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      "title": "匿名組合アーセミン商会の創立とサルバルサンの国産化、第一製薬株式会社への改組",
      "subtitle": "輸入が途絶えた薬をつくるか、輸入が戻るのを待つか——供給の空白から起こされた会社",
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      "decider": "柴田清之助（第一製薬 初代社長）ら創立同人",
      "highlights": [
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          "label": "概要",
          "text": "1915年、第一次大戦でドイツからの医薬品輸入が途絶えるなか、薬学博士の慶松勝左衛門氏が製造に成功した梅毒治療剤サルバルサンの工業化を目的として、匿名組合アーセミン商会を創立した経営判断。3年後の1918年1月に資本金50万円の第一製薬株式会社へ改組した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "明治期の日本に本格的な製薬事業はほとんど育たず、染料と医薬品の市場はドイツのIG組合が握っていた。大戦による輸入の杜絶は医療に重大な障害をもたらし、政府は1915年6月に染料医薬品製造奨励法を公布して国産化を促した。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1915年10月1日に匿名組合として創立し、国産駆梅剤「ネオ・ネオアーセミン」を主体に製造販売を開始。1916年12月31日に合資会社へ改組し、1918年1月31日に同一の経営陣が資本金50万円の株式会社を設立して事業を継承、アーセミン商会は解散した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "薬種問屋の商権も輸入代理店の資本も持たず、一つの製法と供給の空白だけで起こした会社であった。1920年に資本金は200万円まで増えたが、1923年9月の関東大震災で本社・工場を全焼し、11月に半額減資へ追い込まれた。"
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            "note": "1915年10月に匿名組合アーセミン商会として創立。1918年1月に資本金50万円で株式会社化し、本社を東京・日本橋、工場を本所に置いた"
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          "title": "染料医薬品製造奨励法が公布（適合会社に10年間・年8分の配当を保証）"
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          "title": "匿名組合アーセミン商会を創立、国産駆梅剤「ネオ・ネオアーセミン」の製造販売を開始",
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          "title": "合資会社アーセミン商会へ改組"
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          "title": "資本金50万円の第一製薬株式会社を設立、アーセミン商会は解散"
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          "title": "第二製薬を創立して即日吸収合併、資本金200万円へ"
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          "title": "関東大震災で本社・工場が全焼（同年11月に半額減資）"
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        "fiscal_year": "1918年（第一製薬株式会社 設立時）",
        "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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            "name": "第一製薬",
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            "president": "柴田清之助",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "輸入に依存していた医薬品市場",
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                {
                  "text": "明治期の日本に、本格的な製薬事業はほとんど育たなかった。明治末に国内で生産されていたのは薄荷脳、ヨードカリ、ガレヌス製剤、ヂアスターゼ程度にすぎず、医薬品の多くを輸入に頼っていた。染料と医薬品の日本市場を支配していたのは、バディッシュ、バイエル、ヘキストなどからなるドイツのIG組合である。日本の企業が先進国から技術を導入しようとすれば、こうした国際的な独占組織に拒まれ、わずかに製品をつくり出せてもダンピングの強襲を受けるおそれが強かった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "明治期には本格的な製薬事業がほとんど起こらず、明治末の国内生産は薄荷脳・ヨードカリ・ガレヌス製剤・ヂアスターゼ等にとどまった",
                      "原文": "しかし、明治時代には本格的な製薬事業は殆んど起らず、明治末期に国内生産されたのはわずかに、薄荷脳、ヨードカリ、ガレヌス製剤、ヂァスターゼ等にすぎなかつた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「医薬品」概説",
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                    {
                      "fact": "染料・医薬品の日本市場はドイツのIG組合が支配し、技術導入は拒否され、製品化してもダンピングを受けるおそれが強かった",
                      "原文": "それまでソーダはベルギーの「ソルベー組合」の一員である英国のブラナー・モンド社が、また染料、医薬品はバディッシュ、バイエル、ヘキストなどのドイツ「IG組合」がそれぞれ日本の市場を支配していた。日本企業が先進国から技術を導入しようとすると、これらの国際的な独占組織の拒否にあった。また、わずかに製品をつくり出せても、たちまちダンピングの強襲にあうおそれが強かった。",
                      "source": "日本産業史 第1巻（日本経済新聞社, 1994）「化学－製薬に近代化の波」",
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                },
                {
                  "text": "1914年に欧州大戦が始まると、ドイツからの輸入が止まり、ソーダ、染料、医薬品が国内で欠乏し始めた。政府は臨時薬業調査会を設けて医薬品工業の振興策を諮問し、その答申にもとづいて1915年6月に染料医薬品製造奨励法を公布する。一定の条件に適合する会社へ、10年間にわたり年8分の配当を保証すると政府が約束する内容であった。梅毒治療剤のサルバルサンも、それまでもっぱら輸入に依存してきた薬剤の一つで、その杜絶は医療に重大な障害をもたらした。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "政府は臨時薬業調査会の答申にもとづき1915年6月に染料医薬品製造奨励法を公布し、適合会社に10年間・年8分の配当保証を約束した",
                      "原文": "一方、医薬品工業振興のために政府は臨時薬業調査会を設けて諮問したが、以上の二つの答申に沿って立法化されたのが「染料医薬品製造奨励法」であり、大正四年六月公布された。これは一定の条件に適合する会社に一〇年間、年八分の配当を保証することを政府が約束したものだが、このときソーダ工業と電気化学工業とについては、財政上の理由から特別な措置は講じられなかった。",
                      "source": "日本産業史 第1巻（日本経済新聞社, 1994）「化学－製薬に近代化の波」",
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                      "fact": "大戦により医薬品の輸入が杜絶して医療上の重大な障害となり、梅毒治療剤サルバルサンは従来もっぱら輸入に依存していた",
                      "原文": "欧州大戦のため、医薬品の輸入が杜絶し、医療上重大な障害となつたので、大正四年十月医薬品の創製、国産化を目的として、匿名組合アーセミン商会が創立された。すなわち、梅毒治療剤「サルバルサン」は、従来もつぱら輸入に依存していた",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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            {
