{
  "title": "博報堂DYホールディングスの歴史概略",
  "sections": [
    {
      "start_year": 1895,
      "end_year": 1954,
      "main_title": "教育雑誌の広告取次から、統制と再建をくぐって総合広告会社になるまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "神田の一室で始まった教育雑誌の広告取次",
          "text": "1895年10月、瀬木博尚氏が神田区鍋町22番地に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を創業した。扱ったのは新聞ではなく教育雑誌で、対象を学校と教員に読まれる媒体に絞ったところに出発点の特徴がある。社名は「博く、華客に奉仕報酬する」という創業者の考えから採られた。広告主に代わって媒体を押さえる商売そのものは当時すでに存在したが、扱い媒体を限定し、その分野の広告主と媒体社の双方に食い込む形は、規模で先行者を追わない後年の博報堂の作法を先取りしている。教育雑誌は発行部数こそ小さいものの、読者が教員と学校に限られるため、広告主にとっては相手を絞って届けられる媒体にあたる。部数の大小ではなく読者の輪郭で媒体を選ぶ発想が、創業の時点ですでに置かれていた。\n\n広告代理業の草創期にあって、博報堂の創業は同業の主要各社より早い。のちに最大の競合となる電通は、光永星郎氏が日本広告株式会社を設立した1901年を起源とし、博報堂の創業から6年後にあたる。もっとも先行が優位に直結したわけではない。電通は通信社業務を併営して新聞社との関係を厚くし、四大媒体の取扱高で戦後長く首位を占めた。創業の早さは、博報堂に業界順位ではなく、教育・出版分野の広告主とのつながりという別種の資産をもたらした。広告主に対して媒体を確保する取次と、媒体社に対して広告を集める代理は、同じ会社のなかで利害が反する。どちらの側に立つ会社になるかという問いは、この時期の広告各社に共通しており、博報堂は特定分野の媒体に深く入る形でその問いに答えている。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1895年10月、瀬木博尚が神田区鍋町22番地に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を創業",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1895年10月、瀬木博尚氏が神田区鍋町22番地に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を創業した。"
              },
              {
                "fact": "社名は創業者の理念「博く、華客に奉仕報酬する」に由来する",
                "source": "博報堂 会社概要",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/",
                "genbun": "社名は「博く、華客に奉仕報酬する」という創業者の考えから採られた。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "電通の起源は1901年7月に光永星郎が設立した日本広告株式会社",
                "source": "電通グループ 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "のちに最大の競合となる電通は、光永星郎氏が日本広告株式会社を設立した1901年を起源とし、博報堂の創業から6年後にあたる。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "株式会社への改組と、戦時統制を挟んだ戦後の再建",
          "text": "1914年10月に本社を神田区錦町へ移し、1924年2月には株式会社に改組して瀬木博尚氏が初代取締役社長に就いた。当時の法人格は内外通信社で、博報堂はその広告部として名を掲げる形をとっている。1930年6月には錦町本館が竣工し、木造西洋館から自社ビルへと拠点を移している。取次の店から法人へ、借家から自社ビルへという移行は、広告業が経済のなかで一つの業種として認められた過程とも重なる。創業者は資産を教育分野へ還元する意向を持ち、この志向はのちに財団の設立と、その財団が筆頭株主として持株会社を支える構造につながった。\n\n戦時期の広告業は、用紙統制と媒体の統廃合によって取扱いそのものが縮んだ。戦後の再建で博報堂が最初に手をつけたのは、広告の効用を語る自前の媒体づくりであり、1948年9月に「博報堂月報」を発刊した。同誌はのちに「広告」と改題され、業界の言論媒体として続いた。1955年4月には商号を株式会社博報堂に改め、社名と事業体を一致させている。それまで法人としては内外通信社の名を掲げ、博報堂は広告部門の呼称にとどまっていた。看板の統一は、通信社の一部門から広告会社そのものへと主たる事業が移り終えたことを示す手続きにあたる。創業から60年をかけて、雑誌広告の取次店は総合広告会社としての形を整えた。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1914年10月に本社を神田区錦町へ移転",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1914年10月に本社を神田区錦町へ移し、"
              },
              {
                "fact": "1924年2月に株式会社へ改組し、瀬木博尚が初代取締役社長に就任。当時の表示は「株式会社内外通信社 広告部博報堂」",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1924年2月には株式会社に改組して瀬木博尚氏が初代取締役社長に就いた。"
              },
              {
                "fact": "1930年6月に新社屋（錦町本館）が竣工",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1930年6月には錦町本館が竣工し、木造西洋館から自社ビルへと拠点を移している。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1948年9月に「博報堂月報」を発刊（のちに「広告」と改題）",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1948年9月に「博報堂月報」を発刊した。"
