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  "updated": "2026-09-06",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/6101/",
  "title": "ツガミの歴史概略",
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "description": "ツガミ（旧津上製作所）の歴史。1937年、津上退助氏が新潟県長岡市で津上製作所を設立。1954年の和議法による再建と社長復帰、東洋精機の吸収合併、中国への生産シフトまでの沿革と経緯を執筆。"
  },
  "eras": [
    {
      "title": "初代津上製作所から2代目への再起と東洋精機の吸収",
      "start_year": 1926,
      "end_year": 1981
    },
    {
      "title": "中国生産シフトとCNC小型自動旋盤への事業集中",
      "start_year": 1982,
      "end_year": 2010
    },
    {
      "title": "中国市場を収益源とするCNC小型自動旋盤事業と、一国依存への多極分散",
      "start_year": 2011,
      "end_year": 2026
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      "start_year": 1926,
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      "main_title": "初代津上製作所から2代目への再起と東洋精機の吸収",
      "subsections": [
        {
          "title": "ブロックゲージ国産化への着想、服部・三井の資本参加と三井との訣別",
          "text": "津上退助氏は福岡の渡辺鉄工所で水雷の発射管をつくっていたころ、ゲージのない現場で寸法の精度に悩んだ。ヨーロッパから戻った伍堂卓雄氏から、ドイツがブロックゲージという長さの標準で部品の互換性を保ち兵器を量産したと聞き、長さの標準を国産化し精密機械を育てる事業を志した。1923年、津上氏は東京・本所太平町で友人の工場の一隅を借りて精密機械の研究に着手したが、同年9月の関東大震災で焼け、数年の準備をはさんで1926年、東京・武蔵小山で個人経営の津上製作所を開いた。ツァイスのねじ測定器など十数台と工員十数名で、精度を100,000分の1ミリまで詰めた国産ブロックゲージと各種原器・各種ゲージの製作に取りかかった。中島飛行機や石川島飛行機の部品・ゲージ・治具を受注したが、試作段階の取引で採算は厳しく、1927年の金融恐慌では解散寸前まで追い込まれた。従業員が貯金帳や恩給証書を差し出して引き留めた挿話が残る。\n\n東京電気の電球用ベースゲージ、日本石油のパイプねじゲージ、沖電気の自動電話機用ゲージといった注文が続いて苦境を脱すると、津上氏は事業の拡大に向けて出資者を探した。実業家の服部金太郎氏から当初3万円の出資を得て、1928年に資本金15万円の株式会社津上製作所を設立し、蒲田の雑色町に約500坪を取得して工場を建てた。地下に恒温恒湿の測定室を設け、ツァイスの光波干渉計とSIPの治具中ぐり盤を据えた。光波干渉計はツァイスが試作を終えたばかりで、津上氏の発注が世界で最初だった。この測定設備の上に国産ブロックゲージが仕上がり、万国共通の長さの基準を日本の工業へ持ち込んだ。\n\n1934年、精密加工の将来性に着目した三井物産が資本に加わり、蒲田区下丸子に新工場を建てて生産を移した。翌1935年に資本金を500万円へ増やし、精機・兵器・鋳造・測定器・光学の各工場を整え、ダイヤモンド旋盤や各種の精密工作機械、日本で最初とされる徒弟学校までを揃えた。海軍の酸素魚雷に使うジャイロや深度計の試作にも応じ、軍需の比重が高まった。だが、精密機械は兵器ではなく平和産業のために伸ばすべきだとする津上退助氏と三井は経営方針で対立し、1936年、津上氏は経営を退いて下丸子を去った。創業者の手を離れた旧津上製作所は三井のもとに残り、翌1937年2月に東洋精機株式会社へ商号を改めた。",
          "references": [
            {
              "title": "過去と現在との対話（津上製作所・1962）",
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            {
              "title": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
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              "title": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
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              "title": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社・1964）",
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              "speaker": "津上退助",
