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  "decisions": [
    {
      "slug": "printer-business-origin-1964",
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      "year": 1964,
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        "pf-diversify-related",
        "st-tech",
        "st-brand"
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      "title": "東京オリンピックの計時用プリンターの事業化と、『EPSON』ブランドの制定",
      "subtitle": "時計部品の下請けが自分の名前で売るのか——五輪の印字装置から始まったプリンター事業",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
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      "issue": "時計技術の転用と自社ブランドの確立",
      "decider": "中村恒也（旧エプソン社長）・相澤進（同専務）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1964年10月の東京オリンピックで、セイコーは計時されたタイムを印字するミニプリンターを世界初の水晶式ポータブルプリンター「クリスタル・クロノメーター」として供給した。諏訪の時計部品メーカーはこの印字技術を時計と関係のない事務機の側へ持ち出し、1968年9月にミニプリンター事業を始め、1975年6月には『EPSON』を非時計分野のブランドとして制定した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "母体の信州精器は1961年12月、諏訪精工舎傘下の時計のパーツ工場として設立された会社であった。時計という極限の空間に多くの機能を組み込む精密加工技術が手元にあり、五輪の計時装置に付ける印字装置はその技術が生きる最初の場であった。中村恒也氏と相澤進氏が開発の主役を務めた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1969年11月に発売したミニプリンター「EP-101」は世界初の商品でシェアを独占し、電卓ブームに乗って世界首位を保った。部品供給のままでは完成品の陰に隠れるという判断から、SEIKOを使わずEPSONという別ブランドを立て、1978年12月にはコンピュータ用プリンター事業へ広げた。社名は「EP（Electric Printer）の息子（SON）」に由来する。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "1980年には信州精器がEPSONブランドのプリンターで世界の約7割のシェアを固め、売上高480億円に達した。時計を主業とする親会社の諏訪精工舎はグループの非時計比率が5割に届くのは時間の問題と読み、1985年11月には両社が合併してセイコーエプソンへ商号を変えた。下請け工場の副業が、社名そのものを書き替えた。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "name": "セイコーエプソン",
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            "note": "当時は諏訪精工舎（時計）とその傘下の信州精器（後のエプソン）に分かれ、プリンターは信州精器が担った"
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        }
      ],
      "dates": {
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        "announced": "1968-09",
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      "breakdown": {
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        "summary": "時計の極限的な精密加工技術を五輪の計時用プリンターへ転用したのを手がかりに、時計と無縁な事務機・情報機器へ用途を移し、SEIKOとは別のEPSONブランドと販売網を自前で立ち上げた判断"
      },
      "timeline": [
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          "title": "信州精器（後のエプソン）を時計のパーツ工場として設立"
        },
        {
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          "month": 10,
          "title": "東京オリンピックで世界初の水晶式ポータブルプリンター「クリスタル・クロノメーター」を供給"
        },
        {
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          "title": "ミニプリンター事業を開始",
          "highlight": true
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        {
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          "title": "ミニプリンター「EP-101」を発売"
        },
        {
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          "title": "『EPSON』を非時計分野のカンパニーブランドとして制定"
        },
        {
          "year": 1978,
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          "title": "コンピュータ用プリンター事業を開始"
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        {
          "year": 1980,
          "title": "信州精器のEPSONブランドがプリンターで世界の約7割のシェアを固める"
        },
        {
          "year": 1985,
          "month": 11,
          "title": "諏訪精工舎がエプソンを吸収合併しセイコーエプソンへ商号変更"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1979年4月期",
        "source": "日経ビジネス 1980年6月2日号「諏訪精工舎グループスタディ「技術本位」で刻むメカトロニクス経営」",
        "companies": [
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            "stock_code": "6724",
            "name": "諏訪精工舎",
            "fiscal_year": "1979年4月期（単独）",
            "president": "中村恒也",
            "hq": "長野県諏訪市",
            "sales": {
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "時計部品の会社と、五輪の印字装置",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1942年5月に長野県諏訪で時計部品の加工を目的に設立された有限会社大和工業は、1959年に第二精工舎諏訪工場から営業を譲り受けて諏訪精工舎となった。1961年12月にはその傘下に信州精器が設立された。時計のパーツ工場として出発した会社で、手元にあったのは、時計という極限の空間に数多くの機能を組み込む精密加工技術であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1942年5月に有限会社大和工業が時計部品加工を目的に設立され、1959年5月に第二精工舎諏訪工場より営業譲受して諏訪精工舎に商号変更、1961年12月に信州精器（後のエプソン）を設立した",
                      "原文": "1942年5月 時計部品の加工などを目的に有限会社大和工業を設立、ウオッチ事業開始。1959年5月 第二精工舎諏訪工場より営業譲受、有限会社諏訪精工舎に商号変更。1961年12月 信州精器株式会社（後のエプソン株式会社）を設立。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "エプソンの前身は1961年に諏訪精工舎傘下の時計のパーツ工場として設立された信州精器であり、そのルーツは時計という極限スペースに多くの機能を組み込む精密加工技術にあった",
                      "原文": "エプソンの前身は、昭和36年、諏訪精工舎傘下の時計のパーツ工場として設立された信州精器（昭和57年2月エプソンに社名変更）である。（中略）セイコーグループのパーツ工場としてスタートし、そのルーツは、当然ながら時計という極限スペースに数多くの機能を組み込んでいく精密加工技術があった。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "1964年の東京オリンピックで、セイコーはオフィシャルサプライヤーとして電池・水晶振動子・半導体で動くクオーツ時計を舞台に載せ、同時に計時されたタイムを素早く印字するミニプリンターを開発した。1964年10月に供給された世界初の水晶式ポータブルプリンター「クリスタル・クロノメーター」がそれで、開発の主役は中村恒也氏と相澤進氏であった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1964年10月、東京オリンピックで世界初の水晶式ポータブルプリンター「クリスタル・クロノメーター」を提供した",
                      "原文": "1964年10月 東京オリンピックで世界初の水晶式ポータブルプリンター『クリスタル・クロノメーター』を提供。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
                      "fact": "1964年の東京オリンピックでセイコーはオフィシャルサプライヤーとしてクオーツ時計を登場させ、同時に計時タイムを印字するミニプリンターを開発した。主役は中村恒也氏と相澤進氏であり、この計時機械のプリンター開発がエプソンの原点となった",
                      "原文": "しかし、エプソンストーリー、すべては昭和39年の東京オリンピックに始まったといっていい。この時にオフイシャルサプライヤーとしてセイコーは、時計史上最大の技術革新といわれるクオーツ時代、つまり電池、水晶振動子と半導体で動く電子時計を開発し、世紀の晴れ舞台に登場させた。そして同時にクオーツ時計で計時されたタイムを、敏速にプリントアウト（印字）するミニプリンタを開発していた。その主役が、のち信州精器でさらにプリンタの開発・商品化を手掛けることになる中村恒也（旧エプソン社長、現在セイコーエプソン副社長）であり相澤進（旧エプソン専務、現セイコーエプソン専務）の独創型開発者であった。それはともかく、東京五輪に使用された世界初の計時機械のプリンタ開発こそエプソンの原点である。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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            {
              "sub_title": "部品を作る限り、名前は表に出ない",
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                {
                  "text": "諏訪の会社が時計の外へ出る理由は、技術の面と商売の面の両方にあった。技術の側では、部品と材料の自製をたどるうちに幅広い分野の技術者が集まり、時計以外にも生きる蓄積ができていた。諏訪精工舎の中村恒也代表取締役は「メカトロニクスの可能性は大きい。日本楽器製造やキヤノンの例をみるように自社の技術が生きるなら、新しい分野へチャレンジするのが企業経営」と語っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "諏訪グループは部品・材料の内製化を進める過程で機械・電気・化学など幅広い分野の技術者を抱え、技術の蓄積を時計以外へ広げた。中村恒也代表取締役はメカトロニクスの可能性に触れ、自社の技術が生きるなら新分野へ挑むのが企業経営だと述べた",
                      "原文": "「メカトロニクスの可能性は大きい。日本楽器製造やキヤノンの例をみるように自社の技術が生きるなら、新しい分野へチャレンジするのが企業経営」（中村代表取締役）。（中略）部品、材料の内製化で役に立ったのはぜんまい時計の全盛時代から機械、電気、化学などの幅広い分野の技術者を採っていたことだった。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年6月2日号「諏訪精工舎グループスタディ「技術本位」で刻むメカトロニクス経営」",
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                {
                  "text": "商売の側の理由はもっと切実であった。ミニプリンターと液晶で一流の部品メーカーへ脱皮しても、部品を作る限りは完成品の陰に隠れ、EPSONという名前が客の目に触れることはない。ミニプリンターの商品化を手がけた時から、自社ブランド製品をエンドユーザーへ届けることが会社の悲願であったと、合併直後に書かれた同時代の記録は伝えている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ミニプリンタと液晶の成功で「時計部品メーカー」から「一流コンポーネントメーカー」へ脱皮したが、コンポーネント生産である限り完成品の陰に隠れ、EPSONというブランドは一般の目に見えないままだった。ミニプリンタの商品化時から自社ブランド製品をエンドユーザーへ届けることが悲願であった",
                      "原文": "ミニプリンタと液晶の成功でエプソンは「時計部品メーカー」から「一流コンポーネントメーカー」へと、脱皮した。しかし、コンポーネント生産である限り、どれほど技術を誇り、優秀な作品を作っても、所詮は完成品の陰にかくれてしまう。EPSONというブランドは一般の目に見えることはないままである。ミニプリンタの商品化を手がけた時から〝自社ブランド製品をエンドユーザーに〟を悲願としてきたエプソンである。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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        {
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          "label": "決断",
          "subsections": [
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              "sub_title": "計時装置の印字技術を事務機へ持ち出す",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1968年9月、信州精器はミニプリンター事業を始めた。翌1969年11月に発売した「EP-101」は世界初の商品で、当時のコンピュータや電卓の出力装置はブラウン管しかなく、しかも高価であったため需要は一気に広がった。相澤進専務は後年、これを「時計のパーツ屋が情報機器メーカーへと走り出した記念碑的商品」と呼んでいる。社名EPSONは、このEPの息子という意味であった。",
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                      "fact": "1968年9月にミニプリンター事業を開始した",
                      "原文": "1968年9月 ミニプリンター事業開始。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
                      "fact": "ミニプリンタ「EP-101」の発売は1969年11月。当時のコンピュータや電卓の出力装置はブラウン管しかなく高価だったため需要が一気に拡大し、世界初でシェアは100％だった。相澤進専務はこれを「時計のパーツ屋が情報機器メーカーへと走り出した記念碑的商品」と語り、EPSONの社名はEPの息子（SON）に由来する",
                      "原文": "このミニプリンタ〝EP（Electric Printer）-101〟の発売は44年11月。当時のコンピュータや電卓の出入装置はCRTC（ブラウン管デイスプレー）だけしかなく、とてつもなく高価格なだけに、需要は一気に拡大。なにしろ世界初の商品だけにシェアも100%。（中略）「時計のパーツ屋が情報機器メーカーへと走り出した記念碑的商品」（相澤進専務）ということだ。なお、エプソン（EPSON）という社名、ブランドは、このミニプリンタ、EPの息子（SON）というのが由来である。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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                },
