{
  "stock_code": "6841",
  "count": 2,
  "decisions": [
    {
      "slug": "mikawa-restructuring-1990s",
      "url": "/tse/6841/decisions/mikawa-restructuring-1990s/",
      "year": 1993,
      "month": 6,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "6841",
      "decision_id": "6841-mikawa-restructuring-1990s",
      "type": "restructuring",
      "title": "美川英二社長の「解雇なきリストラ」路線",
      "subtitle": "雇用を守るという公約を掲げたまま、いかに構造改革を貫いたか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": null,
      "ratio": null,
      "issue": "雇用維持と構造改革の両立",
      "decider": "美川英二（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1990年代、設備投資不況で業績が落ち込んだ横河電機が、「雇用は守る」という温情主義の公約を掲げたまま、出向専門の第2人事部・間接部門の分社化・「新幹線発想」による30%コスト削減で構造改革を進めた経営判断。1993年に就任した美川英二社長が、解雇に頼らずに人員を動かすリストラを陣頭指揮した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "売上の8割超を工業計器が占める横河電機は、2ケタ成長が望めなくなっていた。バブル崩壊後の3年で売上は約17%落ち込み、売上高営業利益率は60年代の16.3%から1993年3月期の1.2%まで低下した。一方、製造の自動化とソフト化で中高年の設計者・熟練工が余り、解雇をしない伝統との間で緊張が生じていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1990年に出向専門の第2人事部を設けてグループ全体で人材を共有し、経理などの間接部門を横河ファイナンシャルサービスなどへ分社化した。1993年就任の美川社長は「ゼロ発想法」で人事部門を88人から22人へ絞り、42のプロジェクトチームに若手リーダーを据えて主力機種の製造原価を30%削減した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "解雇をしない代わりに、できる社員を出向させ、間接部門を関係会社へ移し、社内に年俸制と実力主義の競争を持ち込んだ。温情主義の中に熾烈な競争を組み込む綱渡りは35%のコスト削減を実現したが、雇用維持の公約は2003年に工場閉鎖と希望退職の決定で撤回されることになる。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "6841",
          "name": "横河電機",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "米ハネウェルと競う工業計器最大手。設備投資不況で業績が低迷するなか、解雇をしない温情主義の伝統を抱えていた"
          }
        }
      ],
      "dates": {
        "reported": null,
        "announced": "1993-06",
        "agreed": null,
        "closed": null,
        "terminated": null
      },
      "breakdown": {
        "reason_type": "market",
        "summary": "設備投資不況で売上と利益率が急落するなか、解雇をしない伝統を守りながら、出向・分社化・大幅コスト削減で人員と原価を組み替えた構造改革"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1983,
          "month": 4,
          "title": "北辰電機と合併し、以後「人員削減をしない方針」を堅持"
        },
        {
          "year": 1990,
          "month": 11,
          "title": "出向専門の第2人事部を設置し、グループで人材を共有する仕組みを整える"
        },
        {
          "year": 1993,
          "month": 6,
          "title": "美川英二が社長に就任し、リストラの陣頭指揮を執る",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 1994,
          "month": null,
          "title": "主力機種の製造原価30%削減・管理部門1650人の再配置を前倒しで実現"
        },
        {
          "year": 1996,
          "month": 3,
          "title": "構造改革の効果が業績に表れ、収益回復のめどが立つ"
        },
        {
          "year": 2003,
          "month": 3,
          "title": "国内15工場の閉鎖と希望退職を決め、人員削減をしない方針を撤回"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1994年3月期",
        "source": "横河電機 会社年鑑（連結業績）",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "6841",
            "name": "横河電機",
            "fiscal_year": "1994年3月期（連結）",
            "president": "美川英二",
            "hq": "東京都武蔵野市",
            "sales": {
