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      "title": "三菱化成生命科学研究所の設立と、ライフサイエンス分野への再参入",
      "subtitle": "石油化学の拡大が続くさなかに、営利を目的としない基礎研究所をなぜ抱えたか",
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      "issue": "基礎研究への資源配分と多角化の方向",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1971年6月、三菱化成工業が三菱化成発足20周年の記念事業として三菱化成生命科学研究所（東京都町田市）を設立し、ライフサイエンス分野に本格的に取り組み始めた経営判断。資本金2億5,000万円の別会社とし、初代所長に東京大学を退官した生化学者の江上不二夫氏を迎えた。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "石油化学の量的拡大は1970年前後に伸びが鈍り、1971年5月には産業構造審議会が知識集約型の産業構造への移行を提言していた。三菱化成工業は戦前から医薬を手掛けながら、石油化学へ資源を集中するため1957年に撤退しており、医薬分野へもう一度入る意向を残していた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "研究所は三菱化成工業とは別会社として発足し、第一期工事に40数億円を投じた。江上不二夫所長は目的を人類の福祉に寄与することと定め、全く営利目的でないと謳っている。重点は微生物・脳神経・発生生物学の3分野で、医薬品開発の部隊ではなく基礎研究の場に置かれた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "論文数は1972年の22件から1983年に191件へ増え、好熱細菌の研究は制限酵素の商品化に結びついた。一方、医薬事業の再開後初の自社開発品となる抗喘息薬の発売は1984年で、設立から13年を要した。費用対効果をめぐっては「研究者の楽園」という評価もついて回った。"
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            "note": "コークス・肥料・石油化学を柱とする総合化学会社。水島の石油化学が拡大する一方、1957年に撤退した医薬分野への再参入を検討していた"
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        "summary": "石油化学の量的拡大が鈍り知識集約型への転換が求められるなかで、一度撤退した医薬・生命科学へ戻る足場として、営利から切り離した基礎研究所を別会社で持つ判断"
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          "title": "ライフサイエンス構想を立ち上げるプロジェクトを企画室に設置"
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          "title": "産業構造審議会が知識集約型の産業構造への移行を提言"
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          "title": "横浜市鴨志田に総合研究所を設置し、各所に分散していた研究機関を統合"
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          "title": "販売先の確保をねらい、東京田辺製薬の第三者割当増資を引き受けて業務提携"
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          "title": "機能製品の売上構成比を1990年までに35%（うちバイオ10%）へ高める方針を公表"
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        "source": "三菱化成工業 会社年鑑1976年版（単体業績・上下期合算）",
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                  "text": "1960年代の石油化学は、エチレンプラントの大型化競争として拡大した。通商産業省はエチレンプラントの最小規模を年産10万トンと定め、1967年には30万トンへ引き上げている。ところが1970年を境に国内需要の伸びは鈍り、1971年には汎用プラスチックが不況に入って、塩化ビニール樹脂が不況カルテルの結成を公正取引委員会に申請した。同じ1971年5月、産業構造審議会は重化学工業優先から知識集約型の産業構造へ移るべきだと提言している。",
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                    {
                      "fact": "1970年を転機に石油化学の国内需要は鈍化し、1971年には汎用プラスチックが不況に入った。1971年5月、産業構造審議会は知識集約型の産業構造への移行を提言した",
                      "原文": "こうして四十年代前半まで高度成長路線をひた走りしてきたわが国の石油化学工業も、四十五年を転機に大きく変化、国内需要の成長にも鈍化傾向が見えてきた。／四十六年五月、通産省の産業構造審議会は「七〇年代の通商産業政策のあり方」と題する答申をまとめ、これまでの重化学工業優先策から知識集約型の産業構造への移行を提言した。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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                {
                  "text": "提言を受け、石油化学各社はファインケミカル、エンジニアリングプラスチック、情報関連、ライフサイエンスへ向かった。まず目立ったのが医薬品部門への進出で、1971年8月に三井東圧化学が三井製薬工業を設立し、三菱油化も三菱油化薬品を設立している。三菱化成工業の生命科学研究所設立は、この動きの先頭に数えられた。ただし三菱化成工業にとって、それは白紙からの参入ではなかった。",
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                      "fact": "1971年6月の三菱化成生命科学研究所設立は、化学各社がライフサイエンスへ広く取り組み始めた動きの先頭に置かれ、同時期に三井東圧化学が三井製薬工業を、三菱油化が三菱油化薬品を設立した",
                      "原文": "まず目立ったのが医薬品部門への進出で、三井東圧化学は四十六年八月、三井製薬工業を設立して三井グループによる製薬事業の布石を打ち、続いて三菱油化は三菱油化薬品を設立。／ライフサイエンスの分野でも広範囲な取り組みがあり、四十六年六月三菱化成が三菱化成生命科学研究所を設立して総合的な研究を開始したのをはじめ、人工腎臓に旭化成工業、住友化学工業、クラレなどが進出した。",
                      "source": "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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                {
                  "text": "三菱化成は戦前から医薬を手掛け、戦後はペニシリンやサルファ剤を発売した。武田薬品工業との合弁で、のちの吉富製薬の前身にあたる会社も作っている。ところが主力の抗生物質は競争の激化で採算が急速に落ちた。折しも勃興期にあった石油化学へ経営資源を集中するため、同社は医薬から戦略的に撤退する。1957年のペニシリン撤退が、その区切りであった。",
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                      "fact": "三菱化成は戦前から医薬を手掛けペニシリンやサルファ剤を発売、武田薬品と合弁で吉富製薬の前身を作ったが、抗生物質の採算低下を受け石油化学に資源を集中すべく医薬から戦略的に撤退した",
                      "原文": "三菱化学の前身である三菱化成は戦前から医薬を手掛け、戦後はペニシリンやサルファ剤を発売。武田薬品と合弁で現在の吉富製薬の前身を作るなど、医薬業界で存在感はあった。が、主力の抗生物質が競争激化で採算急低下。折しも勃興期にあった石油化学に経営資源を集中すべく、医薬から“戦略的撤退”した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月27日号「三菱化学を呑んだ生命科学（ライフサイエンス）の怒濤」",
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                {
                  "text": "撤退したあとも、医薬品分野へもう一度入りたいという意向は社内に残った。1960年代後半には環境問題と資源問題が注目され始め、化学会社として従来の製品だけでは足りないという認識も強まっていた。そこへ、米国に駐在していた社員が、米国ではライフサイエンスの研究が猛烈な勢いで進んでおり日本でも研究すべきではないか、という意見を篠島秀雄社長に伝える。1968年、ライフサイエンス構想を立ち上げるプロジェクトが企画室に置かれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1957年のペニシリン撤退以来、三菱化成は医薬品分野への再参入を望んでいた。米国駐在社員の報告を受け、1968年にライフサイエンス構想のプロジェクトが企画室に設けられた",
                      "原文": "特に三菱化成は32年にペニシリンから撤退して以来、医薬品分野にもう一度参入したいと考えていた。／そんな時、米国に駐在していた社員が「米国では、今ライフサイエンスの研究が猛烈な勢いで進められている。将来のためには日本でも研究すべきではないか」という意見を故・篠島秀雄社長（当時）に伝えた。43年にそのライフサイエンス構想設立のためのプロジェクトが企画室に設けられた。",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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                {
                  "text": "1971年6月、三菱化成生命科学研究所が発足した。三菱化成発足20周年の記念事業として行われたもので、篠島秀雄社長がかねてから化学の向かうべき新しい分野として練っていた構想の一つだった。初代所長には、同年に東京大学理学部教授を退官した生化学者の江上不二夫氏が就いた。顧問には心理学者の宮城音弥氏、物理学者の朝永振一郎氏らが名を連ねている。",
