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  "decisions": [
    {
      "slug": "composition-restructuring-1954",
      "url": "/tse/6101/decisions/composition-restructuring-1954/",
      "year": 1954,
      "month": 12,
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      "decision_id": "6101-composition-restructuring-1954",
      "type": "restructuring",
      "tags": [
        "tr-insolvency",
        "tr-turnaround",
        "cp-finance"
      ],
      "title": "会社更生法の申立て棄却を受けた和議法への切替えと、津上退助氏の社長復帰",
      "subtitle": "管財人に委ねるか、創業者に戻すか——不渡りを出した精密機械メーカーの再建をだれが指揮するか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "和議法による再建（負債総額約14億円の半分以上を切捨て、5分の1減資と5倍増資）",
      "ratio": null,
      "issue": "倒産処理の枠組みと経営権の所在",
      "decider": "津上退助（創業者・和議決定後に社長復帰）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1953年6月に不渡りを出した津上製作所が、会社更生法の申立てを1954年12月に棄却されたのを受け、和議法による再建へ切り替えた経営判断。経営から退いていた創業者・津上退助氏が社長に復帰し、負債の切捨てと減増資で財務を整えた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1949年5月の3取引所同時上場から4年で、朝鮮動乱後の反動不況、大口取引の失敗、高利資金への依存が重なった。外国会社向けの輸出用工作機械が一方的に取引を拒まれ、資金繰りが切れた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "更生法では管財人をめぐって債権者の対立が解けず、裁判所は申立てを棄却した。会社は和議法へ移り、債権者の了解のもとで負債総額約14億円の半分以上を切り捨て、1956年6月に資本金5億円を1億円へ減らし、翌7月に5倍増資して5億円へ戻した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "経営の実権が管財人ではなく創業者の手に戻ったことが、技術への信用を保ったまま再建を進める条件になった。1956年9月期に黒字化し、1958年3月期に1割復配、1960年5月には倍額増資の余力まで戻した。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "name": "津上製作所",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "工作機械・精密工具・原器・測定機を手がける精密機械メーカー。1949年に東京・大阪・新潟の3取引所へ上場"
          }
        }
      ],
      "dates": {
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        "summary": "不渡り後の法的整理が更生法で行き詰まったため、経営権を創業者に残せる和議法へ切り替え、債務切捨てと減増資で財務を組み直した"
      },
      "timeline": [
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          "year": 1949,
          "month": 5,
          "title": "東京・大阪・新潟の3証券取引所へ同時上場"
        },
        {
          "year": 1953,
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          "title": "輸出用工作機械の取引拒否をきっかけに不渡りを出す"
        },
        {
          "year": 1954,
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          "title": "会社更生法の申立てが棄却され、和議法による再建へ切替。津上退助氏が社長に復帰",
          "highlight": true
        },
        {
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          "title": "資本金5億円を5分の1の1億円へ減資（翌7月に5倍増資で5億円へ）"
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          "title": "1958年3月期に1割の復配を実現"
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        {
          "year": 1960,
          "month": 5,
          "title": "倍額増資の余力まで回復"
        }
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1956年3月期",
        "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社・1964）・単体",
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            "stock_code": "6101",
            "name": "津上製作所",
            "fiscal_year": "1956年3月期（単体）",
            "president": "津上退助",
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      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "上場4年での資金繰り破綻",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2代目の津上製作所は、1936年に三井との方針対立で初代を手放した津上退助氏が、翌1937年3月に新潟県長岡市で興した会社である。1941年9月に長岡工場が全棟そろい、1945年2月には津上精密工学工業を吸収合併して信州工場を加えた。戦後は研削盤・転造盤・ミシンの生産を再開し、1949年5月、東京・大阪・新潟の3証券取引所へ同時に上場した。工作機械のほか精密工具・原器・測定機まで自社でつくる技術本位の会社として、業界での評価は高かった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1937年3月に長岡で2代目を設立、1941年9月に長岡工場が全棟完成、1945年2月に津上精密工学工業を吸収合併して信州工場とし、1949年5月に3取引所へ上場した",
                      "原文": "1937年3月、資本金200万円で2代目の株式会社津上製作所を設立した。1945年2月に津上精密工学工業を合併して信州工場とし、1949年5月、東京・大阪・新潟の3取引所へ同時に上場した。",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "1946年6月に研削盤・転造盤・ミシンの生産を再開した",
                      "原文": "1946年6月　研削盤、転造盤、ミシン生産開始",
                      "source": "株式会社ツガミ「沿革」（会社公式）",
                      "url": "https://www.tsugami.co.jp/company/history/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "ところが上場の直後から資金繰りが傾いた。朝鮮動乱後の反動不況からの立ち直りが遅れて業績は低迷し、大口取引の失敗で資金が詰まると、高利の資金にまで手を伸ばした。そこへ1953年6月、外国会社の依頼で製造した輸出用の工作機械が一方的に取引を拒まれ、津上製作所は不渡りを出した。上場からわずか4年での挫折であった。のちに週刊東洋経済も、米国代理店から一方的に輸出契約を破棄されて1953年に倒産した、と同じ経緯を伝えている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "朝鮮動乱後の反動不況・大口取引の失敗・高利資金が重なり、1953年6月に輸出用工作機械の一方的な取引拒否をきっかけとして不渡りを出した",
                      "原文": "津上製作所が不渡事故を起こしたのは、いまから約一一年まえの二八年六月のことである。不渡りの直接の原因は、外国会社の依頼で製造した輸出用工作機械が、一方的に取引拒否され、これがきっかけとなって挫折してしまったのである。もっとも、そのまえから、すなわち朝鮮動乱後の反動不景気からの立ち直りが遅れ、業績も悪かった。そこへもってきて大口取引の失敗から、金繰りに困り、高利の金に手を出してしまった。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                    },
