業に本格参入した。CD-R（Compact Disc-Recordable）という商品名称そのものも太陽誘電が命名したもので、有機色素系の記録層を開発する過程では、セラミックス材料の研究で培ってきた薄膜制御技術が巧みに転用された。1998年にはDVD-Rを、2008年には追記型ブルーレイディスクLTHタイプを相次いで世界に送り出し、約20年間にわたり3世代の光記録メディアで技術的先行性を保つ道のりを歩んだ。一方で1988年12月に開始したビデオテープ事業は年間売上1億円未満の試験販売の段階で商業化を断念し、特別損失15億円を計上して早期撤退する苦い経験も経ている。\n\nしかし2000年代後半からHDDの大容量化とクラウドストレージの普及で光記録メディアの需要は縮小、2011年3月期には記録メディア事業で70.3億円の減損を計上した。翌2012年には希望退職330名の募集を実施して構造改革に取り組んだが収益は改善せず、2015年6月にCD-R・DVD-R・ブルーレイディスクの全製品を対象とする撤退を正式に発表した。同年12月末をもってThat'sブランドの販売を終了し、CD-R世界初商品化から27年での撤退となった。消費財市場では技術力だけでは差別化できないという教訓が組織に刻まれ、以後は受動部品専業への経営資源集中が再確認される転換点となった。27年前に「消費財市場で勝負したい」と見込んだ経営判断が、27年後の撤退で損失の総決算を迎えた格好である。",
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      {
        "start_year": 2015,
        "end_year": 2023,
        "main_title": "記録メディア撤退後のMLCC集中と高付加価値戦略の加速",
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          {
            "title": "記録メディア撤退後の受動部品専業への集中回帰",
            "text": "2015年の光記録メディア事業からの撤退により、太陽誘電は受動部品以外の事業を持たない純粋な電子部品専業メーカーへ回帰し、経営資源を中核のMLCCスーパーハイエンド製品へ集中する体制を整えた。2018年3月には債務超過に陥りかけていたエルナーを第三者割当増資の形式で子会社化し、翌2019年1月には完全子会社化にまで踏み込んで車載向けのアルミ電解コンデンサを自社のラインナップに加えた。ビデオテープ事業の早期撤退と光記録メディアからの痛みを伴う撤退を経て、残された戦場をMLCCとインダクタに絞り込み、車載と高付加価値情報機器という二つの主要用途への集中度を高める経営の方向性が明確になった。\n\n市場環境はコロナ禍下での電子機器需要の世界的な伸びを追い風として受け、2022年3月期には売上高3496億円という過去最高を記録した。2023年には玉村工場・八幡原工場を中核拠点とするコンデンサの増産投資を決定し、同年10月にはユーロ円建て転換社債で500億円を調達し、全額をMLCCの増産投資へ充当した。佐瀬克也社長は「まねできない技術で製品を高付加価値化する」（EE Times Japan 2024/10/01）と繰り返し発信し、車載およびAIサーバー向けの高付加価値MLCCへ経営資源を集中投下する方針を社内外に示した。2024年末には「AIが切り口、高性能品で反転攻勢」（日本経済新聞 2024/12/27）と、AI時代のMLCC需要を次の成長ドライバーに据える方針を打ち出した。",
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          {
            "title": "中期経営計画2025の未達と市況変動の試練",
            "text": "2021年度から始動した中期経営計画2025では、コンデンサ事業について年率10〜15%の能力増強計画が当初の見通しに基づいて掲げられた。しかし計画策定時点で想定していた力強い需要の伸びは持続せず、直後の2年間ほど需要は想定を大きく下回って伸び悩むという苦しい展開となった。当社の生産能力が市場需要を上回る状態となって稼働率が構造的に低迷する一方、先行した投資に伴う固定費の増加が利益を大きく押し下げるという典型的な過剰投資後の苦境に経営が直面した。中計の売上高目標4000億円に対して2025年3月期の実績は3414億円にとどまり、中計最終年度を前に目標未達が事実上決定的となる極めて厳しい状況に追い込まれ、同期の純利益は23億円にまで縮小してしまった。\n\n市況変動に対する脆弱性は受動部品専業メーカーに共通する構造的な宿命で、単一事業への依存度が高い太陽誘電ではその振幅が大きくなりやすい。MLCC市場は村田製作所が約40%、サムスン電機が約20%、太陽誘電が約10〜12%の3社寡占構造で、太陽誘電は業界3位の地位を長年守ってきたが、材料からの垂直統合は村田製作所も同様であり、技術的差別化は「独自の強み」というよりも「業界上位の必要条件」に近い性格を帯びる。通信用デバイス事業の構造的な赤字体質もあわせて浮上し、経営としての立て直しが次期中計の最重要課題として経営陣の前に置かれた。業界3位の地位を守り続けるためのコストと、業界首位に追いつくための投資のバランスが、次期中計の最大の論点として浮かび上がった格好である。",
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    "summary": {
      "title": "サマリー",
