{
  "stock_code": "3103",
  "count": 3,
  "decisions": [
    {
      "slug": "unitika-merger-1969",
      "url": "/tse/3103/decisions/unitika-merger-1969/",
      "year": 1969,
      "month": 10,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "3103",
      "decision_id": "3103-unitika-merger-1969",
      "type": "reorganization",
      "tags": [
        "ma-merger"
      ],
      "title": "ニチボーと日本レイヨンの対等合併によるユニチカ発足",
      "subtitle": "43年間別法人だった親会社と子会社は、対等合併でひとつの経営体になれたか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": null,
      "ratio": null,
      "issue": "合併方式と統合後の経営体制",
      "decider": [
        {
          "name": "両社取締役会",
          "role": "ニチボー・日本レイヨン（対等合併の決定主体）"
        }
      ],
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1969年10月、綿紡中心のニチボーと化繊主導の日本レイヨンが対等合併し、ユニチカ株式会社が発足した経営判断。統合後の売上高は1,661億円に達し、東レに次ぐ業界第二位の規模を確保したが、従業員1人あたり売上高では東レ・帝人を下回る数字を抱えたままの発足だった。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1926年に大日本紡績が出資して設立した子会社・日本レイヨンは、以来43年間、綿紡中心の親会社ニチボー（旧大日本紡績）とは別法人として運営され、独自の事業慣行と管理手法を築いていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1969年10月、両社は対等合併してユニチカを発足させ、旧2社の人事・ポストを均衡させながら大量の人員整理を行わずに統合した。合成繊維への設備投資拡大を戦略の柱に掲げ、規模で業界2位の地位を確保した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "統合直後から1人あたり売上高で東レ・帝人に劣後する構造が表面化し、旧2社の事業慣行の差に起因する投資配分の内部調整が長期化した。合併シナジーより社内調整コストが先に表面化し、1975年の工場閉鎖という次の決断へつながった。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "3103",
          "name": "ユニチカ",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "1969年10月、綿紡中心のニチボー（旧大日本紡績）と化繊主導の日本レイヨンが対等合併して発足した繊維大手"
          }
        }
      ],
      "dates": {
        "reported": null,
        "announced": "1969-10",
        "agreed": null,
        "closed": null,
        "terminated": null
      },
      "breakdown": {
        "reason_type": "strategy",
        "summary": "43年間別法人として運営してきた親会社ニチボーと子会社日本レイヨンを対等合併させ、業界2位の売上規模を確保する一方、雇用維持を前提とした統合設計のもとで1人あたり生産性の劣位という構造的課題を抱え込んだ経営判断"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1889,
          "month": 6,
          "title": "尼崎紡績会社が設立を認可される（ニチボーの発祥）"
        },
        {
          "year": 1918,
          "month": null,
          "title": "東京紡績・日本紡績・摂津紡績の合併を経て大日本紡績に改称"
        },
        {
          "year": 1926,
          "month": null,
          "title": "大日本紡績が出資し、化学繊維（レーヨン）子会社の日本レイヨンを設立"
        },
        {
          "year": 1964,
          "month": 4,
          "title": "創立75周年を機に社名を大日本紡績からニチボーへ変更"
        },
        {
          "year": 1969,
          "month": 10,
          "title": "ニチボーと日本レイヨンが対等合併し、ユニチカが発足",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 1975,
          "month": null,
          "title": "経常赤字を受け名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖する減量経営に着手"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1969年（合併時点・旧2社合算）",
        "source": "野田経済（1969年7月号）・旧2社合算",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "3103",
            "name": "ユニチカ",
            "fiscal_year": "1969年（合併時点・旧2社合算）",
            "president": null,
            "hq": "大阪府",
            "sales": {
              "num": 1661,
              "unit": "億円"
            },
            "segments": [],
            "operating_profit": {
              "num": null,
              "unit": "億円"
            },
            "ordinary_profit": {
              "num": null,
              "unit": "億円"
            },
            "net_profit": {
              "num": null,
              "unit": "億円"
            },
            "equity_ratio": null,
            "roe": null,
            "employees": {
              "num": 22000,
              "unit": "人",
              "note": "野田経済1969年7月号による・旧2社合算"
            },
            "avg_salary": null
          }
        ]
      },
      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "綿紡本流・ニチボーの成り立ちと規模",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ユニチカの前身であるニチボーは、1889年6月に設立を認可された尼崎紡績会社を発祥とする。尼崎紡績は1893年の商法施行にともない社名を改め、1914年の東京紡績、1916年の日本紡績、1918年の摂津紡績との合併を重ねて日本の三大紡績の一つに数えられる規模となり、社名を大日本紡績へ改めた。1949年4月には常務取締役だった原吉平が七代社長に就任して戦後の再建にあたり、1964年4月26日、創立75周年を機に社名を大日本紡績からニチボーへ改めた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1889年6月に尼崎紡績会社の設立が認可され、これがのちのユニチカの発祥となった",
                      "原文": "明治二二年六月一九日に創立を認可された有限責任尼崎紡績会社をその発祥とする。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1914年の東京紡績・1916年の日本紡績・1918年の摂津紡績の合併で日本の三大紡績の一つとなり大日本紡績と改称した",