              "sub_title": "薬種問屋でも輸入商でもない出自",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "当時、製薬業へ進んだ会社には二つの道筋があった。一つは薬種商からの転身である。日露戦争後の大阪の問屋仲間でとりわけ伸びた武田長兵衛氏、田辺五兵衛氏、塩野義三郎氏らは、輸入薬品を扱いながら小工場で薬品を精製し、自家の商標をつけて売り出していた。もう一つは輸入販売からの参入で、三共の創立者である塩原又策氏は、横浜で羽二重の売り込みから薬品へ手を伸ばし、輸入・販売業を経て製薬へ移った。どちらも、薬を売って蓄えた資本の上に工場を建てている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大阪の武田長兵衛・田辺五兵衛・塩野義三郎らは薬種商出身で小工場での精製から製薬兼業へ進み、三共の塩原又策は横浜の羽二重売り込みから薬品の輸入・販売業を経て製薬へ移った",
                      "原文": "日露戦争後、大阪の問屋仲間でとりわけ伸びたのは輸入薬品を扱っていた武田長兵衛、田辺五兵衛、塩野義三郎などだった。彼らは当時から小工場で薬品の精製をしており、自家の商標をつけて売り出し、商人から製薬業兼業への道を歩んでいった。大阪の製薬業者の多くが江戸時代以来の薬種商出身であったのに対し、「三共」の創立者塩原又策は横浜で羽二重売り込みから薬品に手を伸ばし、輸入・販売業へと移っていた。",
                      "source": "日本産業史 第1巻（日本経済新聞社, 1994）「化学－製薬に近代化の波」",
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                {
                  "text": "アーセミン商会には、そのどちらの前歴もない。1915年7月に薬学博士の慶松勝左衛門氏がサルバルサンの製造に成功し、その工業化を図ることだけが出発点になった。江戸期以来の商権も、輸入代理店として積んだ資本も持たない。会社を起こす材料は、輸入が止まって空いた供給の穴と、国産化にこぎつけた一つの製法の二つに限られていた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1915年7月に薬学博士 慶松勝左衛門氏がサルバルサンの製造に成功し、その工業化を図ったことがアーセミン商会創立の目的であった",
                      "原文": "大正四年七月薬学博士慶松勝左衞門氏が、その製造に成功したので、その工業化を図つたのである。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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          "label": "決断",
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            {
              "sub_title": "匿名組合として始める",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1915年10月1日、医薬品の創製と国産化を目的として、匿名組合アーセミン商会が創立された。商会は国産駆梅剤「ネオ・ネオアーセミン」を主体として医薬品の製造販売を開始する。慶松氏の製法を工業化し、輸入品の消えた市場へ国産の駆梅剤を置く。事業はその一点に絞られていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1915年10月、医薬品の創製・国産化を目的に匿名組合アーセミン商会が創立され、国産駆梅剤「ネオ・ネオアーセミン」を主体に医薬品の製造販売を開始した",
                      "原文": "同商会は、国産駆梅剤「ネオ・ネオアーセミン」を主体として医薬品の製造販売を開始し、翌五年十二月、合資会社に改組したが、",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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                {
                  "text": "商会は1916年12月31日に合資会社へ改組した。社史『四十年史』は1915年10月1日から1918年1月31日までを創業期とし、その内側をさらに匿名組合の章と合資会社の章に分けている。2年3か月ほどの間に、事業のかたちが一度変わった計算になる。製造の目処が立つのが先で、それを支える組織は後から合わせている。",
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                      "fact": "社史『四十年史』は創業期を1915年10月1日〜1918年1月31日とし、匿名組合アーセミン商会の章（〜1916年12月31日）と合資会社アーセミン商会の章（1916年12月31日〜1918年1月31日）に分けている",
                      "原文": "第一部 創業期(自大正四年十月一日 至大正七年一月三十一日 自一九一五年 至一九一八年) 第一章 創業と匿名組合アーセミン商会(自大正四年十月一日 至大正五年十二月三十一日) 第二章 合資会社アーセミン商会(自大正五年十二月三十一日 至大正七年一月三十一日)",
                      "source": "第一製薬 四十年史（第一製薬, 1955）",
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            {
              "sub_title": "資本金50万円の株式会社へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1918年1月31日、医薬品および工業薬品の製造販売を目的とする資本金50万円の第一製薬株式会社が、同一の経営陣によって設立された。新会社は合資会社の事業を継承し、アーセミン商会は解散する。本社を東京・日本橋に、工場を本所に置き、初代社長には柴田清之助氏が選ばれた。翌1919年4月には津村重舎氏が二代目社長に就任している。医薬品と並べて工業薬品を目的に掲げたのは、サルバルサン剤の原料まで自前で作るためである。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1918年1月、医薬品および工業薬品の製造販売を目的とする資本金50万円の第一製薬株式会社が同一の経営陣により設立され、合資会社の事業を継承してアーセミン商会は解散。本社は東京日本橋、工場は本所、初代社長は柴田清之助、1919年4月に津村重舎が二代目社長へ",
                      "原文": "七年一月に至つて医薬品および工業薬品の製造販売を目的とする資本金五十万円の第一製薬(株)が、同一の経営陣により設立され、右合資会社の事業を継承することとし、アーセミン商会は解散した。本社を東京日本橋に工場を本所に設け、初代社長に柴田清之助氏が選ばれたが、翌八年四月、先代津村重舎氏が二代目社長に就任した。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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                {
                  "text": "創業の年をいつと数えるかは、資料によって割れている。『会社銀行八十年史』の第一製薬の項は、設立を大正4年10月1日、すなわちアーセミン商会の創立日と記す。一方、社史『四十年史』は同じ日を創業期の始まりとしつつ、第一製薬株式会社の発足を1918年1月31日に置き、そこから建設期を数えている。2年余りのずれは、この会社が法人ではなく匿名組合から始まった事情をそのまま映している。",
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                      "fact": "『会社銀行八十年史』は第一製薬の設立を大正4年（1915年）10月1日と記載している",
                      "原文": "第一製薬　設立‥‥‥‥‥大正4年10月1日　資本金‥‥‥‥‥‥‥‥‥2億400万円　事業…………‥医薬品,工業薬品",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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                    {
                      "fact": "社史『四十年史』は1918年1月31日からを建設期とし、その第一章に「第一製薬株式会社の発足」を置いている",
                      "原文": "第二部 建設期(自大正七年一月三十一日 至大正十二年十二月十五日 自一九一八年 至一九二三年) 第一章 第一製薬株式会社の発足(自大正七年一月三十一日 至大正十二年九月一日) 第二章 関東大震災と減資(自大正十二年九月一日 至大正十二年十二月十五日)",
                      "source": "第一製薬 四十年史（第一製薬, 1955）",
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                  "text": "株式会社となった第一製薬は、駆梅剤の周辺を短い期間で買い集めた。1920年7月には、丹波敬三郎博士が完成させた駆梅剤を持つ匿名組合国産製薬所の事業を継承する。同年9月には自社の役員が発起人となって資本金150万円の第二製薬を創立し、合併を目的とした会社であったため即日これを吸収合併した。資本金は200万円となり、株式会社の設立から2年半ほどで4倍に膨らんだ。",