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                      "原文": "昭和46年6月に三菱化成生命科学研究所が設立された。これは三菱化成発足20周年記念事業として行なわれたもので、故篠島前社長がかねてから今後化学の指向すべき新しい分野として練られていた構想の一つとして、ライフ・サイエンス開発の中核をなす研究所であり、これによって、当社ライフ・インダストリー事業の基礎固めが実現した。現在、江上不二夫所長初め、宮城音弥さん、朝永振一郎さんなど、そうそうたる学者を顧問に迎え、ライフ・インダストリーを目指す私どもに、知恵を授けていただく頭脳集団となっている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業　ライフ・インダストリーのさきがけとして」（藤井芳郎 常務取締役・講演要旨）",
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                {
                  "text": "江上不二夫所長には、日本にライフサイエンスの総合的な基礎研究所を作りたいという願いがあり、それが三菱化成工業側の構想と結びついた。研究所は資本金2億5,000万円の別会社として発足し、第一期工事に40数億円を要している。江上所長は研究所の目的を、生命科学の発展に寄与し、それを医学医療・環境保全・産業技術へ正しく導いて人類の福祉に寄与することと定め、全く営利目的でないと謳った。",
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                      "原文": "この江上博士のビジョンと三菱化成の構想がドッキングし、三菱化成20周年記念事業の一環として、三菱化成生命科学研究所（生命研、資本金2億5000万円）は46年に発足した。基礎研究所としての独自性を保つために、三菱化成とは別会社でスタート。第一期工事には40数億円の費用を要した。／初代所長江上博士は生命研の目的を「生命科学の現在および将来における社会的使命と責任を認識し、物理科学を基礎としての生命科学の発展に寄与し、さらにそれらを正しく医学医療・環境保全・産業技術などへ導くことにより人類の福祉に寄与すること」とし、全く営利目的でないと謳っている。",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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              "sub_title": "営利から距離を置くという設計",
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                {
                  "text": "江上不二夫所長が招きに応じた条件は、研究の自由と発表の自由、そして優秀な研究者を集めるだけの待遇と設備であった。本人が後に語ったところでは、その要求はすべて受け入れられている。研究所の年間経費は10数億円で、江上所長はこれを、どんな不況がきても三菱化成が維持できる規模だと説明した。研究員は補助員を含めて120人前後にとどめ、専門の違う者が互いに顔見知りでいられる大きさを保っている。",
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                      "fact": "江上不二夫所長は研究の自由・発表の自由・相応の待遇と設備という要求がすべて受け入れられたとし、年間経費10数億円はどんな不況がきても三菱化成が維持できる規模だと述べた。研究員は補助員を含め120人前後",
                      "原文": "まず、第一にライフサイエンスの研究所を作ってみたいと考えていたことです。第二に研究の自由や発表の自由、さらに、優秀な研究者を集めるのだから相応の待遇や設備を作って欲しいという私の欲求がすべて受け入れられたことです。ただ、決してぜいたくは言いません。いまのここの年間経費は10数億円だから、どんな不況がきても三菱化成が維持できる規模なんです。／研究員は補助員も合わせて120人前後です。この人数は三菱化成からみて適正な規模であると同時に、学問的にみても適当な数なんですよ。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月4日号「技術対談　脳機能を情報処理などへ　生物現象の応用法探る」（江上不二夫 三菱化成生命科学研究所所長）",
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                {
                  "text": "重点は微生物、脳神経、発生生物学の3分野に置かれ、医薬分野に重きを置きたい三菱化成工業の意向とは、いくらかずれた構成になった。篠島秀雄社長にも江上不二夫所長にも、ノーベル賞が出るようなアカデミックな研究所であってほしいという考えがあったためである。江上所長自身は、ここでの研究がすぐ金になるのではなく、生命科学の基礎を研究する研究所を持っていること自体が世界的な信用につながると述べ、企業化できそうな種があれば化成の中央研究所へ持ち込める態勢も敷かれていると説明した。",
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                      "原文": "篠島元社長や江上博士にはあくまでも、「生命研はノーベル賞が出るようなアカデミックな研究所であってほしい」という考えがあった。それ故、「医薬分野に重きを置きたいという三菱化成の意向とは若干ズレた研究部門を持つ研究所」（三菱化成幹部）になり、生命研は微生物、脳神経、発生生物学という3分野に重点を置くことになる。",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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                    {
                      "fact": "江上不二夫所長は、研究がすぐ金になるのではなく生命科学の基礎研究所を持つこと自体が世界的な信用につながるとし、企業化できそうな種は化成の中央研究所へ持ち込める態勢があると述べた",
                      "原文": "ここでの研究がすぐお金になるということでなくて、こういう生命科学の基礎を研究する研究所を持っているということがプラスなんです。世界的な信用につながっています。われわれの研究は自由ですけど、三菱化成の人はわれわれの研究内容をフォローしていて、企業化できそうなタネがあれば、それを化成の中央研究所に持ち込めるような態勢になっています。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月4日号「技術対談　脳機能を情報処理などへ　生物現象の応用法探る」（江上不二夫 三菱化成生命科学研究所所長）",
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              "sub_title": "研究の蓄積と、13年後の医薬品",
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                {
                  "text": "研究の量は増えた。生命研の研究員が出した論文は1972年の22件から1983年には191件になり、研究員と特別研究員の合計も41人から94人へ増えている。設立以来の特許出願は130件余りにのぼった。高温でも生育する好熱細菌の研究は、遺伝子地図の作製や遺伝子組み換えに要る制限酵素の商品化に結びつき、三菱化成工業が生産し宝酒造が販売する事業になっている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "生命研の論文は1972年22件から1983年191件へ、研究員と特別研究員は41人から94人へ増え、設立以来130件余りの特許を申請。好熱細菌の研究は制限酵素の商品化に結びつき三菱化成の生産・宝酒造の販売で事業化された",
                      "原文": "1972年＝100／1972年＝22件、83年＝191件／1972年＝41人、83年＝94人。／好熱細菌（高温でも生育可能な細菌）に関する生命研の研究が、遺伝子地図の作製や遺伝子組み換えには必要な制限酵素の商品化に結びついた。現在、2種類の制限酵素が三菱化成の生産、宝酒造の販売という形で事業化されており、近い内にもう1種類の制限酵素が発売されるという。また、特許は三菱化成に属することになっているが、設立以来130件余りの特許が申請されている。",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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                {
                  "text": "事業になるまでの距離は、しかし遠かった。1980年の時点で、副社長の丹羽丹氏は遺伝子組み換えの基礎技術がほぼ完成したとみながら、工業になるには米国でもあと5年はかかると述べている。医薬事業の再開後初の自社開発品となる抗喘息薬チオドールの発売は1984年で、研究所の設立から13年が経っていた。血栓溶解剤や人血清アルブミン、モノクローナル抗体といったバイオ由来の医薬は、まだ開発中だった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1980年、丹羽丹副社長は遺伝子組み換えの基礎技術はほぼ完成したとしつつ、工業化には米国でもあと5年かかるとみていた",
                      "原文": "このへんの基礎的な技術はほぼ完成したと言ってよいと思います。／ですから、本当の工業になるには5年ほどかかりそうですね。",
                      "source": "日経ビジネス 1980年8月11日号「技術対談　基礎ほぼ完成，物質特許が成長に拍車」（丹羽丹 三菱化成工業副社長）",
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                      "原文": "その後、総合化学企業として成長した三菱化成は、７１年に医薬品事業再開を狙い生命科学研究所を設立。８４年には再開後初の医薬品である抗喘息薬を発売した。",
                      "source": "週刊東洋経済 1999年2月27日号「三菱化学を呑んだ生命科学（ライフサイエンス）の怒濤」",
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                    {
