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        "有価証券報告書（役員の状況）"
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      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
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    "name": "齋藤憲三",
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    "origin": "創業者（1935年創業）。アンゴラ兎の飼育などの事業を経て、東京工業大学で発明されたフェライトを工業化するために東京電気化学工業を設立した",
    "origin_type": "創業家",
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    "references": [
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        "source": "『創る TDKの全景』（1977年）",
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          "origin"
        ]
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      {
        "source": "『東京電気化学工業 成長力ナンバーワンの技術者集団』（1980年）",
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      {
        "source": "TDK 有価証券報告書 第129期（2025年3月期）【沿革】",
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          "career"
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        {
          "frame": "origin",
          "text": "秋田県の出身で、1922年に早稲田大学商学部を卒業して産業組合中央金庫に勤めた。1928年に退職してからは、郷里での炭焼きや養豚・養鶏、東京でのアンゴラ兎の飼育と、農家の副業になる事業を相次いで起こしたが、どれも定着しなかった。化学の素養は乏しく、フェライトとの接点は兎毛の静電気対策を相談した東京工業大学の研究室から生まれた。自己資金も乏しく、創業時の資本金2万円は不動産を担保にした借入金と先輩・友人の出資で集めた。"
        },
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          "text": "創業者であり、1935年12月の東京電気化学工業の設立とともに社長に就任した。加藤与五郎氏が通信機メーカーにフェライトを持ち込んでも、工業化の見通しが立たないとしてどこも応じなかった。齋藤憲三氏はその材料を事業として引き受け、加藤与五郎氏は特許を無償で提供した。社名は、東京工業大学電気化学科の研究室で生まれた技術を工業化するという趣旨から、学科名の文字をつないで付けた。"
        },
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          "text": "1937年7月に蒲田工場を完成させ、フェライトコアの販売を始めた。売上が社員の給与に届かない時期は、自転車灯などの副業と、秋田で起こした硫黄鉱山を鐘淵紡績へ売った代金で資金をつないだ。1940年9月には郷里の秋田県由利郡平沢町に平沢工場を完成させ、戦時の無線機向け需要を受けた。公職追放の対象となると全持株を社員に無償で分け、1947年に山崎貞一氏が後任の社長に就任した。"
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              "slug": "founding-1935",
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          "text": "齋藤憲三氏は秋田県の農村に生まれ、父は耕地整理や青年の実業教育を指導しながら衆議院議員として農業政策に携わった。1928年に産業組合中央金庫を退職したのちは、農家の副業になる事業を探してアンゴラ兎の飼育に取り組んだ。1934年9月には鐘淵紡績の大阪本社で社長の津田信吾氏に兎毛の有望性を説き、支援の約束を得た。ただ寄生虫による兎の大量死と共同経営者との対立から、この事業から撤退した。\n転機は兎毛の静電気対策の相談だった。紹介をたどって1935年7月に東京工業大学電気化学研究室の小泉勝永氏を訪ね、その勧めで同月末に加藤与五郎氏に面会した。日本は軽工業と重工業のどちらへ進むべきかと問うと、模倣ではなく日本で生まれた独創を工業にすべきだと返された。加藤与五郎氏が示したのは、武井武氏と開発しながら用途が定まらず、工業化の担い手がいなかったソフトフェライトである。齋藤憲三氏はこの材料の工業化に経営資源を集中すると決めた。\n1935年12月、東京市芝区で資本金2万円の東京電気化学工業を設立し、社長に就任した。社員は女子事務員を含めて3人で、設立の目的はフェライトの工業化だった。加藤与五郎氏は中間試験に返済を求めない10万円ほどの資金が要ると伝えていたが、設立から約10カ月は工場に着手できなかった。齋藤憲三氏は東京に滞在していた津田信吾氏を訪ねて10万円の借用を申し入れ、借用書なしで受け取った資金を資本に組み入れて資本金を12万円とした。\n1937年3月に鐘紡から素野福次郎氏を、翌1938年6月に加藤与五郎氏の門下の山崎貞一氏を迎え、1937年7月に完成した蒲田工場でフェライトコアを「オキサイド・コア」の名で売り出した。初年の販売は372個・1,297円にとどまり、自転車灯や砂鉄選鉱機などの副業で30人を超える社員の生計を支えた。齋藤憲三氏は1938年に鳥海山麓の硫黄鉱区を買い取って秋田実業で精錬を始め、1940年に鐘淵紡績へ25万円で売却して、給与の支払いにも窮した会社の資金を補った。同じ頃、素野福次郎氏が松下電器からラジオ用コアの大量注文を前受金つきで受け、その資金で同年9月に郷里の秋田県由利郡平沢町に平沢工場を完成させた。\n1942年に衆議院議員に当選した齋藤憲三氏は、敗戦後の1945年12月に議員を辞職した。翌1946年1月に公職追放令が出ると、全持株を社員に無償で分け、代表取締役の名義を山崎貞一氏に改めて会社の存続を図った。1947年には製塩や農作物などの副業を新設の新東産業に移して自らその代表となり、東京電気化学工業の経営は社長の山崎貞一氏に移った。創業者が持株を社員に譲渡したことで、同社はどの資本系列にも属さず、社員持株を土台にした会社として戦後を歩んだ。"
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