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      "title": "米ライヒホールド・ケミカルズとの合弁による日本ライヒホールド化学工業の設立と、合成樹脂への参入",
      "subtitle": "印刷インキ専業のまま伸びるか、外資と組んで合成樹脂へ出るか——増資金の三分の二をどこへ置くかの選択",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "合弁会社の新設（大日本インキ製造55％・Reichhold Chemicals, Inc.45％）。1962年10月に大日本インキ製造が同社を吸収合併",
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      "issue": "印刷インキ専業からの多角化と外資提携",
      "decider": "川村勝巳（専務、日本ライヒホールド化学工業社長）・川村喜十郎（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1952年2月、大日本インキ製造が米国の合成樹脂メーカー Reichhold Chemicals, Inc. と55対45の出資で日本ライヒホールド化学工業（JRC）を設立し、印刷インキ専業から合成樹脂の製造販売へ参入した経営判断。1950年5月の上場直後に川村勝巳専務が単身で渡米して交渉をまとめ、1962年10月のJRC吸収合併と商号変更まで続いた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "大日本インキ製造は印刷インキの生産量で全国比約14％を占め、業界首位に立っていた。一方、日本の印刷インキは天然油脂を原料としていたのに対し、米国では合成樹脂が使われており、捺染用インキも米国からの輸入に頼るほかない状態にあった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "新会社の資本金は6万ドル（邦貨換算2,160万円）、出資比率は大日本インキ55％・ライヒホールド45％。工場は大阪工場の一部に置き、塗料・印刷インキ・合板・紙類・繊維製品に用いる合成樹脂と特殊顔料の製造を目的とした。1950年8月に決めた3,000万円の増資のうち2,000万円を、この新会社関係に充てる計画であった。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "合成樹脂は塗料用・繊維加工用・接着用へ広がり、1962年10月のJRC吸収合併と大日本インキ化学工業への商号変更で本体に取り込まれた。1968年には資本金60億円・従業員5,800人、国内最大で世界第三位の印刷インキメーカーとなった。"
        }
      ],
      "parties": [
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          "name": "大日本インキ製造",
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            "note": "印刷インキ生産量で全国首位の専業メーカー。1950年5月に東京証券取引所へ上場、資本金3,000万円・従業員500人"
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        {
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      "dates": {
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      "breakdown": {
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        "summary": "日本の印刷インキが天然油脂を原料としていたのに対し、米国では合成樹脂に切り替わっていた。原料技術の差を自前で埋めず、技術を持つ米国メーカーとの合弁で取り込んだ判断"
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          "title": "東京・本所に川村インキ製造所を創業（1937年に大日本インキ製造として法人化）"
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          "title": "東京証券取引所に上場。直後に川村勝巳専務がライヒホールド社との合弁交渉のため渡米"
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          "title": "臨時株主総会で3,000万円の増資を決議、うち2,000万円を新会社関係へ充てる計画"
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          "title": "米ライヒホールド・ケミカルズとの合弁で日本ライヒホールド化学工業（JRC）を設立",
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          "title": "JRC大阪工場の設備が完成し、塗料用・紙工用・繊維用・合板用の合成樹脂を生産"
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          "title": "JRCが株式を店頭公開"
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          "month": 11,
          "title": "JRCが東京証券取引所市場第二部に上場"
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          "title": "JRCを吸収合併し、商号を大日本インキ化学工業へ変更（新資本金26億円）"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1950年3月期",
        "source": "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
        "companies": [
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            "name": "大日本インキ製造",
            "fiscal_year": "1950年3月期（単独）",
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              "sub_title": "印刷インキ首位という足場",
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                {
                  "text": "1950年5月に東京証券取引所へ上場した時点の大日本インキ製造は、資本金3,000万円、従業員500人の会社であった。1950年3月期の総売上高は2億5,098万円で、うち印刷インキが1億9,855万円を占めた。印刷インキの生産量は全国比で約14％にあたり、業界第一位である。販売先は大日本印刷ほか全国の印刷会社と、専売公社・印刷庁・鉄道局などの官需先で、いずれも需要先と直結していた。",
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                    {
                      "fact": "1950年3月期の総売上高は250,981千円（うち印刷インキ198,551千円）、資本金3,000万円、従業員総数500人。印刷インキ生産量は全国比約14％で第一位",
                      "原文": "印刷インキの生産量は対全國比約一四%に当り第一位である。販賣先は大日本印刷他全國にわたる印刷会社、官需関係では專賣公社、印刷廳、鉄道局等でいづれも需要先と直結している。",
                      "source": "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
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                {
                  "text": "足場は固い一方、原料では米国に後れを取っていた。日本では印刷インキを天然油脂からつくるのに対し、米国では合成樹脂を使っていた。捺染の分野でも差は同じで、戦時中の合成樹脂の進歩と有機顔料の改良によって、米国では印刷技術を織布に応用することが一般に普及していた。日本の捺染界が研究を急いでも、使用するインキは米国からの輸入に頼るほかなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本の印刷インキは天然油脂を原料としていたが、米国では合成樹脂を使っていた",
                      "原文": "われわれは、日本では印刷インキを造るのに天然油脂を使うのに、アメリカでは合成樹脂を使用しているためだった。合成樹脂に切り替えねば、と考えている矢先に、RCI副社長のオコンナー氏が来日し、樹脂技術の提携先を探しているという情報が入り、さっそく話に乗ったのである。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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                    {
                      "fact": "米国では合成樹脂の進歩と有機顔料の改良で捺染が普及していたが、日本で使う捺染インキは米国からの輸入に頼るほかなかった",
                      "原文": "米國に於いては印刷技術を織布に應用することは戰時中合成樹脂の進歩と有機顏料の改良発達の結果一般に普及し、我國捺染界に於ても近時これが研究を急速に進められたが使用インキは米國よりの輸入に俟つの外なかつた。",
                      "source": "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
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            {
              "sub_title": "提携先を探していた相手",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合成樹脂に切り替えねばならないと川村勝巳専務が考えていた矢先に、ライヒホールド・ケミカルズ副社長のオコンナー氏が来日し、樹脂技術の提携先を探しているという情報が入った。上場が完了した直後の1950年5月25日、川村専務は羽田から渡米した。ビザは被占領下の日本が発行したもので、旅券番号はまだ三桁の九百番台であった。渡航旅費にも制限があり、秘書も連れない単身の出張である。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1950年5月25日、川村勝巳専務が合成樹脂の技術導入交渉のため単身渡米した。ビザは被占領国「日本」発行、旅券番号は三桁の九百番台",
                      "原文": "上場完了直後の五月二十五日、私は羽田からアメリカに向かって旅立った。ライヒホールド・ケミカルズ・インコーポレーテッド(RCI)との合成樹脂の技術導入交渉のためである。／アメリカ出張といっても、ビザは被占領国「日本」の発行、旅券番号もまだ三ケタの九百番台。渡航旅費も制限されており、秘書など連れずの単身渡航である。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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                {
                  "text": "相手は小さな会社ではなかった。ライヒホールドはデトロイトに本拠を置き、シアトルほか7都市に工場と21の国内支店を構え、9カ国に共同出資会社、39カ国に販売の代表者を置いて合成樹脂・顔料・化学薬品を製造販売していた。資本金3,000万円の印刷インキ会社が、世界に販路を張る化学メーカーと組む交渉である。川村専務はデトロイトの本社と工場のほか、地方都市のインキ工場まで見て回った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ライヒホールドはデトロイトに本拠、シアトル他7都市に工場、21の国内支店、9カ国に共同出資会社、39カ国に販売代表者を持つ",
                      "原文": "尚ライヒホールドはデトロイドに本拠をもち、シヤトル他七都市に工場、二一國内支店、九ヶ國に共同出資会社、三九ヶ國に販賣に関する代表者をもち、合成樹脂・顔料・化学藥品を製造販賣する会社の由である。",
