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  "company_name": "第一製薬",
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  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/4505/decisions/suntory-pharma-2002/",
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  "year": 2002,
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  "type": "acquisition",
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  "title": "サントリー医薬品事業部門の分社化と共同出資会社・第一サントリーファーマの設立",
  "subtitle": "次の新薬をどこから調達するか——自社創薬か、他社の研究部隊ごとの取り込みか",
  "status": "implemented",
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  "scheme": "サントリーの医薬品事業部門を分社化し、第一製薬66％・サントリー34％の共同出資会社として設立。研究開発費は第一製薬が負担し、開発した新薬は第一製薬の販売網を使う。将来の完全子会社化を視野に入れた枠組み",
  "ratio": "第一製薬66％・サントリー34％",
  "issue": "研究開発力の調達",
  "decider": "森田清（社長）",
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    {
      "label": "概要",
      "text": "2002年7月30日、第一製薬とサントリーは、サントリーの医薬品事業部門を分社化したうえで共同出資の新会社を12月末に設立することで合意したと発表した。出資比率は第一製薬66％、サントリー34％で、サントリーの医薬品部門から約300人が移籍した。"
    },
    {
      "label": "背景",
      "text": "1998年5月の長期ビジョン「グローバル・テン」は2006年度に連結売上高5000億円を掲げたが、当時の実績は2900億円だった。世界の大手は合併で規模を積み上げ、2002年には中外製薬がロシュの傘下に入るなど、国内にも再編の波が届いていた。"
    },
    {
      "label": "内容",
      "text": "新会社の社長にはサントリーの中山讓治取締役が就き、両社から役員を派遣した。研究開発費は第一製薬が負担し、開発した新薬は第一製薬の販売網などを利用する。将来は第一製薬の完全子会社にすることも視野に入れ、サントリーは医薬品事業から事実上撤退した。"
    },
    {
      "label": "含意",
      "text": "完成した薬ではなく、薬を生む研究部隊と経営者を丸ごと取り込む選択だった。ただし翌2003年の『会社四季報』最新情報は「増収だが利益貢献なし」と評し、業績を支えたのは既存品と営業改革であった。"
    }
  ],
  "parties": [
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      "name": "第一製薬",
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        "note": "合成抗菌剤クラビット・タリビッドと国内シェア首位の造影剤を柱とする医薬品売上高国内5位の大手。1998年に10年ビジョン「グローバル・テン」を掲げていた"
      }
    },
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      "name": "サントリー",
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  "dates": {
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  "breakdown": {
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    "summary": "自社創薬の次弾が細るなかで、他社の医薬品事業部門を分社化させて共同出資会社に仕立て、研究者約300人と開発案件を丸ごと取り込んだ判断"
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  "timeline": [
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      "title": "10年間の長期ビジョン「グローバル・テン」を発表（2006年度に連結売上高5000億円）"
    },
    {
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      "title": "森田清氏が社長に就任し、国内3位以内を目標に掲げる"
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      "title": "サントリーの医薬品事業部門を分社化し共同出資会社を設立することで合意"
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      "title": "第一サントリーファーマを設立（第一製薬66％・サントリー34％、約300人が移籍）",
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      "year": 2003,
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      "title": "中山讓治氏が第一製薬の取締役に就任"