      "text": "太陽誘電は1950年3月23日に誘電体セラミックスの研究者・佐藤彦八が東京都杉並区で創業した電子部品メーカーであり、創業時から素材の開発から出発して製品化へと至る垂直統合型の開発路線を独自の信条として掲げ、受動部品専業の道を歩み続けてきた企業だ。社名は研究対象である誘電体に「太陽」を冠したもので、明るく温かみのある会社にしたいという願いが込められている。佐藤は半導体には一切参入しないという原則を創業時から打ち出し、全社員約1150人のうち研究部門に約125人を配置する開発重視の組織をつくった。創業同年9月にはチタン酸バリウムセラミックコンデンサを商品化し、1970年の東証二部上場時点では固定磁器コンデンサの国内シェア約20%で業界首位の地位を握り、独自の材料研究を軸とした垂直統合型の開発体制を定着させた。\n\n1984年に世界初のニッケル電極大容量MLCCを商品化して業界標準技術を生み出し、1988年にはCD-Rを世界初商品化して光記録メディア事業に進出、消費財市場への挑戦を試みた。しかし2000年代後半からのHDD大容量化とクラウドストレージの普及で記録メディアの需要は縮小、2015年6月にCD-R・DVD-Rを含む全製品からの撤退を決断した。2018年にはエルナーを子会社化して車載向けアルミ電解コンデンサを加え、MLCC・インダクタを中核とする高付加価値戦略を示した。直近では通信用デバイス事業の構造改革を2025年2月から進めつつ追加の人員削減を実行し、2026年度開始の次期中期経営計画ではAIサーバー向けMLCCの旺盛な需要を捉えた本来の開発主導型への回帰を目指す。"
    }
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  "recent_outlook": {
    "title": "直近の動向と展望",
    "subsections": [
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        "title": "通信用デバイス構造改革と追加人員削減という決断",
        "text": "2025年2月から太陽誘電は通信用デバイス事業の構造改革に本格的に着手し、固定費の削減と売上規模に見合った水準への体質転換を進めてきた。しかし事業環境は経営の想定を超えて一段と厳しく推移し、2026年3月期の第3四半期決算説明会では費用10億円を投じて追加の構造改革を実施することが正式に発表された。施策の中核は希望退職者の募集による人員削減であり、これによって25億円のコスト改善効果を見込むとともに、来期早い段階でのブレークイーブンを実現することを目標として掲げる経営判断に踏み切った。事業としては自動車や通信基地局などの高付加価値市場への絞り込みを行い、付加価値の低い商品からは撤退してミックスを構造的に改善する方針が打ち出された。\n\n同時に子会社1社の清算によって約5億円の追加的なコスト改善も見込まれており、MLCCを中核とする他の主力事業でも能力増強に向けた立ち上げ段階でかかっていたアイドリング状態の固定費を実生産に合わせて調整する方針が採られた。配当方針については従来の配当性向30%を維持する方針に加えて株主資本配当率（DOE）を新たに導入し、ここ数年の利益水準低下に伴う投資家の不安払拭を意図した資本政策上の姿勢転換が図られた。米国の関税リスクについては売上高で90億円程度の影響を試算済みであり、MLCCの構成比が高いこともあって影響額が最も大きいが、大型品の価格は安定推移しており高付加価値シフトの方向性自体には変化はないという見立てが示されている。",
        "references": [
          {
            "title": "有価証券報告書",
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          {
            "title": "決算説明会 FY25-3Q",
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          {
            "title": "決算説明会 FY25",
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      {
        "title": "AIサーバー向け需要と次期中期経営計画への回帰",
        "text": "2026年3月期第3四半期のMLCC稼働率は85%前後で推移し、第4四半期も同水準を維持する見通しで、来期の需要を見据え3月以降は稼働率をさらに引き上げる計画が示されている。2026年3月期の能力増強は前期比プラス5%にとどめ、次期2027年3月期はプラス10%へ引き上げる方針が打ち出されており、AIサーバーを含む情報インフラ・産業機器向けの需要への対応が投資判断の最も重要な決定要因となる。2025年8月には太陽誘電がAIサーバー向けの基板内蔵対応MLCC1005サイズ22マイクロファラッドを世界で初めて商品化し、「まねできない技術」（EE Times Japan 2024/10/01）という経営キーワードに具体的な裏付けを与えた。業界首位の村田製作所と同じ戦場で戦う準備を、先端製品の先行投入で整えつつある段階である。\n\n次期中期経営計画は2026年度を起点としてスタートする予定であり、経営陣は本来の太陽誘電の姿にもう一度立ち戻りたいという強い意志のもとで、得意分野である高付加価値ゾーンでの成長と新商品開発の重視を計画の柱に据える構想を示している。誘電体の薄層化による小型化と大容量化の両立、メタル系インダクタのPC・サーバー電源回路分散化と垂直給電化への対応、銅内部電極MLCCの高耐圧市場展開という複数の技術シーズがすでに用意されている。創業者の佐藤彦八が掲げた材料研究出発型の開発体制という原点への回帰が具体的な方向性として選び直されており、75年間変わらない受動部品専業という射程を堅持しつつ、次の成長機会をAI時代の大容量・高信頼性要求の中に見出す経営判断が始動している。",
        "references": [
          {
            "title": "有価証券報告書",
            "year": null,
            "month": null,
            "date": null,
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          {
            "title": "決算説明会 FY25-3Q",
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            "date": null,
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          {
            "title": "決算説明会 FY25",
