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    {
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      "year": 1989,
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      "title": "山水電気の英ポリーペックへの株式51%譲渡",
      "subtitle": "債務超過に陥ったオーディオ専業は、なぜ国内ではなく英国企業を選んだのか",
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      "status_label": "実施",
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          "name": "伊藤瞭介",
          "role": "山水電気 社長"
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1989年10月、債務超過に陥っていた山水電気が、英ポリーペック・インターナショナル（PPI）に第三者割当増資で株式の51%を割り当て、156億円の出資を受け入れた経営判断。外国企業が日本の上場企業を傘下に収めた稀な例として、内外の注目を集めた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "輸出比率の高い高級オーディオ専業は1985年の円高で採算が崩れ、1985年10月期から経常赤字、1988年10月期には債務超過に転落した。主幹事の大和証券は2年ほど提携先を探し、京セラ・東芝・パイオニアなど20社以上の名が取り沙汰されたが、国内では相手が決まらなかった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1989年10月27日に兜町のホテルで発表。PPIは第三者割当増資を引き受けて過半の51%を取得した。日米構造協議で日本市場の閉鎖性が問われていた時期にあたり、投資摩擦への批判をかわしたい通商産業省が仕組んだとする見方も広まった。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "買い手を選べる状況ではなく、資金を出す相手が国内にいなかったことがこの決断の実質にある。翌1990年9月にPPI自身が株価操作の疑いで取引を停止され事実上倒産したため、再建は2年で中断し、山水電気の株式は香港資本へ渡った。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
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          "name": "山水電気",
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            "note": "高級プリメインアンプを主力とするオーディオ専業。1988年10月期に債務超過"
          }
        },
        {
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          "name": "ポリーペック・インターナショナル（英国）",
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            "note": "アシル・ナディア氏が一代で築いた年商2,000億円規模の英複合企業"
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      "dates": {
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        "announced": "1989-10-27",
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        "summary": "債務超過と国内での相手不在という条件下で、過半の株式と引き換えに156億円の資本を外資から入れた救済型の資本提携"
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          "title": "売上高525億5,200万円で過去最高を記録"
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          "title": "円高により経常赤字に転落（以後、売上高は半分以下へ）"
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          "title": "1988年10月期で債務超過となる"
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        {
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          "title": "「京セラが買収」の報道で株価急騰、9月1日に出来高247万株のストップ高"
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        {
          "year": 1989,
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          "title": "英ポリーペックへ株式51%を割り当て、156億円の出資を受ける",
          "highlight": true
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        {
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          "title": "元東芝の稲宮達也氏が社長に就任し再建に着手"
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          "title": "PPIがロンドン株式市場で取引停止となり事実上倒産、山水株もストップ安"