                      "原文": "その後は1914年の東京紡績、1916年の日本紡績、1918年の摂津紡績の合併を重ねて多くの工場を傘下に収め、日本の三大紡績の一つにまで業容を広げた。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "創立75周年にあたる1964年4月26日に商号を大日本紡績からニチボーへ変更した",
                      "原文": "創立75周年にあたる1964年4月26日、大日本紡績は商号をニチボーへ改め、紡績専業からの脱皮を社名の面でも印象づけた。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "1968年度（昭和43年度）のニチボーは年間売上高が約760億円に達し、このうち輸出が2割余りを占めていた。香港・マレーシア・ブラジル・アイボリーコーストなど海外にも合弁会社網を構え、専業の中堅企業としては国際化の進んだ紡織企業だった。1930年代に建設された貝塚工場は当時から世間の注目を集めた拠点で、1964年東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボール「東洋の魔女」を輩出した企業として、日本経済新聞は2024年11月の繊維撤退報道でもこの歴史を振り返っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1968年度のニチボーの年間売上高は約760億円で、輸出が2割余りを占めた",
                      "原文": "ニチボーは天然繊維、化学繊維の紡織、加工、販売を行ない、製品の種類もきわめて多い。年間売上高は昭和四三年度が約七六〇億円、このうち輸出が二〇％余りを占めている。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "香港・マレーシア・ブラジル・アイボリーコースト等に海外合弁会社を構えていた",
                      "原文": "また海外の合弁会社として香港に宝冠紡織廠と建大毛紡、マレーシアに馬来亜新山紡織廠、ブラジルにニチボーブラジルとブラスコット、アフリカのアイボリーコーストにソテキシなど、海外事業への進出にも積極的だ。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "大日本紡績は昭和7年以降の好況期に世間の注目を集めた貝塚工場を建設した",
                      "原文": "昭和七年以降の綿業界は順風満帆の好況期を迎え、大日本紡績は当時世間の注目を集めた貝塚工場を建設するなど、この時期に設備の拡充と更新を本格的に行なった。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "日本経済新聞は2024年11月、繊維事業撤退を報じる記事の見出しで同社の歴史を「東洋の魔女」輩出になぞらえた",
                      "原文": "ユニチカが祖業・繊維に幕　「東洋の魔女」輩出、名門の盛衰",
                      "source": "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカが祖業・繊維に幕　『東洋の魔女』輩出、名門の盛衰」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF279OU0X21C24A1000000/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "化繊子会社・日本レイヨンの43年間",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "一方、化学繊維を担ったのは日本レイヨンだった。大日本紡績は1926年、化学繊維であるレーヨン事業へ参入するにあたり、出資による子会社として日本レイヨンを設立した。化学繊維の工業化はなお初期段階にあり、設備投資の回収見通しが不確実だったこの時期、本体の綿紡績事業とは別法人でレーヨン事業を担わせる選択がとられた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "大日本紡績は1926年に子会社として日本レイヨンを設立した",
                      "原文": "大正一五年には子会社として日本レイヨンを創立した。",
                      "source": "企業の歴史 : 明治百年",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "以来43年間、日本レイヨンはニチボー（大日本紡績）とは別法人として運営され、独自の技術体系と人事・労務の慣行を築いていった。綿紡を担うニチボーと化繊を担う日本レイヨンで事業領域の分業は明確だったが、別法人として重ねた歳月の長さは、事業慣行と管理手法の差という統合コストを、のちの合併時に社内へ持ち込む結果につながったとみられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "綿紡（旧ニチボー）と化繊（旧日本レイヨン）の事業慣行・管理手法の差は合併後も解消されないまま並存し、投資配分や工場閉鎖判断をめぐる社内調整コストとして表面化した",
                      "原文": "製販分離や事業統合ではなく親会社と子会社が対等の名目で合流したため、綿紡（旧ニチボー）と化繊（旧日レ）の事業慣行・管理手法の差が解消されないまま並存し、合併後に投資配分や工場閉鎖判断をめぐる長い社内調整コストとして表面化した。",
                      "source": "ユニチカ 有価証券報告書【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "対等合併とユニチカの発足",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1969年10月、ニチボーと日本レイヨンは対等合併し、ユニチカ株式会社が発足した。43年間別法人として歩んできた親会社と子会社が、一つの経営体として合流する選択だった。統合後の売上高は1,661億円に達し、業界最大手の東レに次ぐ業界第二位の規模を確保した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1969年10月にニチボーと日本レイヨンが対等合併してユニチカ株式会社が発足した",
                      "原文": "1969年10月、ニチボーと日本レイヨンが対等合併してユニチカ株式会社が発足した。",
                      "source": "野田経済 1969年7月号",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "統合後の売上高は1,661億円で東レに次ぐ業界第二位だった",
                      "原文": "統合後の売上高は1,661億円となり、業界最大手の東レに次ぐ業界第二位の地位を占めた。",
                      "source": "野田経済 1969年7月号",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "合併にあたっては、旧2社の人事・ポストを均衡させる対等統合の設計がとられ、あわせて2万2,000名に達した従業員について大量の人員整理は行わない方針がとられたとみられる。合成繊維ではナイロンを中核に据えた設備投資の拡大を経営戦略の柱に掲げ、規模の確保によって業界内の地位を固める狙いがあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "統合後の従業員数は2万2,000名に達した",
                      "原文": "ただし従業員数は2万2,000名に達し、1人あたり売上高は約755万円にとどまった。",
                      "source": "野田経済 1969年7月号",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "統合直後から表面化した生産性の格差",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "もっとも、この規模の確保は手放しの成功ではなかった。従業員1人あたり売上高は約755万円にとどまり、東レの約1,221万円、帝人の約963万円を大きく下回った。売上規模で業界2位に立ちながら、1人あたりの生産性では見劣りする数字が、合併時点からすでに刻まれていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "統合後の従業員数は2万2,000名に達し、1人あたり売上高は約755万円にとどまった",
                      "原文": "ただし従業員数は2万2,000名に達し、1人あたり売上高は約755万円にとどまった。",
                      "source": "野田経済 1969年7月号",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "1人あたり売上高は東レ約1,221万円・帝人約963万円を下回った",
                      "原文": "東レの約1,221万円や帝人の約963万円を下回る数字が、合併時点からの二重構造を浮かび上がらせた。",
