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  "decisions": [
    {
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      "year": 1980,
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      "stock_code": "5201",
      "decision_id": "5201-amoeba-diversification-1980",
      "type": "new_business",
      "title": "戦略型研究開発を核とした「アミーバ的」多角化",
      "subtitle": "板ガラス寡占の首位に安住せず、旭硝子は研究開発をどう多角化の源泉に据えたか",
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      "issue": "本業依存からの脱却と多角化の型",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1980年前後、旭硝子は板ガラスを中核に周辺事業へ広がる「アミーバ的」多角化を進めた。研究開発部門を長期の事業創出へ振り向ける「戦略型研究開発」を組織の中心に据え、化学品・セラミックス・電子と事業を増やしていく方針を明確にした。「安定と進歩の両立」を掲げた山下秀明社長のもとでの経営方針である。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "旭硝子は国内板ガラスの約5割を握る寡占の首位で、10年ほど前までガラスの売上構成比は7割前後で安定していた。だが安定だけを追えば成長が鈍る。ガラス原料の確保から始まった多角化を、本業の景気変動に左右されない収益源へ育てる必要が意識されていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "減量経営で全社員を2年で2115人減らす一方、研究開発部門の人員は400人強から500人強へ増やした。1948年に着手したイオン交換膜法カセイソーダ電解装置は海外大手への技術供与を生み、三菱電機と組んで1951年に設立した液晶の会社は年商40億円まで育った。なじまない技術は別会社に出して伸ばす手法を採った。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "「アミーバ的」多角化は、板ガラス一本の会社を、ガラス・化学品・セラミックスを一社で抱える素材メーカーへと変えた。1997年には電子事業が連結売上高の約8%を占める第三の柱に育ち、液晶用ガラス基板で高い世界シェアを握るなど、後年の事業構成の転換につながる源流となった。"
        }
      ],
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          "name": "旭硝子",
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            "note": "国内板ガラス首位の寡占メーカー。ガラス原料の内製から化学品・セラミックスへ多角化を広げ、研究開発を経営の中核に据えていた"
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        "summary": "板ガラス寡占の安定に安住せず成長を確保するため、研究開発を長期の事業創出へ振り向け、中核技術に連なる周辺事業を増やしていく多角化戦略"
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          "title": "創業10年後にソーダ灰の国内生産を開始し、原料内製から多角化が始まる"
        },
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          "title": "三菱電機と組みオプトレクスを設立、電子事業へ参入"
        },
        {
          "year": 1980,
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          "title": "戦略型研究開発を核とした「アミーバ的」多角化の方針が明確化",
          "highlight": true
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        {
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          "title": "電子事業が連結売上高の約8%を占める第三の柱に育つ"
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        {
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          "title": "カンパニー制を導入しグローバル一体経営へ移行"
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        "source": "旭硝子 会社年鑑（単体業績）",
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            "stock_code": "5201",
            "name": "旭硝子",
            "fiscal_year": "1980年12月期（単体・JGAAP）",
            "president": "山下秀明",
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              "sub_title": "寡占首位の安定と、多角化の源流",