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        {
          "year": 1991,
          "month": 12,
          "title": "稲宮氏が退任、株式は香港のグランデ・グループへ渡る"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1989年10月期",
        "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号／1990年10月22日号（単体・当時の誌面）",
        "companies": [
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            "stock_code": "6793",
            "name": "山水電気",
            "fiscal_year": "1989年10月期",
            "president": "伊藤瞭介",
            "hq": "東京都杉並区",
            "sales": {
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "円高が直撃した輸出専業の採算",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "山水電気は製品の大半を海外で売る会社だった。1966年に米国へ販売会社を置いて以来、輸出が事業の中心にあり、事典は製品の90%以上を日本国外で販売したと記す。この構造は円が安いあいだ強みとして働き、売上高は1984年10月期に525億5,200万円と過去最高に達した。ところが1985年9月のプラザ合意以降の円高で、海外で受け取る代金の円換算額だけが縮み、国内で払う人件費と部品代は変わらなかった。1985年10月期から経常赤字となり、その後の売上高は半分以下に落ち込んでいる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "円高前の1985年10月期から経常赤字に転落し、その後売上高は半分以下に落ち込んだ",
                      "原文": "1985年10月期から経常赤字となり、その後の売上高は半分以下に落ち込んでいる。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                    {
                      "fact": "年間売上高の最高は1984年10月期の525億5,200万円",
                      "原文": "この構造は円が安いあいだ強みとして働き、売上高は1984年10月期に525億5,200万円と過去最高に達した。",
                      "source": "東洋経済オンライン（2014年7月）「山水電気、『オーディオ御三家』の墓標」",
                      "url": "https://toyokeizai.net/articles/-/43074"
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                },
                {
                  "text": "商品の側にも逃げ場がなかった。会社は高級プリメインアンプで「音の山水」と呼ばれる評価を保っていたが、当時売れていたのは標準価格12万円前後のミニコンポである。国内営業本部マーケティング部長の河内八洲男氏は後年、それまでを「変なプライドがあった上にコストダウンを実現する力が弱かったので、結果としては高級品しか作れなかった」と語った。音質で評価される製品と、台数の出る製品が別のものになっていた。1988年10月期には債務超過に陥り、単独での立て直しは資金の面で難しくなった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "高級品しか作れなかった理由を「変なプライド」とコストダウン力の弱さに求める当事者の証言",
                      "原文": "国内営業本部マーケティング部長の河内八洲男氏は後年、それまでを「変なプライドがあった上にコストダウンを実現する力が弱かったので、結果としては高級品しか作れなかった」と語った。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年10月22日号「山水電気 “即決”新製品開発、総合家電で再建成るか」",
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                    {
                      "fact": "1988年10月期で債務超過となった",
                      "原文": "1988年10月期には債務超過に陥り、単独での立て直しは資金の面で難しくなった。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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            {
              "sub_title": "国内で決まらなかった身売り先",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "相手探しは2年に及んだ。主幹事の大和証券企業提携部は新聞に名の出た企業以外にも提携先を当たり、京セラ・東芝・パイオニア・ケンウッド・韓国の三星電子など20社以上が身売り先として取り沙汰された。1989年9月1日には「京セラが山水を買収」との報道で出来高247万株のストップ高がつき、伊藤瞭介社長が東証で会見して否定する場面もあった。同氏は「確かに数社と交渉したのは事実。中にはこちらからお断りしたケースもある」と認めている。国内の主だった企業に持ちかけたものの、いずれもまとまらなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "身売り先として京セラ・東芝・パイオニア・ケンウッド・韓国三星電子など20社以上の名が挙がり、主幹事の大和証券が2年ほど提携先を探した",