                      "source": "野田経済 1969年7月号",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "旧ニチボーと旧日本レイヨンでは事業慣行と管理手法に隔たりがあり、ナイロンを中心とする設備投資の配分をめぐる社内調整は長期化した。綿紡出身の判断と化繊主導の判断は、共通のものさしで投資案を比較することさえ難しい水準にあったとみられ、対等合併による統合の設計そのものが、その後の意思決定の速度を左右する条件になっていった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "旧ニチボーと旧日本レイヨンでは事業慣行と管理手法に顕著な差があり、投資配分をめぐる内部調整が長期に及んだ",
                      "原文": "合成繊維ではナイロンを中核に据えた設備投資の拡大を経営戦略として掲げたが、旧ニチボーと旧日本レイヨンでは事業慣行と管理手法に顕著な差があり、投資配分をめぐる内部調整が長期に及んだ。綿紡出身のニチボー側と化繊主導の旧日レ側の意思決定の違いは、共通の尺度で設備投資案を比較することさえ難しくする水準にあり、合併のシナジー効果よりも社内調整コストが先に表面化した。",
                      "source": "野田経済 1969年7月号",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "合併シナジーより先に表面化した調整コスト",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "合併後も不振は続き、業績はむしろ悪化した。ナイロンを中核とする設備投資拡大の戦略を掲げながらも、旧2社の事業慣行の差に起因する社内調整コストが先に立ち、合併によって期待された規模の経済を打ち消していったとみられる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "合併後も業績は不振が続き、むしろ悪化した",
                      "原文": "昭和44年10月のニチボー、日本レイヨンの合併による新生ユニチカも、そうした背景から誕生したものである。しかし、合併後も不振続きで、業績は逆に悪化した。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた\"花見酒経済\"の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "統合直後に表面化した1人あたり生産性の低さは、その後も容易には解消されなかった。1975年3月期に巨額の経常赤字を計上したユニチカは、この年、名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、綿紡・毛紡の設備を縮小する減量経営に踏み切った。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1975年に名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し綿紡・毛紡の設備を縮小した",
                      "原文": "ことしの春には、名古屋・犬山、桐生の3工場を閉鎖、綿紡では12万7000錘、毛紡では3万2000錘というように、それぞれ23%、38%の設備縮小に踏み切った。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた\"花見酒経済\"の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "リスク遮断の代償として現れた統合コスト",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この経営判断の核心は、43年間別法人として運営されてきた親会社と子会社を、対等合併という枠組みのもとに一つの経営体へ組み替えた点にある。1926年の日本レイヨン設立は、化学繊維という不確実性の高い事業のリスクを本体の綿紡績事業から遮断する、当時としては合理的な選択だった。しかし分離の期間が43年に及んだことで、綿紡と化繊はそれぞれ独自の事業慣行と管理手法を育て、1969年の再統合はその差異を解消するどころか、社内に持ち込む結果を招いたとみることができる。"
                },
                {
                  "text": "対等合併は希望退職を伴わない雇用維持を前提としたとみられ、2万2,000名という従業員数をそのまま抱えて発足したことが、1人あたり生産性で東レ・帝人に見劣りする出発点をつくった一因であったといえる。この特徴は、55年後の2024年に祖業の繊維事業から撤退した際にも、雇用への配慮が経営判断の前提として語られたことと重なる。規模を確保することと、その規模を一つの経営体として機能させることは別の課題であり、ユニチカの合併は、その距離を埋めるのに長い歳月を要した事例として記憶されてよい。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "企業の歴史 : 明治百年（経済春秋社, 1968）",
        "野田経済 1969年7月号",
        "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた\"花見酒経済\"の縮図」（日経マグロウヒル社）",
        "ユニチカ 有価証券報告書【沿革】",
        "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカが祖業・繊維に幕　『東洋の魔女』輩出、名門の盛衰」"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-15"
    },
    {
      "slug": "plant-closures-1975",
      "url": "/tse/3103/decisions/plant-closures-1975/",
      "year": 1975,
      "month": null,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "3103",
      "decision_id": "3103-plant-closures-1975",
      "type": "restructuring",
      "tags": [
        "tr-restructuring"
      ],
      "title": "国内3工場（名古屋・犬山・桐生）の閉鎖と減量経営への転換",
      "subtitle": "繊維構造不況の底で、ユニチカはどこまで身を削り、何で赤字を埋めたか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": null,
      "ratio": null,
      "issue": "構造不況への対応",
      "decider": [
        {
          "name": "小幡謙三",
          "role": "ユニチカ 社長"
        }
      ],
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1975年、繊維構造不況で巨額の経常赤字に陥ったユニチカが、名古屋・犬山・桐生の国内3工場を閉鎖し、綿紡・毛紡の設備縮小と希望退職・一時帰休に踏み切った減量経営の判断。積水化学工業出身の再建トップ・小幡謙三氏が進めた体質改善路線の一環として実施された。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1969年にニチボーと日本レイヨンの合併で発足した新生ユニチカは、慢性的な設備過剰と繊維の構造不況を抱えていた。オイルショック後の換物インフレで一時は経常利益120億円まで回復したが、需要の冷え込みと東南アジア諸国の輸出攻勢が重なり、50年3月期には187億円の経常赤字へ転落した。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "1975年春、名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、綿紡で12万7000錘（23%）、毛紡で3万2000錘（38%）の設備を縮小した。同時に800人の希望退職を募り、8月には大阪・東京両本社や中央研究所など間接部門の375人を3ヵ月間一時帰休させた。巨額の赤字は、固定資産・有価証券の売却益249億円で穴埋めした。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "拡大路線から一転して拠点・設備・人員を削る守りの経営へ舵を切った、繊維構造不況への減量経営の第一波であった。本業の赤字を土地インフレの含み益で穴埋めする姿は当時の「花見酒経済」の縮図とも評されたが、資産売却による延命は倒産を免れさせつつ、業界の構造問題の解決はその後数年に持ち越された。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "3103",
          "name": "ユニチカ",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "1969年にニチボーと日本レイヨンの合併で発足した繊維大手。綿紡・毛紡から合繊まで手がける繊維専業で、大阪・東京に本社を置いていた"
          }
        }
      ],
      "dates": {
        "reported": null,
        "announced": "1975",
        "agreed": null,
        "closed": null,
        "terminated": null
      },
      "breakdown": {
        "reason_type": "external",
