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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "なぜ大塚は中枢神経領域に張り続けられたのか（筆者所感）",
      "text": "大塚グループの原点は、1921年9月に大塚武三郎氏が徳島県鳴門で創業した大塚製薬工場にある。製塩業の中心地で生じる苦汁を原料に、医療用塩化マグネシウムや輸液を製造する町工場として出発した。輸液は大量の水と塩、安定した品質管理を同時に要する基幹医療品で、化学プラント型の工場運営が要求される。塩作りで生じる苦汁から化学品を取り出す技術が鳴門の土地に根付いていたため、医薬と消費財を同じ製造リテラシーで扱う異形のDNAが創業前後で芽生えた。\n\nこのDNAを組織に落とし込んだのが、1964年8月の医薬品事業分社による大塚製薬の設立である。輸液で稼ぎながら新規領域に資金と人を回す二本柱の出発点となった。1965年2月のオロナミンC、1980年4月のポカリスエット、1983年4月のカロリーメイトは、薬局チャネル前提の販路秩序の外に出る選択である。大塚正士氏は当時を「血の小便は出るし、死んでやろうかと思いました」（日経ビジネス 1978/09/11）と振り返っている。1989年のPharmavite経営権取得は、日本にサプリメント市場がない時期にネイチャーメイドを先取りし逆輸入する順序を作った。消費財の現金収入が医薬の長い開発期間を支えた。\n\nところが2002年11月にエビリファイが米国承認を取得し世界売上40億ドルに伸長した成功体験が、次の中枢神経領域への集中投資を促した。2008年7月の大塚HD設立と2010年12月の東証一部上場で外形を整えた後、研究開発費は年3000億円規模・売上収益比13〜15%で推移する。世界の大手製薬の多くが中枢神経領域から撤退するなか、大塚は逆にこの分野に資源を集中させた。競合が薄い分だけ成功時の市場を独占できる代わりに、失敗時の評価損を自社で引き受ける宿命を背負った。FY22の減損損失415億円はFY23に1724億円へ急増し、その大半がAVP-786と住友ファーマ提携品、デイヤフーズ関連の評価損だった。\n\n大手が降りた領域に大塚だけが残れた理由は、エビリファイの成功体験そのものではなく、消費財の安定収益が医薬の連続減損を吸収する二階建ての財務装置にある。FY24の売上2.3兆円・営業利益3235億円という最高益更新は、ニュートラ事業5570億円規模の現金収入が緩衝装置として効いた結果である。2024年6月就任の井上眞社長はJnana買収で創薬基盤を広げ、FY25減益予想下でも配当を120円据え置いた。1921年の鳴門で醸成された化学プラント型のDNAが、100年を経て中枢神経領域への賭けを支える側の役割を担っている。",
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