{
  "spec_version": "5",
  "endpoint": "ceo-person",
  "stock_code": "2587",
  "company_name": "サントリービバレッジ&フード",
  "content_lang": "ja",
  "meta_lang": "en",
  "canonical_url": "https://the-shashi.com/tse/2587/executives/ceo/torii-shinjiro/",
  "api_url": "/api/2587/ceo/torii-shinjiro.json",
  "updated": "2026-10-29",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/2587/executives/ceo/torii-shinjiro/",
  "source": {
    "person": {
      "primary": [
        "有価証券報告書（役員の状況）"
      ],
      "extraction": "EDINET の XBRL から機械抽出した役員表を土台に、雑誌記事・社史・報道で経歴と出自を補完",
      "caveat": "在任区間は career の is_ceo_appointed が正本。退任年月は次の代の就任年月から決まる"
    }
  },
  "person": {
    "slug": "torii-shinjiro",
    "name": "鳥井信治郎",
    "birthdate": "1879-01-30",
    "kana": "とりい　しんじろう",
    "surname": "鳥井",
    "given_name": "信治郎",
    "origin": "創業家（1899年創業）。薬種問屋の小西儀助商店で洋酒の調合を学んで鳥井商店を起こし、株式会社寿屋の社長を40年務めた",
    "origin_type": "創業家",
    "milestone": "寿屋（現サントリー）の創業者",
    "hometown": "大阪府大阪市",
    "education": "大阪商業学校",
    "education_source": "サントリーの70年1 やってみなはれ（1969）「やってみなはれ 戦前編」山口瞳",
    "career": [
      {
        "company": "小西儀助商店",
        "from": "1892",
        "to": null,
        "roles": [
          {
            "date": "1892",
            "role": "奉公",
            "event": "入店"
          }
        ]
      },
      {
        "company": "寿屋（現サントリーホールディングス）",
        "from": "1899-02",
        "to": "1962-02",
        "roles": [
          {
            "date": "1899-02",
            "role": "鳥井商店 創業",
            "event": "創業"
          },
          {
            "date": "1921-12",
            "role": "株式会社寿屋 設立・社長",
            "title": "社長",
            "event": "設立",
            "is_ceo_appointed": true
          },
          {
            "date": "1961-05",
            "role": "社長退任（取締役会長へ）",
            "title": "社長",
            "event": "退任",
            "next": "取締役会長",
            "is_ceo_retired": true,
            "retirement_basis": "press"
          },
          {
            "date": "1961-05",
            "role": "取締役会長",
            "board": "取締役",
            "title": "会長"
          }
        ]
      }
    ],
    "references": [
      {
        "source": "サントリーの70年1 やってみなはれ（1969）「やってみなはれ 戦前編」山口瞳",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/11956725",
        "for": [
          "birthdate",
          "hometown",
          "education",
          "career",
          "origin"
        ]
      },
      {
        "source": "サントリーの70年1 やってみなはれ（1969）「やってみなはれ 戦後編」開高健",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/11956725",
        "for": [
          "career"
        ]
      },
      {
        "source": "会社銀行八十年史（東洋経済新報社、1955）「壽屋」",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3043712",
        "for": [
          "career"
        ]
      },
      {
        "source": "社会人 74号（1955年6月）「寿屋社長 鳥井信治郎伝」岡田文夫",
        "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/3552915",