        "summary": "繊維の構造的な設備過剰と急激な需要減という外部環境の悪化に対し、拠点・設備・人員を削る減量経営で対応し、巨額の経常赤字は土地・有価証券の売却益で穴埋めした経営判断"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1969,
          "month": 10,
          "title": "ニチボーと日本レイヨンが合併し、新生ユニチカが発足"
        },
        {
          "year": 1972,
          "month": null,
          "title": "積水化学工業出身の小幡謙三氏が再建社長として就任し、体質改善を断行"
        },
        {
          "year": 1973,
          "month": 9,
          "title": "48年9月期に経常利益120億円（換物インフレ下の好業績）"
        },
        {
          "year": 1974,
          "month": 9,
          "title": "49年9月期の経常利益が7億円へ激減、繊維の構造不況が深刻化"
        },
        {
          "year": 1975,
          "month": null,
          "title": "名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、綿紡23%・毛紡38%の設備を縮小（希望退職800人）",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 1975,
          "month": 8,
          "title": "間接部門の375人を出向・配置転換を前提に3ヵ月間一時帰休"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1975年3月期",
        "source": "ユニチカ pl_long（会社年鑑）・単体",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "3103",
            "name": "ユニチカ",
            "fiscal_year": "1975年3月期（単体）",
            "president": "小幡謙三",
            "hq": "大阪府",
            "sales": {
              "num": 2338,
              "unit": "億円"
            },
            "segments": [],
            "operating_profit": {
              "num": null,
              "unit": "億円"
            },
            "ordinary_profit": {
              "num": null,
              "unit": "億円",
              "note": "日経ビジネスは50年3月期（半年）の経常損失187億円と報じる"
            },
            "net_profit": {
              "num": 8,
              "unit": "億円"
            },
            "equity_ratio": null,
            "roe": null,
            "employees": {
              "num": null,
              "unit": "人"
            },
            "avg_salary": null
          }
        ]
      },
      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "合併で生まれた新生ユニチカと繊維の構造不況",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ユニチカの経営不振は、この時に始まったものではない。繊維業界で構造改善が叫ばれたのは記事の10年も前からで、紡績はもちろん合繊でも増設の動きが出るたびに設備調整が話題となり、過剰は慢性化していた。1969年（昭和44年）10月にニチボーと日本レイヨンの合併で発足した新生ユニチカも、こうした設備過剰の調整という背景から生まれた会社であった。しかし合併後も不振は続き、業績はむしろ悪化した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "繊維業界の設備過剰は慢性化しており、1969年10月のニチボー・日本レイヨンの合併による新生ユニチカもその背景から誕生したが、合併後も業績は悪化した",
                      "原文": "昭和44年10月のニチボー、日本レイヨンの合併による新生ユニチカも、そうした背景から誕生したものである。しかし、合併後も不振続きで、業績は逆に悪化した。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "この立て直しのため、1972年（昭和47年）に積水化学工業の会長だった小幡謙三氏が再建社長として乗り込んできた。小幡氏は人事の刷新と決算処理方法の変更で過去の含み損を吐き出させるなど、体質改善を断行した。オーナー色の薄い外部出身の経営者が、合併会社の体質そのものを作り替えようとする再建であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1972年に積水化学工業の会長だった小幡謙三氏が再建社長として就任し、人事刷新・決算処理方法の変更で過去の含み損を処理する体質改善を断行した",
                      "原文": "47年には積水化学工業の会長をしていた小幡謙三現会長が再建社長として乗り込んできた。人事の刷新、決算処理方法の変更で過去のウミを吐き出すなど、体質改善を断行した。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "オイルショック後の乱高下と巨額赤字への転落",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "体質改善が進んでいたところへ、1972〜73年の過剰流動性の発生とオイルショックが続いた。換物インフレの高まりで需要と製品価格が急伸し、48年9月期には経常利益120億円、続く49年3月期も100億円の経常利益を計上して、過去の不振を吹き飛ばす勢いだった。ところが好業績は長続きせず、49年9月期の経常利益はわずか7億円に激減し、50年3月期には187億円の赤字へ転落した。回復したと思った矢先に再び谷底へ突き落とされる、乱高下の激しい局面であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "換物インフレで48年9月期に経常利益120億円、49年3月期も100億円を計上したが、49年9月期は7億円に激減し、50年3月期は187億円の赤字へ転落した",
                      "原文": "48年9月期には経常利益120億円という業績を上げた。続く49年3月期も100億円の経常利益を計上、過去の不振を吹き飛ばす勢いだった。ところがそれも長続きはしなかった。49年9月期の経常利益はわずか7億円に激減し、50年3月期はすでにみたように187億円という赤字に転落。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "この50年3月期の経常損失187億円は、資本金229億円にほぼ匹敵する額の赤字が、わずか半年の事業活動で出たことを意味していた。売上高1116億円に対応するため、売上高経常損失率は16.8%に達し、100円売れば17円ほど損をする状態だった。赤字の背景には、業界の設備過剰という構造改善の問題が未解決のまま残っていたことに加え、東南アジア諸国の対日輸出攻勢が強まり、大幅賃上げで競争力が衰えていたことがあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "50年3月期は半年の事業で経常損失187億円（資本金229億円にほぼ匹敵）、売上高1116億円に対し経常損失率16.8%に達した",
                      "原文": "ユニチカはことしの3月期決算で、187億円の経常損失を出した。資本金229億円にほぼ匹敵する額の赤字が、わずか半年の事業活動で出たわけである。売上高1116億円に対応するものだから、売上高経常損失率は16.8%、つまり100円売れば17円ほど損をするといった状態だった",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "3工場閉鎖と設備・人員の削減",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "大幅赤字に追い込まれた段階で、構造改善への動きがようやく本格化した。ユニチカはこの年の春、名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、綿紡では12万7000錘、毛紡では3万2000錘、比率にしてそれぞれ23%、38%の設備縮小に踏み切った。生産拠点そのものを畳み、主力の紡績設備を大きく落とすという、拡大を前提に増設を重ねてきた経営からの明確な転換であった。同業各社も程度の差はあれ同じ動きをみせており、業界全体が減量へ向かう局面であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1975年春に名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、綿紡12万7000錘（23%）・毛紡3万2000錘（38%）の設備縮小に踏み切った",
