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          "origin"
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        "source": "カゴメ八十年史 トマトと共に（カゴメ, 1978）第三章第一節 企業基盤の整備期",
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        "source": "カゴメ八十年史 トマトと共に（カゴメ, 1978）第三章第六節 合理化・近代化推進期",
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          "text": "1875年、愛知県知多郡名和村で農業を営む佐野武八氏の長男として生まれた。名和学校に入ったものの、生家の暮らし向きが次第に苦しくなり、2年余りで学業を離れた。1893年1月、隣村の荒尾村で田畑約1町3反を耕す蟹江甚之助氏の家に婿養子として入った。名古屋の歩兵第6連隊で兵役に服した折、上官から米麦に依存する農業を改め、西洋野菜のような将来性のある作物で土地の生産性を高めよと説かれた。"
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          "text": "1923年4月、合資会社で営んできた事業をさらに伸ばすため株式会社に改組し、社名を愛知トマト製造株式会社とした。公称資本金は50万円で、設立と同時に4分の1の12万5千円が払い込まれた。当初の株主55名は、同族を除くと大半が愛知トマト製造と原料トマトの栽培契約を結ぶ近隣の農家だった。創立総会は上野村の聚楽園で開かれ、取締役の互選で蟹江一太郎氏が取締役社長に選ばれた。"
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          "text": "社長に就任した1923年の9月、関東大震災で東京に着いた製品と京浜の得意先への売掛金を失い、貸倒れと損失は同年度の売上高の9.2%に及んだ。1933年8月にはトマトジュースを発売した。1957年9月には82歳で取締役営業部長の蟹江光春氏と小坂井工場長の杉浦磐氏を伴って渡米し、36日間かけて米国のトマト農場と加工場の実情を見て回った。1962年7月、米寿の年に社長の座を養嗣子で副社長の蟹江一忠氏に譲り、自らは会長に就任した。"
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          "text": "1899年の春、24歳の蟹江一太郎氏は養父の蟹江甚之助氏の同意を得て、荒尾村の畑の一隅でトマト、キャベツ、レタス、タマネギなどの西洋野菜の栽培に取りかかった。種子や苗の入手先も分からず、蟹江甚之助氏の知人のつてで名古屋の愛知県農事試験場に勤める佐藤杉右衛門氏を訪ね、栽培の知識と最初の種子を得た。蟹江甚之助氏が長く手がけてきた養蚕は、このころ思うような収益を上げられなくなっていた。\nキャベツやタマネギは西洋料理店や輸出向けの青物問屋が少しずつ買い手となったが、トマトだけは匂いや味が当時の日本人になじまず、買い手がつかないまま畑で腐らせる年が続いた。そこで蟹江一太郎氏は、国内ではまだほとんど試みられていなかったトマトの加工に着手した。1903年7月、自宅の納屋に設けた製造場で、家族と2〜3人の親族の手を借りて最初のトマトソースをつくった。初年の生産量はビール壜4ダース入りの箱で56箱だった。\n最初の買い手は名古屋の西洋料理店、勝利亭の主人の平野仲三郎氏で、舶来品に劣らないと評価して追加の注文を出し、富沢町の食品問屋である梅澤岩吉商店に持ち込むよう助言した。同商店は初年の製品の大半を引き取り、1904年6月に蟹江一太郎氏が日露戦争に召集されて出征した後も、養父母と妻のさく氏がつくり続けたトマトソースを販売した。1905年の暮れに召集を解かれて帰郷すると、蟹江甚之助氏から、梅澤岩吉商店が今後は一手に販売してもよいと言っていると告げられた。\n1906年の春、蟹江一太郎氏は戦役で受けた一時賜金180円を投じ、自宅東側の宅地に建坪約60坪の最初の工場を建て、同じ春に梅澤岩吉商店と一手販売の契約を結んだ。工場の建設に踏み切ったもう1つの動機は、収穫したトマトを適正な価格で引き取るなら栽培してもよいという農家が近隣に現れたことだった。蟹江一太郎氏は契約した畑にできたトマトを全量引き取る約束で栽培を委ね、自家の畑だけに頼らない原料の調達を始めた。\n1908年にはトマトケチャップとウスターソースの製造と販売を始め、製品の幅を広げた。1914年末には同族の成田源太郎氏、近隣の蟹江友太郎氏と3人で愛知トマトソース製造合資会社を設立し、蟹江家の家業を企業の形に改めた。1917年4月にはカゴメ印の商標を登録し、1919年6月には上野工場を完成させて製造設備を近代化した。農家との契約栽培を土台に加工を伸ばすこの事業の形は、1923年の株式会社への改組を経て受け継がれた。",
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              "anchor": "愛知トマトソース製造合資会社"
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