                      "source": "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
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                      "原文": "滞米中、デトロイトのRCIの本社、工場をはじめ、地方都市にまで足を伸ばし、インキ工場などを精力的に見学して回った。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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        {
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "増資3,000万円のうち2,000万円を新会社へ",
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                {
                  "text": "交渉は順調に進み、契約原案の交換まで至った。滞米中に朝鮮戦争が勃発し、川村専務は約1カ月後に帰国している。1950年8月の臨時株主総会は、資本金を3,000万円から6,000万円へ倍増させることを決めた。増資3,000万円のうち2,000万円は新会社関係に充てる予定で、大日本インキがこの新会社に必要とする資金は5,000万円ほどと見込まれた。当時の資本金を上回る額である。",
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                    {
                      "fact": "1950年8月の臨時株主総会で3,000万円増資（資本金6,000万円）を決定。増資分のうち2,000万円を新会社関係に使用予定で、新会社に必要な資金は5,000万円程度と見込まれた",
                      "原文": "更に昭和二五年八月の臨時株主総会に於いて三千万円を増資して資本金を六千万円とすることに決定した。／又今回増資の三千万円の内二千万円は新会社関係に使用する予定である。／前記出資金は一一、八八〇千円であるが、決局同社のこの新会社に必要とする資金は五千万円位の予定である。",
                      "source": "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
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                      "原文": "なんとも心細い旅行になったが、RCIとの技術導入、合弁会社設立の交渉は順調に進み、契約原案を交換した。／アメリカにいる間に朝鮮戦争が勃発、私はその約一カ月後に帰国した。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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                },
                {
                  "text": "新会社の資本金は6万ドル（邦貨換算2,160万円）、出資比率は大日本インキ55％・ライヒホールド45％と定め、工場は大阪工場の一部に置くことにした。外資委員会には認可申請書を提出し、正式決定を待つ段階にあった。製造の目的は、塗料・印刷インキ・合板・紙類・繊維製品に用いる合成樹脂および特殊顔料である。並んだ五つの用途のうち印刷インキは一つにすぎず、残る四つは既存の販路の外にあった。",
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                      "fact": "出資比率は大日本インキ55％・ライヒホールド45％、資本金6万ドル（邦貨換算2,160万円）、工場は大阪工場の一部。塗料・印刷インキ・合板・紙類・繊維製品用の合成樹脂と特殊顔料を製造目的として外資委員会に認可申請中であった",
                      "原文": "新会社はライヒホールド・ケミカルズ・インコーポレーテツドと合併で、大日本インキ五五%ライヒホールド四五%で資本金六万弗(邦貨換算二千百六十万円)の会社を設立、工場を大日本インキ大阪工場の一部に設置、塗料・印刷インキ・合板・紙類・繊維製品に用いる合成樹脂及び特殊顔料をつくる目的を以つて外資委員会に認可申請書を提出し正式決定を待つている。新会社の名称は日本ライヒホールド化学工業株式会社の予定で",
                      "source": "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
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              "sub_title": "1952年2月の設立と、その後の3年",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1952年2月、日本ライヒホールド化学工業が設立された。資本金2,160万円、大日本インキ55％・ライヒホールド45％という条件は、1950年の申請どおりである。外資との合弁会社としては、旭化成とダウ・ケミカルによる旭ダウに次ぐ二番目にあたった。社長には川村勝巳専務が就いた。父の川村喜十郎社長が大日本インキ本体を率いるなかで、新事業の側は息子が受け持った。",
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                    {
                      "fact": "1952年2月、資本金2,160万円・大日本インキ55％・RCI45％で日本ライヒホールド化学工業を設立。旭ダウに次ぐ二番目の外資合弁会社で、川村勝巳が社長に就任した",
                      "原文": "その後二年を経て、「日本ライヒホールド化学工業株式会社」が資本金二千百六十万円、当社五五%、RCI四五%の出資で設立された。化学会社としては旭化成-ダウ・ケミカルの旭ダウに次ぐ二番目の外資合弁会社であり、私が社長に就任した。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1952年2月、Reichhold Chemicals, Inc.との合弁出資により日本ライヒホールド化学工業株式会社（JRC）を設立",
                      "原文": "1952年２月 米国の合成樹脂メーカー Reichhold Chemicals, Inc.との合弁出資により、各種合成樹脂の製造・販売を行う日本ライヒホールド化学工業株式会社（JRC）を設立",
                      "source": "DIC 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "翌1953年、日本ライヒホールド化学工業は大阪工場の設備を完成させ、塗料用・紙工用・繊維用・合板用の合成樹脂を生産した。合成樹脂の用途は印刷インキの原料にとどまらず、塗料用・繊維加工用・接着剤へと企業化が進んだ。大日本インキ本体の生産販売量も上がり、1955年3月期には11億円の売上を記録している。1950年3月期の2億5,098万円から、5年で4倍を超えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1953年に日本ライヒホールド化学工業の大阪工場が完成し塗料用・紙工用・繊維用・合板用の合成樹脂を生産、大日本インキの1955年3月期売上は11億円に達した",
                      "原文": "この間二十七年二月には米国R・C・I社との合弁出資により日本ライヒホールド化学工業を設立し、また二十八年には同社大阪工場の設備完成をみて塗料用、紙工用、繊維用、合板用の合成樹脂を生産した。／かくて生産販売量は逐次上昇し、三十年三月期には十一億円の売上を記録した。",
                      "source": "『会社銀行八十年史』（1955年）「塗料」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "合成樹脂は印刷インキ原料以外に塗料用・繊維加工用・接着剤など広い分野で企業化が進んだ",
                      "原文": "二十年代後半から三十年代前半にかけ大日本インキは大いに発展した。合成樹脂は印刷インキ原料以外に塗料用、繊維加工用、接着剤など広い分野での企業化が進み、顔料のシアニンブルーはドイツ製品と比肩、世界メーカーの一角を占めるまでになった。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合弁を解く引き金を引いたのは、事業が伸びたことであった。日本ライヒホールド化学工業の資本金は1960年当時すでに5億円へ増え、その後の工場投資には50億円以上が必要と見込まれた。米国側は増資を重ねる資本負担を重荷と感じ、日本への投資を逐次換金する方針を固めて、保有株を東証一部上場の大日本インキ株へ乗り換えることにした。JRCは1960年11月に株式を店頭公開し、翌1961年11月に東証第二部へ上場している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "JRCは1960年当時資本金5億円に増えていたが今後の工場投資に50億円以上が必要となり、米国側が資本負担を重荷と感じて日本ライヒ株を大日本インキ株へ乗り換える方針を固めた",
                      "原文": "米国側も日本ライヒが急速に膨張し、増資を重ねるため、次第に、その資本的負担に重荷を感じるようになっていた。日本ライヒは三十五年当時、すでに資本金五億円にふえていたが、今後の工場投資を考えると、さらに五十億以上の資金を必要とする状態だった。そこで米国ライヒは、日本への投資を逐次換金することを考え、日本ライヒの株式を、一部上場の大日本インキ株に乗り換えて行く方針を固めた。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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                    {
                      "fact": "JRCは1960年11月に株式を店頭公開し、1961年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場した",
                      "原文": "1960年11月 JRCが株式を店頭公開／1961年11月 JRCが株式を東京証券取引所市場第二部に上場",
                      "source": "DIC 有価証券報告書【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "1962年10月1日、大日本インキ製造は日本ライヒホールド化学工業を吸収合併し、新資本金26億円で再出発した。商号は大日本インキ化学工業へ改めている。JRCの名を残すため、樹脂の販売会社として100％子会社の日本ライヒホールド株式会社を新たに設けた。専務にはライヒ系の木村直彦氏が加わっている。好成績を収めた外資合弁が円満に吸収合併された例は少なく、のちの資本自由化のころに珍しい話題となった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1962年10月1日に合併新会社が新資本金26億円で発足、商号を大日本インキ化学工業へ変更し、JRCの名を残す100％子会社として日本ライヒホールド株式会社を新設した",
                      "原文": "合併の際、ライヒのブランド(JRC)を残す意味で、一〇〇%子会社として、新たに日本ライヒホールド株式会社を設立、樹脂の販売会社とし、大日本インキ本体は合併を機に「大日本インキ化学工業株式会社」と改名、樹脂の生産を併合して再出発することになった。／合併新会社は三十七年十月一日、新資本金二十六億円をもってスタート、社長の私の下に専務制を敷き、豊田秀顕、渡辺道三郎、菊池勘治、ライヒ系から木村直彦の四人を選任した。／外資との合弁会社が後日、しかも好成績を収めながら、円満に吸収合併できた例はマレで、後に資本自由化の折、珍しい話題になった。",
                      "source": "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
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            {
