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      "title": "住友本店による日本製銅の買収と住友伸銅場の開設、銅線製造の開始",
      "subtitle": "別子の銅を掘る側が、なぜ経営難の伸銅会社を買い受けたか",
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      "highlights": [
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          "label": "概要",
          "text": "1897年、住友本店は日清戦争後の不景気で経営が行き詰まった日本製銅を買収し、直営事業として大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設した。銅板・銅棒とともに銅線の製造を始め、住友電気工業は現在もこの年を創業として数えている。別子銅山で掘った銅を国内で製品へ変える工程を、住友が自ら抱え込んだ判断であった。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "住友家の事業は十六世紀末の銅製錬に始まり、1691年に開坑した別子銅山を中核としてきた。明治期には別子の繁栄とともに林業・石炭・機械・化学へ事業を広げた一方、電線やケーブルの高級品はそのすべてを輸入に頼り、銅を線に延ばして巻く工程は住友の手の外にあった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1895年設立の日本製銅を買い受け、その設備と人を引き継いで住友伸銅場を開いた。伸銅製品の製造の一環として裸銅線の製造を始め、1899年には大阪製銅も買収して中之島分工場を設けている。買収による参入であり、新設の工場から出発したのではなかった。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "素材の伸銅と加工の電線が同じ工場から出発した配置が、後年の事業構成を規定した。電線は1900年の被覆線、1909年の通信用ケーブル試作を経て1911年に住友電線製造所として分離し、1939年の住友電気工業への改称につながる。"
        }
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            "note": "当時は住友本店の直営事業として発足した住友伸銅場。1911年に電線製造業が分離し、1939年に現社名へ改称"
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            "note": "別子銅山を中核とする住友家の事業体。日本製銅を買収し、直営事業として住友伸銅場を開設した"
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        "summary": "別子銅山で掘った銅を地金のまま売らず国内で製品へ加工するため、経営難の日本製銅を買収して伸銅と銅線の製造工程を自社に取り込んだ創業"
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          "title": "住友伸銅場から電線製造業を分離し、住友電線製造所を設置"
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      "snapshot": {
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        "source": "住友電気工業 有価証券報告書 第155期（2025年3月期）【沿革】",
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              "sub_title": "銅を掘る側に残されていた工程",
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                {
                  "text": "住友家の事業は銅とともにあった。十六世紀の終わりに京都で銅吹き屋を開き、粗銅から銀を吹き分ける南蛮吹きの技術で鉱業界に独自の地位を占めると、元禄三年（1690年）に伊予で別子銅山を見つけ、翌年から採掘に入った。明治に入っても別子は住友の中核であり、住友はその繁栄とともに林業・石炭・建設・機械・化学・金属工業へ事業を広げた。掘った銅を誰がどこまで加工するかは、そのなかで手つかずに近い領域として残っていた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "住友家の鉱業は十六世紀末の京都の銅製錬に始まり、南蛮吹きの技術で地位を占め、元禄三年に別子銅山を発見して開坑した",
                      "原文": "住友家の鉱業は十六世紀の終りに京都で銅製錬業を始めたことに源を持ち、銀と銅を吹き分ける「南蛮吹き」の技術を早くから習得して日本の鉱業界に特異な地位を占めた。（中略）元禄三年（一六九〇年）に別子銅山を発見し、ただちに幕府の許可を得て別子開坑に着手した。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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                      "fact": "明治期の住友は別子銅山の繁栄とともに電線・林業・石炭・建設・機械・化学・金属工業へ進出した",
                      "原文": "明治時代、住友は別子銅山の繁栄とともに電線、林業、石炭、建設、機械、化学、金属工業などに進出していました。",
                      "source": "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/id/dna/v01"
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                },
                {
                  "text": "一方で、銅は住友に重い負担も強いていた。愛媛県新居浜の製錬所が出す煙は周辺の農地を傷め、住友は製錬所のすべてを新居浜沖の無人島・四阪島へ移す巨額の投資に踏み切っている。掘り、精錬し、その害の後始末までを自前で背負う会社であった。それでいて、ケーブルなど高級品はそのすべてを輸入に頼っており、銅を線に延ばして巻く工程だけが住友の外にあった。川下をどう埋めるかという問題が、1890年代の住友本店の前に置かれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友は新居浜の銅製錬所の煙害対策として、全製錬所を新居浜沖の無人島・四阪島へ移設する巨額投資を実施した",
                      "原文": "同時期に、住友は愛媛県新居浜の銅製錬所の煙害対策に取り組み、全ての製錬所を新居浜沖の無人島（四阪島）へ移設する巨額投資を実施しました。",
                      "source": "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/id/dna/v01"
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                    {
                      "fact": "ケーブルなど高級品はそのすべてを輸入に頼っていた",
                      "原文": "ケーブルなど高級品は、そのすべてを輸入に頼っていた",
                      "source": "住友電気工業「住友電工グループの歴史」（公式サイト）",
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            {
              "sub_title": "日清戦争後の不景気で行き詰まった日本製銅",
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                {
                  "text": "買収の相手となった日本製銅は、1895年に設立された会社である。ところが日清戦争の後に訪れた不景気で経営が行き詰まり、設立から二年ほどで自力の再建が難しい状態に陥った。銅を板や棒に延ばす伸銅は、当時の日本では数少ない近代的な金属加工の一つで、その担い手が倒れれば国内で銅製品を作る手はさらに細る。設備も、それを動かす職工も、容易に代えのきくものではなかった。",
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                    {
                      "fact": "日本製銅は1895年に設立され、1897年に住友家が買収して大阪市北区安治川に住友伸銅場を開設した",
                      "原文": "1895年 日本製銅（株）設立／1897年 住友家 日本製銅（株）買収、大阪市北区安治川に住友伸銅場開設",
                      "source": "住友電気工業 SEI WORLD 2016年10月「住友電工120年の歴史 第1回 1590年～1897年」",
                      "url": "https://sei.co.jp/company/sei-world/2016/10/120years-history.html"
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                    {
                      "fact": "日本製銅は日清戦争後の不景気で窮地に陥っていた",
                      "原文": "日清戦争後の不景気で窮地に陥っていた日本製銅㈱を、「国家の近代化に不可欠な銅製品を絶やしてはならない」との思いから住友が買い受けて開設した。",
