{
  "title": "タダノの歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1919,
      "end_year": 1962,
      "main_title": "溶接の火花を追った創業者と、日本初の油圧式トラッククレーンを生んだ高松の鉄工所",
      "subsections": [
        {
          "title": "創業の日が三つあり、どれも間違いではない",
          "text": "タダノは創業の日を1919年8月29日と定めている。この日、高松に生まれた多田野益雄氏が、溶接業を興すために北海道の旭川へ渡った。当時の先端技術だった溶接の火花に魅せられ、技術を身につけたうえで北海道で事業を興したと同社は記す。数年後に拠点を室蘭へ移すが、1923年の関東大震災を機に高松へ帰り、溶接業のかたわら一時は銅鉱山を持っていたこともあったという。1945年7月の高松空襲は市街地の8割を焼いた。法人としての株式会社多田野鉄工所が高松市藤塚町に資本金50万円で設立されたのは、その3年後の1948年8月である。初代社長は益雄氏、従業員4人、工場は24坪だった。\n\nもっとも、始まりの日付は一つではない。日経ビジネス1997年8月25日号に載った談話で、二代目の多田野弘氏は「昭和21年、高松市内の焼け跡にバラックを建て、父と弟の3人で機械の修理を始めた。これが当社の創業です」と語っている。談話の父が初代社長の益雄氏で、弘氏はその長男である。1919年は創業者が個人として技術を手にした日、1946年は父子3人が焼け跡で仕事を再開した日、1948年は法人の登記日を指す。どれを創業と呼ぶかは、この会社が自らの出発点をどこに置くかという選択であって、事実の食い違いではない。旭川へ渡った溶接工と、焼け跡の修理屋と、資本金50万円の株式会社は、同じ家が続けた一つの仕事の別々の断面である。\n\n創業者が事業を起こすときに語ったとされる言葉が、いまも統合報告書の巻頭や裏表紙に載る。人の役に立つ仕事を選ぶこと、力を合わせること、そして他人がやっていない仕事を選ぶこと。この三つが、1961年に制定した社是「創造・奉仕・協力」の元になったと同社は説明する。企業は社会や人との調和の中で生かされている、という考え方がその根底にあったという。以後この三語は経営理念として掲げ続けられ、2018年以降の統合報告書は事業ピラミッドの頂点に置いて事業の目的そのものだと明記する。制定は油圧クレーンが売れ始めて社員が急に増えた時期で、理念の言語化は事業の成功より遅れた。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "多田野益雄",
              "role": "創業者が事業を起こすときに語ったとされる言葉",
              "date": "",
              "text": "鉄工所をやろう！我々の技術を活かした鉄工所を。人様の役に立つ仕事をしていれば必ず成功する。いいか、まず力を合わせて仲良くやることが基本だ。それが次に繋がる。それとあんまり人がやっていないような新しい仕事を選ぼうな。みんながやっとるようなことの後追いをしてもつまらんだろ？",
              "source": "統合報告書2018（株式会社タダノ）",
              "paragraph": 3
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          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1919年8月29日、多田野益雄が溶接業を興すため高松から北海道旭川へ渡った。同社はこの日を創業の日と定めている",
                "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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              },
              {
                "fact": "数年後に室蘭へ移るが1923年の関東大震災を機に帰郷。高松では溶接業に加え一時期は銅鉱山を保有していた",
                "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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                "fact": "1945年7月の高松空襲で市街地の8割が焼失した",
                "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "1948年8月、高松市藤塚町に株式会社多田野鉄工所を資本金50万円で設立。初代社長は多田野益雄、従業員4人・24坪の工場から始まった",
                "source": "有価証券報告書",
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            [
              {
                "fact": "多田野弘は1946年に高松市内の焼け跡にバラックを建て、父・弟と3人で機械の修理を始めたことを「当社の創業」と述べている",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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            [
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                "fact": "1961年に社是「創造・奉仕・協力」を制定した",
                "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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                "fact": "創業者の言葉を根拠に経営理念「創造・奉仕・協力」が生まれたと同社が説明している",
                "source": "統合報告書2018（株式会社タダノ）",
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        },
        {
          "title": "建設機械雑誌をヒントに作ったOC-2型",