              "role": "創業者・自叙伝『100,000分の1』より",
              "date": "1962",
              "text": "私は「日本でもまず長さのスタンダードになるブロックゲージを作ることが先決だ。そして、これをもとにして精密な機械を作るようにならなければならない。」と痛感した。\n精密機械という言葉などまだない時代だったが、国土が狭く、人口が多く、資材の乏しい日本では、どうしても精密機械の工業、知能的な工業で進むほかに生きる道はない、という私の信念はいよいよ動かないものになった。",
              "source": "過去と現在との対話（津上製作所・1962）",
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        {
          "title": "長岡での2代目再起と、1953年不渡りからの和議による再建",
          "text": "津上退助氏は工場を誘致していた新潟県長岡市で再起を図った。忍耐強い作業者を得るには子供のころからきびしい自然に鍛えられた風土が要ると、津上氏は考えていた。新潟県出身の石山賢吉氏の斡旋と、長岡出身の山田多計治氏が率いる大阪機械との共同で土地と資本の見通しを付け、1937年3月、資本金200万円で2代目の株式会社津上製作所を設立した。資材統制と軍部の圧力のなかでも工場は鉄筋コンクリートで建て、1941年9月に長岡工場が全棟そろった。第二次大戦下ではドイツやスイスから取り寄せた工作機械や測定器が海上輸送を絶たれ、潜水艦で運び込んだものもあった。1945年2月に津上精密工学工業を合併して信州工場とし、1949年5月、東京・大阪・新潟の3取引所へ同時に上場した。\n\n上場後ほどなく、朝鮮動乱後の反動不況からの立ち直りが遅れ、業績は低迷した。大口取引の失敗で資金繰りに詰まり、高利の資金にも手を出した。1953年6月、外国会社向けに製造した輸出用工作機械が一方的に取引を拒まれたのをきっかけに、津上製作所は不渡りを出した。工作機械・精密工具・原器・測定機などをつくる技術と設備はむしろ高く評価されており、技術を重んじて採算を後回しにしたことが招いた不渡りだと評された。会社はできて間もない会社更生法の適用を申請したが、管財人をめぐって債権者の間に対立が起き、裁判所は1954年12月に更生法の申立てを棄却した。残された道として、会社は和議法による再建へ切り替えた。\n\n和議の決定で、いったん経営を退いていた津上退助氏が社長に復帰し、再建の指揮を執った。債権者の同意を得て負債総額およそ14億円の半分以上を切り捨て、1956年6月に資本金を5億円から5分の1の1億円へ減らし、翌7月に5倍へ増資して再び5億円へ戻した。1955年からの神武景気で各工場が設備を増やすと津上製作所の受注も回復し、1956年3月期に1,800万円の赤字を計上したのを最後に、同年9月期には4,800万円の黒字へ転じた。1958年3月期に1割の復配を実現し、1960年5月には倍額増資の余力まで戻した。和議によって経営の実権が管財人から創業者へ戻ったことは、再建の支えになった。",
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              "speaker": "金井澄雄",
              "role": "『倒産の原因・成長の条件』の評",
              "date": "1964",
              "text": "和議ということで会社経営の実権が、管財人の手から会社創設者の津上退助氏にもどったということは再建において非常な力となった。\n津上氏の経営に対する熱意もさることながら、技術面では絶対に高く評価されており、これが不渡り後といえども製品に対する信頼度を落とすことがなかった。",
              "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社・1964）",
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        {
          "title": "東洋精機の吸収と、多角化・オイルショック下の構造改革",
          "text": "1961年10月、津上製作所は東洋精機を吸収合併し、茨城工場として取り込んだ。1936年に三井へ明け渡した初代津上製作所は、三井のもとで1937年2月に東洋精機へ商号を改めている。ただし三井精機工業の公式沿革によれば同じ系列で東洋精機の商号は2度用いられており、1961年に吸収した東洋精機が初代の法人そのものにあたるかどうかは、手元の資料からは確定できない。長岡・信州に続く関東の生産拠点が加わり、生産は3か所に分かれた。1968年7月に蔵王製作所を設立し、1970年9月には津上総合研究所を長岡市に置いて研究開発の機能を長岡へ集めた。1970年11月、社名を漢字の株式会社津上に改めた。旧法人と同じ商号の会社を創業者自身が引き受けた形になり、のちの商号整理はこの体制の上で進んだ。\n\n1962年ごろ、津上は工作機械の景気変動を補うため高精度の耐久消費財へ広げ、自動販売機やエアコン、米国3社と技術提携したジュークボックスや紙幣両替機の生産に乗り出した。1960年代後半には、本業でも自動盤・転造盤などの合理化機械が、労働力不足とコストダウンに迫られた自動車産業から受注を伸ばし、人員を増やさず生産性を上げるため近代的な請負制度や従業員年俸制度を取り入れた。1974年9月に販売を津上工販へ分け、同年に創業者の津上退助氏が世を去った。1973年の石油危機で経営が傾くと、1975年に大山梅雄氏が社長に就き、100円以上の経費を社長自ら確かめる倹約と、1961年に東洋精機から引き継いだ茨城工場の閉鎖・売却で財務を立て直した。1978年にCNC複合自動旋盤マーキュリーシリーズを出して自動旋盤メーカーとして立て直し、1982年10月、商号を株式会社ツガミへ改めた。",