              "sub_title": "印刷インキ会社が化学会社になるまで",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合併から6年後の1968年、大日本インキ化学工業の資本金は60億円、従業員は5,800人に達した。事業はインキ、化成品、合成樹脂の三部門を中心に、プラスチック、建材、農薬、石油化学、有機薬品へ広がった。国内で最大、世界では第三位の印刷インキメーカーであり、化学工業界のベスト・テンに数えられている。社章のDICは、Dainippon Ink and Chemicals, incorporated の頭文字から取られている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1968年時点で資本金60億円・従業員5,800人。印刷インキ・化成品・合成樹脂の三部門を中心にプラスチック、建材、農薬、石油化学、有機薬品へ進出し、国内最大・世界第三位の印刷インキメーカーとなった",
                      "原文": "〔資本金〕六〇億円／〔従業員〕五八〇〇名／大日本インキ化学は、わが国で最大、世界では第三位の印刷インキ・メーカーである。現在では、印刷インキ、化成品、合成樹脂の三部門を中心に、プラスチック、建材、農薬、石油化学、有機薬品の分野に進出、年商七〇〇億円台に乗せるのも時間の問題となっている。総合化学会社として、わが国の化学工業界のベスト・テンにランクされるまでになった。",
                      "source": "『企業の歴史 明治百年』（1968年）「大日本インキ化学工業」",
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                    },
                    {
                      "fact": "社章のDICはDainippon Ink and Chemicals, incorporated の頭文字から取られた",
                      "原文": "社章のDICは、Dainippon Ink and Chemicals, incorporatedの頭文字、DICをとったものである。",
                      "source": "『企業の歴史 明治百年』（1968年）「大日本インキ化学工業」",
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                },
                {
                  "text": "広げる範囲について、川村勝巳社長は枠をはっきり示していた。後年の講演では、「化学工業だけに限定し、その中でも互いに有機的関連を持つ事業の多角化をはかっていこうというのが私のねらい」と述べ、縁のない仕事にまで分散するとかえって弱体化すると説明している。資金と装置を要するベーシックケミカルは財閥系の会社にまかせ、そこから来る原料を製品化する側に自社を置く考えであった。1952年の合弁は、その枠の内側で打った最初の一手である。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "川村勝巳社長は多角化を化学工業に限定し、互いに有機的関連を持つ事業へ広げる方針を語り、ベーシックケミカルは財閥会社にまかせる位置取りを説明した",
                      "原文": "経営の多角化とはいっても、当社の事業に全く縁のない仕事にまで分散するとかえって弱体化するので、化学工業だけに限定し、その中でも互いに有機的関連を持つ事業の多角化をはかっていこうというのが私のねらいである。／化学工業はもともと金を食う仕事なので、ベーシックケミカルは財閥会社にまかせ、われわれはそこからくるものを知恵とサービスと足で製品化し、そこに当社の特色を生み出しているわけである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1974年12巻11号 川村勝巳「大日本インキ化学工業 特異な技術を生かし高付加価値産業を指向する」（1974年10月25日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）",
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                    }
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              "sub_title": "比率に表れた決断",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "資本金3,000万円の会社が、増資で得る3,000万円のうち2,000万円を、認可もまだ下りていない合弁会社へ振り向けると決めた。印刷インキで全国比14％を握る首位企業が、増資金の三分の二を、まだ一円も売上のない事業に置いた計算になる。原料が天然油脂のままでは米国に追いつけない——渡米前から川村勝巳専務が抱いていたこの見立てに、会社は本業の増産ではなく資金の大半を張った。首位の足場が固かったからこそ、インキの増設を後回しにできた。"
                },
                {
                  "text": "合弁そのものは10年で解けた。日本ライヒホールド化学工業は資本金5億円まで育ち、なお50億円以上の投資を求める規模になったところで、米国側が資本負担に耐えられなくなる。降りたのは踏み切った側ではなく、技術を持ち込んだ相手のほうだった。1962年の吸収合併は、合弁が伸びた帰結であると同時に、外資と組む枠組みが事業の伸びに追いつかなくなった結末でもある。社名から「製造」が落ち「化学工業」が入ったのは、その決着の記録である。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "『証券』1950年 第1巻10号「新規上場会社紹介 大日本インキ製造株式会社」",
        "川村勝巳「私の履歴書」（日本経済新聞社『私の履歴書 経済人20』1986年 所収）",
        "『会社銀行八十年史』（1955年）「塗料」",
        "『企業の歴史 明治百年』（1968年）「大日本インキ化学工業」",
        "証券アナリストジャーナル 1974年12巻11号 川村勝巳「大日本インキ化学工業 特異な技術を生かし高付加価値産業を指向する」（1974年10月25日 日本証券アナリスト協会企業分析部会 講演要旨）",
        "DIC 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-30"
    },
    {
      "slug": "sun-chemical-acquisition-1986",
      "url": "/tse/4631/decisions/sun-chemical-acquisition-1986/",
      "year": 1986,
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      "schema_version": "1.0",
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      "decision_id": "4631-sun-chemical-acquisition-1986",
      "type": "acquisition",
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      "regions": [
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      "title": "米サン・ケミカル社グラフィックアーツ部門の取得と、印刷インキ世界首位への到達",
      "subtitle": "自力で開発するか、開発済みの会社を買うか——1兆円計画に残った数%の差を、川村茂邦社長は何で埋めたか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "サン・ケミカル社のグラフィックアーツ部門を5億5,000万ドルで譲り受け、新会社サン・ケミカルとして発足させる事業譲受。オーナーの持株が46%に達していたため、株式公開買付による会社全体の取得は見送った",
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      "issue": "一兆円計画の達成手段と海外買収",
      "decider": "川村茂邦（社長）",
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1986年12月、大日本インキ化学工業が米サン・ケミカル社のグラフィックアーツ部門を5億5,000万ドル（当時およそ850億円）で取得し、新生サン・ケミカルとして発足させた買収。自己資本およそ1,000億円に対する投資であり、これによって世界最大の印刷インキメーカーとなった。川村茂邦社長の判断による。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1978年に社長へ就いた川村茂邦氏は、創業80周年にあたる1987年度に売上高1兆円という長期経営計画を掲げた。年率15%の成長が要るのに過去5年の実績は8%程度で、差を埋める柱は新製品開発と海外戦略に置かれた。印刷インキは技術サービスの密着が要り、輸出や現地生産では米国市場に入れなかった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1985年1月に競合インモントが独BASFの傘下へ入ると、川村社長は渡米してサン・ケミカルのアレキサンダー会長に直談判した。オーナーが持株を46%まで買い増していたため過半の取得は見送り、インキ部門の譲受にとどめている。前社長には買収成立後の経営を事前に打診し、承諾を得てから交渉に入った。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "川村社長は買収の可否を人で判断し、経営を託せる相手の承諾を得てから交渉に入った。1979年のポリクローム、1987年のライヒホールドと続く買収で世界一のインキメーカーの地位は確定したが、1兆円の達成は10年遅れ、海外が売上高の55.3%を占める中身になった。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "4631",
          "name": "大日本インキ化学工業",
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          "at_deal": {
            "note": "印刷インキ・合成樹脂・顔料を軸とする応用化学メーカー。1978年5月末の総資産2,257億円・自己資本381億円（自己資本比率16.9%）から、買収時には自己資本およそ1,000億円まで積み上げていた"
          }
        },
        {
          "stock_code": null,
          "name": "サン・ケミカル（米国）",
          "role": "売り手",
          "at_deal": {
            "note": "米国最大の印刷インキメーカー。1985年に競合インモントが独BASFの傘下に入った後、米国で買収の対象になりうる最後の大手として残っていた"
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        }
      ],
      "dates": {
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        "summary": "創業80周年に売上高1兆円という長期計画に残った年率数%の差を、自力開発ではなく既存企業の取得で埋める判断。印刷インキは技術サービスの密着が要り、輸出や現地生産では入りにくいため、米国市場への参入手段は買収に絞られていた"
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      "timeline": [
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          "title": "川村茂邦氏が3代目社長に就任"
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          "title": "創業80周年にあたる1987年度に売上高1兆円とする長期経営計画を策定"
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          "title": "米国の印刷材料メーカー Polychrome Corp. を株式の公開買付により買収"
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        {
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        {
          "year": 1986,