          "text": "鉄工所は当初、修理と受託加工で食いつないだ。転機の一つは1950年の鉄道保線機械で、これを開発して日本国有鉄道へ納めている。もう一つは運送会社からの注文だった。荷物の上げ下ろしに使うクレーンを中古トラックの荷台に付けてほしいという依頼で、これを引き受けたところ、その運送会社が全国の営業所で採用したため「作る先から売れた」と多田野弘氏は振り返る。荷役の機械化という需要が、四国の小さな鉄工所に先に届いていた。一社の依頼から始まった仕事が全国の営業所へ広がれば、扱う台数の桁が変わる。修理屋が自社製品を持つ会社へ変わる入口は、自社の企画ではなく客の困りごとの側にあった。\n\n1954年に油圧式産業機械の開発へ着手し、翌1955年9月、油圧式トラッククレーンOC-2型を世に出した。吊り上げ能力2トン、日本で最初の油圧式トラッククレーンである。同社は開発のきっかけを、建設機械雑誌の情報をヒントにオリジナルの機械を作ったことだと記す。日本初という一点で全国から注文が殺到し、鉄工所の主力製品はここでクレーンに変わった。1959年には本社工場を高松市新田町へ移している。この土地には現在も本社と生産の中心が置かれ、以後の海外展開も四国から動かさないまま進んだ。\n\n油圧という選択が効いた理由は、クレーンそのものの新しさではない。ワイヤとウインチで動く機械式のクレーンはすでにあった。油圧は少ない操作で正確に力を伝えられるため、小型の車両に載せても扱える。クレーンの使い勝手は吊り上げ荷重だけでは決まらない。どこまで腕を伸ばせるか、どれだけ狭い場所へ入れるか、誰が動かせるか。油圧はこの三つを同時に良くする方向へ働いたと考えられる。トラックに載る大きさで、専門の運転手でなくても動かせる機械が現れたことが、建設現場と運送現場の双方に売れた理由であろう。輸出も早い。1960年にはOC-5A型4台をインドネシアへ送り、初の海外出荷を記録している。",
          "references": [],
          "factBasis": [
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                "fact": "1950年に鉄道保線機械を開発し日本国有鉄道へ納入した",
                "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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                "fact": "運送会社の依頼で中古トラックの荷台に荷物の上げ下ろし用クレーンを付けた車両を製作し、その運送会社が全国の営業所で採用したため「作る先から売れた」",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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            [
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                "fact": "1955年9月に油圧式トラッククレーンOC-2型（2トン吊り）を開発し生産を開始した",
                "source": "有価証券報告書",
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              {
                "fact": "建設機械雑誌の情報をヒントにオリジナルの油圧式トラッククレーンOC-2型を開発生産し、日本初の製品ということで全国から注文が殺到した",
                "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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                "fact": "1959年6月に本社工場を高松市新田町へ新設移転した",
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                "fact": "1960年にOC-5A型4台をインドネシアへ輸出し初の海外出荷となった",
                "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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        {
          "title": "ドラッカーを読んで人事を組み替えた二代目",
          "text": "売れる一方で、作る側は追いつかなかった。納期の遅れと不良品が目立ち、社員が100人、200人と増えた創業10年ほどの時期に経営が行き詰まる。機械は売れているのに社内が回らない。需要の不足ではなく、組織の作りが原因だった。多田野弘氏は後年、行き詰まりの理由を市況にも技術にも求めていない。海軍で鍛えられた率先垂範のやり方は社員が少ないうちは通じたが、規模が大きくなると通じなくなった。自分は「何のために経営するのか」という問いに答えを持たないまま、組織だけを大きくしていた、と述べている。\n\n答えを与えたのは、当時ようやく翻訳が出たドラッカーの『現代の経営』だった。企業の目的は利益であってはならない、利益は企業の存在価値を示す尺度にすぎない。この二つの命題に強い衝撃を受けたと弘氏は語る。香川県の経営者協会に入ったのは30歳そこそこのころで、明治生まれの経営者が並ぶ席で「高い賃金と高い利益を誇れるような企業にしたい」と発言し、大笑いされた。労働者を低い賃金で働かせ、利益と税金をごまかすのが有能な経営者と見られた時代である。青二才の理想論とあしらわれた席で、弘氏は「いまに見ておれ」と心の中で誓ったという。\n\n弘氏が手をつけたのは製品ではなく人事制度だった。現場を日給制から月給制へ改め、残業の割増分を固定給に含める約束で残業を廃し、タイムレコーダーと出勤簿をなくした。廃止前は平均2%が遅刻していたが、廃止後は遅刻が止まったという。指示や命令ではなく自発的に働く社風を作りたかったからで、社員は信頼されていることが分かればそれにこたえる、というのが本人の説明である。1967年ごろには四国で初めて完全週休2日制を実施した。1962年9月の大阪証券取引所市場第二部上場は、この制度改革と同じ時期にあたる。",
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          "quotes": [
            {
              "speaker": "多田野弘",
              "role": "タダノ名誉相談役（当時）",
              "date": "1997-08-25",
              "text": "トップが経営の目的をはっきりさせておかないと、企業は立ち行かないことがわかったのです\n社員は信頼されていることがわかれば、それにこたえようとするものなのです",
              "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
              "paragraph": 2
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          "factBasis": [
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              {
                "fact": "創業から10年近く、社員が100人・200人規模になった段階で経営が行き詰まった",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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              {