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          {
            "title": "決算説明会 FY26-3Q",
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        ]
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    ]
  },
  "decisions": [
    {
      "year": 1950,
      "month": 3,
      "title": "磁器コンデンサ専業メーカーとしての創業",
      "type": "founding",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "戦後電子部品産業の萌芽と誘電体研究者の起業",
          "detail": "太陽誘電が設立された1950年は、戦後日本の電子部品産業が本格的に立ち上がろうとする時期であった。GHQの民間放送許可を前にラジオ需要が急拡大し、コンデンサや抵抗器、フェライトコアといった受動部品への需要が増加していた。同時期に村田製作所（1944年創業）やTDK（1935年創業）など、後に太陽誘電の競合となる企業も磁器コンデンサやフェライトの量産体制を構築しつつあった。電子部品メーカーの多くは半導体を含む幅広い製品を手がける方向に向かいつつあり、受動部品のみに特化する企業は少数派であった。\n\n創業者の佐藤彦八は誘電体セラミックスの研究者であった。1943年に前身となる東京電気化学工業株式会社を設立し、磁器コンデンサとステアタイト磁器絶縁体の研究・製造を行っていた。戦後の混乱期を経て1950年3月23日、東京都杉並区に太陽誘電株式会社を設立。社名は佐藤が研究していた「誘電体」に「太陽」を冠したもので、「明るくて温かみのある、世の中を照らすような会社にしたい」という願いが込められている。研究者としての専門性が、そのまま事業の出発点となった。"
        },
        "decision": {
          "summary": "受動部品への専業化と半導体不参入の方針決定",
          "detail": "佐藤は太陽誘電を磁器コンデンサの専業メーカーとして位置づけ、能動部品（半導体）には一切参入しないという方針を明確にした。1972年の証券アナリスト向け講演では「当社は半導体関係はタッチしておりません。もっぱら受動部品に徹しており」と語っている。当時の電子部品メーカーにとって半導体は成長分野であり、多くの企業が能動・受動の両方を手がける多角化を志向していた。佐藤はこれに背を向け、セラミックスという素材の技術的深掘りに経営資源を集中する選択を取った。\n\nこの方針の下で、佐藤は研究開発に対する投資を重視した。全社員約1,150人のうち研究部門に約125人（約11%）を配置し、「会社経営の考え方として研究部門にかなりの人員を配置してきた」と自ら語っている。1972年時点で3年間約40億円の設備投資計画を策定していた。「素材の開発から出発して製品化を行う」ことを信条とし、材料の粒子レベルからの自社開発を経営の根幹に据えた。セラミックコンデンサの月産は4,000万個に達し、フェライト、フィルター等への製品展開も進めていたが、いずれも受動部品の範囲にとどまっていた。"
        },
        "result": {
          "summary": "国内シェア首位と受動部品専業の企業像確立",
          "detail": "上場時（1970年3月、東証第二部）の時点で、太陽誘電の固定磁器コンデンサ国内シェアは約20%に達し、業界トップの位置にあった。売上構成比はコンデンサが61%、フェライトが14%、インダクタが8%と、受動部品が売上の93%を占めていた。カラーテレビの急速な普及を追い風にセラミックコンデンサを中心に毎期増収を記録し、1969年8月期の売上高は約50億円に達していた。1973年には東証第一部に指定されている。\n\n佐藤が定めた「受動部品専業」「半導体不参入」「素材からの開発」という3つの原則は、その後の歴代社長にも引き継がれた。佐藤は1984年に社長を退任し、非同族の川田貢が後任に就いたが、受動部品専業の方針は変わらなかった。75年以上を経た現在も太陽誘電は半導体を手がけておらず、コンデンサとインダクタを二本柱とする受動部品メーカーであり続けている。創業時の方針決定が、企業のアイデンティティを不可逆的に規定した。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "「半導体に行かない」と決めた創業者の選択が75年間の射程を持った",
        "content": "1950年代の日本で半導体に進出しない選択は、成長機会を自ら狭める判断に映ったはずである。しかし佐藤彦八はセラミックスの可能性に確信を持ち、「深く掘ること」を「広く手がけること」に優先した。この判断は研究者としての技術的バックグラウンドに根差している。結果として75年後の太陽誘電は依然として受動部品専業メーカーであり、創業者の方針決定が企業の骨格を不可逆的に規定した。"
      },
      "interviews": [
        {
          "name": "佐藤彦八（太陽誘電社長）の講演",
          "comment": "当社は半導体関係はタッチしておりません。もっぱら受動部品に徹しており、そういう面からいうとまだ利幅の大きいところの需要はこれからの問題でもある。会社経営の考え方として研究部門にかなりの人員を配置してきた。",
          "ref": {
            "date": "1972/01",
            "title": "証券アナリストジャーナル 10巻1号 講演要旨「脱磁器コンデンサー多角化を推進」",
            "url": null
          }
        }
      ],
      "timeline": [
        {
          "year": 1943,
          "month": null,
          "title": "前身・東京電気化学工業を設立"
        },