              },
              {
                "fact": "1955年4月に商号を「株式会社博報堂」へ変更",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1955年4月には商号を株式会社博報堂に改め、社名と事業体を一致させている。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1955,
      "end_year": 1994,
      "main_title": "AE制と生活者発想で組み立てた、規模で追わない二番手としての作法",
      "subsections": [
        {
          "title": "得意先ごとのグループ制とAE概念の導入",
          "text": "1957年6月、博報堂は得意先ごとのグループ制を採り、AE（アカウント・エグゼクティブ）という概念を導入した。媒体別に人を置く従来の編成では、広告主から見て窓口が分散する。得意先ごとに担当を束ねる編成に変えると、広告主の課題を一人が引き受け、社内の制作・媒体を集める形になる。取扱高で先行する競合に対し、営業の編成そのもので差をつける選択であり、以後の博報堂の営業文化はこの設計の上に積み上がった。AEは米国の広告業で確立していた職能で、博報堂はそれを国内へ持ち込んだ側に立つ。広告主の課題から社内を編成するこの考え方は、のちに広告枠の外側にある事業設計まで請け負う仕事の広がりへつながり、2020年代のコンサルティング事業の下地にもなった。\n\n1960年1月には「博報堂宣言」を発表した。高度成長の入口で広告需要が量的に膨らむなか、量を追う以外の立ち位置を社内外に言葉で示している。以後、博報堂は節目ごとに宣言の形で方針を掲げる会社になった。1991年5月の「グランド・デザイン・パートナー」宣言、2002年5月の「パワーブランド・パートナー」宣言がそれにあたる。広告の受託者ではなく広告主の事業設計に関わる立場を名乗り続けた点で、三つの宣言は一本の線でつながっている。1991年の宣言を掲げたのは磯邊律男社長で、博報堂の第二のステージという言い方をしている。宣言はいずれも取扱高の目標ではなく、広告主との関係の質を言葉にしたものであった。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1957年6月に得意先ごとのグループ制を採用し、AEという概念を導入",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1957年6月、博報堂は得意先ごとのグループ制を採り、AE（アカウント・エグゼクティブ）という概念を導入した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1960年1月に「博報堂宣言」を発表",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1960年1月には「博報堂宣言」を発表した。"
              },
              {
                "fact": "1991年5月に「グランド・デザイン・パートナー」宣言、2002年5月に「パワーブランド・パートナー」宣言",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1991年5月の「グランド・デザイン・パートナー」宣言、2002年5月の「パワーブランド・パートナー」宣言がそれにあたる。"
              },
              {
                "fact": "1991年5月の「グランド・デザイン・パートナー」宣言は磯邊律男社長が博報堂の「第2のステージ」として掲げた",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1991年の宣言を掲げたのは磯邊律男社長で、博報堂の第二のステージという言い方をしている。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "生活総合研究所が立てた「生活者」という物差し",
          "text": "1981年9月、博報堂は生活者の視点に立つ発想を明示して博報堂生活総合研究所を設立した。消費者を購買主体としてのみ捉えるのではなく、生活の全体から人を見る枠組みを自前で持つ試みで、1992年からは隔年で生活者の意識調査を積み重ねている。調査そのものは収益を生まないが、蓄積が長期になるほど他社に模倣されにくい資産となる。西山泰央社長は2026年の取材で「人間の意識や価値観を何十年も見続け、培った技術がある」と述べ、この蓄積を競合との差として挙げた。設立から45年を経てなお経営者が最初に持ち出す資産である点に、この投資の性格がよく表れている。\n\n制作面での評価も1980年代から続いた。1982年6月に松下電器産業のCM「光のメニュー」がカンヌ国際広告祭でグランプリを受け、1993年6月には日清食品カップヌードルのCMがフィルム部門でグランプリを得ている。2003年6月のカンヌ50周年記念式典では特別賞を受けた。取扱高では電通に及ばないまま、表現の評価では国際的な賞を重ねる状態が続き、規模と評判が一致しない二番手という位置づけが定着した。広告主から見れば、取扱量の大きさと表現の質はそれぞれ別の理由で選ぶ材料になる。博報堂は前者で追いつけない差を、後者で埋める形を長く続けた。1992年にはBMWが広告の担当を電通から博報堂へ移しており、この構図が実際の取引の移動として表れた例にあたる。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1981年9月に「生活者の視点に立つ」発想を明示し、博報堂生活総合研究所を設立",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1981年9月、博報堂は生活者の視点に立つ発想を明示して博報堂生活総合研究所を設立した。"
              },
              {
                "fact": "1981年の生活総合研究所開設と1992年からの隔年の生活者意識調査",
                "source": "週刊東洋経済 2026年5月30日号「トップに直撃 博報堂DYホールディングス 社長CEO 西山泰央」",
