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  "title": "TOYO TIRE の歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1945,
      "end_year": 1965,
      "main_title": "東洋紡績系ゴム会社合併から株式上場まで",
      "subsections": [
        {
          "title": "「東洋ゴム化工」と「平野護謨製造所」の合併設立",
          "text": "東洋ゴム工業株式会社は、1945年8月1日、東洋紡績株式会社（現・東洋紡）がゴム工業発展のために設立し強化育成した東洋ゴム化工株式会社と、株式会社平野護謨製造所が合併する形で設立された。終戦のわずか2週間前という時期で、終戦前後の未曾有の混乱のなかでの船出だった。設立時の本社は大阪府大阪市に置かれ、戦前の繊維商社・東洋紡績の系列会社として、ゴム工業全般を事業とする企業として発足している。同社の社是は1950年9月、富久力松・初代社長によって制定された。「昨日より今日はより良くより安く、需要者の為に各自の職場で最善を尽くす」という31文字の言葉は、戦後の産業復興から高度経済成長に向かう時代における企業人の姿勢を表現したもので、現在も理念体系の最上位に位置づけられている。\n\n設立当初の主力製品はゴムベルト・ゴムホース・履物用ゴム・工業用ゴム製品など多岐にわたり、自動車タイヤは事業の一部に過ぎなかった。1953年7月、自動車タイヤの本格生産のために兵庫県伊丹市に伊丹工場が開設された。これが現在のTOYO TIREの中核拠点である伊丹事業所の起源で、戦後の自動車産業勃興期に合わせた設備投資判断であった。当時の自動車保有台数は乗用車約11万台・トラック約30万台と、現在の100分の1にも満たない規模だったが、創業者経営陣は将来の自動車普及を見越して投資を踏み切った。\n\n戦後の高度経済成長期に入ると国産自動車メーカーが続々と量産化を進め、タイヤ需要は急拡大した。1955年5月、東洋ゴム工業は株式を東京証券取引所に上場した。終戦からわずか10年での上場は、東洋紡績系という資本背景と、伊丹工場の生産能力拡大を支える資金調達の必要性を反映したものだった。上場時の発行済株式総数は約400万株、当時のタイヤ業界では既上場のブリヂストンタイヤ（1961年上場）に先行する形で資本市場へアクセスを得た。",
          "references": []
        },
        {
          "title": "多角化と研究開発の本格化",
          "text": "1961年12月、大阪府茨木市に中央研究所を開設した。タイヤ用ゴム素材の独自開発、コンパウンド技術の体系化、走行性能解析など、ゴム工業全般の研究開発機能を集約した拠点である。当時の業界では研究所を持つタイヤメーカーは少なく、東洋ゴム工業の中央研究所開設は技術蓄積への先行投資の表れだった。1986年4月には自動車部品技術センターを愛知県みよし市（トヨタ自動車近接地）に開設し、自動車メーカー近接の技術拠点で開発機能を補強する体制を構築した。\n\n1960年代の事業多角化により、タイヤに加えて化成品（防振ゴム・スポンジ・防舷材）、履物（ゴム長靴・スニーカー底）、工業用品（コンベヤベルト・ホース・シール材）の4本柱体制が固まった。社名に「ゴム工業」を冠したまま、ゴム加工技術を活かす多事業並走モデルで成長期を迎えたのが第1期の特徴である。タイヤ単独ではなく、ゴム工業全般の総合メーカーとしてのアイデンティティが、その後の事業構造に長く影響を残すことになる。",
          "references": []
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      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
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