        {
          "year": 1950,
          "month": 9,
          "title": "チタン酸バリウムセラミックコンデンサ商品化"
        },
        {
          "year": 1954,
          "month": 9,
          "title": "小型フェライトコアの生産開始"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 1984,
      "month": 7,
      "title": "ニッケル電極大容量MLCCの世界初商品化",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "MLCCの内部電極材料に起因するコスト構造の課題",
          "detail": "積層セラミックコンデンサ（MLCC）は、セラミックス誘電体と内部電極を数十から数百層積み重ねた構造を持つ。1970年代から1980年代にかけて電子機器の小型化・高密度化に伴いMLCCの需要は急速に拡大していたが、内部電極に貴金属であるパラジウム（Pd）を使用していたため、材料コストが製造原価の大きな部分を占めていた。パラジウムの価格は国際市況に左右され、MLCCメーカーにとってコスト管理と価格競争力の両面で構造的な課題となっていた。\n\n太陽誘電は創業以来「素材の開発から出発して製品化を行う」ことを信条とし、誘電体セラミックスの材料開発を自社で手がけてきた。MLCCの性能は誘電体材料の組成と内部電極の整合性によって決まるため、材料の組み合わせを根本から見直すことができるのは、材料技術を持つメーカーに限られた。太陽誘電はパラジウムに代わる安価な金属を内部電極に用いる技術の開発に取り組み、候補として浮上したのがニッケルであった。"
        },
        "decision": {
          "summary": "安価なニッケルを電極材料に用いたMLCCの開発",
          "detail": "1984年7月、太陽誘電はニッケルを内部電極に用いた大容量MLCCを世界初商品化した。ニッケルはパラジウムに比べてはるかに安価であるが、焼成時に酸化しやすいという技術的な障壁があった。セラミックス誘電体は通常、酸化雰囲気で焼成するため、ニッケル電極は焼成中に酸化して導電性を失うリスクがあった。太陽誘電は還元雰囲気でも安定する誘電体セラミックスの組成を開発し、ニッケル電極との整合性を確保することでこの課題を解決した。\n\nこの技術革新は、材料設計の根本から取り組まなければ実現できないものであった。誘電体の組成を変えることは焼成条件、電気特性、信頼性のすべてに影響するため、材料の粒子レベルから制御する能力が必要とされた。外部から材料を調達して組み立てるタイプのメーカーには模倣が容易ではなく、太陽誘電の垂直統合型の開発体制が技術的優位の源泉となった。材料から製品までを一貫して開発するという創業以来の方針が、具体的な競争優位として結実した局面である。"
        },
        "result": {
          "summary": "MLCC普及の加速と世界シェア3位の基盤形成",
          "detail": "ニッケル電極MLCCの商品化は、MLCCのコスト構造を根本的に変えた。貴金属であるパラジウムを安価なニッケルに置き換えたことで材料コストが大幅に低下し、MLCCの価格競争力が飛躍的に向上した。この技術はその後MLCC業界全体に普及し、現在では大部分のMLCCがニッケル電極を採用している。太陽誘電は業界標準となる技術を最初に商品化することで、MLCCメーカーとしての技術的評価を確立した。\n\nニッケル電極MLCCの開発は、太陽誘電が現在MLCC世界シェア約10〜12%（3位）を占める基盤を形成した。材料レベルの革新を通じて製品コストを下げるという手法は、その後のスーパーハイエンドMLCC（超小型・超大容量）の開発にも通じる方法論である。太陽誘電が掲げる「まねできない技術」（佐瀬克也社長）による高付加価値化戦略は、1984年のニッケル電極開発に原型がある。材料を握ることが製品競争力を握ることだという企業哲学は、40年後の現在も変わっていない。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "電極材料の置換がMLCCのコスト構造を根本から組み替えた",
        "content": "MLCCの内部電極をパラジウムからニッケルに置き換えるには、誘電体セラミックスの組成を根本から設計し直す必要があった。これは材料を外部調達するメーカーには容易に追随できない領域であり、太陽誘電の「素材から作る」という方針が具体的な競争障壁として機能した局面である。この技術は業界標準となったが、最初に実現した企業としての技術的評価は40年後の現在も同社の競争力の根幹をなしている。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1973,
          "month": 5,
          "title": "チップ型積層コンデンサの本格量産開始"
        },
        {
          "year": 1976,
          "month": 7,
          "title": "アキシャルリード型磁器コンデンサ世界初商品化"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 1988,
      "month": 9,
      "title": "CD-Rの世界初商品化",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "オーディオテープでの成功と光記録メディアへの展望",