                {
                  "text": "開発の作法として、一つの商品が伸びている間に次の分野を探るやり方が採られた。液晶表示体の開発と商品化はミニプリンターが市場を席巻する絶頂期に始動し、電卓や腕時計、各種ゲーム機へ用途を広げて世界首位のシェアを得た。中村恒也氏と相澤氏は「技術の成熟は、即市場の成熟を意味する」と述べ、クオーツ化が時計市場そのものを成熟させた経験をそこに重ねていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "液晶表示体の開発・商品化はミニプリンタが市場を席巻する絶頂期に始動した。「ひとつの商品が成長期にあるときに次の成長分野を探索し技術へシーズをまいておく」という開発スタンスで、中村恒也・相澤進の両氏は「技術の成熟は、即市場の成熟を意味する」と述べていた",
                      "原文": "エプソンが次にターゲットにしたのが液晶表示体、電卓の決算の記録やデジタル時計に使われているあれ、である。この開発・商品化はミニプリンタが市場を席巻する絶頂期に早くも始動した。このあたりが、エプソンの真骨頂である。つまり「ひとつの商品が成長期にあるときに次の成長分野を探索し技術へシーズをまいておく。そしてその新製品の開発時には、さらに次の機種の探索を終えておく」（相澤専務）という、技術の好循環を持続させるというか不断の開発スタンスだ。（中略）エプソンも「技術の成熟は、即市場の成熟を意味する」（中村恒也、相澤の両氏）と百も承知で",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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            },
            {
              "sub_title": "SEIKOを使わず、別のブランドを立てる",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1975年6月、『EPSON』が非時計分野のカンパニーブランドとして制定された。同年4月にはアメリカへ販売会社Epson Americaを設けている。1978年12月にはコンピュータ用プリンター事業を始め、その前段では会計事務所向けのオフィスコンピュータを独自ブランド第一号として送り出し、発売から1年でシェア40％を取った。時計を扱う服部セイコーとは別の販売網を自前で組む道であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1975年6月に『EPSON』を非時計分野のカンパニーブランドとして制定し、同年4月にはアメリカに販売会社Epson Americaを設立、1978年12月にコンピュータ用プリンター事業を開始した",
                      "原文": "1975年4月 アメリカに販売会社Epson America, Inc.を設立。1975年6月 『EPSON』を非時計分野のカンパニーブランドとして制定。1978年12月 コンピュータ用プリンター事業開始。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "独自ブランド製品の第一号は会計事務所用オフィスコンピュータで、1978年春の発売から1年後にシェア40％を取った。時計を扱う服部セイコーとは別に独自のEPSON販売網を築き、海外の販売拠点は19カ国に及んだ",
                      "原文": "独自ブランド製品の第一号となった会計事務所用オフコンである。53年春に発売されるや1年後にはシェア40%と大ヒット。（中略）この間、セイコーの諏訪グループにあって、非時計分野を一手に手がけることになったエプソンだけに時計をあつかう服部セイコーとは別に、独自のEPSONでブランド商品の販売ネットを構築しなければならなかった。それが今や国内の販売に当たるエプソン販売をはじめ、海外の販売拠点も19カ国を網羅する体制を作り上げている。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "ブランドを立てるだけでなく、売り方の狙いも他社と分けた。開発の方針は「模倣はしない」であり、大衆化と若者という二つの的に集約された。相澤氏は「プリンタや液晶表示体では世界のエプソンも、コンピュータ本体に関してはまったくの無名。他社と同じことをやっていては勝負にならない」と述べ、汎用機が常識だった市場に、あえて用途を限った専用機を並べた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "エプソンの開発方針は「模倣はしない」で、大衆化と若者を狙えという二大方針に集約された。相澤氏は「プリンタや液晶表示体では世界のエプソンも、コンピュータ本体に関してはまったくの無名。他社と同じことをやっていては勝負にならない」と述べ、汎用が常識の市場に特定用途向け製品を送り出した",
                      "原文": "しかし、ここでもエプソンの開発の方向は「模倣はしない」であり、それは〝大衆化〟と〝若者を狙え〟という二大方針に集約される。「プリンタや液晶表示体では世界のエプソンも、コンピュータ本体に関してはまったくの無名。他社と同じことをやっていては勝負にならない。（中略）」（相澤氏）ということで、エプソンは大型・小型を問わず汎用が常識だったコンピュータ市場に、あえて特定のユーザーに限定した製品を送り出した。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
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              "sub_title": "MP-80と、世界の7割",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1980年に発売したパソコン用ターミナルプリンター「MP-80」が、EPSONの名を決定づけた。開発者たちは「オーデイオのシステムコンポの発想をヒントに、コンピュータの周辺機器としてのプリンタを本体から離して単独の商品とした」と語り、この機種は日本で60％、世界市場でも40％のシェアを取った。国内外のパソコンメーカーからOEMの申し出が殺到した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1980年発売のパソコン用ターミナルプリンタMP-80は、オーディオのシステムコンポの発想からプリンタを本体から離して単独商品にしたもので、日本で60％、世界市場で40％のシェアを獲得し、国内外のパソコンメーカーからOEMの申し出が殺到した",
                      "原文": "そして〝世界のエプソン〟の名をさらに高めることになったのが、55年発売のパソコン用のターミナルプリンタMP-80であった。「オーデイオのシステムコンポの発想をヒントに、コンピュータの周辺機器としてのプリンタを本体から離して単独の商品とした。これが若者を中心に支持されたと思う」とエプソンの開発者たちは語ったが、その通り爆発的なヒットとなった。国内外の代表的パソコンメーカーからOEMの申し出が殺到し、ついに、このMP-80は日本で60%、世界市場でも40%のシェアを獲得したほどであった。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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                },
                {
                  "text": "1980年の時点で、信州精器は世界のSEIKOブランドを使わずにEPSONを確立し、そのプリンターで世界の約7割のシェアを固めていた。売上高480億円、従業員2,000人、プリンター生産量450万個という規模で、親会社の諏訪精工舎の売上高1,000億円のおよそ半分に届いていた。グループの売上高構成比はウオッチ63％に対し、ウオッチ以外が37％を占めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1980年時点で信州精器はSEIKOブランドを使わずEPSONブランドを確立し、プリンターで世界の70％のシェアを固めていた。信州精器は売上高480億円・従業員2,000人・プリンタ生産量450万個、諏訪精工舎は売上高1,000億円・従業員2,900人で、グループの売上高構成比はウオッチ63％・ウオッチ以外37％だった",
                      "原文": "信州精器では世界の「SEIKO」ブランドを使わずに「EPSON」ブランドを確立、EPSONのプリンターで世界の70%のシェアを確立するほか、液晶表示パネルやラインプリンターでも着々と市場を固めている。（中略）信州精器　代表者 中村恒也代表取締役／資本金 7億2900万円／売上高 480億円／従業員数 2000人／プリンタ生産量 450万個（54年）。諏訪精工舎　代表者 中村恒也代表取締役／資本金 9億円／売上高 1000億円（54.4）／従業員数 2,900人。拡ウオッチ戦略が進む諏訪グループ　ウオッチ 63（%）／ウオッチ以外 37（%）。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年6月2日号「諏訪精工舎グループスタディ「技術本位」で刻むメカトロニクス経営」",
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            },
            {
              "sub_title": "副業が社名を書き替えるまで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "伸び方の速さは、グループの主従をしだいに入れ替えていった。諏訪精工舎の中村恒也代表取締役は1980年に、コンピューター端末などメカトロニクスの伸びが時計を圧倒しているとして「拡ウオッチ分野のグループ全体の売り上げに占める比率が50％に達するのは時間の問題」と読んでいた。エプソンの売上高は1975年の282億円から1982年に1,000億円、1984年度には1,500億円を超えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中村恒也代表取締役は、メカトロニクス分野の伸びが圧倒的でグループ売上高に占める非時計分野の比率が50％に達するのは時間の問題だと述べていた",
                      "原文": "「メカトロニクス分野はコンピューター端末など成長分野。ウオッチが伸びていってもメカトロニクスの伸びは圧倒的だから、拡ウオッチ分野のグループ全体の売り上げに占める比率が50％に達するのは時間の問題」（中村代表取締役）と読んでいる。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年6月2日号「諏訪精工舎グループスタディ「技術本位」で刻むメカトロニクス経営」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "エプソンの売上高は1975年の282億円から1982年に1,000億円企業となり、1984年度には1,500億円を突破した",
                      "原文": "昭和50年には、282億円にすぎなかった売上高も、57年には1000億円企業の仲間入りを果たし、59年度には勇躍1500億円を突破して快走中である。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1985年11月、諏訪精工舎がエプソンを吸収合併し、セイコーエプソンへ商号を変えた。売上高約3,000億円・従業員約7,000人の会社である。合併には、独自ブランドと別の販売会社で突出したエプソンにブレーキをかける意味があったという見方も当時からあった。液晶カラーテレビでは諏訪グループとセイコー電子工業が同じ商品を別の名で売り合っており、新社名に落ち着くまでには曲折があったとも伝えられている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1985年11月にエプソン株式会社を吸収合併しセイコーエプソン株式会社へ商号変更した",
                      "原文": "1985年11月 エプソン株式会社を吸収合併し、セイコーエプソン株式会社に商号変更。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "合併後の売上高は約3,000億円・従業員約7,000人。合併には独自ブランドと別の販売会社で突出したエプソンにブレーキをかける狙いがあったという見方があり、液晶カラーテレビでは諏訪グループとセイコー電子工業が競合商品を出し合っていた。「セイコーエプソン」という新社名に落ち着くまでには曲折があったといわれた",
                      "原文": "そのプロフィールは、売上高は約3000億円。従業員数は約7000人という企業規模となる。（中略）いろいろな事情が取りざたされた。独自のブランドを使いセイコーとは別の販売会社まで設立して〝突出〟するエプソンにブレーキをかけるためだ、という見方もある。（中略）とくに、話題の新製品の液晶カラーTVの開発では、諏訪グループとセイコー電子工業がしのぎを削る競争を展開。いざ販売にあたっては、諏訪グループが「テレビアン」の名で系列のエプソン販売から独自に発売しているのに対し、服部セイコーも「マイチャンネル」の商品名で販売することになり完全な競合商品となってしまった。また精工舎が開発したパソコン用の小型フロッピーディスク（FDD）も、やはり諏訪グループと競合することになるなど、グループ内企業同士が真正面から競い合うという特異な状態を続けていたのだ。（中略）なんでも「セイコーエプソン」という新社名に落ち着くまでには曲折があったといわれている。",
                      "source": "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
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                    }
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            },
            {
              "sub_title": "副業を本業にできた条件",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "五輪の計時装置に付ける印字装置は、注文としては小さな仕事であった。それを時計と縁のない事務機の側へ持ち出し、EP-101という完成品にまで仕上げたところに、この判断の芯がある。中村恒也氏と相澤進氏が同じ技術で二つの市場を見ていたこと、そして時計の全盛期から機械・電気・化学の技術者を集めていたことが、転用を思いつきで終わらせずに事業へ組み立てられた条件であったとみられる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、ブランドを立てる決断は摩擦とひきかえであった。SEIKOを使わずEPSONの販売網を自前で組んだ結果、液晶カラーテレビでは諏訪グループとセイコー電子工業が同じ商品を別の名で売り合い、小型フロッピーディスクでも競合が生じた。1985年の合併にはその突出へブレーキをかける意味があったという見方も当時からあり、社名の綱引きにも曲折があったと伝えられている。自前のブランドを持つことは、親のグループとの距離を測り直す作業でもあったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "Decide（決断）3巻11号（あきばよしのぶ, サバイバル出版, 1986年2月）特集「変身セイコー」",
        "日経ビジネス 1980年6月2日号「諏訪精工舎グループスタディ「技術本位」で刻むメカトロニクス経営」",
        "週刊東洋経済 2005年4月23日号「トップの履歴書 「プリンタ開発の父」が独自技術に磨きをかける 花岡清二 セイコーエプソン社長」",
        "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
    },
    {
      "slug": "cfc-phaseout-1990",
      "url": "/tse/6724/decisions/cfc-phaseout-1990/",
      "year": 1990,
      "month": null,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "6724",
      "decision_id": "6724-cfc-phaseout-1990",
      "type": "strategy",
      "tags": [
        "tr-crisis",
        "st-tech"
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      "title": "規制の削減日程に先立つフロン全廃の決定と、外注企業を含む洗浄工程の切り替え",
      "subtitle": "自社の工場を直せば済むのか——200社の外注先にフロンレス洗浄装置を入れさせる費用は誰が負うのか",
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        {
          "label": "概要",
          "text": "1988年末、セイコーエプソンの中村恒也社長は1993年までにフロンの使用を止めると決めた。1987年に採択されたモントリオール議定書が定める削減日程よりも早い目標であった。同年12月に専従組織「フロンレス推進センター」を長野県茅野事業所に置き、1年後の1989年末には使用量をピークから半減させた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "半導体や液晶の歩留まりは洗浄の確かさに支えられ、人体に無害で洗浄力の高いフロンは精密部品の現場に広く行き渡っていた。コストが製品原価にさほど響かないため、フロン問題が持ち上がるまで全社の使用量さえ把握されていなかった。1988年度の使用実績は1,400トンにのぼった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "洗浄工程の必要性をTQCの手法で点検して6％、水切り乾燥をスピンドライヤーへ切り替えて26％、蒸散防止と回収の徹底で18％を削り、1年で半減にこぎつけた。もっともここで現場の管理による削減は限界に達し、代替技術の確立と、200社ほどある外注企業への導入という難所が残った。"