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                      "fact": "1920年7月に匿名組合国産製薬所の事業（丹波敬三郎博士完成の駆梅剤）を継承、同年9月に資本金150万円の第二製薬を創立して即日吸収合併し、資本金は200万円となった",
                      "原文": "九年七月には、匿名組合国産製薬所の事業(丹波敬三郎博士完成の駆梅剤)を継承、同年九月には当社の役員が発起人となり、合併の目的をもつて新たに資本金百五十万円の第二製薬を創立、即日当社に吸収合併し、資本金は二百万円となつた。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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                  "text": "主要原料の自給と販売を目的として、工業薬品にも手を広げた。抜染剤アルバライトと漂白剤ハイドロサルハイトの製造がそれにあたり、1922年12月には大阪支店を設けている。ところが1923年9月の関東大震災で、本社と工場は全焼した。損害を埋めるため同年11月に半額減資を行い、ただちに復興へ着手する。京都分工場を開いてまずサルバルサン剤の操業を始め、12月に本社事務所が完成、翌1924年7月には柳島工場も再開した。",
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                      "fact": "サルバルサン剤の主要原料の自給と販売を目的に工業薬品（抜染剤アルバライト、漂白剤ハイドロサルハイト）へ進出し、1922年12月に大阪支店を設置した",
                      "原文": "爾来サルバルサン剤を主体として業績をあげ、一方これの主要原料の自給並びに販売を目的として、工業薬品、抜染剤アルバライト、漂白剤ハイドロサルハイトの製造にも従事、十一年十二月には大阪支店を設置するに至つた。",
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                      "原文": "ところが、十二年九月関東大震災により本社、工場は全焼し、この損害補填のため同年十一月半額減資を行い、直ちに復興に着手した。同時に京都分工場を開設、まずサルバルサン剤の操業を始め、同年十二月には本社事務所が完成、十三年七月には柳島工場も再開した。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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                {
                  "text": "大戦の終結は、国産化に踏み切った会社へ反動をもたらした。大戦中は医薬の国内生産の必要が高まり、製薬業界は政府の育成政策で潤ったものの、戦後は不振に陥り、薬種問屋の活動が再び活発になる。染料医薬品製造奨励法を契機に生まれた内国製薬は、のちに三共が95%の株式を持って合併した。政府の配当保証は、輸入が止まっている間にだけ効いた。第一製薬が全焼と半額減資に見舞われたのも、この反動の時期である。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大戦中は政府の育成政策で製薬業界が潤ったが、戦後は不振に陥り薬種問屋の活動が再び活発になった",
                      "原文": "しかし、大正三年の欧州大戦により、医薬の国内生産の必要性が高まり、製薬業界は政府の育成政策によつて潤つた。戦後は製薬業が不振に陥り、薬種問屋の活動が再び活溌になつたが",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「医薬品」概説",
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                    {
                      "fact": "染料医薬品製造奨励法を契機に設立された内国製薬は、のちに三共が95%の株式を所有して合併した",
                      "原文": "「染料医薬品製造奨励法」の施行を契機として「内国製薬」(のちに三共が九五%の株を所有して合併)と「東洋薬品」(のちの日本醋酸)とができ、政府の配当保証を支えにしてそれまで国産化が困難だった薬品の製造にあたった。",
                      "source": "日本産業史 第1巻（日本経済新聞社, 1994）「化学－製薬に近代化の波」",
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                  "text": "それでも第一製薬は、震災からの復興後もサルバルサン剤を主体に業績をあげた。1929年4月には新設の亀戸工場がアルバライトとハイドロの製造にあたり、1933年12月に完成した高槻工場へは京都分工場の設備一切を移して、やはりサルバルサン剤を主体に操業を始めている。後年の業界史は、大正から昭和にかけて大阪の武田、塩野義、田辺と東京の三共が飛躍する間に、山之内や第一製薬など新進の会社が基礎を固めたと記した。",
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                      "fact": "1929年4月に新設の亀戸工場がアルバライト・ハイドロの製造を開始し、1933年12月完成の高槻工場へ京都分工場の設備一切を移してサルバルサン剤を主体に操業を始めた",
                      "原文": "昭和四年四月新設の亀戸工場が操業を開始、アルバライト、ハイドロの製造に当つたが、その後ビタミン剤アベリーB、催眠剤パルビタール、皮膚病治療剤スカボール等を生産した。同年六月には現在地に本社社屋が竣工、八年十二月には高槻工場が完成、京都分工場の設備一切を同工場に移転してサルバルサン剤を主体に操業を開始した。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
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                      "fact": "大正・昭和期に大阪の武田・塩野義・田辺、東京の三共が飛躍する間に、山之内・第一製薬などの新進諸会社の基礎が確立された",
                      "原文": "この大正、昭和の時代に大阪の武田、塩野義、田辺、東京における三共等は過去の資本蓄積あるいは技術の近代化を図り一大飛躍を遂げ、またこの間、山之内、第一製薬等をはじめ新進諸会社の基礎が確立された。",
                      "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「医薬品」概説",
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                  "text": "慶松勝左衛門氏がサルバルサンの製造に成功した1915年7月から、匿名組合アーセミン商会の創立までは3か月ほどしかない。先に製法があり、それを工業化するために事業を起こし、株式会社という法人格は2年余り遅れて1918年1月に整えられた。大阪の薬種商が資本を蓄えてから工場を建てたのとは、順序がちょうど逆である。匿名組合、合資会社、株式会社と2年3か月で組織を二度組み替えたのは、製造と販売の実態に法人の形式が追いつくまでに、それだけの時間がかかったからである。"
                },
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                }
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          ]
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      "references": [
        "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「第一製薬」",
        "会社銀行八十年史（東洋経済新報社, 1955）「医薬品」概説",
        "日本産業史 第1巻（日本経済新聞社, 1994）「化学－製薬に近代化の波」",
        "第一製薬 四十年史（第一製薬, 1955）"
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          "text": "1980年代前半、第一製薬は売り物になる新薬を欠いて国内順位を10位前後まで落とし、仏サノフィ社から導入したパナルジンと1986年発売のタリビッドで苦境を脱した。国内は薬価の引き下げで市場成長率が2％まで鈍っていた。"
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          "text": "タリビッドと同じオフロキサシンの系列から、7年後にクラビットを出した。海外に自前の販売網を持たないため、海外での伸びは製品の輸出と、販売力を持つ他社への導出に頼る形をとった。"
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                  "text": "1980年代前半、第一製薬は医薬品売上高の国内順位を10位前後まで落としていた。理由は、売り物になる新薬を欠いたことにある。営業の現場には出したばかりの製品がなく、1967年発売の高脂血症治療薬という成熟品を改めて拡販していた。営業の現場でこの端境期を過ごした森田清氏は、のちに「売れ筋製品さえあれば、とひしひしと感じた」と語っている。今あるものを売るしかない以上、新薬のない時期は営業がそのまま苦しくなった。",