                      "fact": "1985年時点で抗喘息薬チオドールは好調で、血栓溶解剤（TPA）・人血清アルブミン（HSA）・モノクローナル抗体はバイオ由来の医薬として開発途上にあった",
                      "原文": "医薬品では、まず喘息薬チオドールが好調だ。肝機能改善剤は今年中に申請し、昭和62年から発売の予定である。血栓溶解剤（TPA）、人血清アルブミン（HSA）はいわゆるバイオの医薬である。モノクローナル抗体はガン診断の試薬だが、将来はガンの薬になる可能性も非常に大きく、注目されている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業　先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長・講演要旨）",
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              "sub_title": "「研究者の楽園」と営利のジレンマ",
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                {
                  "text": "1985年、三菱化成工業は機能製品の売上構成比を1990年までに35%へ高める方針を掲げ、その内訳にバイオインダストリー10%を置いた。三菱商事との折半出資による植物工学研究所も動いていた。同じ時期、年間の試験研究費は約270億円に達し、経常利益の約300億円と並ぶ規模になっている。生命研はそのうち20億円余り、三菱化成工業の全研究開発費の1割を使っていた。",
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                    {
                      "fact": "1985年、三菱化成工業は機能製品構成比を1990年までに35%（うちバイオ・インダストリー10%）へ高める方針を示し、試験研究費約270億円は経常利益約300億円と並ぶ規模になっていた",
                      "原文": "当社はこの機能製品の構成比を昭和65年までに35%（内訳は、高機能材料および加工分野17%、バイオ・インダストリー10%、情報電子8%）まで高める方針だ。／現在は、年間の試験研究費が約270億円、設備投資が約300億円、経常利益が約300億円と、試験研究費が経常利益と並ぶほどの額になっており、先行き経常利益より大きくなりそうな傾向を示している。／このほか、三菱商事と折半出資で植物工学研究所をやっており、油菜科（大根、白菜、キャベツなど）のほうでは相当の成果がでている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業　先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長・講演要旨）",
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                      "fact": "1984年時点で生命研は総勢170名を擁し、三菱化成の全研究開発費の1割にあたる年間20億円余りを使っていた",
                      "原文": "現在，研究員約70名，特別研究員（1年契約で通常は2年間研究する博士号取得者）約20名，研究補助員約45名，その他事務所員を含め総勢170名を擁し，年間，三菱化成の全研究開発費の1割，20億円余りを使う（委託研究費）",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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                },
                {
                  "text": "金額に見合う成果が出ているかについては、評価が割れた。ライフサイエンス室長を兼ねる山谷渉常務取締役は、まだまだ生命研の成果には満足できない、楽園だと甘えてもらっては困る、と手厳しく、大学関係者からも、あれだけの設備で10年以上研究したにしては今一つ、という見方が出ていた。研究員の平均年齢は設立当初の30数歳から40歳を超え、150人規模にとどめる設計が、そのまま新陳代謝の乏しさになっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "山谷渉常務は生命研の成果に満足できないとし「楽園」だと甘えられては困ると述べ、大学関係者からも設備に見合わないとの見方が出ていた。研究員の平均年齢は設立当初の30数歳から40歳超になった",
                      "原文": "室長でもある山谷渉常務取締役でさえ，「まだまだ生命研の成果には満足できません。“楽園”だと甘えてもらっては困ります。かなり苦しい時に三菱化成がお金を出しつづけてきたことに感謝してほしいのです」と手厳しい。／「あれだけの設備で10年以上研究したにしては，今一つ」（大学関係者）という見方があるのも事実だ。／生命研設立当初，研究員の平均年齢が30数歳であったのが，現在は40歳を超えている。",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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                  "text": "研究所の側にも言い分はあった。生物地球化学研究室長の和田英太郎氏は、自分の研究は9割方は三菱化成の役に立っていないと平然と語りつつ、環境問題に直結する研究であり長期的には利点があるはずだと強調している。基礎研究を経営がどう評価するかという問題は、設立から13年を経ても片づいていない。生命研が果てしない先行投資に終わるのか、新時代への底力にまで育つのか、当時は結論を出しにくいとみられていた。",
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                    {
                      "fact": "和田英太郎室長は自分の研究は9割方三菱化成の役に立っていないとしつつ長期的な利点を強調した。1984年時点で生命研が先行投資に終わるのか底力に育つのかは結論が出しにくいとされた",
                      "原文": "ペンギンなどの動物中の食物連鎖の研究などをしている生物地球化学研究室長，和田英太郎博士は「私の研究は9割方，三菱化成の役にはたっていませんね」と経営陣が聞くと頭を抱えこむようなことを平然と語る。だが，和田博士は「私達の研究は環境問題に直結しており，もしも三菱化成が環境問題を引き起こすような危険性を発見した時には，力の限り警鐘を鳴らします」と現在は役に立たずとも，長期的に見れば三菱化成にとっては利点はあるにちがいないと強調する。／三菱化成にとって，生命研は果てしない先行投資になるのか，新時代への底力にまで育つのか，結論はなかなか出しにくいようである。",
                      "source": "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
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                  "text": "売上高2,000億円台の会社が、営利を目的としないと明記した研究所を20周年の記念事業として別会社で抱えた。医薬から一度撤退した会社が戻る道に選んだのは、製品開発の部隊ではなく基礎研究の場である。研究の自由も発表の自由も所長の求めるまま認め、年間経費は10数億円に据えた。すぐ金にはならないと所長自身が言う組織へ、その額を10年以上出し続ける決定だった。"
                },
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                  "text": "営利から切り離した設計は、成果を測る基準も社内から取り上げた。抗喘息薬が出るまでに13年、生命研は全研究開発費の1割を使い続け、山谷渉常務が楽園だと甘えてもらっては困ると釘を刺す関係になった。研究員の平均年齢は10年で10歳上がり、増員しない設計が新陳代謝を止めている。それでも、制限酵素の事業化も、1990年までにバイオで10%という1985年の目標も、13年分の蓄積がなければ書けない数字であった。この多角化で三菱化成工業が実際に払ったのは、すぐには測れないものへ13年間金を出し続けるという負担だった。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1976年12月号「三菱化成工業　ライフ・インダストリーのさきがけとして」（藤井芳郎 常務取締役・講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業　先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長・講演要旨）",
        "日経ビジネス 1978年12月4日号「技術対談　脳機能を情報処理などへ　生物現象の応用法探る」（江上不二夫 三菱化成生命科学研究所所長）",
        "日経ビジネス 1980年8月11日号「技術対談　基礎ほぼ完成，物質特許が成長に拍車」（丹羽丹 三菱化成工業副社長）",
        "日経ビジネス 1984年11月26日号「三菱化成の生命科学研究所　“研究者の楽園”も営利と理想のジレンマに悩む」",
        "週刊東洋経済 1999年2月27日号「三菱化学を呑んだ生命科学（ライフサイエンス）の怒濤」",
        "日本産業史 第3巻（日本経済新聞社、1994年）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
        "三菱化成工業 会社年鑑1976年版（単体業績・上下期合算）"
      ],
      "authored": "2026-07",
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    {
      "slug": "optical-media-1991",
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      "year": 1991,
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      "title": "光磁気ディスク量産設備の新設と米バーベイタムの買収",
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          "text": "三菱化成が1990年5月に米フロッピーディスク大手バーベイタムを約400億円（推定）で買収し、翌6月には水島工場に60億円を投じた年産120万枚の光磁気ディスク量産設備を完成させた投資判断。記録メディアを情報電子事業の柱に育てる計画のもとで、製造設備と販売網を一体で押さえにいった。"
