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      "title": "三井鉱山からの金属部門の分離独立と神岡鉱業の創立、東京証券取引所への上場",
      "subtitle": "財閥解体という外からの力を、どこまで独立企業の再出発に変えられたか",
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      "issue": "財閥解体にともなう事業分離と独立後の体制整備",
      "decider": "三井鉱山（企業再建整備法による決定整備計画）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1950年5月1日、財閥解体にともなう企業再建整備法の決定整備計画にもとづき、三井鉱山の金属部門を分離して神岡鉱業株式会社（資本金6億円）が創立された。同年10月に東京証券取引所第一部へ上場し、1952年12月に商号を三井金属鉱業へ改めた。現在の三井金属鉱業の直接の出発点にあたる。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "三井組が1874年に払い下げを受けた神岡鉱山を核に、三井鉱山は金属鉱山と炭鉱を一つの会社で運営してきた。敗戦後の財閥解体によって、性格の異なる石炭と非鉄金属を同じ会社で抱え続ける前提が崩れた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "炭鉱部門を三井鉱山に残し、神岡鉱山と三池・彦島・日比の製錬所群を新会社へ移した。財閥商号を使えないため社名は主力鉱山の名を取って「神岡鉱業」とし、創立5か月後に上場、翌1951年10月には資本金を12億円へ倍増した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "切り出された事業は、鉛・亜鉛の産出で国内に並ぶもののない神岡鉱山を抱えていた。制度の側から始まった分離が、増資・研究所設置・製錬設備の更新という独立企業としての投資の連続につながった。"
        }
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        "summary": "財閥解体と企業再建整備法という外部制度に迫られ、三井鉱山の金属部門を分離して新会社を創立し、上場・増資によって独立企業としての資本基盤を整えた事業分離"
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          "title": "三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得し鉱山経営を開始"
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          "title": "王子金属工業・昭和ダイカストを吸収合併し伸銅・ダイカスト事業部を設置"
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                  "text": "三井金属鉱業の事業の芯は、岐阜県と富山県の境にある神岡鉱山であった。三井組が1874年9月に神岡鉱山の蛇腹平坑を取得して鉱山経営に入り、1892年6月には三井鉱山合資会社を設立して、金属鉱山と炭鉱を一つの会社で運営する体制を敷いた。1911年12月には三井鉱山株式会社が設立されている。神岡は三井財閥の鉱業を支える資産でありながら、会社の形としては石炭と同居する一部門にとどまっていた。",
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                      "fact": "1874年9月に三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得、1892年6月に三井鉱山合資会社、1911年12月に三井鉱山株式会社を設立した",
                      "原文": "1874年９月　三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得し、鉱山経営を開始／1892年６月　三井鉱山合資会社を設立／1911年12月　三井鉱山株式会社を設立",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                {
                  "text": "金属部門は採掘にとどまらず、製錬まで手を伸ばしていた。1913年8月に大牟田で亜鉛製煉工場の操業を始めるまで、国内の亜鉛鉱石はすべてドイツやベルギーへ鉱石のまま送られていた。三池製煉所の操業開始を境に、逆に鉱石を輸入して国内で地金に仕上げる流れへ変わっていく。1928年1月には鈴木商店が経営していた彦島亜鉛製煉工場を買収し、1943年3月には昭和鉱業から日比製煉工場と竹原電煉工場を譲り受けた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三池製煉所は1913年に亜鉛製錬を開始し、それまで国内の亜鉛鉱石はすべてドイツ・ベルギーへ鉱石のまま輸出されていた",
                      "原文": "まず亜鉛製錬において日本ではもつとも歴史の古い三池製錬所をもつている。大正2年に亜鉛の製錬を開始したもので、それまで日本の亜鉛鉱石はすべてドイツ、ベルギーに鉱石のまま輸出されていたのであるが、当社の三池製錬所の操業開始後、次第に、逆に鉱石を輸入して製錬するという姿に変つていつた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）",
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                      "原文": "1913年８月　大牟田亜鉛製煉工場の操業を開始／1928年１月　鈴木商店経営の彦島亜鉛製煉工場を買収／1943年３月　昭和鉱業株式会社から日比製煉工場及び竹原電煉工場を買収し、日比製煉所を設置",
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              "sub_title": "財閥解体という外からの力",
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                  "text": "敗戦後、三井財閥は解体の対象となり、傘下の各社は企業再建整備法にもとづいて資産と負債を整理し直すことを求められた。三井鉱山の決定整備計画では、石炭を掘る炭鉱部門を本体に残し、非鉄金属の鉱山と製錬所を別会社として切り出す線が引かれた。半世紀以上にわたって一社で運営されてきた鉱業部門は、ここで石炭と非鉄金属の二つへ分けられた。",
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                    {
                      "fact": "1950年5月、企業再建整備法による決定整備計画に基づき、三井鉱山の金属部門をもって神岡鉱業（現・三井金属鉱業）が創立された",
                      "原文": "1950年５月　企業再建整備法による決定整備計画に基づき、三井鉱山株式会社の金属部門をもって神岡鉱業株式会社(当社)を創立",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                {
                  "text": "分けられる側の金属部門にとって、資産の中核はやはり神岡鉱山であった。1200年をさかのぼる採掘の歴史をもつこの鉱山は、鉛と亜鉛の産出で国内に並ぶものがなく、カナダのサリバンやオーストラリアのブロークンヒルと並ぶ規模で知られていた。1956年の雑誌『新日本経済』は神岡を「世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」と紹介し、地元の神岡町を「カネのなる木をもつ」と書いている。切り出される事業は、それ自体で立ちうる収益基盤を備えていた。",
