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      "title": "塩ビモノマー原料のカーバイド法からの転換と、高砂へのオキシクロリネーション法設備の建設",
      "subtitle": "ナフサか、エチレンか——資本金を上回る51億円を主力製品の原料工程に投じた1967年の選択",
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      "issue": "塩ビモノマーの原料転換と製法の選択",
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          "text": "1967年、鐘淵化学工業（現カネカ）が塩化ビニールモノマーの原料をカーバイドから石油に改め、エチレンを原料とするオキシクロリネーション法の採用を決めた経営判断。米国ストーファー社の技術を導入し、高砂に51億円を投じて1968年10月の完成を目指した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "通商産業省は1967年にエチレンプラントの最低規模基準を年産30万トンへ引き上げ、誘導品の設備も連動して大型化した。塩ビモノマーはコンビナートに組み込まれ、カーバイド方式から石油化学方式への転換が業界全体で進んだ。塩ビで国内首位にありながら、鐘淵化学工業の高砂は通産省が想定した4か所のモノマーセンターに入っていなかった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "ナフサを原料とするウルフ法とエチレンを原料とするオキシクロリネーション法を比べ、海外に技術者を派遣して国内の原料事情を調べたうえで後者を採った。1キログラムあたりの金利込み工場原価はカーバイド法の58円に対し38円で、差は20円と見込まれた。"
        },
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          "label": "含意",
          "text": "51億円は当時の資本金43億8,000万円を上回る。1970年11月には共同出資の鹿島塩ビモノマーに連なる鹿島工場が竣工した一方、塩ビ樹脂は1971年から自主減産に入り、1972年1月には不況カルテルが実施された。"
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            "note": "塩化ビニールで国内首位。公称月産能力6,600トンで日本ゼオンと並び、世界でも11〜12位に位置していた"
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      "dates": {
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          "title": "鐘淵紡績の繊維以外の部門を継承し、資本金2億円で鐘淵化学工業が設立"
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          "title": "戦時中の合成ゴム研究を生かし、自社技術で塩化ビニールの企業化に成功"
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          "title": "ウルフ法との比較のうえオキシクロリネーション法の採用を決定、ストーファー社の技術導入と高砂への51億円の投資を公表",
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          "title": "高砂の塩ビモノマー設備の完成目標（1967年時点の計画）"
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          "title": "鹿島工場が竣工。信越化学工業・旭硝子・旭電化工業との共同出資による鹿島塩ビモノマーが同時期に稼働"
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          "title": "塩化ビニール樹脂の不況カルテルが実施される"
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                  "text": "鐘淵化学工業が塩化ビニールを企業化したのは1950年で、戦時中から続けた合成ゴム研究を転用した自社技術による。1967年には公称月産能力6,600トンに達し、日本ゼオンと並ぶ国内首位のメーカーとなった。世界で見ても11位から12位に入る。国内の塩ビ生産は1966年度に53万3,901トン、出荷は53万9,677トンで、塩化ビニール協会は内需が年平均7〜9%で伸びると推定していた。伸びる市場で首位を占める会社が、その原料の作り方を入れ替える。",
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                    {
                      "fact": "1950年に自社技術で塩ビの企業化に成功し、1967年の公称月産能力は6,600トン、日本ゼオンと並ぶ国内首位で世界では11〜12位であった",
                      "原文": "昭和25年に、戦時中から研究してきた合成ゴムの技術と経験を生かし、自社技術によって塩ビの企業化に成功した。〔中略〕当社の塩ビの公称月産能力は、6,600トンということになっている。〔中略〕日本ゼオンと並んでわが国塩ビのトップメーカーである当社の生産能力を世界的にみると、11〜12位にある。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                      "fact": "1966年度の国内塩ビ生産は53万3,901トン、出荷は53万9,677トンで、内需は年平均7〜9%の伸びが見込まれていた",
                      "原文": "41年度、つまり41年4月から42年3月までの数字によると、生産が53万3,901トン、出荷が53万9,677トンとなっている。〔中略〕今後年間平均7〜9%の伸び率で推移して行くものとみられている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                {
                  "text": "通商産業省は石油化学協調懇談会の方式でエチレンプラントの最小規模を年産10万トンと定めていたが、1967年にこの基準を30万トンへ引き上げた。基幹設備が大きくなれば誘導品の設備も連動して大きくなる。塩ビモノマーやアンモニアはコンビナートに本格的に組み込まれ、カーバイド方式から石油化学方式への転換と設備の大型化が業界全体で進んだ。カーバイドから作る従来の製法に留まれば、原料の段階で新設の大型設備に差をつけられる。",
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                      "fact": "通産省はエチレンプラントの最小規模を年産10万トンと定めたのち、1967年に最低規模基準を30万トンへ引き上げ、塩ビモノマーはカーバイド方式から石油化学方式へ転換した",
                      "原文": "一連の自由化を控え、石油化学の国際競争力強化を狙う通産省では四十年代にいわゆる協調懇(石油化学協調懇談会)方式によりエチレン・プラントの最小規模を年一〇万トンと定めたが〔中略〕最低規模基準は四十二年に三〇万トンに引き上げられた。〔中略〕塩化ビニール樹脂の原料である塩化ビニールモノマーは、カーバイド方式から石油化学方式への転換と設備の大型化が進んだ。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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              "sub_title": "需要の読みと、通産省が絞った拠点",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "需要が伸び続けるという読みが、原料転換を後押ししていた。塩化ビニール協会の需要調査委員会は1967年度の内需を61万2,000トンと推定したが、大澤孝常務取締役は、この推定は低めに抑えられており1967年度は69万トンに届くという見方もあると述べている。塩ビの年間需要が100万トンを超えるのはそう遠い先ではない、という見通しが前提にあった。米国でも1965年に84万トンだった需要が、1970年には159万トンになると推定されていた。",
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                    {
                      "fact": "塩化ビニール協会の推定では1967年度の内需は61万2,000トンだが実際は69万トンに届くとの見方があり、米国の需要は1965年84万トンから1970年159万トンへ倍増すると推定されていた",
                      "原文": "例えば42年度は61万2,000トンと推定されているが、もう少し上の段階では69万トンぐらいは行くだろうという見方をしている。したがって、塩ビの年間需要が100万トンを越すのはそう遠い先ではなく〔中略〕1965年のアメリカにおける塩ビの需要量は84万トンであったが、5年後の1970年には159万トンになるだろうと推定されている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                {
                  "text": "もう一つ、行政が絞り込んだ拠点の構想があった。通商産業省が従来想定していた塩ビモノマーセンターは徳山、千葉、水島、高岡の4か所で、大型の原料設備を置く場所をここに限る考えである。ここに入らなければ、モノマーを他社から買うか、割高なカーバイド法を続けるかしか残らない。塩ビで国内首位にありながら、鐘淵化学工業の高砂はこの4か所に含まれていなかった。樹脂まで一貫して自社で作ってきた会社にとって、原料を他社に握られる構図は選びにくい。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "通産省が従来考えていた塩ビモノマーセンターは徳山・千葉・水島・高岡の4か所であった",