              "num": 2422,
              "unit": "億円"
            },
            "segments": [],
            "operating_profit": null,
            "ordinary_profit": null,
            "net_profit": {
              "num": 9,
              "unit": "億円"
            },
            "equity_ratio": null,
            "roe": null,
            "employees": {
              "num": 7000,
              "unit": "人",
              "note": "単体・当時の誌面（概数）"
            },
            "avg_salary": null
          }
        ]
      },
      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "工業計器の成熟と設備投資不況",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "横河電機は計測器・制御機器などの工業計器が売上高の8割以上を占める、米ハネウェルと覇を競う専業の最大手であった。だが、この主力事業はもはや2ケタ成長を望めなくなっていた。製造現場では自動化が進んで人手が余り、設計開発の仕事もハードウエアからソフトウエアへと比重が移っていた。祖業に連なる工業計器の成熟が、次の成長と人員の両面で経営の重荷になり始めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "工業計器が売上高の8割以上を占めるが「もう2ケタ成長は望むべくもない」状態で、自動化とソフト化が進んでいた",
                      "原文": "計測機や制御機器などの工業計器が売上高の8割以上を占める横河電機だが、「もう2ケタ成長は望むべくもない」（溝口取締役）。そのうえ製造現場では自動化が進み、人手があまりかからなくなった。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月24日号「横河電機 余剰対策から人材共有へ 出向専門の第2人事部」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "業績の落ち込みは深刻だった。バブル崩壊後の3年間で売上は約17%減り、鉄鋼・化学メーカーの設備投資削減が直接に響いた。かつて売上高営業利益率は1960年代に平均16.3%、1970年代に9.4%あったが、1993年3月期にはわずか1.2%まで落ちた。1994年3月期の予想経常利益50億円は、ピークだった1991年3月期の3割にも満たなかった。厳しいリストラを迫られる時期に、美川英二社長は登板した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "売上高営業利益率は60年代平均16.3%・70年代9.4%から93年3月期に1.2%へ落ち、94年3月期予想経常利益はピーク91年3月期の3割未満だった",
                      "原文": "「売上高営業利益率は60年代には平均で16.3％、70年代は9.4％あった。93年3月期はわずか1.2％に落ちたが、何とか回復させたい」と語る。（中略）94年3月期の予想経常利益50億円は、ピーク時である91年3月期の3割にも満たない。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年8月9・16日号「美川英二氏[横河電機]登場 本音でぶつかる豪傑、懸命のリストラ」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "解雇をしない温情主義という縛り",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "横河電機は、苦しいときでも解雇をしない温情主義の会社として知られてきた。定年後に80歳近くまで働ける子会社があるほど、家族主義の伝統は根づいていた。1983年の北辰電機との合併時にも「人員削減をしない方針」を掲げ、以後これを堅持してきた。給与や賞与はメーカーとして日本で最も高いクラスを払い、雇用と処遇の手厚さが会社の看板の一つとなっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "横河電機は苦しいときでも解雇をしない温情主義で、定年後80歳近くまで働ける子会社があり、雇用と高い処遇を守ってきた",
                      "原文": "横河電機といえば、苦しいときでも解雇をしない温情主義の会社とみられています。現に、定年後、80歳近くになっても働ける子会社があるなど、温情主義はなお健在です。",
                      "source": "日経ビジネス 1998年5月11日号「編集長インタビュー 美川英二 横河電機社長」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "だが、成熟事業と不況のもとで、この伝統は余剰人員という難題を突きつけた。自動化と開発のソフト化によって、40歳代後半から上の設計者や熟練工の多くが行き場を失い、社内で潜在的な失業者になりかねなかった。解雇という手段を封じたまま、いかに人を動かし、原価を下げるか。雇用を守るという公約と、構造改革の実質とをどう両立させるかが、経営の中心的な課題として横河電機に迫った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "自動化とソフト化で40歳代後半以上の設計者・熟練工の多くが潜在失業者になりかねず、解雇をしない前提で人材の受け皿が課題になった",
