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      "title": "薬種問屋からカレー粉の自社製造への転換",
      "subtitle": "原料を納める側にとどまるか、自ら作って売る側へ回るか——浦上靖介氏が1926年に選んだ道",
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      "issue": "業態転換と自社ブランドの確立",
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      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "1926年、大阪で薬種化学原料店を営んでいた浦上靖介氏が、個人経営のホーム食品を吸収し、現在の東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・胡椒・七味の製造を始めた経営判断。仕入れて売る問屋から、自ら作って売る製造業への転換にあたる。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1913年創業の浦上商店は、薬種化学原料を商うかたわら、白玉ソース・中央ソースなど各ソースメーカーへカレーの原料を納入していた。カレー粉の完成品市場には関西・関東ともに先発の老舗が並び、後発の余地は乏しかった。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "ホーム食品の吸収により製造設備を得て、香辛料の自社生産に入った。当初のブランド「ホーム・カレー」は寿屋（現サントリー）からの申し入れを受けて「ハウス・カレー」へ改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と記した商標を用いた。1930年には合名会社へ組織を変え、商号を浦上靖介商店とした。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "参入後も先発との差は埋まらず、戦時には原料統制で生産が途絶えた。戦後の再開時もエスビー食品が先行しており、純カレー粉ではなく即席カレーへ方向を変えたことが、1960年代以降の首位につながった。"
        }
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          "title": "浦上靖介氏が大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立"
        },
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          "title": "ホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・胡椒・七味の製造を開始",
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          "title": "合名会社組織に移行し、商号を浦上靖介商店とする"
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          "title": "株式会社浦上糧食工業所を設立（資本金197,500円）"
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          "title": "バーモントカレー発売"
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      "snapshot": {
        "fiscal_year": "1926年（大正15年）当時",
        "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
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              "sub_title": "薬種問屋が扱っていたカレーの原料",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1913年11月、浦上靖介氏は大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を開いた。当時の薬種問屋は漢方薬とともに香辛料を扱う商いであり、店の商品には胡椒や唐辛子といった原料も並んだ。創業まもない浦上商店は、白玉ソース・中央ソース・羽車ソースといった各ソースメーカーへカレーの原料を納めていた。カレーそのものを作るのではなく、カレーを作る側へ材料を渡す位置にあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1913年11月、浦上靖介氏が大阪で薬種化学原料店を開業し、各ソースメーカーへカレーの原料を納入していた",
                      "原文": "当社の創業は、大正2年11月、大阪市南区において先代社長浦上清介が、薬種化学原料店を開業したのに始まり、本年11月をもつて58周年を迎える。創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへ、カレーの原料を納入していた縁で、",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730605"
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                      "fact": "1913年（大正2年）、大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立",
                      "原文": "1913（大正2）浦上靖介氏（前社長）、大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
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                },
                {
                  "text": "問屋の商いは、他社が作った商品を仕入れて売ることで成り立つ。原料を納める縁からカレー粉そのものへ関心が向いても、完成品の市場にはすでに先発が並んでいた。関西では「メタル・カレー」「蜂カレー」「月美人カレー」が売られ、関東でも「ノーブル商会」やエスビー・カレーの「東屋」といった老舗が地盤を築いていた。後から製造へ入るなら、名の通った商品と店頭で場所を争うところから始めることになる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1920年代の日本には関西・関東ともにカレー粉の先発メーカーが多数あった",
                      "原文": "しかし、当時、関西では、既に「メタル・カレー」、「蜂カレー」あるいは「月美人カレー」などがあり、また、関東でも「ノーブル商会」とか、エスビー・カレーの「東屋」などといつた先発メーカーが多数あつただけに、創業当時の当社としてはかなり悪戦苦闘をしていたようである。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
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        {
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          "label": "決断",
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              "sub_title": "1926年、ホーム食品を吸収して製造へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1926年、浦上商店は個人経営のホーム食品を吸収し、現在の東大阪市御厨にあたる場所へ工場を設けて、カレー粉・胡椒・七味などの香辛料の製造を始めた。手元の資金を、仕入れ商品の在庫ではなく生産設備へ振り向ける選択であった。この工場の所在地は、のちに東大阪工場となる土地にあたる。薬種問屋として13年を重ねた商いは、この年を境に、自ら作った商品を自らの名で売る事業を併せ持つ形へ変わった。",
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                      "fact": "1926年（大正15年）、個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉・胡椒・七味の製造を開始",
                      "原文": "大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、現東大阪工場の所在地である東大阪市御厨に工場を設置して、カレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始したのが当社のカレー粉を手がける第一歩であつた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
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                      "fact": "1926年（大正15年）にホーム食品を吸収しカレー粉の製造を開始",
                      "原文": "26（大正15）「ホーム食品」を吸収、カレー粉の製造を開始",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
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                {
                  "text": "参入時のブランドは「ホーム・カレー」であった。ところが寿屋（現サントリー）から自社のブランドに抵触するとの申し入れを受け、名称を「ハウス・カレー」へ改めた。登録商標には、家の図の中に「イン・エブリー・ハウス」と記したマークを用いた。のちに2代社長となる浦上郁夫氏は、1971年の講演で、製品の中身は変わらないのにブランドを変えただけで売れ行きが伸びたと伝え聞いていると語っている。社名に残る「ハウス」は、この改称に由来する。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "参入当初のブランド「ホーム・カレー」を寿屋（現サントリー）の申し入れで「ハウス・カレー」へ変更し、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と記した商標を用いた",
                      "原文": "当時、「ホーム・カレー」というブランドで販売していたが、その後「寿屋」-現在の「サントリー」--から同社のブランドに抵触するからブランドを変更してほしいという申し入れがあつたので、「ハウス・カレー」と変更し、登録商標にも家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークでもつて発売したところ、製品の品質は従来となんら変つていないのに、ブランドを変えただけで、たいそう売れ行きがよくなり、その後順調に発展していつたと聞いている。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