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                      "fact": "神岡鉱山は1200年の歴史をもち、カナダのサリバン、オーストラリアのブロークンヒル等と並ぶ鉛・亜鉛鉱山として国内随一とされた",
                      "原文": "1200年の歴史をもつ神岡鉱山（三井金属鉱業）はカナダのサリバン、オーストラリアのブロークンヒル等の世界的優良鉱山とならび鉛・亜鉛鉱山として岐阜県の北端に、わが国随一の姿を誇っている。",
                      "source": "新日本経済 1956年6月号「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」",
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                      "原文": "「カネのなる木をもつ神岡町」",
                      "source": "新日本経済 1956年6月号「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」",
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                  "text": "1950年5月1日、三井鉱山の金属部門をもって神岡鉱業株式会社が創立された。企業再建整備法による決定整備計画にもとづく措置で、資本金は6億円であった。新会社の社名に三井の名は入っていない。財閥商号の使用が認められない時期にあたり、主力鉱山の名をそのまま取って「神岡鉱業」と名乗った。三井の商号に戻るのは2年半後の1952年12月で、このとき社名を三井金属鉱業へ改めている。",
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                      "fact": "1950年5月1日、企業再建整備法により三井鉱山の金属部門が神岡鉱業（資本金6億円）として独立し、これが現在の三井金属鉱業の前身となった",
                      "原文": "この三井鉱山の金属部門が、昭和二五年五月一日、企業再建整備法によって神岡鉱業（資本金六億円）として独立した。これが現在の三井金属鉱業の前身である。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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                      "原文": "1952年12月　神岡鉱業株式会社から三井金属鉱業株式会社へと商号を変更",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                {
                  "text": "創立から5か月後の1950年10月、神岡鉱業は東京証券取引所第一部へ上場した。財閥の内側で資金も人も融通されてきた事業が、株式市場から直に資金を集め、業績を外部へ開示する立場へ移った。分離そのものは制度に強いられた措置であったが、上場によって独立企業としての形が整い、以後の増資と設備投資はこの資本市場との関係の上で進められていく。",
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            {
              "sub_title": "独立企業としての体制固め",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "独立後の神岡鉱業は、まず財務と研究の足場を固めた。1951年10月に資本金を6億円から12億円へ倍増し、同年12月には東京研究所を設けている。1952年12月には商号を三井金属鉱業へ改め、財閥商号の使用制限が解けたことを社名で示した。分離から2年半のあいだに、資本・研究・商号という独立企業の要素が順に整えられた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1951年10月に資本金を12億円へ増資し、同年12月に東京研究所を設置、1952年12月に社名を三井金属鉱業と改称した",
                      "原文": "神岡鉱業は、翌二六年一〇月、資本金を一二億円に増資、同年一二月、東京研究所を設置するなどして体制を整備強化した。／二七年一二月、社名を三井金属鉱業と改称した。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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                  ]
                },
                {
                  "text": "続いて直轄事業所の設備更新が相次いだ。1953年6月に神岡鉱業所の金木戸発電所が完成し、1954年1月には三池製煉所の竪型蒸溜亜鉛工場が第一期工事を終えた。1956年6月には日比製煉所の転炉関連工事、1957年6月には神岡工業所の亜鉛焙焼設備が完成している。財閥の時代から引き継いだ古い設備を入れ替えながら、企業合理化によるコストの引き下げを並行して進めた。",
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                    {
                      "fact": "1953年6月から1957年6月にかけて金木戸発電所・三池竪型蒸溜亜鉛工場・日比転炉工事・神岡フローソリッド炉が相次いで完成し、直轄事業所の拡充と企業合理化を進めた",
                      "原文": "二八年六月、神岡鉱業所金木戸発電所の建設工事が完成、二九年一月、三池製煉所竪型蒸餾亜鉛工場の第一期工事完成、三一年六月、日比製煉所転炉脆瓦斯回取工事完成、三二年六月、神岡工業所亜鉛焙焼設備フローソリッド炉を完成というように、同社は、直轄事業所の拡充強化を図る一方、企業合理化によるコスト引き下げを行なった。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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              "sub_title": "神岡を抱えた会社の拡大",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "体制が整うと、三井金属鉱業は鉱山と製錬の外側へ手を伸ばした。1962年4月に王子金属工業と昭和ダイカストの2社を吸収合併し、伸銅事業部とダイカスト事業部を設けて加工品へ入っている。資本金は1954年11月の24億円、1958年6月の48億円、1962年5月の72億円、1965年2月の108億円と積み上がった。6億円で出発した会社は、15年で資本金を18倍に増やした。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1962年4月に王子金属・昭和ダイカストを吸収合併し、資本金は1954年11月24億円、1958年6月48億円、1962年5月72億円、1965年2月108億円と増加した",
                      "原文": "三七年四月、王子金属、昭和ダイカストの両社を吸収合併、四〇年六月には三鷹工場を新設した。／資本金も、二九年一一月二四億円、三三年六月四八億円、三七年五月七二億円、四〇年二月は一〇八億円と増加した。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
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                    {
                      "fact": "1962年4月に王子金属工業・昭和ダイカストの両社を吸収合併し、伸銅事業部及びダイカスト事業部を設置した",