        },
        {
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          "text": "フロンレス洗浄装置は外注先の付加価値や生産性に直接は寄与せず、純水洗浄に必要な排水処理装置まで含めれば負担は重い。会社は機械メーカーと安価な洗浄機の共同開発に取り組み、自社の技術を公開する道を選んだ。1993年に全世界でのフロン全廃を達成し、30年後には環境性能が製品の売り文句になった。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
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          "name": "セイコーエプソン",
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          "at_deal": {
            "note": "眼鏡用レンズ・液晶パネル・時計部品・ディスクドライブ部品などの精密加工を抱え、洗浄工程でフロンを多用していた"
          }
        }
      ],
      "dates": {
        "reported": "1990-02",
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      "breakdown": {
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        "summary": "モントリオール議定書によってフロンが従来のペースで使えなくなれば製品の生産が止まるという読みから、規制の削減日程に先立って1993年までの全廃を決め、自社工場だけでなく200社規模の外注先の洗浄工程まで切り替えを広げた判断"
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      "timeline": [
        {
          "year": 1987,
          "title": "モントリオール議定書が採択され、日本でもフロンの段階的な生産削減が決まる"
        },
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          "title": "フロン使用実態を調べる社内調査委員会「フロンレス推進委員会」が発足"
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          "title": "中村恒也社長が1993年までの脱フロンを決定、フロンレス推進センターを設置",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 1989,
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          "title": "フロン使用量が年換算700トンへ、ピークの1,388トンから半減"
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          "title": "全世界でフロン全廃を達成"
        },
        {
          "year": 2020,
          "month": 4,
          "title": "小川恭範氏が社長に就任、環境性能を掲げてオフィス向けインクジェットの拡販を継続"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1991年3月期",
        "source": "日経ビジネス 1991年7月22日号「セイコーエプソン 商品企画から物流まで意思決定速め連携強化」",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "6724",
            "name": "セイコーエプソン",
            "fiscal_year": "1991年3月期（単独）",
            "president": "中村恒也",
            "hq": "長野県諏訪市",
            "sales": {
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        ]
      },
      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "エレクトロニクス産業は同時に洗浄産業であった",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "半導体や液晶といった電子部品の歩留まりは、洗浄の確かさに支えられている。洗浄の溶剤としては長くベンゼンやアルコールなどの引火性溶剤が使われたが爆発の危険があり、次に採り入れられたトリクロロエチレンなどの塩素系有機溶剤は吸入すると人体への影響が大きい。それらを一挙に解決する溶剤として、人体に無害で洗浄力の抜群なフロンが1960年代に登場していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "エレクトロニクス産業は同時に洗浄産業であり、半導体や液晶などの歩留まりは洗浄の確かさに支えられていた。引火性溶剤は爆発の危険、塩素系有機溶剤は吸入による人体への影響があり、それらを解決する溶剤として20年前に人体に無害で洗浄力抜群のフロンが登場した",
                      "原文": "セイコーエプソンのようなエレクトロニクス産業は同時に「洗浄産業」でもある。半導体や液晶などのエレクトロニクス部品の歩留まりは、洗浄の確かさによって支えられている。洗浄のための溶剤として、長らくベンゼンやアルコールなどの引火性溶剤が使われてきたが、爆発の危険がある。やがてトリクロロエチレンなどの塩素系有機溶剤が取り入れられたが、吸入すると人体への影響が大きい。それらの問題を一気に解決する溶剤として、20年前に人体に無害で洗浄力抜群のフロンが登場したわけだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    }
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                },
                {
                  "text": "1987年に採択されたモントリオール議定書で、日本でもフロンの段階的な生産削減が決まった。削減の日程は1986年の使用水準を上限とし、その80％、さらに50％へと絞っていくものであった。フロン問題が持ち上がるまで、同社の洗浄溶剤への関心は薄かった。万能な溶剤であり、コストも製品原価に響くほどではないため、全社でどれだけの量を使っているかさえ把握されていなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年採択のモントリオール議定書で日本でもフロンの段階的な生産削減が決まった。削減スケジュールは1986年レベルの871トンを上限とし、その80％の700トン、50％の435トンへ絞る内容だった",
                      "原文": "「87年に採択されたモントリオール議定書で、日本でもフロンの段階的な生産削減が実施されることが決まった。（中略）」（中略）モントリオール議定書の削減スケジュール／871（86年レベル）／700（86年レベルの80％）／435（86年レベルの50％）",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "フロン問題が持ち上がるまでセイコーエプソンの洗浄溶剤への関心は薄く、万能な溶剤でコスト的にも製品原価に大きく反映しないため、全社でどれだけの量を使用しているかさえ把握していなかった",
                      "原文": "もっとも、フロン問題が持ち上がるまで、セイコーエプソンの洗浄溶剤への関心は薄かった。フロンが万能な溶剤だったうえに、コスト的にも製品原価に大きく反映するほどではなかったので、全社でどれだけの量を使用しているかさえ把握していなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    }
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "量を数え直してから対策を組む",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1988年8月、フロンの使用実態を調べる社内調査委員会が動き出し、どの工程でどれだけ使っているかが初めて明らかになった。1988年度の全社の使用実績は1,400トンで、内訳は眼鏡用レンズなどの光学部門が約4割、液晶パネルなどの表示体部門が2割、時計部品やディスクドライブ部品などの精密部品部門が2割であった。使用量は1986年の871トンから2年で1.6倍に膨らんでいた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "フロンレス推進委員会の調査で、1988年度の全社使用実績1,400トンの内訳は光学（眼鏡用レンズ等）約4割、表示体（液晶パネル等）2割、精密部品（時計部品・ディスクドライブ部品等）2割と判明した。使用量は1986年871トン、1987年1,093トン、1988年1,388トンと推移していた",
                      "原文": "フロンレス推進委員会がどれだけの量のフロンをどの工程で使用しているか調査した結果、次のような事実が判明した。全社での88年度のフロン使用実績は1400トン。内訳は、光学（眼鏡用レンズ等）部門で約4割、表示体（液晶パネル等）部門で2割、精密部品（時計部品、ディスクドライブ部品等）部門で2割という具合。（中略）871／1093／1388／700",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
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                    }
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                },
                {
                  "text": "用途別に整理すると、水切り乾燥が62％、洗浄用が30％、その他が8％であった。光学と表示体の部門は水洗後に残る水滴をフロン蒸気とともに蒸散させる水切り乾燥に使い、精密部品の部門は錆止めの油脂を落とす洗浄そのものに使っていた。事業部ごとに用途が違えば対策と進み方も違ってくるため、各事業部が独自に動くより推進センターが標準化した技術を確立する道が選ばれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "用途別に整理すると水切り乾燥用62％、洗浄用30％、その他8％だった。光学・表示体部門は水洗後の水滴をフロン蒸気で蒸散させる水切り乾燥に、精密部品部門は錆止めの油脂の洗浄に使っており、各事業部が独自に対策するより推進センターが標準化した技術を確立する方が効率的とされた",
                      "原文": "フロン使用量を改めて用途別に整理してみると次のようになった。水切り乾燥用62％、洗浄用30％、その他8％——。（中略）光学、表示体部門では、主に「水切り乾燥」といって、水洗後に表面の水滴をフロン蒸気とともに一気に蒸散させるために使っている。一方、精密部品部門は、錆止めの油脂の洗浄そのものに使っている。つまり、各事業部によって脱フロン対策と進捗スピードは微妙に違ってくる。とはいっても、各事業部が独自の判断で対策を実施するよりも、推進センターが標準化した技術を確立し、それに沿って各事業部が脱フロンを進める方が効率的だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "規制の日程より早い1993年という期限",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1988年末、中村恒也社長は自ら1993年までの脱フロンを決めた。同年12月には生産技術本部内に脱フロン技術の収集と研究開発のための専従組織「フロンレス推進センター」を長野県茅野事業所に設け、専従者は6人であった。8月に始まった社内調査委員会はこのセンターを核に、すべての事業部を巻き込んで縦のラインで脱フロンを徹底させる対策組織へ改めて編成された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1988年末に中村恒也社長が自ら1993年までの脱フロンを決定し、同年12月に生産技術本部内へ専従組織「フロンレス推進センター」を設置した。センターは長野県茅野事業所に置かれ専従者は6人。1988年8月に始まったフロンレス推進委員会はセンターを核に全事業部を巻き込む対策組織へ再編成された",
                      "原文": "そこで、中村恒也社長自ら88年末に93年までの脱フロンを決定した。（中略）88 年12 月には、生産技術本部内に、冒頭で紹介した脱フロン技術の収集、研究開発のための専従組織「フロンレス推進センター」が設けられた。同時に、88 年8 月にスタートしたフロン使用実態に関する社内調査委員会「フロンレス推進委員会」を、推進センターを核に、すべての事業部を巻き込む脱フロン対策組織として再編成し、各事業部の縦のラインで脱フロンを徹底させることにした。（中略）セイコーエプソンの脱フロン技術の研究開発拠点「フロンレス推進センター」は、長野県茅野事業所に置かれている。（中略）この組織、専従者はわずか6 人。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "決めた理由は理想ではなく、生産を止めないことにあった。生産技術本部長の常務は、モントリオール議定書によって従来のペースでフロンを使えなくなると見込まれ、フロン使用から遠ざからない限り規制で製品の生産が妨げられかねないと語っている。中村社長も「このままではフロンが使えずに生産に支障が出るから、フロンを使うのはやめよう。そのために、全社的に取り組もう」と、決定の中身をそう説明した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "生産技術本部長の常務は、モントリオール議定書で従来のペースでフロンを使用できなくなると予想され、フロン使用から遠ざからない限り規制によって製品の生産が妨げられかねないと述べた。中村恒也社長は決定を「当たり前の企業行動をとっただけ」と表現した",
                      "原文": "「87年に採択されたモントリオール議定書で、日本でもフロンの段階的な生産削減が実施されることが決まった。この時点で、従来のようなペースでフロンを使用できなくなることが予想された。フロン使用から遠ざからない限り、フロン規制によって製品の生産が妨げられかねない。そこで、中村恒也社長自ら88年末に93年までの脱フロンを決定した」（中略）当たり前の企業行動をとっただけ。（中略）このままではフロンが使えずに生産に支障が出るから、フロンを使うのはやめよう。そのために、全社的に取り組もう——。こうした決定自体がどうしてそうユニークに映るのか。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "日経ビジネスは、環境問題への対応というより会社の存亡にかかわる緊急課題としてフロンレス推進をいち早く全社運動に仕立てたことが功を奏したとみている",
                      "原文": "要は、環境問題への対応というより、同社の存亡にかかわる緊急課題として、フロンレス推進をいち早く全社運動として展開したのが功を奏したようだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    }
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                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "1年で半減させた手と、そこで見えた限界",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "手当ては現場の点検から入った。洗浄工程で本当に洗浄する必要があるのかをTQCの手法で点検して1年で6％を削り、水切り乾燥については乾燥精度が粗くてもよいハードディスクなどを中心に高速回転の遠心力を使うスピンドライヤーへ切り替えて26％を削った。蒸散を防いで回収を徹底する管理改善で18％。1988年度に1,400トンだった使用量は、1989年末の月次を年換算すると700トンに落ちた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "洗浄工程の必要性をTQC手法で点検して1年で6％削減、水切り乾燥は乾燥精度が粗くてもよいハードディスクなどを中心にスピンドライヤーへ切り替えて26％削減、蒸散防止と回収徹底の管理改善で18％削減し、これらの措置でフロン使用は半減した",
                      "原文": "全社の洗浄工程で「本当に洗浄する必要があるのか」をTQC 手法で点検し、1 年で6% のフロン削減に成功した。水切り乾燥については、乾燥精度が粗くてもよいハードディスクなどを中心に、高速回転による遠心力を利用したスピンドライヤーという昔ながらの機械に切り替え、26% を削減した。また、フロンの蒸散を防ぎ、回収を徹底する管理改善活動でも18% が削減できた。こうした緊急避難的な措置だけで、フロン使用は半減したわけである。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1988年度のフロン使用量は1,400トン、1989年末の月次ベースを年換算すると700トンでピーク時の半分に低下した",
                      "原文": "同社の 88 年度のフロン使用量は 1400 トン。一方、89 年末の月次ベースの使用量を年換算すると 700 トン。ピーク時の半分に低下した。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