                      "原文": "この結果、40歳代後半から上の設計者や熟練工の多くが潜在失業者になってしまった（中略）親会社の余剰人員対策で始めた出向制度。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月24日号「横河電機 余剰対策から人材共有へ 出向専門の第2人事部」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "出向専門の第2人事部と間接部門の分社化",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "横河電機はまず、人を解雇せずに動かす仕組みを整えた。1990年11月、通常の社内人事を担う人事部とは別に、関係会社への出向を専門に扱う第2人事部を設けた。狙いは「グループ全体で人材を共有し有効活用する」ことにあった。全社員が毎年提出する自己申告をもとに、コンピュータに蓄えた候補者情報から関係会社の求人に人を割り当て、余剰人員を人手不足のグループ会社へ回した。出向者は1985年まで100人に満たなかったが、1992年度には社員の1割にあたる700人超に達し、その比率を15%まで高める計画が立てられた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年11月に出向専門の第2人事部を設け、グループ全体で人材を共有。出向者は85年まで100人未満から92年度に700人超（社員の1割）、15%まで高める計画だった",
                      "原文": "1990年11月に設けた第二人事部の目的は、「グループ全体で、人材を共有し有効活用することにある」（溝口文雄取締役総務・人事部門長）。（中略）出向者は85年まで100人に満たなかったが（中略）92年度には横河電機からグループ各社への出向者が700人を超える予定だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月24日号「横河電機 余剰対策から人材共有へ 出向専門の第2人事部」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "あわせて、本社の間接部門を切り出して別会社にした。経理事務を担う横河ファイナンシャルサービスを設立し、本社やグループ会社の経理を本社より安いコストで請け負わせた。美川社長は「経理部は本社に要るのか」と問いかける「ゼロ発想法」で、いったん仕事を全部捨てるつもりから本当に必要なものを組み直し、人事部門の人員を88人から22人へと4分の1に減らした。ただし出向は暗い異動ではなく、人事考課で上位の社員を送り出して栄誉とし、業績を上げた者は役員として本社へ戻す循環に仕立てた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "「ゼロ発想法」で人事部門を88人から22人へ4分の1に減らし、経理などを横河ファイナンシャルサービスへ分社化。人事考課上位の社員を栄誉として出向させ、業績を上げた者は役員として本社へ戻した",
                      "原文": "これを徹底した結果、例えば人事部門の人員は88人から22人へと4分の1に減りました。（中略）できる社員を出向させる（中略）横河ファイナンシャルサービスという経理の会社を作って（中略）できる人物を出向させることになっているから、みんな、栄誉だと思って出向しますよ。",
                      "source": "日経ビジネス 1998年5月11日号「編集長インタビュー 美川英二 横河電機社長」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "「新幹線発想」の30%コスト削減",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1993年6月に社長へ就いた美川英二氏は、原価そのものに大なたを振るった。3%や5%の削減なら在来の改善で足りるが、30%削減には線路を敷き直すほどの革新が要るとして、これを「新幹線発想」と呼んだ。42のプロジェクトチームを作って若手のできる人物をリーダーに据え、開発・設計から調達・物流・製造まで全体を新しい考え方で組み替えさせた。改革のために社内委員会を作って答申させるのではなく、決められるところは自分で決め、細部まで踏み込んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "美川社長は30%のコスト削減を「新幹線発想」と呼び、42のプロジェクトチームに若手リーダーを据えて開発から製造まで全体を組み替えさせた",
                      "原文": "私はこの状況から抜け出すためには30％というような大幅なコスト削減が必要だと思い「新幹線発想」というのを提唱したんです。（中略）そこで42のプロジェクトチームを作って、それぞれ若手のできる人物をリーダーに任命し、新しい発想でコスト削減をやらせました。",
                      "source": "日経ビジネス 1998年5月11日号「編集長インタビュー 美川英二 横河電機社長」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "目標は具体的に据えられた。主力機種の製造原価を30%削減し、研究開発の投資効率を25%高め、管理部門の1650人を社外へ再配置・再活用する。この3つを計画より前倒しで実現した。美川社長は18あるプロジェクトの経過報告会を毎月すべて出席し、専門用語を交えた報告に聞き入って助言を与えた。トップが具体的な目標を掲げ、フォローし続けなければ組織は動かないという信念が、リストラの推進力となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "主力機種の製造原価30%削減・R&D投資効率25%アップ・管理部門1650人の社外再配置という3目標を前倒しで実現し、美川社長は18のプロジェクト報告会に毎月出席した",
                      "原文": "主力機種の製造原価30％削減、R&D（研究開発）投資効率の25％アップ、管理部門の人員1650人の社外への再配置、再活用――という3つの目標を掲げ、いずれも計画より前倒しで実現した。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年4月11日号「美川英二氏［横河電機社長］人を動かすツボを熟知」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "温情主義の中の熾烈な競争",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "コスト削減は目標を超えた。2年で30%という掲げた目標に対し、実際には約35%の削減を達成し、50%以上を削れた機種も4つあった。業績への寄与は1996年3月期からと見込まれ、収益回復のめどが立った。美川社長は雇用を守るという公約を崩さず、「全体としては温情主義」としながら、部課長の年俸制や学歴・性別を問わない実力主義を持ち込み、社内に熾烈な競争を組み込んだ。数年前まで人事部長を高校卒の女性が務めるなど、処遇は実績のみで判断された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2年で30%の目標に対し約35%のコスト削減を達成し50%以上削減の機種も4つあり、雇用を守りつつ年俸制・実力主義の競争を持ち込んだ",
