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      "title": "造船大手・浦賀重工業の吸収合併と重工業メーカーへの転換",
      "subtitle": "機械専業のまま残るか、赤字の造船会社を抱えるか——住友機械工業が選んだ道",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "住友機械工業を存続会社とする吸収合併。浦賀重工業から資本金17億6,000万円を引き継ぎ、合併後の資本金は71億6,000万円となった",
      "ratio": "住友機械工業10に対し浦賀重工業5.5",
      "issue": "機械専業からの脱皮と規模の拡大",
      "decider": "市川恒雄（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1969年6月30日、機械専業だった住友機械工業が造船大手の浦賀重工業を10対5.5の比率で吸収合併し、住友重機械工業が発足した。合併後の資本金は71億6,000万円、従業員は1万人をわずかに超える規模となった。別子銅山の内製工場を出自とする会社が、造船部門を抱える重工業メーカーへ移った合併である。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "住友機械工業は減変速機で国内シェア3割強の首位に立ちながら、三菱重工業や石川島播磨重工業に比べて規模が小さかった。浦賀重工業は20万〜30万重量トン型タンカーに対応する大型ドックを必要としながら、累積赤字約30億円で投資余力を失っていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "住友機械工業を存続会社とする吸収合併で、資本金17億6,000万円の負担で浦賀の造船設備と6,000人の従業員を引き継いだ。あわせて追浜に13万坪を埋め立て、160億〜170億円を投じて20万〜30万トン級の新造船ドックを建設する計画を進めた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "追浜造船所は1970年からの輸出船ブームに間に合い、機械部門の不振を造船が補った。もっとも石油危機の後、船舶部門は50%操業体制へ入り、造船は長く同社の重荷へ転じた。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "stock_code": "6302",
          "name": "住友重機械工業",
          "role": "存続会社（住友機械工業）",
          "at_deal": {
            "note": "1888年に住友別子鉱業所の工作方として発足した機械専業メーカー。資本金54億円・従業員約4,000人で、減変速機は国内シェア3割強の首位。ただし三菱重工業・石川島播磨重工業に比べて規模が小さかった"
          }
        },
        {
          "name": "浦賀重工業",
          "role": "消滅会社",
          "at_deal": {
            "note": "1897年に榎本武揚の主唱で設立された浦賀船渠を前身とする造船会社。資本金64億円・従業員6,000人余。累積赤字約30億円を1968年2月の半額減資で一掃したうえで合併に臨んだ"
          }
        }
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      "dates": {
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        "announced": "1969-06",
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        "summary": "機械専業では総合重機に規模で届かない住友機械工業が、大型ドックを持てずにいた浦賀重工業を吸収合併し、造船を加えた重工業メーカーへ移行した判断"
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          "title": "住友別子鉱業所の工作方として発足（住友機械工業の出発点）"
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          "title": "榎本武揚の主唱により浦賀船渠が設立される"
        },
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          "title": "浦賀船渠が浦賀玉島デイゼル工業と合併し浦賀重工業へ改称"
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          "title": "住友機械工業と浦賀重工業が合併覚書に調印"
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          "title": "住友機械工業が浦賀重工業を吸収合併し、住友重機械工業が発足",
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          "title": "追浜造船所の建設が運輸省の正式認可を受ける"
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          "title": "追浜造船所（現横須賀製造所）が操業を開始"
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          "title": "石油危機後の受注減で船舶部門が50%操業体制に入る"
        }
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1970年3月期",
        "source": "住友重機械工業 会社年鑑（単体業績）",
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            "name": "住友重機械工業",
            "fiscal_year": "1970年3月期（単体・JGAAP）",
            "president": "市川恒雄",
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              "note": "前期（1969年3月期・住友機械工業単体）は417億円"
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "機械専業メーカーの規模の壁",
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                {
                  "text": "住友機械工業は、1888年に住友別子鉱業所の工作方として発足した鉱山の内製工場を出自とする。1934年11月に住友機械製作として独立し、戦後は西ドイツのサイクロ社との提携で始めた減速機とバイエル変速機を伸ばし、両者を合わせて国内シェア3割を占める首位メーカーに育った。1961年に大府製造所、1965年に千葉工場を設けて拠点を分け、1967年8月には全面事業部制へ移っている。",
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                    {
                      "fact": "1888年に住友別子鉱業所工作方として発足、1934年11月に住友機械製作株式会社として独立した",
                      "原文": "1888年 住友別子鉱業所工作方として発足／1934年 11月 住友機械製作株式会社として独立",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "減変速機は国内市場で30%のシェアを占め、トップメーカーであった",
                      "原文": "減変速機双方を合せると国内市場では30%のシェアを占め、トップメーカーである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
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                    {
                      "fact": "1961年9月に大府製造所（現名古屋製造所）が操業を開始し、1965年10月に千葉工場が操業、1967年8月に全面事業部制へ移行した",
                      "原文": "同年九月大府製造所第一期工事完成にともない精機事業部を移し、操業を開始した。（中略）四〇年一〇月千葉工場第一期工事を完成プラスチック機械工場が操業開始。（中略）四二年八月一般機械部門強化のため、事業部制を採用、産業機械部と運搬機事業部の二事業部が発足したがこれにより全面事業部制の実施となった。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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                },
                {
                  "text": "しかし、機械を並べるだけでは越えられない壁もあった。西村恒三郎社長は後年、合併前の同社を「どんな機械でもそろえていたが三菱重工や石播に比べ規模が小さい」と述べ、「田舎のデパートのようなもの」と振り返っている。建設機械の小松製作所やポンプの荏原製作所のように専門店へ絞り込むには、すでに間口を広げすぎていた。進む道は一流の総合重機になるほかないというのが、当時の同社の見立てであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "西村恒三郎社長は合併前の住友機械工業を「田舎のデパート」と評し、専門店化するには間口を広げすぎていたと述べた",
                      "原文": "当社はどんな機械でもそろえていたが三菱重工や石播に比べ規模が小さい。いわば田舎のデパートのようなものだった。田舎のデパートはいずれ一流デパートに圧倒されるだろう。だからといって、建設機械の小松やポンプの荏原のように専門店化するには間口を広げ過ぎていた。だから進む道は一流デパートになるしかなかった。浦賀との合併はこのためだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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            },