                      "原文": "主幹事の大和証券企業提携部は新聞に名の出た企業以外にも提携先を当たり、京セラ・東芝・パイオニア・ケンウッド・韓国の三星電子など20社以上が身売り先として取り沙汰された。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                },
                {
                  "text": "引き受け手が現れなかった事情は、山水電気だけの問題ではない。1985年以降の円高はオーディオ専業各社を等しく直撃し、御三家と並び称されたトリオはケンウッドと名を変えたのち携帯電話事業を主力に据え、三洋電機は音響部門を分社化している。専業の枠内で相手を探すかぎり、買い手の側にも余力がなかった。総合電機各社にとっては、成熟したオーディオ事業と債務超過の会社を同時に引き受ける理由が乏しい。主幹事の証券会社が2年かけてもトップ交渉に至らず立ち消えになった案件が続いたのは、値段の問題というより、買っても使い道が描けない資産だったためと考えられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "音響部門を分社化した三洋電機、携帯電話事業へ重心を移したケンウッドなど、AV各社が事業の選択と集中を迫られていた",
                      "原文": "1985年以降の円高はオーディオ専業各社を等しく直撃し、御三家と並び称されたトリオはケンウッドと名を変えたのち携帯電話事業を主力に据え、三洋電機は音響部門を分社化している。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月26日号「業界・大異動 21世紀の業界地図 AV」",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
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              "sub_title": "過半の株式と引き換えの156億円",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1989年10月27日、東京・兜町のホテルで資本提携が発表された。PPIは第三者割当増資を引き受けて株式の51%を取得し、出資額は156億円にのぼる。過半を渡す以上、これは提携ではなく買収である。会見には米ウォール・ストリート・ジャーナルをはじめ内外の記者が100人以上詰めかけた。ナディア会長は「日本の資本市場が外国の企業に開放されていないという神話はこれで崩れ去った」と述べ、伊藤社長も「PPIは人を大切にし、個性を尊重する会社で、われわれと経営理念がぴったり一致している」と応じた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1989年10月27日の会見で内外の記者100人以上が出席、PPIは株式51%を取得した",
                      "原文": "PPIは第三者割当増資を引き受けて株式の51%を取得し、出資額は156億円にのぼる。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                    {
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                      "原文": "ナディア会長は「日本の資本市場が外国の企業に開放されていないという神話はこれで崩れ去った」と述べ、伊藤社長も「PPIは人を大切にし、個性を尊重する会社で、われわれと経営理念がぴったり一致している」と応じた。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                },
                {
                  "text": "この提携には政府の関与を疑う見方がついて回った。ある大手証券幹部は、日本の投資障壁への海外の批判をかわす売り物件を探していた通産省が銀行・証券会社と連携して買収を仕組んだのではないかと語っている。発表当日は情報が事前に漏れ、朝のテレビが増資の期日と金額まで報じたため、午後2時調印・3時半発表の予定を朝7時半の調印に繰り上げた。夕刊各紙には一民間企業の提携を歓迎する通商産業大臣の談話まで載っている。ナディア会長は日本政府からの干渉を否定した。真相は確かめようがないものの、外資への傘下入りが当時の政府にとって好都合な材料だった点は複数の関係者が認めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "通産省が銀行・証券会社と連携して買収を仕組んだとする大手証券幹部の見方があった",
                      "原文": "ある大手証券幹部は、日本の投資障壁への海外の批判をかわす売り物件を探していた通産省が銀行・証券会社と連携して買収を仕組んだのではないかと語っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                    {
                      "fact": "情報漏れにより調印を朝7時半へ繰り上げ、夕刊各紙に通商産業大臣の歓迎談話が掲載された",
                      "原文": "夕刊各紙には一民間企業の提携を歓迎する通商産業大臣の談話まで載っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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            {
