{
  "spec_version": "3",
  "endpoint": "history",
  "stock_code": "6326",
  "company_name": "クボタ",
  "content_lang": "ja",
  "meta_lang": "en",
  "canonical_url": "https://the-shashi.com/tse/6326/",
  "api_url": "/api/6326/history.json",
  "updated": "2026-09-04",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/6326/",
  "title": "クボタの歴史概略",
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "description": "クボタ（旧久保田鉄工）の歴史。1890年、久保田権四郎氏が大阪で創業し水道用鋳鉄管を国産化。耕うん機からトラクタへの組み替え、北米進出、石綿問題、インドのエスコーツ買収までの沿革と経緯を執筆。"
  },
  "eras": [
    {
      "title": "鋳物屋が興した鋳鉄管の国産化と、機械への拡張",
      "start_year": 1890,
      "end_year": 1929
    },
    {
      "title": "二社に分けた法人化と、戦後に芽を出した耕うん機",
      "start_year": 1930,
      "end_year": 1959
    },
    {
      "title": "農業機械を主力へ組み替え、北米へ持ち出した20年",
      "start_year": 1960,
      "end_year": 1989
    },
    {
      "title": "未知へ飛び込む多角化と石綿の公表、そして海外農機への傾斜",
      "start_year": 1990,
      "end_year": 2026
    }
  ],
  "founding": [
    {
      "start_year": 1890,
      "end_year": 1929,
      "main_title": "鋳物屋が興した鋳鉄管の国産化と、機械への拡張",
      "subsections": [
        {
          "title": "水道用の鋳鉄管に的を絞った創業期",
          "text": "1890年2月、久保田権四郎氏は大阪市南区御蔵跡町で久保田鉄工所を興し、各種鋳物の製造・販売を始めた。個人経営の町工場からの出発で、権四郎氏は創立者であると同時に初代社長を務めている。三年後の1893年7月には水道用鋳鉄管の製造に着手した。創業期に手がけたのは、水道用および瓦斯用の鋳鉄管を主体とする各種鋳物である。もっとも鋳鉄管の鋳造は容易ではなく、量産に足る技法の確立までには着手からさらに七年を要した。\n\n量産の壁を破ったのは鋳造法の工夫で、1900年に丸吹立込鋳造法を考案して実地に移している。翌1901年には船山町工場を建設し、鋳鉄管と諸機械の製造販売を始めた。1908年にはさらに鋳鉄管の廻転式鋳造法を考案して特許を獲得し、鋳造の技法を自前で組み立てて特許で囲う型を固めている。工場と技法の両方を握ったことで、鋳鉄管は久保田鉄工所の柱として据わった。",
          "references": [
            {
              "title": "クボタ 有価証券報告書 第135期（2024年12月期）【沿革】",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            }
          ]
        },
        {
          "title": "鋳物から機械へ品目を広げた大正期",
          "text": "鋳物事業が伸びると、権四郎氏はその機械加工に目を向け、1914年に船出町工場へ機械工場を新設してスチームエンジンなどの舶用機械の製造を始めた。1916年には工作機械・節炭機・給炭機・制水弁・一般機械へ、1918年には鋳型へと品目を広げている。鋳物を売るだけでなく、鋳物を使う機械までを自社で作る構えで、鋳鉄管という単一の柱に機械という二本目を継ぎ足す作業が大正期を通じて進んだ。\n\n鋳鉄管と鋳物の需要が増すと生産の場そのものを買い足し、1917年には関西鉄工所を買収して尼崎工場とし、船出町工場の鋳鉄管製造部門をここへ移している。あわせて異形管の工場として恩加島工場を、排水管・異形管・一般鋳物の工場として市岡工場を新設した。1922年2月には農工用小型エンジンである発動機の製造に着手し、同じ年に耐熱・耐酸・耐アルカリの鋳物、砲金、軽合金の鋳物も手がけている。のちに農業機械へ育つ発動機は、この年に始まった。なお1919年11月には実用自動車製造を設立して三輪車・四輪車の生産にも手を出しているが、こちらは市場を得られずに退いた。",
          "references": [
            {
              "title": "クボタ 有価証券報告書 第135期（2024年12月期）【沿革】",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            }
          ]
        },
        {
          "title": "特許で囲った鋳造技術と、隅田川精鉄所の買収",