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            },
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              "sub_title": "商号の変更と、西日本での地盤づくり",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "製造への参入から4年後の1930年、浦上商店は合名会社組織へ移行し、商号を「浦上靖介商店」に改めた。個人商店の看板から、法人としての体裁を整える手続きにあたる。1934年にはハヤシライスを発売し、カレー粉一品だけの製造から、家庭向けの即席食品へ品目を広げた。製造の設備を持ったことで、扱う商品を自らの判断で増やせる立場になっている。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "1930年（昭和5年）に合名会社組織へ移行し商号を浦上靖介商店とする、1934年（昭和9年）にハヤシライスを発売",
                      "原文": "30（昭和5）合名会社組織に移行、商号を「浦上靖介商店」とする／34（昭和9）ハヤシライスを発売",
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                  "text": "もっとも、先発との差はすぐには埋まらなかった。浦上郁夫氏は、創業当時の会社がかなり悪戦苦闘していたようだと振り返っている。それでも販売は関西を中心に広がり、中国・四国・九州の各方面へ地盤を築いた。東京市場では老舗が強く、西日本の家庭に根を張るところから積み上げる形となっている。1926年の判断がもたらしたのは、短期の成功ではなく、自社の名を掲げて商品を出し続ける立場そのものであった。",
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                      "原文": "それが次第に関西を中心として、中国、四国、九州方面に地盤を築くようになつたが、",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
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          "section": "outcome",
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              "sub_title": "戦時の生産中絶と、戦後の再出発",
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                  "text": "事業は戦争で断たれた。第二次大戦の進展に伴ってカレーの原料が統制品となり、入手が困難になったうえ、男子従業員が兵役に取られて人手も不足し、ついに生産活動が中絶した。1945年には空襲で事業所を焼失し、布施市の工場内へ移った。原料を輸入に頼る香辛料の事業は、貿易が止まればそのまま止まる。20年近くかけて築いた製造の足場は、いったん失われた。",
                  "evidences": [
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                      "fact": "第二次大戦でカレー原料が統制・入手困難となり、男子従業員の兵役による人手不足も重なって生産活動が中絶した",
                      "原文": "第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、ついに入手困難となつたほか、男子従業員が兵役に徴収された関係もあつて人手不足となり、ついに生産活動中絶のやむなきに至つた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730605"
                    },
                    {
                      "fact": "1945年（昭和20年）、空襲により事業所が焼失し布施市の工場内へ移転",
                      "原文": "45（昭和20）空襲により事業所焼失、布施市の工場内に移転",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
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                },
                {
                  "text": "再建は法人化から始まった。1947年6月、資本金197,500円で株式会社浦上糧食工業所を設立し、1949年1月には社名を株式会社ハウスカレー浦上商店へ改めている。1926年に得たブランドを、そのまま社名へ掲げる形であった。ただし、1952年頃に統制解除を受けて即席カレーの製造販売を再開したときには、エスビー食品がいち早く生産を始めており、国内市場はエスビー・カレー一色に塗りつぶされた感があったと浦上郁夫氏は述べている。",
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                    {
                      "fact": "1947年6月に株式会社浦上糧食工業所を設立（資本金197,500円）、1949年1月に株式会社ハウスカレー浦上商店へ改称",
                      "原文": "1947/6　㈱浦上糧食工業所を設立。資本金197,500円。／1949/1　名称を㈱ハウスカレー浦上商店と改称。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
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                    {
                      "fact": "1952年頃に即席カレーの製造販売を再開したが、先行したエスビー食品に市場を握られていた",
                      "原文": "戦後、昭和27年頃より諸原料資材の統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、当時既にエスビー食品(株)が、いち早く生産を開始していて、戦後物資欠乏の折柄とはいえ高品質の製品を販売し、国内市場はエスビー・カレー一色に塗りつぶされた感があつた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730605"
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              "sub_title": "純カレー粉ではなく、即席カレーで首位へ",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "そこで会社は、純カレー（カレーパウダー）の分野ではなく、即席カレーの分野へ力を注いだ。この選択が食生活の洋風化と簡便化に重なり、1960年に商号をハウス食品工業へ改め、1963年9月にバーモントカレーを発売するまでの間に、成長の土台が固まった。1971年時点で即席カレー部門の需要は年およそ230億円、うち47〜48％を同社が占めている。浦上郁夫氏は、業界の首位に立てたのはエスビー食品の純カレーの地盤が強固だったために別の分野へいち早く方向を変えたからだと説明している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "純カレーではなく即席カレーへ注力し、1971年時点で年約230億円の即席カレー市場の47〜48％のシェアを占めた",
                      "原文": "現在、インスタント・カレー部門の需要は大体、年230億円前後で、そのうち47～48%ぐらいのシェアを当社がもつている。（中略）このように業界のトップに立てるようになつたのも、もとはといえばエスビー食品の純カレー業界での地盤がきわめて強固であつたために、当社がそれと異つたインスタント・カレーの分野にいち早く方向転換したからであつて、それがこの分野における現在のシェアを固める直接の大きな原因となつた。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730605"
                    },
                    {
                      "fact": "1960年11月に商号をハウス食品工業へ改称、1963年9月にバーモントカレーを発売",
                      "原文": "1960/11　名称をハウス食品工業㈱と改称。／1963/9　バーモントカレー発売。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "製造を持った会社は、ひとつの商品に閉じずに済む。1972年5月の中間決算時点で、同社の商品はカレー類のほかプリン類・インスタント食品類・スパイス類・レトルト食品類に分かれ、市場占有率はカレー52.7％、プリン67.4％、シチュー93.4％に達した。半期の売上高は134億8,000万円で、通期目標270億円のおよそ半分にあたる。薬種問屋がカレー粉の窯を持った1926年の判断は、半世紀を経て、家庭の食卓に複数の定番を置く食品メーカーの形へつながった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1972年5月中間決算時点でカレー52.7％・プリン67.4％・シチュー93.4％のシェア、半期売上高134億8,000万円（通期目標270億円）",
                      "原文": "売上高合計は134億8,000万円で、これは今期販売目標270億円の約50%に達している。（中略）中間決算時点における各製品のマーケットシェアは、カレー52.7%、プリン67.4%、シャービック93.4%、47年新発売のゼリエース57.4%、シチュー93.4%、レトルトカレー32.4%--である。",
                      "source": "証券アナリストジャーナル 1972年11月「ハウス食品工業　食品業と潜在需要開発の課題」（浦上郁夫社長講演要旨）",
                      "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/2730620"
                    }
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                }
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                {