                "url": null,
                "genbun": "1992年からは隔年で生活者の意識調査を積み重ねている。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1982年6月に松下電器産業のCM「光のメニュー」がカンヌ国際広告祭でグランプリ受賞",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1982年6月に松下電器産業のCM「光のメニュー」がカンヌ国際広告祭でグランプリを受け、"
              },
              {
                "fact": "1993年6月にカンヌ国際広告祭で日清食品カップヌードルのCMがフィルム部門グランプリ、2003年6月に同祭50周年記念式典で特別賞",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1993年6月には日清食品カップヌードルのCMがフィルム部門でグランプリを得ている。2003年6月のカンヌ50周年記念式典では特別賞を受けた。"
              },
              {
                "fact": "1992年にBMWが広告の担当を電通から博報堂へ切り替えた",
                "source": "日経ビジネス 1992年3月30日号「電通から博報堂へ、BMWも鞍替え」",
                "url": null,
                "genbun": "1992年にはBMWが広告の担当を電通から博報堂へ移しており、この構図が実際の取引の移動として表れた例にあたる。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "海外提携とニューメディア対応、財団という株主",
          "text": "1980年代の広告業は総広告費の伸び悩みに直面し、各社は新しい媒体と海外に活路を求めた。博報堂は東北新社などとCATV番組ソフト会社の日本映像ネットワークを設立し、米国企業と組んでコンピューターを使うカタログ販売の実験にも取り組んだ。提携先の選び方にも特徴があり、韓国の第一企画、台湾の連広、米国のエーデルマンと結んでいる。同じ時期に大広は米フット・コーン・アンド・ベルディングと、旭通信社は米DDBインターナショナルと組んでおり、日本の広告各社が一斉に海外の作法を取りにいった時期にあたる。\n\n1970年7月、創立75周年を機に文部省認可の財団法人博報児童教育振興会が設立された。児童への国語教育と視覚・聴覚に障がいのある人への教育を助成する組織で、創業者の教育分野への関心を制度の形に移したものにあたる。この財団は現在の公益財団法人博報堂教育財団であり、2026年3月末時点で博報堂DYホールディングス株式の19.77%を保有する筆頭株主となっている。創業家の資産を教育財団に移した結果、上場後も持株比率の高い安定株主が残る構造が生まれた。第2位の一般社団法人博政会が5.03%を持ち、朝日新聞社が3.12%、日本テレビ放送網が2.40%と続く。財団と媒体社が上位に並ぶ株主構成は、広告会社が媒体社との関係のうえに立つ事業であることを、資本の側からも示している。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "博報堂は東北新社などとCATV番組ソフト会社「日本映像ネットワーク」を設立し、米国企業と組んでコンピューター利用のカタログ販売実験に取り組んだ",
                "source": "日本産業史 第3巻（情報・通信・サービス）",
                "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823",
                "genbun": "博報堂は東北新社などとCATV番組ソフト会社の日本映像ネットワークを設立し、米国企業と組んでコンピューターを使うカタログ販売の実験にも取り組んだ。"
              },
              {
                "fact": "博報堂は韓国の第一企画・台湾の連広・米エーデルマンと、大広は米フット・コーン・アンド・ベルディングと、旭通信社は米DDBインターナショナルと提携",
                "source": "日本産業史 第3巻（情報・通信・サービス）",
                "url": "https://dl.ndl.go.jp/pid/13095823",
                "genbun": "提携先の選び方にも特徴があり、韓国の第一企画、台湾の連広、米国のエーデルマンと結んでいる。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "1970年7月、博報堂創立75周年を記念して文部省認可の財団法人博報児童教育振興会を設立",
                "source": "博報堂教育財団「沿革」",
                "url": "https://www.hakuhodofoundation.or.jp/about/history/",
                "genbun": "1970年7月、創立75周年を機に文部省認可の財団法人博報児童教育振興会が設立された。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 1995,
      "end_year": 2008,
      "main_title": "電通の背中を追った三社統合と、博報堂DYホールディングスの誕生",
      "subsections": [
        {
          "title": "創業100年から八年で決めた三社経営統合",
