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    {
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      "year": 1884,
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      "decision_id": "5714-founding-1884",
      "type": "founding",
      "title": "DOWAホールディングス創業——藤田組が受けた官営小坂鉱山の払下げから黒鉱自溶製錬による再生へ",
      "subtitle": "長州人脈と官需で資本を蓄えた藤田伝三郎 氏は、採算の悪化した官営小坂鉱山の払下げをどう国内一の産銅地へ変えたか",
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      "status_label": "実施",
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      "issue": "採算の悪化した官営小坂鉱山の払下げによる鉱山業への参入と、黒鉱の製錬技術の確立",
      "decider": "藤田伝三郎 氏（藤田組 創業者）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1884年9月、長州萩出身で奇兵隊を経た藤田伝三郎 氏の藤田組が、明治政府の工場払下概則の改正を受けて秋田県北秋田郡小坂村の官営小坂鉱山の払下げを受け、鉱山業へ参入した。金・銀・銅・亜鉛・鉛が混在する黒鉱の製錬に長く苦しんだが、現場の久原房之助 氏が1902年6月に黒鉱自溶製錬の操業に成功し、1906年には小坂が国内全鉱山中の生産額一位に達した。戦時統制を経て1945年12月に同和鉱業株式会社へ改称し、1949年7月に東京証券取引所へ上場している。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "藤田伝三郎 氏は1841年に長州萩の醸造業の家に生まれ、奇兵隊に加わって維新の動乱を過ごした。維新後は同郷の井上馨 氏ら明治新政府に登った長州出身者との人脈を足場に、1869年に大阪で藤田組商会を興し、新政府軍向けの軍靴・軍服の納入で初期資本を蓄えた。1880年の工場払下概則とその1884年の改正で官営事業の民間払下げが本格化し、長州閥と関係の深い藤田組がその主要な受け皿となった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "藤田組は1884年9月に官営小坂鉱山の払下げを受け、開発資金は旧長州藩主毛利家からの20万円の借入で確保した。小坂は明治政府の直営でも黒鉱の製錬技術が確立せず、採算の悪化した鉱山で、取得後も長い赤字が続いた。閉山処理のため着任した久原房之助 氏が事業継続を主張し、井上馨 氏の支持を取りつけて閉山の指示を撤回させ、1897年の水力発電、1898年の乾式製錬を経て1902年6月に黒鉱自溶製錬の操業に成功した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "小坂鉱山は1906年に国内全鉱山中の生産額一位となり、藤田組は1881年に院内銀山・阿仁銅山の払下げを受けた古河市兵衛 氏と並ぶ明治期の鉱業王へと成長した。伝三郎 氏は1899年に児島湾干拓へ着手して鉱業以外の固定資産にも資本を投じ、1912年の没後は息子3名が藤田組を継いだ。戦時統制下の1944年に本店を大阪から東京へ移し、1945年に同和鉱業へ改称、1949年に東京証券取引所へ上場して公開企業として再出発した。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "stock_code": "5714",
          "name": "DOWAホールディングス",
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            "note": "創業時は藤田組（藤田伝三郎 氏らが率いた大阪の官需商人）。官営小坂鉱山の払下げを受けて鉱山業へ参入し、黒鉱の製錬技術の確立に挑んだ。"
          }
        }
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      "dates": {
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        "summary": "官営事業の民間払下げで採算難の小坂鉱山を取得し、黒鉱自溶製錬の技術を確立して国内一の産銅地へ再生させた鉱山会社の創業"
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      "timeline": [
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          "year": 1869,
          "title": "藤田組商会を大阪で発足、新政府軍向け軍靴・軍服を納入"
        },
        {
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          "title": "兄弟3名で藤田組合名会社を組織"
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        {
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          "month": 9,
          "title": "官営小坂鉱山の払下げを受けて鉱山業へ参入",
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          "title": "小坂の銚子第一発電所で水力発電を開始"
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          "title": "小坂で黒鉱乾式製錬を開始"
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          "title": "岡山児島湾の干拓事業に着手"
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          "title": "久原房之助が黒鉱自溶製錬の操業に成功"
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        {
          "year": 1906,
          "title": "小坂鉱山が国内全鉱山中の生産額一位に"
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          "title": "藤田伝三郎が没し、息子3名が藤田組を継承"
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          "title": "本店を大阪から東京へ移転"
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          "title": "商号を同和鉱業株式会社へ変更"
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          "title": "東京証券取引所に株式を上場"
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      "locations": [
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          "year": 1869,
          "name": "藤田組商会",
          "role": "創業地（大阪での新政府軍納入事業の本拠）",
          "address": "大阪府大阪市東区高麗橋（現 大阪市中央区高麗橋）",
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          "name": "小坂鉱山",
          "role": "官営払下げで取得した鉱山業参入の基幹資産",
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          "name": "藤田組合名会社",
          "role": "兄弟3名で組織した法人本社（大阪）",
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          "role": "鉱業以外の長期固定資産投資として着手した干拓事業地",
          "address": "岡山県児島郡（現 岡山市南区・玉野市の児島湾沿岸）",
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          "name": "豊崎圧延工場",
          "role": "金属加工事業へ進出した拠点（後のDOWAメタル）",
          "address": "大阪府西成郡豊崎町（現 大阪市北区豊崎）",
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          "name": "同和鉱業本店（東京移転後）",
          "role": "戦時統制下で大阪から東京へ移転した本店",
          "address": "東京都（戦時下移転先）",
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        "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書（沿革）",
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            "note": "藤田組商会を発足（個人経営・法人化前）"
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            "note": "藤田組合名会社を資本金100万円規模で組織"
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            "year": 1949,
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            "note": "東京証券取引所に上場（同和鉱業として再出発）"
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              "sub_title": "長州人脈を足場にした大阪の官需商人",
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                {
                  "text": "藤田伝三郎 氏は1841年に長州萩の醸造業の家に生まれ、奇兵隊に加わって維新の動乱期を過ごした。維新後は同郷の井上馨 氏ら明治新政府の中枢に登った長州出身者との人脈を足場に、1869年に大阪へ出て藤田組商会を興している。主たる事業は新政府軍向けの軍靴・軍服の納入で、薩長閥が政府御用商人の供給網を再編していく時期にあって、同郷ネットワークを通じて陸軍省・大蔵省の官需を取り込んでいった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "藤田伝三郎は1841年に長州萩の醸造家に生まれ奇兵隊を経て維新の動乱期を過ごした",
                      "原文": "藤田伝三郎 氏は1841年に長州萩の醸造業の家に生まれ、奇兵隊に加わって維新の動乱期を過ごした。",
                      "source": "藤田組史",
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                    {
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                      "原文": "主たる事業は新政府軍向けの軍靴・軍服の納入で、薩長閥が政府御用商人の供給網を再編していく時期にあって、同郷ネットワークを通じて陸軍省・大蔵省の官需を取り込んでいった。",
                      "source": "藤田組史",
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                {
                  "text": "1873年からは兄の家業を再編して土木建築の請負や運輸業へと事業の領域を広げていった。1881年には伝三郎 氏が中心となり、兄弟3名で藤田組合名会社を組織している。1885年には資本金100万円規模の合名会社として法人の形態を整え、大阪財界の中核をなす商人として頭角を現していった。鉱山業への参入以前に、藤田組は官需の請負を通じて相応の資本と政府との関係を蓄えていた。",
                  "evidences": [
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                      "原文": "1881年には伝三郎 氏が中心となり、兄弟3名で藤田組合名会社を組織している。",
                      "source": "藤田組史",
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                      "原文": "1885年には資本金100万円規模の合名会社として法人の形態を整え、大阪財界の中核をなす商人として頭角を現していった。",