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                },
                {
                  "text": "ところが、そこで現場の管理による削減は限界に達した。1990年度中にさらに前年度から半減させ年間300トン台に持っていくには、推進センターの主導で代替技術を確立し製造ラインへ広げるほかなかった。仮に300トン体制ができても、プリント基板などの精密部品の油脂汚れを純水だけで落とすことはできず、試算では100トンから200トンほどは有機溶剤による洗浄に頼らざるを得なかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "TQC的な活動では限界に来ており、1990年度中にさらに前年度から半減して年間300トン台にするには推進センター主導の代替技術確立と製造ラインへの普及が必要だった。仮に年間300トン体制ができても、プリント基板などの精密部品の油脂汚れは純水だけでは落とせず、試算では100〜200トンは有機溶剤による洗浄に頼らざるを得なかった",
                      "原文": "だが、最早TQC 的な活動では限界に来ている。90 年度中に更に使用量を前年度から半減し、年間使用量300 トン台にもっていくためには、推進センター主導による抜本的なフロン洗浄代替技術の確立と製造ラインへの普及が求められている。（中略）仮に年間300 トン体制が確立できても、まだ難所がある。プリント基板などの精密部品の油脂による汚れを純水だけで完全に落とせるものではない。現在の試算では、どうしても、100 トンから200 トンほどは、有機溶剤による洗浄に頼らざるを得ない。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "200社の外注先と、費用の出どころ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "難所は自社の工場の外にあった。同社は200社ほどある外注企業にフロンレスの技術を入れさせる必要を抱えていた。国際世論にはフロンの生産規制にとどまらず、フロンを使って生産された工業製品の貿易制限を検討する動きすらあり、製品不買運動のような不測の事態を避けるには、すべての外注企業を巻き込んで進めるほかなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "200社ほどある外注企業にフロンレス技術をどう導入させるかが厄介な課題であった。国際世論にはフロン生産規制にとどまらずフロンを使用して生産された工業製品の貿易制限を検討する動きすらあり、製品不買運動などの不測の事態を予防するにはすべての外注企業を巻き込む必要があった",
                      "原文": "厄介なのは、200 社ほどある外注企業にどうやってフロンレス技術を導入させるかだ。国際世論には、単にフロン生産規制にとどまらず、フロンを使用して生産された工業製品の貿易制限を検討する動きすらある。製品不買運動などの不測の事態を予防するには、すべての外注企業を巻き込んで、脱フロン作戦を展開する必要がある。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
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                },
                {
                  "text": "費用の出どころが、そのまま難所であった。フロンレス洗浄装置は製品の付加価値や生産性の向上に直接は貢献せず、零細企業を含む松本や伊那谷の外注企業群に入れさせるのは容易でない。純水による洗浄には排水処理装置の併用が欠かせず、これも高額の新規投資を要した。推進センターは外部の機械メーカーと組んで安価な洗浄機械の共同開発に当たり、中村社長は自社の脱フロン技術を公開して他社の知恵も借りると述べた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "フロンレス洗浄装置は製品の付加価値アップや生産性の上昇に直接貢献しないため、零細企業を含む松本や伊那谷の外注企業群に導入させるのは容易ではなく、推進センターは外部の機械メーカーと組んで安価な洗浄機械の共同開発に取り組んだ。純水洗浄には排水処理装置の併用が不可欠で、これも高額の新規投資を必要とした",
                      "原文": "だが、製品の付加価値アップや生産性の上昇に直接貢献しないフロンレス洗浄装置を、零細企業を含む松本や伊那谷の外注企業群に導入させるのは容易ではない。そのため、推進センターでは外部の機械メーカーと組み、できるだけ安価な洗浄機械の共同開発に懸命だ。問題はまだある。フロン洗浄代替技術はほとんどが純水による洗浄を前提にしている。それには排水処理装置の併用が不可欠だ。だが、これまた高額の新規投資を必要とする。セイコーエプソンという大企業だけしか採用できない技術を開発したところで、脱フロン作戦は完結しないということだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "中村恒也社長は自社の努力だけでフロン使用をゼロにするのは不可能だとして、脱フロン技術を積極的に公開し他社からも知恵を借りたいと述べ、地球規模の問題では競争よりも協調が第一で本当の競争は製品開発で行うべきだと語った",
                      "原文": "だが、当社の努力だけでフロン使用をゼロにするのは不可能だ。わが社の脱フロン技術は積極的に公開していくので、ぜひ他社からもフロン問題に関する知恵をお借りしたい。こうした地球規模の問題に関しては、競争よりも協調第一。本当の競争は製品開発で行うべきだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
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                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "1993年の全廃と、30年後の売り文句",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "会社は1993年に全世界でフロン全廃を達成したと自ら記録している。環境の情報開示の面でも評価が続き、2003年と2004年の環境報告書賞では電機・精密機器の分野で優良賞に選ばれた。2004年の講評は、ビジョンと方向性が明確で環境保全の取り組みに独自性が感じられる点を挙げている。1988年末の決定は、20年近く残る枠組みへ育っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "セイコーエプソンは1980年代に「フロンレス宣言」を掲げ、1993年に全世界でフロン全廃を達成したと自社サイトに記している",
                      "原文": "フロンによるオゾン層破壊が問題になっていた1980年代には、世界に先駆けて「フロンレス宣言」を掲げ、1993年には全世界でフロン全廃を達成。",
                      "source": "セイコーエプソン「エネルギーとエプソン」（公式採用サイト）",
                      "url": "https://www.recruit.epson.jp/introduction/energy.html"
                    },
                    {
                      "fact": "2004年の第7回環境報告書賞で、電機・精密機器業界からセイコーエプソンが優良賞に選ばれた。ビジョンと方向性が明確で環境保全への取り組みに独自性が感じられる点が評価された",
                      "原文": "電機・精密機器業界からは、セイコーエプソン、シャープ、ダイキン工業の３社が選ばれた。この業界はレベルが高くつねに激戦となるが、セイコーエプソンはビジョンと方向性が明確であり環境保全に取り組む姿勢にオリジナリティが感じられた点が（中略）評価され優良賞となった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2004年5月15日号「第7回環境報告書賞発表 環境報告書賞／サステナビリティ報告書賞」",
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                },
                {
                  "text": "30年を経て、環境の負荷の低さは製品を売る言葉に変わった。2020年4月に社長へ就いた小川恭範氏は、オフィスで主流のレーザープリンターをインクジェットへ置き換える戦略の根拠として、消費電力の少なさと環境性能の高さを挙げた。ただ同じ場で「価格や大きさの面で顧客のニーズを満たすラインナップがまだ十分にそろっておらず、当初思い描いたように拡販できていない」とも認めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2020年4月に社長へ就いた小川恭範氏は、オフィス向けでレーザープリンターをインクジェットに置き換えて拡大する戦略の根拠として消費電力の少なさと環境性能の高さを挙げつつ、価格や大きさの面でラインナップが十分でなく当初思い描いたように拡販できていないと述べた",
                      "原文": "インクジェットはレーザープリンターよりも消費電力が少なく、環境性能が高い。プリントスピードも速く、メンテナンスの回数も減る。現状、価格や大きさの面で顧客のニーズを満たすラインナップがまだ十分にそろっておらず、当初思い描いたように拡販できていないが、ポテンシャルはある。",
                      "source": "週刊東洋経済 2020年6月20日号「トップに直撃 セイコーエプソン 社長 小川恭範 環境性能を売りにオフィス向け複合機を拡大」",
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              "sub_title": "先に決めた期限と、外へ回らない金",
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                {
                  "text": "1988年末に中村恒也社長が1993年という期限を決めたとき、動機は理想ではなく、フロンが使えなくなれば生産が止まるという読みであった。1,400トンの用途を数え直したら6割強が水切り乾燥で、洗わなくてもよい工程まで念には念を入れてフロンで洗っていた。実態の把握から始めて期限を規制より前に置いたのは、外から日程を決められる前に自分の日程で動くための手立てだったとみられる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、話が美談で終わらないのは、費用の出どころが最後まで解けなかったからである。自社の工場は1年で使用量を半減させたが、200社ほどの外注先にとってフロンレス洗浄装置は売上にも生産性にも効かない出費で、純水洗浄に要る排水処理装置まで含めれば負担はさらに重い。安価な洗浄機を機械メーカーと共同で開発し、技術を公開して他社の知恵も借りると述べたのは、一社では引き受けきれない費用を業界の側へ広げる算段でもあったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1990年2月12日号「セイコーエプソン フロン全廃へ 外注企業どう巻き込む？」",
        "週刊東洋経済 2004年5月15日号「第7回環境報告書賞発表 環境報告書賞／サステナビリティ報告書賞」",
        "週刊東洋経済 2020年6月20日号「トップに直撃 セイコーエプソン 社長 小川恭範 環境性能を売りにオフィス向け複合機を拡大」",
        "セイコーエプソン「エネルギーとエプソン」（公式採用サイト）",
        "日経ビジネス 1991年7月22日号「セイコーエプソン 商品企画から物流まで意思決定速め連携強化」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
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      "title": "東京証券取引所第一部への株式上場",
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          "text": "2003年6月24日、セイコーエプソンは東京証券取引所第一部に株式を上場した。サントリー、竹中工務店と並んで三大未上場企業とも呼ばれた会社が資本市場に出た判断で、公募価格2,600円を大幅に上回る3,690円の初値をつけた。上場の話は1987年に最初に持ち上がってから16年を経ていた。"
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          "label": "背景",
          "text": "1999年3月期の単独売上高は8,247億円、連結では約1兆500億円で、単独経常利益は523億円。売上規模なら石川島播磨重工業、利益額では京セラと並ぶ会社が非公開のままであった。海外での生産・販売が連結売上高の7割を超え、インクジェットプリンターをてこに年1,000億円以上の設備投資を続けていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "上場は2001年のITバブル崩壊で電子デバイス、とくに半導体事業が打撃を受けて一度断念され、リストラで仕切り直した末の再挑戦であった。2003年5月20日の発表時には市況を疑う声もあったが、幹事証券が三週間で回った国内外150の機関投資家はほぼ全員が参加した。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "市場は久々の大型銘柄を歓迎したが、時価総額の対売上倍率はキヤノンとリコーに及ばず、営業利益率の差も明快であった。上場の年度である2004年3月期は回復したものの、3年後の2006年3月期には4度の下方修正と当期純損失179億円が並んだ。資金の道と同時に、四半期ごとの評価が持ち込まれた。"
        }
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          "title": "最初の上場話が持ち上がるが、服部謙太郎氏と服部一郎氏の相次ぐ他界で立ち消え"
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          "title": "ITバブル崩壊で電子デバイスが打撃を受け、上場を一度断念"
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                  "text": "インクジェットプリンターで世界トップシェアを握りながら、セイコーエプソンは非公開のまま来た。1999年3月期の単独売上高は8,247億円、連結では約1兆500億円、単独の経常利益は523億円で、売上規模なら石川島播磨重工業、利益額では京セラと肩を並べていた。株式の約6割は、セイコーグループの創業家である服部一族が握っていた。",
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                      "原文": "インクジェットプリンターで世界トップシェアを握りながら非公開のままきた“最後の未上場の大物”セイコーエプソンが、ついに株式を上場する。同社の単独売上高は1999年3月期で8247億円、連結ベースで1兆500億円。単独の経常利益は523億円。売り上げ規模なら石川島播磨重工業、利益額では京セラと肩を並べる。（中略）セイコーグループの創業家で、今もエプソンの約60％の株を持つ服部一族",
                      "source": "日経ビジネス 1999年9月20日号「セイコーエプソン、ついに上場へ！ 2001年、東京・ニューヨーク同時も」",
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                  "text": "上場の話が最初に持ち上がったのは1987年、エプソンが日本で主流だったNECの98シリーズの互換パソコンに参入した年であった。しかし同じ年、グループ総帥の服部謙太郎氏とエプソン社長の服部一郎氏が相次いで他界し、話は立ち消えた。以来、創業一族の調整役はいなくなり、各社の社長もこの問題に口を閉ざした。自前の資本調達を望むエプソンに対し、服部家はセイコー以外のグループ企業の上場に消極的であった。",
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                      "原文": "自前の資本調達を望んできたエプソンに対し、これまで服部家側はセイコー以外のグループ企業の上場に消極的だった。最初にセイコーエプソンの上場が持ち上がったのは、エプソンが日本で主流だった「NEC 98シリーズ」の互換パソコンに参入した1987年。しかしこの年、奇しくもグループ総帥の服部謙太郎氏とエプソン社長だった服部一郎氏（謙太郎氏の従弟）が相次いで他界。バランスを失ったグループの中で、エプソンの上場話は立ち消えとなった。それ以来、創業一族の調整役はいなくなり、各社の社長もこの問題に口を閉ざした。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年9月20日号「セイコーエプソン、ついに上場へ！ 2001年、東京・ニューヨーク同時も」",
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                {
                  "text": "1999年に上場が現実味を帯びた理由として、日経ビジネスは三つを挙げた。メーンバンクの富士銀行と第一勧業銀行が金融統合で一つになること、故服部謙太郎氏の長男である純一氏が同年6月にセイコーインスツルメンツ社長へ就いたこと、そして情勢が整ったことである。前の二つはグループ内の力学をめぐる同誌の読み解きで、確かめられる事実は、1996年から安川英昭社長の指示でいつでも上場できる社内体制作りが進んでいたことであった。",