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          "title": "米サン・ケミカル社のグラフィックアーツ部門を5億5,000万ドルで取得し、新サン・ケミカルとして発足",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 1987,
          "month": 9,
          "title": "米国 Reichhold Chemicals Inc. を株式の公開買付により買収"
        },
        {
          "year": 1998,
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          "title": "連結売上高が1兆217億円に達し、うち55.3%を海外で計上"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1986年度（1987年3月期）",
        "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "4631",
            "name": "大日本インキ化学工業",
            "fiscal_year": "1986年度（1987年3月期・単独）",
            "president": "川村茂邦",
            "hq": "東京都",
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                {
                  "text": "1978年6月、川村茂邦氏が3代目社長に就いた。同氏が掲げたのは、創業80周年にあたる1987年度に売上高1兆円という長期経営計画である。発端は創業70周年記念事業推進委員会の席で出た提案で、年率15%の成長を続ければ5年で倍、10年で4倍になるという計算だった。川村社長は各事業部にその可能性を試算させ、集計した結果として達成できると判断している。内訳は国内8,500億円、海外1,500億円であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "年率15%成長なら5年で倍・10年で4倍という提案を受け、各事業部に試算・集計させたうえで昭和62年度（1987年度）の1兆円達成は可能と判断した",
                      "原文": "今後当社が年率15%の成長が達成できるならば5年で倍、10年で4倍即ち創業80周年を迎える昭和62年度には1兆円企業DICも夢ではないという提案がなされた。そこで私は各事業部にその可能性を試算、集計させたところ、10年後の1兆円達成は可能という結果がでた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
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                    {
                      "fact": "1兆円計画の内訳は国内8,500億円、海外1,500億円だった",
                      "原文": "「1兆円計画」においては国内で8,500億円、海外で1,500億円を予定しており、62年度における対53年度比の各事業部の伸びを見れば、最も大きい伸びが期待できるのが生物化学事業部である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
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                },
                {
                  "text": "川村社長はこの数字の出どころに意味を置いた。上から押しつけたものではなく、下から積み上げたものであることに意義があるという。ただし計画には自ら認めた欠落があった。過去5年間の成長率は8%程度にとどまり、年率15%との間に数%の差が残る。差を埋める手段として同氏が挙げたのは、新製品・新領域の開発と、国際企業としての海外戦略の二つであった。1978年5月末の総資産は2,257億円、自己資本381億円、自己資本比率16.9%である。",
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                    {
                      "fact": "川村社長は、1兆円という数字が上から押しつけたものでなく下から積み上げたものである点に意義を置いた",
                      "原文": "この数字は上から押しつけたものでなく、下から積み上げたものであることに大きな意義があるといえる。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
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                    {
                      "fact": "過去5年の成長率は8%程度で年率15%との間に数%の差が残り、それを埋める手段は新製品・新領域の開発と海外戦略の二つとされた",
                      "原文": "しかし、過去5年間を見れば、低迷状態にあり、その成長率も8%程度となっており、当然、そこには数%のギャップが生じてくる。しからば、このギャップを何によって埋めて行くか、それは新製品、新領域の開発であり、国際企業としての海外戦略展開である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
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                    {
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                      "原文": "本年5月末の資本金は180億6,200万円、従業員数5,335人、総資産2,257億円、うち自己資本381億円、従って自己資本比率は16.9%。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1978年16巻8号「年商1兆円を10年後に実現」（川村茂邦社長講演要旨、1978年6月30日）",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "印刷インキは、ユーザーに密着した技術サービスの体制がなければ売れない商品であった。同社の製品は用途ごとに細かく分かれ、注文のたびに技術者が仕様を詰める。問屋の手に負える商品ではなく、販売は直販に頼っていた。海外でも事情は変わらず、輸出や現地生産による新規参入は難しい。川村社長が就任から間もないころにサン・ケミカルとインモントという米国の2大インキメーカーの買収を考えたのは、米国市場へ入る道が買収のほかに見当たらなかったためであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "川村社長は社長就任から間もないころにサン・ケミカルとインモントの買収を考えていた。印刷インキは技術サービス体制が要るため輸出や現地生産による新規参入は難しく、買収以外の手段がなかった",
                      "原文": "社長に就任して間もないころから、サンケミカルとインモントの2大インキメーカーの買収を考えている。インキはユーザーに密着した技術サービス体制が必要なため、輸出や現地生産による新規参入は難しい。となれば、買収という手しかない。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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                      "fact": "同社の製品は用途別に細かく分かれた少量多品種で、技術サービスが重要なためディーラーを使えず直販方式をとっていた",
                      "原文": "当社の大きな特色は製品が少量多品種であることである。これは用途別に製品が細かくセグメントされていることによるもので、またそれだけにどうしても技術サービスが重要となる。従ってディーラーは使えず、直販方式をとらざるを得ない。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1978年16巻8号「年商1兆円を10年後に実現」（川村茂邦社長講演要旨、1978年6月30日）",
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                {
                  "text": "買収でしか入れないという読みは、1979年3月のポリクローム社の取得で先に実行に移されている。同社はレーザーなどの映像受信に要る感光材料に優れた技術を持っていた。川村社長は買収の理由をこう説明する。自力で開発すれば多大な時間と資金を要し、しかも研究が成功する保証は何もない。既存の会社を買えばリスクなしに技術を入手でき、すぐ収益に寄与し、時間の節約にもつながる。相手が持つ市場も貴重だと評価していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1979年3月、米国の印刷材料メーカー Polychrome Corp. を株式の公開買付により買収した",
                      "原文": "1979年3月 米国の印刷材料メーカー Polychrome Corp.（1989年にSun Chemical Corporationへ吸収合併）を株式の公開買付により買収",
                      "source": "DIC 有価証券報告書【沿革】",
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                      "fact": "自力開発は多大な時間と資金を要し成功の保証もないが、既存企業の買収ならリスクなしに技術を入手でき、すぐ収益に寄与し時間の節約になる、というのが買収の理由だった",
                      "原文": "もし当社がそれらを独自に開発するとしたならば多大な時間と資金を投入することが必要であり、さらに研究が成功する保証は何もない。しかし、現存の会社を買収すれば、リスクもなしに技術を入手でき、しかもすぐに収益に寄与し、時間の節約にもつながる。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
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                      "原文": "ポリクローム社の買収も、同社の技術力を評価したのはもちろんであるが、彼らが現在持っているマーケットもまた非常に貴重なものと評価したからである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
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        {
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              "sub_title": "インモントがBASFに買われた日",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1985年1月、狙っていた2社のうちインモントが独BASFに買収された。残るサン・ケミカルまで他社の手に渡れば、米国市場へ入る機会は失われる。DICに資金力がついてきたころでもあった。川村社長は直ちに渡米し、ノーマン・アレキサンダー会長にインキ部門を売ってくれと直談判している。当初は買収価格に開きがあったものの、直後のプラザ合意で円高が急速に進み、円で見た負担は軽くなった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1985年1月にインモントが独BASFに買収され、残るサン・ケミカルまで買われれば米国進出の機会が失われる状況で、川村社長は直ちに渡米しノーマン・アレキサンダー会長に直談判した",
                      "原文": "85年1月にインモントが独の巨大化学メーカーBASFに買収されてしまったのである。残るサンケミカルがどこかに買われてしまうと米国進出のチャンスが失われる。DICに資金力がついてきたころでもあった。川村は直ちに米国に飛んで、ノーマン・アレキサンダー会長に「インキ部門を売ってくれ」と直談判した。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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                    },