                      "原文": "ことしの春には、名古屋・犬山、桐生の3工場を閉鎖、綿紡では12万7000錘、毛紡では3万2000錘というように、それぞれ23%、38%の設備縮小に踏み切った。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "人員面でも削減に踏み込んだ。設備縮小と同時に800人の希望退職者を募り、さらに8月には、大阪・東京の両本社や中央研究所といった間接部門の375人を、出向または配置転換する前提で3ヵ月間一時帰休させる方針を打ち出した。生産現場だけでなく本社機能にまで手を入れる徹底ぶりで、減量経営に本腰を入れる姿勢を示すものであった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "設備縮小と同時に800人の希望退職を募集し、8月には本社・中央研究所など間接部門の375人を出向・配置転換前提で3ヵ月間一時帰休させる方針を打ち出した",
                      "原文": "同時に800人の希望退職者を募集。さらに8月には、大阪、東京の両本社や中央研究所など間接部門の375人を、出向または配置転換する前提で3ヵ月間一時帰休させる方針を打ち出すなど、減量経営に本腰を入れている。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "資産売却で赤字を穴埋めするという選択",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "もう一つの柱は、巨額の赤字を資産売却益で穴埋めするという財務上の選択であった。50年3月期の資産売却益は、固定資産186億円と有価証券63億円の合計249億円に達し、資本金を20億円も上回る規模だった。これによりユニチカは、経常損失では戦後最大の倒産と騒がれた興人と同程度の打撃を受けながらも、純利益として1億900万円をかろうじて計上した。土地・有価証券の含み益という「武器」が、本業の赤字を覆い隠したのである。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "50年3月期の資産売却益は固定資産186億円・有価証券63億円の計249億円に達し、これで赤字を穴埋めして純利益1億900万円を計上した",
                      "原文": "この期の資産売却益は、固定資産186億円、有価証券63億円、合計249億円にも達している。資本金を20億円も上回っている。（略）ユニチカは純利益として1億900万円とわずかながら利益を計上している",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "売却益の中身は、繊維の本業とは距離のある不動産や有価証券だった。固定資産売却益の中心は、京都工場の跡地を住宅公団へ売却した分で、これだけで75億円を占めた。旧東京工場の一部をゴルフ練習場用地として譲渡した分も含まれる。記事は、こうして本業の赤字を土地インフレの含み益で埋め合わせる姿を、付加価値経営の原則を踏みはずした「花見酒経済」の縮図として批判的にとらえていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "固定資産売却益の中心は京都工場跡地を住宅公団へ売却した75億円で、記事はこれを土地インフレ益に依存する「花見酒経済」の縮図と位置づけた",
                      "原文": "50年3月期の土地売却益には京都工場跡地を住宅公団へ売却したものが75億円含まれている。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "売却難と持ち越された構造問題",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "もっとも、資産売却による延命策はまもなく頭打ちの兆しをみせた。9月中間決算では当初意図した土地売却益の計上が難しくなり、この春に閉鎖した名古屋・犬山の両工場は条件次第で売却する考えだったものの、最大の買い手である地方自治体や住宅公団が財政難や事業計画の展開難に陥り、これまでのようには進まなくなっていた。有価証券の売却を進めても100億円の経常損失の穴を埋め切れない状態で、51年3月期の9月中間でもなお100億円前後の経常赤字が見込まれ、昨年10月からの1年間では300億円近い赤字となる計算であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "閉鎖した名古屋・犬山両工場の売却は買い手の財政難で難航し、有価証券売却でも100億円の経常損失を埋め切れず、9月中間でもなお100億円前後の赤字が見込まれた",
                      "原文": "この春に閉鎖した名古屋、犬山の両工場は条件さえよければ売却する考えだが、最大の買い手である地方自治体や住宅公団なども財政難や事業計画の展開難で、これまでのようには行かなくなっている。このため、有価証券の売却を進めているものの、100億円の経常損失の穴を埋め切れない状態だ。",
                      "source": "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "減量経営の第一波を経てもなお、繊維の構造不況は深く尾を引いた。ユニチカの経常損益は、1976年3月期に222億円、1977年3月期に101億円、1978年3月期にも88億円の赤字が続き、黒字へ転じたのは1979年3月期であった。設備過剰の解消だけでなく、東南アジア諸国との競争力や本業の需要回復という問いに答えられなければ不況からの脱出は保証されない、という記事の指摘どおり、構造調整には数年を要した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "経常損益は1976年3月期に222億円、1977年3月期に101億円、1978年3月期に88億円の赤字が続き、黒字転換は1979年3月期であった",
                      "原文": "経常利益 1976/3 -222.73／1977/3 -101.46／1978/3 -88.41／1979/3 +25.13（単体・億円）",
                      "source": "会社年鑑（1986年版）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "拡大の代償を、どこで・何で払うか",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この経営判断の核心は、拡大を前提に増設を重ねてきた繊維専業が、構造不況の直撃を受けて初めて拠点・設備・人員を同時に削る守りへ転じた点にある。名古屋・犬山・桐生の3工場閉鎖と綿紡・毛紡の設備縮小、希望退職と本社間接部門の一時帰休は、いずれも痛みを伴う削減であり、合併後も先送りされてきた設備過剰の調整に正面から踏み込む減量経営の第一波であった。積水化学から迎えた小幡氏の体質改善路線が、好況期の含み損処理から一転して事業規模そのものの圧縮へと及んだ局面とみることができる。"
                },
                {
                  "text": "一方で、この判断のもう一つの顔は、本業の巨額赤字を土地・有価証券の売却益で覆い隠したことにある。249億円の資産売却益は倒産を免れさせ、販売用不動産を抱えて致命傷を負った興人との明暗を分けたが、それは構造問題そのものの解決ではなく、含み益という一時的な武器による延命でもあった。実際に経常赤字はその後も数年続き、黒字転換は1979年3月期まで待つことになる。規模を追った拡大の代償を、どこで、何によって払うのか——この決断は、拠点の削減という実物の痛みと、土地インフレ益への依存という当時の日本企業に共通する体質の両面を、繊維不況の縮図として映し出した点で示唆に富む。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1975年9月29日号「ユニチカ 限界にきた“花見酒経済”の縮図」（日経マグロウヒル社）",
        "会社年鑑（1986年版）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-04"
    },
    {
      "slug": "fiber-exit-2024",
      "url": "/tse/3103/decisions/fiber-exit-2024/",
      "year": 2024,
      "month": 11,
      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "3103",
      "decision_id": "3103-fiber-exit-2024",
      "type": "divestiture",
      "tags": [
        "pf-exit",
        "tr-turnaround",
        "gv-succession"
      ],
      "title": "祖業・繊維事業からの全面撤退と870億円の金融支援要請、経営陣総退陣",