    },
    {
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      "title": "三共との経営統合で基本合意"
    }
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  "snapshot": {
    "fiscal_year": "2003年3月期",
    "source": "第一製薬 当該期の有価証券報告書は本データに未収録。役職・所在地は同時代の誌面（週刊東洋経済 1999年7月17日号ほか）による",
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        "name": "第一製薬",
        "fiscal_year": "2003年3月期",
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          "sub_title": "グローバル・テンと「三番目までに入らなければ」",
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            {
              "text": "1998年5月に発表した10年間の長期ビジョン「グローバル・テン」は、2006年度に連結売上高5000億円、連結純利益550億円を置いた。当時の実績は売上高2900億円、純利益200億円である。8年で2100億円の売上を積み増す計画であり、その差を埋める新薬をどこから調達するかが残った。看板に据えたのは自社製品重視の「研究開発型国際製薬企業」だが、そこには他社との提携・導入による補完という一句が明文で添えられている。"
            },
            {
              "text": "翌1999年6月に社長へ就いた森田清氏は、就任にあわせて「世界第二のマーケットで、三番目までに入らなければ製薬メーカーとして価値がない」と表明した。国内3位以内を社内で正面から掲げたのは森田氏が最初である。1962年入社のMR出身で、国内順位が10位前後まで落ちた1980年代前半には北陸地区の営業統括責任者を務めた。売る新薬がない時期を「売れ筋製品さえあれば、とひしひしと感じた」と振り返る人物が、次の薬をどこから持ってくるかという課題を引き受けた。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "合併で積み上がる世界、動かない国内",
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            {
              "text": "同じころ、世界の製薬は合併で規模を積み上げていた。1987年に1.5倍だった武田薬品工業とメルクの医薬品売上高の差は、その後の10年で世界五強と日本五強の1桁違いに広がっている。世界2位から4位はいずれも合併で生まれた会社である。当時挙げられた合併の効能は、人員整理による利益だけではない。自社の新薬ラインナップが乏しい場合に研究開発案件を相互に補えることと、膨らむ研究開発費を効率化できることが並んでいた。"
            },
            {
              "text": "国内では上位企業のM&Aが起きず、第一製薬はエーザイ・藤沢薬品工業と4位グループを団子状態で構成していた。その均衡が2002年に崩れる。9月にスイスのロシュが第三者割当増資と公開買い付けで中外製薬株の50.1％を握り、10月に日本ロシュと中外が合併した。中外は売上高の20％にあたる400億円強を研究開発に投じながら、欧米大手にも日系大手にも見劣りしていた。ゲノム解読と超大手の誕生により、勝ち残りはいかに早く開発へ集中投資するかで決まるという見方が広がっていた。"
            }
          ]
        }
      ]
    },
    {
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      "label": "決断",
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        {
          "sub_title": "分社させ、66％を握る",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "2002年7月30日、第一製薬とサントリーは、サントリーの医薬品事業部門を分社化したうえで共同出資の新会社を12月末に設立することで合意したと発表した。出資比率は第一製薬66％、サントリー34％。社長にはサントリーの中山讓治取締役が就き、両社から役員を派遣する。サントリーの医薬品部門から約300人が移籍し、研究開発費は第一製薬が負担して、開発した新薬は第一製薬の販売網などを利用する。"
            },
            {
              "text": "発表された狙いは、ゲノムを利用した創薬など世界的な新薬開発競争が激化するなかで、製品の品ぞろえと研究開発力を強化することにあった。将来は第一製薬の完全子会社にすることも視野に入れており、サントリーは医薬品事業から事実上撤退している。買収と提携の中間に置かれた枠組みではあるが、費用と出口——研究開発費と販売網——は初めから第一製薬の側に寄せてあった。サントリーに残した34％は、時間をかけて引き取るまでの持ち分だったとみられる。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "会社でも化合物でもなく、研究の部隊を買う",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "1990年代末の業界では、規模拡大のためのM&Aは行き詰まる公算が高く、むしろ研究開発力を持つ中堅企業を買うほうが中期の競争力を高めるという見方が示されていた。第一製薬が採ったのは、会社を丸ごと買うのでも、化合物を1本導入するのでもない方式である。相手の事業部門を切り出して別会社に仕立て、そこへ研究者ごと移す。医薬品を本業としない相手であればこそ、事業部門だけを取り出す交渉が成り立った。"