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                {
                  "text": "旭硝子が多角化を急いだ背景には、板ガラス事業の安定という強みと、その裏側にある成長の頭打ちがあった。国内の板ガラス製造は旭硝子・日本板硝子・セントラル硝子の3社による典型的な寡占で、旭硝子は約5割のシェアを握る首位であった。ガラスの売上構成比は10年ほど前まで7割前後で安定していたが、安定だけを追えば「余技」に手を出す必要もない。成長を確保するには、周辺事業を育てる選択が要ると同社はみていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "国内板ガラスは旭硝子・日本板硝子・セントラル硝子の3社寡占で、旭硝子は約5割のシェアを握る首位、ガラス売上構成比は10年前まで7割前後で安定していた",
                      "原文": "我が国の板ガラス製造メーカーは旭硝子、日本板硝子、セントラル硝子の3社しかなく、典型的な寡占業界である。しかも、旭硝子はそのうち約5割のシェアを握るトップメーカーであり、安定だけを追求するなら、「余技」にことさら手を出す必要もない。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年11月17日号「旭硝子 戦略型研究開発でアミーバ的多角化」",
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                {
                  "text": "多角化そのものは新しい試みではなかった。旭硝子が板ガラス製造以外へ広がったのは創業からわずか10年後、1917年にガラスの主原料であるソーダ灰の国内生産を始めたときにさかのぼる。当時、貴重だったソーダ灰は輸入に頼っており、原料を自前で確保する必要から化学品へ広がった。以後の化学品やセラミックスの事業群は、いずれもガラスを作るための副資材の内製から派生したもので、原料へさかのぼる垂直型の多角化が長く同社の特徴であった。",
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                      "fact": "旭硝子が板ガラス以外へ踏み出したのは創業10年後の1917年で、ガラス原料であるソーダ灰の国内生産を始め、原料内製から化学品へ広がった",
                      "原文": "翌一九一七年にはガラスの主原料であるソーダ灰の製造にも踏み込み、原料から最終製品までを自社で手掛ける一貫生産体制を築き上げた。",
                      "source": "旭硝子 有価証券報告書【沿革】",
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
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              "sub_title": "「アミーバ的」多角化と戦略型研究開発",
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                {
                  "text": "1980年前後、旭硝子は多角化の型を垂直から水平へと切り替えた。富永達夫専務は、かつての多角化が原料へさかのぼる川上指向だったのに対し、近年は横への広がりをねらったものが増えていると述べた。同社はこれを、単細胞生物が周囲の栄養を吸収して増えていくさまになぞらえ「アミーバ経営」と呼んだ。中核のガラスに連なる技術を組み合わせ、化学品・セラミックス・電子へと事業を増殖させていく発想であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "旭硝子は多角化を原料へさかのぼる垂直型から横への広がりをねらう水平型へ切り替え、ガラスを核に事業が増える様子を「アミーバ経営」と呼んだ",
                      "原文": "「かつての多角化が川上部門を指向した垂直的なものだったのに対し、このところ、横への広がりをねらったものが増えている」と言うわけだ。アミーバというのは決してひとつの方向にのみ広がるわけではない。垂直方向にも水平方向にも伸びることができるのだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年11月17日号「旭硝子 戦略型研究開発でアミーバ的多角化」",
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                {
                  "text": "多角化の推進役に据えたのが、研究開発部門であった。旭硝子は1948年に開発部の製品開発機能を明確にし、1954年に研究所と合体させて研究開発部とし、長期の事業創出を担う戦略型研究開発部へと衣替えした。業績が落ち込んだ1949年度下期からの減量経営で全社員を1950〜54年度に2115人減らす一方、研究開発の人員は400人強から500人強へ増やした。金井英三常務は、現有事業を伸ばす研究に集中していた従来から、およそ2対1の割合で長期研究へ力を注ぐ体制に移したと語った。",
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                    {
                      "fact": "旭硝子は減量経営で全社員を1950〜54年度に2115人減らす一方、研究開発人員は400人強から500人強へ増やし、長期研究に2対1の割合で力を注ぐ体制へ移した",