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                      "原文": "セイコーエプソン上場が現実のものとなったのには、3つの理由がある。1つは、セイコーグループのメーンバンクである富士銀行と第一勧業銀行が、金融大統合で1つになることだ。（中略）13年ぶりに創業家の服部一族からグループ企業のトップになる人物が現れたことも、上場を悲願としてきたエプソンには追い風になった。今年6月にセイコーインスツルメンツ（SII）社長に就任した、故服部謙太郎・元服部セイコー社長の長男、純一氏が、その人である。（中略）3つ目の理由は上場・公開への情勢が整ってきたことだ。セイコーエプソン自身はすでに96年から、安川英昭社長の指示のもと、いつでも上場できる社内体制作りを進めてきた。（中略）「（上場準備も）あとは市況次第」（草間三郎副社長）",
                      "source": "日経ビジネス 1999年9月20日号「セイコーエプソン、ついに上場へ！ 2001年、東京・ニューヨーク同時も」",
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                {
                  "text": "公開を視野に入れたのは、安川英昭氏が社長へ就いた1991年であった。インクジェットと携帯機器向けデバイスへの集中が実を結び、1990年代に売上は倍増した。ところがITバブルの崩壊が電子デバイス、とりわけ半導体事業を直撃し、2002年3月期の連結は当期純損失184億円に沈んで上場は一度断念された。2003年の上場は、リストラで仕切り直した末の再挑戦であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "公開を視野に入れたのは安川英昭氏が社長に就任した1991年で、インクジェット・携帯デバイスへの集中により1990年代に売上が倍増した。しかしITバブル崩壊が電子デバイスとくに半導体事業を直撃し2001年度に赤字転落して上場を一度断念、2003年はリストラで仕切り直した末の再挑戦だった",
                      "原文": "公開を視野に入れたのは安川英昭会長が社長に就任した１９９１年のこと。インクジェット、携帯デバイスへの集中が実を結び、９０年代に売り上げ倍増の大躍進を遂げた。ところがＩＴバブル崩壊が電子デバイス、とりわけ半導体事業を直撃。２００１年度に赤字に転落し、上場を一度断念した経緯がある。今回は、リストラで仕切り直しをした末の再チャレンジだった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年7月5日号「久々の大型銘柄登場 セイコーエプソン沸騰 市況回復の立役者となるか」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "2002年3月期の連結は売上高1兆2,741億円、経常利益193億円、親会社株主に帰属する当期純損失184億円であった",
                      "原文": "2002年3月期（連結）の売上高は1兆2,741億円、経常利益193億円、親会社株主に帰属する当期純損失184億円。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書（2002年3月期・連結）",
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                },
                {
                  "text": "2003年5月20日、上場が発表された。市況の悪い時期を疑う声も出たが、幹事証券を務めた日興シティグループ証券の林太郎氏は「三週間かけて国内外一五〇の機関投資家を回ったが、ほぼ全員が参加した」と振り返っている。6月24日、東証一部に上場。公募価格2,600円を大幅に上回る3,690円の初値がつき、草間三郎社長は「高く評価していただいた」と述べた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年5月20日の上場発表時には市況の悪さを疑う声もあったが、幹事の日興シティグループ証券の林太郎氏は三週間で国内外150の機関投資家を回りほぼ全員が参加したと述べた。6月24日に東証一部へ上場し、公募価格2,600円を大幅に上回る3,690円の初値をつけ、草間三郎社長は「高く評価していただいた」と語った",
                      "原文": "サントリー、竹中工務店と並び“三大未上場企業”とも称されたセイコーエプソンが６月２４日、東証一部に上場した。公募価格二六〇〇円を大幅に上回る三六九〇円の初値をつけ、「高く評価していただいた」（草間三郎社長）と経営陣は安堵の表情。（中略）幹事証券を務める日興シティグループ証券の林太郎エクイティ本部マネジングディレクターは「上場を発表した５月２０日時点は『どうしてこんなに市況が悪いときに？』という声もあった。しかし、しだいに『受け入れ体制十分』という感じに盛り上がり、三週間かけて国内外一五〇の機関投資家を回ったが、ほぼ全員が参加した」と振り返る。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年7月5日号「久々の大型銘柄登場 セイコーエプソン沸騰 市況回復の立役者となるか」",
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              "sub_title": "時計事業という難所",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "グループ内で先に解くべき問題は時計事業であった。服部純一セイコーインスツルメンツ社長は「特にカギになるのは、ウオッチ（時計）事業をどうするかという点だ。これさえ解決すれば、単独で上場してもらって構わない」と述べ、この難所を抜くのを待っていては資本の再編が進まないとして、時計事業の再編と資本の再編を同時に進める考えを示した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "服部純一SII社長は、上場のカギはウオッチ事業をどうするかで、それが解決すれば単独上場して構わないと述べた。時計事業の立て直しを待っていては資本の再編が進まないというジレンマから、時計事業の再編と資本の再編を同時並行で進める方針を示した",
                      "原文": "「上場そのものは株主から見ても結構なこと。ただ、これまではエプソン側から、グループ全体のリストラ（事業再構築）を言い出すわけにはいかなかった面がある。特にカギになるのは、ウオッチ（時計）事業をどうするかという点だ。これさえ解決すれば、単独で上場してもらって構わない」（中略）「従来、この“のどに刺さったとげ”を抜くことを最優先にと考えてきたが、これを待っていては資本の再編（エプソン上場）が進まないというジレンマがあった。だから、時計事業の再編と資本の再編を同時並行で進める。",
                      "source": "日経ビジネス 1999年9月20日号「セイコーエプソン、ついに上場へ！ 2001年、東京・ニューヨーク同時も」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "エプソンの側では、時計事業だけが環境やブランドといった全社戦略から切り離され、セイコーウオッチの指揮系統下に置かれていた。売上高に占める割合は3％にすぎず、2003年1月の中期経営計画「SE07」には時計事業への直接の言及がなかった。2001年に服部禮次郎会長がグループ各社から引退して以降、社内でも「聖域」だった時計事業の置き場を疑う声が出ていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "エプソンのウオッチ事業部だけは全社戦略から切り離されセイコーウオッチの指揮系統下にあり、中期計画SE07にも直接の言及がなかった。売上高に占める割合は3％で、上場時の投資家・アナリスト説明で最も問われるとみられた。2001年に服部禮次郎会長がグループ各社から引退して以降、社内でも「聖域」だったウオッチ事業の位置づけを問題視する声が出ていた",
                      "原文": "現在、ウオッチ事業部だけはエプソンの環境やブランドなどの全社戦略から切り離され、セイコーグループのウオッチの企画・販売を担当するセイコーウオッチ（東京都千代田区、三留勤社長）の指揮系統下にある。中期計画SE07 の中にも、ウオッチ事業について直接言及した部分はない。（中略）上場時の投資家・アナリストへの説明で、このウオッチ事業の位置づけが最も問われることは間違いない。売上高に占める割合は3 ％と微々たるものだが、全社の事業構想の中で浮いた存在であることは明白だからだ。2001 年に、エプソンを含めたセイコーグループ各社から創業家の服部禮次郎会長が引退して以来、エプソン社内でも「聖域」だったウオッチ事業の位置づけを問題視する声が出始めている。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "久々の大型銘柄と、突きつけられた比較",
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                {
                  "text": "市場は久々の大型銘柄を歓迎した。ある市場関係者は「NTTドコモ以来の玉」と呼び、一般投資家の新規資金も流れ込んだ。ただ技術立国の復活を重ねた願望の相場は長く続かず、上場の翌日には利益確定の売りで下げに転じた。時価総額の対売上倍率で見れば、精密の二強であるキヤノンとリコーには及ばなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "市場関係者は「NTTドコモ以来の玉」と歓迎し新規資金が流入したが、技術立国復活をなぞらえた願望相場は上場翌日に利益確定売りで下げに転じた。時価総額の対売上倍率はキヤノン、リコーに及ばなかった",
                      "原文": "ホッと胸をなで下ろしたのは証券関係者も同じで、知名度といい、人気といい、ある市場関係者は「ＮＴＴドコモ以来の玉」と歓迎する。（中略）時価総額の対売上倍率を見ると、精密二強のキヤノン、リコーには及ばない（表参照）。（中略）同社の姿に技術立国ニッポン復活をなぞらえた“願望相場”は、上場翌日には早くも利益確定の売りで下げに転じた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年7月5日号「久々の大型銘柄登場 セイコーエプソン沸騰 市況回復の立役者となるか」",
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                {
                  "text": "収益力の差はさらに明快であった。プリンターで競合するキヤノンが2003年度第1四半期に営業利益率16％を上げたのに対し、エプソンの営業利益率は2002年度で3.7％、2003年度は4.3％への改善を見込む水準であった。草間社長も「現状は最盛期の六割の回復にすぎない」と認め、2007年度に営業利益率7〜10％、2000年度の営業利益1,041億円の水準への復帰を目標に掲げた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "プリンターで競合するキヤノンは2003年度第1四半期に営業利益率16％を上げたのに対し、エプソンの営業利益率は2002年度3.7％、2003年度は4.3％への改善見込みだった。草間社長は「現状は最盛期の六割の回復にすぎない」と認め、2007年度に営業利益率7〜10％、2000年度の営業利益1,041億円の水準への復帰を掲げた",
                      "原文": "またプリンタで競合のキヤノンは０３年度の第１四半期に営業利益率一六％と驚異的な高収益を上げたが、エプソンの営業利益率は０２年度三・七％。今０３年度は四・三％への改善を見込むが、格差は否めない。草間社長も「現状は最盛期の六割の回復にすぎない」と認め、「０７年度には営業利益率七〜一〇％を目指す。２０００年度の営業利益一〇四一億円の水準に戻したい」と語る。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年7月5日号「久々の大型銘柄登場 セイコーエプソン沸騰 市況回復の立役者となるか」",
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              "sub_title": "上場が持ち込んだ時間の速さ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "上場の年度である2004年3月期の連結は、売上高1兆4,132億円・経常利益737億円・当期純利益380億円と回復した。ところが2006年3月期には1年で4度の業績予想の下方修正を重ね、半導体事業を中心に約450億円のリストラ損失を計上して当期純損失179億円に転落した。市場に出てから3年で、上場時に受けた評価は反転した。",
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                    {
                      "fact": "2004年3月期の連結は売上高1兆4,132億円、経常利益737億円、親会社株主に帰属する当期純利益380億円。2006年3月期の連結は売上高1兆5,495億円、営業利益258億円、当期純損失179億円だった",
                      "原文": "2004年3月期（連結）の売上高は1兆4,132億円、経常利益737億円、親会社株主に帰属する当期純利益380億円。2006年3月期（連結）の売上高は1兆5,495億円、営業利益258億円、当期純損失179億円。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書（2004年3月期・2006年3月期・連結）",
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                    {
                      "fact": "2006年3月期はこの1年間で4度の業績予想下方修正を行い、半導体事業を中心に約450億円のリストラ損失を計上して約180億円の最終赤字に転落した",
                      "原文": "発端は２００６年３月期。エプソンはこの１年間で、４度も業績予想を下方修正した。近年５％程度を保ってきた営業利益率は１・７％に急落。半導体事業を中心に約４５０億円のリストラ損失を計上し、約１８０億円の最終赤字に転落した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
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                },
                {
                  "text": "2007年には、一刻も早い業績回復を求める株式市場が改革の速さに不満を持っているようだと外から書かれた。役員報酬の一部は株価連動型へ改められ、残った役員も新たな中期計画を立てて再出発した。非公開のあいだは社内の時計で進められた事業の畳み替えが、上場後は四半期ごとの評価と並んで進む仕事へ変わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年3月に木村登志男副社長らが辞任し、残った役員は役員報酬の一部を株価連動型に変更したうえで新たな中期計画を策定して再出発した。一刻も早い業績回復を求める株式市場は改革のスピードに不満を持っているとみられた",
                      "原文": "花岡清二社長以下、残った役員も役員報酬の一部を株価連動型に変更したうえで、新たな中期計画を策定して再出発した。（中略）ただ、一刻も早い業績回復を求める株式市場は、そうした改革のスピードに不満を持っているようだ。（中略）エプソンがかつての強さを取り戻すには時間がかかる。マーケットからのプレッシャーを断ち切り、本格的な成長シナリオを打ち出せるか。",
                      "source": "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
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                  ]
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            },
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              "sub_title": "資本の再編を先に、時計を後に",
              "editorial": true,
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                {
                  "text": "服部一族が約6割の株を握り、年1,000億円を超える設備投資を銀行借り入れで支える。この組み合わせが、1996年から社内体制を整えてまで上場を求めた理由であったとみられる。「早く上場させてくれというエプソンからの催促は、日増しに強くなるばかりだった」という服部純一セイコーインスツルメンツ社長の言葉が示すのは、上場が資金調達の話であると同時に、グループの中で自分の投資を自分で決める権限の話でもあったことである。"
                },
                {
                  "text": "ただ、資本の再編を先に進めたぶん、時計事業の置き場は宙に浮いたまま残った。売上比3％の事業は中期経営計画「SE07」に言及がなく、上場時の投資家説明でその位置が最も問われる点であった。市場に出て3年目の2006年3月期には4度の下方修正と179億円の純損失が並び、事業の畳み替えを株価と四半期の評価に見られながら進める立場へ変わった。上場は資金の道を開くと同時に、使える時間の長さを縮めたといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1999年9月20日号「セイコーエプソン、ついに上場へ！ 2001年、東京・ニューヨーク同時も」",
        "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