              "sub_title": "買い手の狙いをめぐる三つの見方",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "PPIが何を買ったのかについては、当時から見方が割れていた。ナディア会長自身は買収最大の利点として山水電気のブランド力を挙げている。第二に、山水電気が1984年6月に日本ビクターから取得したVHSビデオの製造ライセンスを目当てとする読みがあった。PPIはビクターに直接ライセンスを申し込んで断られており、山水電気を通じて間接的に参入する道が残されていたためである。第三に、値上がりした株式の転売益をねらったとする声もオーディオ業界にあった。会社側は転売説を否定し、発行する新株を主幹事の大和証券が保管する契約を結んだと説明している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ナディア会長は買収最大のメリットとして山水電気のブランド力を挙げた",
                      "原文": "ナディア会長自身は買収最大の利点として山水電気のブランド力を挙げている。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                    },
                    {
                      "fact": "山水電気は1984年6月に日本ビクターからVHSライセンスを取得しており、PPIはビクターへの直接申し込みを断られていた",
                      "原文": "PPIはビクターに直接ライセンスを申し込んで断られており、山水電気を通じて間接的に参入する道が残されていたためである。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                {
                  "text": "買い手の輪郭も、日本側からは見えにくかった。アシル・ナディア氏は一代で年商2,000数百億円の企業グループを築いた人物で、後に稲宮達也氏は「大変にキレる人物という感じだった」と評しつつ、「相当強引な商売もしてきたのかもしれない」とも振り返っている。交渉は1989年3月に始まり、7月7日には両社間で覚書を交わしていた。9月中に緊急記者会見を開く段取りもあったが、PPI側で米デルモンテの買収案件が持ち上がり、契約を履行できないと伝えてきたため延びたと、主幹事の大和証券企業提携部次長は説明している。同時並行で大型買収を重ねる相手の資金繰りを、日本側が確かめる手立てはなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "PPIとの交渉開始は1989年3月、7月7日に覚書を締結。9月の発表予定はPPI側のデルモンテ買収により延期された",
                      "原文": "交渉は1989年3月に始まり、7月7日には両社間で覚書を交わしていた。",
                      "source": "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
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                      "fact": "ナディア会長を「大変にキレる人物」「相当強引な商売もしてきたのかもしれない」と評した稲宮氏の証言",
                      "原文": "アシル・ナディア氏は一代で年商2,000数百億円の企業グループを築いた人物で、後に稲宮達也氏は「大変にキレる人物という感じだった」と評しつつ、「相当強引な商売もしてきたのかもしれない」とも振り返っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月3日号「稲宮達也氏［山水電気前社長］親会社PPI倒産の誤算」",
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                  "text": "再建の担い手は外から来た。東芝でテレビ・ビデオ・音響統括事業部長を務めた稲宮達也氏が1989年12月に副社長として着任し、1990年6月に社長へ就いた。稲宮氏は成果に応じて給与の差を広げ、同期入社でも2倍以上の開きがつく制度に変えた。品質管理も現場で指導し、営業の仕事の7割を占めていた不良品処理の原因を絶って不良発生率を約4分の1に下げている。1990年7月にはPPI傘下のケープトロニックとインペリアルの両グループを買収・統合し、同年9月には原宿でミニコンポなど20機種を発表して、初めて普及価格帯に商品を並べた。",
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                      "fact": "稲宮達也氏は1989年12月に副社長、1990年6月に社長へ就任した元東芝の音響事業責任者",
                      "原文": "東芝でテレビ・ビデオ・音響統括事業部長を務めた稲宮達也氏が1989年12月に副社長として着任し、1990年6月に社長へ就いた。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月3日号「稲宮達也氏［山水電気前社長］親会社PPI倒産の誤算」",
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                      "原文": "品質管理も現場で指導し、営業の仕事の7割を占めていた不良品処理の原因を絶って不良発生率を約4分の1に下げている。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月3日号「稲宮達也氏［山水電気前社長］親会社PPI倒産の誤算」",
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                {
                  "text": "1990年9月20日の夜、稲宮氏は自宅にかかってきた国際電話でPPIのロンドン株式市場での取引停止を知らされた。株価操作の疑いによるもので、9月25日には山水株も東証で514円のストップ安をつけている。PPIはやがて事実上の倒産に至った。稲宮氏は後に「敗因はこの誤算に尽きる」と語り、5年あれば再建できたが2年では無理で、やりたかったことの3割しか実行できなかったと述べている。PPIから株式を取得した香港のグランデ・グループから続投を求められたものの、親会社が代わった以上は退くのが筋として1991年12月19日付で会社を去った。",