                      "原文": "同社では業績が急激に落ち込んだ49年度下期からぜい肉落としを最優先し、全体の従業員を50年度から54年度までに2割弱、2115人減らしている。しかし、研究開発部門の人員はこの間、増加の一途で、50年度には400人強だったものが現在500人強に達している。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年11月17日号「旭硝子 戦略型研究開発でアミーバ的多角化」",
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              "sub_title": "技術供与を生む本業と、別会社で育てる新事業",
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                {
                  "text": "戦略型研究開発の成果は、本業の外へ収益源を広げた。公害防止のため1948年に水銀法からの製法転換が義務づけられたのを機に開発したイオン交換膜法カセイソーダ電解装置は、低コストと環境負荷の低さから世界の製造プラントに広く採り入れられ、米PPGや英ICIなど海外大手との技術供与契約を生んだ。1952年には技術開示料として100万ドルを受け取り、同社自身が驚くほどの収益源に育った。撥水撥油剤や耐熱フッ素ゴムなどのファインケミカルも相次いで市場に出た。",
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                    {
                      "fact": "1948年に着手したイオン交換膜法カセイソーダ電解装置は世界の製造プラントに広く採用され、米PPGや英ICI等海外大手との技術供与を生み、1952年には技術開示料100万ドルを得た",
                      "原文": "50年6月に開発を発表して以来、米ＰＰＧ、オーリン、英ＩＣＩ、西独ウーデ社といった海外のそうそうたる化学会社などと技術供与契約が結ばれているためだ。... 52年には技術開示料として100万ドルを支払ったことにも反映されている。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年11月17日号「旭硝子 戦略型研究開発でアミーバ的多角化」",
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                {
                  "text": "なじまない技術は本体で抱え込まず、別会社に出して育てた。旭硝子は1945〜46年頃に将来の産業構造を予測し、電子工業が有望との結論に達していた。三菱電機と組んで1951年にオプトレクスを設立し、出資比率80%で液晶表示装置の事業化に取り組んだ。この読みは的中し、電卓やウォッチ業界の旺盛な需要を支えに急成長して、1980年度の年商は40億円に達する見通しとなった。既存の事業部になじまない技術を社外へ「分裂」させる手法が、アミーバ的多角化の実像であった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "旭硝子は将来の産業構造予測から電子工業を有望とみて、三菱電機と1951年にオプトレクス（出資比率80%）を設立し液晶表示装置を事業化、1980年度の年商は40億円に達する見通しとなった",
                      "原文": "同社は45〜46年頃将来の産業構造を予測した結果、電子工業が有望との結論に達し... 三菱電機と提携して51年にはオプトレクスという関連会社（旭硝子の出資比率80%）を設立、本格的な事業化に取り組んだ。結果的にはこの判断がズバリ的中、電卓やウオッチ業界のおう盛な需要を支えに急成長、今年度の年商は40億円にも達する見通しという。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年11月17日号「旭硝子 戦略型研究開発でアミーバ的多角化」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
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              "sub_title": "電子事業が第三の柱に育つ",
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                  "text": "アミーバ的多角化は、その後の20年で目に見える形をとった。1997年3月期には、液晶表示装置用ガラス基板などを扱う電子事業の売上高が連結ベースで1055億円に達し、連結売上高に占める割合はセラミックス部門を上回る7.9%となった。ガラス・化学品に続く第三の柱に成長し、TFT方式の液晶用ガラス基板では世界シェアの30%以上を握った。1980年に描いた「電子工業への進出」が、17年を経て収益の柱に育っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1997年3月期に電子事業の売上高は連結で1055億円となり連結売上高の7.9%を占めセラミックスを上回る第三の柱に育ち、TFT方式液晶用ガラス基板で世界シェア30%以上を握った",
                      "原文": "電子事業の売上高は97年3月期、連結ベースで1055億円。3事業部が売り上げの3分の1ずつを稼ぎ出し、連結売上高に対する割合はセラミックス部門を上回り7.9%にまでなった。... 旭硝子はTFT方式液晶表示装置用のガラス基板で現在、市場シェアの30%以上を握る。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月7日号「『成功する多角化』の秘訣 旭硝子、日本合成ゴム、東日本旅客鉄道」",
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                    }
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                },