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          "title": "バーベイタム株を保有する米子会社の株式評価損350億円を計上、単独最終損益が赤字へ"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1990年3月期",
        "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号（連結売上高・世界順位）",
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              "sub_title": "機能製品へ ── 素材メーカーの転換方針",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1985年5月、三菱化成工業の常務取締役財務部長であった宮部義一氏は、日本証券アナリスト協会の企業分析部会で自社の転換方針を語った。年商約8,000億円の8割を石油化学・コークス・肥料が占める構成を改め、機能製品の比率を1990年までに35%へ引き上げる。内訳は高機能材料および加工分野が17%、バイオ・インダストリーが10%、情報電子が8%という配分だった。研究開発の負担はすでに重く、年間の試験研究費約270億円は経常利益約300億円と並ぶ水準に達していた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三菱化成工業は機能製品の構成比を1990年（昭和65年）までに35%へ高める方針を掲げ、うち情報電子に8%を割り当てていた",
                      "原文": "当社はこの機能製品の構成比を昭和65年までに35%(内訳は、高機能材料および加工分野17%、バイオ・インダストリー10%、情報電子8%)まで高める方針だ。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業 先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1985年5月10日 講演要旨）",
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                    {
                      "fact": "1985年当時の試験研究費は年間約270億円で、経常利益約300億円と並ぶ水準にあった",
                      "原文": "現在は、年間の試験研究費が約270億円、設備投資が約300億円、経常利益が約300億円と、試験研究費が経常利益と並ぶほどの額になっており、先行き経常利益より大きくなりそうな傾向を示している。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業 先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1985年5月10日 講演要旨）",
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                },
                {
                  "text": "情報電子と呼ばれた事業群は、素材の延長線上にあった。電子複写機の心臓部に使う有機光半導体（OPC）で三菱化成工業は国内首位のシェアを占め、印刷用の版材では感光液を塗ったアルミ板を朝日新聞へ納めていた。磁気メディアではフロッピーディスクを手がけ、リジッドディスクの生産も直江津工場で始めている。宮部氏は自社の強みを、基礎技術の厚さに加えて「情報電子材料関係で塗る技術、膜を作る技術も身につけ」た点に求めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "三菱化成工業はフロッピーディスクを手がけ、リジッドディスクの生産も直江津工場で開始していた",
                      "原文": "磁気メディアの関係では、当社はフロッピー・ディスクをやっているし、リジッド・ディスクも最近、直江津工場で生産を始めた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業 先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1985年5月10日 講演要旨）",
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                    {
                      "fact": "有機光半導体（OPC）で国内トップシェアを占め、情報電子材料で塗る技術・膜を作る技術を蓄えていた",
                      "原文": "OPC(有機光半導体)は、電子複写機の心臓部に使うもので、当社が現在、国内でトップのシェアを占めている。／最近は情報電子材料関係で塗る技術、膜を作る技術も身につけ、そういうものを多角的に組み合わせていくという強味も出てきている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業 先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1985年5月10日 講演要旨）",
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            {
              "sub_title": "化学各社が殺到した光磁気ディスク",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "光磁気ディスクは1988年に製品化されたばかりの記録メディアで、フロッピーディスク数百枚分の容量を持ち、一度書き込んだ情報を消して何度でも書き換えられた。主材料はポリカーボネートなどの高機能樹脂、磁性層を形成する金属薄膜、ミクロン単位の微細加工に要るレジストであり、化学会社の先端材料と加工技術がそのまま製品になる。参入を表明した企業は電機・化学を中心に国内だけで40社近くに上り、化学業界は大手の大半が何らかの形で名乗りを上げた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "光磁気ディスクは1988年に製品化されたばかりで、主材料は高機能樹脂・金属薄膜・レジストなど化学各社の先端材料であり、国内だけで40社近くが参入を表明していた",
                      "原文": "名乗りを上げている企業は電機業界、化学業界を中心に国内だけでも40社近い。中でも化学業界は研究開発レベルを含めると大半が、なんらかの形で参入を表明している。／光磁気ディスクともなると主材料であるポリカーボネートなどの高機能樹脂、磁性層を形成する金属薄膜、あるいはミクロン（1000分の1ミリ）単位の超微細加工に必要なレジスト（感光）剤など、各社自慢の先端材料・技術がフルに生かせる。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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                {
                  "text": "ところが需要は追いついていなかった。1990年の光磁気ディスクの市場規模は業界推定で30万〜40万枚にとどまる一方、量産開始を宣言する会社が相次ぎ、見かけ上の生産能力は実需の10倍以上に膨らんでいた。米デュポンはフィリップスとの合弁から撤退し、ダイセル化学工業と住友化学工業は単独での事業化を見直して住友金属鉱山との3社出資でオプティカル・ストレージを設けている。同社の島津彰社長は「数十社が参入といっても実際に商業生産にこぎ着けるのはせいぜい両手。利益を出せるところは片手に収まる」と予測した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年の光磁気ディスク市場は業界推定30万〜40万枚にとどまる一方、生産能力は実需の10倍以上に膨らみ、商業生産にこぎ着ける企業は限られるとみられていた",
                      "原文": "90年の光磁気ディスクの市場規模は業界推定で30万〜40万枚とまだ微々たるもの。／量産開始を宣言する会社が相次ぎ、見かけ上の生産能力は実需の10倍以上に膨らんでいる。／島津彰・OSC社長は、「数十社が参入といっても実際に商業生産にこぎ着けるのはせいぜい両手。利益を出せるところは片手に収まる」と予測する。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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        {
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          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "水島の量産設備と、バーベイタムの買収",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1990年6月、三菱化成は岡山県の水島工場に60億円を投じ、年産能力120万枚という世界最大規模の光磁気ディスク製造設備を完成させ、本格的な商業生産に入った。その直前の5月には、米イーストマン・コダックが全額出資していたフロッピーディスクメーカー、バーベイタムを約400億円（推定）で買収している。世界中に広がる同社の製造拠点と販売網、そして「データライフ」のブランドが、設備の稼働と同じ時期に手元へ入った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年6月に水島工場へ60億円を投じ年産120万枚の光磁気ディスク製造設備を完成、直前の5月に米バーベイタムを約400億円（推定）で買収した",
                      "原文": "昨年6月、同社は60億円を投じて水島工場（岡山県）内に年能力120万枚の世界最大規模の光磁気ディスク製造設備を完成。本格的な商業生産に乗り出した。その直前の5月には米イーストマン・コダックが全額出資する米国のフロッピー・ディスク・メーカー、バーベイタム社を約400億円（推定）で買収。世界中に広がるバ社の製造拠点と、販売網および「データライフ」ブランドを手に入れた。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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                },
                {