          "text": "鋳造技術の蓄積は大正末に二つの特許となって表れ、1923年に自動製芯機、翌1924年に自動成型機の発明特許をそれぞれ獲得している。手作業に頼っていた工程を機械へ置き換えるもので、鋳鉄管の量産はこの二件で一段階を進めた。1924年には度量衡法の改正にあわせ、船出町工場で衡機の製造も始めている。鋳造の技法から、それを支える機械までを自社で握る構えがここで揃った。\n\n設備の買い足しも続き、1927年2月には株式会社隅田川精鉄所を買収して鋳鉄管事業を拡張している。同じ1927年には自動給炭機、ディーゼルエンジン、小形舶用発動機の製造にも着手した。創業から40年に満たない間に、久保田鉄工所は鋳鉄管・鋳物・機械・発動機という四つの製品群を抱える規模へ達している。個人経営の町工場のままでは、この広がりをもはや収めきれなくなっていた。",
          "references": [
            {
              "title": "クボタ 有価証券報告書 第135期（2024年12月期）【沿革】",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            }
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1930,
      "end_year": 1959,
      "main_title": "二社に分けた法人化と、戦後に芽を出した耕うん機",
      "subsections": [
        {
          "title": "鋳物と機械を二つの会社に分けた法人化",
          "text": "1930年12月、久保田鉄工所は二つの株式会社に分かれて法人格を得ている。水道瓦斯鋳鉄管および各種鋳物の製造を主とする資本金450万円の株式会社久保田鉄工所と、内燃機・陸舶用機械・製鉄製鋼用機械・制水弁・衡機・工作機械などを製造する資本金250万円の株式会社久保田鉄工所機械部である。鋳物と機械という二つの系統をそのまま二つの会社に分けた形で、同じ1930年には社章も改め、1925年に制定した円と鋳鉄管の意匠から円を歯車へ置き換えた。鋳物の久保田から、鋳物と機械の久保田へという看板の書き換えである。\n\n二社に分けた体制は七年で畳まれ、1937年3月に株式会社久保田鉄工所機械部を株式会社久保田鉄工所へ合併している。同年9月には大同鉄工所を買収して鋳鋼工場とし、11月には堺工場を新設して農工用発動機の大量生産に着手した。堺工場には欧米各国から新型機械を輸入して据えている。翌1938年8月には隅田川精鉄所を合併して隅田川工場とし、1927年の買収から11年を経て組織のうえでも取り込んだ。\n\n生産の場は戦時へ向けてなお広がり、1940年10月には武庫川工場を新設して産業機械事業を拡張し、その翌年10月から遠心力鋳鉄管の鋳造を始めている。1943年3月には神崎工場を設け、同じ月に特殊鋳鋼品および高硅素鋳鉄鋳物の鋳造にも入った。1945年7月には布施工場を加えている。このうち兵庫県尼崎市の神崎工場は、60年余りのちに石綿被害の舞台として同社の経営を揺らす場所となった。",
          "references": [
            {
              "title": "クボタ 有価証券報告書 第135期（2024年12月期）【沿革】",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号（広慶太郎）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            }
          ]
        },
        {
          "title": "耕うん機から始まった戦後の農業機械",
          "text": "敗戦の翌年、1946年3月に製材機と鉱山用諸機械の製造を始め、1947年には耕うん機を手がけた。のちに売上の4割を占める農業機械部門は、この耕うん機から始まっている。1922年に始めた農工用発動機を動力源として、農家が使う機械そのものを作る側へ回った。1949年5月には東京証券取引所と大阪証券取引所へ上場し、1950年8月には製品別の事業部制を採用して、製品ごとに損益を締める仕組みを入れた。\n\n戦後の製品群は鋳鉄管の周辺でも厚みを増し、1950年7月に金型遠心力鋳鉄管、1951年にクローム鋳鉄管とセメントライニング管、土木建設各種プラント、1952年に鋳鋼管とポンプの製造へ入っている。1952年12月には武庫川機械工場でポンプの製造を始めた。上水道の管を作る会社から、水を送る装置までを扱う会社へ、製品の範囲が広がっている。",
          "references": [
            {
              "title": "クボタ 有価証券報告書 第135期（2024年12月期）【沿革】",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号（広慶太郎）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            }
          ]
        },
        {
          "title": "社名の変更と、石綿パイプの製造開始",
          "text": "1953年6月、社名を久保田鉄工株式会社へ改めている。翌1954年には石綿パイプとビニルパイプの製造を始め、同年4月にはビニルパイプ工場を新設して合成樹脂管の本格的な製造に入った。石綿を含む水道用パイプは当時の配管材として広く使われた製品で、この1954年から、のちに旧神崎工場周辺の被害として問われる石綿の取り扱いが始まっている。\n\n1950年代の後半には製品の幅がさらに住宅と鋼管へ伸び、1956年4月にモビルクレーンと運搬用諸機械、1957年11月には久保田建材工業株式会社を設立して住宅建材事業へ進出している。1959年12月にはスパイラル鋼管の製造を始め、同じ月に大浜工場を新設した。鋳鉄管・農業機械・一般機械・鋳物という四部門の骨格は、この時期にほぼ出来上がっている。次の十年で主役に躍り出るのは、四部門のうち農業機械であった。",