          "text": "1995年10月に博報堂は創業100周年を迎えた。その直後から広告市場の環境は反転する。バブル崩壊後にいったん回復した総広告費は2000年に最高を記録したものの、翌年からITバブルの崩壊と金融再編にともなう特需の消滅が重なり、上位以下の各社を直撃した。週刊東洋経済は当時、電通がシェアと粗利率を保った一方で、博報堂はシェアを伸ばしながら粗利率を落とし、大広はシェア自体が沈んだと整理している。二位以下が同時に苦しくなった点が、その後の統合の前提となった。利益面での差は売上規模の差より大きく、順位を一つ上げるだけでは埋まらない水準に開いている。\n\n2001年に結んだ業務提携は、二年で経営統合に発展した。博報堂、大広、読売広告社の三社は2002年12月に共同持株会社の設立を発表し、2003年10月1日に株式移転によって株式会社博報堂DYホールディングスを設立した。設立時の資本金は100億円、本店は東京都港区に置いた。業界二位、五位、六位の集結であり、三社の2003年3月期単独売上高の合計は9,854億円と、首位の電通の1兆3,676億円に対して七割強に達している。単独で7,097億円だった博報堂は、二社を加えることで首位との差を半分から七割強へ縮めた。企業結合の会計処理では博報堂を取得会社と識別し、大広と読売広告社にはパーチェス法を適用している。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "1995年10月に博報堂は創業100周年を迎えた",
                "source": "博報堂 会社概要「博報堂のあゆみ」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/chronicle/",
                "genbun": "1995年10月に博報堂は創業100周年を迎えた。"
              },
              {
                "fact": "バブル崩壊後、電通がシェア維持と粗利率改善を果たす一方、博報堂はシェア拡大に対し粗利率が弱含み、大広はシェアが落ち込んだ",
                "source": "週刊東洋経済 2002年12月14日号「広告代理店博報堂、大広、読広統合でもまだ見えない電通の背中」",
                "url": null,
                "genbun": "週刊東洋経済は当時、電通がシェアと粗利率を保った一方で、博報堂はシェアを伸ばしながら粗利率を落とし、大広はシェア自体が沈んだと整理している。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2003年10月1日、博報堂・大広・読売広告社の株式移転により共同持株会社の博報堂DYホールディングスを設立（資本金100億円、東京都港区）",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2003年10月1日に株式移転によって株式会社博報堂DYホールディングスを設立した。設立時の資本金は100億円、本店は東京都港区に置いた。"
              },
              {
                "fact": "2003年3月期単独で電通の売上高1兆3,676億円に対し、博報堂7,097億円、統合3社合計9,854億円",
                "source": "週刊東洋経済 2003年12月27日・2004年1月3日合併号「2004年総力予測 真剣勝負の100人」",
                "url": null,
                "genbun": "三社の2003年3月期単独売上高の合計は9,854億円と、首位の電通の1兆3,676億円に対して七割強に達している。"
              },
              {
                "fact": "企業結合処理では博報堂を取得会社と識別し、大広と読売広告社にパーチェス法を適用した",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書（2006年3月期）",
                "url": null,
                "genbun": "企業結合の会計処理では博報堂を取得会社と識別し、大広と読売広告社にはパーチェス法を適用している。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "メディア部門だけを統合するという設計とその評価",
          "text": "統合の設計は独特だった。三社は2003年12月にメディア・コンテンツ関連組織を分割型新設分割で切り出して統合し、完全子会社の博報堂DYメディアパートナーズを設立している。統合したのは広告枠の調達と媒体開発だけで、制作と営業は三社が別々に持ち続けた。同一業種の複数の広告主を一社で担当しない世界的な作法に沿う一方、グループ内で三社が競い合う形も残す狙いがあった。宮川智雄社長は媒体からの調達で「スケールメリットが生きる」と説明している。持株会社に複数の広告会社がぶら下がる形は欧米では珍しくなく、同一業種の広告主を同じ会社が担当しないための編成にあたる。三社は制作と営業を含む全面統合も、他社を加えた陣営の拡大も否定した。\n\n同時代の評価は厳しかった。週刊東洋経済は統合を規模拡大による挑戦ではなく生き残りをかけた防衛的統合と読み、事業統合が媒体部門に限られる以上、削減できる費用には限界があると指摘している。実際、四大媒体の調達規模は約7,000億円で電通の七割程度にとどまり、調達量の差は残った。もっとも、この設計は制作と営業の独立を守ったぶん、広告主の重複を避けながら取引を維持できた。統合の効果を媒体調達に限定した判断は、短期の合理化には物足りず、顧客基盤の毀損を避ける点では働いている。三社が別々の広告主を抱えたまま一つの持株会社の下に並ぶ形は、22年後の再編まで維持された。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2003年12月、三社のメディア・コンテンツ関連組織を分割型新設分割により分社・統合し、完全子会社の博報堂DYメディアパートナーズを設立",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "三社は2003年12月にメディア・コンテンツ関連組織を分割型新設分割で切り出して統合し、完全子会社の博報堂DYメディアパートナーズを設立している。"
              },
              {
                "fact": "博報堂社長の宮川智雄は媒体からの広告枠調達について「スケールメリットが生きる」と述べた",
                "source": "週刊東洋経済 2002年12月14日号「広告代理店博報堂、大広、読広統合でもまだ見えない電通の背中」",
                "url": null,
                "genbun": "宮川智雄社長は媒体からの調達で「スケールメリットが生きる」と説明している。"
              },