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              "paragraph": 1,
              "caption": "1926年に東京武蔵小山で創業した初代津上製作所は、1936年の三井物産との対立で創業者・津上退助氏の手を離れ、三井のもとで1937年2月に東洋精機株式会社へ商号を改めた。創業者は1937年3月に新潟県長岡で2代目津上製作所を立ち上げ、1961年10月に東洋精機を吸収合併して茨城工場とした。\nただし三井精機工業の公式沿革では、初代の法人が東洋精機・三井精機工業の商号を交互に用いており、1961年にツガミが吸収した東洋精機が同系列のどの法人にあたるかは確定できない。商号の整理は1970年の株式会社津上、1982年の株式会社ツガミと続いた。"
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  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "1937年3月、新潟県長岡市に資本金200万円で株式会社津上製作所が設立された。津上退助氏は東京で最初の津上製作所を興していたが、1934年の三井物産の資本参加で蒲田区下丸子へ移ったのち、軍需の比重をめぐって方針が対立し、1936年に旧法人を三井へ残して退いている。旧法人は1937年2月に東洋精機へ商号を改め、退助氏は同じ社名の会社を長岡で立て直した。1945年2月に津上精密工学工業を吸収して信州工場とし、1949年5月には東京・大阪・新潟の各証券取引所へ上場する。1970年11月に株式会社津上、1982年10月に株式会社ツガミへ商号を変えた。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "手放した拠点を買い戻し、また手放して事業を絞ってきた。1954年12月、不渡り後の会社更生法の申立てが棄却されると[和議法へ切り替えて津上退助氏が社長へ復帰し](/tse/6101/decisions/composition-restructuring-1954/)、債務の切捨てと減増資で財務を組み直した。1961年10月には25年前に三井へ残した旧法人の後身・東洋精機を[吸収合併して茨城工場とする](/tse/6101/decisions/toyo-seiki-merger-1961/)。ところが1973年の石油危機で経営が傾くと、1975年に社長へ就任した大山梅雄氏はその茨城工場を閉鎖・売却し、得た資金で1978年にCNC複合自動旋盤マーキュリーシリーズを出す。2003年9月には[浙江省に津上精密机床を設立して生産を中国へ移した](/tse/6101/decisions/china-production-shift-2003/)。取り戻した拠点さえ元手に替えたことが、自動旋盤という一品目への集中を可能にした。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "利益の9割は中国の1拠点から出ている。2026年3月期の売上高1,291億円は、中国1,110億円、日本277億円、インド68億円、韓国13億円で構成される。セグメント利益は中国312億円に対し、日本23億円、インド3億円にとどまる。営業利益361億円で売上高営業利益率は28%、当期純利益は167億円といずれも過去最高であった。2010年代に米スマートフォン向けの精密部品量産で伸ばした中国の需要は、その一巡後にBYDなどEVメーカー向けへ入れ替わっている。2023年7月にマレーシア、10月にベトナムへ拠点を設け、インドでは鋳造から加工組立まで一貫する工場を建てた。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "競う場所を中国の小型自動旋盤に限り、そこで7割のシェアを握る。工作機械の国内大手が総合的な品揃えで伸びるなか、ツガミはCNC小型自動旋盤の一品目へ絞った。2004年3月期の経常利益率14%は、[森精機製作所](/tse/6141/)や[オークマ](/tse/6103/)の8%台を上回っている。中国では3工場と3,000人弱のエンジニアで月1,500台超を作り、子会社の総経理には現地の人材を据えた。およそ30人の日本人駐在員は生産技術とアフターサービスの指導に回っている。技術はいずれ追いつかれると見たうえで、その前に中国の会社としてシェアを確保するという順序が、一国に依存する高収益と背中合わせで進んでいる。"
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      "label": "祖業",
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      "label": "現在の注力課題",
      "value": "中国依存の分散とインド一貫工場の立上げ",
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        "海外展開",
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