                {
                  "text": "多角化は、ガラス一本の会社を、ガラス・化学品・セラミックスを一社で抱える素材メーカーへと変えた。この三分野の技術を持つことが、後に電子材料や環境技術へ広がる基盤となった。もっとも、電子事業を経営の柱に据えるには「丸の内中心主義」と呼ばれた本社集権の意思決定を改める必要があるとも指摘され、多角化の果実を伸ばす課題は組織の速さの問題へと引き継がれていった。素材の技術を用途ごとに広げる旭硝子の型は、この時期に骨格が定まったとみられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "旭硝子はガラス・化学品・セラミックスの3分野を一社で抱える素材メーカーで、電子事業を柱にするには本社集権の意思決定を改める必要があると指摘された",
                      "原文": "旭硝子は、ガラス、化学品、セラミックスの3分野を1社で抱える世界でも珍しい素材メーカーだ。電子事業には、これらの技術の応用が利く。... 最大の課題は、「丸の内中心主義」の払拭。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月7日号「『成功する多角化』の秘訣 旭硝子、日本合成ゴム、東日本旅客鉄道」",
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "安定と進歩をどう両立させるか",
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                {
                  "text": "この判断の底にあるのは、寡占の首位という安定を、成長を止める理由にしないという意思である。旭硝子は板ガラスで5割のシェアを持ち、作れば売れる事業を抱えていた。その安定に安住せず、研究開発を長期の事業創出へ振り向け、中核技術に連なる周辺事業を一つずつ増やしていった。減量経営のさなかに研究開発の人員だけを増やした判断は、目先の収益より技術の蓄積を優先する経営の性格をよく表しているとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "「アミーバ的」という比喩は、多角化に方向を定めすぎない柔らかさを含んでいた。原料へさかのぼる垂直の多角化も、用途を広げる水平の多角化も、なじまない技術を別会社に出す分裂も、いずれも中核のガラス技術から連なっていた。この型は、後にディスプレー用ガラスやフッ素製品を生み、2010年代にはライフサイエンスを含む事業構成の転換にまで及んでいった。安定と進歩をどう両立させるかという問いに、旭硝子は技術を核に事業を増やし続けることで答えようとしたといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1980年11月17日号「旭硝子 戦略型研究開発でアミーバ的多角化」",
        "日経ビジネス 1997年7月7日号「『成功する多角化』の秘訣 旭硝子、日本合成ゴム、東日本旅客鉄道」",
        "旭硝子 有価証券報告書【沿革】",
        "旭硝子 会社年鑑（単体業績）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-15"
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      "title": "疑似分社制の導入による「鈍い大企業」からの脱却",
      "subtitle": "8つの事業本部を独立採算の「疑似会社」に見立て、瀬谷博道社長はスピード経営をどう根づかせようとしたか",
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          "label": "概要",
          "text": "1994年4月、旭硝子は8つの事業本部に全社の資本金・資産・借入金を割り振って独立採算の「疑似分社」とし、事業担当役員に「疑似社長」として予算・投資・人事の権限を委ねる独立事業部制を導入した。瀬谷博道社長のもとで進めた意思決定機構の改革である。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "バブル崩壊後、ガラスと化学品の二本柱を需要減と価格下落が直撃し、1993年12月期には連結売上高が1兆円を割った。「作れば売れる」時代の緩さが市場の変化への対応を鈍らせているとの危機感が、改革の下地にあった。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "常務会を廃して数億円までの投資権限を事業担当役員に移し、課長までの人事権も委ねた。半期ごとの売上高・経常利益・キャッシュフローで事業部を点数化し、部長賞与に最大1.5倍の差をつける査定制度を組み合わせた。生え抜きでない人材を事業部長へ抜てきした。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "「鈍い大企業」から「俊敏な小企業集団」への変身を掲げた改革は、1997年の電子事業本部の即断即決体制や2002年のカンパニー制へと引き継がれた。単一の意思決定機構で管理できる事業規模を5000億円とみて、権限を事業部へ分散させる発想が根にあった。"
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                  "text": "旭硝子が大胆な改革に乗り出した背景には、バブル経済の崩壊後に一変した経営環境があった。ガラスと化学品という二本柱を、需要減と価格下落が同時に直撃した。1993年12月期は2期連続の減収で売上高が1兆円を割り、4期連続の減益で経常利益は過去最高だった1989年12月期の3分の1以下、263億円まで落ち込んだ。稼ぎ頭のガラス部門で価格競争力を誇る同社でも、収益力の悪化は避けられなかった。",