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                      "fact": "1990年9月20日夜にPPIの取引停止が伝えられ、9月25日に山水株は514円のストップ安となった",
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                      "source": "日経ビジネス 1990年10月22日号「山水電気 “即決”新製品開発、総合家電で再建成るか」",
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                    },
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                      "原文": "PPIから株式を取得した香港のグランデ・グループから続投を求められたものの、親会社が代わった以上は退くのが筋として1991年12月19日付で会社を去った。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年2月3日号「稲宮達也氏［山水電気前社長］親会社PPI倒産の誤算」",
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              "sub_title": "買い手を選べない側が背負うもの",
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                  "text": "この決断を「外資に身売りした」と一言でくくると、判断の実質を取り逃がす。1988年10月期に債務超過となった会社に、国内で資金を出す相手はいなかった。大和証券が2年かけて20社以上を当たった末に残ったのが、日本の資本市場の開放を証明したい英国企業だったという順序である。伊藤瞭介社長の選択肢は、過半を渡して156億円を得るか、資金の当てのないまま自力で持ちこたえるかの二つしかない。前者を選んだこと自体は、当時の条件では合理的だった。誤算は買い手の側にあった。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、この提携には買い手の狙いが最後まで判然としないという弱点があった。ブランドか、VHSのライセンスか、株式の値上がり益か。三つの見方が並立したまま資本関係だけが先に固まり、販売方針はPPIから派遣された人物が握り、生産は台湾の関係会社が担った。稲宮氏は当時を「日本人が経営して、台湾人が作り、米国人が販売する」状態と表現し、全体を見通す人間が一人もいなかったと振り返っている。資本を入れた側の意図が定まらないまま組織だけが国際化したことが、再建の速度を落とした。救済を受ける側は相手を選べないが、相手が何を買ったつもりなのかを確かめないまま組織を委ねれば、親会社が健在であっても同じ停滞は起きたと考えられる。"
                },
                {
                  "text": "山水電気にとって、より重い帰結は資本の系譜が途切れなくなった点にある。PPIの破綻後、株式は香港のグランデ・グループへ渡り、さらにセミ＝テック・グループ、アカイホールディングスへと持ち主が移った。そのたびに社長が交代し、生産拠点も本店の所在地も動いた。1989年の判断は延命に成功した一方で、経営の連続性を外部の資本繰りに預ける形を作った。会社が最終的に手元へ残したのはSANSUIという名前だけであり、その名前も2000年には借金の担保として親会社側へ移っている。"
                },
                {
                  "text": "同時期の日本企業による海外買収の急増と比べれば、外国企業が日本の上場企業を傘下に収めた例はごく少ない。この案件が投資摩擦の文脈で異例の注目を集めたのはそのためである。ただし注目された理由と、会社が救われるかどうかは別の問題である。象徴として使われる案件ほど、当事者の事業がどう立て直されるかは後回しになりやすい。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1989年11月20日号「山水救済買収 流れる通産省演出説」",
        "日経ビジネス 1990年10月22日号「山水電気 “即決”新製品開発、総合家電で再建成るか」",
        "日経ビジネス 1992年2月3日号「稲宮達也氏［山水電気前社長］親会社PPI倒産の誤算」",
        "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【沿革】",
        "東洋経済オンライン（2014年7月）「山水電気、『オーディオ御三家』の墓標」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-25"
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      "title": "山水電気の福島工場閉鎖による自社生産からの撤退",
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          "text": "2001年、香港のグランデ・グループの資本参加を受けた山水電気が、10月に海外子会社3社の全株式を売却し、12月に福島工場を閉鎖して自社での生産をやめた経営判断。以後の会社は、ブランドの管理と資産の運用を主とする組織へ変わった。"
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          "text": "前年の2000年8月、親会社の香港アカイホールディングスが現地裁判所から清算の決定を受けた。支援に入ったグランデ・グループの融資は必要最小限にとどまり、山水電気は商標権と特許権を借金の担保として押さえられた。2000年12月期の売上高は20億円まで減る見込みで、本体の債務超過額は6月末で80億円に達していた。"