                      "source": "藤田組史",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "官営小坂鉱山の払下げ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "明治政府は1880年に工場払下概則を定め、1884年の改正で払下げの条件を緩めて官営事業の民間移管を本格化させた。財政再建のため官営鉱山・工場を民間へ移す方針のもとで、長州閥と関係の深い藤田組がこの政策転換の主要な受け皿となった。1884年9月、藤田組は秋田県北秋田郡小坂村の官営小坂鉱山の払下げを受け、官需の請負を主としてきた事業から鉱山経営へと踏み込んだ。有価証券報告書の沿革は、この払下げを同社の創業として記録している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1880年の工場払下概則と1884年の改正で官営事業の民間払下げが本格化し藤田組が主要な受け皿となった",
                      "原文": "財政再建のため官営鉱山・工場を民間へ移す方針のもとで、長州閥と関係の深い藤田組がこの政策転換の主要な受け皿となった。",
                      "source": "藤田組史",
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                      "原文": "1884年9月、藤田組は秋田県北秋田郡小坂村の官営小坂鉱山の払下げを受け、官需の請負を主としてきた事業から鉱山経営へと踏み込んだ。",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書 第122期【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "有報沿革は1884年の小坂鉱山払下げを同社の創業として記録している",
                      "原文": "有価証券報告書の沿革は、この払下げを同社の創業として記録している。",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書 第122期【沿革】",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "小坂鉱山は江戸期から続く銀山で、明治政府が直営で近代化を進めていたものの、金・銀・銅・亜鉛・鉛が複雑に混在する黒鉱の製錬技術が確立せず、採算が悪化していた。藤田組の取得後も製錬技術の確立は難航し、開発資金は旧長州藩主毛利家からの20万円の借入で確保したと藤田組史に記録される。1881年に院内銀山・阿仁銅山の払下げを受けた古河市兵衛 氏と並び、藤田伝三郎 氏はこの小坂の取得をもって明治期の鉱業王の一人に数えられていく。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "小坂鉱山は金銀銅亜鉛鉛が混在する黒鉱の製錬技術が確立せず官営直営でも採算が悪化していた",
                      "原文": "小坂鉱山は江戸期から続く銀山で、明治政府が直営で近代化を進めていたものの、金・銀・銅・亜鉛・鉛が複雑に混在する黒鉱の製錬技術が確立せず、採算が悪化していた。",
                      "source": "藤田組史",
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                    {
                      "fact": "取得後の開発資金は旧長州藩主毛利家から20万円を借り入れて確保した",
                      "原文": "開発資金は旧長州藩主毛利家からの20万円の借入で確保したと藤田組史に記録される。",
                      "source": "藤田組史",
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                    {
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                      "原文": "1881年に院内銀山・阿仁銅山の払下げを受けた古河市兵衛 氏と並び、藤田伝三郎 氏はこの小坂の取得をもって明治期の鉱業王の一人に数えられていく。",
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          "label": "結果",
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              "sub_title": "黒鉱自溶製錬による再生",
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                  "text": "小坂鉱山は取得から10年を経ても黒鉱の製錬技術の壁で赤字が続き、融資元の毛利家から正式な閉山の指示が出される事態に至った。閉山処理のため小坂へ着任した久原房之助 氏は事業継続の必要を強く説き、同郷の長州出身者である井上馨 氏の個人的な支持を取りつけて閉鎖指示の撤回を実現している。取得した資産を手放すか、技術の壁を越えて残すかで、藤田組の鉱山経営はこの判断に分かれ道を見た。",
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                      "fact": "取得10年後も黒鉱製錬の壁で赤字が続き融資元の毛利家から閉山指示が出た",
                      "原文": "小坂鉱山は取得から10年を経ても黒鉱の製錬技術の壁で赤字が続き、融資元の毛利家から正式な閉山の指示が出される事態に至った。",
                      "source": "藤田組史",
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                    {
                      "fact": "閉山処理で着任した久原房之助が事業継続を主張し井上馨の支持で閉鎖指示の撤回を実現した",
                      "原文": "閉山処理のため小坂へ着任した久原房之助 氏は事業継続の必要を強く説き、同郷の長州出身者である井上馨 氏の個人的な支持を取りつけて閉鎖指示の撤回を実現している。",
                      "source": "DOWA社史",
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                },
                {
                  "text": "久原房之助 氏は1897年6月に小坂の銚子第一発電所で水力発電を立ち上げ、1898年1月に黒鉱の乾式製錬の操業を始め、1902年6月にはついに黒鉱自溶製錬の操業に成功した。この技術によって黒鉱の量産の体制が整い、1906年には小坂鉱山が国内全鉱山中の生産額一位に達している。久原 氏は後に藤田組を離れて1905年に日立鉱山を取得し、久原財閥を興していくが、小坂で培われた製錬技術は藤田組に残り、後の同和鉱業の中核をなす資産として引き継がれた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "久原が1897年6月水力発電、1898年1月乾式製錬、1902年6月黒鉱自溶製錬に成功した",
                      "原文": "久原房之助 氏は1897年6月に小坂の銚子第一発電所で水力発電を立ち上げ、1898年1月に黒鉱の乾式製錬の操業を始め、1902年6月にはついに黒鉱自溶製錬の操業に成功した。",
                      "source": "DOWA社史",
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                    {
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                      "原文": "1906年には小坂鉱山が国内全鉱山中の生産額一位に達している。",
                      "source": "藤田組史",
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                    {
                      "fact": "久原は1905年に日立鉱山を取得し久原財閥を興したが小坂の製錬技術は藤田組に残り同和鉱業の中核資産となった",
                      "原文": "小坂で培われた製錬技術は藤田組に残り、後の同和鉱業の中核をなす資産として引き継がれた。",
                      "source": "DOWA社史",
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              "sub_title": "児島湾干拓から同和鉱業の上場へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "藤田伝三郎 氏は鉱山収益の蓄積を背景に、1899年5月に岡山県の児島湾干拓事業に着手し、鉱業以外の長期の固定資産にも資本を投じている。鉱山経営は資源価格と製錬技術に収益が左右されやすく、干拓地という土地資産の造成でその変動を分散する意図があった。1912年に伝三郎 氏が72歳で没した後は、息子3名が藤田組を継ぎ、児島湾干拓は後の同和鉱業を経て戦後まで続く長期の事業として残った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1899年5月に児島湾干拓事業へ着手し鉱業以外の固定資産に資本を投じた",
                      "原文": "藤田伝三郎 氏は鉱山収益の蓄積を背景に、1899年5月に岡山県の児島湾干拓事業に着手し、鉱業以外の長期の固定資産にも資本を投じている。",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書 第122期【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1912年に伝三郎が72歳で没し息子3名が藤田組を継承、児島湾干拓は戦後まで続く長期事業として残った",
                      "原文": "1912年に伝三郎 氏が72歳で没した後は、息子3名が藤田組を継ぎ、児島湾干拓は後の同和鉱業を経て戦後まで続く長期の事業として残った。",
                      "source": "藤田組史",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1937年の日中戦争の開始以降、軍需用の銅・亜鉛・鉛の安定供給が国策となり、藤田組の鉱業部門は重要産業の統制下に置かれた。1944年2月には本店を創業以来の大阪から東京へ移し、翌1945年12月に商号を同和鉱業株式会社へ改め、藤田家の同族財閥としての色合いを薄める再編を進めている。戦後の財閥解体を経て、同和鉱業は中堅の鉱山会社として独立を保ち、1949年7月に東京証券取引所へ株式を上場し、公開企業として再び歩み出した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1937年の日中戦争以降に軍需非鉄金属の供給が国策となり藤田組の鉱業部門が重要産業統制下に置かれた",
                      "原文": "1937年の日中戦争の開始以降、軍需用の銅・亜鉛・鉛の安定供給が国策となり、藤田組の鉱業部門は重要産業の統制下に置かれた。",
                      "source": "DOWA社史",
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                    },
                    {
                      "fact": "1944年2月に本店を大阪から東京へ移し1945年12月に同和鉱業へ改称して同族財閥色を薄める再編を進めた",
                      "原文": "1944年2月には本店を創業以来の大阪から東京へ移し、翌1945年12月に商号を同和鉱業株式会社へ改め、藤田家の同族財閥としての色合いを薄める再編を進めている。",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書 第122期【沿革】",
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                    {
                      "fact": "1949年7月に東京証券取引所へ株式を上場し公開企業として再出発した",
                      "原文": "1949年7月に東京証券取引所へ株式を上場し、公開企業として再び歩み出した。",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書 第122期【沿革】",
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              "sub_title": "官需の商人が鉱業の会社になるまで",
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                {
                  "text": "この創業が示すのは、既存の官営資産を払下げで引き受けた企業が、その資産に眠る技術の壁を越えられるかどうかで命運を分けた経緯である。藤田組は長州人脈と官需で蓄えた資本を元手に小坂鉱山を取得したものの、黒鉱の製錬という難題の前に一度は閉山の指示を受けている。手にした鉱山を手放さずに残せたのは、久原房之助 氏の技術と井上馨 氏の後ろ盾という、資本の外にある要素が働いた結果とみられる。"
                },
                {
                  "text": "もう一つ見えてくるのは、創業を1869年の藤田組商会ではなく1884年の小坂鉱山払下げに置く同社の自己認識である。軍靴・軍服の納入から出発した官需商人が、採算の定まらない鉱山を引き受け、製錬技術の確立を経て国内一の産銅地へ育てた歩みを、DOWAホールディングスは鉱山会社としての出発点と読み替えている。長州人脈・官営払下げ・黒鉱自溶製錬・戦時統制という時代の節目を通過した末に、藤田組の鉱業部門が独立した公開企業へと姿を変えていったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "DOWAホールディングス 有価証券報告書 第122期【沿革】",