                      "原文": "1962年４月　王子金属工業及び昭和ダイカストの両社を吸収合併し、伸銅事業部及びダイカスト事業部を設置",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "拡大を支えたのは、やはり神岡であった。1969年12月の講演で、副社長の尾本信平氏は神岡鉱山の埋蔵鉱量を4,000万トンとし、年に120万から130万トンを採掘しながら、新たに見つかる鉱量が採掘量を上回っていると述べている。国内にこれに匹敵する大鉱床はなく、規模が大きいがゆえにブロックケイビングという採掘法を日本で唯一採用できた。分離のときに引き継いだ資産が、20年後も収益の中心にあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1969年12月の講演で尾本信平副社長は、神岡鉱山の埋蔵鉱量4,000万トン、年間採掘量120〜130万トンで、新たに発見される鉱量が採掘量を上回る状況にあると述べた",
                      "原文": "埋蔵鉱量は現在4,000万トンとされており、毎年120～130万トン採掘されているのであるが、年々新しく発見される鉱量が採掘量を上回る状況にあつて、活動力は大きくいまだに壮年期の鉱山である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）",
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                    {
                      "fact": "神岡は国内に匹敵する大鉱床がなく、大鉱床であるためブロックケイビング法を日本で唯一採用していた",
                      "原文": "ところで神岡鉱山の埋蔵鉱量は4,000万トンであると述べたが、国内にはこれに匹敵する大鉱床は今のところない。（中略）この方法はアフリカの鉱山では大々的に採用されているが、日本では神岡だけに採用されている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）",
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                  "text": "財閥解体による分離を、上から命じられた解体の一場面として読むと、この一件は見えにくくなる。三井鉱山から切り出されたのは整理の対象ではなく、1200年の採掘史をもつ神岡鉱山と、三池・彦島・日比という製錬所群を備えた、それ自体で立つ事業であった。創立から5か月で東京証券取引所第一部へ上場し、翌1951年10月には資本金を6億円から12億円へ倍増している運びの速さに、制度への受け身の対応とは違うものがうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、この独立がうまく働いたと言えるのは、神岡鉱山がその後も掘り続けられたからにすぎない。尾本信平副社長が挙げた埋蔵鉱量4,000万トンという数字は、裏を返せば、会社の収益が一つの鉱山と亜鉛相場に結び付いていたことを示している。伸銅やダイカストへ加工を広げ、資本金を108億円まで積み増した15年の歩みは、その結び付きを薄める作業でもあったとみられる。制度が与えた独立を、単独の資産に頼らない事業構成へどう組み替えるか——分離の日に始まったのは、その長い作業であったといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
        "新日本経済 1956年6月号「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」",
        "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）"
      ],
      "authored": "2026-07",
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      "title": "イタイイタイ病控訴審敗訴後の賠償受諾と公害防止協定・土壌復元の締結",
      "subtitle": "公害訴訟に敗れた加害企業は、賠償と無配をどう引き受けたか",
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          "label": "概要",
          "text": "1972年8月9日、名古屋高裁金沢支部はイタイイタイ病訴訟の控訴審で被害者を全面勝訴とし、三井金属鉱業は上告せず賠償に応じた。翌日には賠償の誓約書・公害防止協定・土壌復元の誓約書を結び、賠償と公害対策の負担が円高と重なって同社は無配へ転落した。神岡鉱業所のカドミウムがもたらした公害の責任を、経営再建と並行して引き受けた判断。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "神岡鉱業所の排水に含まれたカドミウムが神通川流域で長年の健康被害を生み、1968年に厚生省が公害病と認定、被害者が三井金属鉱業を提訴していた。四大公害裁判の一つであった。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "1971年の一審に続き1972年の控訴審でも敗訴し、原告506人への総額約1億4,800万円の賠償が確定した。上告せず、被害者による毎年の立入調査を認める公害防止協定と、33年がかりの汚染田復元を約した。"
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          "text": "賠償と公害対策の負担は円高と重なり、1973年3月期を無配に沈めた。立入調査と情報開示の枠組みは以後の公害行政に影響し、控訴審判決から41年を経た2013年に問題は全面解決した。"
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            "note": "神岡鉱業所を発生源とするカドミウム汚染で提訴され、控訴審敗訴後に賠償と公害防止協定・土壌復元を受諾した"
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                  "text": "三井金属鉱業の事業の中心は、富山・岐阜県境にある神岡鉱業所であった。1874年に三井組が神岡鉱山の鉱業権の一部を取得して以来の鉱山で、埋蔵鉱量は約4,000万トン、年に120万トンから130万トンを採掘してなお新しく見つかる鉱量が採掘量を上回っていた。鉛・亜鉛を産する国内屈指の大鉱床であり、同社の経営を長く支える基盤であった。",
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                      "fact": "神岡鉱山の埋蔵鉱量は約4,000万トンで、年120〜130万トンを採掘してなお新発見が採掘量を上回っていた",
                      "原文": "神岡鉱山の埋蔵鉱量は4,000万トンであると述べたが、国内にはこれに匹敵する大鉱床は今のところない。（中略）毎年120～130万トン採掘されているのであるが、年々新しく発見される鉱量が採掘量を上回る状況にあつて、活動力は大きくいまだに壮年期の鉱山である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年 尾本信平（三井金属鉱業副社長）講演「三井金属鉱業の現状と将来」",
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                },
                {
                  "text": "副社長の尾本信平氏は1969年の講演で、神岡鉱山を1,250年の歴史をもつ現役の鉱山と紹介している。大規模な鉱体を生かしたブロックケイビング採掘やトラックによる搬出、自社開発のX線分析による選鉱で、低品位の鉱石でも採算の合う操業を続けていた。鉱山から製錬まで一貫して手がける体制が、資源企業としての三井金属鉱業の稼ぐ力の源であった。",
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                      "原文": "こうした高能率の方式をとつているために、神岡における坑内夫一人当りの1日採鉱量は近く10トンに（中略）自然環境にも恵まれ、鉱石は低品位でも立派に操業が可能である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年 尾本信平（三井金属鉱業副社長）講演「三井金属鉱業の現状と将来」",