                      "source": "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
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                },
                {
                  "text": "住友がこの買収に与えた説明は、採算ではなく国の側を向いていた。公式には、国家の近代化に不可欠な銅製品を絶やしてはならないという考えから買い受けたと記されている。住友には「住友の事業は、住友自身を利すると共に、国家を利し、且つ社会を利する事業でなければならぬ」という事業精神があり、これは後に自利利他・公私一如という言葉で受け継がれた。窮地の同業を引き取るという選び方は、その言い分と重なっている。",
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                    {
                      "fact": "住友は「国家の近代化に不可欠な銅製品を絶やしてはならない」との考えから日本製銅を買い受けた",
                      "原文": "日清戦争後の不景気で窮地に陥っていた日本製銅㈱を、「国家の近代化に不可欠な銅製品を絶やしてはならない」との思いから住友が買い受けて開設した。",
                      "source": "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
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                      "fact": "住友には「住友自身を利すると共に、国家を利し、且つ社会を利する事業でなければならぬ」という事業精神があり、自利利他・公私一如として受け継がれている",
                      "原文": "住友の事業は、住友自身を利すると共に、国家を利し、且つ社会を利する事業でなければならぬ。",
                      "source": "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
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              "sub_title": "買収による創業と、伸銅場に置かれた銅線",
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                {
                  "text": "1897年、住友本店は日本製銅を買収し、直営事業として大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設した。新しく会社を興したのではなく、行き詰まった同業の設備と人をそのまま引き継ぐ参入であった。住友伸銅場は銅板と銅棒を作り、あわせて銅線の製造を始めた。住友電気工業は現在もこの年を創業と数えており、有価証券報告書の沿革も1897年の伸銅場開設を最初の一行に置いている。",
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                      "fact": "1897年、住友本店が日本製銅を買収し、直営事業として大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設、銅電線などの製造を開始した（創業）",
                      "原文": "1897年 住友本店が日本製銅株式会社を買収し、直営事業として大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開設、銅電線などの製造を開始（創業）",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書 第155期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
                      "fact": "大阪市北区安治川に開設された住友伸銅場では、銅板・銅棒とともに銅線の製造を開始した",
                      "原文": "大阪市北区安治川に「住友伸銅場」が開設され、これが住友電工の創業となりました。銅板、銅棒とともに、銅線の製造を開始しました。",
                      "source": "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
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                },
                {
                  "text": "この創業の性格は、電線が独立した事業として立てられていない点によく表れている。住友伸銅場が製造したのは伸銅製品であり、裸銅線はその事業の一環として作られた。地金を板や棒に延ばす工程と、線に延ばして巻く工程が、同じ屋根の下に並んでいた。電線を別に構えるより、伸銅の延長へ置くほうが自然な規模であった。素材と加工が隣り合うこの配置が、後年まで住友電気工業の事業構成を規定する。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友伸銅場は伸銅製品を製造し、その事業の一環として裸銅線の製造を開始した",
                      "原文": "直接には住友家が明治三〇年大阪安治川の地に住友伸銅場を開設し、その事業の一環として裸銅線の製造を開始したときに始まる。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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              "sub_title": "品目の積み上げと電線事業の独立",
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                {
                  "text": "伸銅場は開設の後、扱う品目を一つずつ増やした。1899年には大阪製銅を買収して中之島分工場を開き、1900年に被覆線、1909年には通信用ケーブルの試作へと進んだ。買収で手に入れた設備を土台に、銅を延ばす技術を線材の側へ寄せる作業であった。電気事業の発展は目覚ましく、国内の電力ケーブル技術がなお幼稚とされた時期にあたる。品目を積み上げる速度は、需要の立ち上がりに引かれていたとみられる。",
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                      "fact": "1899年に大阪製銅を買収して中之島分工場を開設、1900年に被覆線の製造、1909年に通信用ケーブルの試作を開始した",
                      "原文": "1899年 大阪製銅株式会社を買収し、住友伸銅場中之島分工場を開設／1900年 被覆線の製造開始／1909年 通信用ケーブル試作開始",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書 第155期（2025年3月期）【沿革】",
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                      "fact": "当時は電気事業の発展が目覚ましい一方、国内の電力ケーブル技術はなお幼稚な状態にあった",
                      "原文": "電気事業の目覚ましい発展に対して、国内の電力ケーブル技術がまだ幼稚という状態",
                      "source": "住友電気工業「住友電工グループの歴史」（公式サイト）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/company/history"
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                },
                {
                  "text": "電線が伸銅場の一部門から離れるのは、創業から14年後の1911年である。この年、住友伸銅場から電線製造業を分離して住友電線製造所が置かれ、ほぼあらゆる電線ケーブルを製造する能力を持つに至った。1920年には住友総本店から分離独立して株式会社住友電線製造所となり、1939年に住友電気工業へ改称する。伸銅場の一角で始まった銅線が、現在の社名まで続いている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1911年に住友伸銅場より電線製造業を分離して住友電線製造所を置き、1920年に住友総本店から分離独立して株式会社へ改組、1939年に住友電気工業へ改称した",
                      "原文": "1911年 住友伸銅場より電線製造業を分離し、住友電線製造所を置く。ほぼ、あらゆる電線ケーブルの製造能力を持つにいたる（創立）／1920年 住友総本店から分離独立、株式会社住友電線製造所に改組（設立）（資本金1千万円）／1939年 社名を住友電気工業株式会社（現社名）と改称",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書 第155期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
                      "fact": "明治44年に住友伸銅場より住友電線製造所として分離独立し、大正9年に株式会社へ改組、昭和14年に住友電気工業へ社名を変更した",