                      "原文": "従来通産省が考えていた塩ビモノマー・センターは徳山、千葉、水島、高岡の四つであったが、これに当社の高砂が加わり合計して五つ、さらに三菱油化の鹿島のセンターが予定されているので、日本には六つの塩ビモノマー・センターができることになるわけである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "ウルフ法とオキシクロリネーション法の比較",
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                {
                  "text": "鐘淵化学工業が検討した案は二つあった。ナフサを原料とするウルフ法と、エチレンを原料とするオキシクロリネーション法である。同社はかなり長い時間をかけて両者を比べ、海外に技術者を派遣し、今後の国内の原料事情がどういう姿になるかを調査した。そのうえで1967年、オキシクロリネーション法を採用すると決めて発表した。塩素の扱いではなく、主力製品の原価を左右する原料をナフサとエチレンのどちらにするかを決める選択である。",
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                      "fact": "ナフサ原料のウルフ法とエチレン原料のオキシクロリネーション法を比較し、海外への技術者派遣と国内の原料事情の調査を経てオキシクロリネーション法の採用を決定・発表した",
                      "原文": "当社は原料転換を行なうに際して、ナフサを原料とするウルフ法とエチレンを原料とするオキシクロリネーション法の二つを考えた。かなり長い時間をかけ、海外に技術者を派遣したり、また今後国内での原料事情がどういう姿になって行くのかについての調査、研究を行なうなどして、先般、オキシクロリネーション法を採用することに決定、発表したわけである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                  "text": "ナフサ側の事情は、このとき既に危うくなっていた。石油精製業にとってナフサは低収益の製品で値上げ要求が絶えず、1965年以降は国内供給の不足が表面化する。同年1月には初の輸入ナフサが中近東から入り、1970年には輸入依存率が25.3%に達した。ウルフ法は、この不安定な原料に主力製品の原価を直結させる。大澤常務が語った「今後国内での原料事情」の調査には、この先行きをエチレンと引き比べる作業が含まれる。",
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                      "fact": "ナフサは石油精製業にとって低収益で値上げ要求が絶えず、1965年以降国内供給の不足が表面化し、1970年には輸入依存率が25.3%に上昇した",
                      "原文": "ナフサは石油精製業界にとっては低収益製品であったため、ナフサ価格の値上げ要求が絶えず、四十年以降国内ナフサ供給の不足が表面化。石油化学業界では関係当局に輸入措置とその関税免除を要請、四十年一月にわが国初の輸入ナフサが興亜石油の手で中近東から輸入され〔中略〕四十五年には輸入依存率が二五・三%にまで上昇した。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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            {
              "sub_title": "20円の原価差と、51億円の設備",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "決め手として示されたのは、1キログラムあたりの原価であった。カーバイド法では原料用役費52円に工場固定費4円と金利2円が乗り、金利込みの工場原価は58円になる。オキシクロリネーション法では原料用役費が31円に下がり、固定費5円と金利2円を足しても38円で収まる。差は20円である。原料そのものの単価はカーバイドの28円に対しエチレンが30円と逆に高く、差は用役を含めた原料工程の費用で生じている。",
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                    {
                      "fact": "金利込み工場原価はカーバイド法58円/kg（原料用役費52円・工場固定費4円・金利2円）、オキシクロリネーション法38円/kg（原料用役費31円・工場固定費5円・金利2円）で、原料単価はカーバイド28円/kg・エチレン30円/kg",
                      "原文": "〔第3表〕塩ビモノマーのコスト比較　カーバイド法＝原料用役費52円/kg、工場固定費4、金利2、金利込工場原価58／オキシクロリネーション法＝原料用役費31円/kg、工場固定費5、金利2、金利込工場原価38。備考＝カーバイド28円/kg、エチレン30円/kg、定額償却。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                    {
                      "fact": "石油に原料を求めると約20円のコストダウンが可能になるが、稼働当初はエチレン価格が高いことと定率償却のためこれほどにはならないと注記された",
                      "原文": "表にみるとおり、石油に原料を求めると約20円のコストダウンが可能になる。これは非常に大きなメリットである。〔注〕上表によれば、20円/kgのコストダウンとなるが、稼動当初はエチレン価格が高いことと、定率償却のため、これほどのコストダウンとはならない。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                },
                {
                  "text": "米国ストーファー社の技術を導入する計画を立て、高砂では建設の準備に既に取りかかっていた。投じる資金はユーティリティー関係設備を含めて51億円、完成目標は1968年10月である。当時の資本金は43億8,000万円で、一つの原料設備に資本金を上回る額を積む計算になった。高砂が加われば塩ビモノマーセンターは5か所となり、三菱油化の鹿島を含めて6か所に増える。通産省が四つに絞った拠点に、自力で一つを加える投資である。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "米国ストーファー社の技術を導入し、高砂で建設準備に着手、資金はユーティリティー関係設備を含め51億円、完成目標は1968年10月であった",
                      "原文": "当社はアメリカのストーファー社の技術を導入する計画で、通産省で、近く認可の運びとなろう。〔中略〕当社ではすでに建設の準備にとりかかっており、来年10月の完成を目指している。建設資金はユーティリティー関係設備を含めて51億円を予定している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                    {
                      "fact": "当時の資本金は43億8,000万円で、1967年初から約2,000万株が一般株主から金融機関へ移り、従来の持株と合わせて5割近くが安定株主となっていた",
                      "原文": "今年の初めから今日までに約2,000万株が一般株主から金融機関に移行した。当社の資本金は43億8,000万円であるから4分の1ぐらいが新たに金融機関へ移行したことになるわけで、従来からの金融機関の持株と合わせると50%近くの株式が安定したことになる。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
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                {
                  "text": "高砂の設備に続いて、鐘淵化学工業は共同出資の側にも回った。1970年11月には鹿島工場が竣工した。三菱油化のエチレン30万トン計画に対応し、信越化学工業、旭硝子、鐘淵化学工業、旭電化工業の4社が共同出資した鹿島塩ビモノマーは、この時期の塩ビセンターの代表例にあたる。エチレン30万トン計画の多くは共同出資や輪番投資の形をとり、ナフサ手配と資金調達の負担を分け合った。単独で51億円を負う高砂のやり方は、3年のうちに業界の標準ではなくなった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1970年11月に鹿島工場が竣工した",
                      "原文": "1970年11月、鹿島工場が竣工した。",
                      "source": "カネカ 有価証券報告書【沿革】",
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                    },
                    {
                      "fact": "三菱油化のエチレン30万トン計画に対応して信越化学工業・旭硝子・鐘淵化学工業・旭電化工業が共同出資した鹿島塩ビモノマーが代表的な塩ビセンターで、エチレン30万トン計画の多くは共同出資や輪番投資の形をとった",
                      "原文": "三菱油化のエチレン三〇万トン計画に対応して、信越化学工業、旭硝子、鐘淵化学工業、旭電化工業の各社が共同出資して設立した鹿島塩ビモノマー〔中略〕などが代表的な塩ビセンターで、そのほとんどが四十五-四十六年に設備を完成させた。〔中略〕エチレン三〇万トン計画は、丸善石油化学と三菱油化の単独実施を除いて、すべて共同出資や輪番投資の形をとり、大量のナフサ手配、誘導品生産と販売、資金調達などの負担を軽減させた。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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                {
