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      "title": "焼結フィルターから空気圧補助機器の製造への転換と、主要機構の内製化",
      "subtitle": "濾過体の一部品を納め続けるか、空気圧回路そのものを作るか——10年かけた品種の拡大",
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      "status_label": "実施",
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      "issue": "祖業の転換と生産範囲の拡大",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "焼結濾過体の製造販売を目的に1959年に設立された焼結金属工業は、1961年9月に空気圧補助機器（エア三点セット）の製造・販売を始め、部品の供給者から空気圧機器の作り手へ移った。以後10年をかけて駆動機器・方向制御機器まで自社製品とし、1971年にコンプレッサーを除く主要機構をそろえた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "祖業の焼結濾過体は圧縮空気のゴミを除く部品で、空気圧機器との結びつきが強かった。1960年に進出した当初の主力は重化学工業向けのプロセス・オートメーションだったが、同じころ自動車や工作機械の加工産業では人手不足から自動化が進み、空気圧制御機器の需要が広がり始めていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1961年9月に空気圧補助機器、1970年6月に駆動機器（エアシリンダ）、1971年1月に方向制御機器（直動形電磁弁）の製造・販売を順に始めた。1964年5月には定款の事業目的に自動制御機器製品の製造加工および販売を加え、1968年6月には草加工場を設けている。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "品種の拡大は24万種類を超える製品群となり、約5,000種類の基本形を在庫する生産方式と組み合わさって、経常利益率11〜13%と国内シェア42%を支えた。1986年の社名変更と1987年12月の東証第二部上場は、この転換の延長線上にある。"
        }
      ],
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            "note": "当時の焼結金属工業。焼結濾過体の製造販売から出発し、空気圧機器の製造へ主力を移した"
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        "summary": "焼結フィルターの部品供給から空気圧補助機器の製造へ移り、加工産業の自動化需要に合わせて駆動機器・方向制御機器まで内製の範囲を広げた業態転換"
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          "title": "焼結濾過体の製造販売を目的に焼結金属工業を設立（東京都千代田区）"
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          "title": "空気圧補助機器（エア三点セット）の製造・販売を開始",
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          "title": "自動制御機器製品の製造加工および販売を事業目的に追加"
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        {
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          "title": "草加工場を設置"
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          "title": "東京証券取引所市場第二部に株式を上場"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1971年3月期",
        "source": "ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版",
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            "name": "焼結金属工業",
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            "president": "高田芳行",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "濾過体の一部品を納める会社として",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "焼結金属工業が設立されたのは1959年4月、東京都千代田区であった。目的は焼結濾過体、すなわちフィルタ用焼結金属の製造と販売にある。創業した高田芳行氏は、金属粉を焼き固めて微細な孔を残すこの部品一点で会社を立ち上げた。焼結濾過体は圧縮空気に混じるゴミを取り除く用途に使われ、空気圧機器の内側に収まる。会社は機器そのものではなく、その部品を供給する側から出発した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1959年4月、焼結濾過体（フィルタ用焼結金属）の製造および販売を目的に、東京都千代田区に焼結金属工業株式会社を設立した",
                      "原文": "1959年４月　焼結濾過体(フィルタ用焼結金属)の製造及び販売を目的に、東京都千代田区に焼結金属工業株式会社を設立",
                      "source": "ＳＭＣ株式会社 有価証券報告書【沿革】（2025年3月期）",
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                    {
