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  "company_name": "ハウス食品グループ本社",
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  "updated": "2026-09-05",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/2810/",
  "title": "ハウス食品グループ本社の歴史概略",
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "description": "ハウス食品グループ本社（旧ハウス食品工業）の歴史。1913年、浦上靖介氏が大阪で薬種問屋として創業し1926年にカレー粉製造へ。バーモントカレー、レトルト、ウコンの力、壱番屋の子会社化までの沿革と経緯を執筆。"
  },
  "eras": [
    {
      "title": "薬種問屋がカレーの窯を持ち、即席カレーで首位に立つまで",
      "start_year": 1913,
      "end_year": 1971
    },
    {
      "title": "品目を広げて伸びた会社と、首位を走れない事業の整理",
      "start_year": 1971,
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    {
      "title": "2本社体制へ移り、健康食品と海外を育てるまで",
      "start_year": 1991,
      "end_year": 2015
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    {
      "title": "持株会社体制と買収、そしてスパイス系への絞り直し",
      "start_year": 2015,
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  "founding": [
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      "start_year": 1913,
      "end_year": 1971,
      "main_title": "薬種問屋がカレーの窯を持ち、即席カレーで首位に立つまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "薬種問屋からカレー粉の製造へ回り、戦争で断たれるまで",
          "text": "1913年11月、浦上靖介氏は大阪・松屋町筋に薬種化学原料店『浦上商店』を開いた。当時の薬種問屋は漢方薬とともに香辛料を扱う商いで、店の商品には胡椒や唐辛子が並んだ。浦上商店は白玉ソース・中央ソース・羽車ソースといった各ソースメーカーへカレーの原料を納め、カレーそのものを作るのではなく、カレーを作る側へ材料を渡す位置にあった。完成品の市場には先発が並び、関西では『メタル・カレー』『蜂カレー』『月美人カレー』が売られ、関東でも『ノーブル商会』やエスビー・カレーの『東屋』が名を通していた。\n\n1926年、浦上商店は個人経営のホーム食品を吸収合併し、布施市（現在の東大阪市）に工場を設置して、カレー・胡椒・唐辛子などの香辛料の製造販売を始めた。参入時のブランドは『ホーム・カレー』だったが、寿屋（現サントリー）から自社のブランドに抵触するとの申し入れを受け、名称を『ハウス・カレー』へ改めた。登録商標には家の図の中に『イン・エブリー・ハウス』と記したマークを用いており、社名に残る『ハウス』はこの改称に由来する。1930年には合名会社組織へ移り、商号を浦上靖介商店に改めた。\n\n1934年にはハヤシライスを発売し、カレー粉一品の製造から家庭向けの即席食品へ品目を広げた。ただ先発との差はすぐには縮まらず、のちに2代社長となる浦上郁夫氏は、創業当時の会社がかなり悪戦苦闘していたようだと振り返っている。販売は関西を中心に中国・四国・九州の各方面へ伸び、老舗が強い東京市場ではなく西日本の家庭に根を張るところから積み上げた。第二次大戦の進展に伴ってカレーの原料が統制品となり、男子従業員が兵役に取られて人手も不足し、生産活動は中絶した。1945年には空襲で事業所を焼失し、布施市の工場内へ移っている。",
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              "title": "日経ビジネス 1978年12月18日号",
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        {
          "title": "法人化のうえで純カレーを避け、即席カレーへ寄せた選択",