                  "text": "転換の効果が出る時期は、市況の崩れと重なった。塩化ビニール樹脂は相次ぐ増設で1971年春までに年産200万トンに達した一方、需要は1970年秋から停滞し在庫が急増する。業界は1971年初めから大幅な自主減産に入り、同年12月に不況カルテルを公正取引委員会へ申請して1972年1月から実施した。エチレンでも1972年3月に12社が申請している。原料ナフサ価格は1970年10月から上昇に転じ、原料を石油に移した各社は、その値動きを直接引き受ける立場になった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "塩化ビニール樹脂は1971年春までに年産200万トンに達する一方、需要は1970年秋から停滞して在庫が急増し、1971年初めからの自主減産を経て1971年12月に不況カルテルを申請、1972年1月から実施した",
                      "原文": "プラスチック業界では、代表的な塩化ビニール樹脂が相次ぐ増設で四十六年春までに年産二〇〇万トンに達する一方、需要は四十五年秋から停滞して在庫が急増。四十六年初めから大幅な自主減産を実施、さらに四十六年十二月には不況カルテルの結成を公正取引委員会に申請し、四十七年一月から実施した。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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                    {
                      "fact": "エチレンメーカー12社は1972年3月18日に不況カルテルを申請し、原料ナフサ価格は1970年10月から上昇に転じた",
                      "原文": "このためエチレンメーカー一二社は四十七年三月十八日公取委に不況カルテルの結成を申請、同年四月十五日に認可された。〔中略〕さらに原料ナフサ価格は四十五年十月から上昇に転じ、とくに第一次石油ショックがぼっ発した四十八年秋からは高騰し、製品コストを大幅に押し上げた。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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              "sub_title": "自社技術の会社が、原料工程だけを買った意味",
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                {
                  "text": "塩ビの企業化を自社技術で成し遂げ、それを国内首位の根拠としてきた会社が、原料の製法だけは米国ストーファー社から買った。判断の材料は1キログラムあたり58円と38円という原価の比較で、資本金43億8,000万円を上回る51億円を高砂へ投じている。自前の技術で押したのは樹脂までで、原料工程は他社から買って早く据えた。国内のナフサ供給が不足しはじめた時期にコンビナートのエチレンへ寄せた読みは、当時の材料で見るかぎり筋が通っている。"
                },
                {
                  "text": "ただ、20円という原価差は、大澤孝常務取締役自身が稼働当初はそこまで届かないと断った数字であった。高砂の完成から数年で塩ビ市況は崩れ、1971年の自主減産を経て業界は1972年1月の不況カルテルに入る。誤算は転換の是非ではなく、同じ計算を各社が同時に済ませたところにある。6か所のセンターが揃えば、原価が下がっても差はつかない。原料を石油へ移して得たのは他社への優位ではなく、大型化した業界に残るための条件であった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（大澤孝）",
        "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
        "カネカ 有価証券報告書【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-30"
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      "title": "女性かつら直営会社フォンテーヌのアデランスへの譲渡と、人工毛カネカロンの素材供給への専念",
      "subtitle": "素材に徹するか、川下の売り場を持ち続けるか——140店の販売網を97店舗の専業メーカーへ渡した判断",
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          "label": "概要",
          "text": "1985年8月、鐘淵化学工業が女性用かつら「フォンテーヌ」を販売する全額出資子会社フォンテーヌ株式会社の株式全額を、男性かつら専業のアデランスへ譲渡した経営判断。買収費用は10億円強と推定された。同社が新納眞人社長のもとで進めていた事業の入れ替えの一つである。"
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          "label": "背景",
          "text": "フォンテーヌは、アクリル系合成繊維カネカロンの用途を開拓するために設けた販売会社であった。1960年代の女性かつら市場から帝人、鐘紡、興人、コマチヘアが撤退したあとも直営で残したのは、人工毛の世界生産の8割を占める鐘淵化学工業にとって、そこが製品テストの場だったためである。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "1986年度を最終年度とする3か年の中期経営計画で、電子材料・特殊樹脂・バイオサイエンスの3部門へ資源を集める方針を採り、化学メーカーの技術と経営力を発揮しにくい事業を、利益が出ているうちに手放す形で処分した。フォンテーヌの1984年度は売上高24億7,000万円、経常利益1億3,000万円であった。"
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          "label": "含意",
          "text": "譲渡時点でフォンテーヌは百貨店136か所の売り場と6か所の直営店を持ち、買い手のアデランスは創業17年で97店舗であった。売り場の数では手放す側のほうが大きかった一方、譲渡後もフォンテーヌはカネカロンを使い続け、人工毛の供給者という位置は動いていない。"
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          "title": "女性用ウィッグ「フォンテーヌ」を販売する全額出資子会社が発足"
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          "title": "フォンテーヌが株式を店頭公開（女性用ウィッグ市場で約30%のシェア）"
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      "snapshot": {
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        "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
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            "name": "鐘淵化学工業",
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            "president": "新納眞人",
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              "sub_title": "カネカロンの用途を開くために置かれた販売会社",
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                  "text": "鐘淵化学工業は1957年、アクリル系合成繊維カネカロンの製造を始めた。まもなくエクスラン、ボンネル、カシミロンと専業の繊維メーカーが相次いで参入し、規模で競える相手ではなくなった。常務取締役の大澤孝氏は1967年の講演で、大手と同じことをやっては勝負にならないため、他社が手をつけない用途を選んで商品を開発してきたと説明している。難燃性を生かしたカーテンや寝具と並び、人毛に近づけたかつら用の毛髪がその一つであった。",
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                      "fact": "カネカロンは専業の大手繊維メーカーとの正面競合を避け、他社が手をつけない用途を選んで開発された。かつら材料はその一つで、1967年時点で残っている合繊かつらはカネカロン製だけであった",
                      "原文": "大繊維メーカーと同じことをやっていたのでは、勝負にはならないので、そういう会社がやらない間隙をぬっての商品開発をしている。（中略）もう一つ、変り種として特殊な処理によって人毛に近い性質を持たせ、カツラの材料に利用している。これまでいろいろな合繊を使ったカツラは相当発売されてきたが、現在残っているのはカネカロンのカツラだけである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（鐘淵化学工業 常務取締役 大澤孝）",
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                {
                  "text": "衣料用の道が狭かった事情は、後年の同時代報道からもうかがえる。カネカロンの用途は一部の高級毛糸の代替に限られ、毛布やじゅうたんの素材としては値が張りすぎた。ある営業マンは、作っては出荷するそばから返品が届いて倉庫が満杯になる毎日だったと振り返っている。苦しまぎれに始めたのが女性用かつらの製造販売で、1970年に鐘淵化学工業の全額出資子会社として販売会社が発足し、1979年にフォンテーヌ株式会社となった。",
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                    {
                      "fact": "カネカロンは衣料用途が高級毛糸の代替に限られ、毛布・じゅうたん向けには高価すぎたため、返品が続いた。その状況で始めたのが女性用かつらの製造販売であった",
                      "原文": "新タイプの繊維は開発したものの、衣料としての用途は一部高級毛糸の代替品に限られ、毛布やじゅうたんの素材としては高価過ぎた。「製品をあれこれ作っては出荷するんですが、すぐに返品で倉庫が満杯になる、という毎日でした」と、ある営業マンは振り返る。そんな状況下で苦肉の一策として始めたのが女性用かつらの製造販売だった。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