                  "text": "この判断の核心は、扱う商品を替えたことではなく、商いの立場を替えたところにあるとみることができる。仕入れて売る問屋は、商品の中身も名前も他社が決めた条件のうえで働く。工場を持てば、原料の配合も商品名も値付けも自社の判断になるかわりに、売れ残りの在庫と設備の負担を抱える。浦上靖介氏が1926年に選んだのは、後者の重さを引き受ける道であった。ブランド名を寿屋の申し入れで変えざるをえなかった一件も、自社の名で売る立場に立って初めて生じる問題といえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、参入がただちに報われたわけではない。先発との差は戦前を通じて縮まらず、戦争で生産そのものが途絶え、戦後の再開時にもエスビー食品が先を走っていた。首位に立ったのは、同じ土俵で追うのをやめ、即席カレーという別の需要へ移ってからである。製造の設備を持っていたからこそ、その転換ができたともいえる。作る立場に回る判断は、成果が出るまでに数十年を要することがある——1926年の一手は、そのことを示す例として読める。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "証券アナリストジャーナル 1971年7月「ハウス食品工業の現状と将来」（浦上郁夫社長講演要旨）",
        "証券アナリストジャーナル 1972年11月「ハウス食品工業　食品業と潜在需要開発の課題」（浦上郁夫社長講演要旨）",
        "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
        "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
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      "slug": "low-share-business-exit-1992",
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      "year": 1992,
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      "title": "低シェア事業からの撤退方針とチルド食品事業の全面撤退",
      "subtitle": "時流に乗った成長分野でも、首位を争えないなら畳むべきか——大塚邦彦社長が問い直した多品目化の代償",
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          "label": "概要",
          "text": "1991年末、ハウス食品工業の大塚邦彦社長が、1980年に参入したチルド（冷蔵）食品事業からの撤退を決めた。翌1992年1月の誌上インタビューで「中途半端な事業からは撤退」と述べ、その分野で首位グループを走れない事業と商品は畳むという方針を対外的に明示した。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "1970年代の多品目化で商品数は業務用を除き約750アイテムに達し、広告宣伝費は1977年11月期に売上高の10.5％を占めた。1984年の脅迫事件と1985年の浦上郁夫社長の急死が重なり、売上高を追う経営の見直しが避けられなくなっていた。"
        },
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          "label": "内容",
          "text": "チルド食品事業は自前の配送網を持たず、最後の2〜3年は売上高20億円程度にとどまっていた。大塚社長は撤退を提案し、反対の声を押して決めた。あわせて新製品を出す社内ルールを厳しく改め、1989年度に55アイテム、1990年度に76アイテムを廃止した。"
        },
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          "text": "商品数の削減は4〜5年にわたって売上の停滞と社内の不満を招いた。一方で返品率は7％近くから0.47％へ下がり、絞り込んだ枠から「六甲のおいしい水」「ジャック」などのヒットが出た。選択と集中の方針は2010年の水事業譲渡まで引き継がれた。"
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          "title": "新製品の社内ルールと組織体制を改め、新製品開発委員会・新製品検討会の二重審査へ"
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          "title": "チルド食品事業からの撤退を決定"
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          "title": "ミネラルウォーター事業を譲渡（選択と集中の継続）"
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        "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
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            "president": "大塚邦彦",
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              "note": "1992年1月のインタビューで社長が示した「現在」の売上高"
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              "sub_title": "新製品で伸びた会社の、もうひとつの数字",
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                  "text": "1970年代のハウス食品工業は、新製品を次々に出すことで伸びた会社であった。1971年の株式上場から1978年までに世に出した新製品は70種類に達し、1977年11月期まで17年連続で経常増益を続けている。1978年5月時点の主要製品の市場占有率は、カレー62％、シチュー82％、プリン80％にのぼり、調理済みカレー46％、ポテトチップ25％、インスタントラーメン17％と続いた。浦上郁夫社長は当時、関西出身の自社は東京に比べて市場が狭く、1商品に専門化していては食べていけないと語っている。",
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                    {
                      "fact": "1971年の上場から1978年までに新製品70種類、17年連続経常増益。1978年5月時点でカレー62％・シチュー82％・プリン80％のシェア",
                      "原文": "その間46年の株式上場から現在までに出した新製品は，実に70種類にも達し，しかも前11月期で17年連続して経常増益を続けているのである。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
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                      "source": "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
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                },
                {
                  "text": "拡大には費用が伴った。1977年11月期の広告宣伝費は89億7,500万円で、売上高の10.5％を占めた。売上高に対する販売費・一般管理費の比率は同期に36.4％となり、1975年11月期に比べて5.7ポイント上昇している。日経ビジネスは1978年末の記事で、この比率の上昇が長期的には利益率の低下につながると指摘し、若い社員へ権限を委ねてきた柔軟な組織にも硬直化の恐れがあると書いた。品目を増やして売上を積む型が、そのまま続けられるかどうかが問われ始めていた。",
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                      "fact": "1977年11月期の広告宣伝費は89億7,500万円で売上高の10.5％、販管費比率は36.4％と2年間で5.7ポイント上昇",
                      "原文": "急激な新製品の発表で広告宣伝費が増大した結果，売上高に対する販売費・一般管理費の比率は52年11月期で36.4％と，50年11月期に比べて5.7％分も上昇，長期的には利益率の低下にもつながっている。",
                      "source": "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
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                  "text": "1980年代半ば、会社は続けて打撃を受けた。1983年度は静岡の大規模工場の建設と重なって上場後初の減収減益を記録し、1984年11月には警視庁指定114号事件の脅迫状が届いて業績がさらに悪化した。1985年8月12日、日本航空123便の墜落で浦上郁夫社長が47歳で死去し、副社長であった大塚邦彦氏が同年9月に社長へ就いた。大塚社長は当時の心境を、プロと一緒にゴルフコースを回っていたキャディーが突然プレーしろと言われたようなものであったと語っている。",
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                      "原文": "83年度には，静岡に大規模工場を建設したことと相まって，上場後初の減収減益を記録。84年は114号事件で業績はさらに悪化。85年には日航機墜落と，悪いことは続いた。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
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                    {
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                      "原文": "1933年3月　大阪市生まれ／55年3月　和歌山大学学芸学部卒業，ハウス食品工業入社／72年1月　取締役人事部長，79年2月　代表取締役副社長／85年9月　社長就任",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "社長就任から2年目、大塚社長は売上至上主義からの脱却を掲げた。13年の営業経験を踏まえ、得意先で人間関係を築いて月末にできるだけ先方で粘り、きっちり売上を作ってくる働き方は単なる在庫の移動であって本当の売上ではないと説いた。返品の可能性が高い押し込み販売をやめさせ、他社の後追い製品の発売も認めなかった。1988年には20年以上続いたプロダクトマネージャー制度に手を入れ、消費者の立場から検討する新製品開発委員会と、投資や採算性を検討する役員レベルの新製品検討会による二重の審査へ改めている。",
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                      "fact": "大塚社長は売上至上主義からの脱却を掲げ、押し込み販売と他社後追い製品を禁じ、1988年にプロダクトマネージャー制度を二重審査体制へ改めた",