                "fact": "多田野弘は海軍仕込みの率先垂範型リーダーシップが規模の拡大とともに通用しなくなったと述べている",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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                "fact": "ドラッカー『現代の経営』の「企業の目的は利益であってはならない」「利益はその企業の存在価値を示す尺度にすぎない」に衝撃を受けた",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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                "fact": "香川県の経営者協会に30歳そこそこで入会し、最年少だった",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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            [
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                "fact": "タイムレコーダーと出勤簿の廃止前は平均2%が遅刻していたが、廃止後は遅刻が止まった",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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                "fact": "約30年前（1967年前後）に四国で初めて完全週休2日制を実施した",
                "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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                "fact": "1962年9月に大阪証券取引所市場第二部へ上場した",
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          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1963,
      "end_year": 1989,
      "main_title": "ラフテレーンと高所作業車で製品を三本に増やし、社名をタダノに改めるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "日本初のラフテレーンクレーンと過負荷防止装置",
          "text": "1962年に開発したカーゴクレーンTM-2H型が、トラックの荷台に載せる車両搭載型クレーンの原型となり、のちに第二の製品系列となった。営業網も同じころ全国へ広がる。1958年の大阪を皮切りに、1964年名古屋、1966年仙台、1968年札幌と広島、1971年福岡、1978年関東、1979年北陸と営業所を置き、いずれも現在の支店網の元になっている。クレーンは売った後の部品供給と修理が長く続く商品で、地方に人を置くこと自体が商品力の一部を成していた。1971年3月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、翌1972年1月には東京・大阪の両市場第一部へ指定替えとなった。\n\n製品側の大きな一手は1970年のラフテレーンクレーンTR-150である。吊り上げ能力15トン、日本で最初のラフテレーンクレーンだった。ラフテレーンは不整地や狭い場所で使う自走式クレーンで、一つの運転席から走行と操作の両方を行う。造成前の現場や工場の構内など、大型のトラッククレーンが入れない場所を市場にできた。日本の建設現場は狭く、道路の幅も一様ではない。海外製の大型機をそのまま持ち込めない条件が、この国に独自の機種を育てた面があるだろう。この機種の系譜が、半世紀後に北米で同社の収益を牽引する主力になる。\n\n1972年には過負荷防止装置AMLを日本で最初に開発している。吊り荷の重さと作業半径から転倒の限界を計算し、危険な操作を止める装置で、以後この会社の商品説明では安全装置が性能と並ぶ位置を占め続ける。クレーンの事故は、機械が壊れることよりも能力を超えた使い方から起きる。使い方の限界を機械の側に組み込む発想は、吊り上げ荷重を競う軸とは別の場所にある。ただし装置を自社で開発したことは、事故が起きたときの責任もまた自社に返ることを意味した。同社が最大規模のリコールに直面するのは、この装置の系譜の上でのことである。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1962年12月にカーゴクレーンTM-2H型を開発し、車両搭載型クレーンが第二の柱となった",
                "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "1958年大阪、1964年名古屋、1966年仙台、1968年札幌・広島、1971年福岡、1978年関東、1979年北陸に営業所を開設した",
                "source": "有価証券報告書",
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              {
                "fact": "1971年3月に東京証券取引所市場第二部へ上場、1972年1月に東京・大阪の各市場第一部へ指定替上場した",
                "source": "有価証券報告書",
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                "fact": "1970年に日本初のラフテレーンクレーンTR-150（15トン吊り）を開発した",
                "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "ラフテレーンクレーンは不整地や狭隘地向けの自走式クレーンで、2023年時点で北米の収益を牽引している",
                "source": "週刊東洋経済 2023年10月7日号「トップに直撃　タダノ　社長ＣＥＯ　氏家俊明」",
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              }
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            [
              {
                "fact": "1972年に日本初の過負荷防止装置（AML）を開発した",
                "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "志度工場と、三本目の柱になった高所作業車",
          "text": "1971年8月に神奈川県愛川町へ厚木工場を建て、1980年4月には香川県志度町に志度工場を新設した。生産は四国と関東の二極になり、1988年7月には千葉県佐倉市に佐倉工場を設けて厚木工場を閉鎖移転している。厚木から佐倉への移し替えは、首都圏の需要に近い場所で作る方針を続けたことを示す。主力の生産は香川に置き、関東にも拠点を持つ二極の形は以後も維持された。1987年9月には東京都墨田区に自社ビルの東京事務所を構えた。高松の鉄工所は、この20年で全国に生産と販売の拠点を持つ機械メーカーへ姿を変えた。\n\n1983年1月に発売した高所作業車AT-136TE・AT-140TEが、三本目の製品系列となった。電力会社の配電工事で使う活線作業車で、クレーンとは載せる物が違うだけで、車両に作業機を積み、伸ばし、支えるという技術は共通している。物を吊る機械と人を上げる機械では、求められる安全の質も変わる。吊るための機械から人を高い所へ運ぶ機械まで幅を広げたことで、建設投資の増減だけに業績が左右される度合いは下がったとみられる。1985年前後には四国特装やタダノ産業といった子会社を相次いで設け、販売と製造の周辺を固めている。",