          "detail": "太陽誘電は1982年9月、「That's」ブランドでオーディオテープの生産を開始し、消費財市場への参入を果たした。電子部品メーカーが磁気テープに参入した背景には、コンデンサの材料であるセラミックスと磁気テープの素材に技術的な共通性があったことがある。安藤顕常務（当時）は後のインタビューで「共通の材料を使えるというのが背景です」と語っている。太陽誘電はオーディオテープにおいてメタルとハイポジションの高品質帯から参入し、「技術力を出せる」領域に絞る差別化戦略を採った。\n\nThat'sブランドのオーディオテープは市場で一定の知名度を獲得し、高品質テープとしてディーラーからの評判も良かった。この消費財での実績は、太陽誘電に「技術で差別化すれば消費財市場でも戦える」という自信を与えた。一方、1980年代には12cmオーディオディスク（CD）が急速に普及し、音楽メディアのデジタル化が進行していた。太陽誘電はCDの光ディスク技術に着目し、利用者が自らデータを書き込める記録可能な光ディスクの開発に着手した。\n\n当時、書き込み可能な光ディスクの実用化は業界全体の課題であった。光記録メディアはレーザー光で記録層を物理的に変化させる仕組みであり、材料技術と精密な薄膜成形技術が鍵を握っていた。太陽誘電はセラミックス材料の研究で培った薄膜・微粒子の制御技術を転用し、有機色素系の記録層を開発した。電子部品メーカーとしては異例の取り組みであったが、「素材から作る」という創業以来の方針に沿った技術展開であった。"
        },
        "decision": {
          "summary": "書き込み可能な光ディスク「CD-R」の開発と命名",
          "detail": "1988年9月、太陽誘電はCD-Rを世界初商品化した。CD-R（Compact Disc-Recordable）という名称自体も太陽誘電が命名したものである。記録層に有機色素を用いた独自の技術で、650MBの記録容量を持つ光ディスクを実現した。CDプレーヤーで再生可能な互換性を持ちつつ、利用者が1回だけデータを書き込める仕様は、当時の記録メディアに存在しなかった製品カテゴリーを創出するものであった。\n\nCD-Rの開発においても、太陽誘電はThat'sオーディオテープと同じく高品質・高価格の差別化戦略を採った。電子部品メーカーとしての材料技術を武器に、記録品質と信頼性で他社が追随しにくい製品を目指した。大手テープメーカーや家電メーカーとの正面からの価格競争は避け、技術的先行優位を収益に変える方針であった。この戦略はCD-Rのような新規市場創造の局面では有効に機能し、市場の立ち上がり期において太陽誘電はリーダーの地位を確立した。\n\nCD-Rの商品化は、太陽誘電にとって電子部品（生産財）とは異なる消費財ビジネスの確立を意味した。電子部品は最終製品に組み込まれて消費者の目に触れないが、CD-Rは消費者が直接購入し使用する製品である。That'sブランドは太陽誘電の知名度を一般消費者にまで広げ、企業イメージの向上に寄与した。安藤常務は「お金を稼いでいるのは、普段は人目に触れることのない生産財」としつつ、That'sの「企業イメージの引き上げとか、知名度の向上」という効果を重視していた。"
        },
        "result": {
          "summary": "CD-R技術の進化と光記録メディア事業の拡大",
          "detail": "CD-Rの技術はその後、より大容量の光記録メディアへと発展した。1998年にはDVD-R（4.7GB）を商品化し、CD-Rの約7倍の記録容量を実現した。2008年には追記型ブルーレイディスクLTHタイプを世界初商品化し、有機色素系記録層という太陽誘電の技術的強みを高密度メディアにも展開した。CD-Rを起点に3世代にわたる光記録メディアを商品化した実績は、同社の材料技術の汎用性と発展可能性を示している。\n\n記録メディア事業は太陽誘電の売上構成において電子部品に次ぐ柱となった。1986年に新設された八幡原工場が磁気テープの量産を担い、1989年設立のザッツ福島（後の福島太陽誘電）が記録メディア専用の生産子会社として機能した。しかし同時に、記録メディアは電子部品に比べて参入障壁が低い市場であり、後発メーカーとの価格競争が常態化する宿命を抱えていた。電子部品では技術スペックがそのまま差別化要因になるが、記録メディアでは消費者が品質差を認識しにくく、価格が主要な競争変数となった。\n\n2021年9月、太陽誘電が1988年に商品化したCD-Rは国立科学博物館の「未来技術遺産」に登録された。光記録メディア事業からの撤退から6年後のことである。技術としての評価は、事業としての継続可能性とは独立に行われた。CD-Rの商品化は太陽誘電が「世界初」を冠する代表的な技術成果として企業史に刻まれているが、その事業としての帰結は、市場構造の変化の前に撤退を余儀なくされるものとなった。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "「材料技術の応用」で市場を創った企業が直面した二つの時間軸",
        "content": "CD-Rは太陽誘電の材料技術がもたらした市場創造の典型例である。しかしこの技術は、技術の寿命と市場の寿命が一致しないという課題を同社に突きつけた。CD-Rから追記型ブルーレイまで3世代にわたり技術を進化させたが、HDDとクラウドが光記録メディア市場そのものを縮小させた。技術の深化が市場の延命に直結しない構造は、材料起点の事業にとって本質的なリスクである。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1982,
          "month": 9,
          "title": "That'sブランドでオーディオテープ参入"
        },
        {
          "year": 1998,
          "month": 10,
          "title": "DVD-R（4.7GB）を商品化"
        },
        {
          "year": 2008,
          "month": 2,
          "title": "追記型ブルーレイディスクLTHタイプ世界初商品化"
        },
        {
          "year": 2021,
          "month": 9,
          "title": "CD-Rが未来技術遺産に登録"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 1991,
      "month": 2,