            {
              "sub_title": "大型ドックを持てない浦賀重工業",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "一方の浦賀重工業は、1897年に榎本武揚の主唱で設立された浦賀船渠を前身とし、1962年に浦賀玉島デイゼル工業と合併して社名を改めた造船会社であった。資本金は64億円と住友機械工業の54億円を上回り、従業員は6,000人余と住友機械工業の2倍近くを抱えていた。だが経営は行き詰まり、累積赤字は約30億円に達していた。規模の大きさが、そのまま重さになっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "浦賀重工業は累積赤字が約30億円あり、資本金は旧住友機械の54億円に対し64億円、従業員は旧住友機械の2倍近い6,000人余だった",
                      "原文": "面倒を見るには相手が大き過ぎる。累積赤字が約30億円あり、資本金も旧住機の54億円に対し、浦賀は64億円、おまけに従業員は旧住機の2倍近い6000人余。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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                    {
                      "fact": "1897年に榎本武揚の主唱により浦賀船渠として設立され、1962年に浦賀玉島デイゼル工業と合併して浦賀重工業へ改称した",
                      "原文": "1897年 榎本武揚の主唱により浦賀船渠株式会社として設立／1962年 浦賀玉島デイゼル工業株式会社と合併し、浦賀重工業株式会社と改称",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "住友グループとの縁は、再建の要請から始まった。浦賀の主力銀行であった住友銀行が再建要員の派遣を求め、第一銀行の要請を受けた川崎重工業が造船部門を、住友機械工業が機械部門をそれぞれ担当する形で、2社が組んで立て直しに当たった。しかし4年の努力は実らず、川崎重工業は浦賀から手を引いた。残された住友機械工業の側では、知らない造船の面倒まで背負い込んだという受け止めが広がっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友銀行が浦賀の再建要員派遣を要請し、川崎重工業が造船部門・住友機械工業が機械部門を担当したが、4年の努力の末に川崎重工業が撤退した",
                      "原文": "同社に浦賀重工業と接触する機会を作ったのは住友銀行である。たまたま同行が浦賀重工の主力銀行であり、経営難に陥っていた浦賀の再建要員の派遣を要請してきた。当初、やはり浦賀の主力銀行だった第一銀行も第一グループの川崎重工に要員の派遣を要請していたから、川重は造船部門、旧住友機械は機械部門をそれぞれ担当し、ペアで再建に取り組んだわけである。（中略）4年間の努力のかいもなく、再建は思うにまかせず川重は浦賀から手を引いた。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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                    {
                      "fact": "住友重機械の長井隆三常務は当時を「知りもしない造船の面倒まで背負い込んだ、という気持ちだった」と振り返っている",
                      "原文": "当時を振り返って住友重機の長井隆三常務は「知りもしない造船の面倒まで背負い込んだ、という気持ちだった」と率直に語っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
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              "sub_title": "10対5.5の吸収合併",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1968年5月、両社は合併覚書に調印し、同年11月には追浜造船所の建設申請を運輸省へ提出した。大手造船会社として残るには大型ドックの建設が避けられず、住友グループの具体的な支援がなければ建設を認めないとする運輸省の方針も、浦賀の背を押した。合併を拒むことは中小造船所への転落を意味した。同年2月には半額減資で累積赤字を一掃しており、外堀と内堀が順に埋められた末の合意であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大型ドック建設には住友グループの支援が不可欠とする運輸省の方針が出て、合併を拒むことは中小造船所への転落を意味した",
                      "原文": "大手造船会社として生き残るためには大型ドックの建設が避けられない情勢の中で、住友グループの具体的な支援がなければ合併は認められないとする運輸省の方針が出たからである。合併を拒むことは中小造船所への転落を意味する。（中略）こうした情勢の中で43年、浦賀重工の減資による累積赤字の一掃、合併へ、の手順が固まった。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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                    {
                      "fact": "両社は1968年5月に合併覚書に調印し、同年11月に追浜造船所の建設申請を運輸省へ提出した",
                      "原文": "両社は43年5月、合併覚書に調印し、これを添えて同年11月、同造船所の建設申請を運輸省に提出した。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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                },
                {
                  "text": "1969年6月30日、資本金54億円の住友機械工業が浦賀重工業を10対5.5の比率で吸収合併し、住友重機械工業が発足した。引き継いだ資本金は17億6,000万円で、合併後の資本金は71億6,000万円となった。従業員は住友機械の4,000人と浦賀の6,000人を合わせ、1万人をわずかに超えた。産業機械の総合メーカーが、一挙に造船部門と6,000人の従業員を抱える会社へ変わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1969年6月30日に資本金54億円の住友機械工業が浦賀重工業を10対5.5の比率で吸収合併し、資本金71億6,000万円・従業員1万人強の住友重機械工業が発足した",
                      "原文": "さて当社、住友重機械工業は、去る6月30日に当時の資本金54億円の住友機械工業が浦賀重工業を10対5.5の比率で吸収合併し発足した。浦賀重工から引継いだ資本金は17億6,000万円、したがつて合併後の資本金は71億6,000万円である。従業員は住友機械4,000人、浦賀重工6,000人を合わせて1万人をわずかに越える陣容となつている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1969年6月に住友機械工業と浦賀重工業が合併して住友重機械工業となった",
                      "原文": "1969年６月 住友機械工業株式会社と浦賀重工業株式会社が合併して住友重機械工業株式会社となる",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "市川社長は合併の勘定を、株主向けの講演でこう説明している。浦賀は1968年2月の半額減資で過去の損失を処理しており、合併比率も10対5.5であったから、17億6,000万円の資本負担で設備を取得できた。従業員6,000人は懸案だが、労働力の確保が難しい時代であればうまく使えると述べた。造船は鋼材の使用量が多く、製鉄関係機械の受注でも有利に立てるという読みも重ねていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "市川社長は、浦賀が半額減資を済ませ合併比率も10対5.5だったため17億6,000万円の資本負担で設備を取得できた点、および造船の鋼材使用量が製鉄機械の受注に有利に働く点を合併の利点として挙げた",
                      "原文": "浦賀重工は昨年2月の半額減資により過去のウミを出し、しかも今度の合併比率も10対5.5であつたので、17億6,000万円の資本負担により浦賀重工の設備を手に入れることができた。そこにメリットをみている。問題は浦賀重工の従業員6,000人にあるが、労働力確保がむずかしい時代であるから、経営者としてはこれをうまく利用すれば、生産性の向上を実現することはできると思う。また造船は鋼材の使用量が多いので、製鉄関係機械の受注の際に有利な立場にたつことができるというメリットもある。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "追浜への160億円",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合併と一体で決めたのが、追浜での新造船ドック建設であった。浦賀と横須賀の造船所はいずれも10万トン級までしか建造できず、船舶の大型化に対応できない。そこで13万坪の埋立地を造成し、長さ560メートル、幅75メートル、深さ12.6メートルのドックを設ける計画を立てた。両側から進水させて1杯半の船を同時に建造できる両開き式とし、建設資金は160億〜170億円を見込んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "浦賀・横須賀の造船所は10万トン級までしか建造できず、追浜に13万坪を埋め立てて長さ560メートル・幅75メートル・深さ12.6メートルの両開き式ドックを160億〜170億円で建設する計画を立てた",