                      "原文": "「3カ月後にプランをつくり、2年で30％のコスト削減をしよう」という目標を掲げたのですが、これは成功して、すでに今日までに約35％のコスト削減を実現しましたよ。（中略）温情主義の中で熾烈な競争があるということです。",
                      "source": "日経ビジネス 1998年5月11日号「編集長インタビュー 美川英二 横河電機社長」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "解雇をしないという縛りは、しかし恒久のものではなかった。工業計器の成熟と石油・ガス市況の変動は、その後も横河電機の収益を揺らし続けた。2003年、同社は国内15工場の閉鎖と希望退職を決め、1983年の北辰電機合併以来堅持してきた「人員削減をしない方針」をついに撤回した。出向と分社化で人を動かし続けた1990年代の綱渡りは、外部環境の圧力の前で、雇用維持の公約そのものの見直しへと行き着いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年に国内15工場の閉鎖と希望退職を決定し、1983年の北辰電機合併以来堅持した「人員削減をしない方針」を撤回した",
                      "原文": "2003年には15工場の閉鎖と希望退職の募集を決定し、1983年の北辰合併以来堅持した「人員削減をしない方針」を経営陣自らの判断で撤回した。",
                      "source": "横河電機100年史（横河電機, 2015）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "公約と実質のあいだで",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この判断の核心は、「雇用は守る」という公約を掲げたまま、解雇以外のあらゆる手段で人と原価を組み替えた点にある。出向専門の第2人事部、間接部門の分社化、ゼロ発想による人員圧縮、若手主導の原価削減——美川社長が用いた手法は、いずれも社員を会社の外へ押し出さずに、働く場と仕事の中身を作り替えるものであった。温情主義の看板と熾烈な社内競争とを同居させる綱渡りには、日本企業が終身雇用のもとで構造改革をどこまで進められるかという問いが凝縮していたとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、その両立は永続しなかった。1990年代の解雇なきリストラは35%のコスト削減という成果を挙げたが、市況の変動が続くなかで、横河電機は2003年に雇用維持の公約そのものを見直す選択へ踏み込む。公約を掲げて改革を貫くのか、公約自体を書き換えるのか——美川社長の路線は、雇用を守るという約束と競争力の確保という要請のあいだで、企業がどこまで踏みとどまれるかを映した一例といえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1998年5月11日号「編集長インタビュー 美川英二 横河電機社長」",
        "日経ビジネス 1994年4月11日号「美川英二氏［横河電機社長］人を動かすツボを熟知」",
        "日経ビジネス 1993年8月9・16日号「美川英二氏[横河電機]登場 本音でぶつかる豪傑、懸命のリストラ」",
        "日経ビジネス 1992年2月24日号「横河電機 余剰対策から人材共有へ 出向専門の第2人事部」",
        "横河電機100年史（横河電機, 2015）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-15"
    },
    {
      "slug": "hp-jv-dissolution-1999",
      "url": "/tse/6841/decisions/hp-jv-dissolution-1999/",
      "year": 1999,
      "month": 7,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "6841",
      "decision_id": "6841-hp-jv-dissolution-1999",
      "type": "divestiture",
      "title": "米HPとの36年合弁の解消と日本HP持分の売却",
      "subtitle": "「日米合弁の成功例」を、横河電機はなぜ600億円で手放したのか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "保有する日本HP株25%を米HPへ譲渡し合弁を解消",
      "ratio": null,
      "issue": "事業の選択と集中、投資財源の確保",
      "decider": "内田勲（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1999年、横河電機が米ヒューレット・パッカード（HP）との36年に及ぶ合弁を解消し、日本ヒューレット・パッカード株の保有分25%すべてを約600億円でHPへ売却した経営判断。日本HPは米HPの全額出資会社となり、横河は電子計測器という収益の柱を事実上失う一方、制御システムへの集中に向けた投資財源を得た。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1963年に横河51対HP49で設立したYHPは、定価販売の徹底など米国流の経営を取り入れて高収益に育った。だが1983年に横河の持分は25%へ後退し、技術・経営ノウハウを学ぶという当初の目的は終わり、横河は日本HPを純投資先とみなすようになっていた。高周波計測器で横河が独自展開を進めるにつれ、両社の競合も強まっていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "HPがコンピュータ事業と計測器事業への会社分割を進めるなか、100%子会社化を望むHPの申し出を横河が受け入れた。1999年7月7日に合弁解消を発表し、簿価14億円の持分を約600億円で譲渡した。年16億円の配当を36年間受け取ってきた計算とほぼ一致する価格であった。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "「長年の信義に応じた」という表向きの理由の裏で、横河は収益力・競合性・投資財源をしたたかに計算していた。年金・退職金の積立不足360億円や1999年3月期の連結赤字を抱え、ソリューション事業への転換にはまとまった資金が要った。合弁解消は電子計測器の柱を手放す代わりに、制御システム専業化への資金を確保する選択であった。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "6841",