                  "text": "買収によって三菱化成はフロッピーディスクの世界シェア約15%を押さえ、米3Mと首位を争う位置に立った。1985年に参入したコンピューター用ハードディスクでも年産800万枚の体制を敷き、世界シェア約16%で米コマッグに次ぐ2番手につけている。情報電子事業本部長の福谷秀夫常務は「うちの技術力とバーベイタム社の販売力とを合わせた相乗効果で、光磁気ディスクでも一気にトップグループ入りを狙う」と述べ、これを基本戦略に据えた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "買収でフロッピーディスクの世界シェア約15%を押さえて米3Mと1、2位を争い、ハードディスクは年産800万枚・世界シェア約16%で2番手だった",
                      "原文": "この買収で三菱化成は、後発だったフロッピーディスク事業で世界シェア約15%を押さえ、米3M社と1、2位を争う最大手に躍り出た。一方、1985年に参入したコンピューター用ハードディスク事業では年産800万枚体制を敷き世界シェアの約16%を確保、米コマッグ社に次いで2番手につける。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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                    {
                      "fact": "福谷秀夫常務は、自社の技術力とバーベイタムの販売力を合わせて光磁気ディスクでトップグループ入りを狙うと語った",
                      "原文": "「うちの技術力とバーベイタム社の販売力とを合わせた相乗効果で、光磁気ディスクでも一気にトップグループ入りを狙う」（福谷常務）というのが基本戦略だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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            },
            {
              "sub_title": "グローバル・テン計画のなかの記憶メディア",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "水島の設備投資とバーベイタムの買収は、全社の長期計画に組み込まれていた。1990年暮れの長期経営計画発表の席上、古川昌彦社長は「2000年には連結売上高150億ドル（約2兆円）。世界の化学会社の中で上位10位以内に入ることを目指す」とグローバル・テン計画を掲げた。1990年3月期の連結売上高は1兆1544億円で、世界の化学会社では14位である。これを10年で2倍にする原動力に、情報・電子材料、ライフサイエンス・医薬品、新素材からなる機能商品が置かれ、売上高に占める比率3割を2000年に50%へ引き上げる目標が示された。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1990年暮れの長期経営計画で古川昌彦社長は2000年に連結売上高150億ドル・世界上位10位入りを掲げ、機能商品比率を3割から50%へ引き上げる目標を示した",
                      "原文": "昨年暮れの長期経営計画発表の席上、三菱化成は「2000年には連結売上高150億ドル（約2兆円）。世界の化学会社の中で上位10位以内に入ることを目指す」（古川昌彦社長）グローバル・テン計画をぶち上げた。90年3月期の同社の売上高は連結ベースで1兆1544億円。世界の化学会社中14位につけている。／これら機能商品が売上高に占める比率は約3割。これを「2000年に50%にまで持っていく」（古川社長）。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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                {
                  "text": "記憶メディアに課された数字は具体的だった。情報電子事業本部の売上高は1991年3月期で約1000億円の見込みであり、これを5年後の1996年3月期に2000億円へ伸ばし、「その半分を光磁気ディスクなどの記憶メディア部門で稼ぐ」（福谷常務）計画である。同じ時期にIBMが3.5インチの光磁気ディスク装置を出荷し、三菱化成はソニーと並んでOEM供給するとみられていた。福谷常務がライバルに挙げたのも同業の化学会社ではなく、ソニー、日立マクセル、3Mであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "情報電子事業本部の売上高を1996年3月期に2000億円へ伸ばし、その半分を記憶メディアで稼ぐ計画で、1991年3月期はフロッピー約500億円・ハードディスク100億円だった",
                      "原文": "情報電子事業本部の売り上げは91年3月期で約1000億円（連結ベース）の見込み。これを5年後の96年3月期には2000億円に伸ばし、「その半分を光磁気ディスクなどの記憶メディア部門で稼ぐ」（福谷常務）。91年3月期時点でバーベイタム社を合わせたフロッピーディスク事業の売り上げが約500億円、ハードディスクが100億円である。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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                    {
                      "fact": "三菱化成はソニーと並んでIBM向けに3.5インチ光磁気ディスクをOEM供給するとみられ、福谷常務はソニー・日立マクセル・3Mをライバルに挙げた",
                      "原文": "同社はソニーと並んでIBM向けにディスクをOEM供給するとみられるためだ。／福谷常務がライバルとして名を挙げるのも、同業ではなく「ソニー、日立マクセル、3M」など、ディスクビジネスを知り尽くした猛者たちだ。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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                },
                {
                  "text": "迎え撃つ側の見方は冷ややかだった。ソニーで記録メディア事業を担当する金田嘉行常務は、光磁気ディスクを「レインボービジネス。遠目には美しいが、近寄って手中にするのは難しい」と評し、化学会社の過熱ぶりを牽制している。ビデオテープやフロッピーディスクが示すように、磁気メディアの競争は激しく、規模を確保できなければ研究開発投資を回収できない。三菱化成は、素材の技術だけでは勝敗が決まらない市場へ踏み込んだ。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ソニーの金田嘉行常務は光磁気ディスクを「レインボービジネス」と評し、磁気メディア事業の競争の厳しさを指摘した",
                      "原文": "「光磁気ディスクはレインボービジネス。遠目には美しいが、近寄って手中にするのは難しい」（記録メディア事業担当の金田嘉行常務）と、化学会社の過熱ぶりをさりげなく牽制する。／ビデオテープやフロッピーディスクが証明するように、磁気メディア事業は競争がし烈な世界。",
                      "source": "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
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        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
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              "sub_title": "売上規模には届き、利益には届かず",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1994年10月に三菱油化と合併して三菱化学となった同社は、1998年、日本企業としては異例の部門別収益をアナリスト向けに公表した。連結売上高1兆7334億円・営業利益403億円のうち、情報電子部門は売上高2060億円・営業利益44億円である。1991年に描いた「1996年3月期に2000億円」という売上規模には到達した一方、営業利益率は2%にとどまり、機能商品の稼ぎ手としては薄かった。公表の狙いは、石油化学中心の収益構造からの転換を市場に評価してもらう点に置かれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1998年に公表した部門別収益で、情報電子部門は売上高2060億円・営業利益44億円（全社は売上高1兆7334億円・営業利益403億円）であった",
                      "原文": "三菱化学が発表した各部門の売上高と営業利益（連結ベース）／全社 17334（売上高・億円） 403（営業利益・億円）／情報電子 2060 44",
                      "source": "日経ビジネス 1998年7月6日号「株価回復へ情報開示に賭ける三菱化学 異例の事業ごとの収益公表、リストラの成果アピール」",
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                      "fact": "部門別開示の狙いは、石油化学中心の事業構造からの転換が進んだことを市場に評価してもらう点にあった",
                      "原文": "「『三菱化学の収益構造は変わりつつある』と言うだけではアナリストに理解してもらえない。部門別の数字を公表し、石油化学中心の事業構造の転換が進んできたことを評価してもらえるようにした」と財務担当の水上桂助常務は情報開示の狙いを話す。",
                      "source": "日経ビジネス 1998年7月6日号「株価回復へ情報開示に賭ける三菱化学 異例の事業ごとの収益公表、リストラの成果アピール」",
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                {
                  "text": "買収した会社の側は、より厳しい結果になった。1995年以降、記録メディアの需要はフロッピーディスクからCD-ROMへ移り、バーベイタムの業績は悪化して多額の赤字を計上する。三菱化学は2002年3月期に、同社株を全株保有する米子会社の株式評価損350億円を計上し、単独の最終損益が赤字へ転じた。週刊東洋経済の企業レポートは、情報電子事業の不振の「病根」を1990年の買収そのものに遡らせている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1995年以降のフロッピーからCD-ROMへの需要転換でバーベイタムの業績が悪化し、2002年3月期に米子会社の株式評価損350億円を計上した",