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                      "原文": "森田はかつて、同社が国内五位どころか、一〇位前後まで落ち込んだ苦しい時期を知っている。８０年代の前半で、森田は北陸地区の営業統括責任者を務めていた。業績低迷の理由は、新薬のタマ不足だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
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                  "text": "自社開発主義を採っていたのは1960年代前半までである。方針が変わったのは1974年で、取締役経営企画担当へ就いた鈴木正氏が、他社の開発した新薬も積極的に導入すべきだと主張し、外資などからの導入が始まる。製薬業では新薬が一品目当たれば年商1000億円も可能な一方、競合品の発売や特許切れに伴う後発品の参入があれば売上は急減する。端境期を実際に支えたのは、仏サノフィ社から導入して1981年に発売した脳梗塞治療薬パナルジンであった。",
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                      "fact": "第一製薬は1960年代前半まで自社開発主義だったが、1974年に取締役経営企画担当へ就任した鈴木正氏が他社開発新薬の導入を主張し、外資などから導入が始まった",
                      "原文": "第一製薬も６０年代前半まで自社開発主義だった。が、７４年に取締役経営企画担当に就任した鈴木が、他社が開発した新薬も積極的に導入すべしと主張、外資などから新薬導入が始まっていた。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "新薬は一品目で年商1000億円も可能な一方、競合品の発売や特許切れによる後発品参入で売上が急減する。端境期をしのげたのは仏サノフィ社から導入し1981年に発売した脳梗塞薬パナルジンの成長であった",
                      "原文": "製薬業界では新薬が一発当たれば一品目で年商一〇〇〇億円も可能だ。が、どんなに大ヒットしてもライバルが競合品を発売したり、特許切れに伴う後発品参入があれば、たちまち売り上げは急減する。／この時期を何とかしのげたのは、仏サノフィ社から導入して８１年に発売した脳梗塞薬「パナルジン」の成長だった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
                      "url": null
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            {
              "sub_title": "寿命の短い抗菌剤と、鈍る国内市場",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1986年、第一製薬は自社開発の合成抗菌剤タリビッド（主成分オフロキサシン）を発売し、この一本の大型化で苦境を脱した。ただし抗菌剤は、大型化しても長くは持たない。1997年の業界分析は、塩野義製薬と藤沢薬品工業が承認申請中だった大型薬について「抗生物質自体の製品寿命が短いだけに、発売に至るころには現在の主力品と代替えになりそう」と書いている。一本当てた次の一本を、間を空けずに用意する必要があった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第一製薬は1986年に発売した自社開発の合成抗菌剤タリビッドの大型化で苦境を脱した",
                      "原文": "同社は結局、８６年に発売した自社開発の合成抗菌剤「タリビッド」の大型化で苦境を脱するが、",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "抗生物質は製品寿命が短く、承認申請中の大型薬も発売のころには現在の主力品と代替わりになると見られていた",
                      "原文": "塩野義製薬、藤沢薬品も抗生物質の大型薬を承認申請中だが、抗生物質自体の製品寿命が短いだけに、発売に至るころには現在の主力品と代替えになりそう。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界」",
                      "url": null
                    }
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                },
                {
                  "text": "国内市場の側も狭まっていた。薬価の引き下げと後発品の低価格攻勢で医薬品市場の成長率は2％まで鈍り、厚生省は4200億円にのぼる医療費削減策を進めて、1998年4月にも薬価の大幅な引き下げが予定されていた。海外の比重を上げるほかない。ところが海外は、もっと速く動いていた。1987年に1.5倍（3965億円対6114億円）だった武田薬品工業と米メルク社の医薬品売上高の差は、その後の10年で世界五強と日本五強の1桁違いにまで広がっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "薬価下げと後発品の低価格攻勢で医薬品市場の成長率は2％まで鈍化していた",
                      "原文": "かつては過保護産業の代名詞のようにいわれた製薬業界だが、幹部たちが「主力製品は薬価下げと後発品の低価格攻勢でダブルパンチ。営業努力で数量は伸びても、売り上げや利益には結びつかない」と異口同音に嘆くように、停滞ムードが高まっていた。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "厚生省は4200億円に上る医療費削減策を進め、1998年4月にも薬価の大幅引き下げが予定されており、2000年までは海外でどれだけ売上を伸ばせるかが重要な要素とされた",
                      "原文": "医薬品の場合、国内は厚生省が四二〇〇億円に上る医療費削減策を推進中で、１９９８年４月にも薬価の大幅引き下げが予定されるなど先行きは厳しい。こうした状況下、２０００年までのスパンで考えると、海外でどれだけ売り上げを伸ばせるかが重要なファクターとなる。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「［特集］2000年に勝つ会社、負ける会社 医薬品海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1987年の武田薬品工業の医薬品売上高3965億円と米メルク社6114億円との差は1.5倍だったが、その後の10年で世界五強と日本五強の差は売上高で1桁違うまで拡大した",
                      "原文": "一〇年前の８７年、国内トップの武田薬品工業の医薬品売上高は三九六五億円。対して、世界首位の米メルク社は六一一四億円だった。その差はわずか一・五倍。武田も世界五強が手の届くポジションにいた。ところがその後の一〇年で、世界の五強と日本の五強との差は、売上高で一ケタ違うまでに拡大した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
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        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "同じ系列から出した二本目",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1993年、第一製薬は自社開発の合成抗菌剤クラビットを発売した。一般名はレボフロキサシン。タリビッドと同じオフロキサシンの系列から出た二本目である。特徴は、格段に広い適応症と副作用の少なさにあった。導入品で製品の空白を埋めた10年を挟んで、同じ研究の筋から続けて二本が出たことになる。第一製薬は、感染症治療に用いる合成抗菌剤の国内トップメーカーとなった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第一製薬の自社開発の合成抗菌剤クラビットは1993年発売で、格段に広い適応症と副作用の少なさによって世界規模のヒットとなった",
                      "原文": "第一は自社開発の合成抗菌剤「クラビット」（９３年発売）が、格段に広い適応症と副作用の少なさで世界規模でヒット。もう一つの柱である造影剤はもともとライバルが少ない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件」",
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                    },
                    {
                      "fact": "第一製薬は感染症治療に用いる合成抗菌剤のトップメーカーで、医薬品売上高は国内5位と大手の一角を占めた",