          "text": "戦中戦後は原料の入手難から操業を停止しており、株式会社への改組はそこからの再出発にあたった。1947年6月、資本金197,500円で株式会社浦上糧食工業所を設立し、1949年1月には戦前から使っていたブランドを商号に取り入れて株式会社ハウスカレー浦上商店へ改めた。1950年5月にはハウス食品株式会社を吸収合併している。もっとも、1952年ごろに統制解除を受けて即席カレーの製造販売を再開したときには、エスビー食品がいち早く生産を始めており、浦上郁夫氏は国内市場がエスビー・カレー一色に塗りつぶされた感があったと述べている。\n\n統制解除後の再開にあたり、会社は純カレー（カレーパウダー）の分野ではなく即席カレーの分野へ力を注いだ。浦上郁夫氏は、業界の首位に立てたのはエスビー食品の純カレーの地盤が強固だったために別の分野へいち早く方向を変えたからだと説明している。1958年の炒飯の素の発売を契機に各種インスタント食品の製造販売にも着手し、1959年11月には東大阪工場にカレー製造工場を竣工した。1960年に印度カレーを発売し、同年11月には商号をハウス食品工業株式会社へ改めている。この選択の結果、1971年時点の即席カレー部門の需要は年およそ230億円に達し、そのうち47〜48％を同社が占めた。\n\n1963年9月に発売したバーモントカレーは、1970年11月期に1品目で75億円を売り上げ、主力製品となった。以後も1964年4月のプリンミクス、1966年のシチュー、1967年のシャービック、1968年のジャワカレー、1969年のミルクセーキとグラタンと、家庭向けの即席食品を毎年のように出した。1970年6月には合弁会社サンハウス食品を設立してレトルト食品のククレシチューを発売し、翌1971年4月にはククレカレーを加えている。同年3月には高級品としてブレンドスペシャルカレーを発売した。",
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          "text": "販路は特約店167社（口座数305）と、その先の登録店と呼ぶ二次代理店を経由して、全国のスーパーマーケットと末端小売店へ届く形をとった。販売促進では、テレビを主体とした広告のほかに、卸と小売の店頭を回る置回り販売、デモンストレーターによる実演販売、リベート政策を組み合わせている。デモンストレーターとして約200名の女子販売促進員を各支店・営業所に配属し、店頭での料理講習にあてた。昭和30年代前半まではエスビー食品と株式会社オリエンタルの市場占有率が同社を上回っていたが、30年代後半以降にこれらの施策が効いて順位が入れ替わった。\n\n1970年11月期の市場占有率は、インスタントカレーが47.7％、インスタントシチューが93.7％、インスタントプリンが71.4％に達した。同期の売上高197億円と税引利益12億円は、10年前の1960年11月期のそれぞれ11.6倍と23.2倍にあたる。エスビー食品との比較では、直近5年間の売上高の伸びが同社3.4倍に対しエスビー食品1.6倍、利益は同社5.6倍に対し2.7倍であった。関東地方の売上高が全体の29.0％を占めるまでになり、西日本に偏っていた販売の重みが東へ移った。\n\n1966年6月、浦上靖介氏の長男である浦上郁夫氏が28歳で2代目社長に就任し、同月に奈良県大和郡山市の奈良工場が竣工した。1970年3月には大阪府東大阪市に研究所、同年5月に栃木県佐野市の関東工場、同年8月に合弁会社ハウス配送、同年11月にイデアックセンターと、生産と物流と研修の拠点を続けて設けている。1971年7月、東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第2部へ株式を上場した。公募は400万株、公開価格は480円で、上場時の大株主はハウス興産が34.6％、浦上郁夫氏が22.6％を持っていた。",
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          "title": "新製品を年30種類出して品目を広げた1970年代",
          "text": "上場時点の従業員は職員673名と工員680名の計1,353名で、工場は東大阪・郡山・関東の3か所、支店と営業所は全国8か所に置いていた。主要原材料の精製牛脂・粉乳・小麦粉・砂糖・香辛料は輸入依存度が高く価格変動も激しいため、トーメンや東食といった商社、小林桂・極東食品・雪印商事といった専門商社と長期契約を結んで確保にあたった。1972年5月の中間決算時点では、カレー52.7％、プリン67.4％、シチュー93.4％の占有率を保ち、半期の売上高は134億8,000万円に達している。1973年4月には両取引所の市場第1部へ指定替えとなった。\n\n1971年の上場から1978年までに世に出した新製品は70種類にのぼり、1977年11月期まで17年連続で経常増益を続けた。参入先も広く、1973年3月に練りスパイス、同年6月に即席麺、1977年6月にスナック食品を出し、1976年4月に福岡県古賀市の福岡工場、1982年12月に静岡県袋井市の静岡工場を竣工している。