                    {
                      "fact": "交渉中にプラザ合意後の円高が急速に進み、買収額は5億5,000万ドルで決着した。円換算は1987年の川村社長の説明で約850億円、1992年の回顧記事では当時の為替レートで約770億円と記されている",
                      "原文": "当初は買収価格に開きがあったが、直後のプラザ合意で円高が急激に進み、紆余曲折を経た後、インキ部門を5億5000万ドル（当時の為替レートで約770億円）で買うことができた。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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                },
                {
                  "text": "1986年12月、大日本インキ化学工業はサン・ケミカルのグラフィックアーツ部門を5億5,000万ドルで取得し、新生サン・ケミカルとして発足させた。川村社長はこの額を850億円と言い換え、自己資本がざっと1,000億円だと並べてみせている。会社ごとではなく部門にとどめたのは、オーナー側が持株を46%まで買い増して過半の取得が難しくなり、無理をしなかったためであった。交渉で投資銀行は大して役に立たなかった、とも語る。",
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                    {
                      "fact": "1986年12月、米国 Sun Chemical Corporation のグラフィックアーツ部門を買収し、新 Sun Chemical として発足させた",
                      "原文": "1986年12月 米国Sun Chemical Corporationのグラフィックアーツ部門を買収、新Sun Chemical（現連結子会社）として発足",
                      "source": "DIC 有価証券報告書【沿革】",
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                    {
                      "fact": "買収額5億5,000万ドルは当時のレートで850億円にあたり、同社の自己資本はおよそ1,000億円だった",
                      "原文": "買収に5億5000万ドルを投じたといってもピンときませんけど、850億円というとちょっとしたもんですよ。うちの自己資本がざっと1000億円ですからね。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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                    {
                      "fact": "オーナー会社であるサン・ケミカルではオーナーが持株を46%まで買い増しており、過半の取得が難しくなったため株式公開買付を強行しなかった",
                      "原文": "サン・ケミのようなオーナー会社の場合は難しいですね。TOBをやるというのはだいたい非友好的な場合が多いわけですよ。そうなりますと、オーナーは、今度のサン・ケミでも46%まで買い増ししましたから、マジョリティーを取得するのが非常に難しくなったんで無理をしなかったんですよ。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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                    {
                      "fact": "川村社長はサン・ケミカルの交渉で投資銀行は役に立たなかったと述べている",
                      "原文": "投資銀行というのは大して役に立たんですよ。今度のサン・ケミのときなんか全く役に立ってない。向こうのオーナーが売る気になってからも、全然値が合わなくてね。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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              "sub_title": "経営者を確保してから交渉に入る",
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                  "text": "買収の可否を、川村社長は人で判断していた。会社を買うのは債券や不動産を買うのとは違って実態がなく、とくに米国では土地・建物にあまり価値がないから、人間と仕事そのものしかない——それが同氏の説明である。サン・ケミカルの前社長は、在任7年で同社を全米一のインキ会社にしながら、会長と意見が合わずに退いていた。川村社長はこの人物に買収成立後の経営を引き受けるかを打診し、承諾を得てから具体的な交渉に入っている。",
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                    {
                      "fact": "川村社長は、企業買収では債券や不動産と違って実態がなく、米国では土地・建物の価値が低いため人間と仕事そのものしかないと説明した",
                      "原文": "会社を買うというのは——同じ投資といっても、債券とか不動産を買うのと違って、実態がないんですね。特にアメリカの場合、土地・建物というのは余り価値がありませんから、人間と仕事そのものしかないわけですよ。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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                    {
                      "fact": "サン・ケミカルの前社長は在任7年で同社を全米一のインキ会社にしたが会長と意見が合わず退いており、川村社長は買収成功後の経営を事前に打診し承諾を得てから交渉を進めた",
                      "原文": "彼は社長を7年間している間に、サン・ケミを全米一のインキ会社にした人物なんです。ところが4年前に会長と意見が合わなくて心ならずも辞めてしまったのです。私は彼とずっと連絡をとってきまして、もしこの買収に成功したら経営をやってくれるかと打診しておったわけです。彼も是非やらせてくれということだったので、具体的に話を進める気になったんです。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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                {
                  "text": "その基準は失敗から得たものであった。10年ほど前、同社は米国で6番目に大きいインキ会社コール・アンド・マーデンを、純資産900万ドルに対し600万ドルで買っている。創業者の死去で売りに出たワンマン会社で、人材も技術もほとんど残らず、立て直しに7年かかった。1足す1が2では冒険する値打ちがなく、3にも5にもできる成算があるから買う、と川村社長は語る。この規模の買物をスパッと決められたのは同族会社であったからではないか、とも述べている。",
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                      "fact": "米国で6番目に大きいインキ会社コール・アンド・マーデンを純資産900万ドルに対し600万ドルで買収したが、ワンマン会社で人材も技術も残っておらず立て直しに7年を要した",
                      "原文": "当時1ドル300円で、900万ドルの純資産に対して600万ドルで買えたもんですから、良い買物だったなと思ったら、これがとんでもない見込み違いで。創業者が亡くなって売りに出たんですが、やはりワンマン会社でしたから、人材はいないし、技術もほとんどない。結局、亡くなった社長の顔で持ってたんですな。これは大変でした。経営者から経理、技術者まで相当投入して、立て直すのに7年かかりました。",
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                    {
                      "fact": "川村社長は、1足す1が2では冒険する値打ちがなく、3にも5にもできる成算があるからこそ買うと述べた",
                      "原文": "「1足す1が2」じゃ、それだけの冒険をする値打ちはありません。3になり5にできるという自信があるからこそ買っているんで、その会社を必ずよくできるという成算がなきゃ企業買収も意味ないですからね。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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                      "原文": "サン・ケミのような大きな買い物をスパッとできたのは同族会社だからではあるまいかと思うんです。",
                      "source": "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
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              "sub_title": "世界一のインキメーカーになるまでの三度の買収",
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                  "text": "1987年9月、同社は米ライヒホールド・ケミカルズを株式の公開買付により買収した。1952年に合成樹脂の技術を教わった相手を、35年後に傘下へ収めた買収である。1979年のポリクローム、1986年のサン・ケミカル、そしてライヒホールドと8年の間に三度重ねた米国買収によって、DICグループは1992年の時点で世界の印刷インキの15%を握る首位となり、インキ原料の有機顔料でも首位の独BASFに迫る20%以上を確保した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1987年9月、米国 Reichhold Chemicals Inc. を株式の公開買付により買収した",
                      "原文": "1987年9月 米国Reichhold Chemicals Inc.を株式の公開買付により買収",
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                      "fact": "1992年時点でDICグループは世界の印刷インキで15%の首位シェア、有機顔料でも首位のBASFに迫る20%以上のシェアを確保していた",
                      "原文": "これで、DICグループは、世界の印刷インキで15%のトップシェア、インキ原料の有機顔料でもトップの独BASFに迫る20%以上のシェアを確保した。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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                      "原文": "この技術は昭和27年に前社長がアメリカのライヒホールドという会社から技術導入し、当初は出資比率45対55の合弁会社で出発したが、15年前に当社に吸収合併された。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1978年16巻8号「年商1兆円を10年後に実現」（川村茂邦社長講演要旨、1978年6月30日）",
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                  "text": "買収額と資産価値の差にあたるのれん代の償却は、サン・ケミカルで1992年度に終わった。翌年度からは100億円近い利益を計上する見通しが立っている。経営を託した元社長のエドワード・バー氏は、このときサン・ケミカルの会長とDICの取締役を兼ねていた。人を得られなければ何も残らないという基準は、立て直しに7年を費やしたコール・アンド・マーデンとは違う結果を出した。",
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                      "fact": "サン・ケミカルは1992年度でのれん代の償却を終え、翌年度からは100億円近い利益を計上する見通しが立っていた",