                      "fact": "高田芳行氏は1959年に焼結金属工業（現SMC）を創業し、工場自動化に使われる空気圧機器の世界的な企業に育てた",
                      "原文": "SMC創業者の高田芳行氏は1959年に焼結金属工業（現SMC）を創業し、工場の自動化に欠かせない空気圧機器で世界的な企業に育てた。2024年4月に97歳で死去し、10月4日に東京・千代田の帝国ホテルでお別れの会が開かれた。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年10月3日）「SMC創業者・高田芳行氏、東京でお別れの会」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC035U00T01C24A0000000/"
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                },
                {
                  "text": "祖業がフィルターであったことが、そのまま次の進路を決めた。大村進社長は1988年に、焼結金属フィルターが空気圧機器のゴミを取り除く濾過体であるため、以後は空気とのつながりが強くなったと述べている。1960年には空気圧機器の分野へ進んだが、当初の主力は重化学工業向けのプロセス・オートメーションであった。同じころ自動車や工作機械の加工産業では人手不足から自動化が進み、空気圧制御機器が採り入れられ始めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "焼結金属フィルターが空気圧機器のゴミを取り除く濾過体であったため、以後は空気とのつながりが強くなった",
                      "原文": "当社は昭和34年4月、焼結金属フィルターの製造・販売を目的に、東京都千代田区に設立された焼結金属工業株式会社として発足したが、この製品は空気圧機器の中のゴミを取り除く濾過体ということで、以後、空気とのつながりが強くなった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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                    {
                      "fact": "1960年に空気圧機器へ進出、当初は重化学工業用プロセス・オートメーションが主力で、加工産業の人手不足による自動化を受けて1961年以降は品種拡大を続けた",
                      "原文": "翌35年には空気圧機器の分野に進出。当初は重化学工業用のプロセス・オートメーションが主力だったが、そのころから自動車、工作機械などの加工産業で人手不足からオートメ化が進み、これに伴って空気圧制御機器が採り入れられるようになってきた時代の要請に対応し、当社は36年以降一貫して空気圧制御機器の品種の拡大を図ってきた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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              "sub_title": "空気圧補助機器という完成品への参入",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1961年9月、焼結金属工業は空気圧補助機器の製造・販売を始めた。エア三点セットと呼ばれるこの機器は、送られてきた圧縮空気を必要な圧力に調整すると同時にゴミを取り除き、次の工程へ渡す。祖業の焼結濾過体は、その内部で濾過を受け持つ一部品にすぎない。部品を納める立場から、空気圧回路の一区間を装置として引き受ける立場へ移った。1964年5月には定款の事業目的に自動制御機器製品の製造加工および販売を加えている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1961年9月に空気圧補助機器（エア三点セット）の製造・販売を開始し、1964年5月に自動制御機器製品の製造加工および販売を事業目的へ追加した",
                      "原文": "1961年９月　空気圧補助機器(エア三点セット)の製造・販売開始／1964年５月　自動制御機器製品の製造加工及び販売を事業目的に追加",
                      "source": "ＳＭＣ株式会社 有価証券報告書【沿革】（2025年3月期）",
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                    {
                      "fact": "空気圧補助機器は圧縮空気を必要な圧力に調整すると同時にゴミを取り除く機器である",
                      "原文": "空気圧制御機器の基本システムは、まずコンプレッサーで圧縮空気をつくり、これを圧縮空気清浄化機器へ送り込んで除湿、次いで空気圧補助機器に送って必要な圧力に調整すると同時にゴミを取り除き、次は方向制御機器で空気の流れる方向を適時切り替え、それがシリンダーに送り込まれて仕事をする、という仕組みになっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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                },
                {
                  "text": "品種を広げる方針は、この参入の直後に定まった。大村進社長は、加工産業の自動化という時代の要請に応じ、1961年以降は一貫して空気圧制御機器の品種を拡大してきたと述べている。空気圧制御は、圧縮空気を作り、除湿し、圧力を整え、流れる向きを切り替え、シリンダーで仕事をさせるという一連の流れで成り立つ。焼結金属工業が引き受けたのはそのうち圧力調整と除塵の一区間で、残りの機器は他社の製品に頼っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1961年以降、加工産業の自動化という時代の要請に対応して空気圧制御機器の品種拡大を一貫して進めた",
