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      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
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    "name": "岩垂邦彦",
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    "kana": "いわだれ　くにひこ",
    "surname": "岩垂",
    "given_name": "邦彦",
    "origin": "創業者（1899年設立）。工部省で電話の保守を担い、渡米してエジソン社で働いたのち、大阪電燈の技師長を経てW.E.社の日本代理店を営んだ。W.E.社との合弁で日本電気を興し、社長を置かない体制の専務取締役として27年経営を率いた",
    "origin_type": "創業家",
    "milestone": "日本電気（現NEC）の創業者",
    "hometown": "福岡県企救郡篠崎村（現・北九州市）",
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      {
        "company": "日本電気",
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            "date": "1898-09",
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    "references": [
      {
        "source": "日本電気『日本電気株式会社七十年史』（1972）「事業家としての岩垂邦彦」",
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          "career"
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          "career"
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      {
        "source": "NEC Integrated Report 2024",
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          "kana"
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          "text": "1857年8月、福岡県企救郡篠崎村の喜多家に二男として生まれ、7歳で岩垂家の養嗣子となった。1875年に上京して工部大学校に入り、1882年に電気を修めて卒業すると工部省に出仕し、渡来したばかりの電話の保守を受け持った。1886年に官を辞して渡米し、ニューヨークのエジソン社に見習技術者として入った。帰国後は大阪電燈の技師長を務め、1895年に同社を去ってからは大阪でG.E.社製品の輸入商を営み、W.E.社の日本代理店も兼ねた。"
        },
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          "text": "1897年暮れ、W.E.社は代理店の岩垂邦彦氏を仲介役に、沖商会との合弁を持ちかけた。条件をめぐる交渉は3カ月で決裂し、W.E.社には組める国内の電話機工場が残らなかった。岩垂邦彦氏は42歳で、工場経営をみずから担うと決めた。1898年9月に前田武四郎氏と日本電気合資会社を発足させ、1899年7月17日の株式会社への改組で専務取締役に就任した。社長の席は置かれず、岩垂邦彦氏が社長格として経営の首座にあった。",
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          "text": "株式会社の発足時、W.E.社が株式の54%を保有し、岩垂邦彦氏ら日本側が46%を保有した。工場には電話機1万個の生産目標を掲げたが、達成は1902年5月までずれ込んだ。1917年には三井物産が株主に加わり、同年末の持株比率はW.E.社50.9%、岩垂邦彦氏17.7%となった。1920年10月には住友とW.E.社の提携契約に日本電気を代表して署名し、増資新株のうち5%を住友電線製造所へ譲った。1926年12月に専務取締役を大畑源一郎氏へ譲り、新設の取締役会長に就任した。",
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          "text": "工部省で電話の保守を任された岩垂邦彦氏は、製機所が作る不完全な電話機の故障で高官から叱責を受け続け、電話という言葉を嫌うほどになった。渡米して入ったエジソン社では、働きながら米国流の工場管理と技術開発の進め方を身につけた。帰国して大阪電燈の技師長に就任すると、直流派の本拠に逆らって交流方式を採り、学界と業界から攻撃を受けた。やがて交流の発電設備と送電の安さが実証され、各地の電灯会社が後に続いた。この論争で岩垂邦彦氏の主張を唯一支持した技術者が、日本電燈で技師長を務めていた前田武四郎氏である。\nW.E.社と沖商会の提携を仲介した際、岩垂邦彦氏は国産の誇りを掲げる沖牙太郎氏に、技術を取り入れて早く西欧に追いつくべきだと説いた。交渉は沖牙太郎氏の度重なる条件の追加で打ち切られた。そのあと岩垂邦彦氏は前田武四郎氏に「自ら進んで工場の経営に当たり、W.E.社と共同して会社を興し、日本側として働くよりほかないと考えた」と語っている。\n参入には3つの壁があった。G.E.社とW.E.社の代理店を兼ねていたこと、逓信省の電話機入札に加わる資格を持たないこと、長く大阪にいて東京の業界に通じていないことである。岩垂邦彦氏はG.E.社の代理業から撤退し、入札の資格と販売は前田武四郎氏に託した。出資は岩垂邦彦氏が4万円、前田武四郎氏が1万円で、代理権などの評価額を払込みに充てず全額を現金で払い込んだ。工場は不況で債務に行き詰まった三吉電機工場を4万円で買収し、1898年9月に芝区三田四国町で開業した。社名は前田武四郎氏の案を、永く続く名前として岩垂邦彦氏が採った。\n開業後の主力事業は輸入販売で、W.E.社の電話機・交換機とG.E.社の電灯・電力機器を売った。開業から半年で販売の要員を増やすほど、輸入品の注文は伸びた。自家製の磁石式電話機は欠陥が多く、熟練工も足りなかった。1901年からの3年間、電話機・交換機の生産額は沖商会の半分にとどまったが、輸入品を含む売上高では沖商会を上回った。\n1929年3月ごろ、岩垂邦彦氏は会長退任を前に、日本電気の経営を住友合資会社へ委ねる構想をI.S.E.社と住友電線製造所に伝えた。軍部の台頭とともに外資系会社への風当たりが強まり、I.S.E.社も日本での直接経営に不安を募らせていた時期である。同年9月に会長を辞して経営から離れ、1932年5月の契約で経営は住友に委託され、創業から33年目で初めて日本人の手に移った。",
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