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  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/2897/executives/ceo/ando-momofuku/",
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      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
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    "name": "安藤百福",
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    "birthdate": "1910-03-05",
    "origin": "創業者（1948年に中交総社を設立）。1958年にチキンラーメンを開発し、休眠していたサンシー殖産の商号を日清食品に改めた",
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          "text": "1910年3月5日に台湾で生まれ、22歳で日本内地からメリヤス製品を移入して売る事業を興した。戦後は大阪府泉大津市で製塩などを手がけ、1948年9月に資本金500万円の中交総社を設立した。同じ年に病人用の栄養食を開発する国民栄養科学研究所も発足させている。のちに理事長を務めた信用組合が倒産し、負債を整理した後に残った資産は大阪府池田市の自宅だけであった。"
        },
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          ],
          "text": "日本企業要覧は、1948年の入社と1960年12月の取締役社長就任を記している。1963年10月の東証・大証第二部への上場時も社長で、専務には長男の安藤宏寿氏が就任していた。1981年6月に安藤宏寿氏へ社長の席を渡して代表権のある会長に就任したが、1983年8月に安藤宏寿氏が辞任し、会長のまま社長を兼ねた。1985年に二男の安藤宏基氏が社長に就任した。"
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          ],
          "text": "1958年8月に油熱乾燥法による即席袋めんのチキンラーメンを開発し、1959年12月に大阪府高槻市の工場を完成させた。同業の参入で乱売と粗悪品が広がると、製法特許を公開し、1959年に日本即席ラーメン協会を設けて理事長を務めた。袋めんは箸と鍋を要するため箸を使わない国に広まりにくいとして容器入りの商品を探り、1971年9月にカップヌードルを発売した。1980年3月に年間売上高1,000億円に達した。"
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              "slug": "chicken-ramen-patent-1962",
              "anchor": "特許を公開"
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              "slug": "cupnoodle-launch-1971",
              "anchor": "カップヌードル"
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          ],
          "text": "安藤百福氏の脳裏には、戦後の大阪・梅田の駅裏で、寒い夜にラーメンの屋台へ並ぶ人々の長い列が残っていた。当時は厚生省が粉食奨励を進めていたものの、勧められるのはパンばかりで、学校給食もパンが主であった。安藤百福氏は担当者に、めん類も奨励の対象に加えるべきだと持ちかけている。1948年に発足させた国民栄養科学研究所のスタッフにめんの工場生産を託したが、このときは開発が進まなかった。\n開発に先立ち、会社は用意されていた。1948年9月に泉大津市で資本金500万円の中交総社を設立し、1949年9月にサンシー殖産へ改称して本店を大阪市北区へ移した。加工食品の輸出入を営んだこの会社は、やがて休眠した。開発を本格化させたのは、理事長を務めた信用組合が倒産し、池田市の自宅だけが残った後である。裏庭に建てた小屋に、古道具屋で集めた器具と中古の製めん機を持ち込み、味・保存性・調理の手軽さ・適正な価格・安全の5つを目標に置いた。約1年の試作を経て1958年8月に油熱乾燥法のチキンラーメンを開発し、同年12月に商号を日清食品へ改めた。\n1袋35円の値はうどん1玉6円と比べられ、問屋は扱いを渋った。安藤百福氏は袋に発売元として三菱商事の名を刷り、取引を現金で通した。販売と原材料の仕入は大半を三菱商事・東食・伊藤忠商事に委ね、直売はほとんど持たなかった。1959年12月に高槻市の工場を完成させて本店も移し、資本金は1960年3月の2,000万円から1961年6月の1億5,000万円まで4度にわたり増やした。研究所を高槻工場に置き、所長は安藤百福氏が兼ねた。\n最初の転機は特許の扱いである。装置が簡単なため参入が相次ぎ、乱売と粗悪品が出回ると、同業の要望を受けて特許を公開し、1959年に日本即席ラーメン協会を設けた。1961年に130社あったメーカーは1962年末に約50社へ減少し、特許を争った大和通商とも和解した。1963年10月に東京・大阪両証券取引所の市場第二部へ上場し、上場直前の発行済300万株のうち158万600株を安藤百福氏が持っていた。\n二つ目の転機はカップヌードルである。1966年6月にアメリカ、7月にヨーロッパを回り、西洋人がどんぶりと箸で食べないという事実を持ち帰った。即席めんが箸と鍋を必要とする限り海外では広がらないと考え、2年近い市場調査に2万人のモニターを集めたが、結果は総じて悲観的だった。それでも1971年9月にカップめんを発売し、翌10月に茨城県に専用の関東工場を完成させた。袋めんが伸びを欠き始めた段階で、容器ごと売る商品へ主力を移す判断だったと思われる。"
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    "references": [
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        "source": "日本企業要覧 1973年版",
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      {
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      {
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