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          "text": "2001年10月にサンスイ・インターナショナル、エス・シー・アイ・シー、サンスイ・インダストリアル（チャイナ）の全株式を売却。11月にグランデ・グループの資本参加を受け、12月に福島工場を閉鎖した。翌2002年8月には同工場の土地建物も売却している。"
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          "text": "生産をやめた会社の売上高は2003年12月期の8億5,400万円を頂点に細り、2010年12月期には4,000万円、連結従業員は5人となった。ブランドは製品の名として残り、それを作る会社が先に消える形になった。"
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                  "text": "1990年に英ポリーペックが倒れたあと、山水電気の株式は香港資本の手に渡った。1992年6月にセミ＝テック・グループの資本参加を受け、のちに同じ系列のアカイホールディングスの傘下に入る。ところがこの親会社も拡大路線の末に行き詰まり、2000年8月に香港の裁判所から清算の決定を受けた。支援に入ったグランデ・グループは資本参加に二の足を踏み、融資も必要最小限にとどめている。同じ傘下の赤井電機は商標権をわずか10億円の融資と引き換えに手放し、同年11月に民事再生法の適用を申請した。",
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                      "原文": "ところがこの親会社も拡大路線の末に行き詰まり、2000年8月に香港の裁判所から清算の決定を受けた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年11月18日号「地盤沈下 香港資本の波間に沈没」",
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                      "原文": "同じ傘下の赤井電機は商標権をわずか10億円の融資と引き換えに手放し、同年11月に民事再生法の適用を申請した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年11月18日号「地盤沈下 香港資本の波間に沈没」",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "山水電気の立場も同じだった。商標権と特許権は借金の担保としてグランデに押さえられ、2000年12月期の売上高は20億円まで減る見込みとなり、本体の債務超過額は6月末で80億円に達していた。売上高の4倍にあたる債務超過である。1984年10月期に525億5,200万円を売り上げた会社が、15年あまりで25分の1の規模になっていた。週刊東洋経済は当時、山水電気について「すでに勝負はついているのかもしれない」と書いている。事業を続けるか否かではなく、何を残して何を手放すかだけが判断の余地として残った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "山水電気の商標権・特許権は借金の担保としてグランデに取り上げられ、2000年12月期の売上高見込みは20億円、債務超過額は6月末で80億円",
                      "原文": "商標権と特許権は借金の担保としてグランデに押さえられ、2000年12月期の売上高は20億円まで減る見込みとなり、本体の債務超過額は6月末で80億円に達していた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年11月18日号「地盤沈下 香港資本の波間に沈没」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "年間売上高の最高は1984年10月期の525億5,200万円",
                      "原文": "1984年10月期に525億5,200万円を売り上げた会社が、15年あまりで25分の1の規模になっていた。",
                      "source": "東洋経済オンライン（2014年7月）「山水電気、『オーディオ御三家』の墓標」",
                      "url": "https://toyokeizai.net/articles/-/43074"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "生産を担ってきた福島の位置づけ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "福島は山水電気の製造の中心だった。1972年3月に子会社の山水音響を吸収合併して福島事業所とし、1985年6月には同事業所の郡山工場を分離して郡山物流センターを置いた。1986年8月には福島・静岡の両生産事業所と郡山物流センターを子会社化し、福島サンスイ・静岡サンスイ・サンスイ物流サービスの3社を設けている。円高で採算が崩れた時期に、生産と物流を本体から切り離して固定費を軽くする組織の作り替えを進めた形になる。1995年4月には本店そのものを東京都府中市から福島県須賀川市へ移した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1972年3月に山水音響を吸収合併して福島事業所とし、1986年8月に生産事業所と物流センターを子会社化した",
                      "原文": "1986年8月には福島・静岡の両生産事業所と郡山物流センターを子会社化し、福島サンスイ・静岡サンスイ・サンスイ物流サービスの3社を設けている。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1995年4月に本店を東京都府中市から福島県須賀川市へ移転した",