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                    {
                      "fact": "フォンテーヌは1970年に鐘淵化学工業の100%出資子会社として発足し、1979年にフォンテーヌ株式会社を設立、1985年にアデランスが株式全額を譲り受けた",
                      "原文": "当社は1970年、鐘淵化学工業(株)製造の女性用ウィッグ「フォンテーヌ」を販売する同社100%出資子会社として発足し、79年にフォンテーヌ(株)を設立、85年に(株)アデランスが当社の株式全額を譲り受けて当社は同社の子会社となり、去る12月27日に株式を店頭公開することができた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年1月号「フォンテーヌ」（フォンテーヌ株式会社 社長 山伏正明）",
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              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1960年代の女性かつらは「2,000億円産業」とはやされ、帝人、鐘紡、興人、コマチヘアといった大手が競って参入した。乱売合戦の末にいずれも撤退し、鐘淵化学工業が直営するフォンテーヌと数社が残った。アデランス社長の根本信男氏は、この残留を収益では説明していない。全世界の人工毛の80%をカネカロンとして生産する鐘淵化学工業にとって、フォンテーヌはそのテストの場であり、なくすわけにいかなかったからだという。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1960年代の女性かつら市場は帝人・鐘紡・興人・コマチヘアが競い乱売合戦の末に撤退し、鐘淵化学工業が直営するフォンテーヌと数社が残った。残した理由は、人工毛の世界生産の80%を占める同社にとってフォンテーヌが製品テストの場だったためとされる",
                      "原文": "女性かつらは昭和40年代には、「2,000億円産業」とはやされた時代があり、帝人、鐘紡、興人、コマチヘアなどの大メーカーが競ったが、乱売合戦の結果、いずれも撤退し、鐘淵化学が直営するフォンテーヌ(株)と何社かが残った。これは全世界の人工毛の80%を生産(カネカロン)している鐘淵化学が、そのテストのためにフォンテーヌをなくすわけにいかなかったためである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年12月号「アデランス 男性かつらで名実ともに世界のトップ」（アデランス株式会社 社長 根本信男・日本証券アナリスト協会 企業分析部会 1985年11月12日）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "素材の側から見れば、かつらは早い時期からカネカロンの一用途にすぎなくなっていた。1984年度のカネカロンは月産2,800トン、年商230億円まで伸びていたが、かつら向けの需要はその1割程度にとどまる。難燃性を生かした住宅用品やインテリア向けの開拓が進み、販売会社を抱えて需要を作り出す必要は薄れていた。フォンテーヌ自体は、同じ1984年度に売上高24億7,000万円、経常利益1億3,000万円を計上した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1984年度のカネカロンは月産2,800トン・年商230億円まで伸びたが、かつら用需要はその10%程度にとどまり、難燃性を生かした住宅用品・インテリア用途の開拓が進んでいた",
                      "原文": "女性かつらのブームはしばらくして下火になったが、その頃には難燃性という特性を生かした住宅用品、インテリア製品としての用途開拓が進み、「カネカロン」は鐘化の有力製品のひとつに育った。「カネカロン」はいま、月産2800トン、年商230億円(59年度)まで伸びているが、このうち、かつら用需要はせいぜい10%程度という。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "フォンテーヌは経営が行き詰まっていたわけではなく、1984年度に売上高24億7,000万円、経常利益1億3,000万円を計上していた",
                      "原文": "フォンテーヌは決して経営が行き詰まっていたわけではない。ここ数年、ひと頃ほどの勢いをなくしたとはいえ、売り上げを着実に伸ばし59年度で24億7000万円、経常利益も1億3000万円を計上していた。依然孝行子会社であったことに間違いはない。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
                      "url": null
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        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "利益が出ているうちに手放す",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "売却を迫る事情は財務にはなかった。1985年3月期の鐘淵化学工業は売上高1,965億円、経常利益120億円をあげ、どちらも当時の過去最高を記録した。そのうえで同社は、1986年度を最終年度とする3か年の中期経営計画のもと、市況に左右されにくく付加価値の高い電子材料、特殊樹脂、バイオサイエンスの3部門へ資源を寄せていた。3部門の売上構成比は1980年度の15%から1984年度に21%へ上がり、1988年度の目標を30%に置いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1985年3月期の鐘淵化学工業は売上高1,965億円（前期比7%増）、経常利益120億円（同39%増）でいずれも過去最高であった",
                      "原文": "鐘化の業績も順調だ。60年3月期では特殊樹脂の好調な伸びと塩化ビニールの市況安定に支えられて、売上高は前期比7%増の1965億円。経常利益は同39%増の120億円を記録。いずれも過去最高である。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1986年度を最終年度とする中期経営計画で電子材料・特殊樹脂・バイオサイエンスの3部門に重点配分し、3部門の売上構成比を1980年度の15%、1984年度の21%から1988年度に30%へ引き上げる目標を置いた",
                      "原文": "中期計画では、収益を安定させるため、市況に左右されにくく付加価値の高い電子材料、特殊樹脂、バイオサイエンスの3部門に重点的に経営資源を配分していくことにしたのだ。この3部門の売上高に占める割合は55年度の15%から、59年度には21%に向上したが、63年度にはこれをさらに30%まで向上させる、というのが同社の目標である。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "資源の付け替えは他の事業でも同時に進んだ。滋賀県の阪本工場では塩ビ被覆電線事業をやめて電子材料の専門工場に切り替え、米国テキサス州には50億円を投じて特殊樹脂工場を建てた。子会社の処分も続き、1984年末にはティーバッグ用特殊紙の南国パルプを日本紙業へ、1985年9月にはうなぎ養殖の合弁会社の保有株式を日本鉱業側へ売った。いずれも利益を出している会社で、新納眞人社長は、利益が出ているからこそ売却が滑らかに進むという。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "阪本工場（滋賀県）の塩ビ被覆電線事業を廃業して電子材料の専門工場に転換し、米国テキサス州に50億円で特殊樹脂工場を建設した",
                      "原文": "この計画を達成するために、鐘化は一昨年から今年初めにかけて、阪本工場(滋賀県)の塩ビ被覆電線事業を廃業して同工場を電子材料の専門工場にしたり、米国テキサス州に50億円かけて特殊樹脂工場を作るなど、次々と思い切った手を打っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1984年末に南国パルプを日本紙業へ、1985年9月にうなぎ養殖の合弁会社の保有株式を日本鉱業側へ売却した。いずれも利益の出ている子会社で、新納社長は利益が出ているからこそ売却がスムーズに進むと述べた",
                      "原文": "鐘化は、フォンテーヌ売却と同じ方針から、昨年末には、やはり全額出資の子会社で、ティーバッグ用の特殊紙などを生産販売していた南国パルプ(本社土佐市)を、同分野ではライバルだった日本紙業に売却した。また今年9月には日本鉱業グループと折半出資で経営していたうなぎ養殖の合弁会社の所有株式を日鉱側に売却した。いずれもちゃんと利益を出している子会社だ。（中略）「利益が出ているからこそスムーズに売却できる」(新納氏)というのが鐘化の考え方である。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
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              ]
            },
            {
              "sub_title": "140店を、97店舗の会社へ渡す",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "フォンテーヌに残された道は二つであった。広告宣伝費を投じて新製品を並べ、ファッション需要をもう一度作り直すか、事業を伸ばせる外部の企業へ売るか。前者はファッション分野の人材を欠くため見送られた。新納社長は、化学メーカーの技術と経営力を発揮しにくい事業分野は、そこそこ利益が出ていても思い切って手放すという基準を示した。専業メーカーの経営力を加えれば事業はさらに活きる、その可能性が大きいうちに売れば、という計算も同時に口にしている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "中期計画の見直しで残された選択肢は、広告宣伝費を投じたファッション需要の再開拓か、外部企業への売却の二つで、前者はファッション分野の人材不足を理由に退けられた",