      "title": "ビデオテープ事業の商業化断念",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "That'sブランドの成功とビデオテープ市場への参入",
          "detail": "太陽誘電は1982年からThat'sブランドでオーディオテープを手がけ、高品質テープとして一定の知名度を確立していた。オーディオテープの素材はセラミックコンデンサの材料と共通性があり、ビデオテープへの展開は「自然な流れ」（安藤顕常務）であった。開発は1983年頃から本格化し、オーディオテープと同様に技術力を差別化の武器とする高品質・高価格戦略でビデオテープ市場への参入を計画していた。\n\n参入のターゲットはS-VHSテープであった。S-VHS対応デッキの普及率が全体の30%程度に達した時点でテープ市場に参入すれば、高品質帯で差別化が可能と見込んでいた。しかしS-VHSデッキの普及は想定より遅れ、さらにS-VHSデッキの所有者の多くがHG（ハイグレード）テープで日常の録画を済ませてしまうという消費行動が判明した。「デッキは十分普及したにもかかわらず、テープは伸び悩んでいる」と安藤常務は語っている。S-VHSテープの市場規模は想定を大きく下回った。\n\nさらに深刻だったのは価格下落の速度であった。ビデオテープ全体の価格は1986年頃から急激に崩れ始め、4年間で約5割下落した。オーディオテープの3割強に対して大幅な下落であった。ノーマルテープの値崩れがHGやS-VHSテープにも波及し、高品質帯で差別化するという戦略の前提が崩壊した。大手テープメーカーのTDKやソニーが減価償却を終えた工場をフル回転させてシェアを争う「体力勝負の戦場」に、後発の太陽誘電が参入する余地は狭まっていた。"
        },
        "decision": {
          "summary": "試験販売段階での事業化断念と2段階スクリーニング",
          "detail": "1988年12月に製造・販売を開始したビデオテープについて、太陽誘電は本格的な商業化を断念すると発表した。安藤常務は「撤退というよりは、事業化を断念した、という判断」と説明している。年間売上高は1億円足らず、本数は年10万巻にも満たず、ディーラーも2、3社に限定した試験販売の段階であった。HGテープは「いずれS-VHSを出すための市場への名刺」という位置づけに過ぎなかった。\n\nこの判断は、太陽誘電が事業化プロセスに組み込んでいた「2段階スクリーニング」に基づくものであった。第1段階が社内での開発研究、第2段階が試作販売の成否である。安藤常務は「経営学で一般的に知られているプロセスを踏んでやっています。オーソドックスに過ぎると思われるかもしれませんが、これは大切なこと」と語っている。ビデオテープは第2段階の試作販売で商業化の見込みが立たないと判断され、本格参入に進まずに中止となった。\n\n特別損失は15億円であった。内訳は生産装置の廃棄が10億円、仕掛かり製品の棚卸しと研究関係費用が5億円である。生産装置のうちオーディオテープと共通の上流設備は今後も使用可能であり、廃棄対象はパッケージング等の専用設備に限られた。安藤常務は「10億円という数字は、当社の年間設備投資額の約10分の1。ハイテク志向の新製品をどんどん開発する企業にとっては、スクリーニングをかける過程で生じる、当然の、やむを得ないコスト」と位置づけた。"
        },
        "result": {
          "summary": "主力の電子部品事業への影響を最小限に抑制",
          "detail": "ビデオテープ事業の断念による15億円の特別損失は、太陽誘電の財務に決定的な打撃を与えなかった。同社の売上高に占めるビデオテープの割合はごく僅かであり、年間設備投資額の10分の1にあたる10億円の装置廃棄も、電子部品事業の投資計画に影響を及ぼさなかった。安藤常務は「傷口を広げないうちに、というよりは、傷口を作らないで済んだ」と総括している。試験販売の段階で判断を下したことが、損失の規模を限定的にとどめた。\n\n太陽誘電のビデオテープ撤退を報じた日経ビジネスは、「ゴーサインを出したこと自体が、余りにも甘い判断ではなかったか」と指摘している。大手テープメーカーの関係者も事前に「おやめなさい」と助言していた。ビデオテープ市場は「完全な雑貨品。これほど差別化が難しいものはない」（大手メーカー）とされ、太陽誘電の技術志向型の差別化戦略が通用する市場ではなかった。参入判断の妥当性には疑問が残るが、撤退判断の迅速さが損失を限定的に抑えた。\n\nこの経験は、太陽誘電に「消費財市場では技術力だけでは差別化できない」という認識を残した。安藤常務自身が「技術力で差をつけて市場に地歩をと計画したけれど、この分野は最終的には、使う人の感覚とか、生活の文化とかが入りますからね」と認めている。電子部品では技術スペックがそのまま商品価値になるが、消費財ではそうならない。この認識は、太陽誘電が記録メディア事業をあくまで副次的な位置づけとし、電子部品を主力とし続けた判断の底流にある。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "「試作販売」という設計が撤退コストを10億円に抑えた構造",
        "content": "太陽誘電がビデオテープで採用した2段階スクリーニングは、不確実な市場への参入コストを制御する仕組みであった。年10万巻・売上1億円未満という規模で判断を下し、15億円の損失で撤退を完了させた。本格参入に必要とされた月産100万巻の生産ライン（推定投資100億円以上）との対比で見れば、試験販売段階での判断が不可逆的な損失を回避した設計思想は明確である。"
      },
      "interviews": [
        {
          "name": "安藤顕（太陽誘電常務）のインタビュー",
          "comment": "撤退というよりは、事業化を断念した、という判断なのです。商業ベースに乗せていたのではなくて、試作販売を行い、結果が残念ながら撤収となったということです。10億円という数字は、当社の年間設備投資額の約10分の1です。ハイテク志向の、新製品をどんどん開発する企業にとっては、スクリーニングをかける過程で生じる、当然の、やむを得ないコストだと判断しています。傷口を広げないうちに、というよりは、傷口を作らないで済んだ、というところですね。",