                      "原文": "次に浦賀重工合併後に加わつた船舶部門であるが、造船所は浦賀と横須賀にもつている。ただいずれも10万トンクラスまでの船舶しか建造できない造船所であるので、船舶の大型化に対処し追浜に13万坪の埋立地を造成し、そこに30万トンの新造船ドックを建設する計画をたてた。（中略）ドックの長さは560メートル、巾75メートル、深さは12.6メートル、形態は日本鋼管の津で新しく採用された両開式をとりたい。（中略）この新造船所の建設資金としては160～170億円を予定している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "市川社長は、規模の追求そのものには一線を引いていた。50万トンから100万トンに達する超大型船が数多く現れる環境にはないとみて、20万〜30万トンの船を能率よく建造できるドックのほうが経済的だと判断した。営業部門には受注量にこだわるなと繰り返し、量より質を求めている。日本の造船界が世界市場の半分を占めながら利益なき繁忙といわれるのは、量の拡大に走った報いだという見方であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "市川社長は超大型船が数多く出現する環境にはないとみて20万〜30万トン級を能率よく建造できるドックを選び、営業部門には量より質を求めた",
                      "原文": "しかし船舶の大型化がやかましくいわれる時代ではあつても、50万トンから100万トンに達する超大型船が数多く出現しうるという環境にはない。したがつて当社としては20～30万トンの船舶を能率よく建造できるドックの方が経済的ではないかと考え、これを実行に移そうとしているわけである。（中略）そのため私は常に、営業部門に対して受注量にこだわるなということをいつている。量よりも質に重点をおくようにと強調しているわけである。日本の造船界は世界市場の50%を支配しながら、利益なき繁忙をうんぬんされているが、これも量の拡大に走つて、質を無視したとがめであろう。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "市川社長は5年後の年間売上2,000億円を目標とし、売上構成は機械70%・造船30%を想定した",
                      "原文": "当社としては5年後の年間売上2,000億円という目標をもち、相応の利益を実現すべく努力したい。そのため売上構成は機械70%(繰返生産品40%、受注生産品30%)、造船30%を考えている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "認可の遅れと輸出船ブーム",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "根回しを済ませていた追浜造船所の建設申請は、通常なら数カ月で認可が下りる見込みであった。ところが正式認可は申請から1年後の1969年11月までずれ込んだ。認可が出るまで受注活動は許されず、開始も約1年遅れた。この遅れが結果を分けた。受注活動を始めた1970年初頭、輸出船市場は船価・隻数とも史上空前といわれるブームを迎え、住友重機械工業の受注はそこに正面からぶつかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "追浜造船所の正式認可は申請から1年後の1969年11月となり、受注活動も約1年遅れて1970年の輸出船ブームに重なった",
                      "原文": "あらかじめ根回しをしていたのだから普通なら数カ月で認可が下りる予定だった。ところが正式認可は1年後の44年11月となった。当然正式認可が出るまでは受注活動は許されない。このため44年早々から始める予定だった受注活動も約1年遅れることになったわけだが、この思いもかけなかった1年間のズレが、追浜造船所の成功に決定的な影響を与えたのだ。（中略）45年から輸出船ブームが到来したのだ。（中略）このブームは質（船価の上昇）、量（発注隻数）ともに史上空前といわれるものだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "売り手市場を背景に、同社は完全円建て契約を通した。1ドル360円から265円への変更にともなう総額129億円の為替差損は、いずれも旧来の浦賀造船所向けに受注した船で生じたもので、追浜向けの契約船にドル建ては1隻も含まれない。高船価に加えて前受金が大量に流入し、建設途上にあった追浜の工事資金にそのまま充てられた。1969年3月期に417億円だった売上高は、合併後の1970年3月期に904億円へ伸びた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "完全円建て契約により追浜向け受注船にドル建ては1隻も含まれず、129億円の為替差損はすべて浦賀造船所向け受注船で生じた。前受金は追浜の建設資金に流用された",
                      "原文": "各造船所ともこれを懸念して売り手市場を背景に完全円建て契約を強行できた。このため追浜造船所向けの受注船はドル建て契約船は1隻も含まれていない。同社は1ドル360円から同265円の為替レート変更に伴い総額129億円の為替差損を蒙ったが、いずれも浦賀造船所向けに受注した船ばかりである。（中略）まだ建設途上にあった追浜造船所の建設資金にこれを流用できたのである。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "売上高は1969年3月期の417億円から1970年3月期に904億円へ伸びた",
                      "原文": "売上高417億円（1969年3月期・単体）、売上高904億円・当期純利益28.2億円（1970年3月期・単体）。",
                      "source": "住友重機械工業 会社年鑑（単体業績）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "合併から5年後、造船と機械の位置は入れ替わっていた。設備投資の鎮静で機械の収益力が落ちる一方、1970年から1971年にかけて受注した高船価・低コストの船が順次収益に寄与し、造船が会社の収益基盤を支えた。ある造船会社の重役は「住重さんにすれば浦賀はほんとに安い買い物でしたよ」と語っている。造船なしにこの時期を迎えていれば苦境に追い込まれていた、という認識が社内外にあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "機械の収益力が落ちる一方、輸出船ブーム時に受注した高船価・低コストの船が収益に寄与し、造船が住友重機械の収益基盤を支えた",
                      "原文": "ここ数年、設備投資マインドの鎮静で機械の収益力は著しく落ちてきた。これに対して造船は45年から46年にかけての史上空前といわれた輸出船ブーム時に受注した高船価、低コストの船が順次収益に寄与している。機械が相変わらず不振の色を強めているから、ここ当分は造船が同社の屋体骨を支えることになる。造船なしに同社がこの時期を迎えていたら大変な苦境に追い込まれていた、という認識が先ほどの重役氏の言葉に現れている。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ある造船会社の重役は合併5年目の感想として「住重さんにすれば浦賀はほんとに安い買い物でしたよ」と述べた",
                      "原文": "ある造船会社の重役氏がしみじみといったものだ。「住重さんにすれば浦賀はほんとに安い買い物でしたよ」。44年6月、旧住友機械工業が浦賀重工業を吸収合併し、住友重機械工業としてスタートを切ってから5年目の感想である。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "石油危機後の反転",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1973年の石油危機は流れを変えた。船舶本部の売上比率は1974年の45.7%から1975年に35.8%へ下がり、同社は他部門に先んじて50%操業体制を敷いた。造船部門の社外工は1974年9月末の2,981人から1977年3月末の予定で1,049人へ、社内工も4,570人から3,953人へ減らした。社外工の賃金は年間100億円から43億円へ縮み、これが造船部門の採算を支えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "船舶本部の売上比率は1974年45.7%から1975年35.8%へ低下し、社外工は2,981名から1,049名へ、社内工は4,570名から3,953名へ削減された",
                      "原文": "機械、標準機械、船舶各本部の売上げ比率は、昭和49年が、39.3%、15.0%、45.7%、昭和50年が46.7%、17.5%、35.8%となっており（中略）数字的に見ると、昭和49年9月末は、社内工4,570名、社外工2,981名。昭和51年3月末には、これが社内4,363名、社外1,347名、昭和52年3月末の予定としては、社内3,953名、社外1,049名となっている。（中略）社外工の賃金は、昭和49年は年間100億円だったものが、昭和51年には43億円となって、全体の利益に大きく寄与している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「住友重機械工業 コミュニケーションを生かして一層の前進を」（日本証券アナリスト協会）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "減量で当面の採算は保たれ、1976年3月期の経常利益は70億円を確保した。しかし造船不況は長引き、1979年3月期の経常利益は6億円まで落ちた。1980年代半ばには円高が重なり、1986年3月期と1987年3月期は連続して純損失を計上している。合併で得た造船は、1969年の想定とは逆の向きに働き続けた。同社が新造船事業からの撤退を決めたのは、合併から55年を経た2024年2月であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "経常利益は1976年3月期70億円から1979年3月期6億円へ落ち込み、1986年3月期・1987年3月期は純損失を計上した",
                      "原文": "経常利益70億円（1976年3月期・単体）、経常利益6億円（1979年3月期・単体）、当期純損失73億円（1986年3月期・単体）、当期純損失110億円（1987年3月期・単体）。",
                      "source": "住友重機械工業 会社年鑑（単体業績）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2024年2月、住友重機械工業は1969年の浦賀重工業合併から55年続けた新造船事業からの撤退を発表した",
                      "原文": "2024年2月、住友重機械は中期経営計画26と同時に新造船事業からの撤退を発表した。",
