{
  "spec_version": "5",
  "endpoint": "ceo-person",
  "stock_code": "5801",
  "company_name": "古河電工",
  "content_lang": "ja",
  "meta_lang": "en",
  "canonical_url": "https://the-shashi.com/tse/5801/executives/ceo/furukawa-ichibei/",
  "api_url": "/api/5801/ceo/furukawa-ichibei.json",
  "updated": "2026-10-29",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/5801/executives/ceo/furukawa-ichibei/",
  "source": {
    "person": {
      "primary": [
        "有価証券報告書（役員の状況）"
      ],
      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
    }
  },
  "person": {
    "slug": "furukawa-ichibei",
    "name": "古河市兵衛",
    "kana": "ふるかわ　いちべえ",
    "surname": "古河",
    "given_name": "市兵衛",
    "birthdate": "1832-04-16",
    "origin": "創業家。小野組で生糸取引と鉱山経営を担い、同組の破綻後に独立して草倉・足尾の銅山を経営した。1884年に東京本所で始めた精銅業（本所鎔銅所）が当社の源流で、古河電気工業の設立は死去後の1920年。当社の社長には就任していない",
    "origin_type": "創業家",
    "milestone": "古河家事業の創業者（当社の源流の本所鎔銅所を創設）",
    "hometown": "京都岡崎（現・京都市左京区）",
    "founder_only": true,
    "career": [
      {
        "company": "小野組",
        "from": null,
        "to": 1874,
        "roles": [
          {
            "date": "1874",
            "role": "小野組の破綻で主家を失う",
            "event": "退任"
          }
        ]
      },
      {
        "company": "古河本店（のちの古河鉱業、現・古河機械金属）",
        "from": 1875,
        "to": "1903-04",
        "roles": [
          {
            "date": "1875",
            "role": "新潟県の草倉鉱山の開発に着手（独立）",
            "event": "設立"
          },
          {
            "date": "1877-02",
            "role": "足尾銅山の買山契約"
          },
          {
            "date": "1903-04",
            "role": "死去",
            "event": "死去"
          }
        ]
      },
      {
        "company": "本所鎔銅所（当社の源流）",
        "from": "1884-05",
        "to": "1903-04",
        "roles": [
          {
            "date": "1884-05",
            "role": "本所区柳原に用地を買収・鎔銅所を創設",
            "event": "設立"
          },
          {
            "date": "1884-10",
            "role": "反射炉の操業開始"
          },
          {
            "date": "1897-01",
            "role": "伸銅所で銅線の製造を開始"
          },
          {
            "date": "1903-04",
            "role": "死去",
            "event": "死去"
          }
        ]
      }
    ],
    "references": [
      {
        "source": "国立国会図書館「近代日本人の肖像」古河市兵衛",
        "for": [
          "birthdate"
        ],
        "url": "https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/324"
      },
      {
        "source": "創業100年史（古河電気工業, 1991）序 第1節 当社事業の源流",
        "for": [
          "hometown",
          "origin",
          "career"
        ]
      },
      {
        "source": "創業100年史（古河電気工業, 1991）序 第2節 本所鎔銅所の電気分銅",
        "for": [
          "career",
          "origin"
        ]
      },
      {
        "source": "創業100年史（古河電気工業, 1991）第1章 本所鎔銅所の銅線製造・日光電気精銅所の建設",
        "for": [
          "career"
        ]
      }
    ],
    "sections": {
      "tenure_frames": [
        {
          "frame": "origin",
          "text": "1832年に京都岡崎で生まれ、幼名を木村巳之助といった。商人を志して盛岡の伯父の縁で南部藩の為替御用掛だった鴻池伊助店に勤めたが、同店の破産で志を果たせなかった。その後、小野組に勤める古河太郎左衛門氏の養子となって古河姓を継ぎ、養父とともに生糸取引で手腕を示し、築地製糸場の設立や東北各地の鉱山経営にも携わった。古河電気工業の設立は死去から17年後の1920年で、古河電工の社長には就任していない。"
        },
        {
          "frame": "selection",
          "text": null
        },
        {
          "frame": "initiatives",
          "text": null
        },
        {
          "frame": "results",
          "text": null
        },
        {
          "frame": "founding",
          "text": "1874年、政府の為替方を務めていた小野組が政策の変更もあって破綻し、古河市兵衛氏は再び主家を失った。2度の主家の破綻を経て独立を決め、1875年に新潟県の草倉鉱山の開発に着手した。続いて、廃山同然だった栃木県の足尾銅山に目をつけ、相馬家の家令を説いて資金の援助を取りつけ、1877年2月に買山の正式契約を結んだ。小野組の破綻で私財を差し出して無一物となっていたため、旧大名家や第一国立銀行頭取の渋沢栄一氏の出資を仰ぐ共同経営の形で鉱山を取得し、自らは現場の開発を指揮した。\n草倉で得た利益を足尾の開発に充当した結果、1881年に鷹の巣の富鉱帯に当たり、翌1882年には横間歩大直利が見つかった。1884年の足尾の産銅量は前年の3.5倍に増加し、別子銅山を抜いて全国1位となった。1886年11月に相馬家の持分を12万円、1888年6月に渋沢栄一氏の持分を40万円で取得し、足尾は古河家単独の事業になった。1888年9月からの28カ月で1万9,000トンを売る契約をジャーディン・マセソン商会と結び、直後に銅価が暴落しても契約数量の削減に応じず履行させて、大きな利益を得た。\n古河電工の源流は、この1884年に東京・本所で始めた精銅業である。当時の日本の粗銅は品位が不安定で、輸出取引で不利を被ることが多かった。古河市兵衛氏は同年1月、技術者の福岡健良氏に反射炉の設計と鎔銅所の計画を命じ、5月に本所区柳原の屋敷跡4,254坪を買い取った。10月7日に大阪造幣局の炉を手本にした反射炉へ火を入れ、草倉の銅を精製したのが操業の始まりである。1889年5月にはシーメンス製の発電機を据えた試験所を設け、日本で最初の電気分銅を始めた。\n陸奥宗光氏らが勧めた銀行経営にも応じず鉱山専業を通した古河市兵衛氏が、鉱山以外で手がけた事業は本所鎔銅所の電気分銅と銅線製造だけだった。原銅なら常に売れるが銅線にすれば販路が狭まるとの反対意見もあったものの、1896年8月に本所で製線工場に着工し、1897年1月から銅線の製造を始めた。日光に電気精銅と銅線・銅板の大工場を設ける構想も練ったが、足尾銅山に鉱毒予防工事の命令が出たことで延期された。\n明治30年代に入ると経営の第一線を養子の古河潤吉氏に譲り、日光の発電計画がまとまる直前の1903年4月に72歳で死去した。日光電気精銅所は1906年7月に発足し、これと本所の工場、横浜電線製造の事業を併せて1920年に古河電気工業が設立された。",
          "companies": [
            {
              "code": "5715",
              "anchor": "草倉鉱山の開発に着手した"
            }
          ]
        }
      ]
    },
    "html_url": "https://the-shashi.com/tse/5801/executives/ceo/furukawa-ichibei/",
    "api_url": "https://the-shashi.com/api/5801/ceo/furukawa-ichibei.json",
    "list_api_url": "https://the-shashi.com/api/5801/ceo.json",
    "predecessor": {
      "slug": "moridaira-hideya",
      "name": "森平英也",
      "api_url": "https://the-shashi.com/api/5801/ceo/moridaira-hideya.json"
    },
    "successor": null
  }
}