          "ref": {
            "date": "1990/12/03",
            "title": "日経ビジネス「挫折の軌跡」",
            "url": null
          }
        }
      ],
      "timeline": [
        {
          "year": 1988,
          "month": 12,
          "title": "ビデオ用磁気テープの生産開始"
        },
        {
          "year": 1991,
          "month": 2,
          "title": "ビデオテープ事業の商業化断念を発表"
        }
      ]
    },
    {
      "year": 2015,
      "month": 6,
      "title": "光記録メディア事業からの完全撤退",
      "type": "divestiture",
      "content": {
        "background": {
          "summary": "HDDとクラウドによる光記録メディア市場の急縮小",
          "detail": "太陽誘電が1988年にCD-Rを世界初商品化して以来、光記録メディアは電子部品に次ぐ事業の柱であった。DVD-R、追記型ブルーレイディスクと技術を進化させ、That'sブランドは消費者に広く認知されていた。しかし2000年代後半からHDDの大容量化とクラウドストレージの普及が進み、光記録メディアの需要は急速に縮小した。デジタルカメラの記録媒体はSDカードに移行し、音楽・映像の流通はストリーミングに切り替わりつつあった。\n\n太陽誘電は2011年3月期に記録メディア事業で70.3億円の減損を計上し、翌2012年3月には希望退職330名を募集して構造改革費用42億円を特別損失に計上した。当時の綿貫英治社長の下で記録メディアの構造改革が進められたが、市場縮小の速度は「想像を超える」ものであった。光記録メディアの世界出荷量はピークから急落し、構造改革を重ねても収益改善の見通しは立たなくなっていた。"
        },
        "decision": {
          "summary": "That'sブランド終了と電子部品への経営資源集中",
          "detail": "2015年6月11日、太陽誘電は光記録メディア事業からの撤退を発表した。CD-R、DVD-R、ブルーレイディスクの全製品を対象とし、同年12月末でThat'sブランドの販売を終了するとした。プレスリリースでは「収益改善は困難と判断」と記され、事業継続の選択肢が消滅したことが示された。CD-R世界初商品化から27年、That'sブランド立ち上げからは33年を経ての撤退であった。\n\n撤退決定の背景には、市場縮小だけでなく、構造改革を重ねても収益が改善しない状況があった。2011年の70億円減損と2012年の330名希望退職を経てなお赤字が続いた。一方、電子部品事業は車載向けやスマートフォン向けMLCCの需要拡大で成長余地があり、経営資源をMLCCのスーパーハイエンド製品に集中することで企業価値の最大化を図る方針が固まった。記録メディア事業の売却や他社への移管ではなく、完全撤退という判断が下された。"
        },
        "result": {
          "summary": "MLCC中心の事業構造への転換と増産投資の布石",
          "detail": "光記録メディアからの撤退により、太陽誘電は受動部品以外の事業を持たない純粋な電子部品専業メーカーとなった。経営資源の集中は設備投資に反映され、2023年には玉村工場・八幡原工場を中心にコンデンサの増産投資を決定（年間投資予定額240億円）。同年10月にはユーロ円建て転換社債で500億円を調達し、全額をMLCC増産に充当した。記録メディア撤退の判断が、その後の大型投資を可能にする前提条件となった。\n\n撤退後の太陽誘電は「まねできない技術」（佐瀬克也社長）を掲げ、車載・AIサーバー向けの高付加価値MLCCに注力している。2025年8月にはAIサーバー向け基板内蔵対応MLCC 1005サイズ22μFを世界初商品化した。一方、中期経営計画2025の売上高4,000億円目標に対し2025年3月期実績は3,414億円にとどまる。記録メディア撤退が電子部品への集中を可能にしたことは確かだが、市況変動という受動部品専業メーカーの構造的課題は残されたままである。"
        }
      },
      "comment": {
        "title": "CD-R商品化から27年、「世界初」の栄光を自ら手放す判断",
        "content": "太陽誘電が光記録メディアから撤退したのは、技術が陳腐化したからではなく、技術が載る市場プラットフォーム自体が消滅したためである。CD-R商品化から撤退までの27年間、3世代の光記録メディアを商品化したが、HDDとクラウドという代替技術の前に光ディスク自体が役割を終えた。技術の進化と市場の縮小が同時進行する状況では、撤退の判断時期が損失の規模を決定する。"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 2011,
          "month": 3,
          "title": "記録メディアで70.3億円の減損を計上"
        },
        {
          "year": 2012,
          "month": 3,
          "title": "希望退職330名募集・構造改革費用42億円を特損計上"
        },
        {
          "year": 2015,
          "month": 12,
          "title": "That'sブランドの販売終了"
        }
      ]
    }
  ],
  "insights": [
    {
      "title": "「素材から作る」という信条が築いた参入障壁の限界",