                      "原文": "四四年住友伸銅場より住友電線製造所として分離独立した。後大正五年現在の大阪製作所の地此花区恩貴島に工場を新設・移転し、九年組織を株式会社に改め、住友電線製造所（資本金一〇〇〇万円）と称した。（中略）一四年には社名を住友電気工業株と変更した。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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                {
                  "text": "住友本店はすでに別子銅山という原料を握り、新居浜の製錬所が出す煙の後始末に四阪島移設という巨額の投資まで払っていた。足りなかったのは、掘って精錬した銅を国内で製品に変える工程だけである。1895年に設立されて経営に行き詰まっていた日本製銅を1897年に買い受けて手に入れたのは、伸銅の設備と職工を備えた一つの会社ではなく、別子の銅の行き先だったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、1897年の住友に電線会社の絵が見えていたとするのは行き過ぎといえる。この年に始まったのは伸銅製品の一環としての裸銅線であり、ケーブルなど高級品を輸入に頼る状態はその後も続いた。電線が独立した製造所として分けられるのは、14年を経た1911年になる。素材の隣に加工を置くことの効き目は、置いた時点では誰にも見えていなかったかもしれない。買収で工程を一つ手前まで引き寄せた判断が、次の事業を生む余地を残した。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
        "住友電気工業 有価証券報告書 第155期（2025年3月期）【沿革】",
        "住友電気工業「1897年 住友伸銅場開設（住友電工の創業）」（公式サイト）",
        "住友電気工業「住友電工グループの歴史」（公式サイト）",
        "住友電気工業 SEI WORLD 2016年10月「住友電工120年の歴史 第1回 1590年～1897年」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
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    {
      "slug": "wire-works-separation-1911",
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      "year": 1911,
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      "title": "住友伸銅場からの電線製造業の分離と住友電線製造所の設置",
      "subtitle": "損の出ている部門を伸銅の傘に置くか、専業として独り立ちさせるか",
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      "issue": "事業の分離独立と専業体制の確立",
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          "text": "1911年8月、住友は住友伸銅場から電線製造業を分離し、住友電線製造所を設けた。伸銅場から建物・機械・原料品などの資産と負債を引き継ぎ、200人足らずで発足した電線ケーブルの専業体制で、住友電気工業はこの年を創立としている。同じ年の秋には電力用鉛被紙ケーブルの実用化に日本で初めて成功した。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "1897年開設の住友伸銅場は別子銅山の産銅を原料に銅板・銅棒・銅線を作っていたが、1908年に設けたケーブル工場は3年続けて損失を出していた。電灯と電話の拡張で電線需要は増え、同業でも電線事業会社の独立や新工場の建設が進んでいた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "資産と負債を引き継いだうえで、被覆線工場478坪・裸線工場171坪などを中心に電線ケーブルの製造販売を独立させた。電気銅を銅棒へ鋳造圧延する工程は伸銅場に残し、手数料を払って銅棒の供給を受けた。"
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          "label": "含意",
          "text": "分離直後の生産高は業界首位の5分の1ほどにとどまったが、逓信省の指定製造所となり、1916年の恩貴島工場（現・大阪製作所）と第一次大戦の需要増で規模を広げた。1920年には資本金1,000万円の株式会社住友電線製造所へ改組した。"
        }
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          "title": "株式会社住友電線製造所へ改組（資本金1,000万円）"
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              "sub_title": "産銅業から派生した電線製造",
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                  "text": "住友の電線事業は、産銅業から枝分かれして始まった。1897年3月、住友家は日本製銅を買収して大阪市北区安治川上通に住友伸銅場を開き、別子銅山の産銅を原料に銅の板・棒線・管類の製造販売に着手した。1899年3月には大阪製銅の伸銅工場を地所約2,890坪ごと17万1,050円で買い取っている。ただし当時の国内の電線需要はまだ低調で、初期の実績としては、硅銅線が逓信省に賞用されたことのほかに特記できるものはなかった。",
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                    {
                      "fact": "1897年に日本製銅を買収して住友伸銅場を開設、1899年に大阪製銅の大部分を買収したが、当時の電線需要は低調だった",
                      "原文": "三十年三月住友家は後者を買収、住友伸銅場と名づけ、別子産銅を原料に銅属の板、棒線、管類の製造販売に着手し、さらに三十二年大阪製銅の大部分を買収して、業礎を定めた。しかし当時のわが国の電線需要はまだ低調であつたため、初期の業績としては、製出の珪銅線が逓信省に賞用されたこと以外特記すべきものはなかつた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）",
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                    },
                    {
                      "fact": "1899年3月の大阪製銅買収で、建物・機械設備・付属建物と地所約2,890坪を17万1,050円で買い入れた",
                      "原文": "住友家は同社の伸銅工場のごく一部を除き、建物、機械設備と事務所倉庫など付属建物、地所約2,890坪（約9,500㎡）を17万1,050円で買い入れた。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
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                },
                {
                  "text": "日本の電線工業は、産銅業者の投資と保護育成によって育った点に特徴がある。明治20年以降に興った電灯事業と、1889年の東京・熱海間の開通に始まる電話事業の拡張が需要を作り、日清戦争後の重工業の発展がこれを押し上げた。主要な電線メーカーの基礎が固まったのは明治の末年で、藤倉電線が裸電線の製造を始めたのが1910年、住友電線製造所の設立が1911年にあたる。住友の分離独立も、この業界形成の波のなかで起きた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "電線工業の基礎は電灯事業・電話事業の拡張に刺激されて明治末年までに固まり、住友電線製造所の設立は明治44年、藤倉電線の裸電線製造開始は明治43年だった",
                      "原文": "電線工業の基礎の確立したのは、日清戦争後の重工業の発展、電灯事業（明治二十年以降勃興）、電話事業（明治二十二年東京・熱海間開通）の拡張に刺激されたもので、明治末年までの間に主要な電線メーカーの基礎が確立している。すなわち、住友電線製造所の設立は明治四十四年、藤倉電線が裸電線製造を開始したのは四十三年である。わが国の電線工業は主として産銅業者の投資ないし保護育成によつて発達した点に特徴がある。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）",
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                  ]
                }
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            },
            {
              "sub_title": "ケーブル工場の三年連続の損失",
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                  "text": "伸銅場が電線の加工へ本格的に踏み込んだのは、1906年9月に通信ケーブルの製造を具体化するため英国人技師を雇い入れてからである。1908年1月には安治川本工場の西側の隣接地を買収し、ケーブル工場を完成させた。ゴム・被覆・編組・撚線・ケーブルの5工場を鋸の歯状に連ねた延床490坪の木造建屋で、伸銅場として初めて動力に電気を用い、150キロワットの発電機も据えて、同年10月から全面操業に入った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1906年9月に英国人技師を雇い入れ、1908年1月に安治川本工場西側にケーブル工場（延床490坪・5工場連結）を完成、150kW発電機を据えて同年10月から全面操業した",