      "subtitle": "半世紀続いた縮小と延命の果てに、上埜修司社長はなぜ祖業を手放し自ら退く道を選んだか",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": null,
      "ratio": null,
      "issue": "祖業・繊維事業の存廃と経営責任",
      "decider": [
        {
          "name": "上埜修司",
          "role": "ユニチカ 社長（退陣表明時）",
          "path": "fy18-ueno-shuji"
        },
        {
          "name": "藤井実",
          "role": "ユニチカ 社長（再建担当）",
          "path": "fy24-fujii-minoru"
        }
      ],
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "2024年11月28日、ユニチカが祖業である繊維事業からの全面撤退と870億円規模の金融支援要請を発表し、上埜修司社長ら社内取締役全員が退陣する考えを示した経営判断。1889年創業以来135年余り続いた繊維事業の歴史に区切りをつけ、地域経済活性化支援機構（REVIC）の支援下でPETフィルムなど高分子事業を中核とする体制へ再編する契機となった。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1969年の合併以来、繊維事業は慢性的な設備過剰と構造不況を抱え、1975年の工場閉鎖、2014年の375億円の金融支援を経てもなお赤字体質から抜け出せず、2024年3月期には上場来初となる営業赤字に転落した。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "衣料繊維・不織布・産業繊維の一部（全社売上高の4割強）からの撤退と、REVIC・取引銀行・メインバンクによる総額870億円の金融支援要請、資本金1億円への減資、社内取締役全員の退陣を同時に発表した。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "撤退表明は延命策の限界を認める決断であり、2025年にはREVICの過半出資と藤井実新社長体制が発足、セーレンやシキボウへの事業譲渡が進んだ。半世紀にわたる段階的縮小が、ここでひとつの区切りを迎えた。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "3103",
          "name": "ユニチカ",
          "role": "当事者",
          "at_deal": {
            "note": "1969年にニチボーと日本レイヨンの合併で発足した繊維・高分子素材メーカー。祖業の繊維事業（衣料・不織布・産業資材）と、PETフィルムやガラス繊維などの高分子事業をあわせ持っていた"
          }
        }
      ],
      "dates": {
        "reported": null,
        "announced": "2024-11",
        "agreed": null,
        "closed": null,
        "terminated": null
      },
      "breakdown": {
        "reason_type": "financial",
        "summary": "1969年の合併以来続いた繊維事業の慢性的な赤字体質が2014年の金融支援でも解消されず、2024年3月期に上場来初の営業赤字へ転落したことを受け、祖業からの全面撤退と870億円規模の金融支援要請、経営陣の総退陣に踏み切った経営判断"
      },
      "timeline": [
        {
          "year": 1969,
          "month": 10,
          "title": "ニチボーと日本レイヨンの合併でユニチカが発足"
        },
        {
          "year": 1975,
          "month": null,
          "title": "繊維構造不況下で名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖する減量経営に着手"
        },
        {
          "year": 2014,
          "month": 5,
          "title": "連結最終赤字370億円の見通しを受け主要取引銀行に金融支援を要請、375億円を調達"
        },
        {
          "year": 2024,
          "month": 11,
          "title": "繊維事業からの全面撤退と870億円の金融支援要請、社内取締役全員退陣を発表",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 2025,
          "month": 2,
          "title": "REVICからの出資決定が正式通知され、議決権の過半をREVICが握る新体制へ移行"
        },
        {
          "year": 2025,
          "month": 4,
          "title": "上埜修司社長が退任、藤井実氏が社長に就任"
        },
        {
          "year": 2026,
          "month": 1,
          "title": "岡崎事業所の繊維事業をセーレンへ譲渡し「NBセーレン」として始動"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "2025年3月期",
        "source": "ユニチカ 有価証券報告書（2025年3月期・連結）",
        "companies": [
          {
            "stock_code": "3103",
            "name": "ユニチカ",
            "fiscal_year": "2025年3月期（連結）",
            "president": "上埜修司",
            "hq": "大阪府",
            "sales": {
              "num": 1264,
              "unit": "億円"
            },
            "segments": [],
            "operating_profit": {
              "num": 59,
              "unit": "億円"
            },
            "ordinary_profit": {
              "num": 47,
              "unit": "億円"
            },
            "net_profit": {
              "num": -242,
              "unit": "億円",
              "note": "繊維事業の構造改革に伴う損失計上により親会社株主に帰属する当期純損失となった"
            },
            "equity_ratio": null,
            "roe": null,
            "employees": {
              "num": null,
              "unit": "人"
            },
            "avg_salary": null
          }
        ]
      },
      "report": [
        {
          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "祖業135年と繰り返された延命",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "ユニチカの祖業である繊維事業は、1889年創業の尼崎紡績に始まり、135年余りにわたって同社の中核をなしてきた。1969年にニチボーと日本レイヨンが合併して発足した新生ユニチカも、繊維業界の慢性的な設備過剰という構造問題を背景に生まれた会社であった。合併から6年後の1975年には、繊維構造不況による巨額赤字を受けて名古屋・犬山・桐生の3工場を閉鎖し、資産売却益で穴埋めする減量経営に踏み切っている。2024年の全面撤退は、この半世紀余り続いた縮小と延命の反復が行き着いた先であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ユニチカの繊維事業は1889年創業の尼崎紡績に始まり、135年余りにわたって同社の祖業であった",