                      "原文": "それまでの優秀な営業マンとは，得意先で人間関係を築き，月末にはできるだけ先方で粘って，きっちり売り上げを作ってくる人のこと。しかし，それは，単なる在庫の移動であって，本当の売り上げではない",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
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                      "原文": "以前はトップダウンで即断即決していましたが、88年に新製品を出すルールだけでなく組織体制も変えました。（中略）そして同時に新製品候補を選別する体制も二重構造に変えました。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
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          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "首位グループを走れない事業は畳む",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "1991年末、大塚社長はチルド（冷蔵）食品事業からの撤退を決めた。参入は1980年で、生に近い食品への需要が強まるなか、市場は毎年2桁近い伸びを見せる成長分野にあった。それでも自前のチルド配送網を持たなかったことが響き、最後の2〜3年の売上高は20億円程度にとどまっていた。大塚社長は撤退の理由を、自社がその分野で首位グループを走れる見込みがないのであれば、時流に乗った事業でも意味がないからと説明している。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1991年末にチルド食品事業からの撤退を決定。1980年参入、自前の配送網を持たず最後の2〜3年の売上高は20億円程度",
                      "原文": "最近，大塚が表立ってリーダーシップを発揮したのは，91年末，チルド（冷蔵）食品からの撤退を決めた時だった。80年に参入したものの，自前のチルド配送網を持たなかったことがネックで，最後の2〜3年は売上高が20億円程度にとどまっていた。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "撤退の判断基準は「その分野でトップグループを走れる見込みがあるか」であった",
                      "原文": "80年にチルド食品に参入しましたが，事業としてのメドが立たないので撤退を決めました。（中略）しかし，自社がその分野でトップグループを走れる見込みがないのでは，いくら時流に乗った事業でも意味がありません。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "撤退の提案に賛成する声は少なかった。大塚社長は、新しいことを始める時は皆の意見を聞いてやる必要があるが、撤退する場合はトップが我を通させてもらうと説いて回った。判断の目安も言葉にしている。新規事業は5年をひととおりの期限とし、そこで改善の兆しが感じられなければ撤退すべきであり、撤退は力のある時に決断すべきであると述べた。実際に1990年に二つ、1991年に一つの事業から手を引いている。恥をかく勇気も必要ではないかというのが、当時の説明であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "撤退提案に賛成する声は少なく、大塚社長は「撤退する場合はトップが我を通させてもらう」と説得した",
                      "原文": "大塚が撤退を提案した時，賛成する声は少なかった。「新しいことを始める時は，皆の意見を聞いてやる必要がある。だが，撤退する場合はトップが我を通させてもらう」と皆を説得した。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "新規事業は5年を目処とし、1990年に二つ、1991年に一つの事業から撤退した",
                      "原文": "ただ，撤退は力のある時に決断すべきでしょうね。進出する時と同じくらいエネルギーもコストもかかりますから。新事業を始めた場合，大体5年間を一応のメドとしているんですが，それで将来改善する兆しが感じられなければ，撤退すべきだと思います。90年は二つ，91年は一つの事業から撤退しました。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "商品750アイテムの棚卸し",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "方針は事業の単位にとどまらず、商品の単位にも及んだ。当時の商品数は業務用を除いておよそ750アイテムあり、1989年度に55アイテム、1990年度に76アイテムを廃止している。新製品を出す社内ルールも厳しく改めた。リスクがあっても他社より先に出すこと、独自性のあるものに絞ること、価格は安くなくとも品質の面で高級化を図ること——この三つに当てはまらない商品は出さないという基準であった。弱い商品を切り、強い商品に資金を投じれば、その商品はさらに伸びるという考え方に立っている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "商品数は業務用を除き約750アイテム、1990年度に76アイテム、1989年度に55アイテムを廃止した",
                      "原文": "商品の数は業務用を除けば現在約750アイテムありますが，90年度で76アイテム，89年度で55アイテムやめました。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "新製品の社内ルールを「先発」「独自性」「品質の高級化」の三条件に絞った",
                      "原文": "製品数を増やさないよう数年前から新商品の社内ルールを厳しく変えました。リスクはあってもよそ様より先に出す。独自性のあるものに絞る。それから価格は安くなくても品質の面で高級化を図る，と。この三つに該当しないものは出さないという方針に変えました。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "絞り込みはすぐには受け入れられなかった。新製品が減ってヒットも出ないことから、業界では「ハウスは最近おかしい」とささやかれ、取引先からも「このごろのハウスは何をしとるんだ」と批判を受けた。無理をして売るなと言われた営業の士気も落ち、停滞は4〜5年続いた。大塚社長は管理職を集めて直接対話を試みたが、社長の書生論では食っていけないという声が相次ぎ、これだけ言葉を尽くしても分かってもらえないという挫折感を味わったと打ち明けている。1992年1月の誌上インタビューで撤退方針を対外的に明示したのは、社内での説得がようやく実を結び始めた頃にあたる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "新製品の絞り込みは社内外の批判を招き、定着まで4〜5年を要した",
                      "原文": "大塚は，ホテルに管理職を集めては直接対話を試みたが，「社長の書生論では食っていけない」，「何を考えているのか分からない」といった声が相次いだ。（中略）「自分はこれだけ言葉を尽くしているのに，分かってもらえない。ものすごい挫折感を味わった」と大塚は打ち明ける。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "基準を厳しくした結果、営業の活力が低下し4〜5年の停滞を経て定着した",
                      "原文": "しかし，基準をきつくすると，新製品の数は減りますから営業の活力が低下して，一時は取引先からも「このごろのハウスは何をしとるんだ」と批判を受けた時期もありました。4〜5年モタモタっと停滞しましたが，昨年あたりからようやく定着してきたように思います。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
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                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "返品率0.47％と、絞った枠から出たヒット",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "数字は方針の側についた。かつて7％近かった返品率は0.47％まで下がり、問屋から小売店への出荷量や販売時点情報から営業方針を決める仕組みも効いた。絞り込んだ新製品の枠からは、1983年発売のミネラルウォーター「六甲のおいしい水」が1991年に売上高90億円、家庭用で5割近い首位のシェアへ育ち、豆を素材にしたスナック「ジャック」は初年度17億円から1991年に24億円へ伸びた。1991年春に出したレトルトカレー「咖喱工房」も、具を大きくして質の高さを打ち出したことで売上を伸ばしている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "返品率はかつて7％近くから0.47％まで低下した",
                      "原文": "問屋から小売店への出荷量や小売店のPOS（販売時点情報管理）データなどから営業方針を決める情報システムの効果もあり，かつて7％近かった返品率は今や0.47％まで下がっている。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "「六甲のおいしい水」は1991年に売上高90億円で家庭用5割近いシェア、「ジャック」は初年度17億円から24億円へ",
                      "原文": "家庭用としては我が社が最初に1983年に発売したのですが，最近ブームになってきました。91年の売り上げは，冷夏もあって90億円ぐらいにとどまりましたが，家庭用としては5割近いトップシェアを握っています。（中略）初年度は17億円だったのが，91年はさらに24億円くらいまで伸びました。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
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                    }
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                },
                {
                  "text": "全体の業績も戻った。大塚社長の就任時である1985年に約1,400億円であった売上高は、1993年3月期の推定で約1,900億円に達している。1992年1月の時点で社長は、売上高を1,640億円から1994年に2,000億円へ引き上げたいと述べつつ、規模よりもカテゴリー別に首位を走る商品がいくつあるかが大事になってきたと語った。バブル崩壊後の財テク失敗の処理を迫られながらも、1993年3月期は前期に続いて経常増益を確保できる見通しにあった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1985年の社長就任時に約1,400億円だった売上高は1993年3月期推定で約1,900億円に達した",