                      "原文": "1995年4月には本店そのものを東京都府中市から福島県須賀川市へ移した。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方、香港資本の下では生産の場が海外へ移っていた。1993年1月に英領バージン諸島へサンスイ・インターナショナルを設立し、翌2月に香港・カオルーンへ支店を置く。1994年10月には香港にエス・シー・アイ・シーを設けた。1994年に社長を務めた津村哲男氏は、10期連続の赤字を前に「中国展開以外に存続の道はない」と語り、香港の現地資本と組んで映像機器の製造・販売に着手している。国内の工場と海外の生産網が併存する状態が続いたが、売上高の縮小に対して国内設備は明らかに大きすぎた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1993年1月にサンスイ・インターナショナル設立、2月に香港支店設置、1994年10月にエス・シー・アイ・シー設立",
                      "原文": "1993年1月に英領バージン諸島へサンスイ・インターナショナルを設立し、翌2月に香港・カオルーンへ支店を置く。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1994年時点で10期連続赤字にあり、津村哲男氏は中国展開以外に存続の道はないと述べた",
                      "原文": "1994年に社長を務めた津村哲男氏は、10期連続の赤字を前に「中国展開以外に存続の道はない」と語り、香港の現地資本と組んで映像機器の製造・販売に着手している。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年12月12日号「津村哲男氏［山水電気］香港人脈から中国へ、存続の道探る」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "海外子会社の売却と工場の閉鎖",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2001年10月、山水電気はサンスイ・インターナショナル、エス・シー・アイ・シー、サンスイ・インダストリアル（チャイナ）の3社について全株式を売却した。香港と中国に築いた生産・販売の拠点を、まとめて手放した判断である。翌11月にグランデ・グループの資本参加を受け、12月に福島工場を閉鎖した。海外の拠点を処分してから国内の工場を閉じる順序であり、生産機能を海外へ移すための閉鎖ではなかった。2002年8月には工場の土地建物も売却している。会社は製造そのものをやめた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2001年10月にサンスイ・インターナショナル、エス・シー・アイ・シー、サンスイ・インダストリアル（チャイナ）の全株式を売却した",
                      "原文": "2001年10月、山水電気はサンスイ・インターナショナル、エス・シー・アイ・シー、サンスイ・インダストリアル（チャイナ）の3社について全株式を売却した。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2001年11月にグランデ・グループの資本参加を受け、12月に福島工場を閉鎖、2002年8月に土地建物を売却した",
                      "原文": "翌11月にグランデ・グループの資本参加を受け、12月に福島工場を閉鎖した。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "資本と事業の整理は同時に進んだ。2001年12月期の連結売上高は1億9,745万円、経常損失は9億9,592万円である。一方で当期純利益は32億6,434万円を計上し、純資産は4,855万円と辛うじて正の値に戻った。営業の外側で生じた損益によって最終利益が立った期であり、事業の回復を示す数字ではない。総資産は4億8,104万円まで縮み、連結の従業員は12人となった。工場を閉じる判断は、この財務の整理と一体で行われている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2001年12月期の連結売上高1億9,745万円、経常損失9億9,592万円、当期純利益32億6,434万円、純資産4,855万円、総資産4億8,104万円",
                      "原文": "2001年12月期の連結売上高は1億9,745万円、経常損失は9億9,592万円である。",
                      "source": "有価証券報告書 第69期（2005年12月期）【主要な経営指標等の推移】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2001年12月期の連結従業員数は12人",
                      "原文": "総資産は4億8,104万円まで縮み、連結の従業員は12人となった。",
                      "source": "有価証券報告書 第69期（2005年12月期）【主要な経営指標等の推移】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "生産をやめた会社の十年",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "生産から離れた会社の規模は、そのまま小さくなった。連結売上高は2003年12月期の8億5,400万円が最も多く、2008年12月期に1億700万円、2010年12月期には4,000万円まで細っている。連結従業員数も2003年12月期の23人から2010年12月期の5人へ減った。2010年12月期の有価証券報告書は、音響・映像機器事業、アフターサービス事業、不動産賃貸事業のいずれにも従業員を記載せず、全社共通の5人だけを挙げている。事業の区分は残っていても、そこに人はいなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "連結売上高は2003年12月期8億5,400万円、2008年12月期1億700万円、2010年12月期4,000万円",
                      "原文": "連結売上高は2003年12月期の8億5,400万円が最も多く、2008年12月期に1億700万円、2010年12月期には4,000万円まで細っている。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【主要な経営指標等の推移】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2010年12月期の従業員は全社共通の5人のみで、各事業セグメントの従業員記載はない",