                      "原文": "これに伴って空気圧制御機器が採り入れられるようになってきた時代の要請に対応し、当社は36年以降一貫して空気圧制御機器の品種の拡大を図ってきた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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                      "fact": "空気圧制御の主力製品は空気圧補助機器・方向制御機器・シリンダーの三つで、コンプレッサーを除く四つの機器で回路が構成される",
                      "原文": "このうちコンプレッサーを除く四つ、特に空気圧補助機器、方向制御機器、シリンダーの三つが当社の主力製品だ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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              "sub_title": "回路の残りを自社で作るまでの10年",
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                  "text": "残る区間を自社製品で埋めるまでには10年近くを要した。1970年6月に駆動機器すなわちエアシリンダの製造・販売を始め、翌1971年1月には方向制御機器である直動形電磁弁を加えた。シリンダーは空気の力を直線の動きに変えて実際の作業をこなす部分、電磁弁はその動きの向きを切り替える部分にあたる。空気そのものを作り出すコンプレッサーを除けば、回路を構成する機器はこれで自社の製品でそろった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1970年6月に駆動機器（エアシリンダ）、1971年1月に方向制御機器（直動形電磁弁）の製造・販売を開始した",
                      "原文": "1970年６月　駆動機器(エアシリンダ)の製造・販売開始／1971年１月　方向制御機器(直動形電磁弁)の製造・販売開始",
                      "source": "ＳＭＣ株式会社 有価証券報告書【沿革】（2025年3月期）",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "大村進社長は、1960年には空気圧補助機器だけだったものが1971年にはすべて作れるようになり、以後は空気圧機器の総合メーカーとして歩んできたと述べている。内製化の順序は、技術の易しい順ではなく、顧客の工程で自社が受け持てる範囲を広げる順であった。1968年6月には草加工場を設け、生産の場も広げている。機器の組み合わせを客先に委ねるのではなく、一続きの回路として提案できる会社に変わった。",
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                      "fact": "1960年には空気圧補助機器だけだったが1971年にはすべて作れるようになり、以後は空気圧機器の総合メーカーとなった",
                      "原文": "昭和35年には空気圧補助機器だけだったが、46年にはすべて作れるようになり、以後は空気圧機器の総合メーカーとして、各種メーカーのニーズに応える新製品開発と、内外の販路拡大、生産体制の整備を図りつつ、現在に至っている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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                      "原文": "1968年６月　草加工場設置",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "品種の多さが利幅に変わるまで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "回路の全体を自社で作れる会社になった直後の1971年3月期、売上高は35.1億円、当期純利益は0.8億円であった。品揃えを整えた効果がただちに数字へ表れたわけではない。売上高は1973年3月期に82.3億円まで伸びたのち、1974年3月期70.1億円、1975年3月期68.5億円と二期続けて減った。増勢に転じたのは1976年3月期の106億円からで、以後は増加が続いた。",
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                    {
                      "fact": "焼結金属工業の売上高は1971年3月期35.1億円、1973年3月期82.3億円、1974年3月期70.1億円、1975年3月期68.5億円、1976年3月期106億円と推移した",
                      "原文": "売上高35.1億円・当期純利益0.8億円（1971年3月期・単体）、売上高82.3億円・当期純利益3.4億円（1973年3月期・単体）、売上高70.1億円・当期純利益1.6億円（1974年3月期・単体）、売上高68.5億円・当期純利益1.0億円（1975年3月期・単体）、売上高106億円・当期純利益3.5億円（1976年3月期・単体）。",
                      "source": "ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版",
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                },
                {
                  "text": "利幅を生んだのは、品種の多さと生産方式の組み合わせであった。製品は1988年時点で24万種類を超えたが、大村進社長によれば、約5,000種類の基本形と中間段階の組み立て部品を在庫することで、多品種少量でありながら量産の効果を引き出せる。他社より製造原価が安く利益が出やすい体質になったという。経常利益率は数年にわたり11〜13%を保ち、1986年度の国内シェアは42%と2位の21%の2倍に達した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "約5,000種類の基本形と中間的な組み立て部品の在庫により、多品種少量でも量産効果を出し、他社より製造原価が安く利益が出やすい体質となった",