                      "原文": "病根は９０年に買収した、当時世界最大のフロッピーディスクメーカー、米バーベイタムの事業失敗にまでさかのぼれる。９５年以降、フロッピーからＣＤ‐ＲＯＭへの需要転換の影響を受け同社の業績は悪化、多額の赤字を計上することになった。今期単独純利益の赤字転落の一因はバーベイタムの株式を全株保有する米子会社の株式評価損を三五〇億円計上するため。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「［企業レポート］経営分析 三菱化学 脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
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              "sub_title": "撤退を検討する事業へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "赤字の源は記録メディアに集まった。CD-RやCD-RWといった光ディスク、そしてハードディスクは、アジア勢との価格競争にさらされたうえ、メディアの変化サイクルが短くなり、研究開発と設備投資を回収できるだけの利益を上げられなくなっていた。三菱化学がハードディスクの国内生産をやめてシンガポールへ集約し、光ディスクを三菱化学メディアへ移管して台湾メーカーなどへ生産を委託したのは、2001年に入ってからである。",
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                    {
                      "fact": "記録メディアはアジアメーカーとの価格競争とメディアの変化サイクルの短縮で投資を回収できず、事業再編への本格着手は2001年からであった",
                      "原文": "元凶は赤字の記録メディア。ＣＤ‐Ｒ、ＲＷなどの光ディスクやハードディスクなどだ。アジアメーカーとの熾烈な価格競争に加え、メディアの変化サイクルが短くなってきており、研究開発や設備投資を回収できるだけの利益を上げることもできなくなっている。にもかかわらず、ハードディスクでの国内生産からの撤退・シンガポールへの集約、光ディスクでの三菱化学メディアへの移管・台湾メーカー等への生産委託など、事業再編に本格的に着手したのはここ一年のこと。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「［企業レポート］経営分析 三菱化学 脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
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                },
                {
                  "text": "2002年2月の時点で、記録メディアを含む情報電子部門は今期売上高1780億円・営業利益50億円を見込んでいた。前期の33億円の赤字からは好転したものの、水準は低い。情報電子カンパニー執行役員企画管理部長の原山博志氏は「全体の三分の一が赤字に陥っている。ここが黒字になったり赤字になったりと振れ幅が大きい」と述べている。同記事は、記録メディア事業について撤退を真剣に検討すべき時期に来ていると結論づけた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2002年2月時点で情報電子部門は今期売上高1780億円・営業利益50億円の見込み、記録メディアは撤退の検討時期に来ていると評された",
                      "原文": "当部門は、今期売上高一七八〇億円、営業利益五〇億円を見込む。前期の三三億円の赤字からは好転するが、依然水準は低い。／「全体の三分の一が赤字に陥っている。ここが黒字になったり赤字になったりと振れ幅が大きい」。原山博志・情報電子カンパニー執行役員企画管理部長が暗に指摘している記録メディア事業は撤退を真剣に検討すべき時期に来ている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「［企業レポート］経営分析 三菱化学 脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
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                {
                  "text": "塗る技術と膜を作る技術を最終製品まで持ち上げる——1985年に宮部義一常務が自社の強みとして挙げた蓄積は、光磁気ディスクの主材料である高機能樹脂・金属薄膜・レジストにそのまま重なっていた。国内40社近い参入表明のうち化学各社が競って名乗りを上げたのも同じ読みによるもので、水島の量産設備と販売網の買収を同時に打った三菱化成の手は、当時の方針としては筋が通っていた。誤算は、商品そのものの寿命の短さにあった。"
                },
                {
                  "text": "400億円で買ったバーベイタムの世界シェア15%は、フロッピーディスクという規格ごと価値を失い、2002年3月期には評価損350億円として落とされた。設備は10年単位で回収するのに、フロッピーからCD-ROM、さらにCD-Rへと規格が入れ替わる周期のほうが短い。ソニーの金田嘉行常務は、この事業を「遠目には美しいが、近寄って手中にするのは難しい」と言い表していた。躓いた理由は技術の水準ではなく、素材の設備投資の作法をそのまま持ち込んだ点にある。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1985年6月号「三菱化成工業 先端分野へ積極進出」（宮部義一 常務取締役財務部長、日本証券アナリスト協会企業分析部会 1985年5月10日 講演要旨）",
        "日経ビジネス 1991年3月18日号「三菱化成 乱戦の光磁気ディスク制覇にらみ着々布石」",
        "日経ビジネス 1998年7月6日号「株価回復へ情報開示に賭ける三菱化学 異例の事業ごとの収益公表、リストラの成果アピール」",
        "週刊東洋経済 2002年2月2日号「［企業レポート］経営分析 三菱化学 脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
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      "slug": "polyolefin-alliance-2001",
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      "title": "合成樹脂5社によるポリエチレン・ポリプロピレン事業の統合",
      "subtitle": "首位を守るか、過剰設備を減らすか——「総合化学国内最大手」の看板と主導権をめぐる選択",
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          "text": "2001年6月7日、三菱化学、昭和電工、チッソ、東燃化学、日本石油化学の5社が、ポリエチレンとポリプロピレンの両事業を統合すると発表した経営判断。両事業の統括会社は生産能力で三井・住友連合を抜き、国内首位に立つ見込みとなった。"
        },
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          "label": "背景",
          "text": "国内のエチレン生産能力は2000年末で年約770万トン、国内需要は600万トン強にとどまり、50万トン級の設備を4基分ほど統廃合しなければ需給が合わない計算であった。2004年までの段階的な輸入関税引き下げと、シンガポール・中国での大型プラント稼働が期限として迫っていた。"
        },
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          "text": "ポリエチレンは、三菱化学65%・東燃化学35%出資の日本ポリケムと、昭和電工65%・日本石油化学35%出資の日本ポリオレフィンを2002年4月めどに新会社へ統合する。ポリプロピレンは日本ポリケムとチッソが2002年7月めどに共同設立する新会社へ統合し、いずれも日本ポリケムが過半を出資する予定であった。"
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          "text": "日経ビジネスは同社の手法を「下位メーカーの抱き込み」と評し、株主4社の意思統一と世界大手との規模差に疑問を投げた。三菱化学は同年10月の「今後の経営対策」で、石化基礎原料の提携は共同出資でも過半にこだわらないと表明し、自前主義から離れた。"
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          "title": "「今後の経営対策」で石化基礎原料の共同出資は過半にこだわらないと表明"
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          "title": "ポリオレフィン事業を日本ポリプロ・日本ポリエチレンの2社体制へ改組"
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      "snapshot": {
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        "source": "三菱化学 有価証券報告書（2002年3月期・連結）",
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              "sub_title": "三十年来の過剰設備",
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                  "text": "石油化学の過剰設備は、1970年代から繰り返し表面に出ていた問題であった。エチレン年産30万トン設備は1969年から1972年にかけて9基が完成し、業界の能力は500万トンに達する見通しとなる。ところが需要は停滞し、1972年3月18日、エチレンメーカー12社は公正取引委員会へ不況カルテルの結成を申請、同年4月15日に認可された。設備を大型化して伸びる需要を取り込むというやり方は、このとき終わっていた。",
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                      "fact": "エチレン年産30万トン設備が1969年から1972年に9基完成して能力は500万トンに達する見通しとなり、需要停滞から1972年3月18日にエチレンメーカー12社が不況カルテルを申請、4月15日に認可された",