        "藤田組史",
        "DOWA社史",
        "工場払下概則（1880）"
      ],
      "authored": "2026-07"
    },
    {
      "slug": "akita-zinc-smelter-1971",
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      "year": 1971,
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      "title": "臨海型亜鉛製錬所・秋田製錬の設立と、自山鉱から輸入鉱への原料の切り替え",
      "subtitle": "国内鉱山が頂点にあった時期に、同和鉱業はなぜ海辺へ製錬所を建てたか",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1971年2月、同和鉱業が輸入鉱を原料とする臨海型の亜鉛製錬所として秋田製錬を設立し、翌1972年11月に秋田市飯島へ秋田工場を置いた。内の岱・松峰という大鉱床の発見が続いて国内鉱山が産出の頂点にあった時期に、自山鉱の処理では追いつかない製錬能力の不足を、海に面した新設備で埋めた投資である。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1959年6月の内の岱、1963年6月の松峰と大鉱床の発見が続き、小坂は国内一の産銅量に達していた。一方で銅製錬に使う鉱石の海外依存は1967年に75%へ達し、原料の主役はすでに輸入鉱へ移りつつあった。社長の新井友蔵 氏は1965年11月の講演で、鉱石を見つけることに主力を置いてきた結果として製錬部門の整備が遅れていると自ら述べている。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1971年2月に秋田製錬を設立し、1972年11月に秋田工場を設置した。内陸の山中で社内鉱を処理してきた小坂の製錬所とは異なり、海に面した立地は輸入鉱を直接受け入れることを前提とした。同じ時期、非鉄各社は貿易自由化をにらんで臨海の大型製錬所を共同出資で相次いで建てており、同和鉱業も小名浜・八戸の両製錬所に出資している。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "国内鉱山は1980年代から順次閉鎖され、1994年の湯川鉱山の閉鎖で採掘がすべて終わったが、製錬所は残った。円高が進むなかでコスト競争力を鍛えられた秋田の飯島製錬は、2023年11月にDOWAメタルマインの完全子会社となり、年産22万トンの国内最大の亜鉛製錬所として稼働を続けている。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "name": "DOWAホールディングス",
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            "note": "当時の社名は同和鉱業。小坂・花岡・柵原を主力とする国内有数の鉱山会社で、内の岱・松峰の発見により産銅量は国内一に達していた"
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          "title": "小坂の旧鉱床から南約2キロで内の岱鉱床を発見"
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          "title": "三菱金属鉱業らとの共同出資による小名浜製錬所が操業を開始"
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          "title": "自溶炉法製錬を導入した小坂製錬所が完成"
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          "title": "秋田製錬を完全子会社化"
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      "snapshot": {
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        "source": "同和鉱業 会社年鑑（1976年版・単独業績）",
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                  "text": "同和鉱業の国内鉱山は、1960年代に入って立て続けに大鉱床を掘り当てていた。1959年6月、小坂の旧鉱床から南へ約2キロの地点で内の岱鉱床を発見し、1962年7月から選鉱を始めている。鉱量は約1,000万トン、銅品位2.5%、亜鉛4%、鉛1.5%に金銀を伴う優良鉱であった。1963年6月には花岡から1.5キロ離れた地点で鉱量約2,000万トンの松峰鉱床も見つかり、内の岱と合わせた銅量は65万トンに達している。",
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                      "fact": "1959年6月に内の岱鉱床（鉱量約1,000万トン・銅品位2.5%）を発見し1962年7月から選鉱を開始した",
                      "原文": "幸い昭和34年6月に小坂の旧鉱床から南約2kmのところに内の岱鉱床を発見することが出来たのです。この鉱量は現在までにわかつたところでは1,000万トン、銅品位は2.5%、亜鉛が4%、鉛が1.5%、そのほか金銀という非常に優良で鉱量の多いものを発見したわけです。これを開発し選鉱するようになつたのが37年7月で、再び小坂鉱山が世に出たということです。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1965年 第3巻第12号「非鉄業界と同和鉱業」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730541"
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                    {
                      "fact": "1963年6月に松峰鉱床（鉱量約2,000万トン）を発見し内の岱と合わせた銅量は65万トンに達した",
                      "原文": "38年6月内の俗発見から4年目に花岡から1.5km離れたところで松峯鉱床を発見しました。この鉱量は現在までにわかつたところで2,000万トン、品位は銅が2%、亜鉛が3%、鉛が1.5%、そのほか金銀ということです。内の岱、松峯をあわせて銅量にしますと計65万トンが発見できたわけです。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1965年 第3巻第12号「非鉄業界と同和鉱業」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730541"
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                },
                {
                  "text": "国内鉱山の産出は業界全体でも当時が頂点にあった。銅の国内鉱石からの生産量は1969年の12万1,000トンでピークを記録するが、それでも総生産量に占める比率は18.7%にすぎない。銅製錬に用いる鉱石の海外依存は1964年に6割を超え、1967年には75%へ達している。亜鉛でも同じ1967年に51%を海外鉱石に頼る状態となった。掘る量が最も多い時期と、原料の主役が輸入鉱へ移る時期とが重なっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "銅の国内鉱石からの生産量は1969年の12万1,000トンでピークを記録し総生産量の18.7%にすぎなかった",
                      "原文": "銅の生産量をみると、国内鉱石からのものが昭和四十四年に一二万一〇〇〇トンでピークを記録している。これでも総生産量の一八・七%に過ぎないが、鉱山数は減っていても鉱石の産出量は四十年代半ばにかけて増え続けていたことが分かる。",
                      "source": "日本産業史（日経文庫）第3巻 鉄鋼・金属「非鉄金属鉱業－高度成長に乗り頂点を極める」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823/1/20"
                    },
                    {
                      "fact": "銅製錬に使う鉱石の海外依存は1964年に6割超・1967年に75%へ達し、亜鉛も1967年に51%が海外鉱石となった",
                      "原文": "ところが銅では三十九年には海外鉱石の比率が六割を超え、四十二年には七五%に達した。鉛も四十二年には海外鉱石が五割を突破して五五%に上った。亜鉛も同年五一%を海外鉱石に依存する状態になった。",
                      "source": "日本産業史（日経文庫）第3巻 鉄鋼・金属「非鉄金属鉱業－高度成長に乗り頂点を極める」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823/1/20"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "製錬が足りないという社長の自己診断",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1965年11月、同和鉱業社長の新井友蔵 氏は証券アナリスト協会の部会で、自社の弱点を製錬に置いて説明している。鉱石を見つけることに主力を置いてきたため製錬部門の整備が遅れており、小坂の製錬所は山の中にあって社内鉱を製錬する建前で来たので、外国鉱石を入れて製錬し利益を上げる段取りに入っていない、という自己診断であった。松峰が完成すれば銅は年3万トン、亜鉛は年3万6,000トンが出る見込みであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "新井友蔵社長は製錬部門の整備が遅れており小坂の製錬所は社内鉱を製錬する建前で外国鉱石による製錬の段取りに入っていないと述べた",
                      "原文": "次に小坂の製錬所についてですが、当社はこれまで鉱石を見つけることに主力を置いてきましたので、製錬部門の整備が遅れています。特に当社の製錬所は小坂の山の中にあり、主として社内鉱を製錬する建前できましたので、戦後外国鉱石を入れて製錬して利益をあげるという段取りにはいつておりません。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1965年 第3巻第12号「非鉄業界と同和鉱業」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730541"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "出てくる金属を処理する炉が足りない、という見通しも同じ場で語られている。松峰が月4万トンを出すようになれば銅は年3万トンとなり、現在の設備では消化しきれないので小坂の銅製錬所を増強するか新しく作るかになる、亜鉛も年3万6,000トンとなり「現在の小坂の亜鉛製錬所では到底消化し切れません」と新井 氏は述べた。銅と合わせたこの処理の問題を、新井 氏は同和鉱業の今後の重要課題であると位置づけている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "新井友蔵社長は年3万6,000トンの亜鉛を現在の小坂の亜鉛製錬所では到底消化し切れないとし銅と合わせて今後の重要課題と述べた",
                      "原文": "しかし花岡の松峯が完成して4万トン出すようになりますと、銅量は月に2,500～2,600トン、年間にして3万トンになりますので、現在の設備では消化しきれず、遠からず小坂の銅製錬所は増強するか、新しく作るかということになろうと思います。現在検討調査の段階です。また亜鉛にしても、月3,000トン、年間にして3万6,000トンの亜鉛が出ることになりますので、現在の小坂の亜鉛製錬所では到底消化し切れません。この処理の問題も、銅の製錬と合せて当社の今後の重要課題となつています。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1965年 第3巻第12号「非鉄業界と同和鉱業」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730541"
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "海辺に建てた亜鉛製錬所",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1971年2月、同和鉱業は臨海型の亜鉛製錬所として秋田製錬を設立した。翌1972年11月には秋田市飯島に秋田工場を置き、操業の体制を整えている。内陸の山中にあって社内鉱を処理してきた小坂の製錬所とは対照的に、海に面した立地は船で運ばれる輸入鉱をそのまま受け入れることを前提としていた。原料の出どころを自分の山に限らず、収益の柱を鉱山から製錬能力へ移す設備投資であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1971年2月に臨海型亜鉛製錬所の秋田製錬を設立し1972年11月に秋田工場を設置した",
                      "原文": "1971年２月　臨海型亜鉛製錬所の秋田製錬㈱を設立／1972年11月　秋田工場（現・秋田ジンクソリューションズ㈱）を設置",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "秋田製錬の本社は秋田県秋田市飯島に置かれ年間22万トンの生産能力を持つ",
                      "原文": "年間22万トンの生産能力を持つ国内最大の亜鉛製錬所",
                      "source": "DOWAホールディングス「秋田製錬（株）の完全子会社化について」（2023年11月17日）",