                      "原文": "第四は、生産方式に特徴があり、他社よりも製造原価が安く、利益も出やすい体質になっていることだ。多品種少量の仕事で、しかも納期が数日間と短いから大変だが、当社は約5,000種類の基本形をベースとして、非常にフレキシビリティのある中間的な組み立て部品を適切に在庫しており、この二つのファクターをプールすると、あとは量産体制をとることができ、量産効果を生み出せるということである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
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                    {
                      "fact": "1986年度の国内シェアは42%で第2位の21%の2倍、製品は24万種類以上、経常利益率は過去数年11〜13%を保った",
                      "原文": "昭和61年度において42%のシェアを占め、第2位のメーカーのシェア21%の2倍にも達している。業種によって適用する品種が異なるので、24万種類以上もの製品を持つことになってしまったが、そのお蔭もあって、非常に多用途に対応できるようになっている。（中略）当社は過去数年、ずうっと経常利益を11〜13%の間に保っており、今後もこれを保っていけるように努力する考えだ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
                      "url": null
                    }
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            },
            {
              "sub_title": "空気圧機器の専業メーカーとしての定着",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "品種を増やし続ける前提には、需要より先に生産の備えを持たせる方針があった。創業者の高田芳行氏は後年、どれだけ売れるかの予測が立てば、その製品を作る能力を備えるために前もって投資してきたと語っている。数学を専攻した4、5人が数理統計を用いて需要を予測し、その予測をもとに確信をもって準備できたという。競合に比べて設備投資が先行していた点を、同氏は有利に働いたと述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "高田芳行氏は、売れる見通しが立てば生産能力を備えるため前もって投資し、数学専攻の4、5人が数理統計で需要を予測していたと語り、競合より設備投資が先行していたと述べた",
                      "原文": "いくら売れるだろうと予測がたてば、その製品をつくる能力を備えておくために、前もって投資をする、ということです。実際にそのようにしてきましたが、そのへんは成功してきたと思います。私どもでは競合相手に比べて設備投資が先行していた。その面では、非常に有利だったですね。（中略）うちには、そういうことを管理している部署がありましてね、4、5人いるんですが、みな数学専攻の者で、数理統計学などを使って、予測を確かなものにしていくわけです。",
                      "source": "あさひ銀総研レポート 1992年10月号（あさひ銀総合研究所）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "焼結金属工業は1986年4月に社名をSMCへ改め、1987年12月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。SMCは旧社名の英語名Sintered Metal Companyの頭文字で、創業時から製品の商標に使ってきた呼称である。上場のころには空気圧機器が全製品の90%以上を占め、世界市場でも約10%のシェアを持ち、英国のIMI、米国のパーカーハネフィンと並ぶ3大メーカーの一つに数えられていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年4月にＳＭＣ株式会社へ社名を変更し、1987年12月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した",
                      "原文": "1986年４月　ＳＭＣ株式会社に社名変更／1987年12月　東京証券取引所市場第二部に株式上場",
                      "source": "ＳＭＣ株式会社 有価証券報告書【沿革】（2025年3月期）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "社名SMCは旧社名の英語名の頭文字であり、空気圧機器が全製品の90%以上を占め、世界で約10%のシェアを持つ3大メーカーの一つであった",
                      "原文": "旧社名の焼結金属工業の英語名：「SINTERED METAL COMPANY」の頭文字をとったもので、海外では以前からSMCで通っている。当社は空気圧機器が全製品の90%以上を占める専業メーカーである。（中略）こうした業界において当社は現在、全世界で約10%のシェアを占め、世界3大メーカーのひとつになっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