                    {
                      "fact": "週刊東洋経済も、米国代理店から一方的に輸出契約を破棄されて1953年に倒産したと記している",
                      "原文": "自動旋盤、研削盤を主力とし、売り上げ２５０億円（０４年度）のツガミは工作機械業界の中堅で、創業は戦前の１９３７年。名門中の名門だが、米国代理店から一方的に輸出契約を破棄され、５３年に倒産。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
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            },
            {
              "sub_title": "技術への信用は残り、法的整理だけが滞った",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "不渡りを出しても、製品への信用までは落ちなかった。当時の津上製作所は工作機械・精密工具・原器・測定機・ヘリサート・ポンプをつくっており、製造技術も設備も高い水準にあった。倒産事例を分析した金井澄雄氏は、技術屋育ちの津上退助氏が技術を重んじるあまり、採算を度外視してでも良い物をつくろうとしたために招いた不渡りだ、という同業者の見方まで書き添えている。会社の体質そのものが傷んだ倒産ではなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "製造技術と設備は高く評価されており、技術偏重が採算を後回しにした結果の不渡りだという見方が業界にあった",
                      "原文": "普通の倒産会社と異なり、会社の素質が非常によかった。そのわけは、津上製作は、当時、工作機械、精密工具、原器、測定機、ヘリサート、ポンプなどをつくっていたが、製造技術がすぐれ、設備がよかった。むしろ、社長津上退助氏が技術屋育ちのため、あまりにも技術を重視し、技術によりすぎ、採算を度外視してもいいものをつくろうとしたために招いた不渡りだなどともいわれるくらいである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "会社はまず、できて間もない会社更生法の適用を申請した。ところが管財人が津上製作所の内容に通じておらず、管財人をめぐって債権者の間に対立が生じた。裁判所は適用の決定を出せないまま、1954年12月に更生法の申立てを棄却した。不渡りから1年半のあいだ、技術も設備も従業員もそのままに、法的整理の枠組みだけが決まらずに時間が過ぎていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "会社更生法の適用を申請したが、管財人をめぐる債権者間の対立から裁判所は決定を出せず、1954年12月に申立てを棄却した",
                      "原文": "津上製作所では不渡事故発生後、当時、まだできて間もなかった「会社更生法」の適用を申請した。ところが、この間、管財人をめぐって債権者間のイザコザが起こった。ということは、管財人そのものが津上の内容についてそれほど精通していなかったためである。裁判所としても、会社更生法の適用決定の判決を出すことができず、二九年一二月、更生法の申立てを棄却した。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "和議法への切替えと、創業者の社長復帰",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "棄却と同時に、会社は和議法を使って再建する道へ切り替えた。更生法であれば経営権のすべてが管財人の手に移るが、和議では債務者が経営を保ったまま債権者と弁済条件を取り決める。この違いは、津上製作所にとって形式の問題ではなかった。技術と設備が評価される会社の再建で、その技術をだれが束ねるのかが、そのまま取引先の信用に跳ね返るためである。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "更生法の申立て棄却と同時に、和議法の適用によって再建を図る方針へ切り替えた",
                      "原文": "と同時に、会社としては、和議法を適用することによって、会社の再建を図ることになったのである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "切替えとともに、いったん経営の第一線から退いていた津上退助氏が社長に復帰し、自ら再建に当たった。1936年に三井との方針対立で初代の津上製作所を手放し、長岡で2代目を興した創業者が、20年を経ずに2度目の立て直しへ向かった。金井澄雄氏は、会社経営の実権が管財人の手から創業者に戻ったことが再建の力になったと書き、更生法のまま管財人へ経営権が委ねられていれば、これほど順調に再建できたかは疑問だ、とも記している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "和議の決定により、経営から退いていた津上退助氏が社長に復帰して直接再建に当たった",
                      "原文": "かくて、一度経営面から退いていた津上退助氏が、社長に復帰し、直接、再建に当たることとなった。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                    {
                      "fact": "経営の実権が管財人から創業者へ戻ったことが再建の力になった",
                      "原文": "和議ということで会社経営の実権が、管財人の手から会社創設者の津上退助氏にもどったということは再建において非常な力となった。津上氏の経営に対する熱意もさることながら、技術面では絶対に高く評価されており、これが不渡り後といえども製品に対する信頼度を落とすことがなかったのである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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            },
            {
              "sub_title": "負債14億円の半分超切捨てと、5分の1減資・5倍増資",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "再建の中身は荒療治であった。債権者の了解を得たうえで、負債総額およそ14億円の半分以上を切り捨てた。続いて1956年6月、当時5億円だった資本金を5分の1の1億円へ減らし、その翌7月に5倍増資して再び5億円へ戻した。欠損を資本の側で消し、同額の資本を入れ直す処理を、2カ月のうちに続けて実行したことになる。債権者にとっては酷な条件であったと、当時の分析も認めている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "債権者の了解を得て負債総額約14億円の半分以上を切り捨て、1956年6月に資本金5億円を5分の1の1億円へ減資し、翌7月に5倍増資して5億円へ戻した",
                      "原文": "まず、債権者の了解を得たうえで、負債総額約一四億円の半分以上を切り捨てた。そして三一年六月には、当時五億円だった資本金を五分の一減資して一億円とし、すぐその翌七月には五倍増資して再び資本金五億円とした。少々債権者にとっては酷と思われるほどの荒療治をやってのけたわけである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                },
                {
                  "text": "手術の時期も味方した。1955年から1956年にかけて神武景気と呼ばれる好況が訪れ、各地の工場が設備の増強に動くと、工作機械をつくる津上製作所の受注も戻った。財務の整理と需要の回復が重なったため、切り捨てたあとの会社は、痩せたまま据え置かれずに済んだ。荒療治が通ったのは、技術への信用と外部環境の両方が支えたからにほかならない。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1955年から1956年の神武景気で各工場が設備増強に動き、津上製作所の受注も回復した",
                      "原文": "それに環境もまことによかった。三〇年から三一年にかけて、いわゆる神武景気とよばれる好況時代が訪れ、経済界は活況を呈し、各工場がどんどん設備の増強を始めた。このため、津上製作の仕事も繁忙化してきたのである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "4年での再建完了と、次の主力製品",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "決算の数字は速く反応した。1956年3月期に1,800万円の赤字を計上したのを最後に、減資と増資を終えた同年9月期には4,800万円の黒字へ転じた。不渡りから4年目で、再建は一応の完了をみた。以後の回復も早く、1958年3月期には待望の1割復配を実現し、1960年5月には倍額増資の余力まで戻した。過去に不渡りを出した会社という暗さは、この時期にはもう残っていなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1956年3月期の1,800万円の赤字を最後に同年9月期は4,800万円の黒字へ転換し、1958年3月期に1割復配、1960年5月に倍額増資の余力まで回復した",