                      "url": "https://hd.dowa.co.jp/ja/news/news20231117.html"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "臨海の大型製錬所を共同出資で建てる動きは、貿易自由化をにらんだ業界全体の流れでもあった。口火を切ったのは1965年に操業を始めた福島県いわき市の小名浜製錬所で、三菱金属鉱業が同和鉱業・古河鉱業・古河電工などに持ちかけた共同出資による建設であった。1969年には三井金属を軸に同和鉱業らが出資した青森県の八戸製錬所が動き出し、同和鉱業自身も1967年に自溶炉法を導入した小坂製錬所を完成させている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1965年に操業した小名浜製錬所は三菱金属鉱業が同和鉱業・古河鉱業・古河電工などに持ちかけた共同出資による初の大型臨海銅製錬所で、同和鉱業は1967年に自溶炉法の小坂製錬所を完成させた",
                      "原文": "口火を切ったのは、初の大型臨海銅製錬所として四十年に操業を始めた福島県いわき市の小名浜製錬所である。これは三菱金属鉱業(現三菱マテリアル)が同和鉱業、古河鉱業(現古河機械金属)、古河電工などに持ちかけて共同出資で建設した点でも注目される。次いで同和鉱業が四十二年に、現在主流になっている自溶炉法製錬を導入して秋田県に小坂製錬所を完成した。",
                      "source": "日本産業史（日経文庫）第3巻 鉄鋼・金属「非鉄金属鉱業－高度成長に乗り頂点を極める」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823/1/20"
                    },
                    {
                      "fact": "1969年には三井金属を軸に同和鉱業らが共同出資した青森県の八戸製錬所が操業を始めた",
                      "原文": "続いて三井金属を軸に同和鉱業、日本鉱業、日曹金属、三菱金属、東邦亜鉛が共同出資で建設した青森県の八戸製錬所が四十四年に操業を始めた。",
                      "source": "日本産業史（日経文庫）第3巻 鉄鋼・金属「非鉄金属鉱業－高度成長に乗り頂点を極める」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823/1/20"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "潮目が変わった年",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "設立の年は、掘る側にとって潮目が変わる年でもあった。ニクソンショックによる円高の進行と、それに追い打ちをかけた石油ショックの影響で、非鉄金属鉱山の探鉱坑道の総延長は1971年から落ち込みに転じ、1975年には10万4,000メートルまで減っている。1930年代後半から年30万メートル前後を掘り続けてきた探鉱が、ここで細り始めた。新しい鉱床を掘り当てて原料を賄う方式そのものが、採算の面から成り立ちにくくなっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "非鉄金属鉱山の探鉱坑道の総延長は1971年から落ち込みに転じ1975年には10万4,000メートルまで減少した",
                      "原文": "探鉱も活発に続けられ、非鉄金属鉱山の探鉱坑道の総延長は三十年代前半まで毎年だいたい三〇万メートルに達していた。がくっと減るのが、昭和四十六年からである。五十年には一〇万四〇〇〇メートルまで落ち込んでいる。四十六年のニクソンショックによる円高と、それに追い打ちをかけた石油ショックの影響である。",
                      "source": "日本産業史（日経文庫）第3巻 鉄鋼・金属「非鉄金属鉱業－高度成長に乗り頂点を極める」",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823/1/20"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "同じ1971年の夏、小坂鉱業所では別の延命策も動いていた。戦中の乱掘で銅品位が0.61%まで下がり1946年2月に採掘を全面中止した元山坑で、坑内水に溶けた銅を鉄屑と接触させて回収するバクテリヤリーチングが続けられ、銅品位0.3%の廃坑から月平均70トンの銅を絞り出していた。掘り続ける工夫と、買った鉱石を処理する設備の新設とが、この年に並行して進んでいた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "元山坑は戦中の乱掘で銅品位が0.61%まで下がり1946年2月に採掘を全面中止したが、坑内水からのバクテリヤリーチングで月平均70トンの銅を回収していた",
                      "原文": "大正時代まで銅品位は2.13%以上、日本初の大型露天掘りが、昭和14年まで続いたという豊かな鉱床だった。だが、戦中の乱掘で荒廃し、銅品位は0.61%まで下がったため、21年2月から採掘を全面中止したままだ。ところが、この“廃坑”が実際には今でも月平均70トンの銅を生み出し、中級銅山並みの業績を上げている。",
                      "source": "日経ビジネス 1971年8月9日号「バクテリヤに銅採鉱まかせる同和鉱業元山坑」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "掘る場所がなくなっても残ったもの",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "設立の直後に業績が伸びたわけではない。1971年3月期の単独売上高は765億円、経常利益34億円であったが、翌1972年3月期は売上高721億円・経常利益9億円へ落ち込んでいる。国内鉱山は1980年代から順次閉鎖され、1994年の湯川鉱山の閉鎖で採掘がすべて終わった。大館と小坂を結んだ同和鉱業小坂線も同じ年に旅客営業を終えている。それでも、製錬所は残った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1971年3月期の単独売上高765億円・経常利益34億円に対し1972年3月期は売上721億円・経常利益9億円へ落ち込んだ",
                      "原文": "1971年3月期は売上高765億円・経常利益34億円・当期純利益25億円、1972年3月期は売上高721億円・経常利益9億円・当期純利益14億円（いずれも単独）。",
                      "source": "同和鉱業 会社年鑑（1976年版・単独業績）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "国内鉱山は1980年代から順次閉鎖され1994年の湯川鉱山閉鎖で採掘がすべて終了したが製錬所は残った",
                      "原文": "もちろん、鉱山はすべて閉鎖された。８０年代から順次閉鎖され、９４年の湯川鉱山閉鎖ですべての採掘が終了。大館と小坂を結んだ同和鉱業小坂線も同じ年に旅客営業を終え、今や人口６９００人まで減少した。しかし、製錬所は残った。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年11月17日号「特集 異形の百年企業 3 本拠を移さず地域密着」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "輸入鉱を原料に据えた製錬所は、円高が進むなかでかえって鍛えられた。1998年6月、同和鉱業社長の原田謙三 氏は、一ドル80円という円高の時代が体質強化に役立ち、いまでは秋田の飯島製錬が世界屈指のコスト競争力を持つと述べている。秋田製錬は2023年11月に住友金属鉱山が保有していた14%の株式をDOWAメタルマインが譲り受けて完全子会社となり、年産22万トンの国内最大の亜鉛製錬所として稼働を続けている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "原田謙三社長は一ドル80円の円高時代が体質強化に役立ち秋田の飯島製錬が世界屈指のコスト競争力を持つと述べた",
                      "原文": "一ドル＝八〇円という（円高）時代が我々の体質強化に役立ったといえる。今では（秋田の）飯島製錬は世界屈指のコスト競争力を持つ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年6月27日号「［ザ・トーク］三菱商事・山本一良専務／同和鉱業・原田謙三社長」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2023年11月に住友金属鉱山保有の14%をDOWAメタルマインが譲り受け秋田製錬は完全子会社となった",
                      "原文": "DOWA メタルマイン（株）86%、住友金属鉱山（株）14％／年間22万トンの生産能力を持つ国内最大の亜鉛製錬所",
                      "source": "DOWAホールディングス「秋田製錬（株）の完全子会社化について」（2023年11月17日）",
                      "url": "https://hd.dowa.co.jp/ja/news/news20231117.html"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "頂点で語られた詰まり",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "新井友蔵 氏が1965年の講演で時間を割いたのは、内の岱と松峰という日本一の鉱床の話よりも、そこから出る銅と亜鉛を処理する炉が足りないという話であった。年3万6,000トンの亜鉛を「到底消化し切れません」と語った社長が、6年後に海辺へ新しい製錬所を建てている。掘る力が頂点にあるときに、その先の詰まりを重要課題として挙げていた点に、この設備投資の出発点があったとみられる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、1971年の時点で鉱山からの離脱が構想されていたとまでは読めない。同じ年、元山坑では品位0.3%の廃坑から月70トンの銅を絞り出す工夫が続き、掘り続ける努力と買った鉱石を処理する設備の新設とが並行していた。結果として残ったのは後者であった。原料の出どころを自分の山に限らないと決めた設備が、国内の採掘がすべて終わった後の会社を支える形になったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1965年 第3巻第12号「非鉄業界と同和鉱業」",
        "日本産業史（日経文庫）第3巻 鉄鋼・金属「非鉄金属鉱業－高度成長に乗り頂点を極める」",
        "日経ビジネス 1971年8月9日号「バクテリヤに銅採鉱まかせる同和鉱業元山坑」",
        "週刊東洋経済 1998年6月27日号「［ザ・トーク］三菱商事・山本一良専務／同和鉱業・原田謙三社長」",
        "週刊東洋経済 2010年11月17日号「特集 異形の百年企業 3 本拠を移さず地域密着」",
        "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
        "DOWAホールディングス「秋田製錬（株）の完全子会社化について」（2023年11月17日）",
        "同和鉱業 会社年鑑（1976年版・単独業績）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
    },
    {
      "slug": "structural-reform-1999",
      "url": "/tse/5714/decisions/structural-reform-1999/",
      "year": 1999,
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      "title": "1999年の緊急対策に始まる事業構造改革と、ROAを物差しにした資産・人員の圧縮",
      "subtitle": "好況を待って直すか、業績が落ちた今すぐ手をつけるか——吉川廣和 氏が「しめた」と受け取った経営悪化",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
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      "issue": "バブル期に膨らんだ資産・人員の圧縮と収益構造の立て直し",
      "decider": {
        "name": "吉川廣和 氏",
        "role": "同和鉱業 専務（1999年）・社長兼CEO（2002年〜）",
        "ceo": "fy05-yoshikawa-hirokazu"
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1999年11月、同和鉱業が当時の従業員の1割以上に相当する希望退職の募集と賃金カットを含む緊急対策を発動し、翌2000年度から3年間でROAを2%から5%へ引き上げる中期計画に着手した。指揮したのは同年6月に専務へ昇進したばかりの吉川廣和 氏で、2002年に社長へ就いた後も資産圧縮を続けた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1985年のプラザ合意後の円高で非鉄各社は打撃を受け、為替の影響を直接受ける製錬の比率を下げるためバブル期に多角化を競った。同和鉱業も複雑硫化鉱の製錬技術を応用してリサイクル事業を広げ、金属加工や電子材料へ参入したが、資産・人員・有利子負債が膨らんだ割に収益力は高まらなかった。1998年から99年にかけて銅地金の国際相場が急落し、1999年9月中間期には主力の製錬事業が6年ぶりの経常赤字に陥った。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1999年11月の緊急対策では希望退職の募集と賃金カットを柱に経費を削り、バブル期に大量採用した30代を中心に希望退職を募った。2000年度からの3年間でROAを2%から5%へ高める中期計画を掲げ、聖域なき資産圧縮として在庫削減、子会社のMBO、遊休不動産と持ち合い株の処分、賃貸ビルの証券化による売却を進めた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "2003年3月期の総資産は2,487億円と3年前の3,250億円から763億円減り、有利子負債も766億円圧縮された。ROAは4.5%と目標の5%には届かなかったが、同期の連結経常利益は120億円と前の期比52%増となった。2003年4月からは経常利益220億円・ROA9%を掲げた新たな中期計画に移っている。"