1978年5月時点の市場占有率はカレー62％、シチュー82％、プリン80％で、調理済みカレー46％、ポテトチップ25％、インスタントラーメン17％が続いた。\n\n拡大には費用が伴い、1977年11月期の広告宣伝費は89億7,500万円で売上高の10.5％を占めた。売上高に対する販売費・一般管理費の比率は同期に36.4％となり、1975年11月期から2年間で5.7ポイント上がっている。参入先はさらに広がり、1980年にはチルド（冷蔵）食品事業へ入った。1983年12月には米国カリフォルニア州に合弁会社ハウスフーズ＆ヤマウチ社を設立し、豆腐の現地生産にも入っている。",
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          "text": "1983年度は静岡の大規模工場の建設と重なって上場後初の減収減益となり、1984年11月には警視庁指定114号事件の脅迫状が届いて業績がさらに悪化した。1985年8月12日、日本航空123便の墜落で浦上郁夫社長が47歳で死去し、同年9月に副社長であった大塚邦彦氏が社長へ就いた。大塚氏は1933年生まれで1955年の入社、1979年に代表取締役副社長に就いていた。\n\n交代後の数年は新製品の力が落ち、1989年3月期の新製品寄与率は4.5％と、それ以前の7％強から下がった。この3年間に投入した新製品は年間17種類ほどで、30種類を超えていた時期より少ない。1989年3月期の売上高は約1,503億円、営業利益は前年比2.4％増の約110億円で、部門別ではカレールー468億円が前年度比1.2％増と横ばい、スナック菓子107億円が8.0％減、ラーメン180億円が5.0％減となった。売上高に占める広告宣伝費の比率は1984年の9.47％から1989年の10.2％へ上げ続けており、大量宣伝による大量販売の手法は残っていた。",
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              "title": "日経ビジネス 1993年2月1日号",
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          "title": "首位グループを走れない事業から抜ける基準",
          "text": "1988年、大塚社長は1969年に導入したプロダクトマネージャー制度に手を入れた。従来は社長直属の部隊が製品の開発から販売まで一貫して責任を負い、発売も中止も決めていたが、目先の販売促進に力が偏って独自な商品が出なくなったためである。営業本部内にマーケティングマネージャーを新設して新製品の育成と販促を任せ、プロダクトマネージャーには一歩先の開発に専念させた。選別も、味や包装や価格を消費者の側から検討する新製品開発委員会と、投資や採算を企業の側から検討する役員レベルの新製品検討会の二重構造へ改めている。\n\n1991年末、大塚社長はチルド食品事業からの撤退を決めた。参入は1980年で、生に近い食品への需要を背景に市場は毎年2桁近い伸びを見せていたが、自前の配送網を持たなかったことが響き、最後の2〜3年の売上高は20億円程度にとどまっていた。撤退の理由は、その分野で首位グループを走れる見込みがないのであれば時流に乗った事業でも意味がないという判断にあった。提案に賛成する声は少なく、大塚社長は、新しいことを始める時は皆の意見を聞く必要があるが撤退する場合はトップが我を通させてもらうと説いて回っている。新規事業は5年をひととおりの期限とし、1990年に二つ、1991年に一つの事業から手を引いた。\n\n方針は商品の単位にも及び、業務用を除いておよそ750アイテムあった商品のうち1989年度に55、1990年度に76を廃止した。新製品を出す社内ルールも、リスクがあっても他社より先に出すこと、独自性のあるものに絞ること、価格は安くなくとも品質の面で高級化を図ることの三つに絞り、当てはまらない商品は出さないと決めている。絞り込みはすぐには受け入れられず、業界では『ハウスは最近おかしい』とささやかれ、取引先からも批判を受けて停滞は4〜5年続いた。それでも返品率は7％近くから0.47％まで下がり、『六甲のおいしい水』は1991年に売上高90億円と家庭用で5割近い首位のシェアへ育った。",
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              "title": "証券 1971年23巻7号",
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              "title": "証券アナリストジャーナル 1972年11月（浦上郁夫社長講演要旨）",
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              "title": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