                      "原文": "同社は感染症治療に用いる合成抗菌剤のトップメーカーで、現在でも医薬品売上高が国内五位と大手の一角を占めるが、",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "発売の翌年、この薬は社外の評価でも最上位に置かれた。国際商業出版『国際医薬品情報』編集部は1980年から年に一回、発売前の新薬を予想年商規模でA（240億円）からE（36億円以下）までの5ランクに格付けし、『製薬企業の実態と中期展望』誌上で発表している。1994年版でAランクとなったのは、ハルナール（山之内製薬）、クラビット（第一製薬）、エポジン（中外製薬）などで、いずれも実際に大型化した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "『国際医薬品情報』編集部は1980年から年1回、発売前の新薬を予想年商規模でA（240億円）〜E（36億円以下）の5ランクに格付けし、1994年版でAランクとなったハルナール（山之内）、クラビット（第一）、エポジン（中外）などは実際に大型化した",
                      "原文": "そんな「新薬の格付け」に取り組んでいるのが、国際商業出版『国際医薬品情報』編集部だ。８０年から年に一回、『製薬企業の実態と中期展望』誌上で発表している。予想される年商規模でＡ（二四〇億円）からＥ（三六億円以下）の五ランクで評価。／９４年版でＡランクになったハルナール（山之内）、クラビット（第一）、エポジン（中外）などは、実際に大型化した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年4月24日号「［特集］どこまで行く「格付け」ブーム」",
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            },
            {
              "sub_title": "海外に販売網を持たない会社の出方",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "残る問題は、売り先をどう海外へ広げるかであった。当時、上位3社は自前の足場を海外に築いている。山之内製薬は1986年にアイルランドへ国内メーカー初の海外生産拠点を設け、武田薬品工業は1997年12月に米国へ100％出資の持株会社を設立して販売網の整備を急いだ。第一製薬にそれはない。残る道は、製品を輸出することと、販売力を持つ海外企業へ導出することの二つであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "山之内製薬は1986年にアイルランドへ国内メーカー初の海外生産拠点を設立し、武田薬品工業は1997年12月に米国に100％出資の持株会社を設立して販売網の整備を急いだ",
                      "原文": "９７年１２月には米国に一〇〇％出資の持株会社を設立し、米国販売網の整備も急ピッチで進めている。／第三位の山之内製薬は、８６年アイルランドに国内メーカー初の海外生産拠点を設立するなど、海外展開では業界のパイオニアだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「［特集］2000年に勝つ会社、負ける会社 医薬品海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "導出がどれほどの差を生むかは、同じころの自社製品が示している。ヤクルト本社と共同開発した抗がん剤の塩酸イリノテカンは、1994年4月の承認に、投与できる医療施設と医師を限る条件が付いた。第一製薬が売るトポテシンの年商は2億円程度にとどまり、ヤクルト本社のカンプト注も1997年3月期で2億3500万円。同じ薬を導出された米国アップジョン社は発売8カ月で1億ドル以上を挙げている。ヤクルト本社はこれを「非常に小さい」と説明した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "塩酸イリノテカンはヤクルト本社と第一製薬が共同開発した抗がん剤で、1994年4月の承認には投与できる医療施設と医師を限る制限が設けられた",
                      "原文": "塩酸イリノテカンは、ヤクルト本社（商品名カンプト注）と第一製薬（トポテシン）が共同開発した抗ガン剤。／そのため、９４年４月の承認にはさまざまな制限が設けられた。添付文書やパンフレットに警告を掲載。その中で、十分な措置ができる医療施設と十分な経験を持つ医師のもとでのみ投与できると限定。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年7月26日号「［特別レポート］死者39人の副作用情報が伝わらない」",
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                    {
                      "fact": "第一製薬のトポテシンは年商2億円程度、ヤクルト本社のカンプト注は1997年3月期で2億3500万円にとどまり、導出先の米国アップジョン社は発売8カ月で1億ドル以上を挙げた",
                      "原文": "第一製薬によれば、「安全性に注意を払ってきたから、市販後三年で五四三〇床（ヤクルト販売分も含む）しか使用されていない。年商も二億円程度」。ヤクルト本社も、「９７年３月期の国内製剤（カンプト注）の売り上げは二億三五〇〇万円。導出先の米国アップジョン社の発売八カ月で一億ドル以上に比べて非常に小さい」。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年7月26日号「［特別レポート］死者39人の副作用情報が伝わらない」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "輸出で伸びた抗菌剤2品",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "クラビットとタリビッドは、輸出で伸びた。1997年9月中間期、製薬大手八社の総売上高1兆2690億円は前年同期比189億円の増収であったが、増えたのは輸出の332億円で、薬価改定の響いた国内は減収である。同時期の誌面は、上位3社に比べ国内主力品は弱いながら輸出拡大に力を入れている三社としてエーザイ、藤沢薬品工業、第一製薬を挙げ、「第一製薬も、合成抗菌剤タリビット、クラビットの輸出が拡大中」と記した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1997年9月中間期の製薬大手八社の総売上高は1兆2690億円で前年同期比189億円の増収だが輸出が332億円増加し、輸出を除く国内は薬価改定で減収となった",
                      "原文": "製薬大手八社（武田薬品工業、三共、山之内製薬、エーザイ、第一製薬、塩野義製薬、藤沢薬品工業、田辺製薬）の総売り上げは一兆二六九〇億円、前年同期と比べて一八九億円増収だが、輸出が三三二億円増加。逆に輸出を除いた国内は９７年４月の薬価改定が響き減収となった。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「［特集］2000年に勝つ会社、負ける会社 医薬品海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
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                    {
                      "fact": "トップ3に比べ国内主力品は脆弱だが輸出拡大に力を入れている三社がエーザイ・藤沢薬品・第一製薬で、第一製薬は合成抗菌剤タリビット・クラビットの輸出が拡大中とされた",
                      "原文": "トップ３に比べ国内主力品は脆弱だが、輸出拡大に力を入れているのがエーザイ、藤沢薬品、第一製薬の三社。／また、第一製薬も、合成抗菌剤タリビット、クラビットの輸出が拡大中。９９年度以降発売予定の新薬も豊富にある。",
                      "source": "週刊東洋経済 1998年1月3日号「［特集］2000年に勝つ会社、負ける会社 医薬品海外販売で格差が鮮明化」",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "1996年3月期の一人当たり経常利益は、山之内製薬1530万円、三共1272万円に次いで第一製薬が1107万円。エーザイ以下は1桁違い、藤沢薬品工業412万円、塩野義製薬329万円、田辺製薬に至っては210万円だった。順位は4位でも、社員1人が稼ぐ額では上位3社のすぐ後ろにいる。研究開発費に100億円以上を注げる国内15社の一角を占め、1999年時点の国内順位も武田薬品工業・三共・山之内製薬に続く4位グループに位置している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1996年3月期の一人当たり経常利益は山之内製薬1530万円、三共1272万円、第一製薬1107万円で、エーザイ以下は1桁違い（藤沢薬品412万円、塩野義製薬329万円、田辺製薬210万円）だった",
                      "原文": "一人当たり経常利益をみるとさらに顕著で、山之内製薬、三共、第一製薬がそれぞれ一五三〇万円、一二七二万円、一一〇七万円を誇るのに対し、エーザイ以下は一ケタ違う。下位の藤沢薬品、塩野義製薬は四一二万円、三二九万円。田辺製薬に至っては山之内製薬の七分の一以下の二一〇万円しかない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "国内の1位から3位は武田薬品・三共・山之内の指定席で、4位グループを第一製薬・エーザイ・藤沢薬品工業が団子状態で構成していた",