                      "原文": "中期計画でフォンテーヌを見直すにあたって、鐘化には2つの選択が残されていた。ひとつは思い切って広告宣伝費を投入、新製品も加えて再びファッション需要の開拓を図る方法。しかし、これは「ファッション分野の人材不足でリスクが大き過ぎた」(新納社長)。残されたもうひとつの方法が「事業を伸ばせる外部の企業への売却」だったのである。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "新納眞人社長は、化学メーカーの技術と経営力を発揮しにくい事業分野は利益が出ていても手放すとし、専業メーカーの経営力を加えれば事業はさらに活きる、その可能性が大きいうちに売ればという計算があったと述べた",
                      "原文": "「化学メーカーの技術と経営力を発揮しにくい事業分野は、たとえそこそこ利益が出ていても、思い切って手放すことにした」(新納眞人社長)のである。フォンテーヌの場合には「専業メーカーの経営力を加えれば事業はさらに活きるはず。その可能性が大きいうちに売れば…」(新納社長)という計算もあった。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "鐘淵化学工業が証券会社を通じてファッション業界の企業へ打診を始めたところ、男性かつら専業のアデランスが買収を申し入れ、1985年8月に株式が譲渡された。買収費用は10億円強と推定されている。渡した売り場は百貨店136か所と直営店6か所、あわせて140店にのぼり、買い手は創業から17年で97店舗であった。根本社長は、これだけの売り場をゼロから作れば買収額の何倍もの費用と時間がかかったはずだと語っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "鐘淵化学工業が証券会社経由でファッション業界へ売却を打診したところアデランスが買収を申し入れた。魅力は百貨店136か所の売り場と6か所の直営店で、買収費用は10億円強と推定された",
                      "原文": "鐘化が証券会社を通じてファッション業界の企業に事業売却を打診し始めたところに、男性用かつら専業のアデランスが買収を申し入れてきた。アデランス側にとって最大の魅力は、フォンテーヌが全国136カ所のデパートに開設しているかつら売り場と6カ所の直営店だった。「これだけの売り場をゼロから作ったら、買収額の何倍もの費用と、とてつもない時間がかかったはず」(根本信男・アデランス社長)というのだ。買収費用は10億円強と推定されるが、女性かつらも手掛ける総合毛髪メーカーを目ざしていたアデランスにとって、安い買物だったようだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
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                    },
                    {
                      "fact": "鐘淵化学工業からアデランスへ引き受けの打診があり1985年8月に株式が譲渡された。アデランスは創業17年で97店舗、フォンテーヌは直営店を含め140店であった",
                      "原文": "このフォンテーヌについて鐘淵化学から、「アデランスのノウハウで売ってもらう方がいいと思うので引き受けてくれないか」という話があり、今年8月、フォンテーヌの株式の譲渡を受けて子会社とした。（中略）当社は創業から17年かかってまだ97店舗だが、フォンテーヌは直営店を含め140店あるので、これをフルに活用し、女性かつらのブームを、ここ2〜3年でつくり出したい。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年12月号「アデランス 男性かつらで名実ともに世界のトップ」（アデランス株式会社 社長 根本信男・日本証券アナリスト協会 企業分析部会 1985年11月12日）",
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "売り場は伸び、素材の位置は動かなかった",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "アデランスの傘下に入ったフォンテーヌは、1986年ごろから商品開発、価格政策、流通ルートの整備に手を入れ、売上を大きく伸ばした。頭頂部にボリュームを持たせるトップピースなどが売れ、1994年12月27日には株式を店頭公開した。同年の女性用ウィッグ市場は末端価格で300億円ほどと推定され、フォンテーヌはその約30%を占めて首位に立った。従業員は425人、パートを含めれば526人を数えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "フォンテーヌは1986年ごろから商品開発・価格政策・ルート整備を進めて売上を大きく伸ばし、トップピースなどがヒットした",
                      "原文": "この間、当社は熱に強いカネカロンを使っていたので、販売を継続でき、86年ごろからはさらに商品開発、価格政策、ルート整備を行って大幅に売上を伸ばし、今日に至っている。なかでも、当社が開発した「ヘアアクセサリー」は芸能界においても大ヒットし、その後に開発した「トップピース」(頭頂部にボリュームをもたせるもの)も大変にヒットして当社の主力商品のひとつとなり、現在でも好調に売上が推移している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年1月号「フォンテーヌ」（フォンテーヌ株式会社 社長 山伏正明）",
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                    },
                    {
                      "fact": "1994年時点の女性用ウィッグ市場は末端価格で約300億円と推定され、フォンテーヌは約30%のシェアで業界首位。従業員425人、パート101人を抱え、1994年12月27日に株式を店頭公開した",
                      "原文": "現在、女性用ウィッグの市場は、数字がはっきりつかめていないが、末端価格で300億円ぐらいと推定されている。当社はそのうちの約30%のシェアを占めて業界トップの地位にあり（中略）当社の従業員数は94年10月末現在で、男子79人、女子346人の計425人とパートの女子101人となっており",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年1月号「フォンテーヌ」（フォンテーヌ株式会社 社長 山伏正明）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "素材の側では断絶が起きなかった。譲渡後もフォンテーヌの主力ブランドは合成繊維100%の素材で作られ、熱に強いカネカロンが使われ続けている。社長の山伏正明氏は1994年の講演で、素材の適合性の問題からモダアクリル系以外の合繊メーカーは姿を消したとし、カネカロンを使えたことが販売を続けられた理由だと説明した。売り場を手放しても、人工毛の供給者としての位置は動かなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "素材の適合性の問題からモダアクリル系以外の合繊メーカーは姿を消し、フォンテーヌは熱に強いカネカロンを使い続けたことで販売を継続できた。主力の「フォンテーヌ」ブランドは総売上高の約70%を占め、合成繊維100%の素材で作られている",
                      "原文": "こうして女性用ウィッグの流行が始まり、合繊メーカーが競って生産し、販売を進めたが、素材の適合性の問題が出てきて、モダアクリル系合繊以外のメーカーは姿を消した。この間、当社は熱に強いカネカロンを使っていたので、販売を継続でき（中略）当社の商品は、「フォンテーヌ」ブランドが総売上高の約70%を占めている状況だ。これは合成繊維100%の素材で作られており、価格的には5万〜6万円ぐらいの一般普及品として、全ルートで販売している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1995年1月号「フォンテーヌ」（フォンテーヌ株式会社 社長 山伏正明）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "テストの場が要らなくなった日",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "フォンテーヌは、カネカロンの用途を自前で作るために置いた会社であった。年商230億円まで育った素材のうちかつら向けは1割ほどにとどまり、難燃性を生かした住宅用品やインテリアが用途の主役を引き受けた。製品テストの場という役割が薄れた時点で、鐘淵化学工業はフォンテーヌを専業メーカーへ渡した。手放したのは不振の事業ではなく、役目を終えた事業である。新納眞人社長の挙げた「技術と経営力を発揮しにくい事業分野」という基準は、この一件にそのまま当てはまる。"
                },
                {
                  "text": "ただ、渡した先で事業が伸びた事実は残る。フォンテーヌは1986年ごろから売上を伸ばし、9年後には市場の約30%を握って店頭公開に至った。10億円強と推定される譲渡額に対し、買い手が手にしたのは140店の売り場と、そこから育った首位の座である。川下の利益は買い手へ移った。ただし、ファッション分野の人材を欠いたまま鐘淵化学工業が同じ伸びを作れたかは分からない。安く売りすぎたと断じることもできない。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1985年11月11日号「売って活かし、買って伸ばす。」",
        "証券アナリストジャーナル 1985年12月号「アデランス 男性かつらで名実ともに世界のトップ」（アデランス株式会社 社長 根本信男・日本証券アナリスト協会 企業分析部会 1985年11月12日）",
        "証券アナリストジャーナル 1995年1月号「フォンテーヌ」（フォンテーヌ株式会社 社長 山伏正明）",
        "証券アナリストジャーナル 1967年8月号「鐘淵化学工業の現状と将来」（鐘淵化学工業 常務取締役 大澤孝）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-30"
    },
    {
      "slug": "solar-cell-entry-1998",
      "url": "/tse/4118/decisions/solar-cell-entry-1998/",
      "year": 1998,