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              "title": "日経ビジネス 1992年1月20日号",
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  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "1913年11月、浦上靖介氏が大阪・松屋町筋に薬種化学原料店『浦上商店』を創業した。当時の薬種問屋は漢方薬とともに胡椒や唐辛子を扱う商いで、浦上商店は白玉ソースなど各ソースメーカーへカレーの原料を納める側にいた。1926年、[個人経営のホーム食品を吸収し、布施市の工場でカレー粉の自社製造へ参入した](/tse/2810/decisions/curry-powder-entry-1926/)。参入時の『ホーム・カレー』は寿屋から商標の抵触を指摘されて『ハウス・カレー』へ改め、これが現在の社名に残っている。ただし完成品の市場には『蜂カレー』やエスビーの『東屋』が先に並んでおり、統制解除後に再開したときも国内はエスビー・カレー一色に塗りつぶされた感があったと、2代社長の浦上郁夫氏は述べている。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "上位を取れない棚からは降りるという基準で、品目を選んできた。純カレー粉ではエスビー食品の地盤が固いとみて即席カレーへ注力し、1963年9月発売のバーモントカレーは1970年11月期に1品目で75億円を売って即席カレーの47.7%を占めた。1992年1月には[低シェア事業からの撤退方針を掲げてチルド食品から全面撤退し](/tse/2810/decisions/low-share-business-exit-1992/)、成長分野であっても首位グループを走れない事業を切っている。2013年10月に持株会社体制へ移ったのち、2015年10月には[壱番屋へのTOBに約301億円を投じて外食を傘下に収めた](/tse/2810/decisions/ichibanya-acquisition-2015/)。2016年6月には業務用スパイス大手のギャバンを味の素から譲り受け、2022年9月には米国の植物性食品メーカーを子会社にした。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "利益は現在も、国内で売るルウとスパイスから出ている。2026年3月期の連結売上高3,169億円・営業利益182億円のうち、香辛・調味加工食品事業が売上1,268億円・営業利益128億円と利益の大半を占めた。買収で広げた外食と海外は伸びていない。外食事業は売上654億円・営業利益34億円、海外食品事業は売上629億円・営業利益34億円で、壱番屋ののれんは2021年3月期に91億円、米キーストーンは2025年3月期に50億円と2026年3月期に75億円の減損損失を計上している。会社は2026年5月に第八次中期経営計画の営業利益270億円に達しないと認め、同年8月には[壱番屋の非公開化を含む選択肢の検討に入り](/tse/2810/decisions/ichibanya-privatization-2026/)、資本の使い先を買収から株主還元と祖業へ振り替えている。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "家庭のカレーでは寡占を保ち、それ以外では上位に達していない。1926年の参入時に先発の[エスビー食品](/tse/2805/)が純カレー粉で固めた地盤を避けたことが、即席カレーでの競争優位の出発点となった。1971年時点で即席カレー需要230億円のうち47〜48%を握り、以後もルウの寡占は崩れていない。一方、1992年に全面撤退したチルド食品のように、首位を走れない領域では退く判断を繰り返してきた。2015年に取り込んだ[壱番屋の店舗網](/tse/7630/)は海外の需要を測る場になったものの、外食事業の営業利益率は5%台にとどまる。資本コスト約6%へ到達できていないのは、寡占を持つ事業の外で利益を作り出せていないからである。"
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      "label": "祖業",
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      "label": "現在の注力課題",
      "value": "スパイス系への集中と自己株式取得260億円",
      "tags": [
        "選択と集中",
        "株主還元"
      ]
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