                      "原文": "一方、国内では一位から三位までは武田薬品、三共、山之内の指定席。四位グループを第一製薬、エーザイ、藤沢薬品工業が団子状態で構成する。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "グローバル・テンと、埋まらなかった距離",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "10年先を数字で示したのが、1998年5月に発表した長期ビジョン「グローバル・テン」である。技術力と世界市場への展開力を軸に、2006年度に連結年商5000億円（当時2900億円）、連結純益550億円（同200億円）を狙う。10年に及ぶ企業像の表明は、製薬企業として異例であった。自社製品重視の「研究開発型国際製薬企業」を譲れない看板としながら、他社との提携・導入による補完をそこへ書き添えている。1974年に鈴木正氏が打ち出した方針が、ここで明文になった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年5月発表の長期ビジョン「グローバル・テン」は2006年度に連結年商5000億円（当時2900億円）・連結純益550億円（同200億円）を狙い、製薬企業として異例の10年に及ぶ企業像を表明した",
                      "原文": "９８年５月に発表されたこのビジョンは、製薬企業として異例の一〇年もの長期に及ぶ企業像を表明した点で話題を呼んだ。／グローバル・テンは、技術力と世界市場への展開力を軸に、２００６年度に連結年商五〇〇〇億円（現二九〇〇億円）、連結純益五五〇億円（同二〇〇億円）を狙う野心的な計画だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
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                    {
                      "fact": "自社製品重視の「研究開発型国際製薬企業」を譲れない看板としつつ「提携・導入による補完」を付け加えた点は、鈴木正氏が打ち出した方針と森田清氏の営業経験が明文化されたものとされた",
                      "原文": "自社製品重視の「研究開発型国際製薬企業」は譲ることのできない看板としながらも、「（他社との間の）提携・導入による補完」を付け加えたのは、鈴木がかつて打ち出した方針と、森田が営業マンとして痛感した経験が改めて明文化されたものに違いない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
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                  "text": "それでも距離は残った。1999年の発売を狙った大型新薬の脳神経伝達薬トランスロンは承認が延期され、ビジョンの見直しもありうるとされる。研究開発費で比べれば、ノバルティスファーマ社の2000億円に対し、武田薬品工業は629億円、三共は495億円。100億円以上を注げる国内15社の一角という位置と世界の巨大企業との開きは、抗菌剤2品では埋まらなかった。1999年6月に社長へ就いた森田清氏は、国内3位以内を目標に掲げている。",
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                      "原文": "９９年に発売を狙っていた大型新薬の脳神経伝達薬「トランスロン」が承認延期となってしまったことから多少の見直しも今後はありうる。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
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                      "fact": "チバガイギー社とサンド社の合併で生まれたノバルティスファーマ社の研究開発費2000億円に対し、武田薬品工業は629億円、三共は495億円にとどまった",
                      "原文": "チバガイギー社とサンド社が合併したノバルティスファーマ社が研究開発費二〇〇〇億円を誇るのに対し、武田薬品は六二九億円、三共が四九五億円と遠く及ばない。",
                      "source": "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界」",
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                    {
                      "fact": "森田清氏は1999年6月の社長就任にあわせ「（アメリカに次ぐ）世界第二のマーケットで、三番目までに入らなければ製薬メーカーとして価値がない」と表明した",
                      "原文": "森田は新社長就任に合わせ、「（アメリカに次ぐ）世界第二のマーケットで、三番目までに入らなければ製薬メーカーとして価値がない」と表明した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
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                  "text": "タリビッドの発売が1986年、クラビットの発売が1993年。7年の間隔で、同じオフロキサシンの系列から二本目が出ている。抗生物質は製品寿命が短く、大型化した一本もいずれ競合品と後発品に削られる。1980年代前半に国内順位を10位前後まで落とし、1967年発売の成熟品を拡販するしかなかった10年が、すぐ後ろに控えていた。一本で止める選択肢は、この会社にはない。導入品は製品の空白を埋めても、輸出できる自社の薬にはならなかった。"
                },
                {
                  "text": "売れる薬を持つことと、それを売る場所を持つことは別である。第一製薬は海外に自前の販売網を持たず、山之内製薬のアイルランド工場や武田薬品工業の米国持株会社にあたるものを築かないまま、輸出と導出に頼った。国内で年商2億円程度だった塩酸イリノテカンは、導出先の米国アップジョン社では発売8カ月で1億ドル以上を挙げている。同じ薬でも、誰がどこで売るかで桁が変わった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
        "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件」",
        "週刊東洋経済 1998年1月3日号「［特集］2000年に勝つ会社、負ける会社 医薬品海外販売で格差が鮮明化」",
        "週刊東洋経済 1997年4月12日号「再編すらできない今の医薬品業界」",
        "週刊東洋経済 1999年4月24日号「［特集］どこまで行く「格付け」ブーム」",
        "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
        "週刊東洋経済 1997年7月26日号「［特別レポート］死者39人の副作用情報が伝わらない」"
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      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
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      "title": "サントリー医薬品事業部門の分社化と共同出資会社・第一サントリーファーマの設立",
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      "scheme": "サントリーの医薬品事業部門を分社化し、第一製薬66％・サントリー34％の共同出資会社として設立。研究開発費は第一製薬が負担し、開発した新薬は第一製薬の販売網を使う。将来の完全子会社化を視野に入れた枠組み",
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          "text": "2002年7月30日、第一製薬とサントリーは、サントリーの医薬品事業部門を分社化したうえで共同出資の新会社を12月末に設立することで合意したと発表した。出資比率は第一製薬66％、サントリー34％で、サントリーの医薬品部門から約300人が移籍した。"
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          "text": "1998年5月の長期ビジョン「グローバル・テン」は2006年度に連結売上高5000億円を掲げたが、当時の実績は2900億円だった。世界の大手は合併で規模を積み上げ、2002年には中外製薬がロシュの傘下に入るなど、国内にも再編の波が届いていた。"
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          "text": "完成した薬ではなく、薬を生む研究部隊と経営者を丸ごと取り込む選択だった。ただし翌2003年の『会社四季報』最新情報は「増収だが利益貢献なし」と評し、業績を支えたのは既存品と営業改革であった。"
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          "title": "三共との経営統合で基本合意"
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        "source": "第一製薬 当該期の有価証券報告書は本データに未収録。役職・所在地は同時代の誌面（週刊東洋経済 1999年7月17日号ほか）による",