        }
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      "parties": [
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            "note": "当時の社名は同和鉱業。製錬・金属加工・電子材料・環境リサイクルを抱える非鉄中堅で、1999年9月中間期に製錬事業が6年ぶりの経常赤字となっていた"
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        }
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      "dates": {
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        "summary": "銅地金相場の急落で製錬事業が経常赤字に陥ったことを機に、バブル期に膨らんだ資産と人員をROAという物差しで圧縮した構造改革"
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      "timeline": [
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          "year": 1985,
          "title": "プラザ合意後の急激な円高で非鉄各社が打撃を受ける"
        },
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          "title": "鉱山事業の終焉を受けて事業の多角化を推進"
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        {
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          "title": "吉川廣和 氏が電子材料部門のトップに就任"
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          "title": "原田謙三 社長が4期連続の増収増益と中期計画の重点分野を語る"
        },
        {
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          "title": "吉川廣和 氏が専務に昇進"
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          "title": "中間期に主力の製錬事業が6年ぶりの経常赤字へ"
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          "title": "希望退職の募集と賃金カットを柱とする緊急対策を発動",
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          "title": "株価がバブル後最安値の160円をつける"
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          "title": "ROAを2%から5%へ引き上げる3か年の中期計画を開始"
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          "title": "経常利益220億円・ROA9%を掲げた新中期計画を開始"
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        "fiscal_year": "2000年3月期",
        "source": "同和鉱業 会社年鑑（連結業績）",
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            "name": "同和鉱業",
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              "sub_title": "円高と多角化のツケ",
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                {
                  "text": "1985年のプラザ合意後の急激な円高で、非鉄各社は大きな打撃を受けた。為替の影響を直接受ける製錬の比率を下げるため、各社はバブル期に競って多角化へ走っている。同和鉱業は銅・亜鉛・金など多数の金属を含む複雑硫化鉱を分離して製錬する技術を持ち、これを応用して産業廃棄物から有用金属を回収するリサイクル事業を広げ、金属加工や電子材料といった川下へも進出した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "プラザ合意後の円高で非鉄各社は打撃を受け、製錬の比率を下げるためバブル期に多角化を競い、同和鉱業は複雑硫化鉱の製錬技術を応用してリサイクルと川下事業を拡大した",
                      "原文": "85年のプラザ合意後の急激な円高で、非鉄各社は大打撃を被った。為替の影響を直接受ける製錬の比率を下げるため、バブル期に競うように多角化に走った。同和鉱は銅、亜鉛、金など多数の金属を含む複雑硫化鉱と呼ぶ鉱石から、それぞれの金属を分離して製錬する得意技術を持つ。これを応用し、産業廃棄物から有用金属を回収するリサイクル事業を拡大。金属加工や電子材料など川下分野にも展開した。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                    {
                      "fact": "資産・人員・有利子負債が膨らんだ割に収益力は高まらなかった",
                      "原文": "しかし全体で見れば、資産、ヒト、有利子負債などが膨らんだ割に、収益力は高まらなかった。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                {
                  "text": "会社の内側にたまったものは、資産だけではなかった。労務畑を歩いた韮谷定敏 氏は会長在任中の1994年、最盛期に1万人だった従業員が3,000人に減っていく過程をつぶさに見てきたと語り、1973年の合理化がもっともつらい思い出であったと述べている。同社には100年を超える歴史があるから古い澱もたまっている、鉱山がなくなり川下の事業にシフトしている、旧弊打破には若い人の力が必要である、というのが当時の自己認識であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "韮谷定敏会長は最盛期1万人の従業員が3,000人へ減る過程を見てきたと語り、100年を超える歴史があるから古い澱もたまっていると述べた",
                      "原文": "私は入社以来、一貫して労務畑を歩いてきました。過去4回実施した合理化にすべてかかわっています。最盛期1万人の従業員が3000人に減っていく過程をつぶさに見てきました。／当社は100年を超える歴史がありますから、古い澱（おり）もたまっています。鉱山がなくなり、川下の事業にシフトしています。旧弊打破には、若い人の力が必要です。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年3月14日号「有訓無訓 韮谷定敏［同和鉱業会長］保守と革新のバランスが重要」",
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              "sub_title": "4期連続増収増益の直後に来た赤字",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "改革の前夜まで、数字の上では悪くない話が並んでいた。1998年6月、社長の原田謙三 氏は、前の1998年3月期で4期連続の増収増益となったこと、一ドル80円という円高の時代が体質強化に役立ったこと、黒鉱処理技術が産業廃棄物のリサイクル事業に応用できること、メタル粉が世界で70〜80%のシェアを持つことを挙げ、中期計画の2年度目として情報・通信、環境、自動車を重点に取り組むと述べている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "原田謙三社長は1998年3月期で4期連続の増収増益となり、中期計画2年度目として情報・通信、環境、自動車を重点に取り組むと述べた",
                      "原文": "前９８年３月期で四期連続の増収増益となった。ＬＭＥ相場が後半下落したが、一方で円安が進行、伸銅品、メタル粉等の伸びが堅調だったことが主因。／今期は中期計画の二年度目に当たるが、情報・通信、環境、自動車（関連）を重点として取り組む。環境面でいえば、我々の黒鉱処理技術が産業廃棄物のリサイクル事業に応用できる。また、メタル粉は世界で七〇～八〇％のシェアを持つ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年6月27日号「［ザ・トーク］三菱商事・山本一良専務／同和鉱業・原田謙三社長」",
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                {
                  "text": "その足元が1年で崩れる。1998年から99年にかけて銅地金の国際相場が急落し、1999年9月中間期には主力の製錬事業が6年ぶりの経常赤字に陥った。同年6月に専務へ昇進して本社に戻った吉川廣和 氏は、会社の実態を調べて強い危機感を抱いている。製錬の収益力回復に期待できないなかで資産も人も多すぎる、バブル期のツケを先送りしてきたからである、というのがその見立てであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年から99年にかけて銅地金の国際相場が急落し1999年9月中間期に主力の製錬事業が6年ぶりの経常赤字に陥った",
                      "原文": "話は約5年前にさかのぼる。1998年から99年にかけて銅地金の国際相場が急落。99年9月中間期に主力の製錬事業が6年ぶりの経常赤字に陥った。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                      "fact": "1999年6月に専務へ昇進した吉川廣和氏は実態調査のうえ「製錬の収益力回復に期待できない中で、資産もヒトも多すぎる」と危機感を抱いた",
                      "原文": "本社に戻った吉川氏は、会社の実態を調査して強い危機感を抱いた。「製錬の収益力回復に期待できない中で、資産もヒトも多すぎる。バブル期のツケを先送りしてきたからだ。業績が悪化している今踏み切らなければ、改革の機会を逸してしまう」",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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                  "text": "1999年11月、同和鉱業は緊急対策を発動した。柱は、当時の従業員の1割以上に相当する希望退職の募集と、賃金カットを含む大幅な経費削減である。発表の直後、1999年12月には株価がバブル後最安値の160円をつけた。指揮したのは同年6月に専務へ昇進したばかりの吉川廣和 氏で、電子材料部門のトップを4年間務めて本社へ戻った直後の着手であった。",
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                      "原文": "同年11月、同和鉱は当時の従業員の1割以上に相当する希望退職募集や、賃金カットを含む大幅な経費削減を柱にした緊急対策を発動した。このリストラを指揮したのが吉川廣和社長だ。当時は電子材料部門のトップを4年間務めた後、99年6月に専務に昇進したばかりだった。／緊急対策発表直後の99年12月には、株価はバブル後最安値の160円をつけた。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                {
                  "text": "吉川 氏は後年、この時期をむしろ好機として受け取ったと明かしている。専務就任の直後に経営が悪化したことを「しめた」と思った、長い歴史のなかでたまった矛盾を一気に吐き出す改革は好況の時期にはできない、というのがその理由であった。希望退職はバブル期に大量採用して人数が突出していた30代を中心に募っている。年配の社員より若い彼らのほうが新天地で活躍できる余地が大きいという判断で、先輩からは「そんなに急ぐな」とやんわり言われたという。",
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                      "fact": "吉川廣和氏は専務就任直後の経営悪化を「しめた」と受け取り、バブル期に大量採用した30代を中心に希望退職を募った",
                      "原文": "だからこそ、99年に専務に就任した直後の経営悪化は、ある意味で「しめた」と思った。長い歴史の中でたまった矛盾を一気に吐き出す改革は、好況の時期にはできっこない。／例えば、バブル期に大量採用した30代の社員数が突出し、一人ひとりに十分な仕事を与えられない状況が生まれていた。このため、優秀な人が能力を出し切れず鬱屈していた。経営悪化時の緊急対策では、あえて30代を中心に希望退職を募った。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                    {
                      "fact": "過去に前例のない急激なリストラに先輩から「そんなに急ぐな」と言われたが、吉川氏はスピードの遅い会社は淘汰されると考えた",
                      "原文": "過去に前例のない急激なリストラに、先輩たちから「そんなに急ぐな」とやんわり言われたこともある。しかし経営者の最大の使命は、「会社が生きていく」ための戦略を考えて実行することだ。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                {