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              "sub_title": "一区間ずつ広げた10年",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この転換を垂直統合と呼ぶと、10年という時間が見えなくなる。焼結金属工業が1961年9月に手にしたのは空気圧補助機器という一区間だけで、シリンダーは1970年6月、電磁弁は1971年1月まで自社の製品にならなかった。1971年にすべて作れるようになったという大村進社長の言葉は、回路を端から端まで埋めるのに要した年月の長さを示している。部品屋が完成品へ飛躍したのではなく、受け持てる区間を一つずつ増やした結果であった。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、回路をひととおり自社で作れたことが、そのまま業績を押し上げたわけではない。1971年3月期の売上高は35.1億円にとどまり、1974年3月期の70.1億円は翌期に68.5億円へ減っている。数字が伸びるのは、約5,000種類の基本形を在庫して量産の効果を持ち込む生産方式が働き出してからで、内製化はその前提を用意したにすぎない。作れる範囲を広げる判断は、供給の設計と組み合わさって初めて利幅に変わったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "ＳＭＣ株式会社 有価証券報告書【沿革】（2025年3月期）",
        "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨・大村進）",
        "あさひ銀総研レポート 1992年10月号（あさひ銀総合研究所）",
        "ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版",
        "日本経済新聞（2024年10月3日）「SMC創業者・高田芳行氏、東京でお別れの会」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
    },
    {
      "slug": "tse-listing-1987",
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      "year": 1987,
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      "title": "東京証券取引所市場第二部への株式上場と社名のSMCへの変更",
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          "text": "1987年12月23日、空気圧機器専業のSMC（旧・焼結金属工業）が東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。準備は1982年ごろに始まり、1986年4月の社名変更を挟んで5年を費やしている。上場翌月の講演で大村進社長は、1992年3月期までの国内250億円の設備投資を利益と償却で賄えるとの見通しを示しており、資金繰りに追われた公開ではなかった。"
        },
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          "text": "1959年に焼結金属のフィルターから出発した同社は、1971年までに空気圧機器の主要品種を自社で揃え、1986年度の国内シェアは42%へ達していた。海外は主要30カ国に販売とサービスの網を敷き、円高への対処としてシンガポールでの現地生産にも着手していた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "1986年4月に社名を焼結金属工業からSMC株式会社へ改め、海外で通っていた呼称と国内の商号を一致させたうえで、1987年12月23日に東証第二部へ上場した。1992年3月期までの設備投資は国内だけで約250億円を計画し、その資金は利益と償却で足りるとした。"
        },
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          "text": "上場後の業績は社長自身の見通しを上回り、1989年3月期の売上高772億円は中期計画が1992年3月期に置いた目標を3年早く超えた。1989年9月には東証第一部の銘柄に指定され、釜石工場や筑波技術センターの設置が続いた。"
        }
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          "title": "SMCシンガポール製造を設立し、東南アジアに生産機能を持つ"
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          "title": "釜石工場を設置し国内の生産拠点を東北へ広げる"
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        "source": "SMC 会社年鑑（単体業績）",
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            "president": "大村進",
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                  "text": "SMCは1959年4月、焼結濾過体の製造・販売を目的として、東京都千代田区に焼結金属工業株式会社の名で設立された。焼結金属のフィルターは圧縮空気に混じるごみを取り除く部品であり、この製品を入口に、同社は空気の扱いへ深く関わっていく。1961年9月に空気圧補助機器の製造・販売を始め、1970年6月に駆動機器、1971年1月に方向制御機器へと品種を広げ、コンプレッサーを除く主要な機器を自社で揃える総合メーカーとなった。",
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                      "原文": "1959年４月　焼結濾過体(フィルタ用焼結金属)の製造及び販売を目的に、東京都千代田区に焼結金属工業株式会社を設立／1961年９月　空気圧補助機器(エア三点セット)の製造・販売開始／1970年６月　駆動機器(エアシリンダ)の製造・販売開始／1971年１月　方向制御機器(直動形電磁弁)の製造・販売開始",
                      "source": "SMC 有価証券報告書 第66期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