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                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
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                  "text": "同じころ、世界の製薬は合併で規模を積み上げていた。1987年に1.5倍だった武田薬品工業とメルクの医薬品売上高の差は、その後の10年で世界五強と日本五強の1桁違いに広がっている。世界2位から4位はいずれも合併で生まれた会社である。当時挙げられた合併の効能は、人員整理による利益だけではない。自社の新薬ラインナップが乏しい場合に研究開発案件を相互に補えることと、膨らむ研究開発費を効率化できることが並んでいた。",
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                      "原文": "Ｍ＆Ａの背景には、ボーダレス化する市場への対応のみならず、合併後の人員整理による「リストラ益」、さらには、自社の新薬ラインナップが乏しい場合にも研究開発案件の相互補完が可能となり、また膨らむ一方の研究開発費を効率化できる効果がある。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
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                  "text": "国内では上位企業のM&Aが起きず、第一製薬はエーザイ・藤沢薬品工業と4位グループを団子状態で構成していた。その均衡が2002年に崩れる。9月にスイスのロシュが第三者割当増資と公開買い付けで中外製薬株の50.1％を握り、10月に日本ロシュと中外が合併した。中外は売上高の20％にあたる400億円強を研究開発に投じながら、欧米大手にも日系大手にも見劣りしていた。ゲノム解読と超大手の誕生により、勝ち残りはいかに早く開発へ集中投資するかで決まるという見方が広がっていた。",
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                      "原文": "一方、国内では一位から三位までは武田薬品、三共、山之内の指定席。四位グループを第一製薬、エーザイ、藤沢薬品工業が団子状態で構成する。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
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          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "分社させ、66％を握る",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2002年7月30日、第一製薬とサントリーは、サントリーの医薬品事業部門を分社化したうえで共同出資の新会社を12月末に設立することで合意したと発表した。出資比率は第一製薬66％、サントリー34％。社長にはサントリーの中山讓治取締役が就き、両社から役員を派遣する。サントリーの医薬品部門から約300人が移籍し、研究開発費は第一製薬が負担して、開発した新薬は第一製薬の販売網などを利用する。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2002年7月30日に合意を発表。出資比率は第一製薬66％・サントリー34％、社長はサントリーの中山讓治取締役、医薬品部門の約300人が移籍し、研究開発費は第一製薬が負担、新薬は第一製薬の販売網を利用する",
                      "原文": "新会社への出資比率は第一製薬が６６％、サントリーが３４％で、社長にはサントリーの中山譲治取締役が就任。両社から役員を派遣するほか、サントリーの医薬品部門の約３００人が移籍する。研究開発費は第一製薬が負担し、開発した新薬は第一製薬の販売網などを利用する。",
                      "source": "共同通信「医薬事業で合弁会社設立／第一製薬とサントリー」（四国新聞 2002年7月30日）",
                      "url": "http://www.shikoku-np.co.jp/national/economy/20020730000742"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "発表された狙いは、ゲノムを利用した創薬など世界的な新薬開発競争が激化するなかで、製品の品ぞろえと研究開発力を強化することにあった。将来は第一製薬の完全子会社にすることも視野に入れており、サントリーは医薬品事業から事実上撤退している。買収と提携の中間に置かれた枠組みではあるが、費用と出口——研究開発費と販売網——は初めから第一製薬の側に寄せてあった。サントリーに残した34％は、時間をかけて引き取るまでの持ち分だったとみられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第一製薬の狙いはゲノムを利用した創薬など新薬開発競争の激化に対する品ぞろえと研究開発力の強化。将来の完全子会社化も視野に入れ、サントリーは医薬品事業から事実上撤退する",
                      "原文": "将来は第一製薬の完全子会社にすることも視野に入れており、サントリーは医薬品事業から事実上撤退する。第一製薬にとっては、ゲノム（全遺伝情報）を利用した創薬など世界的な新薬開発競争が激化する中、製品の品ぞろえや研究開発力を強化する狙いがある。",
                      "source": "共同通信「医薬事業で合弁会社設立／第一製薬とサントリー」（四国新聞 2002年7月30日）",
                      "url": "http://www.shikoku-np.co.jp/national/economy/20020730000742"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "会社でも化合物でもなく、研究の部隊を買う",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1990年代末の業界では、規模拡大のためのM&Aは行き詰まる公算が高く、むしろ研究開発力を持つ中堅企業を買うほうが中期の競争力を高めるという見方が示されていた。第一製薬が採ったのは、会社を丸ごと買うのでも、化合物を1本導入するのでもない方式である。相手の事業部門を切り出して別会社に仕立て、そこへ研究者ごと移す。医薬品を本業としない相手であればこそ、事業部門だけを取り出す交渉が成り立った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "医薬事業の成否は一義的に研究開発で決まり、M&Aによる規模拡大は行き詰まる公算が高く、研究開発力を持った中堅企業の買収のほうが中期的競争力を高めるとみられていた",
                      "原文": "ただ、医薬事業の成否は一義的には研究開発で決まる。Ｍ＆Ａでの規模拡大は行き詰まる公算が高い。むしろ、ファイザーやメルクが、研究開発力を持った中堅企業を買収することのほうが、新薬開発力の増進を背景に中期的競争力は高まると見られている。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "外から製品を借りることは、第一製薬にとって初めてではなかった。1974年に他社開発の新薬も導入すべきだという方針が示され、仏サノフィ社から導入して1981年に発売した脳梗塞薬パナルジンが端境期の業績を支えている。自社開発の合成抗菌剤タリビッドが苦境を脱させたのは、そのあとである。入ってくるのは完成した薬ではなく、約300人の研究者と、その部隊を率いてきた経営者1人である。導入は薬を借りることだが、今度は薬を作る工程ごと引き取った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1974年に取締役経営企画担当となった鈴木正が他社開発新薬の導入を主張し、仏サノフィから導入して1981年発売の脳梗塞薬パナルジンが端境期を支え、1986年発売の自社開発タリビッドで苦境を脱した",
                      "原文": "が、７４年に取締役経営企画担当に就任した鈴木が、他社が開発した新薬も積極的に導入すべしと主張、外資などから新薬導入が始まっていた。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "増収、しかし利益貢献なし",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "取り込みの効果は、数字にすぐには表れなかった。2003年5月の『会社四季報』最新情報は第一製薬を「低調」と評し、「買収したサントリー医薬部門通年寄与で増収だが利益貢献なし」と書いている。同じ記事は、抗菌剤クラビットが米国での在庫調整によって減り、研究開発費も増えて営業減益になると見込んだ。増えたのは売上高と研究開発費で、利益は減った。合弁の初年度は、この差し引きで終わっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "『会社四季報』最新情報（2003年5月24日号）は第一製薬を「低調」と評し、サントリー医薬部門の通年寄与で増収だが利益貢献はなく、クラビットの米国在庫調整と研究開発費増で営業減益になると見込んだ",
                      "原文": "［低 調］買収したサントリー医薬部門通年寄与で増収だが利益貢献なし。抗菌剤クラビットは米国で在庫調整続き減少。研究開発費も増え営業減益。サントリーのれん代償却消え純益増。",