                      "原文": "これが反映して決算のほうも、三一年三月期に赤字一、八〇〇万円を計上したのを最後に、すでに五分の一減資、五倍増資という最終の手術を終わった後の三一年九月期には、はやくも四、八〇〇万円の黒字を計上することができたのである。不渡事故を起こして四年目にして、再建は一応完了したといってよかろう。以後の経過もきわめて順調である。三三年三月期には、待望の一割復配が実現され、もはや完全な健康体にまで回復。そして三五年五月には倍額増資の余裕まで生ずるにいたったのである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                },
                {
                  "text": "製品の側でも、のちの主力が育っていた。1957年11月、津上製作所は主軸移動型自動旋盤の製造販売を始めた。長い棒状の材料を送りながら削るこの機械は、半世紀を経てツガミの主力製品となる小型自動旋盤と同じ系統にある。財務の整理が終わった直後に、会社は自らの技術を並べ直し、量産部品の加工という需要へ向けて製品の幅を広げていた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1957年11月に主軸移動型自動旋盤の製造販売を開始した",
                      "原文": "1957年11月　主軸移動型自動旋盤製造販売開始",
                      "source": "株式会社ツガミ「沿革」（会社公式）",
                      "url": "https://www.tsugami.co.jp/company/history/"
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                      "fact": "ツガミの主力製品は長い棒状の材料を自動的に送って回転させ切削する主軸移動型（スイス型）自動旋盤である",
                      "原文": "ツガミの主力製品は、長い棒状の材料を自動的に送って回転させ、切削・加工するもので、「主軸移動型（スイス型）自動旋盤」と呼ばれる。",
                      "source": "週刊東洋経済 2026年4月18日号「【特集 ハイテク中国】 第3章 日本企業の勝ち筋 小型自動旋盤（工作機械） ツガミ「中国全振り」で快進撃」",
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              "sub_title": "立て直したあとの会社が、だれのものになったか",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "再建後の津上製作所は、1961年10月に東洋精機を吸収合併して茨城工場を加え、長岡・信州・茨城の3工場体制へ広がった。事業も工作機械・測定機・原器・工具から、エアコンディショナー・自動販売機・ジュークボックス・印刷機械へと幅を持った。一方で、和議によって創業者の手に戻った経営は、その後も長く津上退助氏に集中した。のちに専務として招かれた古田保氏は、退助氏が半世紀にわたって社長を独占してきたと振り返っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1961年10月に東洋精機を吸収合併して茨城工場とし、事業もエアコンディショナー・自動販売機・ジュークボックス・印刷機械へ広げた",
                      "原文": "製造品目も、従来からお家芸ともいえる工作機械、測定機、原器、工具、ヘリサート、繊維機械のほか、暖冷房兼用のエアコンディショナー、高性能自動販売機、ジュークボックス、印刷機械まで手を広げ、いずれも時流にのった産業だけに需要はますます増加の傾向にある。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
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                    {
                      "fact": "1968年5月に専務として入社した古田保氏は、津上退助氏が半世紀にわたり社長を独占していたと述べている",
                      "原文": "やはり、ワンマン体制の最大の弊害は人材が育たないことなんでしょう。退助氏は半世紀にわたって、津上の社長を独占してましたから。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年11月22日号「ワンマン追放のために払った犠牲 津上前社長、古田保氏が語る『社長失格記』」",
                      "url": null
                    }
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                },
                {
                  "text": "経営の集中は、1970年代に別の形で表面化した。1973年5月の株主総会前の取締役会で、津上退助氏を代表権のない会長とする決議が行われ、古田保氏が社長に就いた。退助氏は1974年に世を去り、1975年1月には社外から大山梅雄氏が社長として入る。和議のときに創業者へ戻した経営権は、20年をかけて会社の側へ移り直した。",
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                      "fact": "1973年5月の株主総会前の取締役会で津上退助氏を代表権のない会長とすることを決議し、古田保氏が社長に就任した",
                      "原文": "それで48年5月の株主総会の前の取締役会で、退助氏を代表権のない会長にすることを決議しました。社長人事は取締役会の互選だから法的には問題ないわけです。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年11月22日号「ワンマン追放のために払った犠牲 津上前社長、古田保氏が語る『社長失格記』」",
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                    },
                    {
                      "fact": "大山梅雄氏は1974年8月に津上の最高顧問、1975年1月に社長へ就任した",
                      "原文": "その手腕を買われ、津上立て直しのため、49年8月、同社最高顧問、50年1月、同社社長に就任。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年9月13日号「雀だって自分で巣を作る 大山梅雄氏（津上社長）が語る貯金経営の勧め」",
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              "sub_title": "倒産処理で何を守るかという選び方",
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                  "text": "この判断の核心は、債務をいくら切ったかよりも、再建の指揮権をどこに置いたかにあるとみることができる。津上製作所の資産は工作機械と測定機をつくる技術であり、その技術は創業者の設計思想と職人の手に宿っていた。管財人が経営を預かる更生法では、負債の整理は進んでも、取引先が製品に寄せる信用まで引き継げたかどうかは分からない。更生法が使えなくなった末の消去法だったにせよ、会社を最もよく知る者に指揮を戻した和議は、この会社の資産の在りかと噛み合っていたといえる。"
                },
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                  "text": "もっとも、その選択は同時に、創業者への集中を20年近く延長する結果にもなった。1973年に取締役会が創業者を会長へ退けるまで、経営の判断は一人に寄ったままであり、その間の業績は不安定であった。危機のときに求心力へ頼ることと、平時にそれを解くことは別の作業であって、後者に手が付かないまま次の危機を迎えた例は少なくない。和議で守ったものが、のちに何を先送りしたのか——この会社の歩みは、その順序の難しさをうかがわせる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
        "過去と現在との対話（津上製作所, 1962）",
        "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
        "株式会社ツガミ「沿革」（会社公式）",
        "日経ビジネス 1976年9月13日号「雀だって自分で巣を作る 大山梅雄氏（津上社長）が語る貯金経営の勧め」",
        "日経ビジネス 1976年11月22日号「ワンマン追放のために払った犠牲 津上前社長、古田保氏が語る『社長失格記』」",
        "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
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      "slug": "toyo-seiki-merger-1961",
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      "title": "三井へ手放した初代の後身・東洋精機を吸収合併し、茨城工場として取り込む",
      "subtitle": "25年前に明け渡した法人を買い戻すか、新設で増産するか——長岡の2代目が選んだ関東進出の形",