                      "fact": "昭和35年には空気圧補助機器だけだったが、46年にはすべて作れるようになり空気圧機器の総合メーカーとなった",
                      "原文": "昭和35年には空気圧補助機器だけだったが、46年にはすべて作れるようになり、以後は空気圧機器の総合メーカーとして、各種メーカーのニーズに応える新製品開発と、内外の販路拡大、生産体制の整備を図りつつ、現在に至っている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "上場を前にした同社は、空気圧機器が全製品の90%以上を占める専業メーカーになっていた。用途ごとに形状や容量が異なるため品種は24万種類を超え、1986年度の国内シェアは42%と、第2位のメーカーの21%の2倍に達した。世界市場でも約10%を占め、3大メーカーの一角に並ぶ。技術を担う社員が全体の4分の1を占め、売上高比6%ほどを研究開発に充てる体質が、過去数年にわたる11〜13%の経常利益率を支えていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "空気圧機器が全製品の90%以上を占め、1986年度の国内シェアは42%（第2位は21%）、世界シェア約10%で世界3大メーカーの一つ、品種は24万種類超",
                      "原文": "当社は空気圧機器が全製品の90%以上を占める専業メーカーである。（中略）当社は現在、全世界で約10%のシェアを占め、世界3大メーカーのひとつになっている。（中略）昭和61年度において42%のシェアを占め、第2位のメーカーのシェア21%の2倍にも達している。業種によって適用する品種が異なるので、24万種類以上もの製品を持つことになってしまった。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
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                    {
                      "fact": "技術担当が社員の4分の1、売上高比6%程度を研究開発に投入し、経常利益率は11〜13%を保っていた",
                      "原文": "技術担当が社員の4分の1を占めており（中略）現在、売上高比6%くらいを研究開発に投入しており、年々伸びている売り上げの中で、いつも新製品が約10%を占めている。（中略）当社は過去数年、ずうっと経常利益を11〜13%の間に保っており、今後もこれを保っていけるように努力する考えだ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "株式を公開しないまま広げた海外網",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "販売の網は早い時期から国外へ伸びていた。1967年11月にSMCオーストラリアへ資本参加したのを皮切りに、1974年8月にシンガポール、1977年3月に米国、1978年に英国とドイツ、1981年12月にイタリアへ現地法人を置き、上場の時点で主要30カ国に販売とサービスの拠点を構えていた。国内でも1983年1月に筑波工場を設けている。株式を公開しないまま、専業の中堅企業には不相応な規模の網を敷いていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1967年の豪州資本参加以降、シンガポール・米国・英国・ドイツ・イタリアへ現地法人を設け、1983年1月に筑波工場を設置した",
                      "原文": "1967年11月　SMCオーストラリアに資本参加／1974年８月　SMCシンガポール設立／1977年３月　SMCアメリカ設立／1978年２月　SMCイギリス設立／1978年６月　SMCドイツ設立／1981年12月　SMCイタリアに資本参加／1983年１月　筑波工場設置",
                      "source": "SMC 有価証券報告書 第66期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "海外は昭和44年ごろから広がり、主要30カ国に販売とサービスのネットワークを築いていた",
                      "原文": "海外も昭和44年ごろから展開しており、現在は主要30カ国にわたって、販売とサービスのネットワークを築いている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1985年以降の円高は、輸出比率の高い同社に価格競争力の低下という圧力をかけた。大村進社長は円高と競争激化への対処として、シンガポールにある直営の生産拠点を充実させ、原価を下げると同時に為替へのヘッジ力を高める方針を挙げている。1986年9月にはSMCシンガポール製造を設立し、1974年の販売子会社設立から12年を経て東南アジアに生産の機能を持った。海外での事業がすでに投資の対象になっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "円高と競争激化への対処として、シンガポールの直営生産拠点を充実させコストダウンと為替ヘッジ力の向上を図る方針を示した",
                      "原文": "三番目には、円高と競争激化に対処するために、現在シンガポールにある直営の生産拠点をさらに充実させて、コスト・ダウンを図ると同時に、為替相場へのヘッジ力を高めていく考えだ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1986年9月にSMCシンガポール製造を設立した",
                      "原文": "1986年９月　SMCシンガポール製造設立",