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                "fact": "1971年8月に厚木工場を新設し、1988年7月に佐倉工場を新設して厚木工場を閉鎖移転した",
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                "fact": "1983年1月に高所作業車AT-136TE・AT-140TEを発売し、高所作業車事業が第三の柱となった",
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                "fact": "1985年1月に株式会社四国特装（現：タダノエステック）、同年7月にタダノ産業株式会社（現：タダノビジネスサポート）を設立した",
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        {
          "title": "オランダと北京、そして「株式会社タダノ」への改称",
          "text": "海外への出方は慎重だった。1973年8月にオランダへタダノ・インターナショナル（ヨーロッパ）B.V.を設立したのが初の海外子会社で、1984年に北京事務所を開いている。輸出そのものは1960年のインドネシア向けから続いていたが、生産を海外に持つことはこの時期にはまだしていない。売る先を広げ、部品と修理の面倒を見る体制を先に置いた。1990年代に入るまで、海外は売る場所であって作る場所ではなかった。生産を海外に持つのは1990年のドイツが最初で、その一手は既存メーカーの買収という形を取った。\n\n1989年7月、商号を株式会社多田野鉄工所から株式会社タダノへ改めた。同じ年度に連結売上高が初めて1,000億円を超えている。1948年の資本金50万円・従業員4人から40年での到達である。創業者の姓をそのまま片仮名にした社名は、国内の鉄工所から海外で通じる商標への切り替えを示す。鉄工所という語を外したのは、売る相手が国内の建設会社だけではなくなる直前だった。前後して四国機工とニューエラーを子会社に加え、1990年10月には国際機械商事も傘下に入れた。改称の翌年に始まるドイツでの買収を思えば、社名の変更はその準備でもあったとみられる。",
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                "fact": "1989年7月に商号を株式会社タダノへ改称し、同年度に連結売上高が初めて1,000億円を超えた",
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                "fact": "1989年5月に四国機工と株式会社ニューエラーを、1990年10月に国際機械商事を子会社化した",
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    {
      "start_year": 1990,
      "end_year": 2008,
      "main_title": "ドイツのファウンを買い、上場来初の赤字を出し、リコールで安全を問い直す",
      "subsections": [
        {
          "title": "ファウン買収でオールテレーンの品揃えを得る",
          "text": "1990年5月、ドイツに子会社ファウンGmbHを設立し、ファウンAGのクレーンおよび車両部門を買収した。狙いはオールテレーンクレーンである。公道を高速で走り、現場では不整地も走れる大型機で、欧州の道路事情と規格から生まれた製品だった。国内向けのラフテレーンと車両搭載型だけでは届かない領域を、既存メーカーごと手に入れる方法を選んだ。1991年にはタダノ・ファウンGmbH、1992年にはオランダの販売会社を設け、1993年には米国テキサス州にタダノ・アメリカ・コーポレーションを置いている。\n\n技術への支出も続いた。1997年1月にタダノ技術研究所を高松市林町へ新設移転している。現在のタダノイノベーションセンターである。1998年には当時日本最大となる550トン吊りのオールテレーンクレーンAR-5500Mを開発し、1996年にはシンガポールにも拠点を置いてアジアの販売網を整えた。研究所と海外拠点の両方に金を投じた10年で、いずれも数年先の需要を見込んだ支出だった。ところがその足元で、国内の建設投資は縮んでいた。海外で買った資産の重みと国内の不振が、同じ時期に重なる。",
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                "fact": "1990年5月にドイツで子会社ファウンGmbHを設立し、ファウンAGのクレーンおよび車両部門を買収した",
                "source": "有価証券報告書",
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        {
          "title": "上場来初の赤字と、三度にわたる人員整理",
          "text": "週刊東洋経済1998年10月17日号の「会社四季報」最新情報は、タダノについて「主力のクレーンが大苦戦。稼働率悪化し上期は営業黒字も微妙。緊急経費削減着手」と書いた。翌1999年4月17日号では「上場来初の赤字転落」と報じられ、選択定年制の拡充で119人が退職し、経費が10億円減ったと伝えている。期末の押し込み販売を断念した結果でもあった。公共投資と民間設備投資が同時に縮むとき、クレーンの新車需要は建設会社とレンタル会社の設備更新意欲に直結する。工事が減れば手持ちの機械で足り、寿命の長い商品ほど買い替えは先送りされる。レンタル会社の稼働率が落ちれば、新車の発注はまず止まる。\n\n損失は一度で終わらなかった。1998年度、1999年度、2001年度と当期損失を三度計上し、そのつど人員整理を行っている。いずれも国内需要の縮小と重なった。20年後、多田野宏一社長は社員に伝える「絶対に忘れてはいけない三つの重要な出来事」の一つ目にこの不況期の人員整理を挙げた。残る二つは2004年のリコールと、過去4件の労災死亡事故である。以後この会社は「人材」を「人財」と書くようになった。同社は不況期の損失を景気の波として片づけず、自社の備えの問題として社内に語り継いでいる。\n\n販売の仕組みにも手を入れた。2000年4月、車両搭載型クレーンの販売子会社13社を一度に解散している。地域ごとに販売会社を置く方式を畳み、本体と代理店で売る形へ改めた。販売子会社は好況期には現場に近い強みを持つが、需要が減れば固定費だけが残る。13社をまとめて解散する判断は、売り方そのものを組み替える作業でもあった。同じ月に協和興業の株式を追加取得して子会社に加えており、整理と取り込みを同時に進めていた。協和興業は現在の株式会社タダノアイメスである。赤字の三年は、拡げた組織をたたみ直すために費やされている。",