                      "原文": "社長就任の85年に約1400億円だった売上高は約1900億円に達しようとしている（93年3月期推定）。",
                      "source": "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "売上規模よりカテゴリー別に首位を走る商品の数を重視する方針であった",
                      "原文": "売上高を現在の1640億円から94年にはできれば2000億円にしたいと思っていますが，売り上げ規模がどうこうということより，カテゴリー別にトップを走っている商品がいくつあるかということが大事になってきています。",
                      "source": "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "引き継がれた「選択と集中」",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "撤退の方針は、大塚社長の退任後も残った。2010年5月、ハウス食品はミネラルウォーター事業をアサヒ飲料へ譲渡している。同年の決算説明会で会社は、選択と集中は第1次中期計画からの懸案であり、その観点から水事業の売却を決断したと説明した。1992年に「トップブランドの数が勝負」と語られた商品は、20年近くを経て、首位を保ったまま他社へ渡る対象となった。基準そのものは変わっておらず、自社が最も伸ばせる領域に資源を寄せるという考え方が引き継がれている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2010年5月にミネラルウォーター事業を譲渡した",
                      "原文": "2010/5　ミネラルウォーター事業を譲渡。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "会社は水事業売却を「選択と集中」の観点からの決断と説明した",
                      "原文": "「選択と集中」は、第１次中期計画からの懸案事項でしたが、その観点から水事業の売却を決断しました。",
                      "source": "ハウス食品 決算説明会 質疑応答（2010年5月21日）",
                      "url": "https://housefoods-group.com/ir/ir_library/explanation/pdf/100521_situgi_outou.pdf"
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "6代社長の浦上博史氏は2016年、市場の成熟が進んでそれぞれの分野に首位企業が生まれたため、2003年ごろから事業の選択と集中に着手したと振り返っている。即席麺「うまかっちゃん」は全国販売から地域限定へ切り替え、「六甲のおいしい水」はアサヒ飲料へ譲った。ニーズがあれば何でもやるという八方美人ではやっていけない、というのが同社長の言葉であった。1970年代に品目を広げて伸びた会社が、広げた分を仕分ける作業に四半世紀を費やしたことになる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "浦上博史社長は2003年ごろから選択と集中に着手したと述べ、うまかっちゃんの地域限定化と六甲のおいしい水の譲渡を例に挙げた",
                      "原文": "だが市場の成熟化が進み、それぞれの分野にトップ企業が誕生するようになったため、２００３年ごろから事業の選択と集中に着手した。「うまかっちゃん」は全国展開から地域限定販売に切り替え、「六甲のおいしい水」はアサヒ飲料に譲渡。ニーズがあれば何でもやるという八方美人では、やっていけない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー　ハウス食品グループ本社社長　浦上博史　ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "畳む判断に、誰が責任を持つか",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この判断で目を引くのは、撤退の対象が不振事業ではなく成長分野だった点にある。チルド食品は毎年2桁近く伸びる市場であり、続ける理屈はいくらでも立った。それでも大塚社長は、伸びる市場かどうかではなく、その市場で自社が首位グループに入れるかどうかを基準に置いた。新規事業に5年という期限を切り、力のあるうちに畳むという考え方も、赤字が膨らんでから追い込まれて撤退する型とは順序が逆になっている。撤退の判断を合議に委ねず、始める時は皆で決め、やめる時はトップが決めると分けたところにも、その順序を守るための工夫がうかがえる。"
                },
                {
                  "text": "もっとも、この方針が社内に根づくまでには4〜5年の停滞と、社長自身が挫折感と呼ぶほどの摩擦があった。新製品の数は売上と直結し、営業の日々の手応えとも結びついている。それを減らす判断は、数字の上では正しくても、現場では士気の低下として現れる。ハウス食品はその後も選択と集中を続け、2010年には自ら育てた首位商品まで手放した。何を残し何を畳むかという問いは、創業家出身ではない経営者が最初に引き受けた課題であり、以後の同社が繰り返し向き合ってきた主題であるとみることができる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "日経ビジネス 1992年1月20日号「中途半端な事業からは撤退　トップブランドの数が勝負」",
        "日経ビジネス 1993年2月1日号「大塚邦彦　災厄乗り切った業績請負人　製品絞り込みで先手打つ」",
        "日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業　新製品によるあくなき成長にも転機」",
        "週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー　ハウス食品グループ本社社長　浦上博史　ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」",
        "ハウス食品 決算説明会 質疑応答（2010年5月21日）",
        "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
    },
    {
      "slug": "ichibanya-acquisition-2015",
      "url": "/tse/2810/decisions/ichibanya-acquisition-2015/",
      "year": 2015,
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      "schema_version": "1.0",
      "stock_code": "2810",
      "decision_id": "2810-ichibanya-acquisition-2015",
      "type": "acquisition",
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        "china",
        "southeast-asia"
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      "title": "壱番屋へのTOBによる子会社化と、外食事業の取り込み",
      "subtitle": "ルウを作って売る会社が、なぜカレーを出す店を買ったのか——家庭内調理の縮小に向き合った2015年の判断",
      "status": "implemented",
      "status_label": "実施",
      "scheme": "公開買付け（TOB）による追加取得。買付価格1株6,000円、所有割合19.55％から51.00％へ。上場は維持",
      "ratio": "51.00%",
      "issue": "事業構造の転換と海外でのカレー需要開拓",
      "decider": {
        "name": "浦上博史（社長）",
        "ceo": "fy18-urakami-hiroshi"
      },
      "highlights": [
        {
          "label": "概要",
          "text": "2015年10月30日、ハウス食品グループ本社が「カレーハウスCoCo壱番屋」を展開する壱番屋へのTOBを決議した。1株6,000円で最大301億2,660万円を投じ、所有割合を19.55％から51.00％へ引き上げる内容で、同年12月1日に成立し壱番屋を連結子会社とした。"
        },
        {
          "label": "背景",
          "text": "国内では固形ルウの需要が落ち、レトルトや外食へ食の外部化が進んでいた。売上高の約5割を占める国内カレー事業の不振で営業減益が続き、原材料の調達から販売までを自社で握る必要が意識されていた。"
        },
        {
          "label": "内容",
          "text": "2015年7月、壱番屋の浜島俊哉社長がハウス食品を訪ね、創業者の宗次徳二氏に株式売却の意向があると伝えたことが発端となった。買収後もルウの製造販売はハウス、レストランの運営は壱番屋という役割分担を敷き、中国と東南アジアへ日本式カレーを広げる構想を掲げた。"
        },
        {
          "label": "含意",
          "text": "2016年3月期の連結純利益は保有株式の評価益等により226億円と前期の3倍超になり、翌2017年3月期は壱番屋の通期寄与で売上高が2,838億円へ伸びた。以後もギャバン、マロニーと買収が続き、家庭用ルウ一本足からの転換が進んだ。"
        }
      ],
      "parties": [
        {
          "stock_code": "2810",
          "name": "ハウス食品グループ本社",
          "role": "買収者",
          "at_deal": {
            "note": "家庭用カレールウ首位。2013年10月に持株会社体制へ移行。売上高の約5割を国内カレー事業が占めていた"
          }
        },
        {
          "stock_code": "7630",
          "name": "壱番屋",
          "role": "対象会社",
          "at_deal": {
            "note": "カレーレストラン「CoCo壱番屋」を国内1,228店・海外152店で展開。2015年5月期の売上高440億円・純利益27億円で最高益"
          }
        }
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      "dates": {