                      "原文": "1906（明治39）年9月、住友伸銅場は通信ケーブル製造事業を具体化するため、英国人技師を雇い入れた。（中略）安治川本工場西側の隣接地を買収、1908年1月にケーブル工場を完成させた。工場は、内部に5工場（ゴム、被覆、編組、撚線、ケーブル）が鋸の歯状に連続している木造の1棟で、延床面積は490坪（約1,600㎡）であった。伸銅場としては初めて動力に電気を利用することとし、150kWの発電機も据え付けた。1908年6月から製造段階ごとに試運転を開始し、10月から全面操業に入った。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
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                  ]
                },
                {
                  "text": "立ち上がりは苦しかった。ケーブルの製造は悪戦苦闘の連続で、1908年から3年続けて毎年5万円前後の損失を出している。それでも技術は次第に上がり、1909年1月には横須賀海軍工廠へ軍艦艦内用ケーブルを納めた。1910年10月には50対の通信用紙ケーブル117ヤードを逓信省へ提出し、製造所の指名を願い出るまでこぎつけた。逓信省の側も、良質な国産ケーブルが得られず輸入が増え続けるなか、製造業者へ研究と製作を督励していた。",
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                    {
                      "fact": "1908年から1910年まで毎年5万円前後の損失を出したが、1909年1月に横須賀海軍工廠へ軍艦艦内用ケーブルを納入し、1910年10月に50対通信用紙ケーブル117ヤードを逓信省へ提出した",
                      "原文": "当初、ケーブル製造は悪戦苦闘の連続で、1908年から1910年までは毎年5万円前後の損失を出したが、英国人技師の指導に飽き足らない幹部職員らの発奮もあって、技術力は次第に向上、1909年1月には横須賀海軍工廠への軍艦艦内用ケーブル納入に成功する。（中略）1910年10月、50対の通信用紙ケーブル117ヤードを逓信省へ提出して同ケーブル製造所の指名を願い出た。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
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                      "fact": "逓信省では良質な国産ケーブルが得られず輸入品が増え続けたため、電線製造業者に研究・製作を督励していた",
                      "原文": "とりわけ、被覆線とケーブルに対する需要は旺盛で、逓信省では良質な国産ケーブルが得られず、輸入品が年々増え続けていたため、電線製造業者に研究・製作を督励していた。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "1911年8月の分離独立",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1911年8月、住友は伸銅場から電線製造業を分離し、住友電線製造所を設けた。この年、政府は新たな電気事業法を制定・施行し、逓信省は第3次電話拡張計画に着手している。送電と通信の技術が進むにつれて各種の電線やケーブルの需要は目に見えて増え、競合他社でも電線事業会社の独立や新工場の建設が進んでいた。伸銅の一部門のままでは、増える注文に応じる速さも、設備へ投じる規模も足りなくなっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1911年8月に住友伸銅場から電線事業を分離・独立させ住友電線製造所を設立、同年は電気事業法の制定・第3次電話拡張計画の着手が重なり、競合他社でも電線事業会社の独立や新工場建設が進んでいた",
                      "原文": "1911（明治44）年8月、電線事業のさらなる発展を目指し、住友伸銅場から同事業を分離・独立させ、「住友電線製造所」が設立された。この年は、政府が新たな電気事業法を制定・施行したほか、逓信省も第3次電話拡張計画に着手するなど、送電・通信技術の進歩に伴う各種電線やケーブルへの需要の増大が目覚ましかった。また、競合他社においても、電線事業会社の独立や新工場の建設が進められていた。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
                    },
                    {
                      "fact": "1911年 住友伸銅場より電線製造業を分離し、住友電線製造所を置く。ほぼあらゆる電線ケーブルの製造能力を持つにいたる（創立）",
                      "原文": "1911年 住友伸銅場より電線製造業を分離し、住友電線製造所を置く。ほぼ、あらゆる電線ケーブルの製造能力を持つにいたる（創立）",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "明治44年にはあらゆる種類の電線ケーブルを製造する能力を持つに至ったため、住友伸銅場から住友電線製造所として分離独立した",
                      "原文": "四四年住友伸銅場より住友電線製造所として分離独立した。（中略）明治四四年にはすでにあらゆる種類の電線ケーブルを製造する能力を持つに至ったので、住友電線製造所として独立した。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "分離の中身は、看板の掛け替えにとどまらなかった。新しい製造所は伸銅場から建物・機械・原料品・半製品・製品・売掛金などの資産と、買掛金などの負債を引き継ぎ、計200人足らずで発足した。建物は被覆線工場478坪と裸線工場171坪などで、事務室や荷造り場は伸銅場と共同のまま残した。電気銅を銅棒へ鋳造圧延する工程も引き続き伸銅場が受け持ち、電線製造所は手数料を払って銅棒の供給を受け、銅以外の主な原料品は自ら買い付けた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友電線製造所は伸銅場から資産・負債を引き継ぎ200人足らずで発足、被覆線工場478坪・裸線工場171坪などを持ち、事務室や荷造り場は共用、銅棒は手数料を払って伸銅場から供給を受けた",
                      "原文": "住友電線製造所は伸銅場から、建物、機械、原料品、半製品、製品、売掛金等の資産と、買掛金等の負債を引き継ぎ、計200人足らずで発足した。建物は被覆線工場（478坪）、裸線工場（171坪）などであった。事務室や荷造り場は伸銅場と共同で使用した。電気銅を銅棒へ鋳造圧延するのは引き続き伸銅場の担当だったため、手数料を払って銅棒の供給を受けたが、銅以外の主な原料品は直接、住友電線製造所が買いつけた。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
                    }
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            },
            {
              "sub_title": "国産化を急いだ湯川寛吉",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "分離を主導したのは、のちに住友の第五代総理事となる湯川寛吉氏であった。逓信省の役人だった1897年、万国郵便会議の委員として渡米した湯川氏は、米国の製鋼所で技術力の高さを目の当たりにし、鋼板や電線といったインフラの基礎材料さえ輸入に頼る母国の後進性に焦りを覚えた。国内メーカーの育成が急務と考えて1905年に住友へ入り、被覆電線と通信・電気ケーブルの製造を本格化させるために、伸銅場からの分離を選んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "逓信省の役人だった湯川寛吉は1897年の渡米で国内メーカー育成の必要を痛感して1905年に住友へ入社し、1911年に住友伸銅場から電線事業を分離して住友電線製造所を開設した",
                      "原文": "1897年、米国の製鋼所で、その技術力の高さを目の当たりにし、母国の後進性に焦りを感じる一人の男がいた。交通・通信・電気を幅広く管轄する逓信省の役人で、のちに住友の五代目総理事となる湯川寛吉である。（中略）鋼板・電線などインフラの基礎材料さえも製造できず、輸入に頼らざるを得ないわが国において、国内メーカーの育成が急務と感じ、1905年、住友に入社した。被覆電線、通信・電気ケーブルの製造を本格化させるため、湯川は1911年に住友伸銅場から電線事業を分離し、住友電線製造所を開設。",
                      "source": "住友電気工業「1911年 住友電線製造所開設（住友電工の創立）」（未来構築マガジン「id」）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/id/dna/v02"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "分離した年の秋、住友電線製造所は電力用鉛被紙ケーブルの実用化に日本で初めて成功した。渇水時の対策として伏見に火力発電所を建てた京都電燈が、市内への送電路に使う高圧地下ケーブルを発注したもので、1万1,000ボルト用3心入り鉄線鎧装鉛被紙ケーブルにあたる。東京電燈や神戸電燈にも高圧地下ケーブルの先例はあったが、使われたのはいずれも輸入品で、国産品の採用はこれが初めてであった。送電線路は同年11月に完成している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1911年秋に電力用鉛被紙ケーブルの実用化に日本で初めて成功し、京都電燈の伏見発電所から京都市内への高圧地下送電線路を1911年11月に完成させた（高圧地下ケーブルの国産品採用は初）",
