{
  "spec_version": "3",
  "endpoint": "workforce",
  "stock_code": "3102",
  "company_name": "鐘紡",
  "content_lang": "ja",
  "meta_lang": "en",
  "canonical_url": "https://the-shashi.com/tse/3102/workforce/",
  "api_url": "/api/3102/workforce.json",
  "updated": "2026-09-05",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/3102/workforce/",
  "source": {
    "primary": [
      "有価証券報告書（従業員の状況）"
    ],
    "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出",
    "caveat": "平均年間給与・平均年齢は提出会社（単体）ベース。従業員数は連結/単体を列で区別している"
  },
  "employee": [
    {
      "FY": "FY05",
      "period": "2006/3",
      "consolidated_employees": 1820,
      "non_consolidated_employees": 817,
      "avg_salary": 5051
    },
    {
      "FY": "FY06",
      "period": "2007/3",
      "consolidated_employees": 48,
      "non_consolidated_employees": 18,
      "avg_salary": 6754
    }
  ],
  "workforce": {
    "headcount_salary": [],
    "organization": [],
    "peer_comparison": [],
    "restructuring": {
      "intro": [
        "鐘紡の人員削減は、繊維工場を一つずつ閉じる工程として始まり、最後は会社そのものを事業ごとに切り分ける工程になった。国内工場の閉鎖は1970年の5工場をはじめ1975年・1982年・1992年と断続的に続き、1993年4月には綿事業の紡績2工場と織布1工場の休止で紡績設備を19万4000錘から8万8000錘へ落とした。1998年4月に社長へ就いた帆足隆氏は2400人の人員削減を掲げたが、繰延税金資産による自己資本のかさ上げは温存され、2003年9月の約630億円の連結債務超過で自力再建の道は断たれた。2004年3月の産業再生機構入り以後は事業単位の切り売りが進み、20種に及ぶ事業に買い手がついて700人を超える社員が売却先企業へ転籍し、2007年2月の株主総会で解散が決議された。",
        "発表された削減計画と、有価証券報告書の連結従業員数が実際にどう動いたかを並べた。この社の連結従業員数は2006年3月期と2007年3月期の2期しか残っておらず、それ以前に実施された施策には実績を付していない。2006年3月期の姿はすでに化粧品事業と繊維事業を手放したあとのもので、翌2007年3月期にかけての減少は雇用が失われたのではなく、中核3事業が営業譲渡によって連結の範囲の外へ出たことによるものである。"
      ],
      "events": [
        {
          "date": "1975",
          "title": "6工場の閉鎖と天然繊維事業の縮小",
          "plan": "6工場を閉鎖し天然繊維事業を縮小",
          "body": "1973年の第1次石油ショックで合繊が過剰生産に陥り、繊維業界が長期不況にとった手立ては不況カルテルによる生産調整にとどまった。鐘紡は1975年に雇用を優先する賃金凍結を労使で合意してゼンセン同盟から除名され、同じ年に工場閉鎖と天然繊維事業の縮小へ踏み切った。1975年4月期には無配へ転落し、以後5期連続で経常赤字を計上している。繊維工場の閉鎖は1970年に5工場、1982年に2工場、1992年に4工場と断続的にとどまり、不採算部門を抱えたまま非繊維へ資源を回した。",
          "link": "greater-kanebo-pentagon-1961",
          "source": "日経ビジネス 1999年9月27日号「ケーススタディー 鐘紡 創業112年目の大改革」",
          "actual": null
        },
        {
          "date": "1993-04",
          "title": "綿事業の紡績2工場・織布1工場の休止",
          "plan": "綿事業の紡績2工場と織布1工場を休止し、紡績設備を19万4000錘から8万8000錘へ",
          "body": "1993年3月期の単体売上高は前期比2.8%減の5101億円、経常利益は48%減の45億円にとどまり、連結では約100億円の最終損失を計上した。直接の原因は綿糸相場の急落で、指標商品のカード40糸1コリは3年前の10万円から1993年3月に5万8000円まで下がり、国内メーカーの採算ラインとされる約9万円を割り込んでいた。祖業の綿紡は戦前に130万錘を誇りながら、この休止で10万錘をも割り込む。羊毛では紡績1工場を分社化して1工場の設備を休止し、食品では飲料・菓子・冷菓を切り離した。",
          "link": null,
          "source": "日経ビジネス 1993年6月21日号「挫折の軌跡 八木幸一氏［鐘紡副社長］ 綿事業縮小は時代の流れ 浮沈かけ最後のリストラ」",
          "actual": null
        },
        {
          "date": "1998-04",
          "title": "帆足体制の中期計画と2400人の人員削減",