            },
            {
              "text": "外から製品を借りることは、第一製薬にとって初めてではなかった。1974年に他社開発の新薬も導入すべきだという方針が示され、仏サノフィ社から導入して1981年に発売した脳梗塞薬パナルジンが端境期の業績を支えている。自社開発の合成抗菌剤タリビッドが苦境を脱させたのは、そのあとである。入ってくるのは完成した薬ではなく、約300人の研究者と、その部隊を率いてきた経営者1人である。導入は薬を借りることだが、今度は薬を作る工程ごと引き取った。"
            }
          ]
        }
      ]
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    {
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      "label": "結果",
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        {
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            {
              "text": "取り込みの効果は、数字にすぐには表れなかった。2003年5月の『会社四季報』最新情報は第一製薬を「低調」と評し、「買収したサントリー医薬部門通年寄与で増収だが利益貢献なし」と書いている。同じ記事は、抗菌剤クラビットが米国での在庫調整によって減り、研究開発費も増えて営業減益になると見込んだ。増えたのは売上高と研究開発費で、利益は減った。合弁の初年度は、この差し引きで終わっている。"
            },
            {
              "text": "その間、業績を支えたのは既存品と営業だった。2004年の薬価改定は業界平均4.2％の引き下げで、大型抗血小板剤プラビックスの発売までは端境期が続いた。それでも期初に前期比25％減と見込んでいた経常利益は、3度の上方修正でほぼ前年度並みまで戻った。2000年に着手した営業改革で、営業所は108から71へ減っている。2004年10月の四季報最新情報はクラビットの出荷増を、翌2005年2月は血圧降下剤アーチストの好調を挙げた。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "移ってきたのは、人だった",
          "paragraphs": [
            {
              "text": "合弁がもたらしたもののうち、最も早く形になったのは人事である。第一サントリーファーマの社長に就いた中山讓治氏は、2003年に第一製薬の取締役となった。合意から1年足らずで、相手側の事業部門を率いていた人物が買い手の取締役会に加わっている。中山氏はその後、第一三共の副社長執行役員を経て2010年6月に同社の社長へ就いている。"
            },
            {
              "text": "一方、規模の差は縮まらなかった。第一製薬のMRは約1200人と国内勢ではトップクラスだったが、ファイザーの日本法人など巨大外資は3000名以上を擁していた。2005年2月、第一製薬は三共との経営統合で基本合意に達する。当時の誌面は第一製薬について「ここ２年間は既存品が踏ん張り、開発中の抗血小板剤プラビックスは来期発売までこぎ着けた。ただ、単独で世界と伍していくのは規模で見劣りする」と書いた。合弁から2年半で、単独で成長するという前提のほうが先に手放された。"
            }
          ]
        },
        {
          "sub_title": "買えなかったのは、薬になるまでの時間",
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            {
              "text": "第一製薬が手に入れたのは、売れる薬ではなく、薬を作る人の集団だった。研究開発費を全額引き受け、販売網も自社のものを使いながら、34％はサントリーに残す。完全子会社にするまでの移行の時間を、この34％で買っている。1974年に他社の新薬を導入する方針へ転じた会社が、今度は開発の工程ごと引き取る側へ回った。買う対象が、薬から人へ移っている。"
            },
            {
              "text": "買った研究資産が薬になる前に、会社の時間のほうが尽きた。合弁初年度は「増収だが利益貢献なし」と評され、業績を支えたのはクラビットとアーチストという既存品と、営業所を108から71へ削った営業側の踏ん張りであった。2005年2月に三共との統合で基本合意へ至るまで、約300人の研究者が生んだ新薬が数字に載ることはない。それでも、この合弁が残したものはある。相手側の事業部門を率いていた中山讓治氏は、5年後に統合後の会社を率いた。買えなかったのは研究開発力ではなく、それが薬に変わるまでの年月であった。"
            }
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "references": [
    "共同通信（四国新聞 2002年7月30日）",
    "週刊東洋経済 1999年2月13日号",
    "週刊東洋経済 1999年7月17日号",
    "週刊東洋経済 2002年11月2日号",
    "週刊東洋経済 2003年5月24日号",
    "週刊東洋経済 2004年10月23日号",
    "週刊東洋経済 2004年11月13日号",
    "週刊東洋経済 2005年2月26日号",
    "週刊東洋経済 2005年3月5日号",
    "週刊東洋経済 2010年6月26日号",
    "週刊東洋経済 2015年7月10日号"
  ],
  "authored": "2026-07",
  "last_updated": "2026-07-29"
}