                      "原文": "住友電線製造所は1911（明治44）年秋、電力用鉛被紙ケーブルの実用化に日本で初めて成功し、技術力の一段の飛躍を実証した。この年、渇水時対策の火力発電所を伏見に建設した京都電燈は、同発電所から京都市内への送電路に用いる高圧地下ケーブルの製作を住友電線製造所に発注した。これより先に、東京電燈や神戸電燈が高圧地下ケーブルを布設したが、使用したのはいずれも輸入品であり、国産品の使用は今回が初めてであった。（中略）1911年11月に伏見発電所から京都市内への送電線路を完成させた。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "後発の専業所が国産ケーブルの指定を得るまで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "専業として立っても、規模は小さかった。1912年の被覆線・ケーブルの生産高は約70万円で、横浜電線製造の380万円、藤倉電線の150万円、日本電線製造の120万円に遠く及ばない。それでも同じ年に通信用紙ケーブル2万3,000ヤードを逓信省へ納め、1913年5月には臨時指定製造所となり、1914年2月に横浜電線製造・日本電気とともに本指定を受けた。外国製品に頼ってきた通信用紙ケーブルは、これを境に国産へ置き換わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1912年の住友電線製造所の被覆線・ケーブル生産高は約70万円で、横浜電線製造380万円・藤倉電線150万円・日本電線製造120万円に対し後位にあった",
                      "原文": "1912（大正元）年における住友電線製造所の被覆線・ケーブルの生産高は約70万円であった。これに対し、横浜電線製造は380万円、藤倉電線（現・フジクラ）は150万円、日本電線製造（現・三菱電線工業）は120万円の生産を実現していた。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
                    },
                    {
                      "fact": "1912年に通信用紙ケーブル2万3,000ヤードを逓信省へ納入、1913年5月に臨時指定製造所、1914年2月に横浜電線製造・日本電気とともに本指定を受け、通信用紙ケーブルは国産品が使われるようになった",
                      "原文": "1912年に住友電線製造所（1911年8月に住友伸銅場より分離・独立。次項参照）が2万3,000ヤードを納入、1913年5月には5万ヤード以内の購入について臨時指定製造所となり、翌1914年2月に横浜電線製造（現・古河電気工業）、日本電気とともに本指定を受けた。その結果、それまで外国製品に依存していた通信用紙ケーブルは国産品が使用されるようになった。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "生産と販売が伸びると、安治川の工場は手狭になった。1913年5月に恩貴島南之町の1万1,993坪を新工場の候補地と決め、8月に埋立てへ着手し、1916年7月中旬に操業へ入って年末にはほぼ全面稼働させた。これがのちの大阪製作所である。第一次大戦のあいだはインド・ロシア・豪州・ジャワ・中国などの需要が殺到し、生産技術と生産量がともに飛躍した。1920年12月には資本金1,000万円の株式会社住友電線製造所へ改組した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1913年5月に恩貴島南之町の1万1,993坪を新工場候補地と決定、8月に埋立着手、1916年7月中旬から操業に入り年末にほぼ全面操業（のちの大阪製作所）",
                      "原文": "1913（大正2）年5月、恩貴島南之町（現在の大阪市此花区島屋）の一部（1万1,993坪〈約3万9,600㎡〉）を新工場の候補地と決定、8月に敷地埋立工事に着手した。（中略）恩貴島工場は1916年7月中旬から操業に入り、年末にはほぼ全面的に操業を開始した。同工場はその後、大阪製作所に改称、数回の拡張を経て現在に至っている。",
                      "source": "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
                      "url": "https://sumitomoelectric.com/jp/sites/japan/files/2022-04/download_documents/sd120.pdf"
                    },
                    {
                      "fact": "欧州大戦中はインド・ロシア・豪州・ジャワ・中国等の需要が殺到して生産技術・生産量ともに飛躍し、大正9年12月に資本金1,000万円の株式会社住友電線製造所を設立した",
                      "原文": "欧州大戦中はインド、ロシヤ、濠州、ジャワ、中国等の需要が殺到し、生産技術、生産量ともに飛躍的な進展をみるに至つたので、大正五年十二月此花区恩貴島に外国製新鋭機械を備えた大工場を建設して移転、名実ともにわが国の指導的電線ケーブルメーカーとなつた。（中略）同年十二月資本金一千万円の（株）住友電線製造所の設立をみるに至つた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "損の出ている部門を切り出すということ",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "需要の伸びに合わせた自然な分社と読むと、この判断の芯を取り逃がす。分離の前の3年間、ケーブル工場は毎年5万円前後の損失を出し続けていた。伸銅場の一部門であれば、銅板や銅棒の稼ぎで穴埋めしながら細々と続ける道もあった。住友がそれを選ばず、200人足らずの製造所として切り出したところに、輸入依存を断ちたいという湯川寛吉氏の意図がうかがえる。赤字の部門ほど、責任と採算の見える単位へ移す必要があったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、独立とはいえ実態は半ばであった。銅棒への鋳造圧延は伸銅場に残り、住友電線製造所は手数料を払って供給を受け、事務室や荷造り場も共用のまま残った。1912年の生産高約70万円は、首位の横浜電線製造の5分の1に満たない。専業体制が数字で報われるのは、第一次大戦の需要と1916年の恩貴島工場を待たねばならなかった。事業を切り出す判断の成否は、切り出した時点ではなく、その後どれだけ投資を続けられるかで決まるといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "住友電工120年の軌跡 Glorious Excellent Companyの実現に向けて（住友電気工業, 2018）",
        "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）",
        "住友電気工業「1911年 住友電線製造所開設（住友電工の創立）」（未来構築マガジン「id」）",
        "住友電気工業 有価証券報告書【沿革】",
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
    },
    {
      "slug": "harness-acquisition-2006",
      "url": "/tse/5802/decisions/harness-acquisition-2006/",
      "year": 2006,
      "month": 3,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "5802",
      "decision_id": "5802-harness-acquisition-2006",
      "type": "acquisition",
      "tags": [
        "ma-crossborder-out",
        "cp-delisting",
        "bm-core-shift"
      ],
      "regions": [
        "europe"
      ],
      "title": "独ワイヤーハーネスメーカーの買収と住友電装の完全子会社化",
      "subtitle": "電線から始めた会社が自動車部品を主力に据えるとき、松本正義社長は何を買い、何を取り込んだか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "フォルクスワーゲン ボードネッツェ社の全株式取得（住友電工が直接60％、住友電装を通じて40％）と、住友電装との株式交換による完全子会社化",
      "ratio": null,
      "issue": "自動車用ワイヤーハーネス事業のグローバル体制と中核子会社の資本関係",
      "decider": {
        "name": "松本正義（社長）",
        "ceo": "fy98-matsumoto-masayoshi"
      },
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "2006年3月、住友電気工業と住友電装はドイツのフォルクスワーゲン ボードネッツェ社を買収し、翌2007年8月には議決権の53.9％にとどまっていた住友電装を株式交換で完全子会社とした。松本正義社長のもとで、自動車用ワイヤーハーネスをグループの主力に据え直す一連の判断であった。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "ワイヤーハーネス事業は日系自動車メーカーの海外生産に付き従って伸び、2004年末には拠点が28カ国68社に及んでいた。一方で欧州の完成車メーカーへ直接収める部分は細く、事業の企画は住友電工、設計と製造は住友電装という分業も残っていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "フォルクスワーゲンとシーメンスVDOが50％ずつ出資していたボードネッツェ社を買収し、スミトモ エレクトリック ボードネッツェとして傘下に収めた。あわせて名古屋証券取引所に上場していた住友電装と株式交換を行い、2007年8月に完全子会社としている。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "中期経営計画が掲げた世界シェア25％の目標は2010年度に前倒しで達成された。2025年3月期の自動車関連事業は売上高2兆7,326億円と連結の58％を占め、1897年に銅線の製造から始まった会社の主力は自動車部品へ入れ替わった。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "5802",