      "month": 10,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "4118",
      "decision_id": "4118-solar-cell-entry-1998",
      "type": "new_business",
      "tags": [
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        "st-tech",
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      "title": "カネカソーラーテックの設立と、薄膜シリコン太陽電池への100億円超の投資",
      "subtitle": "500億円のニッチで過半、3位なら即撤退——その規律を掲げた会社は、なぜ規律の外へ100億円を投じたのか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
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      "issue": "新規事業への投資と撤退規律",
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        "name": "武田正利（社長）",
        "ceo": "fy98-takeda-masatoshi",
        "note": "・古田武（前社長）"
      },
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1998年10月、鐘淵化学工業（現・カネカ）が全額出資子会社カネカソーラーテック株式会社を設立し、1999年10月に電力用太陽電池の製造を始めた経営判断。住宅用太陽電池への進出に100億円以上を投じ、薄膜シリコン太陽電池事業に参入した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "同社は500億円前後のニッチ市場で過半数のシェアを確保し、3位に落ちたら即座に撤退するという規律を掲げていた。この規律のもとで収益構造の脱・石油化学が進み、医薬中間体と食品が収益の柱に育っていた。人員整理を選ばない方針も同時に示されていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "製造は兵庫県豊岡市のカネカソーラーテックが担い、販売は本体が受け持つ体制を敷いた。武田正利社長は事業は立ち上げ後五年が勝負であるとして、3年後の黒字化を掲げた。選んだ方式は、世界の生産量の大半を占める結晶シリコンではなく薄膜シリコンであった。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "500億円規模のニッチで過半を取るという条件に、太陽電池は当てはまらない。掲げた3年後の黒字化は届かず、賭けた薄膜シリコンも主力技術としては残らなかった。残ったのは、そこで積んだ量産技術と、建材・部材の側へ売り先を絞る売り方であった。"
        }
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      "parties": [
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            "note": "塩ビ・カネカロンを祖業とする化学メーカー。医薬中間体と食品を伸ばし、収益構造の脱・石油化学を進めていた"
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        "summary": "人員整理を選ばない前提で収益構造の脱・石油化学を進めるため、既存事業と系統の違う住宅用太陽電池へ100億円超を投じ、薄膜シリコンで量産技術を自前で立ち上げた"
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          "title": "太陽油脂に追加出資し子会社化"
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          "title": "全額出資子会社カネカソーラーテックを設立し、薄膜シリコン太陽電池への参入を決める",
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        {
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          "title": "武田正利が社長に就任"
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          "title": "電力用太陽電池の製造を開始"
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          "month": 3,
          "title": "2004年3月期の特別損失に太陽電池事業構造改善費用9億円を計上、太陽電池は赤字幅の縮小にとどまる"
        },
        {
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          "title": "薄膜系太陽電池の生産能力をほぼ倍増の55メガワットへ引き上げ、変換効率12%の新ハイブリッド太陽電池を上市"
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        {
          "year": 2019,
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          "title": "大成建設と壁面設置型の外装システム「T-Green Multi Solar」を開発"
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          "title": "ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車「新型プリウスPHEV」のルーフガラス部分に採用され販売開始"
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          "title": "タンデム型ペロブスカイト太陽電池がNEDOグリーンイノベーション基金事業に採択"
        }
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "2000年3月期",
        "source": "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
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            "name": "鐘淵化学工業",
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          "label": "背景",
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              "sub_title": "500億円のニッチで過半、3位なら即撤退",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1999年6月に社長へ就いた武田正利氏は、鐘淵化学工業の戦い方を数字で説明している。500億円前後のニッチ市場で過半数のシェアを確保し、3位に落ちたら即撤退する。市場の規模に上限を置き、順位で撤退線を引く。この線引きのもとで収益構造の脱・石油化学が進み、世界一のコスト競争力を持つ医薬中間体と、末端を見据えた製品開発で伸びた食品が、収益の柱に育った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "鐘淵化学工業は500億円前後のニッチ市場で過半数シェアを確保し3位に落ちたら即撤退する方針を掲げ、医薬中間体と食品が収益の柱に育っていた",
                      "原文": "五〇〇億円前後のニッチ市場で過半数シェアを確保、三位に落ちたら即撤退主義を貫くカネカ。収益構造の“脱・石油化学”は着々と進んでいる。世界一のコスト競争力を誇る医薬中間体、末端を見据えた製品開発とデリバリー力でヒット続出の食品が、大黒柱に成長した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
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                },
                {
                  "text": "この線引きは守りだけを意味しない。武田社長は同じ取材で、関係会社の99%が稼いでおり、マレーシア、米ヒューストン、ベルギーの生産基盤が整って、設備増設を検討する際のすべての土台になっていると述べている。創業50周年にあたる1999年度は、独自の技術力とグローバル体制がかみ合い、10期ぶりに連結純益で過去最高を更新する見通しにあった。手元に余力のある時期の判断であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "関係会社の99%が利益を出し、マレーシア・米ヒューストン・ベルギーの生産基盤が整い、創業50周年の1999年度は10期ぶりに連結純益で過去最高を更新する見通しにあった",
                      "原文": "「人間は足から腐るというでしょう。ウチは幸運なことに足腰は強い。関係会社の九九％は稼いでいるし、マレーシア、米ヒューストン、ベルギーの生産基盤が整い、設備増設を検討する場合のすべてのベースになる」という。創業五〇周年の今期は、独自の技術力とグローバル体制がかみ合い、一〇期ぶりに連結純益で過去最高を更新する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
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              "sub_title": "人を切らずに収益構造を変える",
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                {