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            {
              "sub_title": "神通川流域の被害と司法への道",
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                  "text": "その神岡から神通川へ流れ出た排水が、下流の富山平野に深刻な健康被害をもたらしていた。流域では明治期から農漁業の被害が記録され、大正期以降には骨がもろくなる原因不明の病が増えていった。1961年、萩野昇氏と吉岡金市氏が、この病の主因を神岡鉱山由来のカドミウムとする説を日本整形外科学会で発表し、原因の究明が動き出した。",
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                      "原文": "昭和36(1961)年；萩野昇、吉岡金市. カドミウム説(34回日本整形学会)発表",
                      "source": "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
                      "url": "https://www.jstage.jst.go.jp/article/cssj2/61/0/61_10/_pdf"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1968年3月、被害者とその遺族28名が、汚染の責任を問うて三井金属鉱業を提訴した。同年5月には厚生省が、イタイイタイ病を神岡鉱業所の排出したカドミウムを主因とする公害病とする見解を示した。環境庁も後の白書で、発生源を三井金属鉱業神岡鉱業所の廃水に含まれるカドミウムと明記している。被害の因果は行政の側からも裏づけられていった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1968年3月に被害者・遺族28名が提訴し、同年5月に厚生省がカドミウムを主因とする公害病との見解を示した",
                      "原文": "昭和43(1968)年3月；一次訴訟(被害者やその遺族28名が原告、その後二〜七次）／昭和43(1968)年5月；イ病は公害とする厚生省見解(主因はカドミウム)",
                      "source": "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
                      "url": "https://www.jstage.jst.go.jp/article/cssj2/61/0/61_10/_pdf"
                    },
                    {
                      "fact": "環境庁の白書は発生源を三井金属鉱業神岡鉱業所の廃水に含まれるカドミウムと記した",
                      "原文": "三井鉱業(株)神岡鉱業所から排出される廃水等に含まれるカドミウム",
                      "source": "環境庁 環境白書（昭和48年版）第3節 イタイイタイ病とカドミウム汚染",
                      "url": "https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/s48/1226.html"
                    }
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "控訴審敗訴と賠償の受諾",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "一審の富山地裁は1971年6月、被害者側を全面勝訴とし、三井金属鉱業は控訴した。しかし控訴審の名古屋高裁金沢支部は1972年8月9日、原告506人の請求を認めて再び被害者を全面勝訴とした。四大公害裁判のうち、最初に確定した判決であった。認められた損害賠償は、慰謝料と弁護士費用をあわせて総額約1億4,800万円にのぼった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1971年6月の一審に続き、1972年8月9日の名古屋高裁金沢支部で原告506人が全面勝訴した",
                      "原文": "昭和46(1971)年6月；一次裁判で被害者全面勝訴、被告は控訴／昭和47(1972)年8月9日；被害者全面勝訴(原告506人)",
                      "source": "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
                      "url": "https://www.jstage.jst.go.jp/article/cssj2/61/0/61_10/_pdf"
                    },
                    {
                      "fact": "認容された損害賠償は慰謝料・弁護士費用をあわせ総額約1億4,800万円であった",
                      "原文": "損害賠償(慰謝料、弁護士費用) 総額約1億4,800万円",
                      "source": "環境庁 環境白書（昭和48年版）第3節 イタイイタイ病とカドミウム汚染",
                      "url": "https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/s48/1226.html"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "三井金属鉱業は上告せず、賠償に応じた。判決の翌8月10日、被害者団体が東京の本社を訪れ、11時間に及ぶ交渉の末に三つの取決めが結ばれた。被害者への賠償を約したイタイイタイ病の賠償に関する誓約書、被害者や関係者による立入調査を毎年認める公害防止協定、そして33年をかけて汚染田を客土で復元するという土壌汚染問題に関する誓約書である。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "判決翌日の1972年8月10日、被害者団体が本社で11時間交渉し、賠償の誓約書・公害防止協定・土壌汚染の誓約書の三つを結んだ",
                      "原文": "被害者全面勝訴判決の翌日、昭和47年8月10日に被害者団体が東京の三井金属本社に出向き11時間に及ぶ交渉の末、表2に示す3つの取決めの合意に至つた。1.イ病の賠償に関する誓約書 2.公害防止協定(被害者・関係者の立ち入り調査；昭和47年11月の第1回から毎年実施など) 3.土壌汚染問題に関する誓約書(33年かけて安全なコメが収穫できる水田に客土して復元)",
                      "source": "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
                      "url": "https://www.jstage.jst.go.jp/article/cssj2/61/0/61_10/_pdf"
                    }
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            {
              "sub_title": "無配へ沈んだ経営",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "賠償と公害対策の負担は、折からの円高と重なって業績を圧迫した。1972年3月期に5億円であった当期純利益は、1973年3月期には5億円の純損失へ転じ、同社は無配に追い込まれた。財閥解体を経て神岡の収益で成長してきた三井金属鉱業にとって、公害の責任が経営そのものを揺るがす負担となった時期であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1972年3月期に5億円だった当期純利益が1973年3月期は5億円の純損失に転じた",