        "週刊東洋経済 2003年7月5日号「久々の大型銘柄登場 セイコーエプソン沸騰 市況回復の立役者となるか」",
        "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
        "セイコーエプソン 有価証券報告書（2002年3月期・2004年3月期・2006年3月期・連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
    },
    {
      "slug": "device-business-retreat-2010",
      "url": "/tse/6724/decisions/device-business-retreat-2010/",
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      "decision_id": "6724-device-business-retreat-2010",
      "type": "divestiture",
      "tags": [
        "pf-focus",
        "pf-exit",
        "tr-restructuring"
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      "title": "電子デバイス事業の縮小と、中小型液晶ディスプレイ事業資産の譲渡",
      "subtitle": "世界で1位になれる事業だけを残すのか、部品と完成品の両輪を保つのか——8年をかけた電子デバイスの畳み方",
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        {
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          "text": "2003年1月、セイコーエプソンは中期経営計画「SE07」で電子デバイス事業の使命を置き替え、映像分野の完成品へ資源を集める方針を社内に示した。世界で1位か2位を取れない事業から手を引くという1990年代からの基準を、部品事業そのものに当てはめた判断であった。液晶ディスプレイの分社を経て、2010年4月に中小型液晶ディスプレイ事業資産の一部を譲渡するまでに8年を要した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1999年から2000年の通信・携帯電話ブームで、エプソンは小型液晶ディスプレイの世界シェア首位を握って急成長した。ITバブルの崩壊とともに業績は崩れ、2002年3月期の連結は経常利益193億円に対して当期純損失184億円に沈んだ。完成品を持たない部品事業は、市況と取引先の製品の売れ行きに収益を左右された。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "草間三郎社長は「これからは、コア（中核）技術に忠実に製品を作る。落下傘型の事業はやらない」と述べ、デバイス事業をプリンターやプロジェクターといった自社の完成品を支える役へ置き直した。基幹デバイスにならないものは縮小・撤退の対象とし、液晶ディスプレイは2004年10月に三洋電機との合弁として分社した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "縮小の途中でリーマン危機が重なり、2009年3月期に当期純損失1,113億円を計上した。中小型液晶は2010年4月に事業資産の一部を手放し、プリンティングがほぼ唯一の主柱に戻った。基準を掲げてから畳み終わるまでに要した8年が、部品と完成品を同時に抱えることの難しさを示している。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "6724",
          "name": "セイコーエプソン",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "プリンター・プロジェクター・液晶ディスプレイ・半導体・水晶デバイス・時計を抱える精密機器メーカー。2003年6月に東証一部へ上場"
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        "summary": "完成品を持たない部品事業が市況と取引先の売れ行きに収益を振り回される構造を断つため、1位か2位になれない事業から手を引く基準を電子デバイス事業そのものに当てはめ、分社と譲渡を重ねて中小型液晶から退いた判断"
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          "title": "液晶ディスプレイ事業を三洋エプソンイメージングデバイスとして分社"
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                  "text": "セイコーエプソンの多角化は、時計の技術から枝分かれして育った。クオーツ時計からは携帯電話などに使う計時用の水晶振動子が生まれ、デジタル時計からはパソコンや携帯電話向けの液晶ディスプレイ、そのコントローラー、カスタムLSIが生まれた。安川英昭会長は「時計という精密加工技術をルーツとするからこそ、インクジェットプリンターをはじめ数々の多角化事業を生み出せる」と説明していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "クオーツ時計からは計時用水晶振動子、デジタル時計からは液晶ディスプレイやコントローラー、カスタムLSIが生まれた。安川英昭会長は時計の精密加工技術をルーツとするからこそ多角化事業を生み出せると説明していた",
                      "原文": "従来、同社は「時計という精密加工技術をルーツとするからこそ、インクジェットプリンターをはじめ数々の多角化事業を生み出せる」（安川英昭会長）と説明していた。各種のデバイス事業はそうした多角化の中から生まれてきた。クオーツ時計からは携帯電話をはじめとする電子製品に使われる計時用の水晶振動子、デジタル時計からはパソコンや携帯電話用の液晶ディスプレーやそのコントローラー、カスタムLSI（大規模集積回路）などが生まれた。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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                },
                {
                  "text": "1999年から2000年にかけての通信・携帯電話ブームで、エプソンは小型液晶ディスプレイの世界シェア首位を握った。ところが2001年、ITバブルの崩壊とともに業績も崩れた。2002年3月期の連結は売上高1兆2,741億円・経常利益193億円に対して当期純損失184億円、2002年度上期は単独で29億円の経常赤字に沈んだ。同じ携帯電話向け液晶を持つシャープが同期に増収を確保したのに対し、エプソンは13％の減収であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1999〜2000年の通信・携帯電話ブームで小型液晶ディスプレイの世界シェア首位を握ったが、2001年のITバブル崩壊で業績が崩れた。2002年度上期は単独で29億円の経常赤字、シャープが電子デバイスで18％増収の一方エプソンは13％減収だった",
                      "原文": "1999 年から2000 年にかけて世界で沸き起こった通信・携帯電話ブーム。エプソンはその中で小型の液晶ディスプレーの世界シェアトップを握り、大躍進を遂げた。そして 2001 年、IT（情報技術）バブルの崩壊とともに業績も崩れた。（中略）上期、シャープの液晶の売り上げは前年の同期に比べて30 ％も増え、電子デバイス事業全体で見ても18 ％の増収を確保した。これに対し、エプソンのそれは13 ％の減収。この期、全社でも単独ベースで29億円の経常赤字に転落した。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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                      "原文": "2002年3月期（連結）の売上高は1兆2,741億円、経常利益193億円、親会社株主に帰属する当期純損失184億円。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書（2002年3月期・連結）",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1980年代、エプソンは時計事業から脱皮するためにエレクトロニクス分野へ手を広げた。しかしパソコンはNECとの互換機をめぐる訴訟で撤退に追い込まれ、フロッピーディスクドライブやハードディスクドライブ、大型液晶パネルはいずれも体力に勝る大手との価格競争に敗れた。この経験から、当時社長の安川英昭氏は世界で1位か2位のシェアを取れない事業から撤退する「ナンバーワン作戦」を掲げた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1980年代の多角化でパソコンはNECとの互換機訴訟で撤退、フロッピーディスクドライブ・HDD・大型液晶パネルは大手との価格競争に敗れた。この経験から安川英昭氏（当時社長）は1・2位のシェアを取れない事業から撤退する「ナンバーワン作戦」を推進した",
                      "原文": "当時、安川英昭会長（当時は社長）は世界で1・2 位のシェアを取ることができない事業からは撤退するという「ナンバーワン作戦」を強力に推進中だった。80 年代、エプソンはかつて同社の柱だった時計事業から脱皮するために、エレクトロニクス分野へ多角化を図った。しかし、NEC とパソコンの互換機を巡る訴訟でパソコンから撤退を余儀なくされたのと前後して、ダボハゼ的な多角化が大きな曲がり角に差しかかった。パソコン用のフロッピーディスクドライブ、ハードディスクドライブ（HDD）、大型液晶パネルなどに進出したものの、体力のある大手メーカーとの価格競争に敗れた。",
                      "source": "日経ビジネス 2002年4月8日号「セイコーエプソン プロジェクター用液晶パネル 1位になれないなら切る」",
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                {
                  "text": "基準は撤退の一本槍ではなかった。いま赤字でも将来1位を取れる見込みがあれば資源を集めるという裏側を持ち、10年間赤字を出していたプロジェクター用液晶パネルはこの側で残された。1994年にTFT部長となった大月康正氏は「近いうちに店じまいすることになるな」と覚悟して赴任したが、開発チームは1位を見込める製品として同パネルを選び出し、1995年に黒字へ転じた。",
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                      "fact": "ナンバーワン作戦には、いま赤字でも将来1位を取れる可能性のある事業には資源を集中するという裏側があった。10年赤字だったプロジェクター用液晶パネルが選ばれ、1995年に黒字化した。1994年にTFT部長となった大月康正氏は「近いうちに店じまいすることになるな」と覚悟して異動した",
                      "原文": "1994年にTFT（薄膜トランジスタ）部の部長に任命された大月康正氏（現常務半導体事業部長）は「近いうちに店じまいすることになるな」と覚悟を決めて異動の命令を受けたという。（中略）それまで10 年間も赤字を出し続けていた液晶プロジェクター用の液晶パネル事業は、まさに風前の灯火の事業かと思われた。だがこのナンバーワン作戦では、逆に今赤字でも、将来1 位を取れる可能性がある事業には経営資源を集中して積極的に取り組むことが求められる。（中略）その後も右肩上がりの成長を続け、95 年には黒字に転じた。",
                      "source": "日経ビジネス 2002年4月8日号「セイコーエプソン プロジェクター用液晶パネル 1位になれないなら切る」",
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                      "原文": "安川　先の見通しのないものをやめるだけです（笑）。当社でもかつて見通しのないものがたくさんありました。例えば、フロッピーディスクドライブやメモリーなどです。（中略）人材配置の方法の一つとして、私たちは撤退した事業からの人材はすべて、有力事業に、しかも優先的に配置しています。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年7月25日号「編集長インタビュー 安川英昭 セイコーエプソン社長 管理者層の意識改革こそ復活の源泉」",
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                  "text": "2001年4月に社長へ抜擢された草間三郎氏は、1990年代の急成長を演出した電子デバイス部門の出身であった。その本人が2003年1月末、社長就任後初の中期経営計画「SE07」を社内に発表し、自ら「デバイス戦略の180度の転換」と呼んだ方針を示した。計画は経営企画部門ではなく社内の技術者が中心となって取りまとめたもので、会社全体の見取り図を書き替える中身を含んでいた。",
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                      "fact": "電子デバイス部門を率いて1990年代の急成長を演出し2001年4月に社長へ抜擢された草間三郎氏が、2003年1月末に社長就任後初の中期経営計画「SE07」を社内発表し、自ら「デバイス戦略の180度の転換」と表現した。計画は社内の技術者が中心になって作られた",
                      "原文": "電子デバイス部門を率いて1990 年代後半のエプソンの急成長を演出し、2001 年4 月には社長に抜擢された草間三郎氏。その本人が、出身部門のミッション（使命）の大転換を宣言する。今年1 月末、エプソンは草間社長就任後初となる中期経営計画「SE07」を社内向けに発表する。経営企画部門ではなく、社内の技術者たちが中心となって作られた計画だ。この中で、草間社長自らが「デバイス戦略の180 度の転換」と表現するその方針が明らかになる。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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                {
                  "text": "転換の中身は、デバイス事業の使命の置き替えにあった。各種プリンターやビデオプロジェクターなど自社が独自の強みを持つ完成品を生み、その市場競争力を高める支えを主務とし、基幹デバイスにならないものは縮小・撤退の対象とする。草間社長は「これからは、コア（中核）技術に忠実に製品を作る。落下傘型の事業はやらない」と述べ、他社の製品戦略や市況に依存する事業へ過度に集中投資してきたことへの自戒をにじませた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "新しい中期計画は資源を映像分野に集中させ、電子デバイス事業はプリンターやプロジェクターなど自社が強みを持つ完成品の競争力を高めるサポートを主務とし、基幹デバイス以外は縮小・撤退とした。草間社長の「落下傘型はもうやらない」という言葉には、市況や他社製品戦略に依存する事業への過度な集中投資への自戒がにじんだ",
                      "原文": "「これからは、コア（中核）技術に忠実に製品を作る。落下傘型の事業はやらない」。（中略）新しい中期計画では、資源を映像分野に集中させる方針だ。そして電子デバイス事業は、インクジェットやレーザーなどの各種プリンター、ビデオプロジェクター、プロジェクションテレビなど、エプソンが独自の強みを持つ「完成品」を生み出し、その市場競争力を高めるためのサポートを主務とすることになる。従って既存の完成品の競争力を高めたり、全く新しい独自の製品開発につながったりといった「基幹デバイス」になるもの以外は縮小・撤退する。これが草間社長の結論だ。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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                {
                  "text": "畳み方は一括の売却ではなく、段階を踏む道を選んだ。2002年10月には、2000年に米テキサス・インスツルメンツから買収したばかりの液晶周辺ICの主力生産工場エプソン鳩ケ谷を閉鎖した。2004年10月には液晶ディスプレイ事業を三洋電機の中小型液晶部門と統合して三洋エプソンイメージングデバイスとして分社し、事業規模を約3,600億円へ広げた。2005年10月には水晶デバイス事業もエプソントヨコムとして分社した。",
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                    {
                      "fact": "2002年10月、2000年に米テキサス・インスツルメンツから買収した液晶周辺ICの主力生産工場エプソン鳩ケ谷を閉鎖した",
                      "原文": "一方エプソンは昨年10 月、2000 年に米テキサス・インスツルメンツから買収したばかりの液晶周辺IC の主力生産工場、エプソン鳩ケ谷（埼玉県鳩ケ谷市）を閉鎖した。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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                    {
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                      "原文": "2004年10月 液晶ディスプレイ事業を三洋エプソンイメージングデバイス株式会社として分社（三洋電機との合弁）。2005年10月 水晶デバイス事業をエプソントヨコム株式会社として分社。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