              {
                "fact": "持株会社に複数の代理店がぶら下がる体制は世界的に主流で、同一業種の複数広告主を同じ代理店が担当しないためのもの。三社は制作・販売を含む全面統合と他社を巻き込む陣営拡大を否定した",
                "source": "週刊東洋経済 2002年12月14日号「広告代理店博報堂、大広、読広統合でもまだ見えない電通の背中」",
                "url": null,
                "genbun": "三社は制作と営業を含む全面統合も、他社を加えた陣営の拡大も否定した。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "三社の四大媒体の広告枠調達規模は約7,000億円で、電通の7割程度に迫る水準",
                "source": "週刊東洋経済 2002年12月14日号「広告代理店博報堂、大広、読広統合でもまだ見えない電通の背中」",
                "url": null,
                "genbun": "実際、四大媒体の調達規模は約7,000億円で電通の七割程度にとどまり、調達量の差は残った。"
              },
              {
                "fact": "週刊東洋経済は三社統合を「生き残りをかけた防衛的統合」と評し、事業統合がメディア事業に限られるため合理化効果は限定的と指摘",
                "source": "週刊東洋経済 2002年12月14日号「広告代理店博報堂、大広、読広統合でもまだ見えない電通の背中」",
                "url": null,
                "genbun": "週刊東洋経済は統合を規模拡大による挑戦ではなく生き残りをかけた防衛的統合と読み、事業統合が媒体部門に限られる以上、削減できる費用には限界があると指摘している。"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "東証一部上場と、統合後初の最終赤字",
          "text": "2005年2月、博報堂DYホールディングスは東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。設立第1期にあたる2004年3月期の連結売上高は9,067億円、経常利益180億円、当期純利益71億円で、この期は6か月決算にあたり、大広と読売広告社については株式移転前の6か月分の損益を含まない。翌2005年3月期には売上高1兆895億円と1兆円を超え、2008年3月期には1兆1,187億円に達した。2003年12月時点で会社が掲げた2005年度売上高1兆1,000億円という目標は、ほぼ計画どおりに実現している。\n\n2006年6月に戸田裕一氏が社長に就任し、2008年には本社を港区東新橋から同区赤坂へ移した。移転費用に広告市況の悪化が重なり、2009年3月期は売上高1兆334億円に対し33億円の当期純損失を計上した。統合後の初めての最終赤字にあたる。テレビと新聞の需要が急速に冷え込むなか、戸田社長は当時「日本の広告市場は約7兆円。それとは別に販促費の中で広告が触れる市場が2兆円ぐらいあるだろう。企業が持つ2つのポケットをしっかり取り込めば、成長余地はある」と述べ、広告費の外側にある販促費まで取り込む方向を示した。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "戸田裕一",
              "role": "博報堂DYホールディングス社長",
              "date": "2009-01-31",
              "text": "日本の広告市場は約7兆円。それとは別に販促費の中で広告が触れる市場が2兆円ぐらいあるだろう。企業が持つ2つのポケットをしっかり取り込めば、成長余地はある",
              "source": "週刊東洋経済 2009年1月31日号",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2005年2月に東京証券取引所市場第一部へ上場",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2005年2月、博報堂DYホールディングスは東京証券取引所市場第一部に株式を上場した。"
              },
              {
                "fact": "2003年12月時点で会社は2005年度に売上高1兆1,000億円・経常利益230億円を目指すとしていた",
                "source": "週刊東洋経済 2003年12月27日・2004年1月3日合併号「2004年総力予測 真剣勝負の100人」",
                "url": null,
                "genbun": "2003年12月時点で会社が掲げた2005年度売上高1兆1,000億円という目標は、ほぼ計画どおりに実現している。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "戸田裕一は2006年6月に博報堂DYホールディングス社長に就任（2019年6月から会長）",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書（表紙 代表者の役職氏名）",
                "url": null,
                "genbun": "2006年6月に戸田裕一氏が社長に就任し、"
              },
              {
                "fact": "2008年に本社を東京都港区東新橋から同区赤坂へ移転",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2008年には本社を港区東新橋から同区赤坂へ移した。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    },
    {
      "start_year": 2009,
      "end_year": 2026,
      "main_title": "デジタルと海外を買収で組み立て、AI時代の一体運営へ向かうまで",
      "subsections": [
        {