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          "text": "1961年10月、津上製作所が東洋精機を吸収合併して茨城工場とした経営判断。1936年に三井との方針対立で創業者・津上退助氏が手放した初代の津上製作所は、翌1937年2月に東洋精機へ商号を改めており、25年を経て初代と2代目が一つの事業体へ合流した。"
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          "text": "合併で加わった工場を茨城工場とし、長岡・信州に関東の生産拠点を足して3工場体制を組んだ。1968年には自動盤・転造盤といった合理化機械が自動車産業から受注を伸ばし、受注残は35億円に達した。"
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          "label": "含意",
          "text": "取り戻した拠点は14年しか持たなかった。1973年の石油危機で経営が傾き、1975年1月に社長へ入った大山梅雄氏は同年3月に茨城工場を閉鎖・売却し、身軽になった財務で1978年のCNC複合自動旋盤へ資源を寄せた。"
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                  "text": "初代の津上製作所は、1928年に資本金15万円で設立され、蒲田の雑色町に地下の恒温恒湿測定室を備えた工場を構えた。海軍の酸素魚雷用ジャイロの試作に成功したころから将来性を買われ、1934年に三井物産から100万円ほどの資本が入る。翌1935年1月には資本金を500万円へ増やし、精機・兵器・鋳造・測定器・光学の各工場を蒲田区下丸子に整えて、従業員は千数百名に達した。",
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                      "原文": "三井物産から100万円ばかり資本が入り、昭和9年11月蒲田区下丸子町708番地、多摩川べりの広い地所に新しく工場を建設、同12月雑色の工場から一切を移転した。新しい津上製作所では、すぐ昭和10年1月、資本金を500万円に増資して、工場の拡張をはかり、精機工場、兵器工場、鋳造工場、測定器工場、光学工場などを建設、6月には殆んど完成した。こうした生産の増大につれ、従業員も増加して千数百名に達した。",
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                {
                  "text": "だが生産の中身は兵器へ偏っていった。精密機械は兵器ではなく平和産業のために伸ばすべきだとする津上退助氏の信念と三井の方針は折り合わず、1936年11月、津上氏は辞任して下丸子を去った。三井のもとに残った旧法人は、翌1937年2月に東洋精機株式会社へ商号を改めている。創業者は争って奪い返す道をとらず、法人を相手に明け渡したまま、1937年3月に新潟県長岡市で2代目の津上製作所を興した。",
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                      "原文": "三井との間に経営の根本方針について意見の相違をきたしたので、事業発展を前に潔ぎよく辞任し、昭和11年11月下丸子を去った。意見の相違のうちで一番根本的なものはこういうことだった。それは、だんだん生産が増大するにつれて、兵器がその大半を占めるようになってきたが、これは平和産業の基礎として将来発展さすべきプレシジョンの仕事を下積みにすることになり、津上が当初から抱いてきた事業信念と背馳するものだった。",
                      "source": "過去と現在との対話（津上製作所, 1962）",
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                    {
                      "fact": "1928年12月に株式会社津上製作所として創立された旧法人は、1937年2月に商号を東洋精機株式会社へ変更した",
                      "原文": "1928年12月　東京府荏原郡に株式会社津上製作所として創立／1937年2月　商号を東洋精機株式会社と変更",
                      "source": "三井精機工業「沿革」（会社公式）",
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              "sub_title": "長岡の2代目が再建を終えるまで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2代目は、精密機械には忍耐強い作業者が要るという創業者の考えから、東京を離れた寒地に置かれた。新潟県出身の石山賢吉氏の斡旋と、長岡出身の山田多計治氏が率いる大阪機械との共同で土地と資本の見通しを付け、1937年3月15日に資本金200万円で創立総会を開いた。1941年9月に長岡工場が全棟そろい、1945年2月には津上精密工学工業を吸収合併して信州工場を加え、1949年5月に東京・大阪・新潟の3証券取引所へ上場した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "石山賢吉氏の斡旋と大阪機械（山田多計治氏）との共同で長岡に用地と資本を確保し、1937年3月15日に資本金200万円で創立総会を開いた",
                      "原文": "たまたま新潟県出身の石山賢吉氏の斡旋で、この蔵王町に土地が得られる目途がつき、また資本は、長岡出身の山田多計治氏が社長をしていた大阪機械と共同する話ができたので、いよいよ長岡市に再建工場を設立することが本ぎまりになった。昭和12年3月15日東京で創立総会を開き、資本金200万円の株式会社津上製作所が誕生した。",
                      "source": "過去と現在との対話（津上製作所, 1962）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1941年9月に長岡工場が全棟完成、1945年2月に津上精密工学工業を吸収合併して信州工場とし、1949年5月に3取引所へ上場した",
                      "原文": "1941年9月に長岡工場が全棟そろった。1945年2月に津上精密工学工業を合併して信州工場とし、1949年5月、東京・大阪・新潟の3取引所へ同時に上場した。",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "上場後の津上製作所は、1953年6月の不渡りから会社更生法の申立て棄却を経て、和議法による再建へ切り替えた。負債総額およそ14億円の半分以上を切り捨て、1956年6月の5分の1減資と翌7月の5倍増資で資本を入れ直すと、同年9月期には黒字へ転じた。1958年3月期には1割の復配を実現し、1960年5月には倍額増資の余力まで戻る。1961年の合併判断は、この回復を終えた直後に置かれている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "和議による再建で負債約14億円の半分以上を切り捨て、1956年の減増資を経て黒字転換、1958年3月期に1割復配、1960年5月に倍額増資の余力まで回復した",
                      "原文": "まず、債権者の了解を得たうえで、負債総額約一四億円の半分以上を切り捨てた。そして三一年六月には、当時五億円だった資本金を五分の一減資して一億円とし、すぐその翌七月には五倍増資して再び資本金五億円とした。三三年三月期には、待望の一割復配が実現され、もはや完全な健康体にまで回復。そして三五年五月には倍額増資の余裕まで生ずるにいたったのである。",
                      "source": "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "1961年10月の吸収合併と、茨城工場の獲得",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1961年10月、津上製作所は東洋精機を吸収合併し、同社の工場を茨城工場として取り込んだ。増産のための拠点を関東に置くにあたり、用地の取得から設備の据付けまでを新設でそろえる道ではなく、稼働している法人ごと引き受ける道を選んだことになる。合併の結果、生産は長岡・信州・茨城の3か所に分かれ、本社機構は東京に置かれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1961年10月に東洋精機株式会社を吸収合併し茨城工場とした",
                      "原文": "1961年10月　東洋精機㈱を吸収合併し茨城工場に",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1945年の津上精密工学工業、1961年の東洋精機の合併により、信州工場・茨城工場を得て事業を広げた",
                      "原文": "一二年新潟県長岡市に工場を建設し現在の津上製作所を設立する。各種精密工作機械、精密産業機械、自動販売機、ジュークボックスと事業の進展に伴い、同二〇年津上精密工学工業、同三六年東洋精機を吸収合併し、これを信州工場、茨城工場として発展を続け今日に至る。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "受注の側にはそれだけの理由があった。10万分の1ミリのブロックゲージを支えた測定技術を土台に、津上製作所がつくる自動盤・転造盤といった合理化機械は、労働力の不足とコストダウンに追われた自動車産業から注文を集めていた。1968年の時点で受注残は35億円、半期の売上高は27億円、利益は2億3,000万円に達し、長岡工場の増設と技術研究所の建設が並行して進んでいた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "自動盤・転造盤などの合理化機械が自動車産業から受注を伸ばし、1968年時点の受注残は35億円、半期売上高27億円、利益2億3,000万円だった",