        "for": [
          "career",
          "origin"
        ]
      },
      {
        "source": "サントリー食品インターナショナル 有価証券報告書 第17期（2025年12月期）【沿革】",
        "for": [
          "career"
        ]
      }
    ],
    "sections": {
      "tenure_frames": [
        {
          "frame": "origin",
          "text": "1879年1月30日、大阪市東区釣鐘町で両替商から米屋へ転じた鳥井忠兵衛氏の次男として生まれた。大阪商業学校に2年在学したのち、1892年に13歳で道修町の薬種問屋・小西儀助商店へ奉公に出て、洋酒の調合と鑑定の技術を学んだ。3年の奉公を終えると、絵具・染料問屋の小西勘之助商店へ移った。1899年2月に鳥井商店を起こし、寿屋を一代で築いた創業者である。寿屋の副社長を務めた長男の鳥井吉太郎氏は、1940年9月に33歳で急死した。"
        },
        {
          "frame": "selection",
          "inference": true,
          "text": "1921年12月1日に株式会社寿屋を設立し、その社長に就任した。これに先立つ1912年、西川定義氏との共同経営を解いて店を東区住吉町へ移していた。1919年には大阪・築港の工場が赤玉ポートワインの専用工場となり、主力品の量産体制が整っていた。山崎工場の竣工当時の組織では、代表取締役社長の鳥井信治郎氏の下に、取締役として兄の鳥井喜蔵氏らが名を連ねた。赤玉の利益を、回収に年数のかかるウイスキーへ充当する組織として株式会社を選んだとみられる。"
        },
        {
          "frame": "initiatives",
          "text": "1929年4月、山崎の原酒で造った初の本格ウイスキーであるサントリーウイスキー白札を発売したが販売は伸びず、1931年にはウイスキーの仕込みを止めた。売れずに貯蔵庫に残った原酒が熟成し、1937年末に角瓶を、1940年11月にオールドを発売した。1945年の空襲で住吉町の本社と大阪工場を失った一方、山崎の原酒は横穴に保管されて残った。戦後はトリスウイスキーが販売を伸ばし、1958年の販売数量は84万ケースに達した。1961年5月30日、次男の佐治敬三氏を社長に推し、取締役会長に就任した。"
        },
        {
          "frame": "results",
          "text": null
        },
        {
          "frame": "founding",
          "text": "鳥井信治郎氏の生家は大阪の米屋で、父の鳥井忠兵衛氏は本業の傍らでサイダーやラムネを売り、薬種問屋が調合した模造ウイスキーも扱った。米屋は兄の鳥井喜蔵氏が継ぐことになり、父は次男に副業の側を任せる考えだったとされる。1892年に13歳で奉公した道修町の小西儀助商店は、漢方薬に加えて舶来の葡萄酒やブランデー、ウイスキーを扱う薬種問屋だった。鳥井信治郎氏はここで3年を過ごし、洋酒の製法と鑑定の基礎を習得した。\n1899年2月、鳥井信治郎氏は鳥井商店を創業した。社史によれば、葡萄酒の製造に本腰を入れたのは父が亡くなって家に戻った1900年からで、大阪・西区靱中通の一戸で、日清戦争後に取引が増加した中国人の商人を相手に葡萄酒を売った。原料の生葡萄酒はフランスやスペインからの輸入品で、瓶詰めと荷造り、荷車での配達を一人でこなした。1902年には南区安堂寺橋通へ移り、西川定義氏との共同経営で寿屋洋酒店を名のった。\n販路を国内に広げる糸口は、売れなかった商品から得た。神戸のスペイン人セーレスの商会から仕入れた本国産の葡萄酒をそのまま瓶詰めして売り出したが、欧州風の風味は日本人の飲み方に合わなかった。鳥井信治郎氏は甘味のある日本向けの葡萄酒に狙いを絞り、甘味剤や香料の配合を重ねた。こうして完成した赤玉ポートワインを1907年に1本38銭で発売し、同じ年の7月には寿屋として初めて新聞広告を出した。当時の首位は東京の蜂印香竄葡萄酒で、赤玉はその牙城を崩す商品として売り込まれた。1912年には共同経営を解いて東区住吉町へ店を移し、1919年には築港工場を赤玉専用とした。\n赤玉で大正半ばまでに地盤を固めると、1921年12月1日に株式会社寿屋を設立した。同時に着手したのが国産ウイスキーの製造である。当時の洋酒はジョニー・ウォーカーなどスコッチの輸入品が中心で、年に約200万円の外貨が流出していた。工場の建設地には、水の便がよく靄のかかる土地を探した末に、三つの川が合流する京都の山崎を選んだ。ウイスキーは1、2年では商品にならないため、鳥井信治郎氏は赤玉の利益を次々とウイスキーへ投じた。\n清涼飲料の販売は1932年6月に始まった。最初の品は、生産過剰に陥った青森のリンゴを何とかしてほしいという相談から生まれた濃縮リンゴジュースのコーリンで、リンゴ35個分の栄養をうたった。1936年8月にはトリスグレープジュースとトリスオレンジジュースを製造・発売した。寿屋の飲料・食品事業は、2009年1月に承継先として設立された会社が引き継ぎ、その会社は沿革の最初の行に1899年2月の鳥井商店創業を記している。"
        }
      ]
    },
    "html_url": "https://the-shashi.com/tse/2587/executives/ceo/torii-shinjiro/",
    "term_start": "1921-12",
    "term_end": "2011-01",
    "api_url": "https://the-shashi.com/api/2587/ceo/torii-shinjiro.json",
    "list_api_url": "https://the-shashi.com/api/2587/ceo.json",
    "predecessor": null,
    "successor": {
      "slug": "torii-nobuhiro",
      "name": "鳥井信宏",
      "api_url": "https://the-shashi.com/api/2587/ceo/torii-nobuhiro.json"
    }
  }
}