          "title": "出資から完全子会社化まで九年をかけたデジタル領域",
          "text": "2009年2月、博報堂はデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムの第三者割当増資を引き受け、同社を子会社にした。ネット広告の単価はテレビに比べて桁が小さく、既存の営業がテレビを優先する構造は各社に共通していた。自社の営業に任せず、専業会社を資本で取り込む形を選んだ点に判断の特徴がある。2016年10月には同社とアイレップが株式移転でD.A.コンソーシアムホールディングスを設立し、2018年10月に博報堂DYホールディングスが公開買付けによって同社を完全子会社とした。出資から完全子会社化まで九年をかけている。\n\nこの期間に業績は伸びた。2011年3月期に9,365億円だった売上高は、2020年3月期に1兆4,662億円へ達している。2019年6月には水島正幸氏が社長に就いた。水島社長は就任年末の取材で、生活者のメディア接触時間のうちパソコン・タブレット・スマートフォンを合わせたデジタルが1日200分を超えて最も長いと述べ、広告会社の仕事が広告枠の外へ広がる状況を説明している。同じ取材で挙げた「正解より別解」という社内の標語は、二番手が同じ土俵で戦わない構えを一言で示している。デジタル化で提案できる範囲は、広告の制作から顧客管理や販売店づくり、アプリの開発まで広がった。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "水島正幸",
              "role": "博報堂DYホールディングス社長",
              "date": "2019-12-28",
              "text": "博報堂社内には、「正解より別解」という標語がある。得意先の社内における議論やAIによる提案で導かれた結論とは、違う見方で提案するという意味だ。突拍子もない発想ができる代理店のよさは、デジタル時代にこそ発揮されるはずだ。",
              "source": "週刊東洋経済 2019年12月28日・2020年1月4日合併号",
              "paragraph": 2
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2009年2月、博報堂がデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムの第三者割当増資を引き受け子会社化",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2009年2月、博報堂はデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムの第三者割当増資を引き受け、同社を子会社にした。"
              },
              {
                "fact": "2016年10月にDACとアイレップが株式移転でD.A.コンソーシアムホールディングスを設立、2018年10月に公開買付けで完全子会社化",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2016年10月には同社とアイレップが株式移転でD.A.コンソーシアムホールディングスを設立し、2018年10月に博報堂DYホールディングスが公開買付けによって同社を完全子会社とした。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "水島正幸は2019年6月に博報堂DYホールディングス社長に就任（1960年生まれ、1982年慶応大学卒業、博報堂入社、2017年4月に博報堂社長）",
                "source": "週刊東洋経済 2019年12月28日・2020年1月4日合併号「2020大予測」",
                "url": null,
                "genbun": "2019年6月には水島正幸氏が社長に就いた。"
              },
              {
                "fact": "生活者のメディア別接触時間はパソコン・タブレット・スマートフォンを合わせたデジタルが1日当たり200分を超え全メディアで最長",
                "source": "週刊東洋経済 2019年12月28日・2020年1月4日合併号「2020大予測」",
                "url": null,
                "genbun": "生活者のメディア接触時間のうちパソコン・タブレット・スマートフォンを合わせたデジタルが1日200分を超えて最も長いと述べ、"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "買収で組み立てた海外の非広告事業",
          "text": "海外では、自社の看板を掲げて出ていく方法を採らなかった。2014年5月に戦略事業組織kyuを組み、米SYPartnersとRed Peak Groupの買収から始めている。2016年2月にはデザイン会社IDEOの株式30%を取得し、将来の過半取得の選択権も併せて得た。2019年4月時点でkyuは10社・11のサービスブランドを抱え、欧米を中心に2,000人を超える人員を擁するまでになった。広告の取扱いを海外へ伸ばすのではなく、デザインと経営変革の会社を集める形を選んだ点に、この組み立ての性格がよく表れている。\n\n国内でも非広告の機能は外から調達している。2025年1月に博報堂はNTTデータとの総合コンサルティング会社の設立、アプリ開発のアイリッジとの合弁を相次いで発表した。長く蓄積した生活者データと発想力を持つ一方、システムやアプリの開発では総合コンサルティング会社に見劣りするため、その部分を合弁で補う組み立てにあたる。競合の電通グループが2021年にドリームインキュベータへ出資し2022年にイグニション・ポイントを買収したのと並び、広告二強がそろってコンサルティング領域へ入った時期にあたる。",
          "references": [],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2014年5月に戦略事業組織「kyu」を組成し、米SYPartnersとRed Peak Groupを買収",
                "source": "博報堂DYホールディングス ニュースリリース 2014年5月9日「戦略事業組織『kyu』の組成ならびに米国2社の買収について」",