                      "原文": "産業各界における労働力の不足とコストダウンの要請は、最近ますます深刻になってきたが、同社が精度一〇万分の一ミリというブロックゲージの製造技術を駆使して作り出す優秀な自動盤、転造盤等の合理化機械は、その高精度と生産性のゆえに、わが国産業界の種々の悩みを解決するものとして近年特に自動車産業等から、著しく受注が増加してきた。現在の同社受注残は三五億円と非常に順調である。なお売上高半期二七億円、利益二億三〇〇〇万円と伸長している。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "25年越しの合流と、商号がたどった経路",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合併には、生産能力の確保を超える意味があった。1936年に創業者が明け渡した初代の津上製作所は、三井のもとで東洋精機と名を変えていた。その法人を、長岡で再起した2代目が25年を経て吸収したことで、いったん二つに分かれた系譜が一本へ戻った。創業者が自分の手で旧法人を引き取る形になり、以後の商号整理——1970年11月の株式会社津上、1982年10月の株式会社ツガミ——は、この一本化した系譜の上で行われた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1970年11月に社名を株式会社津上へ、1982年10月に株式会社ツガミへ変更した",
                      "原文": "1970年11月　社名を株式会社津上に変更／1982年10月　社名を株式会社ツガミに変更",
                      "source": "株式会社ツガミ「沿革」（会社公式）",
                      "url": "https://www.tsugami.co.jp/company/history/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "ただし、旧法人の商号は戦中・戦後を通じて何度も入れ替わっている。1962年の社史は、津上氏の辞任のあと三井が津上製作所の商号を三井精機株式会社へ改めたと記す。一方、現在の三井精機工業の沿革は、1928年創立の津上製作所が1937年に東洋精機、1942年に三井精機工業、1950年に再び東洋精機、1952年にまた三井精機工業と名を変えたとしている。1961年に津上製作所が吸収した東洋精機が、この系列のどの法人にあたるかまでは、手元の資料からは確定できない。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1962年の社史は、津上退助氏の辞任後に三井が津上製作所の商号を三井精機株式会社へ改めたと記している",
                      "原文": "ともあれ、この三井との訣別も世間を驚かせたが、三井では津上の辞任のあと津上製作所の商号を三井精機株式会社と改めた。",
                      "source": "過去と現在との対話（津上製作所, 1962）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "三井精機工業の沿革では、1928年創立の津上製作所が1937年2月に東洋精機、1942年5月に三井精機工業、1950年4月に東洋精機、1952年5月に三井精機工業へと商号を変えている",
                      "原文": "1937年2月　商号を東洋精機株式会社と変更／1942年5月　三井工作機株式会社を合併し商号を三井精機工業株式会社と変更／1950年4月　商号を東洋精機株式会社と変更（現在の会社の設立）／1952年5月　商号を三井精機工業株式会社と変更",
                      "source": "三井精機工業「沿革」（会社公式）",
                      "url": "https://www.mitsuiseiki.co.jp/company/history/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "3工場体制での増産と、人を増やさない合理化",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合流後の内訳は、1969年10月の講演で常務取締役の山本栄松氏が明かしている。主力の長岡工場は敷地約2万5,000坪・建坪1万2,600坪に機械1,400台を並べ、従業員1,100名を擁した。信州工場は敷地約8万坪で350名、合併で得た茨城工場は150名という規模であった。研究開発は各工場から切り離され、1970年9月に津上総合研究所が長岡市へ置かれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1969年時点で長岡工場は敷地約2万5,000坪・建坪1万2,600坪・機械1,400台・従業員1,100名、信州工場は敷地約8万坪・従業員350名、茨城工場は従業員150名だった",
                      "原文": "長岡工場は敷地約2万5,000坪、建坪1万2,600坪、機械台数1,400台、従業員数1,100名で生産規模、人員ともに当社の主力工場となつている。信州工場は敷地約8万坪、建坪6,000坪、従業員数350名を擁している。また茨城工場も従業員数150名といつた現況である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年 第7巻第11号「津上製作所の現状と将来」（山本栄松・企業分析第1部会講演）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730587"
                    },
                    {
                      "fact": "1970年9月に津上総合研究所を長岡市に建設した",
                      "原文": "1970年9月　津上総合研究所を長岡市に建設",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "拡張した3工場は、そのまま人員の膨張へは向かわなかった。1966年9月期は売上13億6,000万円に対して従業員2,000名超という不況期にあたり、津上製作所は生産部門を除いた間接部門の人員整理に踏み切っている。その後は製作時間の短縮で生産性を上げ、1969年9月期には従業員約1,700名で売上34億6,500万円・利益3億7,000万円を計上した。人員を増やさずに生産性を倍増させるという方針のもと、近代的な請負制度と従業員年俸制度も取り入れられた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1966年9月期は売上13億6,000万円・従業員2,000名超で、間接部門の人員整理を実施。1969年9月期は従業員約1,700名で売上34億6,500万円・利益3億7,000万円",
                      "原文": "ところで当社にとつて41年9月期はもつとも不況の時期であつた。その期の売上は13億6,000万円、従業員数は2,000名を越えていた。当社はただちに新体制を敷いて、生産部門を除いた間接部門の人員整理を行ない、徹底的な合理化を実行しこれを乗り越えたのである。今9月期が売上34億6,000万円で、従業員数約1,700名であるから、人員を減らし、売上を増加させる結果となつた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1969年 第7巻第11号「津上製作所の現状と将来」（山本栄松・企業分析第1部会講演）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730587"
                    },
                    {
                      "fact": "人員を増やさず生産性を倍増するため、近代的な請負制度・従業員年俸制度を導入した",
                      "原文": "現在同社では、人員を増加することなく生産性を倍増するため、生産力の増強に努めるとともに、近代的な請負制度や従業員年俸制度をとり入れ、大きな成果をおさめている。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "石油危機と、14年での売却",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1973年の石油危機が、拡張の前提を崩した。1975年3月期は経常損益14億円の赤字、当期損益28億円の赤字に沈む。同年1月、東洋製鋼や宮入バルブの再建で知られた大山梅雄氏が社長として外部から入り、交際費をゼロにし100円以上の支出を社長決裁とする倹約を敷いた。大山氏は当時の状態を、4年間無配で資本金40億円に対し赤字が30億円あった、と振り返っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1975年3月期の単体経常損益は14億円の赤字、当期損益は28億円の赤字だった",
                      "原文": "1975年3月期（単体）の売上高は70億円、経常損益は▲14億円、当期損益は▲28億円であった。",