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                      "fact": "バブル崩壊後、ガラスと化学品を需要減と価格下落が直撃し、1993年12月期は2期連続減収で売上高が1兆円を割り、経常利益は89年12月期の3分の1以下の263億円に落ち込んだ",
                      "原文": "バブル経済の崩壊後、同社を取り巻く環境が一変したからだ。ガラスと化学品の2本柱を需要減と価格下落が直撃した。93年12月期は2期連続の減収で売上高が1兆円を割った。4期連続の減益で、経常利益は過去最高の89年12月期と比べ、3分の1以下の263億円に落ち込んだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年10月31日号「旭硝子、疑似分社で速攻 『鈍い大企業』から変革目指す」",
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                  "text": "収益悪化の底には、長く続いた供給者優位の体質があった。瀬谷博道社長は、創業以来80年のガラス事業を「作れば売れる、売ればもうかる、ぬるま湯のような仕事」と振り返り、同じ考え方では生き残れないと社内に説いた。前年5月には「変革」の二文字と自らの顔を入れたポスターを3000枚刷って社内に張り出し、役員合宿を月に一度開いて問題点の洗い出しにあたった。改革は、まず経営陣の意識を変えることから始まった。",
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                      "fact": "瀬谷社長は創業以来80年のガラス事業を「ぬるま湯」と評し、前年5月に「変革」の文字と自らの顔を入れたポスターを3000枚社内に張り出した",
                      "原文": "「創業以来80年、ガラスは作れば売れる、売ればもうかる、ぬるま湯のような仕事だったが、そういう時代は終わった。今までと同じ考え方では生き残れない」と瀬谷社長は言う。昨年5月に、「変革」の2文字と自分の顔が入ったポスターを3000枚、社内に張り出した。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年10月31日号「旭硝子、疑似分社で速攻 『鈍い大企業』から変革目指す」",
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                  "text": "1994年4月、旭硝子は独立事業部制を導入した。8つの事業本部に全社の資本金・資産・借入金を割り振って損益計算書と貸借対照表を作り、それぞれを「疑似分社」とみなす仕組みである。各事業の担当役員は「疑似社長」として事業戦略と予算を作り、一定範囲までの投資や人事を裁量する。会社を一つの塊としてではなく、独立採算の事業体の集まりとして運営する組織へと組み替えた判断であった。",
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                      "fact": "1994年4月、8つの事業本部に資本金・資産・借入金を割り振って疑似分社とし、事業担当役員が疑似社長として戦略・予算・投資・人事を裁量する独立事業部制を導入した",
                      "原文": "独立事業部制は旭硝子の8つの事業（本）部に全社の資本金、資産、借入金などを割り振って損益計算書や貸借対照表を作り、事業部を「疑似分社」とみなすもの。それぞれの事業担当役員が「疑似社長」として事業戦略や予算を作成し、一定範囲までの投資や人事を裁量する。",
                      "source": "日経ビジネス 1994年10月31日号「旭硝子、疑似分社で速攻 『鈍い大企業』から変革目指す」",
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                  "text": "独立採算には、業績を報酬へ映す査定制度を組み合わせた。事業部を半期ごとの売上高・経常利益・キャッシュフローの三要素で評価し、予算の達成度や全社への貢献度を加味して点数化する。最高120点・最低80点で、賞与の支給額に最大1.5倍の差がつく計算であった。権限と責任を事業部へ委ねた以上は結果を報酬へ映すべきだという瀬谷社長の考えに沿った制度で、対象は担当部長以上の幹部社員130人から始めた。",
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                  "text": "疑似分社を機能させる要は、権限の委譲にあった。従来は1億円以上の投資案件を常務会で決めており、決定まで3〜4週間を要していた。旭硝子はこの常務会を廃し、数億円までの投資権限を事業担当役員へ移した。課長クラスまでの人事権も同様に委ねた。単一の意思決定機構で管理できる事業規模を5000億円が限度とみて、判断を現場に近い事業部へ下ろす狙いであった。",
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                      "原文": "昨年まで1億円以上の投資案件は常務会で決めていたが、決定まで3〜4週間かかっていた。そこで数億円までの投資権限を事業担当役員に与え、常務会は廃止した。人事面では、課長クラスまでの人事権を事業担当役員に与えた。",
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                },
                {
                  "text": "人事の面でも、旭硝子は前例を破った。自動車用ガラス出身の役員を建材担当に据えるなど、その事業の生え抜きでない人材を事業部長クラスに抜てきした。長い歴史のなかで初めての試みで、異なる価値観を持ち込んで縦割りの事業部を揺さぶる意図がうかがえる。研究開発でも中央研究所の人員を事業部側へ移し、市場に近いテーマを事業部で担う体制へと近づけた。",