          "name": "住友電気工業",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "電線・ワイヤーハーネス・光ファイバなど5部門を抱える素材メーカー。2007年3月期は自動車関連事業が売上の46％を占めていた"
          }
        },
        {
          "name": "住友電装",
          "role": "完全子会社化の対象",
          "at_deal": {
            "note": "三重県四日市市に本社を置くワイヤーハーネスの設計・製造会社。名古屋証券取引所に上場し、住友電工の議決権比率は53.9％であった"
          }
        },
        {
          "name": "フォルクスワーゲン ボードネッツェ",
          "role": "買収対象",
          "at_deal": {
            "note": "フォルクスワーゲンとシーメンスVDOが50％ずつ出資したドイツのワイヤーハーネスメーカー。2005年の売上高は4億4,600万ユーロ"
          }
        }
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      "dates": {
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        "summary": "日系自動車メーカーへの追随で伸びたワイヤーハーネス事業を、欧州完成車メーカーへの直接供給と中核子会社の完全子会社化によって、グループの主力事業へ組み替えた一連の買収"
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          "year": 1986,
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          "title": "米国にスミトモ エレクトリック ワイヤリング システムズ インクを設立"
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          "title": "松本正義社長がワイヤーハーネスの世界シェア20％到達を「もう見えています」と語る"
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          "title": "株式交換により住友電装を完全子会社化、名古屋証券取引所での上場は廃止"
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          "title": "日新電機の議決権を33.0％から51.7％へ引き上げ、連結子会社とする"
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          "title": "中期経営計画の目標であるワイヤーハーネスの世界シェア25％を前倒しで達成"
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      "snapshot": {
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        "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期・連結）",
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              "sub_title": "28カ国68社に広がったワイヤーハーネス",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "住友電気工業のワイヤーハーネス事業は、1931年に資本参加した東海電線（現・住友電装）を製造の担い手として育ち、日系自動車メーカーの海外生産に付き従って各国へ広がった。松本正義社長は2004年末、ハーネスだけで28カ国68社を抱えていると語り、世界シェア20％を掲げた「グローバル20」について、韓国・京信工業への出資でシェアが2.5ポイント上がり、新年は17.5％から始まると述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2004年末時点でワイヤーハーネス事業の拠点は28カ国68社に及び、世界シェア20％を目標とする「グローバル20」は15％程度まで進んでいた",
                      "原文": "ハーネスだけとってみても、今、２８カ国で６８社あります。これをわれわれと住友電装だけで、管理することはとてもできません。（中略）グローバル２０は、今、大体１５まできました。このほどの韓国の京信への出資でマーケット・シェアは２・５％アップします。新年は１７・５％から始まるわけです。",
                      "source": "週刊東洋経済 2004年12月25日号「［ＫｅｙＰｅｒｓｏｎ］住友電気工業社長 松本正義　２００５年の国際環境　新年は侃々諤々の「喧噪の年」」",
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                    {
                      "fact": "昭和6年10月に東海電線株式会社（現・住友電装株式会社）に資本参加した",
                      "原文": "昭和６年10月　東海電線株式会社（現・住友電装株式会社）に資本参加",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期）【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "拡大には限界も見えていた。松本社長は同じ場で、28カ国の拠点を住友電工と住友電装だけでは管理しきれず、銀行からの中途採用にまで手を伸ばしてなお人材が足りないと述べている。加えて、日系メーカーへの追随で積み上げたシェアには弱いところがあった。欧州の完成車メーカーへ直接収める部分が細く、20％の先へ進むには売る相手そのものを変える必要があった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "松本正義社長は、28カ国のハーネス拠点を住友電工と住友電装だけでは管理できず、中途採用でも人材が不足していると述べた",
                      "原文": "これをわれわれと住友電装だけで、管理することはとてもできません。ですから、中途採用する。銀行からも住友電装に優秀な人に来ていただいた。それでも人材は足りないのです。",
                      "source": "週刊東洋経済 2004年12月25日号「［ＫｅｙＰｅｒｓｏｎ］住友電気工業社長 松本正義　２００５年の国際環境　新年は侃々諤々の「喧噪の年」」",
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                    {
                      "fact": "住友電工と住友電装は、ボードネッツェ社の買収によってドイツ自動車メーカーへ本格参入し、欧州でのプレゼンス向上を図るとしていた",
                      "原文": "住友電工と住友電装では、今回の買収で、ドイツ自動車メーカーに本格参入し、欧州でのプレゼンス向上を図っていく。",
                      "source": "Response（レスポンス）2006年3月27日「住友電工、住友電装がVWのワイヤーハーネス子会社を買収」",
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              "sub_title": "五部門のうち最大になっていた自動車関連",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2007年3月期の住友電工の連結売上高は2兆3,843億円で、自動車関連・情報通信・エレクトロニクス・電線機材エネルギー・産業素材の5部門を抱えていた。このうち自動車関連事業は1兆958億円と全体の46％を占め、営業利益も580億円で5部門のなかで最も大きかった。1897年に大阪で銅線の製造を始めた会社の売上を、すでにワイヤーハーネスと防振ゴムが支えていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2007年3月期の自動車関連事業の売上高は1兆958億円（前期比22.4％増）、営業利益は580億円で、連結売上高2兆3,843億円の46％を占めた",
                      "原文": "ワイヤーハーネスについてはドイツのフォルクスワーゲン ボードネッツェ社を買収したことに加え、対象車種の販売増加や銅価格の上昇により国内外において売上が増加したほか、防振ゴムの売上も増加したことから、当事業の売上高は1,095,852百万円と前連結会計年度比200,687百万円（22.4％）の増加となり、営業利益は58,048百万円と前連結会計年度比6,929百万円の増加となった。",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期・連結）",