                      "source": "津上 会社年鑑（1976年版・単体業績）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "大山梅雄氏は1975年1月に社長へ就任し、当時の津上は4年間無配・資本金40億円に対し赤字30億円の状態にあった",
                      "原文": "津上は4年間無配でした。いま40億円の資本金に対して、赤字が30億円ある。かりに年に5億円儲けても、赤字を埋めるのに6年かかる。いくらなんでも無配を10年続けることはできないから、どうですか、もし2分の1減資して累積赤字をなくせば、あと1〜2年で配当ができる。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年9月13日号「雀だって自分で巣を作る 大山梅雄氏（津上社長）が語る貯金経営の勧め」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "立て直しの手は、財務と資産の両方に及んだ。2分の1減資で累積赤字を消し、第三者割当で18億円を入れて借入金を返すと、年利1割として1億8,000万円の金利負担が消えた。資産の側では、1975年3月に茨城工場を閉鎖・売却している。1936年に手放し1961年に取り戻した拠点は、合流から14年で再び会社の外へ出た。身軽になった財務のもとで、1978年6月にCNC複合自動旋盤マーキュリーシリーズが発売され、以後の津上は自動旋盤に寄った品ぞろえで立ち直った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2分の1減資で累積赤字を消し、第三者割当で18億円を調達して借入金を返済、年1億8,000万円の金利負担が軽くなった",
                      "原文": "減資は関係ないんですが、その後の第三者割当で18億円はいってきましたから。これで、借金を返したので、年利1割とみて、1億8000万円金利が浮いたわけです。",
                      "source": "日経ビジネス 1976年9月13日号「雀だって自分で巣を作る 大山梅雄氏（津上社長）が語る貯金経営の勧め」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1975年3月に茨城工場を閉鎖・売却し、1978年6月にCNC複合自動旋盤マーキュリーシリーズを発売した",
                      "原文": "1975年3月　茨城工場を閉鎖・売却／1978年6月　CNC複合自動旋盤マーキュリーシリーズ開発発売",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "系譜を取り戻すことと、拠点を持ち続けること",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1961年の合併は、増産の手当てと、分かれた法人系譜の回収という二つの意味を同時に持っていた。前者は3工場体制として数字に表れ、後者は商号整理を経て今日のツガミにつながる一本の来歴として残った。ただ、二つの意味は釣り合っていたわけではない。創業者にとって旧法人を引き取ることは特別な出来事であっても、会社にとっての茨城工場は、長岡から遠く、150名を抱える三番目の拠点という位置にとどまっていたとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "そのことは、危機のときの扱いに表れた。1975年に外部から入った経営者は、由来を問わずに茨城工場を閉じて売却し、その財務改善を自動旋盤への集中に振り向けた。創業者が25年かけて取り戻した拠点を、次の世代は14年で手放したことになる。もっとも、この判断がなければ1978年の主力製品も生まれなかった可能性が高い。何を回収し、どこで手放すか——ツガミの系譜は、その二つの決断が同じ資産の上で重なった例として読むことができる。"
                }
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          ]
        }
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      "references": [
        "過去と現在との対話（津上製作所, 1962）",
        "倒産の原因・成長の条件（ダイヤモンド社 / 金井澄雄, 1964）",
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社編, 1968）",
        "証券アナリストジャーナル 1969年 第7巻第11号「津上製作所の現状と将来」（山本栄松・企業分析第1部会講演）",
        "日経ビジネス 1976年9月13日号「雀だって自分で巣を作る 大山梅雄氏（津上社長）が語る貯金経営の勧め」",
        "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
        "津上 会社年鑑（1976年版・単体業績）",
        "株式会社ツガミ「沿革」（会社公式）",
        "三井精機工業「沿革」（会社公式）"
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      "authored": "2026-07",
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          "text": "2003年9月、ツガミが中国・浙江省に津上精密机床（浙江）有限公司を設立した経営判断。同年4月に社長へ就いた西嶋尚生氏のもとで、CNC小型自動旋盤への事業集中と生産の中国移管が同時に進められた。"
        },
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          "text": "1991年に買収した米ウェルドン社は現地生産が根づかず、2002年12月に清算を結了した。1990年代は設備投資の空白が続き、実質的な赤字体質に陥っていた。1999年に5%を出資した東京精密から西嶋氏が送り込まれ、立て直しに入っていた。"
        },
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          "text": "当初はテストプラントの色が濃い進出だったが、2004年4月の津上工販吸収による製販一貫、2004年の中越地震を機とした5工場一斉の改造（総投資42億円）と重なり、日本と中国に生産を集める形が固まった。"
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          "text": "2010年代のスマートフォン部品量産で中国の生産能力は月産1,000台超へ拡大し、中国向け売上比率は1割程度から7割超へ動いた。2025年3月期の連結営業利益は過去最高の233億円に達した一方、収益の一国集中という課題も残した。"
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          "title": "新潟県中越地震で長岡工場が被災、5工場一斉の改造へ（総投資42億円）"
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                      "原文": "1989年11月　タイにTSUGAMI（THAI）CO.,LTD.を設立／1991年5月　米国の工作機械製造会社ウェルドン社を買収（WMTコーポレーションに改称）／2002年12月　WMTコーポレーション清算結了",
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                {
                  "text": "国内の足元も傷んでいた。1975年に社長へ入った大山梅雄氏の倹約で財務は締まったが、後を継いだ大山竜一氏は倹約とともに設備投資まで抑えたため、好況期にも十分に稼げない循環に入った。投資の空白は20年以上に及び、1990年代には実質的な赤字体質へ落ちた。1999年、創業者がツガミ出身だった東京精密が5%を出資し、同社から西嶋尚生氏がツガミへ送り込まれる。西嶋氏の当初の肩書きは営業開発部長と津上工販常務取締役であった。",
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                      "fact": "大山梅雄氏の後を継いだ大山竜一氏は倹約とともに投資も抑え、投資の空白が20年以上に及んで1990年代には実質的な万年赤字に陥った",
                      "原文": "しかし、その後がイケなかった。梅雄氏の後を襲った子息の大山竜一社長は「ケチ」は継承したが、投資までケチってしまった。設備投資をしないから好況期にも十分稼げず、稼げないからケチに拍車がかかる悪循環。投資の空白期は２０年以上にも及び、９０年代には実質万年赤字に転落した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
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                  "text": "立て直しの材料は、製品の側にあった。ツガミは1957年11月に主軸移動型自動旋盤の製造販売を始めており、長い棒材を送りながら削るこの機械は技術の難度が高く、手がける国内メーカーも限られていた。西嶋氏の前任にあたる野口光氏は、工場の技術者を直接顧客のもとへ差し向け、自動車向けの研削盤と、流体軸受け向けの小型自動旋盤という受注先を掘り起こした。微細加工を要する流体軸受けはハードディスク駆動装置の必須部品にあたり、この分野の小型旋盤でツガミは世界首位に立っていた。",