                      "source": "住友重機械工業 中期経営計画26（2024年2月発表）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "安く買えたことと、うまく使えたこと",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "赤字の造船会社を救済したという説明では、この合併の芯を取り逃がす。住友機械工業が求めたのは造船そのものではなく、三菱重工業や石川島播磨重工業と並ぶ規模であった。西村恒三郎社長が自社を「田舎のデパートのようなもの」と評し、専門店へ絞るには間口を広げすぎていたと述べたとおり、残る道は総合重機になることであった。代価は資本金17億6,000万円の負担にとどまり、浦賀は半額減資で累積赤字を消した後であった。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、安く買えたことと、それが利益を生んだこととは別である。追浜の成功は、運輸省の認可が1年遅れて受注活動が輸出船ブームと重なり、完全円建て契約によって為替差損を負わずに済んだ偶然に多くを負っている。石油危機の後、船舶部門は50%操業体制へ入り、1979年3月期の経常利益は6億円まで落ちた。買い物の巧拙は値段では決まらず、手にした設備をどの需要へ当てられるかで決まるといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1969年10月号「住友重機械工業の現状と将来」（日本証券アナリスト協会）",
        "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「住友重機械工業 コミュニケーションを生かして一層の前進を」（日本証券アナリスト協会）",
        "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
        "住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】",
        "住友重機械工業 会社年鑑（単体業績）",
        "住友重機械工業 中期経営計画26（2024年2月発表）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
    },
    {
      "slug": "voluntary-retirement-1987",
      "url": "/tse/6302/decisions/voluntary-retirement-1987/",
      "year": 1987,
      "month": 2,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "6302",
      "decision_id": "6302-voluntary-retirement-1987",
      "type": "restructuring",
      "tags": [
        "tr-restructuring",
        "gv-labor"
      ],
      "title": "造船・製鉄機械部門を対象とする希望退職の募集と1,700人の人員削減",
      "subtitle": "残ってもらう人と、やめてもらう人をどう線引きするか——円高下の雇用調整",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
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      "issue": "造船部門の縮小と雇用調整",
      "decider": "合田茂（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1987年2月、住友重機械工業は造船・製鉄機械など不況部門の35歳以上の社員1,600人を対象に希望退職の募集に踏み切った。1986年12月からの3カ月で、希望退職1,300人、出向などとあわせて1,700人を削減している。中期経営計画から必要な人材を選り分ける基準を作り、対象者一人ひとりに直接その意向を伝えるやり方をとった。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1969年の浦賀重工業との合併で抱えた造船は、1985年3月期に売上高695億円と全体の23%を占める規模に育っていた。1985年9月のプラザ合意後の円高は輸出船の採算を直撃し、当期損益は1986年3月期に73億円、1987年3月期に110億円の赤字へ沈んだ。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "円高への対応を織り込んだ中期経営計画から4年先・5年先の組織像と人材像を描き、それに照らして残ってもらう人とやめてもらいたい人のリストを作成した。そのうえで対象社員に個別に声をかけた。組合は退職者を特別組合員として抱え、1989年まで収入を補う制度と再就職の世話役を用意した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "1988年3月期には3億円の当期利益で黒字に戻ったが、1992年3月期の売上高経常利益率は1.5%と造船重機大手で最も低かった。2002年には再び一律15%の賃金カットに踏み込む。人員の削減が収益力の回復と直結しなかった経過を示している。"
        }
      ],
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            "note": "産業機械・標準機械・船舶海洋の三本部制をとる総合機械メーカー。円高後の造船不況で2期続けて当期損失を計上していた"
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        "summary": "円高後の造船不況で2期続けて当期損失を計上した住友重機械工業が、不況部門の35歳以上を対象に希望退職を募り、3カ月で1,700人を減らした雇用調整"
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          "title": "浦賀重工業と合併し、造船を主力の一角として抱える"
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          "title": "船舶部門で50%操業体制へ移り、社外工の圧縮を先行させる"
        },
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          "title": "プラザ合意後の円高が輸出船の採算を直撃"
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          "title": "造船・製鉄機械など不況部門で人員削減に着手"
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        {
          "year": 1987,
          "month": 2,
          "title": "不況部門の35歳以上1,600人を対象に希望退職を募集、3カ月で1,700人を削減",
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          "title": "ディーゼルエンジン部門を分離し、石川島播磨重工業と共同でディーゼルユナイテッドを設立"
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        {
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          "title": "一般社員を対象に年収ベースで一律15%の賃金カットを含むリストラ策を発表"
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          "title": "子会社の住友重機械マリンエンジニアリングが一般商船の新造船事業から撤退"
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      "snapshot": {
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        "source": "証券調査（219）（新日本証券調査センター）",
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            "name": "住友重機械工業",
            "fiscal_year": "1987年3月期（単体・JGAAP）",
            "president": "合田茂",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "三本柱の一角となっていた造船",
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                {
                  "text": "住友重機械工業は1969年に浦賀重工業と合併し、鉱山機械から出発した機械メーカーが造船という異質な事業を抱えた。合併から15年余りを経た1985年3月期の部門別売上高は、一般機械1,450億円、標準機械896億円、船舶海洋695億円で、造船は全体の23%を占めていた。追浜造船所と浦賀の設備を持つ船舶本部は、規模の面でも人員の面でも、簡単には畳めない事業に育っていた。",
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                    {
                      "fact": "1985年3月期の部門別売上高は一般機械1,450億円、標準機械896億円、船舶海洋695億円で、船舶海洋は全体の23%を占めた",
                      "原文": "一般機械1,450億円（48%）、標準機械896億円（29%）、船舶海洋695億円（23%）（1985年3月期・単体）。",
                      "source": "住友重機械工業 会社年鑑（1986年版・部門別売上高）",
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                    {