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                      "原文": "中小型液晶を有望事業と見定めたエプソンは０４年、高性能の低温ポリシリコンＴＦＴ液晶やデジカメ向けに強みを持つ三洋電機と自社の中小型液晶部門を統合。事業規模を約３６００億円まで拡大させた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
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                {
                  "text": "同時に、独自性を尊ぶ社内の文化にも手が入った。全事業所の施設管理を見直す過程で、車で5分とかからない距離にある富士見事業所と諏訪南事業所で、同じ半導体製造用クリーンルームの消費電力コストが2倍、管理・保守の人件費が30％違うことが判明した。本社の知的財産室は150人で、知財関連の法務スタッフを400人抱えるキヤノンとは比べようもなかった。草間社長は業務改革を全社に敷いた。",
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                    {
                      "fact": "車で5分もかからない同じ長野県富士見町内の富士見事業所と諏訪南事業所で、同じ半導体製造用クリーンルームの消費電力コストが2倍、管理・保守の人件費が30％も違っていた",
                      "原文": "液晶パネル用のドライバーIC やコントローラーを製造する富士見事業所と、ビデオプロジェクター用の高温ポリシリコンTFT（薄膜トランジスタ）液晶を製造する諏訪南事業所。車で5 分もかからない同じ長野県富士見町内の2 つの工場で、同じ半導体製造用クリーンルームの消費電力コストが 2 倍、管理・保守のための人件費が30 ％も違っていたのだ。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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                      "fact": "本社の知的財産室はスタッフ150人で、知財関連の法務スタッフが400人いるキヤノンとは比べものにならない規模だった",
                      "原文": "本社の知財室はスタッフ数150人。この人数では、すべての事業部の開発現場に入り込んで特許戦略を一緒に組み立てていくことができなかった。知財関連の法務スタッフが全社に400 人もいるキヤノンとは、比べものにならない貧弱さである。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
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              "sub_title": "失速と、外から書かれた「憂鬱」",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "基準は明快でも、畳む速さは市場に追いつかなかった。2006年3月期は1年のうちに4度も業績予想を下方修正し、5％前後を保っていた営業利益率は1.7％へ落ちた。半導体事業を中心に約450億円のリストラ損失を計上して当期純損失179億円に転落し、財務全般を取り仕切ってきた木村登志男副社長らが2006年3月に辞任した。2007年3月期も当期純損失71億円で、2期続けての赤字であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年3月期は1年で4度業績予想を下方修正し、5％程度を保ってきた営業利益率は1.7％へ急落。半導体事業を中心に約450億円のリストラ損失を計上して約180億円の最終赤字となり、木村登志男副社長らが2006年3月に辞任した",
                      "原文": "発端は２００６年３月期。エプソンはこの１年間で、４度も業績予想を下方修正した。近年５％程度を保ってきた営業利益率は１・７％に急落。半導体事業を中心に約４５０億円のリストラ損失を計上し、約１８０億円の最終赤字に転落した。これを受けてエプソンでは、財務全般を取り仕切ってきた木村登志男副社長らが昨年３月に辞任。",
                      "source": "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
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                    {
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                      "原文": "2006年3月期（連結）は売上高1兆5,495億円、営業利益258億円、当期純損失179億円。2007年3月期（連結）は売上高1兆4,160億円、営業利益503億円、当期純損失70億円。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書（2006年3月期・2007年3月期・連結）",
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                {
                  "text": "中小型液晶の単価は1年で約30％下がった。エプソンの中小型液晶の8割は携帯電話向けで、1990年代から築いた欧米大手キャリアとの太いつながりという強みが、価格の安い新興国向け端末の拡大によって裏目に出た。子会社のエプソンイメージングデバイスは2006年3月期に約90億円の営業赤字となり、2007年3月期の赤字は300億円近くに膨らむ見通しであった。週刊東洋経済はこの会社を「セイコーエプソンの憂鬱」と書いた。",
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                      "fact": "エプソンの中小型液晶の8割は携帯電話向けで、欧米大手キャリアとの関係という強みが新興国の安価端末拡大で裏目に出た。単価は1年で約30％下落し、エプソンイメージングデバイスは2006年3月期に約90億円の営業赤字、2007年3月期は300億円近い赤字が見込まれた",
                      "原文": "エプソンの子会社で中小型液晶を手掛けるエプソンイメージングデバイスは、０６年３月期に約９０億円の営業赤字に転落。０７年３月期は赤字が３００億円近くまで膨らみそうだ。（中略）エプソンの中小型液晶の８割は携帯電話向け。９０年代から、欧米の大手携帯電話キャリアと太いパイプを築いてきたためだ。しかし、最近はＢＲＩＣｓなど新興国で価格の安い端末が拡大。それに引きずられる形でエプソンの液晶の単価はこの１年間で約３０％下落。",
                      "source": "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
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            {
              "sub_title": "1,113億円の損失と、液晶の手放し",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2008年秋の金融危機が、途中の縮小に重なった。2009年3月期の連結は売上高1兆1,224億円へ縮み、営業損失16億円、当期純損失1,113億円を計上した。電子デバイス事業の減損が損失の中心で、統合以来もっとも重い赤字であった。2010年3月期も当期純損失197億円が続き、2010年4月にエプソンイメージングデバイスの中小型液晶ディスプレイ事業資産の一部を譲渡して、中小型液晶から実質的に退いた。",
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                    {
                      "fact": "2009年3月期の連結は売上高1兆1,224億円、営業損失16億円、当期純損失1,113億円。2010年3月期も当期純損失197億円だった",
                      "原文": "2009年3月期（連結）の売上高は1兆1,224億円、営業損失16億円、当期純損失1,113億円。2010年3月期（連結）の売上高は9,853億円、営業利益182億円、当期純損失197億円。",
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                    {
                      "fact": "2010年4月、エプソンイメージングデバイスから中小型液晶ディスプレイ事業資産の一部を譲渡した",
                      "原文": "2010年4月 エプソンイメージングデバイス株式会社の中小型液晶ディスプレイ事業資産の一部を譲渡。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "1位になれないなら切るという基準を掲げてから、液晶を手放すまでに8年が過ぎた。残ったプリンティングは2015年3月期に営業利益1,314億円・当期純利益1,125億円と最高益を更新し、収益はこの一本へ寄った。液晶を移した先のエプソンイメージングデバイスは2017年2月に吸収合併で解散し、四本柱の一角として抱えた中小型液晶の痕跡は社内から消えた。",
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                    {
                      "fact": "2015年3月期の連結（IFRS）は売上高1兆863億円、営業利益1,314億円、親会社株主に帰属する当期純利益1,125億円で最高益を更新した",
                      "原文": "2015年3月期（連結・IFRS）の売上高は1兆863億円、営業利益1,314億円、親会社株主に帰属する当期純利益1,125億円。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書（2015年3月期・連結IFRS）",
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                    {
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                      "原文": "2017年2月 エプソンイメージングデバイス株式会社を吸収合併し解散。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
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                {
                  "text": "安川英昭氏が掲げた「1位か2位でなければ手を引く」という基準は、10年赤字だったプロジェクター用液晶パネルを残して世界首位へ育てた実績を持っていた。その同じ基準を部品事業そのものに当てはめたのが、草間三郎社長の「落下傘型の事業はやらない」という宣言であった。他社の売れ行きに収益を委ねる事業を主柱から降ろすほかないと踏んだのは、完成品を持つシャープとの業績差が目の前にあったからだとみられる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、宣言から液晶を手放すまでの8年に、会社は2006年3月期の179億円、2009年3月期の1,113億円という損失を重ねた。分社という畳み方は雇用と技術を外に置いたまま残すぶん、赤字も抱えたまま歩む道であり、月単位で進む値崩れには追いつかなかった。基準を決めることと、決めた基準で実際に事業を切り離すことのあいだには、これだけの距離があったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 2002年4月8日号「セイコーエプソン プロジェクター用液晶パネル 1位になれないなら切る」",
        "日経ビジネス 2003年1月20日号「ケーススタディー セイコーエプソン デバイス戦略を大転換」",
        "週刊東洋経済 1998年7月25日号「編集長インタビュー 安川英昭 セイコーエプソン社長 管理者層の意識改革こそ復活の源泉」",
        "週刊東洋経済 2007年3月3日号「なぜ優等生企業は失速したか 薄れた差別化の優位 セイコーエプソンの憂鬱」",
        "セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期（2025年3月期）【沿革】",
        "セイコーエプソン 有価証券報告書（2002年3月期・2006年3月期・2007年3月期・2009年3月期・2010年3月期・2015年3月期）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
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    {
      "slug": "fiery-acquisition-2024",
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      "year": 2024,
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      "title": "初の大型買収——米Fiery社の子会社化とソフトウェアへの投資",
      "subtitle": "ハードで勝ってきた会社がソフトを買う——事務機に偏った事業構造を、上場来最大の買収で組み替えられるか",
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          "label": "概要",
          "text": "2024年9月、セイコーエプソンは米国の印刷ソフトウェア企業Fiery（ファイアリー）社を約845億円で完全子会社化すると発表した。2003年の上場以来で最大の買収で、売上高の約7割をプリンティング事業が占めるハード中心の会社が、弱点だったソフトウェアを外部から取り込む判断であった。12月に手続きを完了した。"
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          "label": "背景",
          "text": "エプソンの主力は家庭・オフィス向けのインクジェットプリンターで、円安下でも売上高は頭打ち、営業利益率は緩やかに低下していた。同業のキヤノンや富士フイルム、リコー、ブラザー工業が医療やデジタルなどで大型買収を重ね事業構造を変えてきたのに対し、エプソンの買収は合弁会社の子会社化や工場取得など小規模なものが中心だった。"
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          "label": "内容",
          "text": "Fiery社は、産業・デジタル印刷向けのDigital Front End（DFE）サーバーをはじめとするBtoBソフトウェアの独立系大手である。エプソンはインクジェットヘッドの外販などハードの商品力に強みを持つ一方、ソフトウェア開発が弱点で、自社製品の一部にFiery社のシステムを組み込んで購入してもいた。買収は、その弱みを内製で補い、成長を託す産業印刷へ広げる狙いを帯びていた。"
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          "text": "過去最大の買収でありながら、狙いについてエプソンからの発信は乏しく、競合からは戸惑いの声も上がった。買った資産をどう自社の印刷機や外販事業へ結び付け、プリンティング一本足の構造を実際に組み替えられるかは、統合の進み方に委ねられている。"
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      "parties": [
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      "dates": {
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        "summary": "プリンティング事業に偏り成長が頭打ちとなるなか、弱点のソフトウェアを外部から取り込んで産業印刷へ広げるべく、上場来最大となる約845億円の買収で事業構造の転換に踏み込んだ判断"
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          "title": "東京証券取引所第一部に上場"
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          "title": "Fiery社の持分取得を完了し特定子会社に異動（853億円）"
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              "sub_title": "プリンティングに偏った事業構造",
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                  "text": "セイコーエプソンは、インクジェットプリンターで世界首位を占める。売上高の約7割は印刷関連のプリンティング事業で、その大部分は家庭やオフィス向けのインクジェットプリンターが担い、残りが産業用の印刷関連であった。プリンティング以外にはプロジェクターや産業用ロボット、産業用水晶、時計などを持つが、稼ぎ頭は一貫してプリンターに偏っていた。エプソンの強みはインクジェット領域のハードウェアにあり、近年は基幹部品であるインクジェットヘッドの外販を急速に伸ばしていた。",
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                      "原文": "エプソンの売上高の約７割は、印刷関連のプリンティング事業が占める。大部分は家庭やオフィス向けのインクジェットプリンターで、残りが産業用印刷関連だ。（中略）エプソンはインクジェット領域でハードウェアの商品力に強みがある。近年は基幹部品であるインクジェットヘッドの外販を急速に伸ばしている。",