                      "原文": "エチレン年産三〇万トン設備は、四十四年から四十七年にかけて九基計二七〇万トンが完成し四十七年にはその設備能力は五〇〇万トンに達する見通しとなった。〔中略〕このためエチレンメーカー一二社は四十七年三月十八日公取委に不況カルテルの結成を申請、同年四月十五日に認可された。エチレン不況カルテルの結成は、新規戦略産業として高度成長を続けてきた石油化学工業が成熟期に入ったことを裏付けた。",
                      "source": "有沢広巳監修『日本産業史 3』（日経文庫, 日本経済新聞社, 1994）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
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                {
                  "text": "三十年近く経った2000年末でも、国内のエチレン生産能力は年約770万トン、国内需要は600万トン強にとどまった。過剰分は輸出で吸収してきたが、シンガポールや中国でエチレンの大型プラントが動き出す。2004年までには輸入関税が段階的に引き下げられ、ポリエチレンなど川下の汎用樹脂にも輸入品が入ってくる。需給の差を埋めるには、50万トン級の設備を4基分ほど統廃合する必要があった。",
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                      "fact": "2000年末の国内エチレン生産能力は年約770万トンで国内需要は600万トン強、2004年までの段階的輸入関税引き下げとアジアの大型プラント稼働により、50万トン級を4基分統廃合しなければ需給が合わないと見られていた",
                      "原文": "国内の業界全体のエチレン生産能力は２０００年末で年産約七七〇万トンだが、国内年間需要は六〇〇万トン強しかない。過剰分は輸出で補っているが、今後シンガポールや中国などアジアでエチレンの大型プラントが稼働する。〔中略〕０４年までの段階的輸入関税引き下げで、川下製品のポリエチレンなど汎用樹脂の輸入増加も確実。〔中略〕需給ギャップ解消のためには、五〇万トン級の設備をおよそ四基分統廃合しなければいけない計算になる。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「三菱化学　脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
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                    }
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            {
              "sub_title": "三井・住友の統合と、遅れた再編",
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                {
                  "text": "2000年、住友化学工業と三井化学が2003年10月の全面統合を正式に表明した。三菱化学のエチレン生産能力は1999年12月末で155万トンと国内首位、連結子会社の日本ポリケムもポリエチレンとポリプロピレンで首位にあったが、統合が実現すれば順位は入れ替わる。三井・住友に収益力で劣る三菱化学にとって、看板を失う打撃は小さくなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "住友化学と三井化学が2003年10月の全面統合を正式表明し、エチレン能力155万トン（1999年12月末）で首位の三菱化学は順位逆転に直面した",
                      "原文": "三菱化学はエチレン生産能力（９９年１２月末）は一五五万トンとトップ、汎用樹脂の分野でも、連結子会社の日本ポリケム（東燃化学との合弁）がポリエチレン、ポリプロピレンでトップ。ところが、住友－三井の統合で首位の座を逆転されてしまう。三井、住友に収益力で劣る三菱化学にとって、打撃は小さくない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2000年12月9日号「正念場　三井―住友―東レ統合？！　ライバル三菱化学が迫られる対抗策の手の内」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方、三菱化学の事業統合は同業に遅れていた。ポリオレフィンでは1996年に東燃化学と日本ポリケムを設立したものの、当初移したのは販売部門だけで、全業務の移管は1998年11月にずれ込む。そのときには旭化成や東ソーがポリプロピレンから撤退していた。再編が遅れたのは、「三菱」と「総合化学国内最大手」の看板への執着から不採算事業を整理できなかったからだともいわれた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日本ポリケムへの全業務移管は1998年11月で、その時点で旭化成や東ソーはポリプロピレンから撤退済み。再編の遅れは「三菱」「総合化学国内最大手」の看板への執着によるとも言われた",
                      "原文": "国内首位のポリオレフィン（ポリエチレンやポリプロピレン）では９６年９月に東燃化学と日本ポリケムを設立するが、当初は販売部門だけの移管。全業務を移管したのは９８年１１月で、そのときには旭化成や東ソーはポリプロピレンからは撤退している。〔中略〕再編が遅れたのは、「三菱」と「総合化学国内最大手」の看板への執着から不採算事業を整理できなかったからだともいわれる。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「三菱化学　脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
                      "url": null
                    }
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "5社「同盟」の中身",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2001年6月7日、三菱化学、昭和電工、チッソ、東燃化学、日本石油化学の5社は、ポリエチレンとポリプロピレンの両事業を統合すると発表した。ポリエチレンでは、三菱化学65%・東燃化学35%出資の日本ポリケムと、昭和電工65%・日本石油化学35%出資の日本ポリオレフィンを、2002年4月をめどに設立する新会社へ移す。ポリプロピレンでは、日本ポリケムとチッソが2002年7月をめどに共同設立する新会社へ移す。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2001年6月7日、三菱化学など5社がポリエチレン・ポリプロピレン両事業の統合を発表。ポリエチレンは日本ポリケムと日本ポリオレフィンを2002年4月めど、ポリプロピレンは日本ポリケムとチッソが2002年7月めどに設立する新会社へ統合する",
                      "原文": "６月７日、三菱化学、昭和電工、チッソ、東燃化学、日本石油化学の五社はポリエチレン、ポリプロピレン両事業を統合すると発表。〔中略〕ポリエチレンでは、日本ポリケム（三菱化学六五％、東燃化学三五％出資で９６年発足）と日本ポリオレフィン（昭和電工六五％、日本石油化学三五％出資で９５年設立）が来年４月をメドに設立する新会社に事業統合する。ポリプロピレンでは、日本ポリケムとチッソが来年７月をメドに共同設立する新会社に同じく事業統合する。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年6月23日号「石油化学　三井‐住友連合に対抗　三菱化学が盟主奪還へ合成樹脂5社“同盟”結成」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "どちらの新会社も、日本ポリケムが過半を出資する予定であった。両事業の統括会社は生産能力で三井・住友連合を抜き、国内首位に立つ見込みとなる。三井化学と住友化学工業は2001年10月に汎用樹脂事業を統合し、2004年には全面統合へ進む計画で、5社の「同盟」は、これに正面から対抗した。デュポンやBASFなど欧米大手が大型合併で規模を広げ、東南アジアへの進出を強めていた事情も重なっていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "両事業の統括会社は生産能力で三井住友連合を抜き国内首位となる見込みで、いずれも日本ポリケムが過半出資する。背景には欧米大手の大型合併と2004年の輸入関税引き下げがあった",
                      "原文": "両事業統括会社は三井住友連合を生産能力で抜き国内首位に立つことになる。〔中略〕どちらの新事業統合会社も日本ポリケムが過半出資する予定。ポリケムに六五％出資する三菱化学が、今年１０月にポリエチレン、ポリプロピレンなど汎用樹脂事業の統合に、２００４年には事業の全面統合に乗り出す三井化学－住友化学工業連合に対抗する動きに出たといえる。再編の背景には、デュポン、ＢＡＳＦなどが大型合併・再編で競争力をアップ、大規模生産設備を建設し東南アジア進出を強化する欧米巨大企業の動きがある。",
                      "source": "週刊東洋経済 2001年6月23日号「石油化学　三井‐住友連合に対抗　三菱化学が盟主奪還へ合成樹脂5社“同盟”結成」",
                      "url": null
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                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "「下位抱き込み」への疑問",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "同時代の評価は好意的ではなかった。日経ビジネスは2001年1月29日号で、三菱化学の汎用2大樹脂の戦略を「下位メーカーの抱き込み」と呼び、自社より小さい相手を選んで主導権を確保しながら規模を広げる従来型の吸収戦略が激しい世界競争に通用するかを疑った。統合会社のポリエチレン年産能力は約130万トンで、合併を表明していた米ダウ・ケミカルとユニオン・カーバイドの計800万トンには遠く及ばない。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "日経ビジネスは三菱化学の汎用2大樹脂戦略を「下位メーカーの抱き込み」と評し、4社統合会社のポリエチレン年産能力約130万トンは米ダウ・ケミカルとユニオン・カーバイドの計800万トンに遠く及ばないと指摘した",