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      "breakdown": {
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        "summary": "家庭内調理の縮小に対し、消費者と直接接する外食を傘下に置いて需要を確かめ、海外ではルウと店舗を組み合わせてカレー文化を広げるための買収"
      },
      "timeline": [
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          "year": 1998,
          "month": null,
          "title": "ハウス食品が壱番屋の株式を取得"
        },
        {
          "year": 2002,
          "month": null,
          "title": "壱番屋創業家から株式の一部を譲り受け、第2位株主となる"
        },
        {
          "year": 2004,
          "month": 6,
          "title": "子会社上海ハウスカレーココ壱番屋レストラン社を設立し、中国で共同展開"
        },
        {
          "year": 2015,
          "month": 7,
          "title": "壱番屋の浜島俊哉社長がハウス食品を訪ね、創業者の株式売却意向を伝える"
        },
        {
          "year": 2015,
          "month": 10,
          "title": "TOBを決議（1株6,000円、買付予定額最大301億2,660万円、所有割合51.00％へ）",
          "highlight": true
        },
        {
          "year": 2015,
          "month": 12,
          "title": "TOBが成立し、壱番屋を連結子会社化"
        },
        {
          "year": 2016,
          "month": 6,
          "title": "業務用スパイス大手のギャバンを味の素から譲り受け子会社化"
        }
      ],
      "snapshot": {
        "fiscal_year": "2016年3月期",
        "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書（2016年3月期・連結）",
        "companies": [
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            "stock_code": "2810",
            "name": "ハウス食品グループ本社",
            "fiscal_year": "2016年3月期（連結）",
            "president": "浦上博史",
            "hq": "大阪市／東京都千代田区",
            "sales": {
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              "note": "壱番屋のTOB成立に伴う保有株式の評価益等を含む"
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            "equity_ratio": null,
            "roe": null,
            "employees": {
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              "unit": "人",
              "note": "連結・臨時従業員を除く"
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        ]
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          "section": "background",
          "label": "背景",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "家で作られなくなるカレー",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "2010年代前半、カレーは家庭の外へ移りつつあった。市場ではレトルトカレーの生産量が増える一方、固形ルウは落ちている。壱番屋の浜島俊哉社長は2016年初頭、一人暮らしや二人暮らしの世帯が増えて食べ方が変わり、夕方の早い時間に高齢の夫婦が向かい合ってカレーを食べる光景が店で増えたと述べ、これを一般家庭がカレーを作らなくなった証しと受け止めていた。家庭内調理を前提とする商品を主力に置く会社にとっては、そのまま需要の目減りにつながる変化であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2010年代半ば、レトルトカレーの生産量が増える一方で固形ルウは減少し、カレーが外で食べるものへ移りつつあった",
                      "原文": "実際、市場ではレトルトカレーの生産量が増えている反面、固形ルウは落ちている。“カレーは外で食べるもの”になりつつあるのだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
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                    },
                    {
                      "fact": "東日本大震災を機に食の外部化が進み、家庭内調理を前提とする製品には逆風となった",
                      "原文": "内食からコンビニ総菜などへ、食の外部化が進む引き金となった。カレールウなど家庭内調理を前提とする製品を多く扱うハウスにとっては逆風だ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー　ハウス食品グループ本社社長　浦上博史　ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」",
                      "url": null
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                  ]
                },
                {
                  "text": "業績にも表れていた。ハウス食品グループ本社の売上高は2012年頃から上向いたものの営業減益が続き、最大の要因は売上高の約5割を占める国内カレー事業の不振にあった。浦上博史社長は2009年の就任後、2010年に「六甲のおいしい水」事業をアサヒ飲料へ53億円で譲渡し、2013年5月には農産物輸出入のヴォークス・トレーディングを買収して原料の調達機能を強め、同年10月に持株会社体制へ移った。各事業の運営を事業会社へ委ね、本社が買収戦略に専念する形を整えている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "国内カレー事業の不振で営業減益が続き、浦上社長就任後は水事業譲渡・ヴォークス買収・持株会社移行と手を打っていた",
                      "原文": "売上高は１２年頃から上昇しつつあるが、営業減益が続いた。最大の要因は、売上高の約５割を占める国内カレー事業の不振だ。（中略）０９年に創業家の浦上氏が社長に就任するや否や、翌年「六甲のおいしい水」事業をアサヒ飲料に５３億円で売却。続けて１３年５月に農産物輸出入のヴォークスを買収し原料の調達機能を強化すると、同年１０月には持ち株会社体制に移行した。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート　ハウス（好侍）　カレー「人民食」化計画！」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "2013年5月にヴォークス・トレーディングを子会社化、2013年10月に持株会社体制へ移行しハウス食品グループ本社へ改称",
                      "原文": "2013/5　㈱ヴォークス・トレーディングの株式を取得し、同社およびその子会社のジャワアグリテック社、ティムフード社ほか６社を子会社化。／2013/10　持株会社体制に移行し、社名をハウス食品グループ本社㈱と改称。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
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            },
            {
              "sub_title": "40年続いたルウの取引先",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "壱番屋との関係は古い。1974年、宗次徳二氏が名古屋市内で開いた喫茶店にカレーを加える際、近隣のスーパーでルウを買い集めて食べ比べ、選んだのがハウス食品製であった。その4年後にCoCo壱番屋1号店が生まれ、以後ココイチのカレーソースはハウス食品から全量供給を受けている。1998年にはハウス食品が壱番屋の株式を取得し、2002年には創業家から一部を譲り受けて第2位株主となった。2004年6月には中国で共同のカレーレストラン会社を設立し、海外でも組んでいる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "1974年の喫茶店開業時にハウス製ルウを選んで以来の取引で、1998年に株式取得、2002年に創業家から一部譲受して第2位株主となった",
                      "原文": "ココイチのルウは全量、ハウス食品から供給を受けている。ハウスとの接点は約４０年前、カレーハウスＣｏＣｏ壱番屋が誕生する以前にさかのぼる。１９９８年にはハウスが壱番屋の株式を取得。０２年には壱番屋創業家から一部株式を譲り受け、第２位株主となった。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
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                    },
                    {
                      "fact": "2004年6月に子会社上海ハウスカレーココ壱番屋レストラン社を設立",
                      "原文": "2004/6　子会社上海ハウスカレーココ壱番屋レストラン社（現壱番屋レストラン管理（中国）社）設立。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