                  "text": "もう一方には、雇用を動かさないという前提があった。古田武 前社長は在任中に、首切りはしない、弱者を抱えて走るためにも増収を維持すると語っていた。武田社長も、利益創出と雇用維持は経営にとって同列であり、日本企業である以上リストラはしないと断言している。人員の整理を選ばない以上、収益構造を変える道は、稼ぐ事業を新たに足すことに絞られる。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "古田武 前社長は首切りをしないと語り、武田正利社長も利益創出と雇用維持は同列で日本企業である以上リストラはしないと述べた",
                      "原文": "古田武・前社長（現会長）はかつて、「首切りはしない。弱者を抱えて走るためにも増収を維持する」と語った。武田も「利益創出と雇用維持は経営にとって同列。日本企業である以上リストラはしない」と断言する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
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                {
                  "text": "足す先を探す動きは、1998年に集中している。同年5月に太陽油脂へ追加出資して子会社とし、9月には昭和化成工業を子会社化した。翌1999年3月には海外子会社カネカペーストポリマーをマレーシアに設立した。買収と海外拠点で既存領域を厚くする一方、同じ年の10月に、既存の事業部とは系統の違う技術へ資金を振り向ける枠も用意した。",
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                      "fact": "1998年5月に太陽油脂、9月に昭和化成工業を追加出資により子会社化し、1999年3月に海外子会社カネカペーストポリマーを設立した",
                      "原文": "平成10年５月　太陽油脂㈱に追加出資し子会社化／平成10年９月　昭和化成工業㈱に追加出資し子会社化／平成11年３月　海外子会社カネカペーストポリマーSdn.Bhd.設立",
                      "source": "カネカ 有価証券報告書【沿革】",
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        {
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "カネカソーラーテックの設立と100億円超",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1998年10月、鐘淵化学工業は全額出資の子会社カネカソーラーテック株式会社を設立した。1年後の1999年10月に電力用太陽電池の製造を始め、住宅用太陽電池へ進出している。武田社長が明かした投入額は100億円以上であった。医薬中間体と食品で脱・石油化学を進めてきた会社が、そのどちらとも系統の違う技術へ、それだけの資金を割り当てた。",
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                      "原文": "平成10年10月　子会社カネカソーラーテック㈱設立／平成11年10月　電力用太陽電池の製造開始",
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                    {
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                      "原文": "さらに一〇〇億円以上を投入し住宅用太陽電池に進出。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
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                },
                {
                  "text": "鐘淵化学工業は、受け皿を本体の外に出した。カネカソーラーテックは兵庫県豊岡市に置かれ、太陽電池の製造だけを担う。販売は本体が受け持ち、工場の土地はカネカが貸与する形をとった。2006年3月期時点で資本金は6億円、議決権比率は100%、子会社の銀行借入には親会社が8億8000万円の債務保証を付けている。損益を子会社の枠で切り出しながら、土地と資金は本体が支える組み立てであった。",
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                      "原文": "カネカソーラーテック㈱　兵庫県豊岡市　600（資本金・百万円）　太陽電池の製造　100（議決権の所有割合・％）　当社の委託加工先であり、土地を貸与している。／太陽電池はカネカソーラーテック㈱が製造し、当社が販売している。",
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                    {
                      "fact": "親会社は子会社カネカソーラーテックの銀行借入に対し8億8000万円の債務保証を付していた",
                      "原文": "保証債務　関係会社の銀行借入に対する保証　カネカソーラーテック㈱　880百万円",
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              "sub_title": "期限を切り、主流でない方式を選ぶ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "武田社長は、この投資に自ら期限を課している。事業は立ち上げ後五年が勝負であるとし、太陽電池は三年後に黒字化を目指すと語った。500億円前後のニッチで過半を取り、3位なら即撤退するという条件に、この投資は当てはまらない。過半のシェアを見込める根拠は示されていない。市場での順位に代えて、時間の側から線を引いた。",
                  "evidences": [
                    {
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                      "原文": "「事業は立ち上げ後五年が勝負」といい、太陽電池は三年後に黒字化を目指す。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
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                },
                {
                  "text": "技術の選び方も多数派とは違った。カネカが選んだのは薄膜シリコンで、のちに主力となるヘテロ接合結晶シリコンも、この薄膜シリコンタンデムの技術を伸ばして開発した。結晶シリコン太陽電池は2020年時点でも世界の生産量の95%を占めており、薄膜は主流の外側にある方式であった。製造装置も自社で開発しており、参入の難所は市場ではなく量産技術の側にあった。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "結晶シリコン太陽電池が世界の太陽電池生産量の95%を占めるなかで、カネカの太陽電池事業は薄膜シリコンタンデムから始まった",
                      "原文": "薄膜シリコンタンデム太陽電池からヘテロ接合結晶シリコン太陽電池へ／結晶シリコン太陽電池は、現在、全世界の太陽電池生産量の95%を占めています。",
                      "source": "カネカ 統合報告書（カネカレポート2020）",
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                      "fact": "カネカは薄膜製造装置を自社開発し、薄膜系太陽電池として世界最高水準の変換効率12%の新ハイブリッド太陽電池を開発した",
                      "原文": "薄膜製造装置の自社開発により薄膜系太陽電池としては世界最高水準となる変換効率１２％を有する新ハイブリッド太陽電池の開発に成功。本年秋に本格販売を開始。",
                      "source": "カネカ 2007年3月期 決算説明資料",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "三年後の黒字化はどうなったか",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "掲げた期限は守られなかった。1999年10月の生産開始から三年が過ぎた2004年3月期でも、太陽電池は黒字に届いていない。この期の決算説明資料は、太陽電池が輸出を中心に大幅増販となり単独で売上倍増と記したうえで、赤字幅も縮小したと説明している。同じ期の特別損失には、太陽電池事業構造改善費用9億円が計上された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2004年3月期は太陽電池が輸出を中心に大幅増販となったが赤字幅の縮小にとどまった",
                      "原文": "・太陽電池も輸出を中心に大幅増販となり、赤字幅も縮小",
                      "source": "カネカ 2004年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2004年3月期の特別損失に太陽電池事業構造改善費用9億円を計上した",
                      "原文": "特別損失　太陽電池事業構造改善費用　16年3月期　△9（億円）",
                      "source": "カネカ 2005年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "翌2005年3月期も、太陽電池は連結で60%を超える増収となりながら、説明は増収・赤字幅縮小にとどまった。2006年3月期になって、欧州向け輸出の伸長と生産性向上によるコストダウンが寄与し、増収増益と記された。ただしカネカは太陽電池単独の損益を継続して開示しておらず、どの期に黒字へ転じたのかは、公表資料からは確認できない。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2005年3月期の太陽電池は欧州向けを中心に好調で増収・赤字幅縮小にとどまった",