                      "原文": "ポリエチレンとポリプロピレンという汎用2大樹脂の事業に対する三菱化学の基本戦略は、「下位メーカーの抱き込み」だ。自社よりも小さい相手を選び、経営の主導権を確保しながら徐々に規模を拡大してきた。だが、従来型の吸収戦略で激しいグローバル競争を勝ち抜けるのか。〔中略〕4社の統合会社のポリエチレン年産能力は約130万トン。既に合併を表明した米ダウ・ケミカル、ユニオン・カーバイドの計800万トンには遠く及ばない。",
                      "source": "日経ビジネス 2001年1月29日号「三菱化学の下位抱き込み戦略に疑問符　4社連合で住友・三井に対抗も、国際競争力に不安」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "統合の相手からも留保がついた。昭和電工の大橋光夫社長は「統合するだけでは強くなれない」と述べ、コスト競争力は統合後の設備集約と要員削減にかかると指摘した。新会社は株主が4社に及び、三菱化学主導といっても意思統一に手間取る恐れがある。水島でコンビナートが隣接し統合効果が最も見込まれた旭化成の山本一元社長も、「日本の小さな設備で作る汎用樹脂はいずれ負けてしまう」と語って統合を否定した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "昭和電工の大橋光夫社長は「統合するだけでは強くなれない」と述べ、株主4社の意思統一に手間取る恐れが指摘された。旭化成の山本一元社長は三菱化学との統合を否定した",
                      "原文": "昭電の大橋光夫社長は、「統合するだけでは強くなれない」と言う。コスト競争力は、統合後の設備集約や要員削減にかかっている。その点、新会社には株主が4社もあり、三菱化学主導といっても、経営の意思統一に手間取る恐れがある。〔中略〕「グローバルな価格競争下では、日本の小さな設備で作る汎用樹脂はいずれ負けてしまう」と語るのは、旭化成の山本一元社長だ。〔中略〕山本社長は、「そんなことはあり得ない」と一蹴する。",
                      "source": "日経ビジネス 2001年1月29日号「三菱化学の下位抱き込み戦略に疑問符　4社連合で住友・三井に対抗も、国際競争力に不安」",
                      "url": null
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            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "過半を捨てる表明へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "統合の発表から4か月後、三菱化学は主導権そのものを手放した。2001年10月の「今後の経営対策」で、エチレン、プロピレン、ベンゼンなど石化基礎原料については自助努力だけでは限界があるとし、分社化も選択肢に他社との提携を柔軟かつ積極的に進めると言明する。共同出資する際も過半数にはこだわらないとした。生産能力で国内首位のエチレンでさえ、主導権を条件から外した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2001年10月の「今後の経営対策」で、石化基礎原料は分社化も選択肢に他社との提携を進め、共同出資でも過半数にこだわらないと表明した",
                      "原文": "そのなかで同社は、「石油化学事業の川上にあたるエチレン、プロピレン、ベンゼンなど石化基礎原料は、自助努力だけでは限界があり、生き残りをかけた競争力強化を図るため、同業他社とのさまざまな提携を、分社化も選択肢の一つとして、柔軟かつ積極的に進める」と言明。共同出資する際も過半数にはこだわらないという。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「三菱化学　脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "正野寛治社長は他社に向けて、「すべてのことが自分でできる時代は終わり、お互いに少し我慢して過剰設備の整理ができないか」と呼びかけた。前年1月には小規模で老朽化した四日市事業所のエチレン設備を止めて鹿島・水島へ生産を集めていたが、一社では解けない規模の問題になっていた。統合の相手としては、ポリオレフィンで縁のできた東燃化学、日本石油化学、昭和電工の名が挙がった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "正野寛治社長は「すべてのことが自分でできる時代は終わり、お互いに少し我慢して過剰設備の整理ができないか」と他社に呼びかけ、統合相手として東燃化学・日本石油化学・昭和電工の名が挙がった",
                      "原文": "「シンガポールのエチレンと同等のレベルまでコストダウンしつつ、過剰設備の整理も進めていかなければならない状況のなかで、すべてのことが自分でできる時代は終わり、お互いに少し我慢して過剰設備の整理ができないか」（正野寛治社長）と他社に対してついに呼びかけたのだ。〔中略〕事業統合相手としては、ポリオレフィンの事業統合で縁のある東燃化学、日本石油化学、昭和電工などの名が挙がっている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「三菱化学　脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "2社体制への改組と、届かなかった収益",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "統合そのものは形になった。三菱化学は2003年6月に日本ポリケムを完全子会社化し、同年10月、ポリオレフィン事業の再編にあわせて日本ポリケムをポリプロピレンの日本ポリプロへ改組する。あわせて、日本ポリプロと日本ポリエチレンの株式保有を目的とする同名の日本ポリケムを新たに発足させた。2001年に描いた5社の統合は、樹脂2社を中間持株会社が束ねる体制へ落ち着いた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2003年6月に日本ポリケムを完全子会社化、同年10月にポリオレフィン事業の再編に伴い日本ポリケムを日本ポリプロへ改組し、日本ポリプロと日本ポリエチレンの株式保有を目的とする同名の日本ポリケムを新設した",
                      "原文": "日本ポリケム株式会社を完全子会社化　10月　ポリオレフィン事業の再編に伴い、日本ポリケム株式会社を日本ポリプロ株式会社に改組するとともに、同社及び日本ポリエチレン株式会社の株式保有等を目的とする同名の日本ポリケム株式会社を新たに発足",
                      "source": "三菱化学 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方、本体の収益は戻らなかった。2002年3月期の連結売上高は1兆7,803億円、経常利益は71億円にとどまり、当期純損益は453億円の赤字となる。1994年に三菱化成と三菱油化が合併して発足して以来、はじめての無配に落ちた。売上高の3割強を占める石化部門は営業利益率が1%に届かず、市場は三菱化学を「三菱『製薬』」と呼んだ。樹脂の統合は、そこまでは届いていなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2002年3月期の連結売上高は1兆7,803億円、経常利益71億円、当期純損失453億円で、1994年の会社発足以来はじめて無配となった",
                      "原文": "2002年3月期（連結）の売上高1兆7,803億円、経常利益71億円、当期純損益は453億円の損失。",
                      "source": "三菱化学 有価証券報告書（2002年3月期・連結）",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "石化部門は売上高全体の3割強を占めながら営業利益率が1%に達せず、株式市場は三菱化学を「三菱『製薬』」と評していた",
                      "原文": "三菱化学は三菱「製薬」――。三菱化学をアナリストをはじめとする株式市場関係者はこう評価する。〔中略〕名門復活の第一のカギは、同社の売り上げ全体の三割強を占める、この石化事業の思い切った再編にある。同部門は今期売上高六〇〇〇億円、営業利益は四五億円を見込み。営業利益率は一％にも達しない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2002年2月2日号「三菱化学　脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "過半という条件を外せたこと",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2001年6月の発表で、三菱化学は二つの新会社のどちらにも日本ポリケムを通じて過半を出資すると決めていた。その4か月後には、石化基礎原料について共同出資でも過半数にこだわらないと表明する。生産能力で国内首位のエチレンについて、主導権を握り続ける前提を4か月で降ろした。三井・住友連合を抜いて首位に戻ることより、50万トン級4基分といわれた過剰設備を誰かと一緒に減らすほうが先に来ていた。"
                },
                {
                  "text": "日経ビジネスが挙げた弱点はそのまま残った。統合会社の株主は4社に分かれ、昭和電工の大橋光夫社長が言うとおり、統合しただけでは設備集約も要員削減も進まない。ポリエチレンの年産能力130万トンと、ダウ・ケミカルとユニオン・カーバイドの800万トンとは桁が違う。1998年11月まで全業務の移管を先送りし、旭化成や東ソーの撤退を見送った数年分の遅れを、三菱化学は発足以来はじめての無配で払った。統合で首位に戻っても、その遅れは取り返せていない。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2001年6月23日号「石油化学　三井‐住友連合に対抗　三菱化学が盟主奪還へ合成樹脂5社“同盟”結成」",
        "週刊東洋経済 2000年12月9日号「正念場　三井―住友―東レ統合？！　ライバル三菱化学が迫られる対抗策の手の内」",
        "日経ビジネス 2001年1月29日号「三菱化学の下位抱き込み戦略に疑問符　4社連合で住友・三井に対抗も、国際競争力に不安」",
        "週刊東洋経済 2002年2月2日号「三菱化学　脱「総合」、事業再編へ追い込まれた業界最大手」",
        "有沢広巳監修『日本産業史 3』（日経文庫, 日本経済新聞社, 1994）「化学－プラントの大型化を経て成熟化」",
        "三菱化学 有価証券報告書【沿革】",
        "三菱化学 有価証券報告書（2002年3月期・連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-29"
    }
  ]
}