                      "fact": "住友重機械工業は1969年に浦賀重工業を合併し、造船部門を抱えた",
                      "原文": "旧住友機械工業が浦賀重工業を吸収合併し、住友重機械工業としてスタートを切ってから5年目の感想である。",
                      "source": "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
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                },
                {
                  "text": "1985年9月のプラザ合意後の円高は、ドル建てで受注する輸出船の採算を直撃した。住友重機械の当期損益は1986年3月期に73億円の赤字、1987年3月期には110億円の赤字へと沈み、2期続けて損失を計上した。同社が1984年に定めた10年計画「長期ビジョンSHI93」は、1993年に単独5,000億円・グループ1兆円という規模を掲げていたが、この環境の変化で目指す意義が失われた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "当期損益は1986年3月期に73億円の赤字、1987年3月期に110億円の赤字となった",
                      "原文": "売上高2,631億円・当期純損失73億円（1986年3月期・単体）、売上高2,697億円・当期純損失110億円（1987年3月期・単体）。",
                      "source": "証券調査（219）（新日本証券調査センター）",
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                    {
                      "fact": "1984年策定の長期ビジョンSHI93は1993年に単独5,000億円・グループ1兆円を掲げたが、プラザ合意後の円高不況で目指す意義が失われた",
                      "原文": "住重は84年、10年計画である「長期ビジョンSHI93」を策定した。10年後にあたる93年に売上高が単独で5000億円、グループで1兆円を目指す内容だった。ところが、85年のプラザ合意で始まった円高不況を造船業界はもろに受けた。（中略）こうした経営環境の激変で、SHI93の目指す意義が失われてしまった。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月15日号「住友重機械工業 人材確保へ知名度向上イメージ広告を継続」",
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              "sub_title": "造船各社に広がった雇用調整",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "人減らしそのものは初めてではなかった。第一次石油危機の後、住友重機械は船舶部門でいち早く50%操業体制へ移り、社外工の圧縮を先に進めている。浅田厚専務は1976年、1974年9月末に2,981名いた社外工を1977年3月には1,049名まで減らす計画を示し、同じ期間の社内工の減少は617名にとどまると説明した。外部の労働力を先に手放して採算を保つやり方であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1974年9月末から1977年3月にかけて社外工を2,981名から1,049名へ、社内工を4,570名から3,953名へ減らす計画であった",
                      "原文": "数字的に見ると、昭和49年9月末は、社内工4,570名、社外工2,981名。昭和51年3月末には、これが社内4,363名、社外1,347名、昭和52年3月末の予定としては、社内3,953名、社外1,049名となっている。昭和49年9月末と比較すると、社内工617名、社外工約2,000名もの人員を削減したわけであるが、これが当社の造船部門の採算を支える大きなファクターになっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「住友重機械工業」（浅田厚 住友重機械工業専務取締役）",
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                {
                  "text": "1986年度は造船各社が一斉に人を減らした年でもあった。日立造船は希望退職などで約6,000人、石川島播磨重工業は相生工場の閉鎖に伴い7,000人、三井造船は56歳以上の社員全員を対象とする特別退職などで3,100人の削減を達成している。1987年1月には完全失業率が3%台に乗り、完全失業者は182万人に達した。住友重機械の募集も、この波のなかに置かれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年度に日立造船は約6,000人、石川島播磨重工業は相生工場閉鎖に伴い7,000人、三井造船は56歳以上全員の特別退職などで3,100人を削減した",
                      "原文": "日立造船 希望退職などで61年度中に約6,000人の削減を達成／石川島播磨重工業 相生工場閉鎖に伴い希望退職、一時帰休などで7,000人削減する計画を61年中に達成／三井造船 56歳以上の社員全員の「特別退職」などで、61年度中に3,100人の削減を達成",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「労使一体の『日本的』人減らし」",
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                    {
                      "fact": "1987年1月に完全失業率は3%台に乗り、完全失業者は182万人に達した",
                      "原文": "失業率は1月についに3%台に乗り、完全失業者は182万人に達した。しかしこれはまだほんの序の口に過ぎない。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「雇用調整は何を変える」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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            {
              "sub_title": "名指しで意向を伝える募集",
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                {
                  "text": "1987年2月、住友重機械は造船・製鉄機械など縮小中の部門で、35歳以上の社員1,600人を対象に希望退職の募集を始めた。手順は退職金の上乗せから入るものではなかった。兵頭副社長は「今回の雇用調整では、この円高にどう対応するかという中期経営計画を立て、それに照らして4年先、5年先の組織の姿とそれに見合う人材像を描いた」と述べ、そのうえで残す人材を選り分ける基準を作ったと説明している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年2月、住友重機械工業は不況部門の35歳以上の社員1,600人を対象に希望退職の募集に踏み切り、中期経営計画から人材を選り分ける基準を作った",
                      "原文": "造船、製鉄機械などの部門を縮小している住友重機械工業は、この2月、不況部門の35歳以上の社員1600人の希望退職募集に踏み切った。（中略）「今回の雇用調整では、この円高にどう対応するかという中期経営計画を立て、それに照らして4年先、5年先の組織の姿とそれに見合う人材像を描いた。それをもとに、いまいる人材のうち今後の事業展開に必要な人材を選り分ける基準を作った」",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「住友重機械工業・三井造船 会社が『希望』する希望退職」",
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                },
                {
                  "text": "基準に沿って作られたのは、残ってもらう人とやめてもらいたい人の二つのリストであった。同社はそのリストを使い、対象となる社員一人ひとりに「あなたはやめてほしい」「あなたは辞めないで残ってくれ」と直接声をかけた。募集の形式を保ちながら、会社側の意向を伏せない進め方であった。1986年12月からの3カ月で、希望退職1,300人、出向などとあわせて1,700人の削減を達成している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "会社は残す人とやめてもらう人のリストを作り、対象社員一人ひとりに直接意向を伝えた",
                      "原文": "そしてその基準によって、「残ってもらう人と、やめてもらいたい人のリストを作った」（同）のだという。リストを作成したばかりではない。同社はそのリストを使って「あなたはやめてほしい」「あなたは辞めないで残ってくれ」と、対象社員一人ひとりに実際に声をかけたのだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「住友重機械工業・三井造船 会社が『希望』する希望退職」",
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                    {
                      "fact": "1986年12月からの3カ月で希望退職1,300人、出向などとあわせ1,700人を削減した",
                      "原文": "住友重機械工業 希望退職で1,300人、出向等とあわせ1,700人の削減を61年12月からの3カ月で達成",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「労使一体の『日本的』人減らし」",
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            {