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                      "原文": "古川専務を筆頭に、資材・物流出身で管球硝子事業本部長になった田中信男専務や、セラミックス事業部出身で人事・総務担当になった並木忠男専務など、部門の生え抜きでない人材を事業部長クラスに抜てきするのは、旭硝子の長い歴史の中でも初めて。",
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                  "text": "権限を事業部へ下ろす改革は、その後の組織づくりへと引き継がれた。1997年6月27日、旭硝子は電子事業本部を再編し、本部戦略会議で案件を即決する「即断即決体制」を敷いた。すぐには利益を生まないが有望な事業の芽を育てるビジネスディベロップメント部を新設し、中央研究所の一部を事業本部内へ移して顧客に近い開発体制を組んだ。1994年の疑似分社で示した「事業部に権限を集める」考え方を、電子事業で徹底した動きであった。",
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                    {
                      "fact": "1997年6月27日、旭硝子は電子事業本部を再編し、本部戦略会議による即断即決体制の採用、ビジネスディベロップメント部の新設、電子技術開発研究所の事業本部内移管で意思決定を速めた",
                      "原文": "今年6月27日、旭硝子は電子事業本部の組織改革に踏み切った。... 「即断即決体制」（錦織専務）の採用だ。2つ目は、「ビジネスディベロップメント部」の新設。... 中央研究所に所属していた電子応用研究所を、電子技術開発研究所として事業本部内に移した。",
                      "source": "日経ビジネス 1997年7月7日号「『成功する多角化』の秘訣 旭硝子、日本合成ゴム、東日本旅客鉄道」",
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                },
                {
                  "text": "意思決定を速める改革は、経営陣の交代を越えて続いた。1998年に就任した石津進也社長は、社長室長時代から「戦う社長室長」と呼ばれた改革の推進役で、就任後も各事業部や全国の生産拠点を回って社内改革を陣頭で指揮した。こうした一連の動きは、2002年に地域別・事業別の組織をカンパニー制へ組み替え、グローバル一体経営へ移す再編へとつながっていった。疑似分社は、その後の統治機構改革の出発点にあたる試みであったといえる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年就任の石津進也社長は社長室長時代から改革を陣頭指揮し、社内改革を続けた",
                      "原文": "そんな石津も三年前、社長室長に抜てきされて目が覚めた。「旧態依然とした社内の実状に慄然とした」。以来、改革運動を陣頭で指揮。「戦う社長室長」の異名までとった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年10月3日号「［ひと］石津進也 旭硝子社長 社内改革に陣頭指揮」",
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                      "fact": "2002年、旭硝子は地域別・事業別の組織をカンパニー制へ再編しグローバル一体経営体制へ移行した",
                      "原文": "二〇〇二年、同社は地域別・事業別に分かれていた従来の組織を再編してカンパニー制を導入し、グローバル一体経営の体制へと移行していくこととなった。",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この改革の核にあるのは、規模の大きさと意思決定の速さをどう両立させるかという問いである。旭硝子は、単一の指揮系統で扱える事業規模には限りがあるとみて、会社を独立採算の事業体の集まりに見立て、権限と責任を現場へ下ろした。作れば売れた時代に染みついた供給者優位の緩さを、業績評価と権限委譲の二つで断とうとした試みであったとみることができる。数字で報いる査定制度をあわせて入れた点に、意識だけでは体質は変わらないという判断がうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、事業部へ権限を分ける発想は、素材メーカーとしての一体感や研究開発の長い時間軸とは、ときに緊張をはらむ。旭硝子はその後、電子事業の即断即決体制やカンパニー制へと組織を組み替え続け、2010年代にはガラス依存からライフサイエンスを含む事業構成の転換にまで踏み込んでいった。1994年の疑似分社は、その長い組み替えの出発点として置かれた一手であり、大企業が速さをどう手に入れるかという課題は、以後も形を変えて問われ続けたとみられる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1994年10月31日号「旭硝子、疑似分社で速攻 『鈍い大企業』から変革目指す」",
        "日経ビジネス 1997年7月7日号「『成功する多角化』の秘訣 旭硝子、日本合成ゴム、東日本旅客鉄道」",
        "週刊東洋経済 1998年10月3日号「［ひと］石津進也 旭硝子社長 社内改革に陣頭指揮」",
        "旭硝子 有価証券報告書【沿革】",
        "旭硝子 アニュアルレポート2000（連結業績）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-15"
    }
  ]
}