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                "fact": "1998年度に上場来初の赤字へ転落し、選択定年制の拡充で119人が退職して経費が10億円減った",
                "source": "週刊東洋経済 1999年4月17日号「会社四季報」最新情報",
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                "fact": "1998年10月時点で「主力のクレーンが大苦戦。稼働率悪化し上期は営業黒字も微妙。緊急経費削減着手」と報じられた",
                "source": "週刊東洋経済 1998年10月17日号「会社四季報」最新情報",
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                "fact": "1998年度・1999年度・2001年度と三度にわたり当期損失を計上し人員削減を実施した",
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                "fact": "多田野宏一社長は「当社が絶対に忘れてはいけない3つの重要な出来事」として1998〜2002年の3回の人員整理、2004年のリコール問題、過去4件の労災死亡事故を挙げ、以降「人材」を「人財」と表記するようになった",
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        {
          "title": "15,278台のリコールと、事業領域をLEと定めた決断",
          "text": "2004年、岡山県の国道で同社製のラフテレーンクレーンによる死亡事故が起きた。安全装置の不具合が要因の一つとされ、同年12月、8型式16機種15,278台のリコールを届け出た。会社としては最大規模で、対象は同年6月以前に製造された機体だった。週刊東洋経済2005年1月8日号は、費用1.5億円を販管費で処理し小幅な減額になると伝え、販売見送りが拡がれば再度の減額もあるとした。1972年に日本で最初の過負荷防止装置を作った会社が、その安全装置の不具合で人命を失う事故に関わった。同社はこれを、忘れてはいけない三つの出来事の二つ目に数えている。\n\n同社はこの事故から「建設機械は公道を走らせていただいている」という認識を得たと記す。2005年からCSRの推進を本格化し、2006年にはCSR憲章を定めた。売る相手はレンタル会社と建設会社でも、機械が動く場所は公道と市街地であって、その先に無関係の通行人がいる。レンタル会社に渡った1台がどこの現場で誰に操作されるかは、作り手には見えない。見えない使われ方まで含めて安全を設計するという課題が、このとき正面に出た。品質の意味を顧客満足から社会的な責任へ広げたのが、リコール後の数年だった。\n\n2008年、事業領域をLE（Lifting Equipment、移動機能付き抗重力・空間作業機械）と定義した。吊る・持ち上げる・高い所で作業するための移動できる機械に事業を限る、という宣言である。多角化で不況を凌ぐ道を選ばず、一分野で世界一を目指す道を選んだ。専業に徹すると決めることは、次の不況でも逃げ場を作らないと決めることでもある。同じ年に千葉工場を新設し、12月には米国のスパンデックInc.（現：タダノ・マンティスCorp.）を買収してクローラクレーンの足がかりを得ている。前年には多度津工場も建てた。",
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                "source": "週刊東洋経済 2005年1月8日号「会社四季報」最新情報",
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              {
                "fact": "2008年11月に千葉工場を新設し、同年12月にタダノ・アメリカ・ホールディングスInc.を設立してスパンデックInc.（現：タダノ・マンティスCorp.）を買収した",
                "source": "有価証券報告書",
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        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2009,
      "end_year": 2025,
      "main_title": "デマーグ買収で世界最大手級となり、欧州の赤字と長く向き合う",
      "subsections": [
        {
          "title": "過去最大の赤字が残した「強い会社」という基準",
          "text": "リーマンショック後の2009年から2010年にかけ、建設用クレーンの世界需要は半減した。同社も2010年度に、当時として過去最大の赤字を計上している。多田野宏一社長は後年、このとき「会社というのは簡単に赤字になってしまうものだな」と痛感したと書いた。中国の景気対策もあって2011年から需要は回復し、連結売上高は2013年度の1,817億円から2014年度に2,040億円、2015年度に2,094億円まで伸びる。経常利益も2013年度の216億円から2015年度の307億円へ増え、営業利益は2015年度の310億円が当時の最高だった。好調は続かない。原油価格の下落で北米と中東のエネルギープラント向けが細り、2016年度の売上高は1,796億円、営業利益は184億円へ落ちた。\n\nそれでも多田野宏一社長は事業ポートフォリオの見直しを選ばず、LEに絞ったまま世界一と海外売上高比率80%、平時の営業利益率20%以上という長期目標を掲げ続けた。中期経営計画では基本方針を「強い会社」に置き、それを「景気の良いときも悪いときも利益を出し続けられる、人を育て続けられる会社」と定義している。市場や為替を青、自助努力を赤の矢印に分け、自社で動かせる赤に力を集めるという説明を社内外で繰り返した。2017年の週刊東洋経済では、世界シェアが2007年の14%から2016年の26%へ上がったと語り、価格でシェアを取る発想はないと述べている。目指すのは商品力・品質・部品を含めたサービス力・中古車の価値という「四拍子そろった会社」で、クレーンの平均寿命が約30年と長く海外で二次使用されるため、この四つはつながっているという説明だった。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "多田野宏一",
              "role": "タダノ社長（当時）",
              "date": "2017-02-25",
              "text": "価格を下げてシェアを取る発想はない。不毛な戦いになるだけだ。われわれが目指すのは、商品力、品質、部品供給を含めたサービス力、中古車の価値向上という「４拍子そろった会社」。\nわれわれは需要や為替、原油価格をコントロールできないので、期待や悲観はしないようにしている。大事なのは、変化への即応力だ。",
              "source": "週刊東洋経済 2017年2月25日号「この人に聞く　タダノ社長　多田野宏一」",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
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              {