                "url": "https://www.hakuhodody-holdings.co.jp/news/corporate/assets/uploads/20140509.pdf",
                "genbun": "2014年5月に戦略事業組織kyuを組み、米SYPartnersとRed Peak Groupの買収から始めている。"
              },
              {
                "fact": "2016年2月にIDEO株式30%を取得し将来の過半取得オプションを保有、2019年4月時点でkyuは10社・11ブランド・欧米中心に2,000人超",
                "source": "博報堂 ニュースリリース「グローバルに展開するデザイン/イノベーション会社IDEO社、博報堂DYグループの戦略事業組織『kyu』の一員に」",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/news/newsrelease/25908/",
                "genbun": "2016年2月にはデザイン会社IDEOの株式30%を取得し、将来の過半取得の選択権も併せて得た。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2025年1月24日に博報堂とNTTデータが総合コンサルティング会社の合弁設立を発表、同月にアイリッジとの合弁も発表",
                "source": "週刊東洋経済 2025年3月22日号「進撃のアクセンチュア」",
                "url": null,
                "genbun": "2025年1月に博報堂はNTTデータとの総合コンサルティング会社の設立、アプリ開発のアイリッジとの合弁を相次いで発表した。"
              },
              {
                "fact": "電通グループは2021年に戦略コンサルのドリームインキュベータへ20%超出資、2022年にイグニション・ポイントを買収",
                "source": "週刊東洋経済 2025年3月22日号「進撃のアクセンチュア」",
                "url": null,
                "genbun": "競合の電通グループが2021年にドリームインキュベータへ出資し2022年にイグニション・ポイントを買収したのと並び、"
              }
            ]
          ]
        },
        {
          "title": "構造改革とデジタルホールディングス買収、そして一体運営",
          "text": "2022年3月期は経常利益757億円、当期純利益552億円を計上し、統合以降の最高益となった。この期から収益認識に関する会計基準を適用したため売上高の表示は前期と連続しない。会社は売上総利益を主指標に置き、2026年3月期は4,060億円と前期比1.6%増、売上総利益率は25.7%へ1.1ポイント改善している。一方で2025年3月期は早期退職と間接部門の集約という構造改革の費用が重く、当期純利益は108億円まで落ちた。利益率の改善と構造改革の費用は同じ数年のなかで同時に進んだ。\n\nグループの形も組み替えた。2025年4月、博報堂DYメディアパートナーズを分割会社、博報堂を承継会社とする吸収分割を実施し、同月にデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムとアイレップがHakuhodo DY ONEを存続会社として吸収合併により消滅している。2003年の統合でメディア部門だけを切り出した設計は、22年を経て逆向きに畳まれた。2025年12月にはデジタルホールディングス株式を公開買付け等により取得して子会社とし、2026年4月には博報堂とHakuhodo DY ONEの一体運営に入った。\n\n2025年6月に社長となり2026年4月にCEOを兼ねた西山泰央氏は、生成AIによる自動化と広告主による内製化の二つの方向から広告代理業が問われる状況を認めたうえで、クライアントや媒体社の課題を聞き出す業務はAIで代替できないと述べている。そのうえで「われわれのソリューションは今後、“偉大なナンバー2”などと言われている場合ではない」と語った。教育雑誌の広告取次から130年、電通を追う位置に長くとどまってきた会社が、二番手であること自体を資産とみなす構えを自ら退けた発言にあたる。",
          "references": [],
          "quotes": [
            {
              "speaker": "西山泰央",
              "role": "博報堂DYホールディングス社長CEO",
              "date": "2026-05-30",
              "text": "われわれのソリューションは今後、“偉大なナンバー2”などと言われている場合ではない。各領域でナンバーワンになれるよう、社員の頑張りだけではなく、投資によって調達すべきところは迷わず対応していかないと駄目だ。",
              "source": "週刊東洋経済 2026年5月30日号",
              "paragraph": 3
            }
          ],
          "factBasis": [
            [
              {
                "fact": "2026年3月期の売上総利益406,037百万円（前期比+1.6%）、売上総利益率25.7%（+1.1pt）",
                "source": "博報堂DYホールディングス 2026年3月期 通期決算説明会資料（2026年5月12日）",
                "url": null,
                "genbun": "2026年3月期は4,060億円と前期比1.6%増、売上総利益率は25.7%へ1.1ポイント改善している。"
              },
              {
                "fact": "2025年3月期は早期退職・間接部門集約などの構造改革費用により当期純利益10,768百万円へ減少",