                  "text": "人員削減と同時に掲げたのが、聖域なき資産圧縮であった。2000年度からの3年間でROAを当時の2%から5%へ引き上げる中期計画がそれにあたる。製錬の収入は、鉱石を溶かして地金に仕上げる加工賃の形をとり、ロンドン金属取引所の取引価格に一定の料率をかけた外貨建てで決まる。円建ての利益が地金相場と為替に振り回される以上、計画どおりにROAを高めるには総資産の圧縮が欠かせなかった。",
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                    {
                      "fact": "2000年度からの3年間でROAを2%から5%へ引き上げる中期計画を掲げ、聖域なき資産圧縮を宣言した",
                      "原文": "吉川社長は緊急対策による人員削減と同時に、「聖域なき」大胆な資産圧縮を宣言した。2000年度からの3年間で、ROAを当時の2％から5％に引き上げる中期計画がそれだ。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "製錬の収入はLME価格に料率をかけた外貨建ての加工賃で、円建て利益が相場と為替に左右されるため総資産圧縮が不可欠であった",
                      "原文": "主力の製錬の収入は、鉱石を溶かして金属の地金に仕上げる加工賃の形態を取る。ロンドン金属取引所（LME）の取引価格を基準に、一定の料率をかけた外貨建てだ。当然、円建ての利益は地金相場と為替の変動に左右されやすい。計画通りにROAを高めるには、総資産圧縮が不可欠になる。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                },
                {
                  "text": "効率という物差しは、外から持ち込まれたものであった。吉川 氏は1995年に電子材料部門のトップへ就いたとき、顧客である電子部品メーカーや自動車部品メーカーがサプライチェーン・マネジメントを徹底し、毎日決まった時間の多頻度少量納品を当然のように求めてくることにカルチャーショックを受けたと語っている。2か月分の在庫を抱えたところでモデルチェンジを告げられ、残った在庫を特別損失で処分した経験も明かしている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "吉川氏は1995年に電子材料部門のトップとなり顧客のSCM徹底にカルチャーショックを受け、在庫を特別損失で処分した経験から効率経営の大切さを痛感した",
                      "原文": "目が覚めたのは1995年、電子材料部門のトップに就任した時だ。顧客である電子部品メーカーや自動車部品メーカーはサプライチェーン・マネジメント（SCM）を徹底し、多頻度少量の納品を求めてくる。「製品を毎日何回、決められた時間に持ってきてくれ」と当然のように言われ、カルチャーショックを受けた。／こんな失敗もした。注文の急増にも対応できるよう2カ月分の在庫を持って製品を販売していたところ、ある日突然、「モデルチェンジしたからもういらない」と言われた。残った在庫は特別損失を出して処分するしかない。効率経営の大切さを痛感した。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "3年で削ったもの",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "中期計画の最終年度である2003年3月期の総資産は2,487億円と、2000年3月期の3,250億円から763億円減った。減少分のうち2割にあたる166億円は棚卸資産の削減による。有利子負債は1,322億円と3年前より766億円圧縮され、原料調達の決済などに備える現預金も199億円から56億円へ143億円絞られた。子会社経営陣によるMBO、遊休不動産と持ち合い株の処分、不動産証券化による賃貸ビルの売却も続いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年3月期の総資産は2,487億円と2000年3月期の3,250億円から763億円減り、うち166億円が棚卸資産の削減であった",
                      "原文": "その結果、中期計画の最終年度である2003年3月期の総資産は2487億円と、2000年3月期の3250億円から763億円も減少。そのうち棚卸し資産の削減（166億円）が2割を占め、在庫圧縮が大きく貢献したことを示している。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                    {
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                      "原文": "前期末の有利子負債を見ると1322億円と、３年前に比べ766億円削減した。／本社の財務部門では、原料調達の決済などに備える現預金を、2000年3月期の199億円から2003年3月期は56億円へと143億円も圧縮した。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                },
                {
                  "text": "収益の側も動いた。2003年3月期の連結売上高は2,210億円と微減収でありながら、経常利益は120億円と前の期より52%増えている。ROAは4.5%と1.7ポイント改善したものの、掲げた5%には届かなかった。連結売上高が4分の1にすぎない同和鉱業のROAが、非鉄最大手の三菱マテリアルの0.69%を大きく上回った点に、規模ではなく効率で稼ぐ体質への傾きが表れていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年3月期は連結売上高2,210億円・経常利益120億円で前の期比52%増、ROAは4.5%と1.7ポイント改善したが目標の5%には届かなかった",
                      "原文": "同和鉱業の2003年3月期は連結売上高2210億円、経常利益120億円。前の期より微減収ながら、利益は52％増えた。／ROAも4.5％と、1.7ポイント改善した。／ROAは4.5％と目標の5％には届かなかったものの、着実に改善した。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                    {
                      "fact": "連結売上高が4分の1の同和鉱業のROAは非鉄最大手の三菱マテリアルの0.69%を大きく上回った",
                      "原文": "非鉄最大手の三菱マテリアルと比べると、連結売上高（三菱マテリアルの2003年3月期は9647億円）は4分の1ながら、ROA（同0.69％）では大きく水をあける。規模は小さくても、少ない投資で利益を効率よく稼ぐ体質に変わりつつある。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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              "sub_title": "過去のしがらみを損で断つ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "残った課題は、改革の出発点となった製錬部門であった。2003年3月期の製錬部門の売上高は1,074億円と連結の約半分を占めながら、部門経常利益は3億円、部門ROAは0.36%にとどまる。棚卸資産の回転日数も連結の67日に対し製錬は103日と長い。同社は2003年4月から、経常利益220億円・ROA9%を目標に掲げた新たな中期計画へ移り、製錬部門のROAを5%へ引き上げることを最大の焦点に据えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年3月期の製錬部門は売上高1,074億円に対し部門経常利益3億円・ROA0.36%で、棚卸資産回転日数は連結67日に対し103日であった",
                      "原文": "2003年3月期の部門売上高は1074億円と、今も連結売上高の約半分を占めるのに、部門経常利益はわずか3億円にとどまる。前期のROAは0.36％。これを5％に引き上げる。／前期の棚卸し資産回転日数は、連結ベースの67日に対し、製錬部門は103日。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                    },
                    {
                      "fact": "2003年4月から経常利益220億円・ROA9%を目標とする新中期計画を開始した",
                      "原文": "今年4月、吉川社長は3年後の2006年3月期に向けた新たな中期計画をスタートさせた。リサイクル事業など成長分野への積極投資などで経常利益を220億円に増やし、前期4.5％だったROAを9％に高めるのが目標だ。",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
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                },
                {
                  "text": "2003年3月期には、地金相場の高い時期に買って抱え込んでいた製錬部門の原料在庫の評価損101億円を一気に償却している。相場に振り回されてきた製錬部門には、在庫を抱えても市況回復を待って売ればよいという発想が残っており、評価損を出してでも過去のしがらみを断ち切る、というのが吉川 氏の説明であった。改革を評した週刊東洋経済の書評は、著者が挑んだ壁を組織の壁・上下の壁・社風と風土の壁の三つに整理している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年3月期に製錬部門の原料在庫の評価損101億円を一気に償却し、評価損を出してでも過去のしがらみを断ち切ると説明した",
                      "原文": "2003年3月期には、地金相場の高い時期に購入したまま抱え込んでいた製錬部門の原料在庫の評価損101億円を一気に償却した。／「相場に振り回されてきた製錬部門は、在庫を抱えても『市況回復を待って売ればいい』という発想が抜け切っていない。評価損を出してでも過去のしがらみを断ち切り、資産圧縮を徹底する」",
                      "source": "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "吉川廣和氏の著書『壁を壊す』は改革を阻む壁を組織の壁・上下の壁・社風と風土の壁の三つに整理している",
                      "原文": "著者は改革を阻む三つの壁に果敢に挑戦する。組織の壁、上下の壁、社風・風土の壁、である。旧来の社風・風土を破壊することに成功した著者は新しい会社づくりに挑戦する。本社スペースを６０％に減らし、役員室・秘書室を解体し、風通しのよい会社をつくる。",
                      "source": "週刊東洋経済 2008年2月23日号「ブックレビュー（吉川廣和『壁を壊す』短評）」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "悪い数字が出るのを待った改革",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "「しめた」という一語に、この改革の性格が集約されている。長い歴史のなかでたまった矛盾を一気に吐き出す改革は好況の時期にはできない、と吉川廣和 氏は語った。裏を返せば、1998年3月期まで4期続いた増収増益のあいだ、資産も人員も手つかずで残されていた。銅地金相場の急落と製錬事業の経常赤字という悪い数字が出て初めて、1割以上の希望退職と総資産763億円の圧縮に手がついた形になったとみられる。"
                },
                {
                  "text": "ただし、3年で掲げたROA5%には届かず、着地は4.5%であった。改革の中核と位置づけた製錬部門は最終年度でも部門ROA0.36%にとどまり、原料在庫の評価損101億円を計上してようやくしがらみを断つ段階にあった。数字が改善した部分の多くは、在庫や現預金、遊休資産といった圧縮しやすい項目から出ている。稼ぐ力そのものの立て直しは、この3年で終わらず次の中期計画へ持ち越されたといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 2003年7月28日号「同和鉱業（非鉄製錬）ROA9%へ手綱緩めず」",
        "日経ビジネス 1994年3月14日号「有訓無訓 韮谷定敏［同和鉱業会長］保守と革新のバランスが重要」",
        "週刊東洋経済 1998年6月27日号「［ザ・トーク］三菱商事・山本一良専務／同和鉱業・原田謙三社長」",
        "週刊東洋経済 2008年2月23日号「ブックレビュー（吉川廣和『壁を壊す』短評）」",
        "同和鉱業 会社年鑑（連結業績）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
    },
    {
      "slug": "holding-company-urban-mine-2006",
      "url": "/tse/5714/decisions/holding-company-urban-mine-2006/",
      "year": 2006,
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      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "5714",
      "decision_id": "5714-holding-company-urban-mine-2006",
      "type": "reorganization",
      "tags": [
        "cp-holdings",
        "bm-core-shift",