                "fact": "2010年度の過去最大赤字について多田野宏一社長は「会社というのは簡単に赤字になってしまうものだな」と痛感したと述べている",
                "source": "統合報告書2018（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "リーマンショック後の2009〜10年に世界需要は半減し、同社も2010年度は赤字に陥った",
                "source": "週刊東洋経済 2017年2月25日号「この人に聞く　タダノ社長　多田野宏一」",
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            [
              {
                "fact": "多田野宏一社長は「LE以外の事業を営む選択肢もあったのかもしれませんが、当社は敢えてLEを事業領域と定め、LE世界No.1、海外売上高比率80%、平時の営業利益率20%以上を目指す」と述べている",
                "source": "統合報告書2018（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "世界シェアは2007年の14%から2016年の26%まで上昇した",
                "source": "週刊東洋経済 2017年2月25日号「この人に聞く　タダノ社長　多田野宏一」",
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                "fact": "クレーンの平均寿命は約30年と長く、海外で二次使用されることも多い",
                "source": "週刊東洋経済 2017年2月25日号「この人に聞く　タダノ社長　多田野宏一」",
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        },
        {
          "title": "買収・新工場・創業100周年が重なった2019年",
          "text": "2019年2月、米テレックス社が持つデマーグブランドのクレーン事業の買収を発表し、7月31日に完了した。8社の株式取得と11社の事業譲受を含む取引で、200年近い歴史を持つデマーグは大型のオールテレーンクレーンとクローラクレーンで知られていた。これによりタダノは1,200トン吊りまでのオールテレーンと400〜3,200トンのクローラクレーンを品揃えに加えた。売り手にとっては不振事業の切り離しであり、買い手にとっては大型機の技術と欧州の生産設備をまとめて得る取引だった。8月1日にはドイツのツヴァイブリュッケンで各国から約1,200名が集まる発足行事を開いている。\n\n同じ年、高松市香西北町に香西工場が完成して8月に本格稼働し、創業100周年を迎えた。敷地は約20万平方メートル、投資額は200億円を超える。前年末にはインドに合弁会社を設けており、インドの拠点、国内の新工場、ドイツの大型機事業という三つの投資が同じ一年に重なった。多田野宏一社長はこの三つが揃ったことを、売上高3,000億円へ向けた「材料」が集まった状態と表現し、それをどう料理するかが目の前の課題だと書いた。100周年の統合報告書では、コアバリューにコンプライアンスのCを加えてC+SQEに改めている。\n\n買収の効果と負担は、初年度から数字に出た。2019年度の連結売上高は2,279億円と前期から395億円増えたが、欧州セグメントは売上高321億円に対し64億円の営業損失を出し、日本の170億円の利益を削った。連結の営業利益は2018年度の158億円から2019年度の139億円へ減っている。欧州セグメントの資産は2018年度の366億円から2019年度の906億円へ膨らみ、連結従業員数は前期の3,405人から5,084人へ増えた。買った資産は品揃えと人であり、その両方が固定費として先に立った。買収の成否は、この増えた固定費を欧州の売上が支えられるかどうかにかかっていた。",
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            [
              {
                "fact": "2019年2月23日にテレックス社からのデマーグクレーン事業買収を発表し、2019年7月31日に完了。株式取得8社・事業譲受11社を含む",
                "source": "有価証券報告書",
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                "fact": "タダノ・デマーグGmbHは吊り上げ能力1,200トンまでのオールテレーンクレーンと400〜3,200トンのクローラクレーンを持つ。2019年8月1日にドイツ・ツヴァイブリュッケンで約1,200名が参加する「Day 1イベント」を開催した",
                "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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            [
              {
                "fact": "2019年8月に香西工場が本格稼働し、同年に創業100周年を迎えた",
                "source": "有価証券報告書",
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              },
              {
                "fact": "多田野宏一社長はインド合弁・香西工場・ドイツ事業の3つが揃い「売上高3,000億円を目指し、突破できるだけの『材料』は集まった。それらをどう『料理』するかが目の前の大きな課題」と述べた",
                "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "統合報告書2019でコアバリューをSQEからC+SQE（コンプライアンス＋安全・品質・効率）に改めた",
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            []
          ]
        },
        {
          "title": "非創業家から出た社長と、終わらない欧州の再建",