          "references": [
            {
              "title": "クボタ 有価証券報告書 第135期（2024年12月期）【沿革】",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "クボタ ニュースリリース 2006年4月17日「旧神崎工場周辺の石綿疾病患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規程の骨子について」",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            },
            {
              "title": "証券アナリストジャーナル 1964年第2巻第5号（広慶太郎）",
              "year": null,
              "month": null,
              "date": null,
              "url": null,
              "quotes": []
            }
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "1890年2月、久保田権四郎が大阪市南区御蔵跡町に久保田鉄工所を興し、各種鋳物の製造・販売を始めた。1893年7月には水道用鋳鉄管の製造に入り、大企業でも量産に達しなかった国産化を1900年の丸吹堅込法で成し遂げ、1910年代には国内シェア6割を占めた。1922年2月に農工用小型エンジン、1927年2月に隅田川精鉄所の買収と品目を広げ、1930年12月に鋳物と機械の二社へ分けて法人化し、1937年3月に再び一社へ合併している。1949年5月に東京・大阪の両証券取引所へ上場し、1953年6月に久保田鉄工、1990年4月にクボタへ商号を改めた。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "祖業を抱えたまま、主力だけを鋳鉄管から農業機械へ移した。1960年3月に[純国産トラクタT15形を発売し](/tse/6326/decisions/farm-machinery-mainstay-1960/)、耕うん機の延長ではなく乗用トラクタ・収穫機・田植機という完成機の体系へ資源を移した。減反政策で国内需要が頭打ちになると、1972年9月には[クボタトラクターCorp.を米国に設立し](/tse/6326/decisions/north-america-tractor-export-1972/)、米国大手が手薄な25〜30馬力の区画へ入った。一方、1990年5月に掲げた[「落下傘型」と称した多角化](/tse/6326/decisions/parachute-diversification-1990/)では未経験の分野へ次々と参入したものの、第3の収益源には届かず、2003年に住宅建材を分離している。祖業の側でも2005年6月に[旧神崎工場の石綿疾病を公表し](/tse/6326/decisions/asbestos-disclosure-2005/)、鋳鉄管とともに扱った石綿の代償を負った。多角化で作ろうとした事業は残らず、現在も売上の87%は機械が占める。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "日本の水田向けに作った機械が、売上の4割を北米で立てている。2025年12月期の売上高3兆189億円のうち北米が1兆2,185億円と40%を占め、日本は6,852億円の23%にとどまる。事業別では農業機械・エンジン・建設機械を含む機械が2兆6,289億円で87%、鋳鉄管を継いだ水・環境は3,744億円である。2022年4月には[インドのエスコーツを最大約1,406億円で子会社化し](/tse/6326/decisions/escorts-india-acquisition-2022/)、高価格の自社製品では14年間シェアを取れなかったインドで、低価格帯のベーシックトラクタと販売網ごと取り込んだ。ただし北米の在庫調整で営業利益は2,654億円と前期から500億円あまり減り、ROICの徹底が全社の課題に据えられた。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "国内では農機の首位を保つが、北米ではジョンディアを追う立場にある。国内で同じ稲作向けの機体を作るのはヤンマーと井関農機で、クボタは1960年代に組み替えた完成機の体系で首位を守ってきた。北米では大型トラクタを主戦場とするジョンディアやCNHが相手になり、25〜30馬力の小型機という空白へ入ることで正面からの競合を避けている。建設機械のミニショベルでは[油圧ショベルへ後発で参入したコマツ](/tse/6301/decisions/hydraulic-excavator-1968/)とも重なる。相手ごとに機体の大きさを変えて住み分ける進み方は、世界最大のインド市場では通じず、現地大手の買収という回り道を強いた。"
    }
  ],
  "profile": [
    {
      "key": "founding_business",
      "label": "祖業",
      "value": "鋳物の製造・販売"
    },
    {
      "key": "current_issue",
      "label": "現在の注力課題",
      "value": "ROICの徹底とインド農機の拡大",
      "tags": [
        "資本効率",
        "海外展開"
      ]
    }
  ],
  "auditVersion": 3,
  "foundingStory": true,
  "foundingChapters": 2
}