              "sub_title": "組合が引き受けた部分",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "組合は反対の側に立たず、退職後の生活を支える仕組みを引き受けた。住友重機械労働組合の稲見剛毅委員長によれば、今回やめた人のほとんどを「特別組合員」として組合に加入させている。退職金の運用益と再就職後の賃金・雇用保険を合わせても一定額に届かない場合、差額を1989年いっぱいまで組合が補い、手取り20万円を保証する制度であった。横須賀・新居浜・玉島には再就職の世話役を専従で置いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "組合は退職者のほとんどを特別組合員として加入させ、1989年まで手取り20万円を保証する生活補助制度と、横須賀・新居浜・玉島の専従世話役を用意した",
                      "原文": "まず、退職したOBを対象について「特別組合員」に、「今回やめた人のほとんどを加入させた」（住友重機械労働組合稲見剛毅委員長）。特別組合員は、「生活補助制度」によって、64年いっぱいまでは少なくとも一定の収入が保証されることになっている。（中略）例えば再就職先の賃金が低い時は、この方式で手取り20万円が保証される。再就職の世話にも組合として取り組もうとしており、横須賀、新居浜、玉島には専従の世話役を置いた。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「住友重機械工業・三井造船 会社が『希望』する希望退職」",
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                },
                {
                  "text": "会社の描いた線引きは、そのまま実現したわけではなかった。兵頭副社長は「残ってくれと言った者からも、技術者や経理マンなど25人の退職者が出た」と認めている。一方で「やめて欲しいと言った人は全員がやめてくれました」とも語り、公然と告げられた者が居残りにくい職場の空気を、その理由に挙げた。造船重機労連の伊藤祐禎書記長は住友重機械の出身で、一企業に終身雇用を守らせることは事実上無理だと述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "残留を求めた社員からも技術者・経理担当など25人が退職した一方、退職を求めた社員は全員が退職した",
                      "原文": "「残ってくれと言った者からも、技術者や経理マンなど25人の退職者が出た」（兵頭副社長）ということから判断すると会社の「希望」は十分には満たされなかったともいえる。しかし、肝心の、やめてほしいと会社が希望する従業員について兵頭副社長は「日本の会社は\"村社会\"の閉鎖的世界なので、やめてくれと公然と言われると居残りづらい。そのせいでしょうか。やめて欲しいと言った人は全員がやめてくれました」と語る。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「住友重機械工業・三井造船 会社が『希望』する希望退職」",
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                    },
                    {
                      "fact": "造船重機労連の伊藤祐禎書記長は住友重機械の出身で、一企業に終身雇用を守らせることは事実上無理だと述べた",
                      "原文": "伊藤造重機労連書記長は住友重機の出身である。（中略）「今までの組合はただ『雇用を守れ』と主張するだけだった。今は現業労働者が余る時代になった。一企業に終身雇用を守らせることは事実上無理だろう。」",
                      "source": "日経ビジネス 1987年3月30日号「住友重機械工業・三井造船 会社が『希望』する希望退職」",
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                {
                  "text": "削減の効果は翌期の決算に表れた。1988年3月期の売上高は2,000億円へと縮んだが、当期損益は3億円の黒字へ戻り、2期続いた赤字は止まった。造船の周辺設備を自社の外へ出す整理も続き、1988年10月にはディーゼルエンジン部門を分離して、石川島播磨重工業と共同でディーゼルユナイテッドを設立している。船を作る体制は、規模を縮めたまま残された。",
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                      "原文": "売上高2,000億円・当期純利益3億円（1988年3月期・単体）。",
                      "source": "証券調査（219）（新日本証券調査センター）",
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                      "原文": "1988年10月 ディーゼルエンジン部門を分離、IHIと共同で（株）ディーゼルユナイテッド設立",
                      "source": "住友重機械工業「沿革」",
                      "url": "https://www.shi.co.jp/company/history/index.html"
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                {
                  "text": "収益力そのものは戻らなかった。1992年3月期の売上高2,873億円は、NKKを除く造船重機大手6社で最下位であり、売上高経常利益率1.5%も最低の水準であった。合田茂会長は当時の人員整理を「あんな経験は二度としたくない」と振り返っている。1990年には合田氏と久保正大郎社長が長期計画を練り直し、2000年に単独5,500億〜6,000億円を目指す「2000年ビジョン」を打ち出した。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1992年3月期の売上高2,873億円は造船重機大手6社で最下位、売上高経常利益率1.5%も最低で、合田茂会長は当時の人員整理を「あんな経験は二度としたくない」と振り返った",
                      "原文": "当時社長だった合田茂会長が「あんな経験は二度としたくない」と振り返る大幅な人員整理も断行せざるを得なかった。（中略）住重の92年3月期の売上高は2873億円。これに対し三菱重工は2兆4842億円で、川重が9313億円。NKKを除く造船重機大手6社の中では最下位。売上高経常利益率を見ても、1.5%と最低。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月15日号「住友重機械工業 人材確保へ知名度向上イメージ広告を継続」",
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                      "原文": "そこで、合田社長（当時）と久保正大郎社長（現社長）が中心となって長期計画を練り直し、90年に「2000年ビジョン」を打ち出した。2000年に単独で売上高5500億〜6000億円、グループでは1兆円を目指す。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月15日号「住友重機械工業 人材確保へ知名度向上イメージ広告を継続」",
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              "sub_title": "人を減らした後に残った課題",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "減らした後には、人を集める課題が残った。住友重機械は1991年1月から女優の有森也実氏を起用した企業イメージ広告をテレビと新聞で始め、業績悪化を理由に一度は中止の仮決定が出たものの、広報部の説得で継続している。日本経済新聞の人気企業ランキングでは、理系学生の順位が1989年度就職予定の181位から1993年度は120位へ、文系では799位から478位へ上がった。",
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                    {
                      "fact": "1991年1月から有森也実を起用した企業イメージ広告を始め、就職人気ランキングは理系181位から120位、文系799位から478位へ上がった",
                      "原文": "まず力を入れたのはイメージアップ作戦。1991年1月から女優の有森也実をイメージキャラクターに採用し、テレビや新聞を通じて企業広告を始めた。（中略）89年度就職予定の理系学生では、住重は181位。それが、93年度就職予定の学生になると120位まで上昇した。文系では、799位が478位まで上昇した。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月15日号「住友重機械工業 人材確保へ知名度向上イメージ広告を継続」",
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                {
                  "text": "雇用に手を入れる場面は、この一度では終わらなかった。2002年、住友重機械は一般社員を対象に年収ベースで一律15%の賃金カットを盛り込んだリストラ策を発表している。2019年に社長となる下村真司氏は、最も業績が厳しかった2001年ごろの大赤字を強く記憶していると後年語った。1987年に縮めた造船は、2024年2月に子会社が一般商船の新造船事業から撤退するまで会社に残り続けた。",
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                      "fact": "2002年、住友重機械工業は一般社員を対象に年収ベースで一律15%の賃金カットを含むリストラ策を発表した",
                      "原文": "住友重機、15％賃下げの衝撃 定昇・ベアどころじゃない今年の春闘",
                      "source": "日経ビジネス 2002年2月11日号「住友重機、15％賃下げの衝撃」",
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                      "fact": "下村真司社長は最も業績が厳しかった2001年ごろの大赤字を強く記憶していると語った",