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                {
                  "text": "その主力事業は、成長の踊り場に差しかかっていた。2025年3月期の連結売上高は1兆3,629億円と円安に支えられて高い水準にあったが、営業利益は前期の970億円から2024年3月期に575億円へ落ち込むなど、収益は伸び悩んでいた。長い目で見れば業績は頭打ちで、営業利益率は緩やかな低下傾向にあった。プリンター需要の成熟が見え始めるなかで、一本足に近い事業構造をどう組み替えるかが問われていた。",
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                    {
                      "fact": "2025年3月期の連結売上高は1兆3,629億円。営業利益は前期970億円から2024年3月期に575億円へ落ち込むなど、長期では頭打ちで営業利益率は緩やかに低下していた",
                      "原文": "円安を追い風にエプソンの業績は堅調にみえるが、長い目で見ると頭打ちで営業利益率は緩やかな低下傾向にある。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2025年3月期の連結売上高は1兆3,629億円、営業利益751億円、親会社株主に帰属する当期純利益551億円（IFRS）。前期（2024年3月期）の営業利益は575億円だった",
                      "原文": "2025年3月期（連結・IFRS）の売上高は1兆3,629億円、営業利益751億円、親会社株主に帰属する当期純利益551億円。前期2024年3月期の売上高は1兆3,139億円、営業利益575億円。",
                      "source": "セイコーエプソン 有価証券報告書（2025年3月期・連結IFRS）",
                      "url": null
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            },
            {
              "sub_title": "大型買収に踏み込めなかった会社",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "エプソンは、事業構造を買収で大きく変えることに慎重な会社であった。同業のキヤノンや富士フイルム、リコー、ブラザー工業が、医療やデジタル、工作機械などの分野で大規模な買収も駆使して事業の構成を変えてきたのに対し、エプソンの買収は合弁会社の子会社化や業務提携先の取り込み、工場の取得といった小規模なものが中心だった。手元の技術を磨いて伸ばす自前主義が、長く同社の色であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "キヤノン・富士フイルム・リコー・ブラザー工業は医療・デジタル・工作機械などで大規模買収を駆使し事業構造を変えてきたが、エプソンの買収は合弁子会社化・提携先買収・工場取得など小規模が中心だった",
                      "原文": "同業のキヤノン、富士フイルム、リコー、ブラザー工業は、医療やデジタル、工作機械などで大規模買収も駆使して事業構造を変化させてきた。対照的にエプソンによる買収は、合弁会社の子会社化や業務提携先の買収、工場の取得など小規模なものが中心だった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
                      "url": null
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                },
                {
                  "text": "弱点は、ソフトウェアにあった。ハードの商品力で勝ってきた一方、ソフトウェアの開発は不得手で、エプソン製品のなかには一部の機能をFiery社のシステムに頼って購入しているものもあった。産業印刷やデジタル印刷の現場では、印刷機を制御し画像処理や色管理を担うソフトウェアが競争力を左右する。ハードだけでは届かない領域を埋めるには、外から力を借りる選択が現実味を帯びていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "エプソンはソフトウェア開発が弱点で、自社製品の一部はFiery社のシステムを購入して組み込んでいた。今回の買収にはシステムの弱みを補完する意味があった",
                      "原文": "一方でソフトウェアの開発は弱点だった。エプソン製品の中には、一部Ｆｉｅｒｙ社からシステムを購入しているものもある。今回の買収には、システムの弱みを補完する意味がある。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "上場来最大、約845億円の買収",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2024年9月19日、エプソンは米国の印刷ソフトウェア企業Fiery（ファイアリー）社を約845億円で完全子会社化すると発表した。Fiery社の全持分を、株主であるElectronics For Imaging社およびSiris Capital Group関連会社から取得する形で、買付総額は5億6870万ドルにのぼった。2003年の株式上場以来、エプソンにとって最大の買収案件であり、小規模な取り込みを重ねてきた同社が初めて放った大型の一手であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年9月19日、エプソンは約845億円で米Fiery社を買収すると発表した。インクジェットプリンター世界首位のエプソンにとって過去最大規模の買収だった",
                      "原文": "インクジェットプリンター世界首位のセイコーエプソンは９月１９日、約８４５億円を投じ米国のプリンター向けソフトウェアメーカー、Ｆｉｅｒｙ（ファイアリー）社を買収すると発表した。（中略）今回はエプソンにとって、過去最大規模の買収だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
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                    },
                    {
                      "fact": "買収金額は5億6870万ドル（約845億円）で、2003年の上場以来最大の買収案件。全持分をElectronics For Imaging社およびSiris Capital Group関連会社から取得する",
                      "原文": "セイコーエプソン、アメリカの印刷アプリ企業買収 845億円で",
                      "source": "日本経済新聞（2024年9月19日）「セイコーエプソン、アメリカの印刷アプリ企業買収 845億円で」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC190MB0Z10C24A9000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "買収の対象であるFiery社は、産業・デジタル印刷向けのDigital Front End（DFE）サーバーをはじめ、印刷を制御する包括的なBtoBソフトウェアとサービスを提供する独立系の大手であった。もとはElectronics For Imaging（EFI）の中核事業で、印刷データを処理し色を管理する頭脳にあたる部分を担う。ハードの外販に活路を求めてきたエプソンにとって、印刷機の価値を左右するソフトウェアを一括して手に入れる意味は大きかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "Fiery社は産業・デジタル印刷向けのDigital Front End（DFE）サーバー等の包括的なBtoBソフトウェア・サービスを提供する独立系大手プロバイダーである",
                      "原文": "Ｆｉｅｒｙ（ファイアリー）社を買収すると発表した。（中略）そうした中Ｆｉｅｒｙ社は、インクジェットや産業用印刷を伸ばそうとしている。この方向性はエプソンと一致する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
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            },
            {
              "sub_title": "産業印刷へ、ソフトを内に取り込む狙い",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "買収の背後には、成長を託す産業印刷への布石があった。エプソンはインクジェットのハードに強みを持ちながら、それを動かすソフトウェアを外部に依存する構図を抱えていた。Fiery社を取り込めば、自社の印刷機に自前のシステムを組み込み、家庭・オフィス向けに偏った収益源を産業領域へ広げる足がかりを得られる。会社は、Fiery社の既存のシステム外販を続けながら、産業領域を中心に自社製品への組み込みを進める方針を示した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "エプソンはFiery社のシステム外販を続けつつ、産業領域を中心に自社の印刷機にシステムを組み込んでいく方針を示した",
                      "原文": "今後は「Ｆｉｅｒｙ社の既存ビジネスであるシステム外販は続けながら、エプソンとしては産業領域を中心に自社の印刷機にシステムを組み込んでいく」（エプソン広報）と意気込む。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
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                    }
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                },
                {
                  "text": "もっとも、狙いの筋が通る一方で、危うさも同居していた。Fiery社は歴史的にトナーを使った印刷向けのシステムに強く、エプソンの主戦場であるインクジェット向けは日が浅い。しかもFiery社はエプソンの競合にもソフトを外販する立場にあり、顧客の一社に買われたことで、その外販をどう保つかという課題を抱えた。ハードとソフトを一つの傘に収める判断は、補完の利と、囲い込みが招く摩擦の両面を持っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "Fiery社は歴史的にトナー印刷向けシステムに強く、インクジェット向けは日が浅い。また競合にもソフトを外販してきたため、顧客の一社であるエプソンに買われたことで外販の維持が課題となった",
                      "原文": "ただしＦｉｅｒｙ社は、歴史的にトナーを使った印刷向けシステムに強みがあり、インクジェットは日が浅い。（中略）しかしＦｉｅｒｙ社は、顧客の１社であるエプソンに売却されることになった。Ｆｉｅｒｙ社は、社名・組織は既存の体制を維持する方針だが、顧客と競合する立場でソフト外販をどう伸ばしていくのか。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
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            }
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "完了した買収と、破られない沈黙",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "買収は予定どおり進み、2024年12月2日付でエプソンはFiery社の全持分の取得を完了した。為替の動きにより取得額は約853億円となり、Fiery社は特定子会社となって2025年3月期の第3四半期から連結業績に取り込まれた。手続きの面では、上場来最大の買収は滞りなく成立したといえる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年12月2日付でエプソンはFiery社の持分取得を完了し子会社化した。取得額は約853億円で、2025年3月期第3四半期から連結業績に取り込まれる",
                      "原文": "エプソン、米印刷ソフト企業の買収完了 853億円",
                      "source": "日本経済新聞（2024年12月3日）「エプソン、米印刷ソフト企業の買収完了 853億円」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC037GP0T01C24A2000000/"
                    },
                    {
                      "fact": "エプソンは2024年12月2日付でFiery, LLCの持分取得を完了し、特定子会社の異動を開示した",
                      "原文": "（開示事項の経過）Fiery, LLCの持分取得完了（子会社化）及び特定子会社の異動についてのお知らせ",
                      "source": "セイコーエプソン「（開示事項の経過）Fiery, LLCの持分取得完了（子会社化）及び特定子会社の異動についてのお知らせ」（2024年12月3日・適時開示）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "ところが、これほどの投資でありながら、狙いをめぐるエプソンの説明は乏しかった。プレスリリースは「戦略的ビジョンとハードウェアのリーダーシップを補完し、世界中のデジタル印刷の成長を加速させる」と述べるにとどまり、なぜインクジェット専業に近い同社がトナー印刷に強いFiery社を選んだのかは判然としなかった。競合他社からは、既存事業への影響は心配していないとしつつ、エプソンの狙いがわからないという戸惑いや驚きの声が上がった。買収の意味は、統合の進展とともに同社自らが語る言葉を待つほかなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "過去最大の買収にもかかわらずエプソンからの発信は乏しく、プレスリリースの定型的説明にとどまった。競合からは狙いがわからないとの困惑や驚きの声が上がった",
                      "原文": "やっと繰り出した大規模買収にもかかわらず、買収の狙いについてエプソンからの発信はほとんどない。プレスリリースで「戦略的ビジョンとハードウェアのリーダーシップを補完し、世界中のデジタル印刷の成長を加速させる」と説明するのみだ。（中略）競合他社からは「既存ビジネスへの影響は心配していないが、エプソンの狙いがわからない」と困惑や驚きの声が上がっている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
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                    }
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                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "事務機依存からの脱却という賭け",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この買収の核心は、ハードで勝ってきた会社が、弱点であるソフトウェアを外から一括して買い、産業印刷という成長領域へ舵を切ろうとした点にある。プリンティング事業に約7割を頼る構造は、円安が業績を押し上げるあいだは安泰に見えても、需要の成熟とともにいずれ重荷へ転じかねない。自前主義で小規模な取り込みを重ねてきた同社が、上場来最大の金額を投じて外部の頭脳を取りにいったのは、その構造を内側から組み替えようとする意思のあらわれとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "ただし、買った資産が期待どおりに働くかは、これからの統合にかかっている。トナー印刷に強いソフトを、インクジェットを軸とする自社の製品へどう溶け込ませるのか。競合にも外販してきたFiery社の中立性を保ちつつ、自社の強みへ引き寄せるという相反する要請をどう両立させるのか。過去最大の投資でありながら狙いを多く語らなかったことは、構想の周到さの裏返しとも、説明の準備が整わないままの前進とも読める。事務機依存からの脱却という賭けが実を結ぶかどうかは、エプソンが沈黙を破り、買収の意味を業績で示せるかにかかっている。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2024年10月26日号「初の大型買収でも“沈黙” 他社の困惑招くエプソン」",
        "セイコーエプソン「印刷プロセスのデジタル化をリードするFiery社を完全子会社化」（2024年9月19日・ニュースリリース）",
        "日本経済新聞（2024年9月19日）「セイコーエプソン、アメリカの印刷アプリ企業買収 845億円で」",
        "日本経済新聞（2024年12月3日）「エプソン、米印刷ソフト企業の買収完了 853億円」",
        "セイコーエプソン「（開示事項の経過）Fiery, LLCの持分取得完了（子会社化）及び特定子会社の異動についてのお知らせ」（2024年12月3日・適時開示）",
        "セイコーエプソン 有価証券報告書（2025年3月期・連結IFRS）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-16"
    }
  ]
}