                      "原文": "特にサンケミカルは、今年度で買収価格と資産価値の差額に当たるノレン代の償却を終わり、来年度からは100億円近い利益を計上する見通しが立っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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                      "fact": "買収後の経営を任されたサン・ケミカル元社長のエドワード・バー氏は、1992年時点でサン・ケミカル会長とDIC取締役を兼ねていた",
                      "原文": "もう一つ幸運だったのは、現在サンケミカルの会長兼DICの取締役を務めているエドワード・バーの全面的な協力が得られたこと。バーはサンケミカルの元社長で、アレキサンダーと経営方針で意見が食い違い、数年前に解雇されていた人物。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1992年の日本の化学業界は、再編の入り口に立ったばかりであった。三井東圧化学と三井石油化学の合併交渉が報じられ、両社は直後に交渉凍結を発表している。同じころ米デュポンと英ICIはアクリル事業とナイロン事業を相互に譲渡した。日本メーカーが慌てて動き始めるはるか以前に手を打っていた、と当時の記事はDICについて書いている。世界で一番にならなければ日本で一番にはなれない、というのが川村社長の論理であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1992年4月に三井東圧化学と三井石油化学の合併交渉が報じられたが両社は直後に交渉凍結を発表し、その直後に米デュポンと英ICIがアクリル事業とナイロン事業の相互譲渡を発表した",
                      "原文": "この4月、三井東圧化学と三井石油化学の合併交渉が報じられた。両社は直後に交渉凍結を発表したが、弱小な日本の化学メーカーが生き残るには、合併・買収（M&A）による企業規模の拡大、得意な製品での国際シェア獲得しかないことを印象づけた。（中略）この直後に米デュポンがアクリル事業を、英ICIがナイロン事業を相互に譲渡するというドラスチックな事業スワップを発表した。",
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                      "原文": "日本メーカーが慌てて再編に動き始めるはるか以前に、手を打っていたのだ。（中略）これからの化学業界では「世界でナンバーワンにならなければ日本でナンバーワンになれない」との明快な論理に加えて、ジャパンマネーを利用した「内→外型M&A」がブームになる前に仕掛けた度胸もある。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
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                {
                  "text": "一方、1兆円のほうは期限に間に合わなかった。連結売上高が1兆217億円に達したのは1998年3月期で、計画が定めた1987年度から10年遅れている。中身も当初の想定と入れ替わった。国内8,500億円・海外1,500億円という配分に対し、達成時には売上高の55.3%を海外で計上している。国内で年率15%の成長を続けるという前提が保てなかった分を、買収した米欧の子会社が埋めた計算になる。",
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                      "原文": "海外に積極的に進出してきた同社は、すでにグループの連結売上高1兆217億円（98年3月期）のうちの55.3%を海外で上げている。",
                      "source": "日経ビジネス 1998年9月14日号「新社長登場 奥村晃三氏（大日本インキ化学工業）体質改善で再編渦巻く世界競争に挑む」",
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                  "text": "5億5,000万ドル、当時の言い方で850億円は、自己資本およそ1,000億円の8割強にあたる。それを一度に投じた理由は、新製品開発で埋めるはずだった年率数%の差が、10年計画の後半に入っても残っていたところにある。研究開発費を売上高の6%まで積む構想は、成果が出るまでに年月を要する。その年月が1987年度という期限と噛み合わなかった。川村社長がポリクローム買収を「時間の節約」と言い換えたのは、期限から逆算した言葉であった。"
                },
                {
                  "text": "850億円で届いたのは世界一のインキメーカーという地位であって、1兆円ではなかった。達成は10年遅れ、しかも海外が売上高の55.3%を占める、国内で8,500億円を積むはずだった計画とは別の中身である。人を基準に置く買収の作法は、コール・アンド・マーデンで7年を失った代償として身につき、サン・ケミカルではその通りに働いた。買収は技術も市場も経営者も運んできたが、国内の成長率までは埋めなかった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1978年16巻8号「年商1兆円を10年後に実現」（川村茂邦社長講演要旨、1978年6月30日）",
        "証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」（川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日）",
        "日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）日本型M&A作戦」",
        "日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏（大日本インキ化学工業社長）国際M&A結実へ仕上げ」",
        "日経ビジネス 1998年9月14日号「新社長登場 奥村晃三氏（大日本インキ化学工業）体質改善で再編渦巻く世界競争に挑む」",
        "DIC 有価証券報告書【沿革】"
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      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-30"
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          "text": "2024年2月に長期経営計画「DIC Vision 2030」の見直しとキャッシュ・アロケーション方針を公表したDICが、2024年から2025年にかけて液晶材料事業から撤退し、星光PMC株式・政策保有株式・美術品を売却して投下資本を圧縮した経営判断。池田尚志社長のもとで進んだ。"
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          "text": "2021年6月のBASF顔料事業買収の後、2023年12月期に特別損失405億70百万円を計上して当期純損失398億57百万円に沈み、ROICは1.5%、PBRは0.72倍まで下がった。東京証券取引所が上場企業に求めた「資本コストや株価を意識した経営」への対応として、DICは資産の抱え方から見直しに入った。"
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          "text": "1973年に自社開発したネマティック型液晶に始まる液晶材料事業は、2024年12月に生産を終え、2025年9月に中国の生産子会社2社の出資持分を譲渡した。星光PMC株式は2024年1月に全株を手放し、DIC川村記念美術館は美術品384点を100点程度に絞って都内へ移すことが決まった。"
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          "text": "売却損を確定させてでも投下資本を先に外へ出す判断が2年続き、2025年12月期の営業利益は522億円、当期純利益は324億円まで戻った。一方でOASIS系ファンドの株主提案とISSの反対推奨を受け、資本効率をめぐる株主との距離は縮まっていない。"
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "顔料事業の買収がもたらした資本効率の重さ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "DICは2021年6月、ドイツBASFの顔料事業（Colors & Effects事業）を買収し、色材の品揃えを一気に広げた。しかし買収した事業の採算は振るわず、2023年12月期には特別損失405億70百万円を計上して、親会社株主に帰属する当期純損失は398億57百万円に達した。売上高1兆387億円に対し営業利益は179億円にとどまり、買収で増えた資産に見合う利益が出なくなっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2023年12月期は特別損失405億70百万円を計上し、親会社株主に帰属する当期純損失398億57百万円を計上した",
                      "原文": "2023年12月期（連結）は売上高1兆387億36百万円、営業利益179億43百万円、特別損失405億70百万円、親会社株主に帰属する当期純損失398億57百万円。",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2023年12月期・連結）",
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                    {
                      "fact": "2021年6月にドイツBASFから顔料事業（Colors & Effects事業）を買収した",
                      "原文": "2021年６月 ドイツBASF社から顔料事業（Colors & Effects事業）を買収",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【沿革】",
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                },
                {
                  "text": "資本市場から見た評価も低かった。2023年度のROICは1.5%、ROEは▲10.6%で、株価純資産倍率は0.72倍にとどまっていた。東京証券取引所が上場企業に求めた「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を受け、DICは資本収益性の改善を経営課題の中心に据える。2026年度の目標としてROIC4.0〜5.0%、ROE7.0〜8.0%を掲げ、分母である投下資本を減らす方向へ計画を組み替えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2023年度のROICは1.5%、ROEは▲10.6%、PBRは0.72倍で、DICは2026年度目標にROIC4.0〜5.0%、ROE7.0〜8.0%を掲げた",
                      "原文": "当社は東京証券取引所が上場企業に要請する「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」に基づき、資本収益性の改善を重要な経営課題と認識し、2026年度目標として、企業の収益力を示す財務指標の投下資本利益率（ROIC）水準を4.0〜5.0％に、株主資本コスト以上となる自己資本利益率（ROE）水準を7.0〜8.0％に設定しています。その達成に向けて構造改革や経営資源の選択と集中を推し進め、2024年度はROICが3.8％（2023年度実績1.5％）、ROEが5.6％（同▲10.6％）と一定の改善を示し、2019年度から1倍割れが続いている株価純資産倍率（PBR）も0.8倍（2023年度実績0.72倍）に上昇しましたが、いずれも株式市場が求める水準に対しては不十分と考えています。",
                      "source": "DIC 統合報告書2025（DIC Report 2025）「社長メッセージ」",