                "source": "博報堂DYホールディングス 2026年3月期 通期決算説明会 質疑応答要旨（2026年5月26日）",
                "url": null,
                "genbun": "一方で2025年3月期は早期退職と間接部門の集約という構造改革の費用が重く、当期純利益は108億円まで落ちた。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "2025年4月、博報堂を承継会社・博報堂DYメディアパートナーズを分割会社とする吸収分割を実施。同月にDACとアイレップがHakuhodo DY ONEを存続会社とする吸収合併で消滅",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2025年4月、博報堂DYメディアパートナーズを分割会社、博報堂を承継会社とする吸収分割を実施し、同月にデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムとアイレップがHakuhodo DY ONEを存続会社として吸収合併により消滅している。"
              },
              {
                "fact": "2025年12月にデジタルホールディングス株式を公開買付け等により取得し子会社化",
                "source": "博報堂DYホールディングス 有価証券報告書【沿革】",
                "url": null,
                "genbun": "2025年12月にはデジタルホールディングス株式を公開買付け等により取得して子会社とし、"
              },
              {
                "fact": "2026年4月の組織再編で博報堂とHakuhodo DY ONEを本格的に一体運営する",
                "source": "週刊東洋経済 2026年5月30日号「トップに直撃 博報堂DYホールディングス 社長CEO 西山泰央」",
                "url": null,
                "genbun": "2026年4月には博報堂とHakuhodo DY ONEの一体運営に入った。"
              }
            ],
            [
              {
                "fact": "西山泰央は1966年生まれ、1989年上智大学法学部卒業・博報堂入社、2025年6月に博報堂DYホールディングス社長COO、2026年4月からCEO",
                "source": "週刊東洋経済 2026年5月30日号「トップに直撃 博報堂DYホールディングス 社長CEO 西山泰央」",
                "url": null,
                "genbun": "2025年6月に社長となり2026年4月にCEOを兼ねた西山泰央氏は、"
              },
              {
                "fact": "1895年の創業から2025年で130年",
                "source": "博報堂 会社概要",
                "url": "https://www.hakuhodo.co.jp/about/company/",
                "genbun": "教育雑誌の広告取次から130年、電通を追う位置に長くとどまってきた会社が、二番手であること自体を資産とみなす構えを自ら退けた発言にあたる。"
              }
            ]
          ]
        }
      ]
    }
  ],
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "### 創業\n\n1895年、日清戦争後の出版ブームのなか、瀬木博尚氏が東京・神田で教育雑誌の広告取次店として博報堂を創業した。新聞ではなく学校と教員が読む媒体に絞り、部数の大きさではなく読者の輪郭で媒体を選ぶ商いから出発している。1901年創業の電通に6年先んじたが、取扱高では長く二番手にとどまった。規模で追わない代わりに、1957年のAE制導入と1981年の生活総合研究所開設で、広告主の課題から社内を編成する営業と、生活者を見る物差しを自前で持つ。二番手の作法として働いたこの二つは、AIが定型業務を担う時代に試される。",
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      {
        "label": "創業",
        "body": "1895年、日清戦争後の出版ブームのなか、瀬木博尚氏が東京・神田で教育雑誌の広告取次店として博報堂を創業した。新聞ではなく学校と教員が読む媒体に絞り、部数の大きさではなく読者の輪郭で媒体を選ぶ商いから出発している。1901年創業の電通に6年先んじたが、取扱高では長く二番手にとどまった。規模で追わない代わりに、1957年のAE制導入と1981年の生活総合研究所開設で、広告主の課題から社内を編成する営業と、生活者を見る物差しを自前で持つ。二番手の作法として働いたこの二つは、AIが定型業務を担う時代に試される。",
        "tags": {
          "primary": {
            "id": "F3",
            "label": "独立系・個人創業",
            "group": "出自・後ろ盾"
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            {
              "id": "F9",
              "label": "新市場の前夜・市場創造",
              "group": "時代の契機"
            },
            {
              "id": "F16",
              "label": "ニッチ・大手の手薄を突く",
              "group": "起点の事業モデル"
            }
          ]
        }
      }
    ]
  }
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