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    "name": "津村重舎（初代）",
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    "birthdate": "1871",
    "origin": "創業家（1893年創業）。母の生家に伝わる婦人薬「中将湯」を売り出すため、23歳で日本橋に津村順天堂を創業した。1936年の株式会社化で初代の取締役社長に就任し、1941年に死去するまで務めた",
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            "event": "退任",
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          "career"
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      {
        "source": "Tsumura & Co. Integrated Report 2019（英文）",
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          "kana"
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          "text": "1871年、奈良県宇陀郡伊那佐村の山田安次郎の二男として生まれた。兄は胃活を売り出した山田安民氏、弟は創業から店を支えた津村岩吉氏である。母なかの生家である藤村家は医を家業とし、婦人薬の中将湯を家伝の薬として希望者に分けていた。のちに津村磯次郎氏と養子縁組を結び、このとき初めて津村姓を名乗った。1893年、学業のかたわら日本橋に津村順天堂を創業した、ツムラの創業者である。"
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          "text": "1936年4月25日、個人営業の津村順天堂を株式会社に組織変更する創立総会が日本橋の本社で開かれ、取締役社長に就任した。原始定款は資本金を300万円、株式を6万株とし、本店を東京市、支店を大阪市に置くと定めた。取締役には長男の津村基太郎氏と弟の津村岩吉氏ら一族が就任し、監査役には兄の山田安民氏が入った。新会社は、創業から43年にわたり個人で営んできた本店と大阪支店の業務をそのまま引き継いだ。"
        },
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          "text": "株式会社としての在任は、1941年4月28日に70歳で死去するまでの5年間であった。在任中は中将湯とバスクリンの製造販売を続けたが、1937年から1938年ごろには原料の不足や製剤材料の値上がり、煎じ出し用の布袋の調達難に見舞われた。1939年には、製品の納入が遅れる旨の書状を取引先に出すまでに至っている。死去の翌月、長男の津村基太郎氏が2代目津村重舎を襲名し、専務取締役から社長に就任した。"
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          "text": "明治の中ごろは欧米の文物を取り入れる気風が強く、医薬品も舶来品でなければ効き目を認められない時代であった。津村重舎氏は幼いころから、母の生家の藤村家に伝わる婦人薬がよく効くと聞いて育ち、良い薬は必ず売れるという考えで家伝薬を商品にすると決めた。のちに自らの序文では、家伝薬を広めて病者を救うことを社会公益の一端と位置づけている。\n1893年、23歳でまだ学生の身だった津村重舎氏は、郷里の山林の一部を処分して開業資金を用意した。日本橋で間口3間・奥行11間半の長屋土蔵造りを借りて津村順天堂と名乗り、中将姫にちなんで商品名を「中将湯」とした。最初の店員は2名で、同年12月には弟の津村岩吉氏が郷里から上京して調剤や卸売りを受け持ち、妻の錠氏も家事のかたわら店の仕事を支えた。中将湯の定価は1回分7銭と、米1升をやや下回る値段に置いた。\n開業しても、近所には名の通った同種の薬を売る店が3軒あり、1893年と1894年の月商は200〜300円にとどまって、郷里に送金を頼むこともたびたびあった。津村重舎氏は、宣伝を卑しむ当時の業界の通念に逆らって広告を主な打ち手に据えた。1895年には中将姫の図柄を入れたガスイルミネーションの看板を本社の屋上に掲げ、これは国内初の例とされる。同じ年に新聞広告を2カ月で7回に値引きさせて載せ、7月から8月ごろに売れ行きが上向いた。1899年の売薬印紙の使用高は1万1,800円となり、富山の広貫堂、守田宝丹に次ぐ水準に達した。商いは現金売りを方針とし、仕入れの支払いも月末に必ず済ませた。\n1897年1月1日には大阪支店を開設し、滋賀・富山・奈良・和歌山の各県以西の販路を受け持たせた。1905年には大橋新太郎氏らと株式会社東亜公司を設け、中国と南洋への輸出の窓口とした。1919年に上目黒の目黒工場の使用許可を得て製造を集め、1924年には目黒工場の敷地に津村研究所を開設し、神代村で薬用植物園の準備に入った。事業のかたわら1904年に東京市会議員となり、1925年には多額納税議員として貴族院に議席を得た。\n1930年には、中将湯の製造で出る生薬の切りくずを使った芳香浴剤バスクリンを売り出し、婦人薬に次ぐ商品を加えた。当初は夏場向けの浴剤として、銭湯の需要を中心に売上を拡大した。1936年4月には個人営業を株式会社津村順天堂に改め、自ら初代の取締役社長に就任した。社長在任のまま1941年4月28日に70歳で死去し、長男の津村基太郎氏が2代目津村重舎を襲名して経営を継いだ。"
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