          "text": "2020年、新型コロナで世界のクレーン需要が停滞し、欧州事業の再建計画は遅れた。同年10月、ドイツの現地法に基づく事業再生手続きを申請している。適用の条件は、債務超過に陥っていないことと、事業再建の見通しが立っていることだった。手続きは2021年3月に完了し、フランスと英国では旧ファウン系と旧デマーグ系の子会社を各1社に統合した。2020年度の売上高は1,860億円で前期から419億円減り、営業損失42億円、当期純損失130億円を計上している。米国の排ガス問題も重なった年だった。買収から1年半で、買った側が買われた事業の法的整理に踏み切っている。\n\n2021年4月、氏家俊明氏が社長CEOに就任した。創業家以外から出た初めての社長である。丸紅で輸送機グループのCEOなどを務め、2019年にタダノへ入った人で、就任の第一声では前社長の多田野宏一氏から言われた「Innovationを起こすのは若者・馬鹿者・よそ者である」を引き、若者以外の二つは十分満たしていると書いた。期待されているのは変革の速さと大胆さで、自分の「よそ者」としての有効期限もそう長くは続かない、とも記している。新体制は組織の統一を進めた。2021年10月にファウン・デマーグ・タダノの三つのブランドをタダノへ統一し、2022年12月期には決算日を3月31日から12月31日へ移して海外子会社との期ずれを解消した。移行期は9か月の変則決算となっている。2023年3月には、現地メーカーとの価格競争が続く中国で製造販売の合弁会社を清算した。\n\n北米が業績を引き上げた。テキサス州の石油・天然ガス開発の需要でラフテレーンクレーンが伸び、2025年12月期の売上高は3,494億円と過去最高を更新した。2024年から2025年に三件の買収を完了している。それでも欧州の赤字は残る。氏家社長は苦戦の理由に、デマーグ側の過剰な人員と年金債務、人員整理の難しさ、コロナと戦争によるサプライチェーンの寸断を並べる。1990年に買ったファウンと2019年に買ったデマーグは、ドイツ国内でかつて競合していた相手同士でもあった。2025年6月にバラシャイド工場を閉鎖・売却し、10月に取締役4名中2名をドイツへ送っている。同期の営業利益は186億円と前期から減った。世界最大手級という位置は、油圧式トラッククレーンを日本で最初に作った1955年の選択の帰結であり、同時に、需要が一方向へ振れたときに受け止める先を持たない立場でもある。",
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          "quotes": [
            {
              "speaker": "氏家俊明",
              "role": "代表取締役社長・CEO",
              "date": "2021",
              "text": "前社長（現：代表取締役会長）の多田野より何度か言ってもらった言葉にこういうものがあります。「Innovationを起こすのは若者・馬鹿者・よそ者である」。少なくとも若者以外の2つの条件、馬鹿者・よそ者は充分満たしていると思います。社長交代の目的は、「Change」すなわち変革であり、期待されているのはそのスピードと大胆さであると考えています。私の「よそ者」としての有効期限もそう長くは続きません。",
              "source": "統合報告書2021（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "2020年10月にドイツの現地法に基づく事業再生手続きを申請し、2021年3月に完了。統括会社の下でフランス・英国の旧ファウン系と旧デマーグ系子会社を各1社に統合した",
                "source": "統合報告書2021（株式会社タダノ）",
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              {
                "fact": "2021年4月に氏家俊明が社長CEOに就任した。創業家以外で初の社長で、丸紅で常務執行役員・輸送機グループCEOなどを歴任し2019年にタダノへ入社した",
                "source": "週刊東洋経済 2023年10月7日号「トップに直撃　タダノ　社長ＣＥＯ　氏家俊明」",
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              {
                "fact": "氏家俊明社長は就任時のメッセージで前社長の言葉「Innovationを起こすのは若者・馬鹿者・よそ者である」を引用し「少なくとも若者以外の2つの条件、馬鹿者・よそ者は充分満たしている」と述べた",
                "source": "統合報告書2021（株式会社タダノ）",
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                "fact": "2023年3月に中国の製造販売合弁会社の清算手続きを完了し、中国市場向けの販売はほとんど行っていない",
                "source": "週刊東洋経済 2023年10月7日号「トップに直撃　タダノ　社長ＣＥＯ　氏家俊明」",
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            [
              {
                "fact": "2024年2月に長野工業株式会社、2025年1月にマニテックス・インターナショナルInc.ほか14社、2025年7月にＩＨＩ運搬機械の運搬システム事業を取得した",
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                "fact": "氏家俊明社長はタダノインフラソリューションズについて「日本の海洋資源開発に将来貢献するであろう洋上のクレーンや運搬機械の可能性に着目して買収したのですが、買収完了後に政権が掲げた成長戦略において『造船』が17の戦略分野の一つに位置づけられた」と述べた",
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                "fact": "氏家俊明社長は欧州苦戦の要因として過剰な人員・年金債務、労働組合の強さ、コロナ、ウクライナ戦争によるサプライチェーン寸断、大型トレーラー運転手の多くがウクライナ人だったことを挙げた",
                "source": "週刊東洋経済 2023年10月7日号「トップに直撃　タダノ　社長ＣＥＯ　氏家俊明」",
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                "fact": "1990年に買収したファウンGmbHと2019年に買収したデマーグクレーン事業はドイツ国内でかつて競合関係にあった会社である",
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      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "qa": [
      {
        "q": "なぜ1955年に高松の鉄工所が日本初の油圧式トラッククレーンにたどり着いたのか",
        "a": "企画より先に、客の困りごとがあった。多田野益雄氏が1948年に香川県高松市で設立した多田野鉄工所は、修理と受託加工で始まった。運送会社に頼まれて中古トラックの荷台へ荷役用クレーンを付けたところ、その一社が全国の営業所で採用し、注文が続いた。荷役の機械化という需要を先に掴んだ会社が、建設機械雑誌をヒントに1955年、日本初の油圧式トラッククレーンOC-2型を作った。日本初という一点で全国から注文が殺到した。同社が創業と定めるのは、益雄氏が溶接業を興すため旭川へ渡った1919年8月29日である。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "1948年8月、高松市藤塚町に株式会社多田野鉄工所を資本金50万円で設立。初代社長は多田野益雄",
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            "genbun": "多田野益雄氏が1948年に香川県高松市で設立した多田野鉄工所は、修理と受託加工で始まった。"
          },