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                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "買収の対象となった壱番屋は、外食のなかでも数少ない好調企業であった。2015年12月末で国内1,228店（うちフランチャイズ1,048店）、海外152店の計1,380店を持ち、店舗数で2位とされる同業の約70店を大きく引き離していた。2015年5月期は売上高440億円、純利益27億円といずれも最高益で、客単価は895円と外食としては高い水準にあった。ご飯の量を14段階、辛さを12段階から選べる注文方式と約40種のトッピングが支持を集めていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2015年12月末で国内1,228店・海外152店の計1,380店、2015年5月期は売上高440億円・純利益27億円の最高益、客単価895円",
                      "原文": "２０１５年１２月末現在、国内１２２８店（うちＦＣ１０４８店）、海外１５２店の計１３８０店を展開する。（中略）１５年５月期は売上高４４０億円（前期比３・４％増）、純利益２７億円（同１４・２％増）と最高益。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
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          ]
        },
        {
          "section": "origin",
          "label": "決断",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "創業者の意向と、301億円の公開買付け",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "話は壱番屋の側から持ち込まれた。2015年7月、浜島俊哉社長がハウス食品を訪ね、創業者が株を売却したい意向を持っており、考えがあれば話をまとめると伝えた。宗次徳二氏は2002年に53歳で経営を退いており、売却について、ためらいや執着はなく、精いっぱいやり尽くした達成感があり、何よりもいい後継者がいると語っている。浜島社長も記者会見で、創業者が亡くなったときのことも考え、株を安定的に持ってくれるハウス食品に任せるのがよいと述べた。事業承継の受け皿として、40年来の取引先が選ばれた形にあたる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2015年7月に浜島社長がハウス食品を訪ね、創業者の株式売却意向を伝えた",
                      "原文": "「実は創業者が株を売却したい意向を持っています。もしお考えにあれば話をまとめます」。１５年７月、浜島社長はハウス食品に出向いた。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "宗次徳二氏は売却に執着はないと述べ、浜島社長は創業者の死後を見据えて安定株主としてハウスに委ねるのがよいと説明した",
                      "原文": "浜島社長は会見で、「もう少し長いレンジでものを見ている。創業者が亡くなったときのことも考えて、株を安定的にしっかり持ってくれるハウスに任せるのがいいだろう」と述べている。創業者の宗次徳二氏も「ためらいや執着はない。精いっぱいやり尽くしたという達成感があるし、何よりも、いい後継者がいる」と話す。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "ハウス食品グループ本社は2015年10月30日、壱番屋株式へのTOBを決議した。買付価格は1株6,000円、買付予定株数502万1,100株、買付予定金額は最大301億2,660万円で、買付期間は11月2日から12月1日までとした。所有割合は19.55％から51.00％へ上がる一方、壱番屋の上場は維持する設計であった。TOBは12月1日に成立し、有価証券報告書の沿革は同月の子会社化として記録している。過半数を取りながら上場を残す形は、外食の運営を壱番屋自身に委ね続ける意図と重なる。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2015年10月30日にTOBを決議。1株6,000円、買付予定株数502万1,100株、買付予定金額最大301億2,660万円、期間11月2日〜12月1日、所有割合19.55％→51.00％",
                      "原文": "買付価格は1株あたり6000円、買付予定株数は502万1100株、買付予定金額は最大301億2660万円、買付期間は2015年11月2日から12月1日。所有割合を現在の19.55％から51.00％に引き上げることを目指す。",
                      "source": "M&A Online（2015年10月30日）「ハウス食品グループ本社＜2810＞、壱番屋＜7630＞をTOBで子会社化」",
                      "url": "https://maonline.jp/news/20151030g"
                    },
                    {
                      "fact": "2015年12月1日にTOBが成立し、ハウス食品は壱番屋株式の51％を握った",
                      "原文": "壱番屋へのTOBが1日に成立し、ハウス食品は壱番屋の発行済み株式の51%を握る。",
                      "source": "日本経済新聞（2015年12月2日）「ハウス食品、16年3月期の純利益3.2倍に　壱番屋のTOB成立」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ02I59_S5A201C1TI5000/"
                    },
                    {
                      "fact": "2015年12月に壱番屋の株式を取得し子会社化",
                      "原文": "2015/12　㈱壱番屋の株式を取得し、同社およびその子会社のイチバンヤUSA社、壱番屋香港社を子会社化。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "何を買ったのか——検証の場と、海外の役割分担",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "浦上博史社長は買収の狙いを二つに分けて説明している。ひとつは、顧客と直接の接点を持つ壱番屋を通じて、新しい価値や提案の成果を確かめる場を得ること。原材料の調達から販売までのバリューチェーンをできるだけ長く握らなければ、顧客の要望に応じて商品を作るだけの会社では生き残れないという見方に立っていた。もうひとつが海外で、ルウの製造販売はハウス食品、レストランの運営は壱番屋と役割を分け、中国だけでなく東南アジア各国へ日本式のカレー文化を広げる構想であった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "壱番屋は消費者と直接の接点を持つため新しい価値の検証の場となり、海外ではルウはハウス・レストランは壱番屋と役割分担する構想であった",
                      "原文": "カレーレストランを展開する壱番屋は消費者と直接の接点を持つため、新しい価値や提案の成果を検証する場を確保できる。海外展開についても、ルウの製造販売はハウス、レストランの展開は壱番屋というように、餅は餅屋で役割分担を明確化することにより、中国だけでなく東南アジア諸国にも“日式”カレー文化を広めていく。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー　ハウス食品グループ本社社長　浦上博史　ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ハウス食品は1997年の上海出店以来、中国でカレーライスの普及に取り組み、2012年度に中国カレー事業が黒字化していた",
                      "原文": "９７年、“日式”カレーが好まれるかどうかを試すべく、初めてカレーレストラン「Ｃｕｒｒｙ　Ｈｏｕｓｅ」を出店した。（中略）中国カレー事業も１２年度には黒字化を達成。売上高は年平均３０％増の成長を続けている。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート　ハウス（好侍）　カレー「人民食」化計画！」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "もっとも、買収の効果について会社は慎重に語っていた。2015年12月の決算説明会で相乗効果を問われた会社側は、具体的な取り組みはこれから壱番屋と議論する段階であると断ったうえで、調達面では主力のカレーやスパイスの調達量が増えるとは考えておらず、それ以外の素材の可能性を議論したいと答えた。新規事業として取り組む「涙の出ないタマネギ」のような素材を店舗で使ってもらう可能性や、品質・技術面で協力した壱番屋のレトルト生産設備の有効利用を挙げ、いずれもアイデアの段階であると付け加えている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2015年12月の決算説明会で会社は、相乗効果はこれから議論する段階でありカレー・スパイスの調達量増は見込まないと答えた",
                      "原文": "今後、壱番屋と具体的な取組を議論していく段階であるので、あまり勝手なことを言うことは出来ないが、海外については、お互いの特性を活かした展開が可能だと考えている。調達面では、連結子会社化によって主力のカレー、スパイスの調達量が増えるとは考えておらず、それ以外の素材の可能性について議論していきたい。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 決算説明会 質疑応答（2015年12月4日）",
                      "url": "https://housefoods-group.com/ir/ir_library/explanation/pdf/151204situgioutou.pdf"
                    }
                  ]
                }
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "section": "outcome",
          "label": "結果",
          "subsections": [
            {
              "sub_title": "連結の姿が変わった2年",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "買収は決算の姿をすぐに変えた。TOB成立を受けて、2016年3月期の連結純利益の見通しは従来予想の80億円から224億円へ引き上げられ、実績は226億円と前期の3倍を超えた。買い付け前から保有していた株式の評価益に加え、投資有価証券の売却益も計上している。同期の連結売上高は2,419億円、営業利益は108億円であった。壱番屋の売上が通期で乗った2017年3月期には、連結売上高が2,838億円、営業利益が123億円へ伸びている。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "TOB成立で2016年3月期の連結純利益予想は80億円から224億円へ引き上げられた",
