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        "source": "塚本幸一『私の履歴書』（日本経済新聞社、1991年）",
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        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13273542"
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        "source": "株式会社ワコールホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
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          "career"
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        "source": "ワコールホールディングス「VISION 2030」説明資料（2022年）",
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          "text": "1920年9月17日、近江商人の家系に生まれ、繊維卸を営む父の任地であった仙台市で幼年期を過ごした。1933年4月に滋賀県立八幡商業学校へ入学し、近江八幡市の母の実家に寄宿して通った。卒業後は父の商売を手伝ったが、1940年12月に入隊し、南京で再編された第15師団第60連隊に配属された。インパール作戦を経て、1946年6月に復員した。"
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          "text": "1949年11月1日、個人商店の和江商事を吸収して資本金100万円の和江商事株式会社を設立し、社長に就任した。持ち株は50万円分の50%にとどめ、残りを中村伊一氏、川口郁雄氏ら関係者に分けた。1951年5月には縫製を委託していた木原光治郎氏の工場と合併し、社長を木原光治郎氏に譲って専務に退いた。1952年9月の緊急役員会で木原光治郎氏が会長に就任し、塚本幸一氏が社長に戻った。"
        },
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          "text": "1957年11月に商号をワコール株式会社へ改め、1959年11月の東海ワコール縫製設立を皮切りに国内の縫製子会社を7社設けた。1964年6月に商号を株式会社ワコールとし、同年9月に東京・大阪証券取引所市場第二部と京都証券取引所へ上場した。1970年には韓国・タイ・台湾に合弁会社を相次いで設立した。1977年11月、10年後の1987年に社長を退き、後継の候補に長男の塚本能交氏を考えていると公表した。",
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          "text": "1946年6月の復員の日、塚本幸一氏は自宅を訪ねてきた井上早苗氏から、進駐軍向けの土産物店に卸している模造真珠のネックレスを見せられた。戦前に父の仕事で開拓した京都・御池通りの趣味の店ハナフサが仕入先を探していたことを思い出して両者を取り持ち、双方からトランク一杯の商品を借りて自ら売り始めた。元手の無い商いだったため、毎日決算を締め、当日の儲けを資本に繰り入れていった。店名の和江商事は父の塚本粂次郎氏が出身地の江州にちなんで考えた名で、塚本幸一氏は揚子江のほとりで和を契った戦友たちにも通じるとしてこれを採った。\n1947年ごろからは山梨県の依田製作所から水晶のネックレスを仕入れ、月商は1万円から10万円に増加した。浦和の平野商会のブローチを扱い始めると、1948年4月ごろには月商が50万円余りに達した。ただ、完成品を右から左へ売るだけの商いには独自性が無いという不満が残った。\n転機は1949年ごろ、元百貨店洋装部員の安田武生氏が持ち込んだ、胸に当ててふっくら見せる詰め物「ブラ・パット」であった。東京・銀座で試し売りして手応えを得ると、京都へ戻って安田武生氏と独占販売契約を結んだ。続いて米国の雑誌でブラジャーを知り、自ら型紙を起こして「101号」の名で売り出した。同年11月に株式会社へ改めたが、その冬は寒さでブラジャーが売れず、委託先の工場から届く商品で倉庫が埋まった。1950年の正月、塚本幸一氏は10年を1節とする50年計画を立て、国内市場の育成から始めて1970〜1980年代に海外へ進出し、1990年代に世界での地位を固める道筋を、9人の社員に朝礼で示した。\n1950年春には、16台の足踏みミシンを持つ京都・室町の縫製業者、木原光治郎氏に生産を委ねた。同年10月、高島屋京都店での1週間のテストセールで老舗の青山商店に5対1の差をつけ、続いて高島屋大阪店でも売り場の4ケースのうち3ケースを得た。生産を資本関係の無い外部へ依存する体制を解消するため、1951年5月に木原光治郎氏の工場と合併した。\n1953年10月、米国の下着メーカーのラバブル社が販売提携先を探して上陸すると、保証金100万円と半年分の買い取りという条件をのみ、熟練を要する工程をこなせる同社の特殊ミシンの技術を獲得するための授業料とした。1956年6月からは2カ月半をかけて欧米の下着市場を視察した。1952年春に名古屋の業者から商標クローバーの使用差し止めを求められたことを機に、「和江」の名を残す造語としてワコールを考え出し、1957年11月に商号に採った。1964年には上場の条件として生産と販売の2社を合併して商号を株式会社ワコールとし、同年9月に上場した。"
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