                      "原文": "輸出、特に欧州向けが好調であり、コストダウンも相俟って、増収・赤字幅縮小。",
                      "source": "カネカ 2005年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2006年3月期の太陽電池は欧州向け輸出の伸長と生産性向上によるコストダウンが寄与し増収増益となった",
                      "原文": "太陽電池は欧州向け輸出の伸長と生産性向上によるコストダウンも寄与し、増収増益。",
                      "source": "カネカ 2006年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "賭けた方式は入れ替わった",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "赤字が続くあいだも、カネカは薄膜での順位を上げにいった。2006年2月には薄膜系太陽電池のトップメーカーとして生産能力をほぼ倍増の55メガワットへ引き上げ、変換効率12%の新ハイブリッド太陽電池を上市した。2009年には週刊東洋経済が、カネカの薄膜ハイブリッド太陽電池について「発電効率が薄膜系で世界最高水準だ」と書いている。ニッチで首位という原則を、カネカは薄膜という枠の内側に置き直した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2006年2月、カネカは薄膜系太陽電池のトップメーカーとして生産能力をほぼ倍増の55MWへ増強し、変換効率12%の新ハイブリッド太陽電池を上市した",
                      "原文": "○薄膜系太陽電池のトップメーカーとして太陽電池事業の競争力を強化。（2006.2.1）　①生産能力の大幅増強〜ほぼ倍増の５５ＭＷ。更に７０ＭＷへの検討も着手〜　②新ハイブリッド太陽電池を上市〜業界最高レベルの変換効率１２％を達成〜",
                      "source": "カネカ 2006年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "カネカの薄膜ハイブリッド太陽電池は波長の異なる二つのシリコン層を持ち、発電効率が薄膜系で世界最高水準と評された",
                      "原文": "この中で注目はカネカだ。同社の「薄膜ハイブリッド太陽電池」は、電気変換できる光の波長が異なる二つのシリコン層を有するため、発電効率が薄膜系で世界最高水準だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2009年3月21日号「特集 新エネルギーバブル 投資家必読！『会社四季報』注目のグリーン銘柄はこれだ！」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "その薄膜は、主力技術としては残らなかった。カネカは薄膜シリコンタンデムの技術を展開してヘテロ接合技術を開発し、結晶シリコン太陽電池でセル変換効率26.7%、モジュール変換効率24.5%の世界記録に到達している。2026年3月期には、ヘテロ接合型結晶シリコンにペロブスカイトを重ねたタンデム型太陽電池がNEDOのグリーンイノベーション基金事業に採択された。方式は二度替わり、そのたびに前の方式で積んだ技術を持ち越した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "カネカは薄膜シリコンタンデムの技術を展開して開発したヘテロ接合技術で、セル変換効率26.7%・モジュール変換効率24.5%の世界記録を達成した",
                      "原文": "カネカは、薄膜シリコンタンデムの技術を展開して開発したヘテロ接合技術を用いて、結晶シリコン太陽電池の変換効率の世界記録であるセル変換効率26.7%、モジュール変換効率24.5% を「ヘテロ接合バックコンタクト結晶シリコン太陽電池」において達成しています。",
                      "source": "カネカ 統合報告書（カネカレポート2020）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ヘテロ接合型結晶シリコンにペロブスカイトを重ねたタンデム型太陽電池がNEDOグリーンイノベーション基金事業に採択された",
                      "原文": "タンデム型ペロブスカイト太陽電池がNEDOグリーンイノベーション基金事業に採択",
                      "source": "カネカ 2026年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "建材と部材へ寄せた売り方",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "売る形も変わった。カネカは2019年12月、大成建設と組んで、建物の外壁や窓と一体化させた太陽電池モジュールで発電する外装システム「T-Green Multi Solar」を開発した。その一部の技術は、高効率結晶系シースルー太陽電池として国立競技場の屋根のひさし部に採用された。屋根に載せる発電設備ではなく、壁と窓そのものを発電させる方向へ寄せている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "カネカは大成建設と壁面設置太陽光発電システムを共同開発し、2019年12月に外装システム「T-Green Multi Solar」を開発、一部技術は国立競技場の屋根のひさし部に採用された",
                      "原文": "カネカは、大成建設株式会社と壁面設置太陽光発電システムの共同開発に取り組み、2019年12月に建物の外壁や窓と一体化させた太陽電池モジュールで発電する外装システム「T-Green® Multi Solar」を開発しました。／一部の技術は、高効率結晶系シースルー太陽電池として国立競技場の屋根のひさし部に採用されました。",
                      "source": "カネカ 統合報告書（カネカレポート2020）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "車と住宅にも入った。2023年3月には、ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車の「新型プリウスPHEV」のルーフガラス部分に採用され、販売が始まった。同じ時期、東京都をはじめ新築住宅への設置義務化の動きが広がった。製品の並びも、瓦一体型のVISOLA、公共産業用のGRANSOLAというように、屋根材と建材の側から名づけられている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2023年3月、ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車「新型プリウスPHEV」のルーフガラス部分に採用され販売が始まり、東京都をはじめ新築住宅へのPV設置義務化の動きが拡大した",
                      "原文": "東京都はじめ新築住宅へのPV設置義務化等の動きが拡大、各自治体からの問い合わせも活発化／車載用PVは、当社ヘテロ接合バックコンタクト型太陽電池がトヨタ自動車株式会社の「新型プリウスPHEV」のルーフガラス部分に採用、３月に販売開始",
                      "source": "カネカ 2023年3月期 決算説明資料",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "太陽電池の製品群は瓦一体型太陽電池VISOLA、公共産業用太陽電池GRANSOLAとして整理されている",
                      "原文": "【瓦一体型太陽電池】VISOLA® など／【公共産業用太陽電池】GRANSOLA",
                      "source": "カネカ 統合報告書（カネカレポート2022）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "順位ではなく、時間で引いた線",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "100億円以上という金額よりも、武田正利社長が同じ取材で並べた二つの数字に、この判断の性格が表れている。500億円前後のニッチで過半を取り、3位なら即撤退する。その基準を語りながら、過半のシェアを見込める根拠のない太陽電池へ100億円超を投じ、三年後の黒字化を掲げた。基準を曲げたのではない。順位で測れない領域には、時間で線を引いた。人員の整理を選ばないと決めた会社に、収益構造を変える道は多くなかった。"
                },
                {
                  "text": "その線引きでも、判断は外れている。三年後の黒字化は届かず、2005年3月期まで赤字幅の縮小が語られ続けた。賭けた薄膜シリコンも主力としては残らず、いまカネカが世界記録を持つのはヘテロ接合結晶シリコンである。それでも事業が続いたのは、装置から自前で作った量産技術が次の方式へ渡り、瓦と壁と車のルーフという建材・部材に売り先を見つけたからである。太陽電池という市場で順位を争う事業にはならず、用途を絞って残る事業になった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2000年1月29日号「［トップの履歴書］武田正利 鐘淵化学工業社長“脱・石化”を託された現場主義者」",
        "週刊東洋経済 2009年3月21日号「特集 新エネルギーバブル 投資家必読！『会社四季報』注目のグリーン銘柄はこれだ！」",
        "カネカ 有価証券報告書【沿革】",
        "カネカ 有価証券報告書（2006年3月期）【関係会社の状況】",
        "カネカ 2004年3月期 決算説明資料",
        "カネカ 2005年3月期 決算説明資料",
        "カネカ 2006年3月期 決算説明資料",
        "カネカ 2007年3月期 決算説明資料",
        "カネカ 2023年3月期 決算説明資料",
        "カネカ 2026年3月期 決算説明資料",
        "カネカ 統合報告書（カネカレポート2020）",
        "カネカ 統合報告書（カネカレポート2022）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-30"
    }
  ]
}