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                {
                  "text": "もっとも、その主力を担う会社は連結の内側で二つに分かれていた。住友電工が事業の企画と営業を、住友電装が設計と製造を受け持つ分業が続き、住友電工が握る住友電装の議決権は53.9％にとどまっていた。住友電装は三重県四日市市に本社を置き、名古屋証券取引所に上場する別会社であった。日系メーカーの海外展開が速まるほど、二社にまたがる意思決定の重さが目立っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2007年3月期末時点で住友電工が保有する住友電装の議決権比率は53.9％（うち間接0.5％）、住友電装の資本金は7,542百万円、本社は三重県四日市市であった",
                      "原文": "住友電装㈱　三重県四日市市　資本金7,542百万円　自動車関連事業　議決権に対する所有割合53.9（0.5）",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期）【関係会社の状況】",
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                    {
                      "fact": "住友電工が事業企画と営業を、住友電装が設計と製造を担当する分業が続いており、日系自動車メーカーのグローバル化に伴い機動性とコスト競争力の強化が必要になっていた",
                      "原文": "同グループは自動車用ハーネス事業をコア事業と位置づけ、住友電工が企画・営業を、住友電装が設計・製造を担当してきた。日系自動車メーカーのグローバル化に伴い、製造・販売拠点の迅速な拡充とコスト競争力強化の必要性が高まっていた。",
                      "source": "Response（レスポンス）2007年5月11日「住友電工、住友電装を完全子会社化」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "フォルクスワーゲンの内側にあった会社を買う",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2006年3月27日、住友電工と住友電装は、ドイツのフォルクスワーゲン ボードネッツェ社を買収することで、株主であるフォルクスワーゲンとシーメンスVDOの両社と合意したと発表した。同社は両社が50％ずつ出資し、主にフォルクスワーゲン向けに自動車用ワイヤーハーネスと関連製品を生産しており、2005年の売上高は4億4,600万ユーロ、日本円で約624億円であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年3月27日、住友電工と住友電装はVWとシーメンスVDOが50％ずつ出資するフォルクスワーゲン ボードネッツェ社の買収で合意したと発表。同社の2005年売上高は4億4,600万ユーロ（約624億円）であった",
                      "原文": "住友電気工業と住友電装は、ドイツの大手ワイヤーハーネスメーカーのフォルクスワーゲン ボードネッツェを買収することで、株主のVW社、シーメンスVDO社と合意したと発表した。VWBN社は、VWとシーメンスVDO社が50％づつ出資し、自動車用ワイヤーハーネス及び関連製品を製造販売しており、売上高は2005年が4億4600万ユーロ（約624億円）。",
                      "source": "Response（レスポンス）2006年3月27日「住友電工、住友電装がVWのワイヤーハーネス子会社を買収」",
                      "url": "https://response.jp/article/2006/03/27/80574.html"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "買収は完成車メーカーの内側にあった部門を、そのまま部品会社の側へ移す取引であった。買収後の会社はスミトモ エレクトリック ボードネッツェとしてウォルフスブルクに本社を置き、議決権は住友電工が直接60％、住友電装を通じて40％を持った。世界3位であったグループのシェアは、この買収で20％に届く見通しとなった。日系メーカーへの追随では手の届かなかった顧客を、供給実績ごと引き受けた買収であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年3月にドイツの自動車用ワイヤーハーネスメーカー（現・スミトモ エレクトリック ボードネッツェ ゲーエムベーハー）を買収した",
                      "原文": "平成18年3月　ドイツの自動車用ワイヤーハーネスメーカー（現・スミトモ　エレクトリック　ボードネッツェ　ゲーエムベーハー）を買収",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期）【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "スミトモ エレクトリック ボードネッツェ ゲーエムベーハーはドイツ・ウォルフスブルク市に所在し、住友電工の議決権所有割合は100.0％（うち間接40.0％）であった",
                      "原文": "スミトモ　エレクトリック　ボードネッツェ　ゲーエムベーハー　ドイツ　ウォルフスブルク市　資本金2,046千ユーロ　自動車関連事業　議決権に対する所有割合100.0（40.0）",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期）【関係会社の状況】",
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                    {
                      "fact": "住友グループのワイヤーハーネス事業は世界第3位のシェアで、買収完了により世界シェア20％を達成する見通しであった",
                      "原文": "住友グループでは、ワイヤーハーネス事業では世界第3位のシェアを持つが、今回の買収を終え、世界シェア20％を達成する見通し。",
                      "source": "Response（レスポンス）2006年3月27日「住友電工、住友電装がVWのワイヤーハーネス子会社を買収」",
                      "url": "https://response.jp/article/2006/03/27/80574.html"
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              ]
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            {
              "sub_title": "53.9％の子会社を100％にする",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "欧州で顧客を得た翌年、住友電工は連結の内側へ手を入れた。2007年5月11日、住友電装を株式交換によって完全子会社にすると発表する。狙いは、グループ内の意思決定の二重化や重複を解消し、統一したガバナンスのもとで経営資源を活かすことに置かれた。企画と営業、設計と製造を二社に分けたままでは、日系メーカーの拠点拡充の速さに追いつけないという判断であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友電装の完全子会社化は、グループ内での意思決定の二重化や重複を解消し、統一したガバナンスのもとで経営資源を有効活用することを目的とした",
                      "原文": "住友電工グループでの意思決定の二重化や重複を解消し、統一したガバナンスの下、グループ内での経営資源を有効活用できるよう、株式交換により住友電装を完全子会社とする。",
                      "source": "Response（レスポンス）2007年5月11日「住友電工、住友電装を完全子会社化」",
                      "url": "https://response.jp/article/2007/05/11/94567.html"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "株式交換は2007年8月に実行され、住友電装の株式は名古屋証券取引所での上場を廃止された。住友電工は同じ年の12月、議決権33.0％の持分法適用会社であった日新電機の株式を買い増して51.7％を握り、連結子会社としている。前年のドイツでの買収と合わせ、2006年から2007年にかけて、自動車部品を中心にグループの資本関係が組み替えられた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2007年8月に住友電装株式会社を完全子会社化し、同年12月に日新電機株式会社を連結子会社化した",
                      "原文": "平成19年8月　住友電装株式会社を完全子会社化／平成19年12月　日新電機株式会社を連結子会社化",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2008年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "住友電装は2007年8月、住友電気工業との株式交換により名古屋証券取引所の上場を廃止した",
                      "原文": "2007年8月　住友電気工業（株）との株式交換により、名古屋証券取引所上場廃止",
                      "source": "住友電装 企業情報「沿革」",
                      "url": "https://www.sws.co.jp/corporation/outline/history.html"
                    },