                      "原文": "最も業績が厳しかった2001年ごろに大赤字を出した。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年5月7日）「住友重機械工業社長 下村真司氏（上） 大赤字、現場改革で挽回」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGKKZO80501520X00C24A5TB3000/"
                    },
                    {
                      "fact": "2024年2月14日、子会社の住友重機械マリンエンジニアリングが一般商船の新造船事業から撤退すると発表した",
                      "原文": "当社の100％子会社である住友重機械マリンエンジニアリング株式会社は、一般商船の新造船事業から撤退いたします。",
                      "source": "住友重機械工業「当社子会社による新造船事業からの撤退に関するお知らせ」（2024年2月14日）",
                      "url": "https://www.shi.co.jp/info/2024/6kgpsq000000myin.html"
                    }
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              "sub_title": "「やめてほしい」と告げること",
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                {
                  "text": "変えたのは削減の規模ではなく、伝え方であった。中期経営計画から4年先の組織像を描き、残す人とやめてもらう人のリストを作り、対象者一人ひとりにあなたはやめてほしいと直接告げる。兵頭副社長の語るこの手順は、退職を社員の自発に委ねる建前を会社の側から降ろすものであったとみられる。プラザ合意後の円高で当期損益は2期続けて赤字に沈んでいた。"
                },
                {
                  "text": "ただし、線引きが思うとおりに運んだわけではない。残ってくれと頼んだ技術者や経理担当も25人が去り、組合は退職者を特別組合員として抱え、1989年まで収入を補う仕組みを用意した。3カ月で1,700人を減らした後も、1992年3月期の売上高経常利益率は1.5%と造船重機大手で最も低く、2002年には再び一律15%の賃下げに向かう。人を減らすことと収益力を戻すことが別の作業であったと、この15年は示しているといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1974年5月13日号「住友重機械工業 造船トップ参入へ危険な賭け」",
        "証券アナリストジャーナル 1976年10月号「住友重機械工業」（浅田厚 住友重機械工業専務取締役）",
        "日経ビジネス 1987年3月30日号「労使一体の『日本的』人減らし」（うち「住友重機械工業・三井造船 会社が『希望』する希望退職」）",
        "日経ビジネス 1993年2月15日号「住友重機械工業 人材確保へ知名度向上イメージ広告を継続」",
        "日経ビジネス 2002年2月11日号「住友重機、15％賃下げの衝撃」",
        "住友重機械工業 会社年鑑（1986年版・部門別売上高）",
        "証券調査（219）（新日本証券調査センター）",
        "住友重機械工業「沿革」",
        "住友重機械工業「当社子会社による新造船事業からの撤退に関するお知らせ」（2024年2月14日）",
        "日本経済新聞（2024年5月7日）「住友重機械工業社長 下村真司氏（上） 大赤字、現場改革で挽回」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
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      "slug": "european-acquisitions-2008",
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      "title": "独デマーグを皮切りとする欧州機械メーカー5社の連続取得",
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          "text": "住友重機械工業は2008年3月のドイツ・デマーグ買収を皮切りに、2011年ベルギーのHansen、2017年オランダのFW Energie、2018年イタリアのLafert、2019年英国Invertek Drivesと、欧州の機械メーカー5社を相次いで取得した。造船・建設機械への依存を下げ、ギヤ・プラスチック機械・エネルギー・電機駆動の各分野で欧州拠点を揃える事業拡張であった。"
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          "highlight": true
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        {
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          "title": "オランダのFW Energie（循環流動層ボイラ、現SHI FW）を取得"
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          "year": 2018,
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          "title": "イタリアのLafert（産業用モータ）を取得"
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        {
          "year": 2019,
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          "title": "英国のInvertek Drives（インバータ）を取得"
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          "title": "中期経営計画26を発表、欧州M&A事業群の構造改革へ"
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            "name": "住友重機械工業",
            "fiscal_year": "2008年3月期（連結・JGAAP）",
            "president": "中村伸",
            "hq": "東京都品川区",
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          "label": "背景",
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            {
              "sub_title": "造船・建機に翻弄された重工業ポートフォリオ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "住友重機械工業は1969年に浦賀重工業と合併し、鉱山機械を出自とする会社が造船という重工業を抱え込んだ。景気変動の大きい造船と建設機械に収益を委ねる体質は重く、1985年のプラザ合意後の造船不況では1987年に約1,000名の希望退職を募った。2001年の赤字を受けた2002年にも1,000名の削減と年収15%カットに踏み切っている。二度の大規模な人員整理は、経営陣の世代を越えて引き継がれる原体験となった。",
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                    {
                      "fact": "1987年のプラザ合意後の造船不況と2001年の赤字を受け、1987年・2002年に各1,000名規模の人員削減を実施した",
                      "原文": "1987年に住友重機械は造船部門を中心に1,000名規模の希望退職を募集した。（中略）2002年には1,000名削減と年収15%カットに踏み切る。",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "二度の危機を経た同社は、2000年代後半に事業拡張の手法を海外M&Aへ変えた。国内の造船・建機への依存を下げ、成長する機械分野で欧州の拠点とブランドを取り込む狙いであった。最初の一手を打った2008年3月期は連結売上高6,607億円、営業利益778億円と業績が高水準にあり、金融危機の直前という好況のなかで対外的な事業拡張へ動いたことになる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2000年代後半以降、住友重機械は海外M&Aによる事業拡張へ方針を変えた",
                      "原文": "2000年代後半以降、住友重機械は海外M&Aによる事業拡張へ方針を変えた。",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書 第130期（2025年12月期）【沿革】",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "2008年3月期の連結売上高は6,607億円、営業利益778億円であった",
                      "原文": "売上高6,607億円・営業利益778億円・経常利益755億円・当期純利益429億円（2008年3月期・連結）。",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書（2008年3月期・連結）",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "欧州機械メーカー5社の連続取得",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2008年、住友重機械はドイツのデマーグ・エルゴテックと、米国の販売会社バン・ドーン・デマーグを取得した。両社はドイツのMPMホールディングズ傘下にあり、デマーグ・エルゴテックは1922年設立、売上高305億円のプラスチック射出成形機メーカーである。3月3日に株式の取得を終え、欧州と東欧・ロシアの成長市場に販売網を持つ拠点を、住友重機械はプラスチック機械事業の欧州の足がかりとして手に入れた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2008年3月3日にドイツのデマーグ・エルゴテック（1922年設立・売上305億円）と米バン・ドーン・デマーグの株式を取得した",