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                      "原文": "野口前社長は工場の技術者を直接、顧客の元に差し向け、自動車向け研削盤、流体軸受け向け小型自動旋盤という、新しいメシの種を発掘した。とりわけ、微細加工の流体軸受けはＨＤＤ（ハードディスクドライブ）の必須部品であり、この分野の小型旋盤でツガミは世界の首位にある。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
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                {
                  "text": "難度の高い注文が回ってくることは、西嶋氏自身が繰り返し語っている。よそのメーカーが断る高精度・難作の仕事ばかり来るのは、それをこなす力がもともとツガミにあったからであり、営々と受け継いできた機械の思想と生産技術がようやく表に出た、という受け止めであった。問題は、その力をどこで、だれに向けて量産するかであった。北米では現地生産が続かず、国内の工場だけでは価格の合う市場に届かない。製品の強みと生産の置き場所が噛み合っていなかった。",
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                      "原文": "「よそのメーカーが断る高精度、難作の注文ばかり回ってきた」と西嶋社長。「それをこなす力がもともと、ツガミにあったということ。営々と継承してきたマシンの思想と生産技術がようやく陽の目を見た」。",
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                  "text": "2003年4月、西嶋尚生氏がツガミの代表取締役社長に就いた。同年9月、ツガミは中国・浙江省に津上精密机床（浙江）有限公司を設立する。北米の生産子会社を清算した9カ月後に、別の国で工場を立ち上げたことになる。西嶋氏は東京精密から送り込まれた外部の人でありながら、1999年から2000年にかけて営業開発の現場と販社の経営を経験し、その後も非常勤取締役としてツガミに関わっていた。社内の事情を知ったうえで着任した点が、就任直後の決断を支えたとみられる。",
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                      "原文": "送り込まれた西嶋氏は、いきなりツガミの営業開発部長と津上工販常務を兼任した。が、１０カ月後、再び、東京精密に呼び戻される。ただし、その後も、非常勤取締役としてツガミとはつながっていた。「だから、０３年に社長に就任したときも、初めまして、じゃない。すぐ仕事に取りかかれた」（西嶋社長）。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
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                  "text": "進出そのものは、市場の拡大を中期で見込んだ布石であり、着手した時点ではテストプラントとしての意味合いが濃かった。中国の工作機械需要がリーマンショック後に想定を超えて伸び、そこへスマートフォン向けの市場が重なったのは、進出から数年を経てからである。中国を主力の生産地に据えるという性格が最初から決まっていたわけではなく、需要の伸びに合わせて拠点の役割が後から重くなった。",
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                      "fact": "2003年の中国進出は中期的な市場拡大を見込んだもので、当初はテストプラントの意味合いが強かった",
                      "原文": "ツガミが中国へ進出したのは９年前。中期的な市場拡大を予測しての進出だったが、当初はテストプラントとしての意味合いが強かった。だが、リーマンショック後、中国での工作機械需要は、予想を超える勢いで増加した。そこへ、スマホ向けの市場拡大が加わったのである。",
                      "source": "週刊東洋経済 2012年9月21日号「【特集 中国炎上】 PART2 どうする日本企業 スマホ向けに自動旋盤が好調 中国で大増産に乗り出す 工作機械ツガミの賭け」",
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              "sub_title": "製販一貫と、震災を使った生産設備の総入れ替え",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "中国進出は、単独の一手ではなく国内の組み替えと組で進んだ。2004年4月、ツガミは1974年に分けた販社の津上工販を吸収合併し、製販一貫の体制に戻した。同年10月には子会社のシマモト精工とツガミテクノ、ツガミハイテックとツガミマシナリーをそれぞれ合併させ、機能別に散っていた子会社群を整理した。中国で量産を受ける前に、日本側の意思決定と在庫・受注の流れを一本化しておく作業であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2004年4月に津上工販株式会社を吸収合併し、同年10月に子会社4社を2社へ統合した",
                      "原文": "2004年4月　津上工販㈱を吸収合併／2004年10月　㈱シマモト精工とツガミテクノ㈱を合併し㈱ツガミシマモトに ／ ㈱ツガミハイテックと㈱ツガミマシナリーを合併し㈱ツガミマシナリーに",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "地震の半年前に津上工販を本体へ吸収して製販一貫を実現し、生産子会社群も再編統合していた",
                      "原文": "この日を予感していたように、西嶋社長は「改革」を実行していた。地震の半年前に、津上工販を本体に吸収して製販一貫を実現、生産子会社群も再編統合した。一連の改革で体質のスリム化が達成されたのはもちろん、グループの一体感が強化されたことによって、工場建て替えに伴う設備やヒトの移動もよりスムーズに進んだ、と見ていいだろう。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "2004年10月23日、震度6強の新潟県中越地震が主力の長岡工場を直撃した。建て屋は倒壊せず専門家も使用に耐えると見立てたが、西嶋氏は被災した建物をすべて取り壊すと決め、さらに長岡・高見・新潟・信州と中国・浙江省の5工場を同時に改造して最適生産体制をつくると宣言した。総投資額42億円は、年間投資が通常2億〜6億円の会社にとって桁の違う金額であった。2005年11月に工事が終わると生産能力は5割増え、年商450億円をこなせる体制になった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2004年10月23日の中越地震後、被災建物を全て取り壊し、長岡・高見・新潟・信州・中国浙江の5工場を同時に改造。総投資額42億円は年間投資2億〜6億円の同社にとって空前の規模だった",
                      "原文": "ところが、陣頭指揮を執っていた西嶋尚生社長がとんでもないことを言い出した。「被災した建物は全部、取り壊そう」。西嶋社長の決断は、それだけではない。「どうせやるなら、ツガミの五つの工場すべてを改造し、最適生産体制を作ろう」。長岡以外の高見、新潟、信州工場、さらに中国・浙江省の工場の改修・増築も同時に断行した。総投資額は締めて４２億円。年間投資額が通常、２億〜６億円のツガミにとっては空前の大投資だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2005年11月に長岡以下5工場の大増改築が完成し、生産能力は5割増、年商450億円に対応できる体制となった",
                      "原文": "昨年１１月、長岡以下５工場の大増改築が一斉に完成した。生産能力は５０％増え、年商４５０億円もこなせる体制が出来上がった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "スマートフォン量産が変えた拠点の重み",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "浙江の工場が主力へ変わったのは2010年代である。2010年11月には中国に浙江品川精密機械有限公司を加えて能力を積み増した。子会社の生産能力は2011年の月産600台から1,000台超へ引き上げられ、従業員は2008年の150人が2011年に600人、2012年には1,200人へ増えた。日本の工作機械メーカーの中国工場としては最大規模にあたる。牽引したのはスマートフォンやタブレット端末の筐体・部品を削る小型機で、他社が商慣習の違いを嫌って参入をためらうなか、ツガミは大手スマートフォンメーカーからの大型受注を取った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "浙江省の子会社は生産能力を2011年の月産600台から1,000台超へ拡大し、従業員は2008年150人・2011年600人・2012年1,200人と増え、日本の工作機械メーカーの中国工場として最大規模となった",
                      "原文": "工作機械中堅のツガミが、中国の生産拠点を増強している。浙江省にある子会社の生産能力を、２０１１年の月産６００台から１０００台超へ拡大。中国での生産額は、多い時期で会社全体の売上高の半分以上に達する。従業員も、０８年の１５０人から、１１年には６００人まで増員。さらに今年１２００人へと倍増した。日本の工作機械メーカーの中国工場としては最大規模だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2012年9月21日号「【特集 中国炎上】 PART2 どうする日本企業 スマホ向けに自動旋盤が好調 中国で大増産に乗り出す 工作機械ツガミの賭け」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2010年11月に中国へ浙江品川精密機械有限公司を設立した",