                      "原文": "ユニチカが繊維事業から撤退し、135年に及ぶ祖業の歴史に幕を閉じる。かつて隆盛を誇った日本の繊維産業は、今世紀に入ると安価な輸入品の増加や人口減に伴う市場の縮小で競争力が下がった。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカが祖業・繊維に幕『東洋の魔女』輩出、名門の盛衰」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF279OU0X21C24A1000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "もっとも、繊維事業の慢性赤字が表面化したのはこの時が初めてではなかった。2014年5月26日、ユニチカは繊維事業の不振により2015年3月期に連結最終赤字370億円、債務超過約160億円に陥る見通しとなり、三菱東京UFJ銀行など主要取引銀行に第三者割当増資の引き受けを含む金融支援を要請した。日本政策投資銀行系ファンドを含めて総額375億円を調達し、佐賀工場の閉鎖などの構造改革を進めたが、繊維事業の収益体質そのものは変わらなかった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2014年5月26日、ユニチカは連結最終赤字370億円・債務超過約160億円の見通しを受け主要取引銀行に金融支援を要請し、375億円を調達した",
                      "原文": "ユニチカは26日、三菱東京UFJ銀行など主要取引銀行に対し、第三者割当増資の引き受けなど金融支援を要請したと発表した。同社は繊維事業の不振などで2015年3月期に連結ベースで370億円の最終赤字に転落、約160億円の債務超過に陥る見通しとなったためだ。",
                      "source": "日本経済新聞（2014年5月26日）「ユニチカ、主要取引銀行に金融支援要請」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXNASHD2601X_W4A520C1000000/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "2023年度の営業赤字転落という契機",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この10年で最初にほころびが表面化したのは、2024年3月期であった。ユニチカは同期の連結決算で売上高1183億円に対し営業損失25億円、経常損失10億円を計上し、上場来初めてとなる営業赤字に転落した。2023年度の業績悪化を受け、同社は2023年11月の中間決算発表の時点で通期赤字が確定的となり、金融支援や事業再編を含む対応策の検討に入っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ユニチカは2024年3月期の連結決算で売上高1183億円、営業損失25億円、経常損失10億円を計上し、上場来初の営業赤字となった",
                      "原文": "売上高1183億円、営業利益△25億円、経常利益△10億円、親会社株主に帰属する当期純利益△54億円（2024年3月期・連結）。",
                      "source": "ユニチカ 有価証券報告書（2024年3月期・連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "当時社長を務めていた上埜修司氏は、繊維事業の立て直しに取り組みながらも、2024年1月のインタビューで「特徴ある製品を伸ばし回復へ」と語り、汎用品からの脱却を模索していた。しかし価格転嫁が追いつかない衣料繊維や、採算の悪化した不織布・産業繊維の重荷は大きく、上埜氏の在任中に繊維事業単独での再建策は限界に近づいていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "上埜修司社長は2024年1月のインタビューで「特徴ある製品を伸ばし回復へ」と述べ、繊維事業の建て直しを模索していた",
                      "原文": "《トップインタビュー2024》ユニチカ社長 上埜修司氏 特徴ある製品を伸ばし回復へ",
                      "source": "繊研新聞（2024年1月17日）「《トップインタビュー2024》ユニチカ社長 上埜修司氏 特徴ある製品を伸ばし回復へ」",
                      "url": "https://senken.co.jp/posts/unitika-240117"
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "全社売上高4割の繊維事業からの撤退表明",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2024年11月28日、ユニチカは記者会見を開き、祖業である繊維事業から全面的に撤退すると発表した。対象は、子会社ユニチカトレーディングが手がける衣料繊維、不織布事業、中空糸膜などを除く産業繊維事業で、いずれも全社売上高の4割強を占めていた。国内では岡崎事業所（愛知県）の合繊工場やユニチカテキスタイル（岡山県）、ユニチカスピニング（長崎県）、大阪染工（大阪府）が、海外ではインドネシア・タイの現地法人が対象となり、譲渡先選定を含む事業再編が動き出した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2024年11月28日発表の撤退対象は衣料繊維・不織布事業・産業繊維事業の一部で、全社売上高の4割強にあたり、岡崎事業所など国内外の拠点が含まれた",
                      "原文": "売却対象は全社売上高の4割強で、ユニチカトレーディングが手掛ける衣料繊維、不織布事業、中空糸膜などを除く産業繊維事業。岡崎事業所（愛知県）の合繊工場、ユニチカテキスタイル（岡山県）、ユニチカスピニング（長崎県）、大阪染工（大阪府）、海外拠点のユニテックス（インドネシア）、タスコ（タイ）などが含まれる。",
                      "source": "繊研新聞（2024年11月28日）「ユニチカが繊維事業の売却方針を決定 全社売上高の4割強が対象」",
                      "url": "https://senken.co.jp/posts/unitika-241128"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "同時に示されたのが、870億円規模の金融支援要請であった。内訳は、官民ファンドの地域経済活性化支援機構（REVIC）による第三者割当増資と融資枠の設定で約350億円、取引銀行への債権放棄要請で約430億円、メインバンクの三菱UFJ銀行による融資枠設定で90億円である。あわせて資本金を1億円へ減資し、税負担の軽減も図ることとした。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "870億円の金融支援の内訳はREVIC約350億円、取引銀行への債権放棄要請約430億円、三菱UFJ銀行の融資枠90億円で、資本金は1億円へ減資する",
                      "原文": "官民ファンド（REVIC）から約350億円、取引銀行に約430億円の債権放棄を要請し、メインバンクの三菱UFJ銀行からは90億円の融資枠設定を受ける方向。資本金を1億円に減資し税負担を軽減する予定。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカ、繊維撤退で870億円の金融支援要請 上埜修司社長ら辞任へ」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF283PO0Y4A121C2000000/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "経営責任としての退陣表明",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "経営責任の取り方についても、同じ会見で方針が示された。上埜修司社長は、金融機関との交渉が成立してREVICからの出資などの支援体制が整った段階で、社内取締役全員が退陣する考えを明らかにした。想定される時期は2025年4月下旬ごろとされ、支援の実現を条件に自ら身を引く形が取られた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "上埜修司社長は、金融支援体制が整い次第、社内取締役全員が2025年4月下旬をめどに退陣する考えを示した",
                      "原文": "金融機関との交渉が成立し、REVICからの出資などが整ったら、社内取締役は全員退陣する。見込みとしては25年4月下旬ごろになる。",
                      "source": "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカ、繊維撤退で870億円の金融支援要請 上埜修司社長ら辞任へ」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF283PO0Y4A121C2000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "上埜修司社長は会見で「今回、ユニチカグループが存続するための最後のチャンスをいただいた」と述べ、金融機関や株主、取引先への負担を詫びたうえで、生き残りをかけて事業再生計画を遂行する考えを強調した。自らの退任については「退陣イコール経営責任を取った形とはならない」とも語り、事業譲渡が完了し2025年度のアクションプランを策定するまでは、経営の当事者として責任を果たす考えを示した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "上埜修司社長は「最後のチャンスをいただいた」と述べ、退陣は経営責任を取った形にはならないとして事業再生計画の遂行に責任を持つ考えを示した",