          "name": "横河電機",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "工業計器最大手。日本HP株25%を保有し年16億円の配当を得ていたが、制御システムへの集中を模索"
          }
        },
        {
          "name": "米ヒューレット・パッカード（HP）",
          "role": "合弁相手・株式取得者",
          "at_deal": {
            "note": "コンピュータ事業と計測器事業への会社分割を進め、日本HPの100%子会社化を申し出た"
          }
        }
      ],
      "dates": {
        "reported": null,
        "announced": "1999-07",
        "agreed": null,
        "closed": null,
        "terminated": null
      },
      "breakdown": {
        "reason_type": "strategy",
        "summary": "HPの会社分割で合弁の前提が崩れる時機をとらえ、純投資先と化していた日本HP持分を高値で売却し、制御システムへの集中に向けた投資財源を確保した判断"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1963,
          "month": 9,
          "title": "米HPと横河51対49で合弁会社・横河ヒューレットパッカード（YHP）を設立"
        },
        {
          "year": 1980,
          "month": null,
          "title": "YHPが売上高465億円・経常利益率13%超の高収益に成長"
        },
        {
          "year": 1983,
          "month": 11,
          "title": "増資に伴い横河の持分が25%へ後退、純投資先とみなすように"
        },
        {
          "year": 1999,
          "month": 7,
          "title": "米HPとの合弁を解消し、日本HP持分25%を約600億円で売却",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 2002,
          "month": 10,
          "title": "安藤電気を約132億円で取得し通信向け計測器を強化"
        },
        {
          "year": 2003,
          "month": 3,
          "title": "国内15工場の閉鎖と希望退職を決定、人員削減をしない方針を撤回"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1999年3月期",
        "source": "横河電機 有価証券報告書（連結）",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "6841",
            "name": "横河電機",
            "fiscal_year": "1999年3月期（連結）",
            "president": "内田勲",
            "hq": "東京都武蔵野市",
            "sales": {
              "num": 2801,
              "unit": "億円"
            },
            "segments": [],
            "operating_profit": null,
            "ordinary_profit": null,
            "net_profit": {
              "num": -44,
              "unit": "億円"
            },
            "equity_ratio": null,
            "roe": null,
            "employees": null,
            "avg_salary": null
          }
        ]
      },
      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "成功した合弁が純投資先へ変わるまで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "横河電機と米ヒューレット・パッカードは、1963年に横河51対HP49の出資比率で横河ヒューレットパッカード（YHP）を設立した。8年に及ぶ交渉を経て成立したこの合弁は、定価販売の徹底や親会社依存の排除といったHP流の経営を取り入れて独自の文化を築き、1980年には売上高465億円・経常利益率13%超の高収益企業に育った。日米合弁の成功例として広く知られる存在となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1963年に横河51対HP49でYHPを設立し、1980年に売上高465億円・経常利益率13%超に成長した",