                      "原文": "2010年11月　中国に浙江品川精密機械有限公司を設立",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "数字は素早く反応した。連結売上高はリーマンショック直後の2010年3月期に156億円まで落ち込んでいたが、2011年3月期359億円、2012年3月期357億円を経て、2013年3月期には528億円へ跳ねた。中国向けの売上比率は、2000年代前半の1割程度から現在の7割超へ移っている。2017年9月には中国事業を担う津上精密机床（香港）有限公司を香港市場へ上場させ、現地の資本市場ともつないだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "連結売上高は2010年3月期156億円、2011年3月期359億円、2012年3月期357億円、2013年3月期528億円と推移した",
                      "原文": "連結売上高は2010年3月期156億円、2011年3月期359億円、2012年3月期357億円、2013年3月期528億円であった。",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "中国向け売上高は2000年代前半には1割程度だったが、現在は7割を超える",
                      "原文": "ツガミが中国シフトを鮮明にしたのは１０年ごろ。米大手スマートフォン向けの精密部品製造で大型受注を獲得し、その後、自動車の部品製造でも多くの取引先を獲得した。それらの受注がその後の事業の流れを決定づけた。中国向け売上高は００年代前半には１割程度だったが、現在は７割を超える。営業利益のほぼすべてが中国市場からだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2026年4月18日号「【特集 ハイテク中国】 第3章 日本企業の勝ち筋 小型自動旋盤（工作機械） ツガミ「中国全振り」で快進撃」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2017年9月に津上精密机床（香港）有限公司を香港市場へ上場させた",
                      "原文": "2017年9月　津上精密機床（香港）有限公司を香港市場に上場",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "経営の現地化と、一国に寄った収益",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "中国での運営は、当初から現地の人材に委ねる形をとった。子会社の総経理は東京工業大学で博士号を取ったエンジニアの唐東雷氏が務め、ツガミ本社の取締役も兼ねた。その下に中国人の副総経理3名を置き、およそ30人の日本人駐在員は生産技術やアフターサービスの指導に回った。西嶋氏は日本人駐在員にも中国では総経理に仕えるよう伝えている。技術流出については、いずれ追いつかれると腹をくくったうえで、その前に中国の会社としてシェアを確保する、という言い方をしていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中国子会社の総経理は唐東雷氏（東工大で博士号取得、ツガミ本社取締役を兼務）で、中国人副総経理3名が補佐し、日本人駐在員約30人は生産技術・アフターサービスの指導にあたった",
                      "原文": "中国子会社の社長（総経理）は唐東雷氏。東京工業大学で学び、博士号を取得したエンジニアだ。ツガミ本社の取締役も兼務する。その下で３人の中国人副総経理が経営を補佐する。およそ３０人いる日本人駐在員は、生産技術やアフターサービスなど現場での指導が担当で、マネジメントは中国人に任せている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2012年9月21日号「【特集 中国炎上】 PART2 どうする日本企業 スマホ向けに自動旋盤が好調 中国で大増産に乗り出す 工作機械ツガミの賭け」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "西嶋氏は技術流出について「技術はいずれ追いつかれる。その前に、中国の会社としてシェアを確保する。負ける前に勝つ」と述べた",
                      "原文": "現状では、日系メーカーが技術面で優位に立つが、「技術はいずれ追いつかれる。その前に、中国の会社としてシェアを確保する。負ける前に勝つ」（西嶋氏）。",
                      "source": "週刊東洋経済 2012年9月21日号「【特集 中国炎上】 PART2 どうする日本企業 スマホ向けに自動旋盤が好調 中国で大増産に乗り出す 工作機械ツガミの賭け」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "2020年代に入っても中国が収益源であることは変わらない。2025年3月期の連結売上高は1,074億円、営業利益は233億円と過去最高で、営業利益率は21%に達した。中国では自動旋盤で7割以上のシェアを握り、営業利益のほぼ全額が中国市場から出ている。中国に3工場と3,000人弱のエンジニアを抱え、月1,500台超をつくる態勢にある。一方でツガミは2023年7月にマレーシア、10月にベトナムへ拠点を設け、インドでは鋳造から加工組立までを一貫でまかなう新工場を建てて、生産地の分散も進めている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2025年3月期の連結営業利益は過去最高の233億円、営業利益率21%で、中国では自動旋盤で7割以上のシェアを握り、営業利益のほぼ全額が中国市場から出ている",
                      "原文": "２０２５年３月期の連結営業利益は過去最高となる２３３億円で、営業利益率は２１％と極めて高い。中国では自動旋盤で７割以上のシェアを握る。ツガミは中国に３つの工場を持ち、３０００人弱の中国人エンジニアがいる。中国での生産は月１５００台を超え、工場はフル稼働状態が続いている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2026年4月18日号「【特集 ハイテク中国】 第3章 日本企業の勝ち筋 小型自動旋盤（工作機械） ツガミ「中国全振り」で快進撃」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2025年3月期の連結売上高は1,074億円、営業利益は233億円だった",
                      "原文": "2025年3月期（連結・IFRS）の売上高は1,074億円、営業利益は233億円であった。",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2023年7月にマレーシア、10月にベトナムへ現地法人を設立した",
                      "原文": "2023年7月　マレーシアにTSUGAMI UNIVERSAL SDN.BHD.を設立／2023年10月　ベトナムにTSUGAMI VIETNAM COMPANY LIMITEDを設立",
                      "source": "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "撤退の経験が、次の進出の設計を変えたのか",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この判断の見どころは、北米で現地生産に失敗した会社が、その9カ月後に別の国で工場を立てた点にある。ウェルドン社の買収では、既存メーカーを丸ごと買って現地に生産を委ねる形をとり、11年で畳んだ。浙江では自前で工場を興し、経営を現地の人材に渡しながら、本体は生産技術とサービスの指導に回るという分け方をとっている。同じ「現地化」でも、何を渡して何を残すかの線が引き直されていたとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、その線引きが成果を生んだのは、中国の量産需要がスマートフォンから電気自動車へと切れ目なく続いたためでもある。営業利益のほぼ全額が一つの市場から出る構成は、収益の厚さと裏腹の重さを抱える。マレーシア・ベトナム・インドへの拠点整備は、その重さへの備えにあたる。三井への依存を断って長岡へ移り、北米の生産を畳み、いま中国に深く根を張るというツガミの歩みは、寄せる相手を選び直しながら自立を保つ試みの連なりとして読めるのかもしれない。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2006年4月22日号「工作機械ブームの中 「再建の神様」も脱帽 地震転じて福と為す 名門ツガミの大復活」",
        "週刊東洋経済 2012年9月21日号「【特集 中国炎上】 PART2 どうする日本企業 スマホ向けに自動旋盤が好調 中国で大増産に乗り出す 工作機械ツガミの賭け」",
        "週刊東洋経済 2026年4月18日号「【特集 ハイテク中国】 第3章 日本企業の勝ち筋 小型自動旋盤（工作機械） ツガミ「中国全振り」で快進撃」",
        "ツガミ 有価証券報告書【沿革】",
        "ツガミ 有価証券報告書【役員の状況】",
        "ツガミ 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】",
        "株式会社ツガミ「沿革」（会社公式）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
    }
  ]
}