                      "原文": "1972年3月期の当期純利益5億円が、1973年3月期は5億円の純損失に転じ、売上高は1293億円であった。",
                      "source": "三井金属鉱業 会社年鑑（1976年版・単体）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "もっとも赤字は一年で底を打った。1974年3月期には売上高2,027億円・経常利益81億円へ急回復し、資源価格の上昇が神岡の採算を押し上げた。ただし公害対策は一度きりの出費では終わらなかった。排水や排煙の処理から堆積場の管理まで、神岡鉱業所には継続的な費用が求められ、環境対策は経営に組み込まれた恒常的な負担となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1974年3月期は売上高2,027億円・経常利益81億円へ急回復した",
                      "原文": "1974年3月期の売上高は2,027億円、経常利益は81億円であった。",
                      "source": "三井金属鉱業 会社年鑑（1976年版・単体）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "公害防止対策として排水処理・排煙処理・堆積場のポンド処理・坑内水処理などが神岡鉱山で継続された",
                      "原文": "①排水処理、②排煙処理、③堆積場のポンド処理、④坑内水の処理、⑤植栽（神岡鉱山における公害対策の概要）",
                      "source": "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
                      "url": "https://www.jstage.jst.go.jp/article/cssj2/61/0/61_10/_pdf"
                    }
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            }
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        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "立入調査と汚染田復元、そして全面解決",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "公害防止協定に基づく立入調査は、1972年11月の第1回から毎年続けられた。被害者団体が発生源の操業を自ら点検し、企業が情報を開示するという仕組みは、その後の公害行政にも影響を与えた。汚染田の復元は誓約書のとおり長い年月を要し、耕作土の下に汚染土を封じる客土などによって、約33年をかけて2012年3月に工事を終えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "立入調査は1972年11月から毎年続き、汚染田の客土復元は約33年をかけて2012年3月に完了した",
                      "原文": "公害防止協定(被害者・関係者の立ち入り調査；昭和47年11月の第1回から毎年実施など)（中略）33年間かけて完了(2012年3月)。",
                      "source": "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
                      "url": "https://www.jstage.jst.go.jp/article/cssj2/61/0/61_10/_pdf"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "2013年12月17日、三井金属鉱業と神通川流域カドミウム被害団体連絡協議会は、被害問題の全面解決を確認する文書に調印した。同社は認定患者と要観察者への賠償を継続しつつ、腎機能に影響が及んだ未認定の住民に1人60万円の一時金を支払う制度を設け、被害者団体に解決金を払って謝罪した。控訴審判決から41年が経ち、認定患者196人のうち存命は3人にとどまっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2013年12月17日に全面解決の文書を調印し、賠償継続・未認定住民への健康管理支援・解決金と謝罪を確認した",
                      "原文": "1972年8月9日のイタイイタイ病訴訟控訴審判決から41年となる今日まで（中略）認定患者・要観察者程度ではないもののカドミウムにより腎機能に一定の影響がある方を対象とした健康管理支援制度を当社が実施すること、全面解決に当たり当社が被団協に解決金をお支払いすることを確認しております。",
                      "source": "三井金属鉱業「神通川流域におけるイタイイタイ病・カドミウム被害問題の全面解決について」（2013年12月17日）",
                      "url": "https://www.mitsui-kinzoku.com/Portals/0/resource/uploads/topics_131217.pdf"
                    },
                    {
                      "fact": "未認定住民への一時金は1人60万円で、認定患者196人のうち生存者は3人だった",
                      "原文": "三井金属が（中略）1人60万円の一時金を支払う（中略）認定患者196人のうち生存者は3人。国が1968年に全国で初めて公害病と認定してから45年。",
                      "source": "日本経済新聞（2013年12月17日）「イタイイタイ病が全面解決 三井金属、一時金と謝罪で文書調印」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG17005_X11C13A2CR0000/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "責任を数十年の関与として引き受けること",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この判断を、公害訴訟に敗れて渋々賠償に応じた事例とだけ読むのは、その後の重さを見落とす。三井金属鉱業は上告を選ばず、判決の翌日には本社で11時間の交渉に応じ、賠償・毎年の立入調査・33年がかりの土壌復元という、終わりの見えない義務を自ら引き受けた。原告506人への賠償額そのものよりも、発生源である神岡鉱業所の操業を被害者に点検させ続ける枠組みを受け入れた点に、この決着の性格が表れているとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、それが速やかな救済であったとは言いがたい。全面解決の文書が交わされたのは判決から41年後であり、認定患者196人のうち存命はわずか3人にとどまっていた。無配に沈んだ1973年3月期の痛手は翌期に和らいだものの、公害対策は神岡鉱業所に費用を求め続け、環境規制は以後の経営の重い制約として残った。加害の責任を、一度の賠償ではなく数十年にわたる関与として引き受けざるをえなかったところに、この問題の性質がうかがえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1970年 尾本信平（三井金属鉱業副社長）講演「三井金属鉱業の現状と将来」",
        "鏡森定信「イタイイタイ病 被害発生から今日まで」（環境社会学研究・富山県立イタイイタイ病資料館館長）",
        "環境庁 環境白書（昭和48年版）第3節 イタイイタイ病とカドミウム汚染",
        "三井金属鉱業「神通川流域におけるイタイイタイ病・カドミウム被害問題の全面解決について」（2013年12月17日）",
        "日本経済新聞（2013年12月17日）「イタイイタイ病が全面解決 三井金属、一時金と謝罪で文書調印」",
        "三井金属鉱業 会社年鑑（1976年版・単体）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-25"