                      "source": "SMC 有価証券報告書 第66期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "5年をかけた上場準備と社名の統一",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "上場の準備が始まったのは1982年ごろであった。大村社長は後に、昭和57年ごろには業容がかなり安定してきたので先行き上場するための準備に取りかかったと述べている。設立から23年、空気圧機器の主要品種を揃えてから10年余りを経た時点にあたる。資金の不足に追われて公開を急ぐ順序ではなく、事業の型が固まったところで公開の条件を整えていく順序を、同社は取っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "昭和57年（1982年）ごろに業容が安定してきたため上場準備に着手し、1987年12月23日に東証第2部へ上場した",
                      "原文": "この間、昭和57年ごろには業容がかなり安定してきたので、先行き上場するための準備に取りかかり、昨年12月23日に東証第2部に上場させていただいた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "準備の途中に置かれたのが1986年4月の社名変更であった。SMCは旧社名・焼結金属工業の英語名の頭文字であり、創業時から商標として使い、1967年に資本参加した豪州子会社を皮切りに海外各社の社名にも一貫して用いてきた。高田芳行氏は後年、ルノーが欧州で製品を採用した際に日本でSMCという会社を探しても誰も知らなかったと振り返っている。商号と看板の食い違いを解いたうえで、1987年12月23日に東証第二部へ上場した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1986年4月に社名をSMC株式会社へ変更し、1987年12月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した",
                      "原文": "1986年４月　ＳＭＣ株式会社に社名変更／1987年12月　東京証券取引所市場第二部に株式上場",
                      "source": "SMC 有価証券報告書 第66期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "SMCは焼結金属工業の英語名の頭文字で、1967年設立の豪州子会社以来、海外子会社名にも用いてきた。ルノーが日本でSMCを探しても知られていなかった",
                      "原文": "SMCというのは、当時の社名、焼結金属工業の英語名であるシンタード・メタル・コーポレーションの頭文字を合わせたものです。また、わが社は昭和42年にオーストラリアに子会社を設立して以来、海外各地に子会社を設立してきましたが、これらの社名はすべてSMCとしてきました。それで、海外ではSMCで名が通っていた。ですから、ルノーがヨーロッパでわが社の製品を採用した時、日本に来てSMCで会社を探したらしいんですね。ところがだれも知らない。",
                      "source": "あさひ銀総研レポート 1992年10月号（1巻1号・通巻67号）「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」（高田芳行）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2886060/1/11"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "調達を当てにしない設備投資計画",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "上場から1カ月足らずの1988年1月20日、大村社長は日本証券アナリスト協会の企業分析部会で会社の方針を語っている。設備投資は1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円を計画し、質疑ではこれが全体のおよそ8割にあたると答えた。資金の手当てについて、大村社長は利益と償却だけで十分に賄える見通しであると述べている。公開で得た資金を投資の原資に据える説明を、同社は取らなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円の設備投資を計画し、その資金は利益と償却だけで賄える見通しとした。国内分は全体の約80%",
                      "原文": "設備投資は、昭和67年3月期までの5年間に国内だけで約250億円を計画しており、その資金は利益と償却だけで十分に賄える見通しだ。／（質疑）中期計画期間中に国内で250億円の設備投資をするということだが、全体のどれくらいの割合か。──約80%である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "投資の向かう先として挙げられたのは、即納に応じるためのデポジットの設置、シンガポールの直営生産拠点の充実、欧米とNICSを中心とする海外販売網の強化と生産の現地化、そして先端技術との融合を図る研究所の新設であった。輸出は主要部品にとどめる方針も示している。株主への還元については、配当を1株12円50銭の水準で保ちたいとし、無償交付は考えているが具体化していないと答えるにとどめた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "即納体制のためのデポジット設置、シンガポール生産拠点の充実、欧米・NICS販売網の強化と生産の現地化、研究所の新設を方針として掲げ、輸出は主要部品にとどめるとした",
                      "原文": "二番目には、即納体制をさらに強化するために、必要な場所にデポジットを設置する方針だ。（中略）四番目は、欧米やNICSを中心とする海外販売網をさらに強化すると同時に、生産の一層の現地化を進め、輸出は主要部品にとどめて、国際化を図っていく方針である。五番目としては、技術力を強化するための研究開発投資を一段と積極化し、先端技術との融合を図るための研究所なども新設していく考えだ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "株主還元について配当は12円50銭を保ちたいとし、無償交付は具体的に決めていないと答えた",