        "pf-focus"
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      "title": "持株会社制への移行と5事業会社への会社分割、原料の鉱石からリサイクルへの切り替え",
      "subtitle": "掘る場所を失った鉱山会社は、事業の単位を何で切り直したか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "会社分割により5つのコア事業部門を各事業会社へ承継し、同和鉱業を持株会社DOWAホールディングスへ移行",
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      "issue": "事業ポートフォリオの再編と原料の転換",
      "decider": {
        "name": "吉川廣和 氏",
        "role": "同和鉱業・DOWAホールディングス 社長兼CEO",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "2006年6月28日の第103回定時株主総会の決議により、同年10月1日をもって商号を同和鉱業からDOWAホールディングスへ変更し、5つのコア事業部門を会社分割で各事業会社へ承継する持株会社制へ移行した。同年3月には本社を秋葉原へ移している。事業の単位を鉱山や工場ではなく、環境・リサイクル、製錬、電子材料、金属加工、熱処理という機能で切り直した再編である。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "国内鉱山は1980年代から順次閉鎖され、1994年の湯川鉱山の閉鎖で採掘がすべて終わった。内陸の小坂に残った製錬所は、輸送コストがかさむぶん金や銀を多く含む複雑硫化鉱を扱って付加価値を高める道しかなかった。一方で1977年の岡山砿油、1987年の同和クリーンテックス、1999年のエコリサイクルと、廃棄物処理とリサイクルの布石は20年以上前から打たれていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "持株会社の下に環境・リサイクル、製錬、電子材料、金属加工、熱処理の5事業会社を置き、部門ごとに損益の責任を負わせる体制へ改めた。2007年8月には小坂製錬でリサイクル対応炉が操業を始め、2008年3月には秋田ジンクリサイクリングを設立して亜鉛リサイクルへ本格参入している。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "廃基板や銅条材を原料とする「都市鉱山」は、120億円をかけたリサイクル専用炉が2008年4月に本格稼働したことで形になり、2010年には金の7割、銅の8〜9割をリサイクル原料から生み出すまでになった。掘らない非鉄金属会社という現在の自己定義は、この時期に固まっている。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "5714",
          "name": "DOWAホールディングス",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "2006年10月まで同和鉱業。国内採掘は1994年に終わり、製錬・環境リサイクル・電子材料・金属加工・熱処理の5分野に事業が広がっていた"
          }
        }
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      "dates": {
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        "summary": "国内採掘の終焉後に残った製錬技術と鉱山技術を、機能別の事業会社へ組み替え、原料を鉱石から廃棄物へ移した組織再編"
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      "timeline": [
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          "title": "岡山砿油を設立し環境・リサイクル事業を開始"
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        {
          "year": 1987,
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          "title": "同和クリーンテックスを設立"
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        {
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          "title": "湯川鉱山の閉鎖で国内の採掘がすべて終了"
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          "title": "花岡鉱業で国内第1号の汚染土壌浄化施設の認定を取得"
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          "title": "本社を東京都千代田区外神田（秋葉原）へ移転"
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          "title": "持株会社制へ移行し商号をDOWAホールディングスへ変更、5事業を会社分割で承継",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 2007,
          "month": 8,
          "title": "小坂製錬でリサイクル対応炉の操業を開始"
        },
        {
          "year": 2008,
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          "title": "秋田ジンクリサイクリングを設立し亜鉛リサイクルへ本格参入"
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        {
          "year": 2009,
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          "title": "Modern Asia Environmental Holdings を子会社化し東南アジアへ展開"
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        {
          "year": 2010,
          "month": 4,
          "title": "天津に家電リサイクルの合弁会社を設立"
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              "sub_title": "掘る場所がなくなった後に残ったもの",
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                  "text": "小坂は別子・足尾とともに国内三大銅山として栄えた町で、大正末期には人口が3万人を超え秋田県内2位を誇っていた。その鉱山は1980年代から順次閉鎖され、1994年の湯川鉱山の閉鎖ですべての採掘が終わっている。大館と小坂を結んだ同和鉱業小坂線も同じ年に旅客営業を終え、町の人口は6,900人まで減った。掘る場所を失った町に、製錬所だけが残った。",
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                    {
                      "fact": "小坂の鉱山は1980年代から順次閉鎖され1994年の湯川鉱山閉鎖で採掘がすべて終了し、小坂線も同年に旅客営業を終えたが製錬所は残った",
                      "原文": "もちろん、鉱山はすべて閉鎖された。８０年代から順次閉鎖され、９４年の湯川鉱山閉鎖ですべての採掘が終了。大館と小坂を結んだ同和鉱業小坂線も同じ年に旅客営業を終え、今や人口６９００人まで減少した。しかし、製錬所は残った。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年11月17日号「特集 異形の百年企業 3 本拠を移さず地域密着」",
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                {
                  "text": "残った製錬所には、立地の不利がついて回った。海外から鉱石を買うようになると他社の製錬所はいずれも臨海立地へ移ったが、小坂は内陸にあって輸送コストがかさむ。手間をかけて金や銀を取り出す複雑硫化鉱を扱い、付加価値を高める選択肢しかなかった。品位は低いが金銀を豊富に含む黒鉱を製錬して貴金属を取り出す技術が、この地で鍛えられていった。1994年まで国内鉱山を維持したことが技術と設備の散逸を防いだ、と後年の担当者は語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "内陸の小坂製錬は輸送コストがかさむため金銀を取り出す複雑硫化鉱を扱い付加価値を高める選択肢しかなかった",
                      "原文": "競合他社の製錬所は臨海地域に立地し効率よく銅を製錬できる。それに対し、内陸の小坂製錬は輸送コストがかさむため、手間をかけて金や銀を取り出す複雑鉱を扱い、付加価値を高める選択肢しかなかったのだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
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                    {
                      "fact": "1994年まで国内鉱山を維持したことで技術と設備の散逸を防ぎ、それが環境事業の基盤になったと住田敏郎氏は述べた",
                      "原文": "「１９９４年まで国内鉱山を維持したことで、技術と設備の散逸を防ぐことができた。これが環境事業の基盤となっている」（住田氏）。同和鉱業の主力鉱山だった小坂鉱山（秋田県）は金、銀、銅、亜鉛、鉛を含む黒鉱だった。一つの鉱石から複数の非鉄金属を取り出す。この技術の蓄積が土壌汚染除去で生きてくる。",
                      "source": "週刊東洋経済 2005年7月30日号「ニッポンの技術再発見 第66回 同和鉱業：高純度の鉄粉で土壌汚染を現場除去」",
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            {
              "sub_title": "20年以上前から打たれていた布石",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "廃棄物を扱う事業は、鉱山が閉じるより前から始まっていた。1977年10月に岡山砿油を設立して環境・リサイクル事業へ入り、1987年2月に同和クリーンテックス、1999年7月にエコリサイクルを設立して家電リサイクルへ広げている。2003年7月には花岡鉱業が国内第1号の汚染土壌浄化施設の認定を取得し、2004年12月には小坂製錬に管理型最終処分場を竣工させた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1977年10月の岡山砿油設立で環境・リサイクル事業を開始し、1987年2月に同和クリーンテックス、1999年7月にエコリサイクルを設立した",
                      "原文": "1977年10月　岡山砿油㈱を設立し、環境・リサイクル事業を開始／1987年２月　同和クリーンテックス㈱（現・エコシステム秋田㈱）を設立／1999年７月　㈱エコリサイクルを設立し、家電リサイクル事業を開始",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "2003年7月に花岡鉱業で国内第1号の汚染土壌浄化施設の認定を取得した",
                      "原文": "2003年７月　花岡鉱業㈱（現・エコシステム花岡㈱）において国内第１号の汚染土壌浄化施設の認定を取得",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "積み上がった事業は、持株会社化の直前にはすでに数字の柱になっていた。2004年度の環境・リサイクル部門は売上高464億円、経常利益49億円を計上し、うち土壌汚染除去だけで約110億円を占めた。1,400社が乱立する土壌浄化の業界にあって、スーパーゼネコン4社と並ぶ最大手であった。土壌にある有害物質を探して除去する技術は、土壌から非鉄金属を発見して取り出す技術と共通である、というのが現場の説明であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2004年度の環境・リサイクル部門は売上高464億円・経常利益49億円で、土壌汚染除去は約110億円を占め業界最大手の規模であった",
                      "原文": "同和鉱業の２００４年度の連結決算で環境・リサイクル部門の売り上げは４６４億円、経常利益は４９億円を計上する収益部門である。／土壌汚染除去の売り上げは０４年度で約１１０億円。土壌汚染対策規制の強化で、市場は拡大中。１４００社が乱立する業界にあって、スーパーゼネコン４社と並ぶ業界最大手の規模を誇る。",
                      "source": "週刊東洋経済 2005年7月30日号「ニッポンの技術再発見 第66回 同和鉱業：高純度の鉄粉で土壌汚染を現場除去」",
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                    {
                      "fact": "土壌の有害物質を探して除去する技術は土壌から非鉄金属を取り出す技術と共通であると住田敏郎氏は述べた",
                      "原文": "「土壌にある有害物質を探し、除去する技術は、土壌から非鉄金属を発見して、取り出す技術と共通である」と住田敏郎ジオテック事業部長は話す。",
