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      "text": "1965年、堀場製作所が自動車排ガス測定装置の販売を始め、pHメータや赤外線ガス分析計で培った分析計測技術を自動車という新市場へ向けた判断。この装置は後の主力事業となる自動車計測分野の始まりにあたり、堀場を世界的な分析機器メーカーへ押し上げる代表的な製品となった。"
    },
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      "text": "赤外線分析計の応答速度を、医学用の呼気ガス分析で0.1秒まで高めていた。この速さに公害資源研究所の八巻直臣氏が着目し、運転条件で刻々と変わる排ガスの成分を追える連続測定への道が開けた。1960年代の日本ではモータリゼーションが本格化していた。"
    },
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      "text": "共同研究で高速形の連続分析装置を仕上げ、1964年の大阪の計測工業展に外装を出展して市場を探り、1966年には東京の展示会へ大型の試作第1号を出した。中古エンジンを持ち込んで実測し、運輸省や自動車メーカーの批判を仰ぎながら、車に積んで各社へデモを重ねた。"
    },
    {
      "label": "含意",
      "text": "1970年代の排ガス規制の強まりで測定装置の需要は急伸し、大手メーカーは生産ラインで全数検査を行うに至った。堀場は排ガス測定機器で高いシェアを握り、医学用に磨いた技術の転用が自動車計測という新しい柱を生んだ。"
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      "title": "大手自動車メーカーが生産ラインで排ガスの全数検査を実施"
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            },
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              "text": "この速さに着目したのが、工業技術院公害資源研究所の八巻直臣氏であった。1962年から1963年ごろ、八巻氏は自動車排ガスを分析する手法を検討しており、応答速度の速い測定とサンプリング系統の組み方に課題を抱えていた。研究はまだ緒についたばかりであった。堀場の医学用分析計の応答の速さを応用できないか、という八巻氏のヒントが共同研究の始まりとなった。"
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          ]
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        {
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              "text": "1950年代を通じて米国に、1960年代を通じて日本にも自動車社会が到来した。当初の自動車問題は交通事故や保険をめぐる議論が中心であったが、米国では1970年代に排ガスによる公害が問題視される時代へ向かっていた。1971年、読売新聞は「自動車の排ガスの徹底的規制を」と題する社説を掲げ、自動車メーカーへの圧力を強めた。"
            },
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            {
              "text": "この分野の経験は浅く、堀場は会場に中古エンジンを持ち込んで排ガスを実測し、運輸省や自動車メーカーに呼びかけて率直な批判を仰いだ。排ガス測定と同時にエンジンそのものの改良に役立つ点を売りに、計測工業展が終わると測定装置を車に積み、各社へ売り込みのデモを重ねながら東海道を下って京都へ帰った。どれだけの反響が返るか予測がつかないまま、この装置に大きな望みをかけて徹底したPRを続けた。"
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              "text": "堀場は1965年9月に本社を京都市南区の現在地へ移し、続く11月に自動車排ガス測定装置の販売を始めた。国産のpHメータで得た測定技術、赤外線分析計で得た高速応答、そして公害研究者との共同研究が重なって、自動車という巨大な市場へ向かう製品が形をとった。当時はまだ排ガス規制が本格化する前で、需要の広がりは見通せていなかった。"
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        }
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    }
  ],
  "references": [
    "おもしろおかしく25年（堀場製作所, 1978年1月）",
    "堀場製作所 有価証券報告書【沿革】",
    "読売新聞（1970年10月8日）",
    "読売新聞 社説（1971年）",
    "日経ビジネス 1979年4月9日号「堀場雅夫氏が語る知情分離の運命共同体経営」（日経マグロウヒル社）"
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  "authored": "2026-07",
  "last_updated": "2026-07-16"
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