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              "sub_title": "「構造改革事業」に置かれたTFT液晶",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "液晶材料は、DICが自ら育てた事業であった。1973年5月、使用温度範囲・コントラスト・寿命のいずれでも従来水準を大きく上回るネマティック型液晶を開発し、電卓での採用を得ている。以来、ディスプレイパネル向け材料の供給者として半世紀にわたり事業を続けてきた。印刷インキと有機顔料を祖業とする会社が、家電の中核部品に納める材料を自前の研究から起こしていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1973年5月に、使用温度範囲・コントラスト・寿命で従来水準を大きく上回るネマティック型液晶を開発し、電卓での採用を獲得した",
                      "原文": "1973年５月 使用温度範囲、コントラスト、寿命などで従来水準を大きく上回る画期的なネマティック型液晶を開発、電卓での採用を獲得",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【沿革】",
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                {
                  "text": "その事業を、DIC自身が早い段階で要注意に分類していた。2022年2月に公表した長期経営計画「DIC Vision 2030」で、主力製品であるTFT液晶を「構造改革事業」と位置づけ、事業価値を高める策を検討し続けた。海外メーカーとの競争が激しくなり、事業環境の悪化が続くなかで、DICは最終的に事業の継続は困難と判断する。撤退は単年の業績で決まった判断ではなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2022年2月公表の「DIC Vision 2030」でTFT液晶を「構造改革事業」と位置づけ、その後、事業の継続は困難と判断して撤退を決めた",
                      "原文": "当社は、1973年に液晶材料の製造販売を開始以降、長年に亘り、主にディスプレイパネル等で使用される材料のサプライヤーとして同事業を展開してきました。しかし近年は海外メーカーとの競争激化など、事業環境の悪化が見られ、2022年２月に公表した長期経営計画「DIC Vision 2030」においては、その主力製品であるTFT液晶を「構造改革事業」と位置付けるなど、抜本的な事業価値向上策の検討を進めてきました。その後、様々な策を検討してきましたが、厳しい事業環境が続くなか、当該事業の継続は困難と判断し、この度当該事業からの撤退を決定しました。",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【企業結合等関係】事業分離",
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          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "キャッシュ・アロケーション方針と、液晶材料からの撤退",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2024年2月13日、DICは「長期経営計画『DIC Vision 2030』の見直しに関するお知らせ」で、2024年から2026年までのキャッシュ・アロケーション方針を公表した。生み出した資金の配分先をあらかじめ示し、資産の売却で得る現金もその原資に数える考えである。政策保有株式、生産合理化にともなう工場・土地、液晶材料事業の知的財産——2024年度の資産圧縮は約240億円に達した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年度は星光PMC株式・政策保有株式・液晶材料事業の知的財産・工場土地の売却により約240億円のキャッシュを創出した",
                      "原文": "また、キャッシュフローマネジメントの観点から、2024年度はキャッシュ・アロケーション方針に基づき、政策保有株式や生産合理化に伴う工場・土地の売却などの資産圧縮により240億円のキャッシュを創出しました。",
                      "source": "DIC 統合報告書2025（DIC Report 2025）「社長メッセージ」",
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                    {
                      "fact": "2024年2月13日に「長期経営計画『DIC Vision 2030』の見直しに関するお知らせ」で2024〜2026年のキャッシュ・アロケーション方針を発表した",
                      "原文": "2024 年 2 月 13 日 「長期経営計画『DIC Vision 2030』の見直しに関するお知らせ」 2024 年～2026 年のキャッシュ・アロケーション方針を発表",
                      "source": "DIC「ISS社レポートに対する当社の見解について」（2025年3月14日）",
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                {
                  "text": "事業そのものの整理も並行した。2024年1月15日、DICは連結子会社であった星光PMCの全保有株式を、同社の自己株式取得により手放している。この譲渡では45億13百万円の関係会社株式及び出資金売却損を計上した。液晶材料は2024年12月に生産を終え、2025年9月24日には中国の生産子会社である青島迪愛生精細化学有限公司と青島迪愛生液晶有限公司の出資持分全てを、青島金家岭財金投資有限公司へ譲渡した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年1月15日に星光PMCの全保有株式を同社の自己株式取得により譲渡し、45億13百万円の関係会社株式及び出資金売却損を計上した",
                      "原文": "当社は、2024年１月15日付で連結子会社である星光ＰＭＣ株式会社（以下、「星光ＰＭＣ」）の全保有株式を、同社の自己株式取得により譲渡しました。（中略）①移転損益の金額 関係会社株式及び出資金売却損 4,513百万円",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2024年12月期）【企業結合等関係】事業分離",
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                    {
                      "fact": "2025年9月24日に青島迪愛生精細化学有限公司・青島迪愛生液晶有限公司の出資持分全てを青島金家岭財金投資有限公司へ譲渡し、液晶材料は2024年12月に生産を終了していた",
                      "原文": "当社の連結子会社である迪愛生投資有限公司は、2025年９月24日付で同社の子会社である青島迪愛生精細化学有限公司及び青島迪愛生液晶有限公司の出資持分全てを、青島金家岭財金投資有限公司に譲渡しました。",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【企業結合等関係】事業分離",
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              "sub_title": "価値共創委員会が最初に扱った美術館",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2024年4月、DICは独立社外取締役4名で構成する「価値共創委員会」を設置し、最初の審議テーマにDIC川村記念美術館の運営を選んだ。美術館は1990年から千葉県佐倉市で30年以上運営され、芸術文化への貢献として評価を得てきた。一方で保有資産として見れば資本効率の面で有効に活用されていない、というのが会社の認識であった。委員会は合計6回にわたって審議した。",
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                    {
                      "fact": "2024年4月に独立社外取締役のみで構成する価値共創委員会を設立し、美術館運営を第1回の審議テーマとした。美術館は1990年から30年以上運営してきた",
                      "原文": "当社は、1990年から30年以上にわたってDIC川村記念美術館（以下「美術館」といいます。）を運営し、日本における芸術文化の発展に貢献することに努めてきました。当社は、2024年４月に設立した独立社外取締役のみで構成される価値共創委員会における審議及び助言を踏まえて、美術館運営の在り方について検討を進め（後略）",
                      "source": "DIC「株主の質問状に対する当社見解について」（2025年3月14日）",
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                    {
                      "fact": "会社は、美術館を保有資産として見た場合に資本効率の面で有効活用されていないと認識していた",
                      "原文": "一方で、中間報告に記載のとおり、美術館を保有資産という観点から見た場合、特に資本効率という側面においては必ずしも有効活用されていないことから、資本効率の改善を重要な経営課題に掲げる当社としては、運営の縮小又は中止によって得られる経済的価値という観点からの検討が必要であると考えました。",
                      "source": "DIC「株主の質問状に対する当社見解について」（2025年3月14日）",
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                {
                  "text": "2024年12月26日、取締役会は「ダウンサイジング＆リロケーション」を最終方針として決めた。保有する美術品384点を4分の1程度、およそ100点に絞り、残りを売却する。美術館の存続を求める署名は5万件を超えていたが、規模を縮めて都内へ移すという結論は動かなかった。2025年3月には移転先として、公益財団法人国際文化会館が2030年完工を予定する新西館への移転で合意した。",
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                      "fact": "2024年12月に保有美術品384点を100点程度に絞って残りを売却することを決定し、2025年3月に国際文化会館の新西館（2030年完工予定）への移転で合意した",
                      "原文": "同方針に伴い、保有する美術品384点については、1/4程度（100点程度）に絞り、それ以外の作品は売却することを決定／DIC川村記念美術館が所蔵する卓越した戦後アメリカ美術を中心とする20世紀美術品について、そのコレクションを中核に国際文化会館の新西館施設（2030年完工予定）に移転することを公表",
                      "source": "DIC 統合報告書2026（DIC Report 2026）「美術館運営の見直しを巡る経緯と背景」",
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                      "fact": "美術館の存続を求める署名を5万件超受領していた",
                      "原文": "美術館の運営見直しの検討にあたっては、美術館の存続を求める５万件超の署名や、声明文、嘆願書を受領し、当社による美術館の継続的な運営が社会から強く求められていること（後略）",
                      "source": "DIC「株主の質問状に対する当社見解について」（2025年3月14日）",
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              "sub_title": "株主提案と、2025年3月の株主総会",
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                  "text": "圧縮の進み方は、株主から遅いと見られていた。2025年3月27日の第127期定時株主総会に向け、OASIS系の2ファンドが株主提案を出し、3月3日と13日に公開質問を公表する。議決権行使助言会社のISSは、取締役会長 猪野薫氏の選任に反対を推奨した。理由は、同氏が社長であった2018年1月から2023年12月までの業績低迷と、美術品売却で得る資金の使途が不明確なことであった。",
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                    {