                      "原文": "1963年に横河電機は米ヒューレットパッカード（HP）との間で51対49の出資比率で合弁会社の横河ヒューレットパッカード（YHP）を設立するという戦略的決断を下し（中略）1980年には売上高465億円で経常利益率13%超という高収益合弁に成長を遂げて",
                      "source": "横河電機100年史（横河電機, 2015）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "しかし、合弁の性格は年を追って変わっていった。1983年に増資が行われ、横河の持分は51%から25%へ後退した。合弁を通じてHPの技術や経営ノウハウを学ぶという当初の役割は、すでに終わっていた。内田勲社長は、この時期以降、日本HPを純粋な投資先としてとらえてきたと打ち明けている。さらに、横河が高周波計測器の独自展開を進めたことで、日本HPとの競合はむしろ強まっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1983年に横河の持分が25%へ後退し、以後は日本HPを純投資先としてとらえ、高周波計測器で競合が強まった",
                      "原文": "「1983年に、それまでの横河51％、HP49％から）出資比率が変わって、持ち分が25％になってからは、日本HPを純粋な投資先としてとらえてきた」と内田社長は打ち明ける。（中略）逆に、横河は高周波計測器の独自展開を進めるなど、日本HPとの競合が強まっている。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "HPの会社分割という契機",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合弁解消のきっかけは、HP自身の大規模な事業再編にあった。HPは翌年早々にもコンピュータ事業と計測器事業へ会社を2分割する計画を進めており、これに合わせて各国の現地法人も分割する運びとなった。日本HPも例外ではなかった。ルイス・プラット会長は「100%子会社化によって、いま以上に意思決定の速度を高められる」と、合弁解消の理由を説明した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "HPはコンピュータ事業と計測器事業への会社2分割を進め、100%子会社化で意思決定速度を高める狙いだった",
                      "原文": "合弁解消の背景にはHPの大規模な会社分割がある。同社は来年早々にも、コンピューター事業と計測器事業に会社を2分割する。（中略）「100％子会社化によって、いま以上に意思決定の速度を高められる」とHPのルイス・プラット会長は合弁解消の理由を説明する。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "HPにとって、持分75%を保有していれば経営の主導権に問題はなかった。ただし重要な投資案件は事前に横河へ説明する必要があり、100%子会社化はその手続きも不要にする狙いを含んでいた。相手からの申し出という形をとりながら、合弁を続ける実質的な意味は日米の双方で薄れていた。横河にとっても、この機会は保有する持分の扱いを見直す好機であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "HPは持分75%で主導権を握っていたが、重要な投資案件は横河へ事前説明が必要で、100%化でその手続きも不要になる",
                      "原文": "HPが）株式75％を保有していれば、経営の主導権を握る上で何の問題もないのは確か。だが、重要な投資案件などは事前に横河電機側に説明する必要があった。今後はそうした手続きも不要になる」（寺澤正雄・日本HP社長）",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "簿価14億円の持分を600億円で",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1999年7月7日、横河電機とHPは36年間続いた合弁関係に終止符を打った。横河が保有する日本HP株25%のすべてを、HPが約600億円で買い取った。横河が持つ日本HP株の簿価はわずか14億円であり、これが年間16億円のキャッシュを生む超優良な投資物件であった。会見で内田勲社長は「長年の信義に応じ、HPの申し出を了解した」と語り、相手の申し出を受ける形の穏当な説明にとどめた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1999年7月7日に合弁を解消し、横河は簿価14億円の日本HP株25%を約600億円でHPへ売却した",
                      "原文": "両社の合弁企業である日本ヒューレット・パッカードの株式のうち、横河の保有分（25％）すべてをHPが600億円で買い取り（中略）横河が保有する日本HP株の簿価は14億円。これが年間16億円のカネを生み出すわけだから、超優良投資物件だったと言える。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "内田社長は「長年の信義に応じ、HPの申し出を了解した」と会見で語った",
                      "原文": "合弁解消を持ちかけられた横河の内田勲社長は会見の席で「長年の信義に応じ、HPの申し出を了解した」と語った。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "だが、穏当な言葉の裏で横河のドライな計算も働いていた。年間16億円の配当に合弁期間36年を掛けるとおよそ600億円となり、買収金額とほぼ一致する。パソコンの急速な価格低下などHPの将来の収益力には不安があり、内田社長は「今後、配当が30億円、40億円と増えていくとは考えにくい」とみていた。超優良物件を手放すこの一手には、売り手である横河のしたたかなソロバンがのぞいた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "年16億円の配当に36年を掛けると約600億円で買収額とほぼ一致し、HPの将来収益力への不安から配当増は見込みにくいと横河は判断した",