                      "原文": "2010年12月期の有価証券報告書は、音響・映像機器事業、アフターサービス事業、不動産賃貸事業のいずれにも従業員を記載せず、全社共通の5人だけを挙げている。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【従業員の状況】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "事業が縮む一方で、貸借対照表はしばらく厚みを保った。2005年12月期の純資産は95億5,800万円、総資産は102億7,300万円で、自己資本比率は93.0%に達している。2004年12月期に投資活動で79億2,992万円を支出し、財務活動で77億8,709万円を調達した動きがこの規模を作った。株主構成も香港側で固まる。2005年12月期の上位2社はバリカン・インベストメンツ19.98%とハイテック・プレシジョン・プロダクツ18.26%であり、2008年12月期以降は香港上海銀行がハイテック社の質権者として34.34%を保有した。株式そのものが担保として動く会社になっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2005年12月期の純資産95億5,800万円、総資産102億7,300万円、自己資本比率93.0%",
                      "原文": "2005年12月期の純資産は95億5,800万円、総資産は102億7,300万円で、自己資本比率は93.0%に達している。",
                      "source": "有価証券報告書 第69期（2005年12月期）【主要な経営指標等の推移】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2008年12月期以降、香港上海銀行がハイテック・プレシジョン社の質権者として34.34%を保有した",
                      "原文": "2005年12月期の上位2社はバリカン・インベストメンツ19.98%とハイテック・プレシジョン・プロダクツ18.26%であり、2008年12月期以降は香港上海銀行がハイテック社の質権者として34.34%を保有した。",
                      "source": "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）【大株主の状況】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "名前を担保に入れた会社に残された選択",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "工場を閉じる判断そのものは、この時点では避けようがなかった。売上高が20億円まで落ちた会社が、かつて500億円規模を支えた生産設備を維持できる道理はない。国内の工場と香港・中国の生産網を同時に抱える状態も、規模に対して重すぎた。海外子会社を先に売り、次に国内工場を閉じ、翌年その土地建物を処分するという順序は、資金を作る手順としては筋が通っている。責めるべき点があるとすれば、この整理が2001年まで持ち越された経緯のほうにある。"
                },
                {
                  "text": "より重い問題は、整理の順番ではなく、整理したあとに何が残るのかにあった。2000年の時点で商標権と特許権はすでに親会社側の担保に入っている。生産をやめれば、会社に残る価値はブランドの管理と保有資産の運用だけになるが、そのブランドを自由に使う権利は自社の手を離れていた。つまり山水電気は、自社の名前を他人から借りて商う立場になっている。以後の10年、売上高が1億円前後で推移しながら100億円規模の資産を抱えるという釣り合わない姿は、この構造の帰結として読める。"
                },
                {
                  "text": "2005年から2010年にかけての決算は、事業会社というより資産管理会社のそれに近い。自己資本比率は9割を超え、従業員は10人を割り、経常損益は毎期赤字が続いた。2012年4月2日に民事再生法の適用を申請したときの負債総額は2億4,765万円で、1984年10月期の売上高の200分の1にも満たない。2014年7月9日には破産手続開始の決定を受け、負債は約3億5,000万円だった。生産をやめた時点で、会社としての終わり方はほぼ決まっていたと考えられる。"
                },
                {
                  "text": "それでもSANSUIの名は残った。香港資本の下で製品ブランドとして使われつづけ、日本国内でも別の会社が同じ名前の家電を売っている。名前を作った会社が先に無くなり、名前だけが売り物として生き延びた。ブランドが資産だという言い方は正しいが、その資産を担保に入れたのち、ブランドは会社を守るものではなくなった。1989年に英ポリーペックが買収の最大の利点として挙げたのも、この会社のブランド力だった。買い手にとっての価値と、売り手にとっての支えは、同じものを指していながら最後まで一致しなかった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "有価証券報告書 第69期（2005年12月期）",
        "有価証券報告書 第74期（2010年12月期）",
        "週刊東洋経済 2000年11月18日号「地盤沈下 香港資本の波間に沈没」",
        "日経ビジネス 1994年12月12日号「津村哲男氏［山水電気］香港人脈から中国へ、存続の道探る」",
        "東洋経済オンライン（2014年7月）「山水電気、『オーディオ御三家』の墓標」",
        "帝国データバンク 倒産速報（山水電気株式会社）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-25"
    }
  ]
}