                      "source": "週刊東洋経済 2005年7月30日号「ニッポンの技術再発見 第66回 同和鉱業：高純度の鉄粉で土壌汚染を現場除去」",
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              "sub_title": "鉱山名ではなく機能で切り直す",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2006年6月28日に開かれた第103回定時株主総会の決議により、同年10月1日をもって商号が同和鉱業からDOWAホールディングスへ変わった。同時に持株会社制を導入し、5つのコア事業部門を会社分割によって各事業会社へ承継させている。半年前の2006年3月には、本社を東京都千代田区外神田の秋葉原へ移していた。創業以来の社名から鉱業の二文字が消えたのは、この移行のときであった。",
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                    {
                      "fact": "2006年6月28日の第103回定時株主総会の決議により2006年10月1日をもって商号を同和鉱業からDOWAホールディングスへ変更した",
                      "原文": "(注) 平成18年６月28日開催の第103回定時株主総会の決議により、平成18年10月１日をもって当社商号を「同和鉱業株式会社」から「ＤＯＷＡホールディングス株式会社」へ変更しました。",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書（2006年度）【表紙】",
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                    {
                      "fact": "2006年10月に持株会社制を導入し5つのコア事業部門を会社分割により各事業会社へ承継、同年3月に本社を秋葉原へ移転した",
                      "原文": "2006年３月　本社を東京都千代田区外神田（秋葉原）に移転／2006年10月　持株会社制を導入し商号を「同和鉱業株式会社」から「DOWAホールディングス株式会社」へ変更。５つのコア事業部門は会社分割により各事業会社へ承継",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
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                {
                  "text": "5つのコア事業とは、環境・リサイクル、製錬、電子材料、金属加工、熱処理を指す。鉱山や工場という場所ではなく、何ができるかという機能で事業の単位を引き直した形になる。この5領域への集中は、2000年から続いた収益構造改革・資産構造改革・有利子負債削減の延長線上に置かれていた。多角化で広がった事業群を、持株会社の下で損益の責任ごとに分けたことになる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2000年からの収益構造改革・資産構造改革・有利子負債削減を通じて5つのコア事業領域へ経営資源を集中した",
                      "原文": "鉱山事業の終焉を受け、1990年からは事業の多角化を推進しました。／2000年からは収益構造改革・資産構造改革・有利子負債削減に取り組み、5つのコア事業領域に経営資源を集中しました。",
                      "source": "DOWAホールディングス 沿革（公式サイト）",
                      "url": "https://hd.dowa.co.jp/ja/company/history.html"
                    },
                    {
                      "fact": "持株会社への移行にあわせてタイでの金属加工事業を開始し、2007年11月にはヤマハメタニクスを子会社化した",
                      "原文": "2006年10月　DOWA METALTECH (THAILAND) CO. LTD.を設立しタイで金属加工事業を開始／2007年11月　欧州事務所としてDOWA HD Europe GmbHを設立。ヤマハメタニクス㈱（現・DOWAメタニクス㈱）を子会社化",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
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              "sub_title": "「脱・鉱石」",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "移行の翌年から、原料そのものが入れ替わっていく。2007年8月に小坂製錬でリサイクル対応炉の操業が始まり、2008年3月には秋田ジンクリサイクリングを設立して亜鉛リサイクルへ本格参入した。海外での複雑硫化鉱の産出が細るなかで、DOWAは都市鉱山に賭けることを決め、120億円をかけたTSL炉と呼ぶリサイクル専用炉を2008年4月に本格稼働させている。廃基板、銅条材、リードフレーム、排水スラッジを独自の配合で炉へ入れる操業であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "海外での複雑鉱産出が細るなか120億円をかけたリサイクル専用炉（TSL炉）を建設し2008年4月に本格稼働させた",
                      "原文": "海外での複雑鉱産出が細ると、ＤＯＷＡは都市鉱山に賭けることを決断。１２０億円をかけＴＳＬ炉と呼ばれるリサイクル専用炉を建設、２００８年４月に本格稼働させた。これにより回収元素は小坂だけで１４種類、秋田全体で２０種近くに達した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
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                    {
                      "fact": "2007年8月に小坂製錬でリサイクル対応炉の操業を開始し、2008年3月に秋田ジンクリサイクリングを設立した",
                      "原文": "2007年８月　小坂製錬㈱においてリサイクル対応炉の操業を開始／2008年３月　秋田ジンクリサイクリング㈱を設立し亜鉛リサイクル事業へ本格進出",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "2010年の時点で、同社の金の7割、銅の8〜9割はリサイクル原料から生まれるようになっていた。回収する元素は小坂だけで14種類、秋田全体で20種近くに達し、液晶に使うインジウムや半導体用途のガリウムでは国内首位級の生産量を持つ。旧同和鉱業時代も心臓部であった小坂製錬は、原料をリサイクル由来のものへ完全に切り替えた。銅製錬と亜鉛製錬という異なる炉を連携させるコンビナート化が、その前提に置かれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2010年時点で同社の金の7割・銅の8〜9割を都市鉱山から生み出し、回収元素は小坂だけで14種類に達した",
                      "原文": "廃基板、銅条材、リードフレーム、排水スラッジなどを独自のノウハウでブレンドして炉に入れ、現在では同社の金で７割、銅で８〜９割を都市鉱山から生み出している。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
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                    {
                      "fact": "銅製錬と亜鉛製錬の異なる炉を連携させるコンビナートを造らなければリサイクル製錬は進まないと山崎信男氏は述べた",
                      "原文": "また、銅製錬と亜鉛製錬という異なる炉の連携プレーで効果が生まれるのだ。／製錬事業を統括するＤＯＷＡメタルマインの山崎信男社長は「ＣＯ２対策に取り組む鉄鋼メーカーに対し、われわれも亜鉛の再資源化で協力する。コンビナートを造り上げないと、リサイクル製錬は進まない」と説明する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
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              "sub_title": "炉が回りきらない",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "新しい炉は、当初から計画どおりに回ったわけではない。相手は鉱石ではなくゴミの山で、手間が増えれば採算が割れる。2009年度の操業度は71.8%の計画に対して60%程度で推移し、試行錯誤の末に7割水準まで戻したのが2010年春の状況であった。原料の集荷にも壁があり、デジタルカメラなどの小型家電は一般廃棄物として自治体の処理義務下にあって外へ出てこない。米国や東南アジアで集めた原料も炉へ入れていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2009年度のリサイクル専用炉の操業度は71.8%の計画に対し60%程度で推移し、その後7割水準まで挽回した",
                      "原文": "当初、新型炉の操業度は計画を大きく下回る滑り出しだった。鉱石と違い、相手はゴミの山。手間が増えれば採算割れ。０９年度は７１・８％の計画に対し６０％程度で推移した。だが試行錯誤の結果、足元では７割水準にまで挽回してきている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "小型家電は一般廃棄物として自治体の処理義務下にあり外部に出ないため、米国や東南アジアで集めたリサイクル原料も炉に入れていた",
                      "原文": "資源調達の面では、廃棄物処理法の壁も厚い。デジカメなどの小型家電は一般廃棄物として処分され、自治体での処理が義務づけられているため外部に出てこない。そのため、小坂では国内分だけでは足りず、米国や東南アジアで集めたリサイクル原料も炉に入れている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "集める側の体制づくりは国境を越えて進んだ。2009年2月に Modern Asia Environmental Holdings を子会社化して東南アジアの環境・リサイクル事業に入り、2010年4月には中国版家電リサイクル法の施行を見据えて住友商事および現地資本の緑天使と天津で家電リサイクルの合弁会社を設立している。初期投資は10億円で、将来の製錬所用地も確保していた。回収した廃家電を国外へ出せない規制のため、当面は中国国内で簡易製錬を行う想定であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2010年4月に中国版家電リサイクル法の施行を見据え住友商事・緑天使と天津に家電リサイクル会社を設立、初期投資10億円で製錬所用地も確保した",
                      "原文": "来年１月には、中国版家電リサイクル法が施行になる。それを見据え、今年４月には住友商事、現地資本・緑天使と合弁で天津に家電リサイクル会社を設立した。２〜３年後をメドに製錬事業を始める予定。初期投資は１０億円で、すでに将来の製錬所用地も確保済み。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2009年2月に Modern Asia Environmental Holdings を子会社化し東南アジアで環境・リサイクル事業を開始した",
                      "原文": "2009年２月　Modern Asia Environmental Holdings Inc.を子会社化し東南アジアで環境・リサイクル事業を開始",
                      "source": "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "内陸に取り残された不便から",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "小坂が内陸にあったという不便が、結果としてこの会社の原料を決めた。他社の製錬所が臨海へ移るなかで、輸送費のかさむ小坂は金銀を多く含む複雑硫化鉱を扱うほかなく、その扱いにくい鉱石から複数の金属を分けて取る技術が残った。廃基板や排水スラッジという成分の定まらない原料を炉へ入れられたのは、この不便から生まれた技術があったからだとみられる。1994年まで国内鉱山を持ち続けたことが技術の散逸を防いだ、という現場の説明もそこに重なる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、持株会社への移行そのものが利益を生んだわけではない。5つの箱に事業を分けた後も、都市鉱山の炉は2009年度に計画71.8%に対して60%程度でしか回らず、小型家電は廃棄物処理法の壁で集まらなかった。原料を鉱石から廃棄物へ替えるという方向が定まったことと、その方向で採算が取れることとは別であった。組織の形を先に決め、中身が追いつくまでに数年を要した再編であったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2010年4月17日号「家電廃棄物を宝に変える「都市鉱山」で攻めるDOWA」",
        "週刊東洋経済 2010年11月17日号「特集 異形の百年企業 3 本拠を移さず地域密着」",
        "週刊東洋経済 2005年7月30日号「ニッポンの技術再発見 第66回 同和鉱業：高純度の鉄粉で土壌汚染を現場除去」",
        "DOWAホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
        "DOWAホールディングス 有価証券報告書（2006年度）【表紙】",
        "DOWAホールディングス 沿革（公式サイト）",
        "DOWAホールディングス 有価証券報告書（2006年3月期・連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-26"
    }
  ]
}