                      "原文": "デマーグ・エルゴテック（売上高305億円、設立1922年、シュバイク市）とバン・ドーン・デマーグ（米国）を子会社化。両社はドイツのMPMホールディングズの傘下企業。取得予定日は2008年3月3日。",
                      "source": "M&A Online（2008年2月8日）「住友重機械工業、ドイツの射出成形機メーカーなど２社を買収」",
                      "url": "https://maonline.jp/news/20080208g"
                    },
                    {
                      "fact": "住友重機械はデマーグ社の株式取得を2008年2月8日に開示した",
                      "原文": "デマーグ社の株式取得に関するお知らせ（2008年2月8日）。",
                      "source": "住友重機械工業「デマーグ社の株式取得に関するお知らせ」（2008年2月8日）",
                      "url": "https://www.shi.co.jp/info/2007/6kgpsq0000000lyq.html"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "欧州勢の取得はここから続いた。2011年3月にはベルギーの産業用ギヤボックスメーカーHansen Industrial Transmissionsを約86億円で完全子会社化し、南アフリカや豪州の販売網を取り込んだ。さらに2017年6月にオランダのFW Energie（循環流動層ボイラ、現SHI FW）、2018年6月にイタリアのLafert（産業用モータ）、2019年11月に英国のInvertek Drives（インバータ）を相次いで取得し、ギヤ・プラスチック機械・エネルギー・電機駆動の各分野で欧州拠点を揃えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2011年3月にベルギーのHansen Industrial Transmissionsを約86億円で完全子会社化し、新興国の販売網活用を狙った",
                      "原文": "住友重機械工業は、ベルギーの産業用ギアボックスメーカーHansen Industrial Transmissionsの全株式を約86億円で取得する。取得完了は2011年3月頃を予定。新興国の販売網を活用する。",
                      "source": "日本経済新聞（2010年10月15日）「住重、ベルギー減速機会社買収へ 新興国の販売網活用」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD150B2_V11C10A0TJ2000/"
                    },
                    {
                      "fact": "2017年6月にFW Energie（現SHI FW）、2018年6月にLafert、2019年11月にInvertek Drivesを相次いで取得した",
                      "原文": "2017年6月のオランダFW Energie（循環流動層ボイラ、現SHI FW）、2018年6月のイタリアLafert（産業用モータ）、2019年11月の英国Invertek Drives（インバータ）と立て続けに買収を実行した。",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書 第130期（2025年12月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
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            }
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
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              "sub_title": "買収から十数年後の一斉構造改革",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "買収した事業群は、長い時間を経て一斉に重荷へ転じた。2024年2月に公表した中期経営計画26のもとで欧州M&A事業群の構造改革が本格化し、Lafert、プラスチック機械のDEMAG、CFBボイラのSHI FWの3社は2024年12月期に赤字へ陥った。2025年2月の決算説明会では、人員削減と生産能力の圧縮を柱とする構造改革のロードマップが示された。欧州の需要急減とエネルギーコストの上昇が重なった結果であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "Lafert・DEMAG・SHI FWの3社は2024年12月期に赤字で、2025年2月に人員削減・生産能力圧縮の構造改革ロードマップを提示した",
                      "原文": "主として Lafert 社、プラスチック機械の DEMAG 社、それから CFB ボイラを中心とした SHI FW 社、こういった会社になります。（中略）特に Lafert 社、DEMAG 社については、24 年度の実績で大きな赤字に陥っておりました。そういう意味で今回、基本、人員の削減、それから生産能力の圧縮等を通じまして、コスト削減等を進めることになってます。",
                      "source": "住友重機械工業 2024年12月期決算説明会 質疑応答（2025年2月14日）",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "渡部敏朗CFOは、Lafertでは200億円を超えるのれんの減損が生じたと決算説明会で認め、その償却負担の軽減を2025年以降の計画に織り込むと説明した。買収時に見込んだ収益は届かず、中計26で掲げた株主還元計画800億円は700億円へ下方修正された。2024年12月期の親会社株主に帰属する当期純利益は77億円と、前年の327億円から落ち込み、欧州事業の建て直しが中計26を通じた課題として残った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "渡部敏朗CFOはLafertで200億円を超えるのれんの減損が生じたと述べ、償却負担の軽減を2025年以降の計画に織り込むとした",
                      "原文": "今言われた Lafert 社の減損に伴う償却負担の減少っていうのは 25 年以降の経営計画の中でプラス要素として効いてるということで、ご承知のとおり 200 億を超える案件でしたので、十数億の償却負担については 25 年以降軽くなると、そういった織り込みが 25 年以降の予想の中では織り込まれてます。",
                      "source": "住友重機械工業 2024年12月期決算説明会 質疑応答（2025年2月14日）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "中計26の株主還元計画800億円を700億円へ下方修正し、2024年12月期の親会社株主純利益は77億円と前年の327億円から減少した",
                      "原文": "中期経営計画26で掲げた株主還元計画800億円は700億円に下方修正された。2024年12月期の親会社株主に帰属する当期純利益は77億円（前年327億円）。",
                      "source": "住友重機械工業 有価証券報告書（2024年12月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "変動から逃れた先の、別の変動",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "欧州5社の取得を、海外M&Aの見込み違いという言葉だけで片づけるのは、事の順序を見落とす。住友重機械が欧州勢を買い集めたのは、造船と建機の景気変動に二度の大量整理で痛めつけられた記憶があったからで、変動の小さい機械分野へ収益源を移すための拡張であった。ところが取り込んだギヤやプラスチック機械、ボイラもまた欧州の需要変動とエネルギーコストに揺れ、造船から逃れた先で別の循環に直面した。分散したはずの事業構成が、もう一つの景気の波を抱え込んだとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、拡張が誤りだったと言い切れるのは、2024年に主要3社が同時に赤字へ落ちた姿を先に知っているからにすぎない。デマーグの取得から十六年、Lafertからでも六年のあいだ、欧州拠点は造船と建機に偏っていた事業の幅を確かに広げてはいた。買収そのものより、買った事業を景気の谷でどう畳み直すかに経営の質が表れる——欧州勢を買い集めてから十数年を経た住友重機械のいまは、その一例として読むことができる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "住友重機械工業「デマーグ社の株式取得に関するお知らせ」（2008年2月8日）",
        "M&A Online（2008年2月8日）「住友重機械工業、ドイツの射出成形機メーカーなど２社を買収」",
        "日本経済新聞（2010年10月15日）「住重、ベルギー減速機会社買収へ 新興国の販売網活用」",
        "住友重機械工業 有価証券報告書 第130期（2025年12月期）【沿革】",
        "住友重機械工業 2024年12月期決算説明会 質疑応答（2025年2月14日）",
        "住友重機械工業 有価証券報告書（2008年3月期・2024年12月期・連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-25"
    }
  ]
}