    },
    {
      "slug": "mining-to-electronics-2001",
      "url": "/tse/5706/decisions/mining-to-electronics-2001/",
      "year": 2001,
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      "decision_id": "5706-mining-to-electronics-2001",
      "type": "transformation",
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        "bm-core-shift",
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      "title": "神岡鉱山の段階的縮小と、銅箔・TABなど電子材料への事業転換",
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        {
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          "text": "三井金属鉱業は、円高とイタイイタイ病補償で競争力を失った神岡鉱山を1978年から段階的に縮小し、2001年に約130年続いた自山からの採掘を止めた。並行して1976年の米Oak-Mitsui設立を皮切りに銅箔・TABなど電子材料へ軸を移し、2001年の中期経営計画「MAP500」で電子材料をコア事業と定めた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "神岡鉱山は世界的な鉛・亜鉛鉱山として同社の収益を支えてきたが、1971年のニクソンショック以降の円高で国際競争力を失った。1972年にはイタイイタイ病の補償が発生して無配へ転落し、鉱山は収益の柱であると同時に重い負担の源にもなった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1978年の一時帰休から人員削減と坑道閉鎖を重ね、1986年には神岡鉱業所を子会社として分離した。一方で1976年に銅箔の現地生産、1980年に上尾銅箔工場、1989年にTABテープと電子材料を積み上げ、銅製錬と同じ電解の技術を新分野へ転用した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "極薄銅箔はスマートフォン向けで世界シェアの大半を握る主力事業へ育ち、資源会社は先端材料メーカーへ性格を変えた。ただし非鉄金属市況への依存は残り、2009年3月期には金属価格の急落で672億円の最終赤字を計上した。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "5706",
          "name": "三井金属鉱業",
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            "note": "神岡鉱山を核とする非鉄金属の一貫メーカー。円高と公害補償で鉱山事業の競争力が低下し、電子材料への転換を進めた"
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        }
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      "dates": {
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        "summary": "円高と公害補償で競争力を失った神岡鉱山を段階的に縮小する一方、銅製錬の技術を転用した銅箔・TABなど電子材料へ主力を移し、資源会社から電子材料メーカーへ事業構造を組み替えた業態転換"
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          "title": "三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得し、資源事業の出発点となる"
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          "highlight": true
        },
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          "title": "神岡鉱業が亜鉛・鉛鉱石の採掘を中止、約130年の採掘に区切り"
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        "fiscal_year": "2002年3月期",
        "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書（連結）",
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              "sub_title": "神岡を核とする非鉄一貫体制",
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                {
                  "text": "三井金属鉱業の収益を長く支えてきたのは、岐阜県と富山県の境にある神岡鉱山であった。三井組が1874年に払い下げを受けて以来、同社は鉛と亜鉛の産出で国内に並ぶもののないこの鉱山を核に、採掘から製錬、加工までを一社で抱える垂直統合の体制を築いてきた。神岡はカナダのサリバンやオーストラリアのブロークンヒルと並ぶ規模で知られ、資源会社としての同社の性格そのものを形づくっていた。",
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                      "fact": "三井組は1874年に神岡鉱山の払い下げを受け、鉱山経営を始めた",
                      "原文": "1874年９月　三井組が神岡鉱山蛇腹平坑を取得し、鉱山経営を開始",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "神岡鉱山はカナダのサリバン、豪ブロークンヒルと並ぶ鉛・亜鉛鉱山として国内随一とされた",
                      "原文": "1200年の歴史をもつ神岡鉱山（三井金属鉱業）はカナダのサリバン、オーストラリアのブロークンヒル等の世界的優良鉱山とならび鉛・亜鉛鉱山として岐阜県の北端に、わが国随一の姿を誇っている。",
                      "source": "新日本経済 1956年6月号「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」",
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                {
                  "text": "神岡で採れた精鉱は、大牟田や彦島の製錬所で電気亜鉛地金へと仕上げられた。1913年の大牟田亜鉛製煉工場を皮切りに、同社は鉱石を輸入して国内で地金にする流れを主導し、非鉄金属の一貫メーカーとして地歩を固めた。1969年の講演で尾本信平副社長は神岡の埋蔵鉱量を4,000万トンと述べ、新たに見つかる鉱量が採掘量を上回ると語っている。会社の収益は、この一つの鉱山と亜鉛相場に強く結びついていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1913年に三池（大牟田）で亜鉛製錬を開始し、鉱石を輸入して国内で製錬する流れを主導した",
                      "原文": "まず亜鉛製錬において日本ではもつとも歴史の古い三池製錬所をもつている。大正2年に亜鉛の製錬を開始したもので、それまで日本の亜鉛鉱石はすべてドイツ、ベルギーに鉱石のまま輸出されていたのであるが、当社の三池製錬所の操業開始後、次第に、逆に鉱石を輸入して製錬するという姿に変つていつた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）",