                      "原文": "今回、ユニチカグループが存続するための最後のチャンスをいただいた。生き残りをかけて事業再生計画を遂行する。／退陣イコール経営責任を取った形とはならない。",
                      "source": "繊研新聞（2024年11月29日）「ユニチカ 繊維事業売却で『最後のチャンスもらった』上埜社長」",
                      "url": "https://senken.co.jp/posts/unitika-241129"
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "REVICの支援決定と藤井実新体制",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2025年2月7日、ユニチカは大阪市内で臨時株主総会を開き、REVICからの支援を柱とする再建策と新経営陣の人事案を可決した。同月13日にはREVICから正式な出資決定の通知を受け、第三者割当増資によってREVICが議決権の過半を握る新たな資本構成へ移行することが決まった。取引金融機関も債権放棄に応じる方向で足並みをそろえた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2025年2月13日、REVICの出資決定が正式に通知され、第三者割当増資によりREVICが議決権の過半を握る体制が固まった",
                      "原文": "ユニチカは13日、官民ファンドの地域経済活性化支援機構（REVIC）からの出資が正式に決定したと発表した。第三者割当増資によりREVICが議決権の過半を握り、祖業の繊維事業からの撤退を中心とするユニチカの経営再建を支援する。",
                      "source": "日本経済新聞（2025年2月13日）「ユニチカ、官民ファンドからの過半出資が決定」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF137900T10C25A2000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "経営責任を取って上埜修司社長が退く一方、後任には1987年入社の生え抜きで技術畑を歩んできた藤井実上席執行役員（当時63歳）を充てる人事が固まった。藤井氏は2月7日の臨時株主総会で取締役に選任され、4月30日付でユニチカの社長に就任した。以後、藤井氏は繊維事業の譲渡交渉を陣頭指揮する立場となった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "ユニチカは上埜修司社長の後任に藤井実上席執行役員（63歳）を充てる人事を発表し、藤井氏は2025年4月30日付で社長に就任した",
                      "原文": "ユニチカは14日、経営不振の責任を取って辞任する上埜修司社長（67）の後任に藤井実上席執行役員（63）が就く人事を発表した。",
                      "source": "日本経済新聞（2025年1月14日）「ユニチカ社長に藤井実氏 繊維撤退、再建担う」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF109QA0Q5A110C2000000/"
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "雇用維持を掲げた事業譲渡とセーレン側の証言",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "藤井実社長は就任後、繊維事業の譲渡交渉にあたって「従業員の雇用を維持してくれるかどうかを最優先に複数企業と交渉している」との方針を掲げた。2025年9月2日、ユニチカは岡崎事業所（愛知県岡崎市）を中心とするポリエステル関連事業をセーレンへ譲渡すると発表し、譲渡価額は78億円、2026年1月1日付での事業開始が決まった。譲渡先の新会社は「NBセーレン」と名付けられ、従業員の雇用は引き続き維持される見通しとなった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "藤井実社長は雇用維持を最優先に譲渡先と交渉し、2025年9月2日にはユニチカが岡崎事業所の繊維事業をセーレンへ譲渡価額78億円で譲渡し2026年1月1日付で事業を開始すると発表した",
                      "原文": "経営再建中のユニチカの藤井実社長は20日、日本経済新聞のインタビューに応じ、繊維事業の売却について「従業員の雇用を維持してくれるかどうかを最優先に複数企業と交渉している」と述べた。／ユニチカは2日、総合繊維事業を手掛けるセーレンへの繊維事業の譲渡価額が78億円になると発表した。",
                      "source": "日本経済新聞（2025年5月20日）「ユニチカ、繊維事業譲渡で『従業員の雇用維持を最優先』藤井実社長」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF209TE0Q5A520C2000000/"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "買収した側の証言も残る。セーレンの川田達男会長は、週刊東洋経済2026年3月28日号のインタビューで、ユニチカを支援する金融機関から「セーレンに何とかしてほしい」と強い要請があったことを明かし、赤字体質の工場であっても岡崎の立地と約500人の従業員という人材に価値を見いだしたと語った。毎年10億円以上の赤字を出していた工場について、川田氏は次期の2027年3月期には黒字転換できるとの見通しを示す一方、シキボウやカワボウへも衣料・不織布事業の一部譲渡が並行して進み、繊維事業の解体は2025年を通じて進行した。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "セーレンの川田達男会長は、ユニチカを支援する金融機関からの強い要請を受けて岡崎事業所を買収し、立地と人材に価値を見いだして次期の黒字転換を見込んでいると語った",
                      "原文": "ただ、ユニチカを支援している金融機関から「セーレンに何とかしてほしい」と強い要請があった。毎年１０億円以上の赤字を垂れ流す工場を買ってもどうしようもない。（略）きちんと手を打てば、次の２７年３月期で黒字にできる。",
                      "source": "週刊東洋経済 2026年3月28日号「トップに直撃 セーレン 会長 川田 達男『ユニチカから買ったのは人 半導体、宇宙分野に転換』」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "半世紀の延命の果てに",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この決断の核心は、1969年の合併以来半世紀余り続いた「資産処分と設備縮小で赤字を穴埋めし、事業構造そのものは温存する」という対応の限界を、ユニチカ自身が認めた点にある。1975年の3工場閉鎖も、2014年の375億円の金融支援も、赤字幅を圧縮する対症療法にとどまり、繊維事業への依存構造は残り続けた。2024年3月期の上場来初の営業赤字は、その反復がついに限界に達したことを映す数字であったとみることができる。祖業を丸ごと手放すという選択には、延命ではなく再生を選ぶという、これまでとは異なる判断の重さがうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、この決断が示すのは、事業の再生と会社の来歴が必ずしも同じ主体によって完結するとは限らないという現実でもある。祖業からの撤退と経営陣の総退陣は、上埜修司氏の手で決められたが、その後の再建は藤井実氏という後任と、REVICという外部資本、そしてセーレンの川田達男会長という買い手の手に委ねられた。135年続いた繊維事業の記憶は、ユニチカという会社籍を離れてなお、買い手のもとで問われ続けているといえる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカが祖業・繊維に幕『東洋の魔女』輩出、名門の盛衰」",
        "日本経済新聞（2014年5月26日）「ユニチカ、主要取引銀行に金融支援要請」",
        "日本経済新聞（2024年11月28日）「ユニチカ、繊維撤退で870億円の金融支援要請 上埜修司社長ら辞任へ」",
        "日本経済新聞（2025年2月13日）「ユニチカ、官民ファンドからの過半出資が決定」",
        "日本経済新聞（2025年1月14日）「ユニチカ社長に藤井実氏 繊維撤退、再建担う」",
        "日本経済新聞（2025年5月20日）「ユニチカ、繊維事業譲渡で『従業員の雇用維持を最優先』藤井実社長」",
        "繊研新聞（2024年11月28日）「ユニチカが繊維事業の売却方針を決定 全社売上高の4割強が対象」",
        "繊研新聞（2024年11月29日）「ユニチカ 繊維事業売却で『最後のチャンスもらった』上埜社長」",
        "繊研新聞（2024年1月17日）「《トップインタビュー2024》ユニチカ社長 上埜修司氏 特徴ある製品を伸ばし回復へ」",
        "週刊東洋経済 2026年3月28日号「トップに直撃 セーレン 会長 川田 達男『ユニチカから買ったのは人 半導体、宇宙分野に転換』」",
        "ユニチカ 有価証券報告書（2024年3月期・連結）",
        "ユニチカ 有価証券報告書（2025年3月期・連結）"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-15"
    }
  ]
}