                    {
                      "fact": "日新電機の議決権所有割合は2007年3月期末の33.0％から2008年3月期末に51.7％へ上がった",
                      "原文": "日新電機㈱　京都市右京区　資本金10,253百万円　電線・機材・エネルギー関連事業　議決権に対する所有割合51.7（0.2）",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2008年3月期）【関係会社の状況】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "金融危機での減益と、前倒しで届いたシェア25％",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "買収の効き目が試されたのは、2008年秋からの自動車市場の縮小であった。2009年3月期の自動車関連事業は、売上高が9,171億円と前期比23.5％減り、営業利益は61億円と683億円の減益となった。有価証券報告書は理由として、需要の減少に加えてワイヤーハーネスの欧米での工場再編・移転費用が集中したことを挙げている。買い取った拠点を作り替える費用が、需要の落ち込みと重なっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2009年3月期の自動車関連事業は売上高9,171億円（前期比23.5％減）、営業利益61億円（同683億円減）で、ワイヤーハーネスの欧米での工場再編・移転費用が集中した",
                      "原文": "２００８年秋からの自動車市場の急激な縮小に伴い、ワイヤーハーネスや防振ゴムの需要が減少したことに加え、２００７年度下期に自動車用ブレーキ事業をアイシン精機㈱へ譲渡した影響もあり、当事業の売上高は917,125百万円と前連結会計年度比282,227百万円（23.5％）減少した。営業利益では、需要減少に加え、ワイヤーハーネスの欧米での工場再編・移転費用の集中などもあり、6,142百万円と68,390百万円の大幅な減少となった。",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2009年3月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "それでも世界シェアは伸び続けた。中期経営計画「12Vision」が掲げたグローバルシェア25％の目標を、住友電工は2010年度に前倒しで達成している。ドイツで買い取ったスミトモ エレクトリック ボードネッツェも、2013年8月末には東欧・北アフリカ・メキシコ・中国・ロシアに12の子会社を抱え、従業員は2万2,333人に達した。フォルクスワーゲンの一部門であった会社が、周辺国へ生産を広げる拠点に変わっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ワイヤーハーネスは中期経営計画「12Vision」の目標であるグローバルシェア25％を2010年度に前倒しで達成した",
                      "原文": "まず、自動車関連事業では、ワイヤーハーネスについては、１２Ｖｉｓｉｏｎの目標であるグローバルシェア25％を２０１０年度に前倒しで達成しましたが、今後も、新興国・非日系カーメーカー向けの営業力強化や、環境対応車向けの高電圧ハーネス、リアクトル、アルミハーネスなど、新製品を積極的に展開し、グローバルＮＯ．１に向けた施策を進めてまいります。",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2013年3月期・連結）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "SEBNはフォルクスワーゲン グループ向けハーネスを製造していたVolkswagen Bordnetze社を2006年に買収したもので、2013年8月末の従業員は22,333人、東欧・北アフリカ・メキシコ・中国・ロシアに12の子会社を持つ",
                      "原文": "SEBNは、フォルクスワーゲン（VW）グループ向けワイヤーハーネスを製造していたVolkswagen Bordnetze社を、住友電工グループが2006年に買収したことから始まりました。（中略）従業員数は22,333人（2013年8月末現在）。",
                      "source": "住友電気工業 SEIニュースレター 2013年10月「今月のグループ会社紹介 SEBN」",
                      "url": "https://sei.co.jp/newsletter/2013/10/other.html"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "主力が入れ替わった売上構成",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2025年3月期の住友電工の連結売上高は4兆6,797億円で、このうち自動車関連事業が2兆7,326億円と58％を占めた。セグメント利益は1,723億円、従業員は22万8,363人にのぼり、5部門のなかで売上・利益・人員のいずれも最大である。情報通信関連事業の売上高は2,184億円で、自動車関連の12分の1にとどまる。銅線の製造から始まった会社の主力は、完全に入れ替わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2025年3月期の自動車関連事業は売上高2兆7,326億円・セグメント利益1,723億円・従業員22万8,363人で、連結売上高4兆6,797億円の58％を占めた",
                      "原文": "自動車関連事業　売上高2,732,581百万円　セグメント利益172,391百万円　従業員228,363名／情報通信関連事業　売上高218,401百万円（2025年3月期・連結）。",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2025年3月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "子会社を100％にする動きは、その後も続いた。住友電工は2023年、株式公開買付けによって日新電機とテクノアソシエをそれぞれ完全子会社とし、上場を残していた子会社を整理している。2007年に住友電装で用いた手法を、電線・機材やエネルギー、産業素材の中核会社にも当てはめた。四日市の住友電装を丸ごと抱えた判断は、その後のグループ再編の先例になっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2023年に日新電機株式会社と株式会社テクノアソシエを完全子会社化した",
                      "原文": "2023年　日新電機株式会社、株式会社テクノアソシエを完全子会社化",
                      "source": "住友電気工業 有価証券報告書（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "住友電気工業による日新電機株式への公開買付けは2023年3月に成立し、日新電機は住友電工の完全子会社となる手続きに入った",
                      "原文": "支配株主である住友電気工業株式会社による当社株式に対する公開買付けの結果に関するお知らせ",
                      "source": "日新電機 ニュースリリース 2023年3月23日「支配株主である住友電気工業株式会社による当社株式に対する公開買付けの結果に関するお知らせ」",
                      "url": "https://nissin.jp/news/230323/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "誰に売る会社になるか",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この2年の動きを、シェアを買い足した海外M&Aとだけ読むと要点を外す。フォルクスワーゲン ボードネッツェの買収で手に入ったのは生産設備よりも、日系メーカーへの追随では届かなかった欧州の完成車メーカーという顧客であった。松本正義社長が2004年末に「シェア20％はもう見えています」と語ったあとに残っていたのは、シェアの数字ではなく、誰に売る会社になるのかという選択だったとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、買った顧客がすぐ利益に変わったわけではない。2009年3月期の自動車関連事業は営業利益が61億円まで落ち、需要の減少にワイヤーハーネスの欧米での工場再編・移転費用が重なった。その前年に住友電装を100％子会社にしていたため、この痛みは四日市の少数株主を交えず、グループだけで引き受けている。買い増しの成否は、買った年ではなく、その後の数年をどう持ちこたえられるかに表れるといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2004年12月25日号「［ＫｅｙＰｅｒｓｏｎ］住友電気工業社長 松本正義　２００５年の国際環境　新年は侃々諤々の「喧噪の年」」",
        "Response（レスポンス）2006年3月27日「住友電工、住友電装がVWのワイヤーハーネス子会社を買収」",
        "Response（レスポンス）2007年5月11日「住友電工、住友電装を完全子会社化」",
        "住友電装 企業情報「沿革」",
        "住友電気工業 SEIニュースレター 2013年10月「今月のグループ会社紹介 SEBN」",
        "日新電機 ニュースリリース 2023年3月23日「支配株主である住友電気工業株式会社による当社株式に対する公開買付けの結果に関するお知らせ」",
        "住友電気工業 有価証券報告書（2007年3月期・2008年3月期・2009年3月期・2013年3月期・2025年3月期）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-24"
    }
  ]
}
