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  "updated": "2026-11-04",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/6474/executives/ceo/imura-koki/",
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        "有価証券報告書（役員の状況）"
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      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
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    "name": "井村荒喜",
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    "surname": "井村",
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    "origin": "創業者（1928年創業）。中越水電の支配人・常務から転じ、不二越鋼材工業を創立して代表取締役に就任した",
    "origin_type": "創業家",
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      {
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          {
            "date": "1928-12",
            "role": "不二越鋼材工業を創立し代表取締役社長",
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            "is_ceo_appointed": true
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    "references": [
      {
        "source": "私の履歴書 経済人4（日本経済新聞社、1980年）",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/12285530",
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          "birthdate",
          "hometown",
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        "for": [
          "career"
        ]
      },
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        "source": "国立国会図書館サーチ「井村荒喜追想録」（井村荒喜追想録刊行会、1983年）の書誌の読み",
        "url": "https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001627800",
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          "text": "1891年11月に長崎県南高来郡北有馬村の農家で、五男一女の末子として生まれた。長崎の行余学舎に学んだが、家業の傾きで学資が尽きて中途でやめ、長崎民友新聞の配達で生計を立てた。1913年11月に台湾へ渡って台湾帝国製糖に勤め、1919年に富山の中越水電へ28歳で支配人として入った。1926年5月に池上健二社長が事故で死去したあとは常務を務めた。1927年8月に中越水電が富山電気と合併すると、新会社には加わらず電気業界を離れた。"
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          "text": "1928年12月21日に公称資本金20万円で不二越鋼材工業を創立し、代表取締役に就任した。株式4,000株のうち2,800株を自ら引き受けており、前任のいない創業者としての就任である。社長の座には35年余りとどまった。1964年2月、前年11月期の決算に公認会計士が不適正意見を付けたことで経営危機が表面化し、株価は3月末に37円まで下げた。同年3月30日の取締役会で、専務の井村賢氏とともに社長を辞任した。のちに二代目社長に就任したのは市川忍氏である。"
        },
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          "text": "1930年3月の火災のあと、大阪系の株主が求めた経営権と販売権の移譲を拒み、減資して事業を続けた。1931年初めには機械工具商11店と特約店契約を結んでナチ鋸刃会を発足させ、同年9月に三宅工具製作所を買ってドリルへ進んだ。1938年9月に富山市東富山へ製鋼所を新設して素材から製品までの一貫生産体制を整え、1939年1月にベアリング、1943年8月に工作機械の製造販売を始めた。終戦後は工場を小さく分ける案に反対し、主要な従業員を残して本業へ戻した。"
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        {
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          "text": "井村荒喜氏が工具に目を向けたのは、中越水電で発電設備を買い付けていた時期である。外国製の機械を据えておけば重役は責任を問われないという空気が社内にあり、電気工夫の使うペンチから手びきのこ、ドリルまで輸入品で占められていた。国産機械を日立製作所へ発注した縁で小平浪平氏に会い、特許を買うより自前の研究を積むべきだという考えに接したことも、工具の国産化へ踏み出すきっかけになった。\n調べは中越水電に在籍したまま進めた。横浜と神戸の税関で輸入の実績を当たり、金切りのこ刃（ハクソー）だけで年80万円ほどの輸入があると見積もったうえで、海軍省と国鉄にも工具の調達事情を聞いた。1924年10月には資本金6万円で中越製作所を設けてぜんまいをつくり、工具でいちばん難しい熱処理をばねで試した。材料は東北大学金属材料研究所の本多光太郎氏らに研究を頼み、大阪市立工業研究所で工業化の実地試験を重ね、1927年春に富山市山室へ私費で研究所兼作業所を置いて工具の試作に入った。\n1928年12月21日、公称資本金20万円、払込8万円で不二越鋼材工業を創立した。株主29名のうち、井村荒喜氏は4,000株の過半にあたる2,800株を引き受けた。資金は中越水電の持株を売り払った代金と退職金で賄い、3年分の最低生活費だけを手元に残した。伊藤忠兵衛氏に相談した場では、呉羽紡績の古橋林司氏が繊維を勧めて反対したが、古橋氏は創立後に役員として加わった。工場は故郷の九州と比べたうえで、電力が豊富で安く、食糧に恵まれた富山に置いた。\n1929年3月下旬にばねとハクソーの生産を始めたが、ハクソーは材料の輸入が遅れ、コンベヤー式の熱処理炉もうまく動かず、当初は鉄道車両用のばねが主力になった。1930年3月14日の火災で建物の大半を失うと、大阪系の株主は資金と引き換えに委託経営を求めた。井村荒喜氏はこれを退け、払込資本金を5万7,300円に減資したうえで、赤字のばねをやめてハクソーに絞った。同じ1930年には連続焼入炉を仕上げてハクソーの量産にこぎつけ、同年9月には鉄道省がナチ製品を外国製品より優秀と認めた。\n売り先の開拓では、日本製を信用しない町工場の説得に手を焼き、最初に買った大工場は三菱長崎造船所だった。1931年初めに大阪・名古屋・東京の機械工具商11店と特約店契約を結んでナチ鋸刃会を発足させ、即納の在庫を代理店に持たせた。同年9月に三宅工具製作所を買い取ってドリルへ進むと、売上高は1931年の8万3,100円から1932年に23万8,000円へ増加した。1938年9月には東富山の製鋼所で素材から製品までの一貫生産体制を整え、工具の材料となる鋼まで自社でつくる工場を持った。"
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