                      "原文": "横河の受け取ってきた年間配当額16億円にこれまでの合弁期間36年を掛け合わせると約600億円。買収金額とピッタリ一致する。（中略）「今後、配当が30億円、40億円と増えていくとは考えにくい」（内田社長）",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "まとまった資金と事業転換",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "横河が持分売却に踏み切った背景には、資金の必要も強くあった。同社の年金・退職金債務は360億円ほど積み立てが不足しており、1999年3月期の連結決算は40億円あまりの赤字に陥っていた。グループ企業の整理統合も避けられなかった。売却で得る資金は、こうした足元の負担に充てる原資となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "横河は年金・退職金債務の積立不足360億円を抱え、1999年3月期は40億円の連結赤字でグループ整理統合も避けられなかった",
                      "原文": "同社の年金・退職金債務は360億円ほど積み立てが不足している。99年3月期決算は40億円の連結赤字に陥り、グループ企業の整理統合も避けられない。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "資金は将来への投資にも向けられた。横河はそれまで培った制御・計測の技術を統合し、機器を単体で売るのではなく、システム全体を提供するソリューション・プロバイダーへの転換を掲げていた。その転換には多額の投資が要った。純投資先を高値で売って得た資金を、本業の再定義に振り向ける。HPからの申し出は、横河にとって渡りに船であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "横河は制御・計測技術を統合しシステム全体を提供するソリューション・プロバイダーを目指しており、その投資財源としてHPの申し出は渡りに船だった",
                      "原文": "同社はこれまでに培ってきた制御・計測技術を統合して、「メーカーの製造部門に対して、機器単体ではなく、システム全体を提供するソリューション・プロバイダーを目指す」（同社幹部）方針で、そのためには多額の投資が必要となる。HPからの申し出は横河にとって渡りに船だったと言える。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "計測器の柱を手放し、制御専業へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合弁解消によって、横河は収益源の柱であった電子計測器事業を事実上失った。祖業に連なるこの領域を手放したことは、会社の事業構成を大きく動かした。以後、横河はプラント向け制御システム事業への集中を鮮明にしていく。2002年にはNEC系列の安藤電気株を約132億円で取得して通信向け計測器の強化も試みたが、事業の主軸はあくまで制御システムに置かれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "合弁解消で横河は収益源の柱だった電子計測器事業を事実上失い、制御システムへの集中を進め、2002年に安藤電気株を約132億円で取得した",
                      "原文": "合弁解消の結果として横河電機は収益源の柱であった電子計測器事業を事実上失うという厳しい局面に追い込まれた。この事業喪失をきっかけに横河電機はプラント向け制御システム事業への経営資源の集中という方向に舵を切り、2002年にはNEC系列の安藤電気株式を約132億円で取得して",
                      "source": "横河電機100年史（横河電機, 2015）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "集中の流れは、その後の再編にも及んだ。2003年には国内15工場の閉鎖と希望退職を決め、1983年の北辰電機合併以来堅持してきた「人員削減をしない方針」を撤回した。2010年には残る計測器事業を子会社の横河計測へ移管し、本体を制御システム専業とした。1999年の合弁解消は、こうした選択と集中の連鎖の始まりとなり、100年を超える歴史を持つ横河にとって本業を再定義する構造転換の入口にあたった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年に15工場閉鎖と希望退職を決めて人員削減をしない方針を撤回、2010年に計測器事業を横河計測へ移管し本体を制御システム専業にした",
                      "原文": "2003年には15工場の閉鎖と希望退職の募集を決定し、1983年の北辰合併以来堅持した「人員削減をしない方針」を経営陣自らの判断で撤回した。（中略）2010年には計測器事業を子会社の横河計測に移管して本体を制御システム事業に純粋に特化させる組織再編を実行し",
                      "source": "横河電機100年史（横河電機, 2015）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "成功例を手放す冷静さ",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この判断の核心は、日米合弁の成功例という看板よりも、収益力・競合性・投資財源という実利をとった冷静さにある。年16億円を生む簿価14億円の超優良物件を、将来の配当が伸びにくいと見切って600億円で手放す。相手の会社分割という外的な契機を、横河は自社の事業転換の資金づくりへと転換したとみることができる。「信義に応じた」という穏当な言葉と、価格の緻密な計算とが同居する点に、この決断の性格がにじむ。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、電子計測器という祖業に連なる柱を失った代償は小さくなかった。合弁解消の翌年以降、横河は工場閉鎖や人員削減方針の撤回といった痛みを伴う再編へ進み、本業を制御システムへ絞り込む長い道のりをたどる。手にした資金が制御事業への集中を後押しした一方で、選択と集中がただちに果実を生んだわけではない。成功した合弁をどの時点で手放すか——横河の1999年の選択は、優良事業の売り時を冷静に見極めることの難しさと重みを示す一例といえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1999年7月19日号「HPとの合弁解消に横河流の計算」",
        "横河電機100年史（横河電機, 2015）",
        "横河電機 有価証券報告書（連結・沿革）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-15"
    }
  ]
}
