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  "title": "直近の動向と展望",
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      "title": "なぜ全量保有から他人資本との段階売却へ切り替えたのか（筆者所感）",
      "text": "東急不動産ホールディングスの源流は、1918年に渋沢栄一氏と中野武営氏らが設立した田園都市株式会社にある。1921年に経営中枢へ加わった五島慶太氏は、田園調布で総面積の18%を道路・公園に割き、電灯・上下水道を完備した宅地を分譲した。私鉄沿線の土地を一体で開発し、街区まるごと整えて売り切るやり方が同社の原点となった。戦時統合で東京急行電鉄に組み込まれて事業は休眠し、戦後に公職追放解除を受けた五島氏が1953年12月に資本金3億円で独立会社として切り出した。\n\n独立した東急不動産は、戦後の住宅取得層に売る販売網と販売手段を5年で整えた。1956年4月に東証へ上場し、1961年6月には日本初の提携住宅ローンを発表して金融機関と組む販売体制を敷いた。1962年の津田山ニュータウンは、戦後日本で「ニュータウン」と銘打った最初期の郊外宅地分譲となった。1970年に管理を担う東急コミュニティー、1972年に仲介の東急エリアサービス（後の東急リバブル）、1976年に住関連雑貨の東急ハンズを相次いで立ち上げ、開発・管理・仲介の3軸とリゾートを抱える総合不動産の輪郭が1980年代後半までに固まった。\n\nところが1990年代のバブル崩壊で、含み損を抱えた商業ビルとリゾートが財務を圧迫し、同社は借入金圧縮とリストラを軸とする守りに転じた。1995年3月期の連結売上高2,673億円は安藝哲郎社長下での縮小均衡の数字である。この時期に同社は、開発して全量自前で保有し続ける従来作法から、外部投資家に物件を供給して運用フィーを取る資産回転の仕組みづくりへ舵を切った。2007年の東急不動産キャピタル・マネジメント設立を起点に、2012年のアクティビア・プロパティーズ投資法人、2013年のコンフォリア・レジデンシャル投資法人を相次いで東証に上場させ、商業・オフィス系と住宅系のREITを揃えた。\n\n2013年9月の3社一斉上場廃止と持株会社化以降、グループの重心は沿線住宅地から広域渋谷圏の街区再開発と再エネへ移った。2019年就任の西川弘典社長下では、重点立地に持分50%以上を残し他は段階売却するやり方で、自己バランスシートを膨らませず開発益を回す組み立てに変えた。新中計はFY23営業利益1,104億円を2031年3月期1,500億円へ伸ばす計画である。私鉄沿線で一社完結に築いた開発作法を、複数主体と組む街区再開発と地域分散の再エネへどう移植するかが、星野浩明新体制が引き継いだ作業である。",
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