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                      "fact": "1969年の講演で尾本信平副社長は神岡の埋蔵鉱量4,000万トン・年産120〜130万トンで、新規発見が採掘量を上回ると述べた",
                      "原文": "埋蔵鉱量は現在4,000万トンとされており、毎年120～130万トン採掘されているのであるが、年々新しく発見される鉱量が採掘量を上回る状況にあつて、活動力は大きくいまだに壮年期の鉱山である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）",
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              "sub_title": "円高と補償が突きつけた行き詰まり",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "神岡を支えにした事業構成は、1970年代に入って二つの逆風にさらされた。ひとつは為替であった。1971年のニクソンショックを機に円高が進むと、国産鉱石は輸入鉱石に価格で押され、国内鉱山の競争力は落ちていった。いまひとつは公害の補償であった。神岡鉱山の排水に含まれたカドミウムが神通川流域のイタイイタイ病の原因とされ、1972年に補償が発生すると、三井金属は無配へと転落した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1972年、イタイイタイ病の補償が発生し無配へ転落した",
                      "原文": "1972年９月　イタイイタイ病の補償が発生し、無配に転落",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "競争力の低下は、業績にはっきりと表れた。単体の当期損益は1978年3月期に45億円、1979年3月期に31億円、1982年3月期に54億円と、1970年代後半から1980年代前半にかけてたびたび赤字に沈んだ。世界有数の産出量を誇ったことが、かえって縮小の判断を遅らせ、対応は同業他社より後手に回った。強みであったはずの鉱山の規模が、身軽になる妨げにもなっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "単体の当期純利益は1978年3月期▲45億円、1979年3月期▲31億円、1982年3月期▲54億円など、1970年代後半〜80年代前半にたびたび赤字となった",
                      "原文": "当期純利益 ▲45億円（1978年3月期）／▲31億円（1979年3月期）／▲54億円（1982年3月期）（いずれも単体）。",
                      "source": "三井金属鉱業 会社年鑑（単体業績）",
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        {
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "神岡鉱山の段階的な縮小と分離",
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                {
                  "text": "三井金属が神岡の縮小に入ったのは1978年であった。この年に一時帰休を実施して規模の縮小を始め、1981年には再建計画を立てて人員の削減に着手した。1985年のプラザ合意でふたたび円高が進むと経営はいっそう苦しくなり、1986年には希望退職者の追加募集に踏み切った。採掘量を一気に絞るのではなく、雇用と地域への影響を見ながら坑道を順に閉じていく、時間をかけた縮小であった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1978年に一時帰休で規模縮小を開始、1981年に再建計画で人員削減、1986年に希望退職者を追加募集した",
                      "原文": "1978年　神岡鉱山で段階的に規模縮小／1981年　再建計画を策定・大規模な人員削減／1986年４月　希望退職者を追加募集",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "縮小を機動的に進めるため、1986年には神岡鉱業所を切り出して子会社の神岡鉱業を設立した。鉱山事業を本体から分けることで、縮小の判断を身軽に下せる体制を整えた。1994年には鉱石からの鉛製錬を止め、1995年には人員の2割削減を柱とする神岡再建計画を立てた。そして2001年6月、神岡鉱業は亜鉛・鉛鉱石の採掘を中止した。1874年の払い下げから約130年続いた自山からの採掘に、区切りがついた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1986年に神岡鉱業所を分離して子会社・神岡鉱業を設立した",
                      "原文": "1986年　神岡鉱業所と彦島製煉所を分離し、神岡鉱業（株）、彦島製錬（株）を設立",
                      "source": "三井金属鉱業「沿革」（会社公式）",
                      "url": "https://www.mitsui-kinzoku.com/company/c_history/"
                    },
                    {
                      "fact": "1994年に鉛製錬を中止、1995年に人員2割削減の再建計画を策定、2001年に亜鉛・鉛鉱石の採掘を中止した",
                      "原文": "1994年　神岡鉱業：鉛製錬を中止／1995年　神岡再建計画を策定（人員20%削減）／2001年　神岡鉱業：亜鉛・鉛の鉱石採掘を中止",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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            {
              "sub_title": "電子材料への転換",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "縮小と並行して、三井金属は金属の技術を別の製品へ載せ替える道を探った。銅の製錬に用いる電解の工程は、プリント基板向けの電解銅箔をつくる工程とほぼ同じであった。同社は1976年に米国でOak-Mitsuiを設立して銅箔の現地生産に入り、1980年には三井金属箔を吸収合併して上尾銅箔工場を設けた。鉱山と製錬で積み上げた金属の扱いが、電子部品の材料という川下の領域へ延びていった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "銅製錬と電解銅箔の工程が同じであることから電解銅箔に参入し、銅箔は主力事業の一つとなった",
                      "原文": "三井金属はかつて鉱山開発や金属の製錬が事業の柱だったが、近年は川下分野の電子材料に注力。銅製錬と銅の電解プロセスが同じであることから、電解銅箔に参入した。銅箔は、今や五つの主力事業の一つ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2012年3月17日号「［特集 「素材」革命！］通信・IT 薄さ1ミクロンでスマホ向け世界一 三井金属鉱業の極薄銅箔」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "1976年に米Oak-Mitsuiを設立、1980年に三井金属箔を吸収合併し上尾銅箔工場（旧・上尾金属箔工場）を設置した",
                      "原文": "1976年　Oak-Mitsui Inc. を設立／1980年　三井金属箔製造（株）および三金レア・アース（株）の両社を当社に吸収合併し、上尾金属箔工場（現上尾銅箔工場）・三池レアメタル工場を設置",
                      "source": "三井金属鉱業「沿革」（会社公式）",
                      "url": "https://www.mitsui-kinzoku.com/company/c_history/"