          "plan": "連結債務超過233億円の解消、借入金530億円の圧縮、2400人の人員削減",
          "body": "1998年4月に社長へ就いた帆足隆氏は、松山商科大学を出てカネボウ化粧品大阪販売に入社した営業畑の人物で、慶応大学卒・繊維事業・管理部門という従来の社長就任の条件をいずれも満たしていなかった。同年5月からはグループを含むカネボウ労組の組合員1万5000人の基本給を3年間10%カットしており、組合員の給与カットは創業以来はじめてだった。帆足氏は数字を操作して管理することを鐘紡の悪癖の一つと自ら認めたが、繰延税金資産による自己資本のかさ上げは帆足体制の下でも温存された。",
          "link": "kanebo-accounting-fraud-ircj-2004",
          "source": "週刊東洋経済 1998年8月29日号「編集長インタビュー 帆足隆・鐘紡社長 大企業病の払拭こそ改革の一歩」",
          "actual": null
        },
        {
          "date": "1999-03",
          "title": "医療用新薬事業の日本オルガノンへの営業譲渡",
          "plan": "600人の人員と春日部工場、薬品総合研究開発センターの大半を日本オルガノンへ譲渡",
          "body": "帆足体制下の事業整理の一つで、同じ1999年11月には化成品事業をアイオンへ、2000年3月には情報システム事業を合弁事業化してキスコソリューションへ移している。1999年3月期の連結経常損益は105億9800万円の黒字まで回復し、連結債務超過額は233億円から214億円へ縮んだ。ここでの人員の移動は雇用が失われたものではなく、事業とともに会社の外へ出たものである。",
          "link": null,
          "source": "日経ビジネス 1999年9月27日号「ケーススタディー 鐘紡 創業112年目の大改革」",
          "actual": null
        },
        {
          "date": "2004-06",
          "title": "産業再生機構の事業再生計画と事業単位の切り売り",
          "plan": "化粧品事業の売却を前提に、非中核事業を個別に売却または清算",
          "body": "2004年3月10日、産業再生機構はカネボウグループ全体への支援を決定した。化粧品事業を3800億円と査定し、それ以外の資産価値を精査しないままの決定で、2004年3月期の連結決算で1700億円の債務超過に陥ることが避けられず、帆足氏ら取締役8人が辞任して生え抜きの中堅幹部社員だった中嶋章義氏が社長へ起用された。同年6月に決まった事業再生計画は、企業体を一つの会社として立て直すのではなく、事業ごとに売却して弁済原資を確保する方式を基本に据えた。20種に及ぶ事業に数千万〜数億円の価格がつき、清算に至ったのは飲料などごく一部にとどまり、700人を超える社員が売却先企業へ転籍している。",
          "link": "kanebo-breakup-dissolution-2007",
          "source": "産業再生機構 事業再生計画",
          "actual": null
        },
        {
          "date": "2005-12",
          "title": "化粧品事業の花王への譲渡",
          "plan": "化粧品事業を約4100億円で花王へ譲渡",
          "body": "分社化されたカネボウ化粧品は過剰在庫の一掃とブランドの絞り込みで収益力を回復し、2005年12月に花王への譲渡が決まった。花王の尾崎元規社長は24期続いた連続経常増益記録が途切れることを認めたうえで、連続記録よりも将来の成長を優先すると述べている。繊維事業も同じ時期に切り離され、長浜工場は約200人の全従業員とともに福井県のセーレンへ渡ってKBセーレンとなった。連結従業員数を遡れるのはこれらの譲渡が済んだ2006年3月期からで、この行に実績は付かない。",
          "link": "kanebo-breakup-dissolution-2007",
          "source": "週刊東洋経済 2006年2月4日号「［Key Person］花王代表取締役社長執行役員 尾崎元規氏 カネボウ化粧品買収後の将来像 連続増益記録が途切れても将来の成長を優先します」",
          "actual": null
        },
        {
          "date": "2006-05",
          "title": "中核3事業の投資ファンド連合への譲渡",
          "plan": "ホームプロダクツ・薬品・食品の中核3事業を総額434億円で譲渡",
          "body": "2006年3月にトリニティ・インベストメントによるTOBが成立し、投資ファンド連合が本体の支配権を握った直後の譲渡で、本体に残されていた最後の事業が手を離れた。譲渡代金434億円のうち9割超に当たる425億円はカネボウ本体に入金されず親会社への貸付金として処理され、本体は2008年3月末に従業員3名の会社になる計画が示された。この期の従業員数の減少は雇用が失われたのではなく、事業が営業譲渡によって連結の範囲の外へ出たことによるものである。翌2007年2月の株主総会で解散が決議され、商号は海岸ベルマネジメントへ改められた。",
          "link": "kanebo-breakup-dissolution-2007",
          "source": "週刊東洋経済 2006年7月15日号「主力3事業はファンドが独り占め 残ったのは『抜け殻会社』カネボウ個人株主の悲劇」",
          "actual": {
            "from": "2006/3",
            "to": "2007/3",
            "basis": "consolidated"
          }
        }
      ]
    }
  }
}
