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  "updated": "2026-11-04",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/3941/executives/ceo/inoue-teijiro/",
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        "有価証券報告書（役員の状況）"
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      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
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    "name": "井上貞治郎",
    "kana": "いのうえ　ていじろう",
    "surname": "井上",
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    "origin": "創業家（1909年創業）。個人経営の三成社を母体に、1920年に同業を統合して聯合紙器を設立し、経営を率いた",
    "origin_type": "創業家",
    "hometown": "兵庫県",
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    "prev_role": "三成社 経営者（個人経営）",
    "career_note": "聯合紙器での社長就任の年月を示す資料は手元に無い。1920年の設立時に株の50%近くを引き受けて経営を率い、1950年の東証上場時の役員欄では専務取締役社長である。就任の印は設立の年に年精度で置いた",
    "career": [
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            "role": "三盛舎（のちの三成社）を創業"
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    "references": [
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        "source": "私の履歴書 経済人3（日本経済新聞社、1980年）",
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          "birthdate",
          "hometown",
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          "origin"
        ]
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      {
        "source": "段ボールひとすじに（聯合紙器、1970年）",
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          "career",
          "origin"
        ]
      },
      {
        "source": "証券 1巻9号（1950年）「新規上場会社紹介 聯合紙器株式会社」",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2729900",
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          "career"
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      {
        "source": "会社銀行八十年史（1955年）「聯合紙器」",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712",
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          "career"
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      },
      {
        "source": "日本企業要覧 1972年版",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/11937566/1/217",
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          "career"
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    "sections": {
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        {
          "frame": "origin",
          "text": "1882年10月、播州の揖保川に近い村の農家に三男として生まれ、2歳で遠縁の井上家を継いだ。職を転々とし大陸を渡り歩いたのち、1909年8月に東京・北品川で三盛舎を始め、輸入品だった段ボールの国産化に着手した。1920年5月には三成社を中心に同業を統合して聯合紙器を設立した。1950年4月の東証上場時は専務取締役社長として経営を率いており、1963年11月に山野種松氏が後任の社長に就任するまでその座にあった。"
        },
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          "text": "自ら興した三成社を株式会社へ改組して聯合紙器を設立しており、前任者はいない。設立時の株の割り当てが戦後恐慌で予定どおり集まらず、井上貞治郎氏が50%近くを引き受けた。創立時の役員には二見昇氏・中村立三氏・川路利彦氏らが加わったが、1926年1月の本社の大阪移転のころまでにほとんどが辞任している。後任は1931年入社の生え抜きで、1962年5月に専務となっていた山野種松氏であり、1963年11月に社長へ就任した。"
        },
        {
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          "text": "1923年11月に日本製紙を合併し、製紙から製函までを一貫する基礎を得た。1936年4月には淀川工場に製紙工場を開設し、原紙から段ボールまでの一貫生産に移った。1937年には最大の得意先だった東京電気と提携し、倍額増資で新株の過半数を渡す代わりに川口の工場計画を引き継いだ。戦後は1949年5月に大証、1950年4月に東証へ上場し、1961年10月には利根川製紙工場を開設している。"
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          "text": null
        },
        {
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          "text": "井上貞治郎氏は播州の農家に生まれ、2歳で遠縁の井上家を継いだ。15歳ごろに最初の奉公先を出てからは職が定まらず、朝鮮・満州・香港と足かけ4年を大陸で過ごしたのち、無一文で東京へ戻った。御徒町の紙ばこ道具店の外交員に雇われ、店の片隅にあった機械がのちの段ボール機械の手本になった。人に使われる働き方は自分に向かないと考え、自ら作って自ら売る事業を探していた。\n当時の国産の電球包み紙は紙をジグザグに縮めただけで弾力がなく、半円の波形を別の紙に貼り合わせた弾力のある包装紙はドイツからの輸入品だった。井上貞治郎氏はこの国産化を事業に選び、旧知の池田良栄氏の仲介で予備役の陸軍大尉ら3人の出資を得た。1909年8月、北品川の20坪の平屋を月5円で借り、波形のロールを手で回す機械を据えて三盛舎を始めた。段の左右がそろわない不具合を分銅の工夫で直すまでに約2カ月を要している。\n赤字が続いて出資者が次々に離れると、井上貞治郎氏は独力で続けると決めて事業名を三成社に改めた。機械と製法が実用新案として認められたのを機に、製品を「特許段ボール」の名で売り出した。弾力紙や波型紙などの候補から段ボールという名を選んだのは井上貞治郎氏自身で、最初の取引は浅草の洋紙店への200枚だった。その後レート化粧品や森永製菓などへ得意先が増加し、借金を返せるまでになった。下谷根岸の栄立社を通じて受けた電球包装用紙の大口注文が、のちに聯合紙器の設立を後押しする東京電気との最初の縁になった。\n1913年には手工業から脱するため、銀座の洋紙店から資金を借りてドイツ製の巻取り段ボール機械を3,000円で輸入し、量産に移った。リーガル商会から香水の包装箱の注文を受け、国産で初めての両面段ボールによる外装箱を仕上げている。1914年に第一次世界大戦が始まると、マツダランプの箱がウラジオストク経由でロシアへ出荷されるなど受注が急増した。1915年には本所横網町の家を買い取って工場を移し、大阪三成社の創立、名古屋の支店と工場、川崎工場の建設、子会社の帝国紙器の設立と拠点を広げた。\n大戦景気で同業が相次ぎ、資本金1,000万円に拡大した日本紙業が段ボール製造機械を備え始めたことが、株式会社への改組を急がせた。東京電気が肩入れを申し出たことから、栄立社・東紙器・大阪三成社・帝国紙器を合わせる計画に広がった。1920年3月の恐慌で割り当てた株が集まらず、井上貞治郎氏が50%近くを引き受け、芝の豊国銀行の融資を得て、同年5月2日に資本金200万円の聯合紙器が発足した。社名は東京電気の傍系会社である帝国聯合電球から取っている。",
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              "slug": "corrugated-board-1909",
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