                      "fact": "ISSは、猪野薫氏の社長在任期間（2018年1月〜2023年12月）の業績低迷と、美術品売却によるキャッシュの使途が不明確であることを理由に、同氏の取締役選任に反対を推奨した",
                      "原文": "ISS 社は、猪野薫氏の取締役選任に反対推奨をする理由について下記の通り述べています。現会長である猪野薫氏が社長であった期間（2018 年 1 月から 2023 年 12 月まで）の業績が低迷したこと。当社が保有する美術品の市場価額について、1,000～2,600 億円と仮定した上で、将来的に美術品の売却から得られるキャッシュの使途が不明確であり、株主に対するキャピタルアロケーションの説明が不足していること。",
                      "source": "DIC「ISS社レポートに対する当社の見解について」（2025年3月14日）",
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                      "fact": "OASIS INVESTMENTS II MASTER FUND LTD.とOASIS JAPAN STRATEGIC FUND LTD.が第127期定時株主総会に株主提案を行い、3月3日と3月13日に公開質問を開示した",
                      "原文": "OASIS INVESTMENTS II MASTER FUND LTD.様及び OASIS JAPAN STRATEGIC FUND LTD.様（以下「提案株主様」といいます。）より、同年 3 月 27 日開催予定の第 127 期定時株主総会（以下「本総会」といいます。）の目的事項について、株主提案を受領しております。提案株主様は、同年 3 月 3 日付けで、当社に対する公開質問（以下「当初公開質問」といいます。）を開示し、その後、同年 3 月 13 日付けで、当社に対する追加の公開質問（以下「本追加公開質問」といいます。）を開示しています。",
                      "source": "DIC「株主の追加質問状に対する当社見解について」（2025年3月21日）",
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                {
                  "text": "DICは3月14日、2024年度に売上高1兆711億円・営業利益445億円・当期純利益213億円まで戻したことを示し、美術品を4分の1程度に絞って2025年度中に少なくとも100億円程度のキャッシュインを目指す方針を説明した。総会後も猪野氏は取締役会長にとどまっている。一方、創業家の川村喜久氏は任期満了で取締役を退き、無報酬のエグゼクティブアドバイザーを委嘱された。",
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                    {
                      "fact": "DICは2024年度実績（売上高10,711億円・営業利益445億円・親会社株主に帰属する当期純利益213億円）を示し、美術品を1/4程度に縮小して2025年度中に少なくとも100億円程度のキャッシュインを目指す方針を説明した",
                      "原文": "当社の 2024 年度業績は、下記の表に記載の通り、前年から大幅に改善しました。（中略）売上高 10,711 億円、営業利益 445 億円、親会社株主に帰属する当期純利益 213 億円（2024 年実績）。（中略）当社保有の美術品数を 1/4 程度に縮小することとし、その対象から外れる美術品の売却に着手し、2025 年度中に少なくとも 100 億円程度のキャッシュインを目指す方針を発表しました。",
                      "source": "DIC「ISS社レポートに対する当社の見解について」（2025年3月14日）",
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                    },
                    {
                      "fact": "川村喜久氏は第127期定時株主総会の終結をもって任期満了で取締役を退任し、無報酬のエグゼクティブアドバイザー職を委嘱された",
                      "原文": "川村喜久氏（以下「川村氏」といいます。）は、これまで当社の経営に大きく貢献して参りましたが、役員指名委員会が重視した取締役会のモニタリング機能の強化のため、当社の社外取締役比率を高め、ガバナンスをさらに向上するという方針から、本総会後の取締役候補者には含めないことといたしました。（中略）エグゼクティブアドバイザー職は（中略）無報酬で、かつ、委嘱事項や在任期間は当社の裁量で決定することとしており（後略）",
                      "source": "DIC「株主の質問状に対する当社見解について」（2025年3月14日）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "圧縮のあとに残った数字",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2025年12月期の連結売上高は1兆522億円と前期から減り、液晶材料事業からの撤退も減収の一因となった。それでも営業利益は前期比17.2%増の522億円、親会社株主に帰属する当期純利益は51.8%増の324億円に伸びている。純利益の増加には、液晶材料事業の撤退にともなう出資金売却益31億1百万円と、美術品売却益68億74百万円が効いた。美術品の売却による収入は80億円に上った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2025年12月期は営業利益522億円（前期比17.2%増）、親会社株主に帰属する当期純利益324億円（同51.8%増）で、液晶材料事業の撤退にともなう出資金売却益と美術品売却益が寄与した",
                      "原文": "親会社株主に帰属する当期純利益は、51.8％増の324億円でした。液晶材料事業の撤退に関連した出資金売却益や美術品売却益を計上するなど、特別利益が前年同期比で増加したことに加え、特別損失が前年同期比で減少しました。",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期・連結）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "液晶材料子会社2社の譲渡益は31億1百万円、2025年12月期の美術品売却益は68億74百万円、美術品の売却による収入は80億円であった",
                      "原文": "①移転損益の金額 関係会社株式及び出資金売却益 3,101百万円／美術品売却益 6,874／当連結会計年度は、美術品の売却により80億円、子会社株式及び出資金の売却により59億円、有形固定資産の売却により46億円の資金を獲得した。",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "人員も減っている。連結従業員数は2022年12月期の22,743人から2025年12月期には20,884人となり、3年で1,859人少なくなった。美術品は2025年11月、価値の高い20点程度をクリスティーズ経由でニューヨークの国際オークションに出品し、約束した100億円以上のキャッシュインを生んだ。OASIS系の3ファンドは2025年12月末時点で計11.60%を保有し、第3位・第6位・第7位の大株主に並ぶ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2025年11月にニューヨークの国際オークションへ美術品20点程度を出品し、100億円以上のキャッシュインを創出した",
                      "原文": "売却対象となる美術品のうちの主要な作品80点程度については、短期的な売却手段としての合理性だけでなく、売却における公平性の観点から、世界的なオークションハウスであるクリスティーズを通じて国際オークションに出品することを発表。うち、経済的価値が高い作品20点程度を2025年11月にニューヨークで開催されたオークションに出品し、対外的にコミットした100億円以上のキャッシュインを創出",
                      "source": "DIC 統合報告書2026（DIC Report 2026）「美術館運営の見直しを巡る経緯と背景」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "連結従業員数は2022年12月期22,743人から2025年12月期20,884人へ減少した",
                      "原文": "連結従業員数は、2022年12月期22,743人、2025年12月期20,884人。",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2022年12月期および2025年12月期）【従業員の状況】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2025年12月期末の大株主にOASIS JAPAN STRATEGIC FUND LTD.（6.10%・第3位）、OASIS INVESTMENTS II MASTER FUND LTD.（2.93%・第6位）、OASIS JAPAN STRATEGIC FUND Y LTD.（2.57%・第7位）が並ぶ",
                      "原文": "OASIS JAPAN STRATEGIC FUND LTD. 6.10％／OASIS INVESTMENTS II MASTER FUND LTD. 2.93％／OASIS JAPAN STRATEGIC FUND Y LTD. 2.57％（2025年12月31日現在）",
                      "source": "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【大株主の状況】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "同じ物差しに載せたもの",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "星光PMCの譲渡では、45億13百万円の売却損を計上している。損失を確定させてでも投下資本を先に外へ出す——2024年からの判断はこの順序で並んでいる。1973年に自社で開発した液晶材料も、1990年から運営してきた美術館も、事業として続けられるかではなく、資本コストに見合うかで測られた。半世紀の自社技術と、5万件超の署名が寄せられた施設を同じ物差しに載せたのが、池田社長のもとで進んだ2年間の割り切りである。"
                },
                {
                  "text": "圧縮で得た現金の使い道は、まだ数字になっていない。2025年12月期の営業利益522億円は構造改革の効果を含む一方、売上高は1兆522億円へ減っており、稼ぐ力そのものが厚くなった分は切り分けられない。残した100点程度の活かし方も、2030年完工予定の新西館を待つ。OASIS系のファンドは2025年12月末でなお計11.60%を持つ。減らす側の作業は済んだが、積む側の計画はまだ株主の前に出ていない。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "DIC 有価証券報告書（2023年12月期・連結）",
        "DIC 有価証券報告書（2024年12月期）【企業結合等関係】事業分離",
        "DIC 有価証券報告書（2025年12月期・連結）",
        "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【沿革】",
        "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【企業結合等関係】事業分離",
        "DIC 有価証券報告書（2025年12月期）【大株主の状況】",
        "DIC 有価証券報告書（2022年12月期および2025年12月期）【従業員の状況】",
        "DIC 統合報告書2025（DIC Report 2025）「社長メッセージ」",
        "DIC 統合報告書2026（DIC Report 2026）「美術館運営の見直しを巡る経緯と背景」",
        "DIC「株主の質問状に対する当社見解について」（2025年3月14日）",
        "DIC「ISS社レポートに対する当社の見解について」（2025年3月14日）",
        "DIC「株主の追加質問状に対する当社見解について」（2025年3月21日）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-30"
    }
  ]
}