                      "原文": "（質疑）株主に対する利益還元についての考えをうかがいたい。──配当は現在の12円50銭を保っていきたい。無償交付もやりたいと思っているが、具体的にはまだ決めていない。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "中期計画の3年前倒しと一部指定",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "上場直後の業績は、社長自身の見通しを上回った。大村社長は1988年3月期の売上高を540億円と計画し、内需の追い風から560億円程度への上方修正もあり得るとしていたが、実績は590億円となり、当期純利益は40.6億円に達した。翌1989年3月期の売上高は772億円へ伸び、中期計画が1992年3月期の目標に置いていた750億円を3年早く超えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中期計画では1988年3月期540億円・1992年3月期750億円を掲げ、質疑では1988年3月期560億円程度への上方修正に言及していた",
                      "原文": "当社の業績見通しとしては、昭和63年3月期に売上高540億円、67年3月期に同750億円、平均して年率8.5%の伸びを中期的に計画しているが、予想以上に内需によるフォローの風が強いので、63年3月期と64年3月期については上方修正もあり得るとみている。／（質疑）昭和63年3月期は560億円ぐらいになり、64年3月期はそれを10%ぐらい上回るのではないかとみている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "実績は1988年3月期の売上高590億円・当期純利益40.6億円、1989年3月期は売上高772億円・当期純利益60.3億円",
                      "原文": "売上高590億円・当期純利益40.6億円（1988年3月期・単体）、売上高772億円・当期純利益60.3億円（1989年3月期・単体）。",
                      "source": "SMC 会社年鑑（単体業績）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "資本市場での評価も続いた。上場から1年9カ月後の1989年9月、SMCは東京証券取引所市場第一部の銘柄に指定される。同じ月に高田芳行氏が代表取締役社長へ就いた。設備は1991年1月の釜石工場、同年4月の筑波技術センターと積み増され、高田氏は後に、売れる量の予測が立てば作る能力を先に備えるという考えのもとで、競合相手より設備投資を先行させてきたと語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1989年9月に東京証券取引所市場第一部の銘柄に指定され、1991年1月に釜石工場、同年4月に筑波技術センターを設置した",
                      "原文": "1989年９月　東京証券取引所市場第一部銘柄に指定／1991年１月　釜石工場設置／1991年４月　筑波技術センター設置",
                      "source": "SMC 有価証券報告書 第66期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "高田芳行氏は、売れる量の予測が立てば作る能力を先に備えるという考えで、競合相手より設備投資を先行させてきたと語っている",
                      "原文": "私は、なにか事をなす時には、前もって準備をしておかなければ、それはできかねると思っているんですがね、会社の仕組みも同じで、いくら売れるだろうと予測がたてば、その製品をつくる能力を備えておくために、前もって投資をする、ということです。実際にそのようにしてきましたが、そのへんは成功してきたと思います。私どもでは競合相手に比べて設備投資が先行していた。",
                      "source": "あさひ銀総研レポート 1992年10月号（1巻1号・通巻67号）「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」（高田芳行）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2886060/1/11"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "資金が要る前ではなく、要らなくなった後の公開",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1987年12月の上場を、成長資金を集めるための調達と読むと説明が合わない。大村進社長は上場の翌月、1992年3月期までの国内250億円の設備投資を利益と償却だけで賄えると述べている。国内シェア42%、経常利益率11〜13%という数字を先に作り、公開はその後に置かれた。1982年ごろから5年をかけた準備は、資金の必要に追われた動きではなく、事業の型が固まった会社が対外的な資格を整える手続きであったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、自己資金で賄えるという見通しは、その時点の高い利益率に支えられた条件付きのものであった。24万種類の品目を構えて短い納期に応じるやり方は、設備と在庫へ資金を寝かせ続けることを前提とし、海外生産の現地化まで含めれば投資は国内の250億円にとどまらない。上場から3年余りで釜石工場と筑波技術センターが加わった。資本市場に足場を置いた意味は、調達の額よりも、投資を止めずに済む余地を先に確保した点にあったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1988年2月号「SMC」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 大村進社長 講演要旨）",
        "あさひ銀総研レポート 1992年10月号（1巻1号・通巻67号）「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」（高田芳行）",
        "SMC 有価証券報告書 第66期（2025年3月期）【沿革】",
        "SMC 会社年鑑（単体業績・1988年3月期／1989年3月期）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
    }
  ]
}