          {
            "fact": "運送会社の依頼で中古トラックの荷台に荷役用クレーンを付けた車両を製作し、その運送会社が全国の営業所で採用したため「作る先から売れた」",
            "source": "日経ビジネス 1997年8月25日号「有訓無訓 何のために経営するのか」",
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            "genbun": "運送会社に頼まれて中古トラックの荷台へ荷役用クレーンを付けたところ、その一社が全国の営業所で採用し、注文が続いた。"
          },
          {
            "fact": "建設機械雑誌の情報をヒントに1955年9月、日本初の油圧式トラッククレーンOC-2型（2トン吊り）を開発し生産を開始した",
            "source": "有価証券報告書",
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            "genbun": "荷役の機械化という需要を先に掴んだ会社が、建設機械雑誌をヒントに1955年、日本初の油圧式トラッククレーンOC-2型を作った。"
          },
          {
            "fact": "日本初の製品ということで全国から注文が殺到し、クレーンメーカーとしての第一歩となった",
            "source": "統合報告書2023（株式会社タダノ）",
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            "genbun": "日本初という一点で全国から注文が殺到した。"
          },
          {
            "fact": "多田野益雄が溶接業を興すため1919年8月29日に高松から旭川へ渡り、同社はこの日を創業の日と定めている",
            "source": "統合報告書2018（株式会社タダノ）",
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            "genbun": "同社が創業と定めるのは、益雄氏が溶接業を興すため旭川へ渡った1919年8月29日である。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ1990年にドイツのファウンを買い、2019年にデマーグまで買ったのか",
        "a": "大型のオールテレーンクレーンは、欧州の道路規格と現場から生まれた製品で、国内向けのラフテレーンや車両搭載型の延長では作れない。品揃えの穴を自力で埋めるより、既存メーカーごと手に入れるほうが早かった。1990年にファウンAGのクレーンおよび車両部門を買い、2019年にはテレックス社からデマーグブランドのクレーン事業を買って、1,200トン吊りまでのオールテレーンと400〜3,200トンのクローラクレーンを加えた。2008年に事業領域をLEと定めてからは、欠けている製品を買って埋めるほかない立場になった。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "1990年5月にドイツで子会社ファウンGmbHを設立しファウンAGのクレーンおよび車両部門を買収、2019年7月にテレックス社が保有するデマーグブランドのクレーン事業の買収を完了した",
            "source": "有価証券報告書",
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            "genbun": "1990年にファウンAGのクレーンおよび車両部門を買い、2019年にはテレックス社からデマーグブランドのクレーン事業を買って、1,200トン吊りまでのオールテレーンと400〜3,200トンのクローラクレーンを加えた。"
          },
          {
            "fact": "タダノ・デマーグGmbHは吊り上げ能力1,200トンまでのオールテレーンクレーンと400〜3,200トンのクローラクレーンを持つ",
            "source": "統合報告書2019（株式会社タダノ）",
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            "genbun": "1990年にファウンAGのクレーンおよび車両部門を買い、2019年にはテレックス社からデマーグブランドのクレーン事業を買って、1,200トン吊りまでのオールテレーンと400〜3,200トンのクローラクレーンを加えた。"
          },
          {
            "fact": "2008年に事業領域をLE（Lifting Equipment＝移動機能付き抗重力・空間作業機械）と定義した",
            "source": "統合報告書2021（株式会社タダノ）",
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            "genbun": "2008年に事業領域をLEと定めてからは、欠けている製品を買って埋めるほかない立場になった。"
          }
        ]
      },
      {
        "q": "なぜ2021年に創業家以外から社長を迎えたのか",
        "a": "買収で手に入れた欧州事業が赤字を出し続け、ファウン・デマーグ・タダノという三つのブランドが並んだままでは、買った資産が一つの会社として動かない。前社長の多田野宏一氏は「Innovationを起こすのは若者・馬鹿者・よそ者である」と語っており、2021年4月に就任した氏家俊明氏はこれを引いて、自分は馬鹿者とよそ者の条件を満たしていると書いた。丸紅出身の氏家社長は就任後、三つのブランドをタダノへ統一し、決算期を12月へ揃え、価格競争の続く中国では合弁会社を清算している。",
        "factBasis": [
          {
            "fact": "氏家俊明は2021年4月に社長CEOへ就任した創業家以外で初の社長で、就任メッセージで前社長の言葉「Innovationを起こすのは若者・馬鹿者・よそ者である」を引用した",
            "source": "統合報告書2021（株式会社タダノ）",
            "url": null,
            "genbun": "前社長の多田野宏一氏は「Innovationを起こすのは若者・馬鹿者・よそ者である」と語っており、2021年4月に就任した氏家俊明氏はこれを引いて、自分は馬鹿者とよそ者の条件を満たしていると書いた。"
          },
          {
            "fact": "2021年10月に3ブランドをタダノへ統一、2022年12月期に決算日を12月31日へ変更、2023年3月に中国の製造販売合弁会社の清算を完了した",
            "source": "統合報告書2021（株式会社タダノ）",
            "url": null,
            "genbun": "丸紅出身の氏家社長は就任後、三つのブランドをタダノへ統一し、決算期を12月へ揃え、価格競争の続く中国では合弁会社を清算している。"
          }
        ]
      }
    ]
  }
}