                      "原文": "2016年3月期の連結純利益が前期の3.2倍の224億円になる見通し（従来予想は80億円）。（中略）買い付け以前の保有株式について評価益が発生するほか、投資有価証券の売却による特別利益も約31億円計上する。",
                      "source": "日本経済新聞（2015年12月2日）「ハウス食品、16年3月期の純利益3.2倍に　壱番屋のTOB成立」",
                      "url": "https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ02I59_S5A201C1TI5000/"
                    },
                    {
                      "fact": "2016年3月期の連結売上高2,419億円・営業利益108億円・純利益226億円、2017年3月期は売上高2,838億円・営業利益123億円",
                      "原文": "2016年3月期（連結）の売上高2,419億円、営業利益108億円、経常利益122億円、親会社株主に帰属する当期純利益226億円。2017年3月期（連結）の売上高2,838億円、営業利益123億円。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書（2016年3月期・2017年3月期／連結）",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "一方で、のれんの負担も生じた。2016年度の計画は売上高2,890億円と前年比19.5％増を見込みながら、営業利益は102億円と5.3％の減益であり、壱番屋の子会社化に伴うのれん償却費の増加が理由に挙げられた。海外売上比率は2015年度末で10.8％にとどまり、2020年に20％という目標には距離があった。第5次中期計画では最大700億円の事業投資を予定し、2015年度の投資額を差し引いても約400億円の余地が残っていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2016年度計画は売上高2,890億円（前年比19.5％増）・営業利益102億円（5.3％減）で、のれん償却費の増加が減益要因とされた",
                      "原文": "１６年度の計画は売上高２８９０億円（前年比１９．５％増）、営業利益１０２億円（同５．３％減）。壱番屋の子会社化に伴うのれん償却費の増加が響き、減益を見込む。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート　ハウス（好侍）　カレー「人民食」化計画！」",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "海外売上比率は2015年度末で10.8％、第5次中期計画では最大700億円の事業投資を予定していた",
                      "原文": "現行の第５次中期計画では最大７００億円の事業投資を予定しており、昨１５年度の投資額を差し引いても約４００億円の余地がある。売上高の海外比率は１５年度末時点で１０．８％にとどまり、",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート　ハウス（好侍）　カレー「人民食」化計画！」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "買収の連鎖と、事業構成の組み替え",
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "壱番屋の子会社化は単発では終わらなかった。2016年6月、業務用スパイス大手のギャバンの株式を味の素から譲り受けて子会社化し、マレーシア・ペナンのスパイス加工工場による原料調達の相乗効果と、ホテル・レストラン向けの販路を得た。2017年8月にはマロニーを子会社化し、2022年9月には米国のキーストーンナチュラルホールディングス社を傘下に収めている。浦上社長は2016年の時点で、分野をあらかじめ決めず、中期計画の具現化に資すると判断すれば国内でも海外でも取り組むと述べていた。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2016年6月にギャバン、2017年8月にマロニー、2022年9月にキーストーンナチュラルホールディングス社を子会社化した",
                      "原文": "2016/6　㈱ギャバンの株式を取得し、同社およびその子会社のギャバンスパイスマニュファクチャリング社を子会社化。／2017/8　マロニー㈱の株式を取得し、子会社化。／2022/9　キーストーンナチュラルホールディングス社の株式を取得し、同社およびその子会社のネイチャーソイ社、スーペリアナチュラル社を子会社化。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "ギャバンの子会社化は原料調達と業務用販路の拡充を狙い、以後のM&Aも分野を限定しない方針であった",
                      "原文": "ギャバンはマレーシア・ペナンにスパイス加工工場を持っているため、原料調達の面で相乗効果を生み出せる。（中略）新たなＭ＆Ａ（企業の合併・買収）について具体的な案件は今のところないが、中期計画の具現化に資すると判断すれば、国内でも海外でも積極的に取り組む。あらかじめ分野を決めるようなことはしない。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー　ハウス食品グループ本社社長　浦上博史　ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                },
                {
                  "text": "海外での役割分担も動き出した。2017年3月にイチバンヤUK社、2020年9月にイチバンヤインターナショナルUSA社が設立され、店舗網は欧米へも延びている。浦上社長は買収時、外食の専門である壱番屋のほうが海外展開の速度は速く、海外店舗のすべてがハウス食品というわけにはいかない、むしろ逆のほうが望ましいと語っていた。ココイチのブランドで市場を開いたうえで、ハウス食品のレトルトカレーを売り込むという順序である。中国で1997年から続けてきたカレー普及の取り組みに、店舗という経路が加わった。",
                  "evidences": [
                    {
                      "fact": "2017年3月にイチバンヤUK社、2020年9月にイチバンヤインターナショナルUSA社を設立した",
                      "原文": "2017/3　子会社イチバンヤUK社設立。／2020/9　子会社イチバンヤインターナショナルUSA社設立。",
                      "source": "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】",
                      "url": null
                    },
                    {
                      "fact": "浦上社長は海外展開では壱番屋主導のほうが速く、ココイチで市場を開いた後にレトルトを売り込む順序を描いていた",
                      "原文": "ハウス食品グループ本社の浦上博史社長は「外食のプロである壱番屋のほうが展開のスピードが速い。海外店舗は全部ハウスということはない。むしろ逆のほうが望ましいのでは」と言う。ココイチのブランド力で市場を開拓した後、ハウスのレトルトカレーを売り込んでいく考えだ。",
                      "source": "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
                      "url": null
                    }
                  ]
                }
              ]
            },
            {
              "sub_title": "作る会社が、売る場所を持つということ",
              "editorial": true,
              "paragraphs": [
                {
                  "text": "この買収には、二つの性格が重なっているとみることができる。ひとつは食品メーカーによる川下への進出であり、家庭で作られる回数が減るなら、外で食べられる場を自ら押さえるという判断にあたる。もうひとつは事業承継の受け皿としての役割で、話はハウス食品からではなく、創業者の意向を携えた壱番屋の側から持ち込まれた。40年にわたってルウを納め続けた関係があったからこそ、宗次徳二氏も浜島俊哉社長も渡す相手として迷わなかったと語っている。取引の積み重ねが買収の入口になった例といえる。"
                },
                {
                  "text": "過半数を取りながら上場を残し、店舗の運営を壱番屋に委ねた設計にも、同社の距離の取り方が表れている。会社自身が買収直後の決算説明会で相乗効果をアイデアの段階と断ったように、買った時点で答えが用意されていたわけではない。海外でルウと店舗をどう噛み合わせるか、国内で外食の接点から何を持ち帰るかは、その後の運用に委ねられた。家庭用ルウで首位を保ってきた会社が、その首位が続く前提そのものを疑って外の柱を求めた——2015年の判断は、そう読むこともできる。"
                }
              ]
            }
          ]
        }
      ],
      "references": [
        "週刊東洋経済 2016年1月22日号「巻頭特集　孤高のココイチここにあり！」",
        "週刊東洋経済 2016年7月23日号「深層リポート　ハウス（好侍）　カレー「人民食」化計画！」",
        "週刊東洋経済 2016年7月23日号「インタビュー　ハウス食品グループ本社社長　浦上博史　ハウス×ココイチで東南アジアを攻める」",
        "M&A Online（2015年10月30日）「ハウス食品グループ本社＜2810＞、壱番屋＜7630＞をTOBで子会社化」",
        "日本経済新聞（2015年12月2日）「ハウス食品、16年3月期の純利益3.2倍に　壱番屋のTOB成立」",
        "ハウス食品グループ本社 決算説明会 質疑応答（2015年12月4日）",
        "ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期（2025年3月期）【沿革】"
      ],
      "authored": "2026-07",
      "last_updated": "2026-07-22"
    }
  ]
}