                      "source": "週刊東洋経済 2003年5月24日号「『会社四季報』最新情報」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "その間、業績を支えたのは既存品と営業だった。2004年の薬価改定は業界平均4.2％の引き下げで、大型抗血小板剤プラビックスの発売までは端境期が続いた。それでも期初に前期比25％減と見込んでいた経常利益は、3度の上方修正でほぼ前年度並みまで戻った。2000年に着手した営業改革で、営業所は108から71へ減っている。2004年10月の四季報最新情報はクラビットの出荷増を、翌2005年2月は血圧降下剤アーチストの好調を挙げた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2004年の薬価改定は業界平均4.2％引き下げ、プラビックス発売までの端境期にあって期初に前期比25％減と予想した経常利益を3度の上方修正でほぼ前年度並みへ戻した。営業改革では108の営業所を71へ削減し26の医薬部を廃止した",
                      "原文": "だが期初には前期比２５％減と予想していた経常利益額は３度の上方修正で、ほぼ前年度並みにまで回復。営業部隊の大健闘で、既存薬の薬価引き下げを想定以上の販売数量増でカバーしているのだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2004年11月13日号「［特集］無敵の営業」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2004年10月の四季報最新情報は海外向けクラビットの出荷増を、2005年2月の同欄は血圧降下剤アーチストの好調を挙げ、いずれも会社計画は保守的とみた",
                      "原文": "【再増額も】国内向け医療用医薬品が全般に健闘、海外向け抗菌剤クラビットも出荷増。研究開発費も見直し、収益寄与。会社増額後の営業利益計画４２０億円はまだ保守的。",
                      "source": "週刊東洋経済 2004年10月23日号「『会社四季報』最新情報」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2005年2月の四季報最新情報は血圧降下剤アーチストの好調を挙げ、2006年3月期は大型の抗血小板剤投入が寄与するとみた",
                      "原文": "【順 調】血圧降下剤アーチスト好調。研究開発費の増加幅縮小可能性あり、会社営業益計画４８５億円は保守的。０６年３月期は大型の抗血小板剤投入が寄与。",
                      "source": "週刊東洋経済 2005年2月26日号「『会社四季報』最新情報」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "移ってきたのは、人だった",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合弁がもたらしたもののうち、最も早く形になったのは人事である。第一サントリーファーマの社長に就いた中山讓治氏は、2003年に第一製薬の取締役となった。合意から1年足らずで、相手側の事業部門を率いていた人物が買い手の取締役会に加わっている。中山氏はその後、第一三共の副社長執行役員を経て2010年6月に同社の社長へ就いている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中山讓治氏は1979年米ノースウェスタン大学大学院修了後サントリーに入社し、2003年に第一製薬の取締役に就任した",
                      "原文": "なかやま・じょうじ●１９５０年生まれ。７６年大阪大学大学院、７９年米ノースウェスタン大学大学院修了、サントリー入社。２００３年第一製薬取締役。",
                      "source": "週刊東洋経済 2015年7月10日号「［第1特集 クスリ最前線］INTERVIEW もう一度新薬で勝負する 第一三共 社長兼CEO 中山讓治」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "中山讓治氏はサントリー取締役、第一サントリーファーマ社長などを経て2010年4月に第一三共副社長執行役員となり、同年6月28日付で社長に就任した",
                      "原文": "サントリー取締役、第一サントリーファーマ社長などを経て、２０１０年４月第一三共副社長執行役員。６月２８日付で社長就任予定。",
                      "source": "週刊東洋経済 2010年6月26日号「TOP INTERVIEW 第一三共次期社長 中山讓治」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方、規模の差は縮まらなかった。第一製薬のMRは約1200人と国内勢ではトップクラスだったが、ファイザーの日本法人など巨大外資は3000名以上を擁していた。2005年2月、第一製薬は三共との経営統合で基本合意に達する。当時の誌面は第一製薬について「ここ２年間は既存品が踏ん張り、開発中の抗血小板剤プラビックスは来期発売までこぎ着けた。ただ、単独で世界と伍していくのは規模で見劣りする」と書いた。合弁から2年半で、単独で成長するという前提のほうが先に手放された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "第一製薬の営業人員（MR）は約1200名で国内勢トップクラスだが、ファイザーの日本法人など巨大外資は3000名以上のMRを擁していた",
                      "原文": "第一製薬の営業人員（ＭＲ：医薬情報担当者）は現在約１２００名。国内勢ではトップクラスの陣容だが、ファイザーの日本法人など、巨大外資は３０００名以上のＭＲが１人当たり３〜４品目に絞り、国内市場に大攻勢をかけており、頭数ではかなわないのが現状だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2004年11月13日号「［特集］無敵の営業」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2005年2月、国内製薬2位の三共が6位の第一製薬と経営統合に向け最終調整に入った。第一製薬はここ2年間は既存品が踏ん張り、プラビックスの発売にこぎ着けたが、単独で世界と伍していくには規模で見劣りするとされた",
                      "原文": "では、“婚約相手”の第一製薬はどうか。ここ２年間は既存品が踏ん張り、開発中の抗血小板剤プラビックスは来期発売までこぎ着けた。ただ、単独で世界と伍していくのは規模で見劣りする。",
                      "source": "週刊東洋経済 2005年3月5日号「［ニュース最前線］再編ラッシュの製薬業界」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "買えなかったのは、薬になるまでの時間",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "第一製薬が手に入れたのは、売れる薬ではなく、薬を作る人の集団だった。研究開発費を全額引き受け、販売網も自社のものを使いながら、34％はサントリーに残す。完全子会社にするまでの移行の時間を、この34％で買っている。1974年に他社の新薬を導入する方針へ転じた会社が、今度は開発の工程ごと引き取る側へ回った。買う対象が、薬から人へ移っている。"
                },
                {
                  "text": "買った研究資産が薬になる前に、会社の時間のほうが尽きた。合弁初年度は「増収だが利益貢献なし」と評され、業績を支えたのはクラビットとアーチストという既存品と、営業所を108から71へ削った営業側の踏ん張りであった。2005年2月に三共との統合で基本合意へ至るまで、約300人の研究者が生んだ新薬が数字に載ることはない。それでも、この合弁が残したものはある。相手側の事業部門を率いていた中山讓治氏は、5年後に統合後の会社を率いた。買えなかったのは研究開発力ではなく、それが薬に変わるまでの年月であった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "共同通信「医薬事業で合弁会社設立／第一製薬とサントリー」（四国新聞 2002年7月30日）",
        "週刊東洋経済 1999年2月13日号「［特集］世界の最強・日本の最強 医薬」",
        "週刊東洋経済 1999年7月17日号「［キーパーソン］「熟慮断行」で製薬3位を目指す 第一製薬社長 森田清」",
        "週刊東洋経済 2002年11月2日号「［特集］生き残る会社の条件」",
        "週刊東洋経済 2003年5月24日号「『会社四季報』最新情報」",
        "週刊東洋経済 2004年10月23日号「『会社四季報』最新情報」",
        "週刊東洋経済 2004年11月13日号「［特集］無敵の営業」",
        "週刊東洋経済 2005年2月26日号「『会社四季報』最新情報」",
        "週刊東洋経済 2005年3月5日号「［ニュース最前線］再編ラッシュの製薬業界」",
        "週刊東洋経済 2010年6月26日号「TOP INTERVIEW 第一三共次期社長 中山讓治」",
        "週刊東洋経済 2015年7月10日号「［第1特集 クスリ最前線］INTERVIEW もう一度新薬で勝負する 第一三共 社長兼CEO 中山讓治」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    }
  ]
}