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                },
                {
                  "text": "1989年には半導体向けのTABテープをつくる子会社を設け、銅箔に続く電子材料の柱を育てた。1993年に社長へ就いた宮村真平氏は、銅箔などの電子材料を軸に収益基盤を組み直すことに力を注ぎ、1997年には製造業に先がけてベースアップを廃し、年収管理型と呼ぶ賃金制度を敷いた。2001年の中期経営計画「MAP500」で、同社は電子材料をコア事業と定め、資源会社からの転換を計画の上で明文化した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1989年に半導体向けTABテープの製造子会社を設立、2001年の中計「MAP500」で電子材料をコア事業と定義した",
                      "原文": "1989年７月　半導体向けTABテープの製造子会社を設立／2001年４月　3カ年中期経営計画「MAP500」を策定し、電子材料をコア事業と定義",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "宮村真平氏は1993年6月から2003年6月まで社長を務め、電子材料を軸に収益基盤を再構築し、1997年に年収管理型の賃金改革を行った",
                      "原文": "1993年6月から2003年6月まで同社社長。銅箔などの電子材料を軸に収益基盤の再構築に注力した。（中略）97年には製造業で先駆けて賃金のベースアップを廃止し、年俸制に近い「年収管理型」と呼ばれる賃金改革も手がけた。",
                      "source": "日本経済新聞（2022年6月21日）「宮村真平氏が死去 元三井金属社長」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE218GI0R20C22A6000000/"
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          "section": "outcome",
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          "subsections": [
            {
              "sub_title": "銅箔で世界シェアを握る",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "主力を移した先の電子材料は、やがて世界で存在感を放つ事業へ育った。とりわけ極薄銅箔は、スマートフォンのICパッケージ基板向けで2012年時点の世界シェア9割を占め、五つの主力事業の一つに数えられるまでになった。髪の毛の100分の1という薄さの銅箔を、破れやすさを抑えながら量産する技術で、三井金属は先行した。鉱山と製錬で培った金属の扱いが、微細化を求められる先端部材の要求に応えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "極薄銅箔はスマートフォンのICパッケージ基板向けで世界シェア9割を占めた（2012年時点）",
                      "原文": "非鉄金属大手、三井金属鉱業が手掛ける「極薄銅箔」は、微細化が求められるスマートフォンのＩＣ（集積回路）パッケージ基板向けで、世界シェア９割を占める。",
                      "source": "週刊東洋経済 2012年3月17日号「［特集 「素材」革命！］通信・IT 薄さ1ミクロンでスマホ向け世界一 三井金属鉱業の極薄銅箔」",
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                },
                {
                  "text": "転換は業績の回復にもつながった。2002年3月期に3,734億円であった連結売上高は、2022年3月期に過去最高益を更新し、2024年3月期の売上高は6,466億円へと伸びた。もっとも、非鉄金属の市況に業績が揺さぶられる構造は残り続けた。リーマンショックが直撃した2009年3月期には、金属価格の急落で672億円の最終赤字を計上している。電子材料の比重を高めてなお、資源会社の体質は簡単には抜けきらなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "連結売上高は2002年3月期3,734億円から2024年3月期6,466億円へ伸び、2022年3月期に過去最高益を更新した",
                      "原文": "売上高3,734億円（2002年3月期）／売上高6,466億円・当期純利益259億円（2024年3月期）（いずれも連結）。",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書（連結）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2009年3月期は金属市況の急落で最終赤字672億円を計上した",
                      "原文": "親会社株主に帰属する当期純利益 ▲672億円（2009年3月期・連結）。",
                      "source": "三井金属鉱業 有価証券報告書（連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
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              ]
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            {
              "sub_title": "資源会社が祖業をどう畳んだか",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "神岡鉱山の縮小を、斜陽の資源事業をたたんだ整理として読むと、この転換の芯は見えにくくなる。三井金属が電子材料で足場を築けたのは、銅を製錬する電解の工程が、電解銅箔をつくる工程とほとんど重なっていたからであった。手放したのは自山からの採掘という川上であって、金属を電気の力で扱う技術そのものではない。約130年続いた鉱山を畳みながら、そこで磨いた金属の扱いを川下の部材へ載せ替えた点に、単なる撤退とは異なるこの判断の性格がうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、この転換を成功と呼べるのは、極薄銅箔がその後に世界シェアの9割を握ったからにすぎない。神岡の縮小は1978年から2001年まで23年をかけ、その間の業績はたびたび赤字に沈んだ。電子材料へ軸を移してなお、2009年3月期には金属市況の急落で672億円の赤字を出しており、資源会社の体質は容易には抜けなかった。祖業をいつ、どの速さで畳み、稼いだ技術を次の柱へどう移すか——三井金属の23年は、その問いに時間をかけて答えた事例として読むことができる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "三井金属鉱業 有価証券報告書【沿革】",
        "三井金属鉱業「沿革」（会社公式、https://www.mitsui-kinzoku.com/company/c_history/）",
        "新日本経済 1956年6月号「神岡鉱山・世界に誇る鉛・亜鉛の優良鉱山」",
        "証券アナリストジャーナル 1970年第8巻第1号「三井金属鉱業の現状と将来」（尾本信平 三井金属鉱業副社長）",
        "週刊東洋経済 2012年3月17日号「［特集 「素材」革命！］通信・IT 薄さ1ミクロンでスマホ向け世界一 三井金属鉱業の極薄銅箔」",
        "日本経済新聞（2022年6月21日）「宮村真平氏が死去 元三井金属社長」",
        "三井金属鉱業 会社年鑑（単体業績）",
        "三井金属鉱業 有価証券報告書（連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-25"
    }
  ]
}