      "subtitle": "誘電体の粒子設計から始まる垂直統合モデルとMLCCシェア10%の壁",
      "body": "佐藤彦八は誘電体セラミックスの研究者であった。1943年に前身事業体を設立し、1950年に太陽誘電を創業した際、社名に「誘電体」の「誘電」を冠した。佐藤の経営哲学は「素材の開発から出発して製品化を行う」ことに集約される。1972年の証券アナリスト向け講演では「当社は半導体関係はタッチしておりません。もっぱら受動部品に徹しており」と語り、全社員約1,150人のうち研究部門に約125人（約11%）を配置していることを強調した。創業者が研究者であったという出自は、技術への投資を経営の最優先事項とする組織文化を規定し、75年後の現在まで企業のアイデンティティを形作っている。\nこの垂直統合は、太陽誘電の主力製品であるMLCCにおいて最も鮮明に表れている。MLCCは数百層のセラミックス誘電体と内部電極を積層した構造を持ち、その性能は材料の粒子径、焼成条件、電極との整合性によって決まる。太陽誘電は誘電体セラミックスの粒子設計から自社で行い、材料技術・プロセス技術・生産技術の三位一体で小型化・大容量化を実現してきた。1984年にはパラジウムの代わりにニッケルを内部電極に用いた大容量MLCCを世界初商品化した。この材料レベルの革新は、外部から材料を調達するメーカーには模倣が難しく、参入障壁として機能している。\nしかし、この技術的優位はシェアの優位に直結しなかった。MLCC市場は村田製作所（シェア約40%）、サムスン電機（約20%）、太陽誘電（約10〜12%）の3社寡占構造にあり、太陽誘電は3位に位置する。村田製作所もまた材料から一貫開発する垂直統合型メーカーであり、太陽誘電の技術的差別化は「独自の強み」ではなく「業界上位の必要条件」に近い。2022年3月期に売上高3,496億円と過去最高を記録したが、2025年3月期には純利益が23億円にまで縮小した。市況変動に対して、材料技術の優位性だけでは収益を安定させることが難しい構造が浮き彫りになっている。\n佐藤彦八が「素材から作る」と宣言してから75年、太陽誘電は一度もこの信条を放棄していない。歴代7人の社長はいずれも非同族の内部昇格者であったが、技術志向の経営方針は継承され続けた。材料技術への投資は確かに参入障壁を築いたが、同時に事業領域を受動部品に限定する枷にもなっている。半導体には進出せず、記録メディアからも撤退し、残ったのはコンデンサを中核とする受動部品の世界である。研究者が創業した企業は、研究者の視野の範囲で競争力を発揮するが、その視野の外に出ることは構造的に難しい。太陽誘電の75年は、技術志向経営の強みと限界を同時に体現している。",
      "related_decisions": []
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  "references": [
    {
      "target": "サマリー",
      "sources": [
        "有価証券報告書"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "創業と受動部品専業の確立、量産体制の構築",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "太陽誘電社史"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "世界初の技術と消費財市場への挑戦、光メディアからの撤退",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "太陽誘電社史"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "記録メディア撤退後のMLCC集中と高付加価値戦略の加速",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "中期経営計画2025",
        "EE Times Japan 2024/10/01",
        "日本経済新聞 2024/12/27"
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      "type": "会社公式",
      "url": null
    },
    {
      "target": "直近の動向と展望",
      "sources": [
        "有価証券報告書",
        "決算説明会 FY25-3Q",
        "決算説明会 FY25",
        "決算説明会 FY26-3Q"
      ],
      "type": "会社公式",
      "url": null
    }
  ],
  "quotes": [
    {
      "text": "まねできない技術で製品を高付加価値化する",
      "speaker": "佐瀬克也",
      "source": "EE Times Japan 2024/10/01",
      "context": "",
      "url": "https://eetimes.itmedia.co.jp/ee/articles/2410/01/news051.html"
    },
    {
      "text": "AIが切り口、高性能品で反転攻勢",
      "speaker": "佐瀬克也",
      "source": "日本経済新聞 2024/12/27",
      "context": "",
      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC276CX0X21C24A2000000/"
    },
    {
      "text": "商品の小型化・高性能化で環境に貢献",
      "speaker": "佐瀬克也",
      "source": "日経ESG",
      "context": "",
      "url": "https://project.nikkeibp.co.jp/ESG/atcl/column/00006/020200375/"
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