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  "title": "太平洋セメントの歴史概略",
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "description": "太平洋セメントの歴史。1881年、笠井順八氏が山口県小野田で小野田セメントを設立。浅野・小野田・秩父の三系譜が1998年に合流して発足。廃棄物処理とエコセメント、米国西海岸の拡張までの沿革と経緯を執筆。"
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  "eras": [
    {
      "title": "3つの系譜と業界再編の序章",
      "start_year": 1881,
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    },
    {
      "title": "1998年統合と米国事業の確立",
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    {
      "title": "値上げ戦と繰り返される損失",
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      "start_year": 1881,
      "end_year": 1984,
      "main_title": "3つの系譜と業界再編の序章",
      "subsections": [
        {
          "title": "官営払い下げから始まった浅野系譜",
          "text": "日本のセメント製造は1873年、大蔵省土木寮建築局が深川清澄町に摂綿篤製造所を創設したことに始まる。10年後の1883年4月、初代浅野総一郎がこれを借り受け、翌年には渋沢栄一と共同で匿名組合・浅野工場として発足した。当時の生産能力は徳利窯8基で年800樽（約145トン）、湿式石灰法による小規模生産であり、製品は皇居造営や横浜築港などの大工事に使用された。\n\n1903年にはアメリカから回転窯を輸入して深川工場に据え付け、日本初の回転窯設置を完了した。1912年10月に浅野セメント株式会社が設立され、翌13年に浅野セメント資を合併して資本金500万円で新発足。以後1915年の北海道セメント、1924年の木津川セメント合併で年産170万トンを突破し、1929年には西多摩工場で早強セメント、1934年には日本初の低熱セメントの製造を開始するなど、特殊品開発でも先行した。",
          "references": [
            {
              "title": "太平洋セメント 有価証券報告書 第27期（2025年3月期）【沿革】",
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            {
              "title": "『日本会社史総覧』（東洋経済新報社, 1995年）",
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        {
          "title": "戦時統制と戦後の浅野家離脱",
          "text": "1930年代後半から満州事変後の外地進出が加速する。1933年に大同洋灰（満州）、1936年に朝鮮浅野セメント、1938年に太原工場（華北）、1939年に広東工場（華南）の経営を順次開始した。国内では1939年に旧日本セメント、1940年に土佐セメント、1941年に日東セメント、1942年に東亜セメントを相次ぎ合併し、糸崎・尼崎・大船渡・八代・佐伯を加えて全国網を築いた。1941年には川崎工場を分離して日本鋼管と日本高炉セメント（現第一セメント）を設立した。\n\n敗戦により膨大な在外施設を喪失し、荒廃した国内各施設と物資不足で窮境に立った。GHQの第二次財閥解体命令により、創業以来63年にわたって会社を主宰した浅野家から別れ、1947年5月、日本セメント株式会社に社名を変更して再出発した。朝鮮戦争による特需景気を受けて西多摩・上磯両工場で回転窯を増設し、昭和30年代には埼玉（1955）・熊谷（1962）工場新設など高度経済成長期の設備拡張に動いた。",
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        {
          "title": "オイルショックと共同事業化",
          "text": "1973年の第1次石油危機はセメント業界に打撃を与えた。日本セメントは集中生産体制を徹底し、SP・NSPキルンの導入や燃料の石炭への転換を行ったが、第2次石油危機の追い打ちもあり、1980年には門司・八代両工場を閉鎖した。1983年の創業100周年には中央研究所の新築と組織改正を断行し、研究開発体制を刷新した。\n\n1984年、セメント業界は産業構造改善臨時措置法の適用を受けた。日本セメントは大阪セメント等と大日本セメント共同事業株を設立し、共同販売・物流合理化・過剰生産設備の廃棄を実施した。一方で、1960年代の業界には小野田セメント（1881年創業）と秩父セメント（1923年創業）という有力系譜が併存しており、浅野系の日本セメントを含む3系譜が国内シェアを分け合う構図が続いていた。過剰設備問題が業界全体の経営課題として明確化し、より深い合併への地均しが進んだ。",
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  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "1881年5月、笠井順八が山口県小野田で旧士族38名とともにセメント製造会社を興した。日本初の民間セメント会社として、輸入に依存していたセメントの国産化と、秩禄処分で禄を失った士族の授産を兼ねた。1883年4月には浅野総一郎が官営深川工場を借り受け、翌年に渋沢栄一と浅野工場を発足させた。これがのちの日本セメントで、1923年創業の秩父セメントを加えた三系譜が、1994年の小野田・秩父合併を経て1998年10月に[合流して太平洋セメントとなった](/tse/5233/decisions/taiheiyo-cement-merger-1998/)。ただし合流を促したのは成長ではなく、ピークを過ぎた内需と過剰設備だった。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "縮む内需の外へ収益源をずらし続けたことが、この会社の一貫した基準である。統合直後、国内需要は1997年のピークから減り、旧3社から引き継いだ遊休焼成炉が残った。これを閉じる代わりに2000年、[1450度のセメント窯を廃棄物処理設備として使い直した](/tse/5233/decisions/waste-recycling-2000/)。処理費を受け取りながら原料費も下げる形へ組み替え、閉鎖候補だった工場を収益源に変えた。海外では1990年の米国買収を足場に、リーマンショック後の5年連続赤字にも撤退せず、2015年から[西海岸でセメント工場と生コンを買い増した](/tse/5233/decisions/us-west-coast-2015/)。設備も市場も捨てず、稼げる用途へ置き換えてきた。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "縮むセメント本業を、廃棄物処理と米国事業の利益で支える構造である。2026年3月期の連結売上高8,984億円は、地域別で日本5,436億円・米国2,792億円・その他755億円と、米国が3割を担う。セグメント別の営業利益率は環境11.8%・資源15.3%と、売上6,617億円のセメント7.5%を上回る。国内セメントは2022年度に369億円の営業赤字へ沈み、[数量より採算を優先する値決めへ切り替えた](/tse/5233/decisions/price-pass-through-2022/)ことで2024年度に148億円の黒字に回復した。本業の薄さを周辺で埋める形が定着している。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "国内で戦っているのは、縮み続ける市場の順位である。三系譜の統合で国内シェア首位に立ったが、その市場は2004年度の5,908万トンから2023年度の3,457万トンへ4割減った。同じ石炭高騰と需要減に向き合う[住友大阪セメント](/tse/5232/decisions/price-pass-through-2022/)、祖業のセメントを合弁へ移して化学へ主力を移した[UBE](/tse/4208/decisions/cement-succession-ube-rename-2022/)と、原燃料高をどこまで建設・土木側へ戻せるかを競っている。海外では世界大手3社が9億トン規模の市場を押さえるなか、太平洋セメントは輸入で供給不足を補う米国西海岸に的を絞り、そこでは首位の需要地で上流から生コンまでを握る側に回った。"
    }
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      "label": "祖業",
      "value": "ポルトランドセメントの製造"
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      "label": "現在の注力課題",
      "value": "シェア重視から収益重視への価格政策の転換",
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        "プライシング",
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    "title": "浅野・小野田・秩父の合流",
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